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ネイムレス  作者: 吹岡龍
第四章【死を招く怪人劇 -The unstoppable Burge's puppetry-】
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〔一‐5〕 USB

 すっかり夜の帳が下り、辺りの民家の明かりが温もりを漂わせる頃、アンディはバスを下車して家路を急いだ。

 メリッサはアパートを借りているブロードウェイの近くで降りていた。親の反対を押し切り、ボストンを出てニューヨークで一人暮らしをしているのだ。

 以前アンディは彼女に、わざわざ州を飛び越えてニューヨークに来た理由を問うと、彼女らしい答えを返した。


“世界の流行はニューヨークで生まれるの。私が渡った二百マイルは、原始から最先端の未来への時空移動にも等しかったわ”


 彼女の男から好かれる容姿も相俟って、アンディは自然と惹かれていった。無償に愛することを覚えた彼は、登下校を彼女と過ごすことに幸福を感じていた。心境を表に出せないから、満足に彼女に気持ちを伝えられないが、この思いは真実に違いなかった。

 だから、こうして彼女と別れてから家に着くまでの数分の夜道はとても寂しく思えてしまうのだった。

 そうした寂しさは、楽しさで紛らせていた本当の自分の暗さを浮き彫りにさせる。昨日のちょうど今頃のことを、アンディは思い出さずにはいられなかった。

 自分は誤ったのか。

 いや、知ったことではない。

 自問自答を繰り返している内に、彼は玄関のドアに手を掛けていた。


「おかえりなさい。もうご飯だから、マギーを呼んできて頂戴」


 キッチンから母モニカの声がした。

 アンディは分かったよなどと応えながら、鞄から朝刊を取り出してリビングのソファーに置いた。ソファー前のガラステーブルに新品の分厚いガイドブックがあったので触っていると、「今週末、どこかに行こうと思っているんだが、アンディお前も来なさい」と父デイビッドがトイレから現れた。水で軽く洗っただけの手をTシャツで拭いているので、モニカにだらしないと窘められていた。


「週末って……あぁ、そうか」


 キッチンのカレンダーに目を向けて、アンディは得心がいった。週末の予定に“NYY!!”と書かれていたが、今では黒のマジックで塗り潰されている。デイビッドが贔屓にしているニューヨーク・ヤンキースがレギュラーシーズンで大敗を喫し、憎きボストン・レッドソックスALDS進出を掴んだ日から、もうすぐ一週間が過ぎようとしていたのだ。


「構わないけど、まだ行き先は決めていないの?」

「北の方に行って、キャンプでもどうだ」


 彼の言葉に、アンディは僅かに眉を顰めた。


「何だ、キャンプは嫌か? 昔はボーイスカウトに入るほど楽しんでいたじゃないか」


 アメリカ合衆国は、その人口に見合うだけの国土と、都市開発を進めてきた。しかしながら大地の全てがアスファルトに埋められてしまったわけではない。ニューヨーク市などの都市部を外れれば、いくつもの青々とした山脈が未開発のまま保護されている。

 今ではニューヨーカーを自負するアンディも、幼い時分はその山々を駆け回り、自然と触れ合うことに心躍らせていたごく普通の少年だった。


「……昔の話だよ。ただ、週明けには一限目から講義があるから、あんまり遠出はしたくないんだ」

「そうね。折角、勉強を頑張っているのに、遊んで講義に出られなくなったなんてつまらないものね」


 食卓の中央に大盛りのポテトサラダを置いたモニカがそう言った。

 確かにそうだなと頷いたデイビッドは、「じゃあ、ハーリーマン州立公園にでも行こうか。あそこならば車で一時間ほどだし、景色も良い。リフレッシュするには最適だ」とガイドブックに掲載されている公園の写真を見せた。

 モニカも満足しているようで、さっそくカレンダーの週末の日付に“Harriman”と赤いボールペンで記した。


「ねぇママー、ご飯まだー?」


 ずいぶんお腹を空かせた様子で現れたのは、アンディの妹であるマーガレットだ。


「今できたところよ。アンディ、早く鞄を置いて手を洗ってきなさい」

「うん」


 そう言って目の端で捉えたスパゲッティやミートボールだが、何故か少しも美味しそうに見えなかった。




 夕食が終わると、アンディは平静を装って自分の部屋に入り、鍵を閉めた。二つある窓のカーテンも固く閉め、鞄の中からハンドサイズの機械を取り出した。それのスイッチを入れるとランプが緑色に点滅しはじめた。

 アンディはその機器から突き出した短いアンテナを部屋の各所に向けた。三十分ほど、険しい表情でそれを続けていると、その行為をようやく終えて機器の電源を切り、ベッドに抛った。


「無い、か……」


 そう独り言ちて自分もベッドに仰向けに横になると、天井の一点をジッと見つめた。盗聴器や盗撮カメラなどを発見できる機器だったが、どうやら取り越し苦労だったようだ。

 ズボンのポケットに手を突っ込み、無造作にスマートフォンを取り出した。ネットニュースサイトを閲覧し、今もムーヴィーズのアクセス障害が続いていることを確認すると、ちらりと机に目を向けた。購入してまだ半年余りのデスクトップPCが置いてある。アンディは身体を起こすと、椅子に座ってPCを立ち上げた。

