〔一‐3〕 風薫る校舎
6/24(火) 前回投稿分〔一-2〕の大幅な追記を行ないました。継続してご覧の方は、まずはそちらからご一読お願いします。
雑踏の中、どれだけの人がすれ違うたった一人の格好に――外見に目を留めるだろう。
奇抜であれば必ずだろうが、逆に特徴無く平凡であれば、きっと特別な理由でもなければ見向きもしないだろう。
誠はその他大勢の一人に溶け込むことができていた。和風の丸みを帯びた輪郭で、西洋人と比べれば扁平な目鼻立ちだから、ここ北米大陸では目を引くだけの要素は充分にあるのだが、それ以上に突出した何かがあるわけではないから、誰も彼に興味を示さなかった。
《千里眼》男の配慮からコードレスのイヤフォン・マイクを選ばなかったのは正解と言えた。いかにも誰かと話しているように見えるのは目立つし、実際に独り言のように通話するのも悪目立ちを誘うからだ。
あくまで音楽を聴きながら道を行く少年。そういうテーマで目的地を目指した。
「ムーヴィーズの動画観た?」
抜けるような青空が日の光を一層映えさせる正午。イエローキャブが往来する大通りの信号を待っていると、いかにも夜遊びに慣れていそうな十代の男女がそんな話をしていた。
生粋の日本人だった誠が世界に関わって半年。母国の言葉しか喋れず、組織が開発した翻訳機能のある多機能通信機〈MT――Memory and Thinking〉に頼る毎日だったが、日々ネイティブの英語に触れていると否応無しにそれが耳に馴染んで、言葉の意味も理解できるようになっていた。
本来ならもっと長い年月を要するものだが、彼だけではなくヘレティックには本来的にこうした学習能力、あるいは環境への適応力の高さが備わっているようだった。それでも個々人の努力は必要だが、誠の言葉というものへの意欲が、英語への理解をより深めていった。
「観た観た! でもさぁーあ、何かハリウッドのCGぽくねー?」
「にしてはチョーリアルじゃなかった?」
「つーかエグいだろアレ! お前女の癖によく平気だよなっ」
「余裕っしょ! あんなんビビッてんの処女くらいでしょー」
「ビッチは言うことチゲーよなぁーっ」
しかし、こんな汚い言葉を聞きたいが為に英語を覚えたのではなかった。
不良達はギャハハと笑い、グリーンに点灯する信号を渡っていく。露出の多い派手な格好で、身体の至るところにピアスを貫いている。目のやり場に困った誠は、連中の後ろ姿から顔を背けつつ、人の波に身を任せた。
『ネット社会。こうして当事者になってみると、噂が広がる恐ろしいほどのスピードに辟易してしまうな』
外に出てから今の今まで無言の行を通してきた《千里眼》男が、この人混みの中、唐突に口火を切った。
誠は背筋を粟立たせつつ、早足で信号を渡り切った。人熱れから逃れるように細い路地へ入り、「街中なんだ、喋りかけないでください」と早口で呟くように《千里眼》男を諌めた。
『お前が現実を忘れようとしていたから、改めて教えてやったのさ。どうした〈LUSH-5〉――マコト・サガワ。平凡な人生を謳歌できる