 PCからもネットニュースの情報を眺め、次に匿名掲示板へアクセスした。思ったとおりムーヴィーズについてのスレッドが多く建てられていて、どれもが結局は原因不明、動画についても真相不明、陰謀論を唱える輩が出てくるのはいつものことだった。

 しかしアンディはその陰謀論――政府が動いただの何だのというネット上の文言をジッと眺めると一考した。そうしてからブックマークを開き、ムーヴィーズへアクセスしてみた。障害中にも拘らずアクセスが集中してしまっていることによる長いローディングと白い画面、その後現れるダイアログはアクセス不能を伝え――


「え?」


 アンディは思わず声を漏らした。ダイアログが、アクセス障害とは何ら無関係のメッセージを表示していたからだ。〈アンディ・コープだな?〉と英語で問い掛けられていた。


「何だ、コレ……? ウィルスか、くそっ」


 アンディは慌ててインターネットブラウザを閉じようと、ウィンドウの右上端にある×ボタンをクリックした。すると途端にモニターが暗転――ブラックアウトして、白い文字だけが表示された。


〈余計な真似はするな。これは警告だ。モニターを眺める以外の行為をすれば、命の保障はできない〉


 突然の出来事に度肝を抜かれたアンディは椅子から転がり落ちた。そしてベッドの脇に背中を預けつつ、命令に従った。


〈よろしい。お前に拒否権は無い、アンディ・コープ〉


 その高圧的な態度に腹が立ったのか、アンディはしかめっ面で立ち上がり、そのままキーボードを叩こうとした。しかし、彼が打った文字を表示するスペースはどこにも用意されていなかった。このPCは完全に乗っ取られたのだと、アンディは理解した。


〈何か言いたいのなら喋ればいい。私はお前の姿を見ることも、お前の声を聞くこともできる。そして命を取り上げることもな〉


 このPCに、先程見つけられなかった盗聴器やカメラが内蔵されているのかと疑うと、PCの電源を切ってしまいそうになった。しかしそれをすれば脅しが現実になってしまいそうで怖くなってしまった。


〈賢明な判断だ。やはり真相に触れていると理解が早くて助かる〉


 皮肉を言われたと自覚したアンディは、隣の部屋のマーガレットに聞こえない程度の声で問うた。


「お前は何者だ。俺をどうするつもりだ?」

〈マスターテープがあるだろう。まずはそれをベッドの上にでも出してもらおうか〉

「何のテープだ。人違いじゃないのか」

〈なぁ、アンディ。週末のハーリーマン州立公園の天気は晴れているだろうか?〉


 この家の内容が全て筒抜けになっている。どうしてそれを、などと言いかけたアンディだったが、すぐに言葉を呑み込んだ。


「分かった。少し待ってくれ、“全て”出す」


 アンディはクローゼットを開け、古着の山の下に隠していた段ボール箱を取り出した。蓋を開けると、一台のハンディカムが出てきた。有名な日本メーカーの最新機種だ。高画質なのはもちろん、多くの機能が搭載してあり、PCに繋げば編集も可能な代物だ。


「余計な脅迫は受けたくない。どこから見ているのか分からないが、とりあえず動画を再生させるから確認してくれ」


 ハンディカムの大画面液晶モニターに一つの動画が再生された。それは間違いなく、昨夜ムーヴィーズなどの動画サイトで話題となった物だった。


〈確認した。“全部”と言ったな、出せ〉

「分かってる。急かさないでくれ」


 アンディはダンボールの中底の端に爪を入れ、捲り上げた。すると一つのUSBメモリが隠れていた。


「きっとお前には全てお見通しなんだろう。危険な目には遭いたくないからな」


 言いながら、今度は鞄の内ポケットから、ペンケースから、ベッドの下から、本棚の本の裏から、計五つのUSBメモリをベッドに置いた。そして最後にスマートフォンの動画アプリを起動させて、例の映像を流した。


〈やはり用意周到だな。しかしそこまでやっているお前がどうして素直に応じた〉

「脅しておいてよく言う。俺みたいな小市民が命を守る為には、従順になる以外に無いだろう?」

〈それでいい。こちらも目的を達成しやすい〉

「お前の目的とやらが何かは知らないが、お前の言う通りにするんだ、命だけは助けてくれ。他に望みがあるなら最善を尽くす。大金を用意しなくちゃならないなら少し待ってほしいが、俺はまだこんな所で、こんなことで、死にたくないんだ」


 アンディはジッと、黒いモニターの画面を見つめた。天井の電灯から降り注ぐ光と反射して、自分の顔が質の悪い鏡のように映った。自分の目とかち合うと、その情けない表情から背けざるを得なかった。


〈善処はしよう。しかし全てはお前の協力と努力次第だ。来週、家族で休日を楽しみたいのならばな〉

「……それで、俺はどうすればいい。このデータを全て破棄すればいいか?」

〈それはこちらの仕事だ。お前はそれを、今から指定する場所へ持って来い〉


 モニターの奥の何者かに指定された日時は明日の昼だった。そして場所はと言うと、よりにもよって、ここから遥か北に位置する場所。週末にキャンプをしようと言った父の言葉に過剰に反応してしまった方向。

 そして何より、問題の動画を撮影した現場。


〈Good night, Andy〉


 アンディの心を逆撫でするような一言を残し、PCは自動でシャットダウンしてしまった。床に座り込んだ彼は、部屋の端に詰まれた新聞紙の山を一瞥してから、膝を抱えて一夜を明かした。

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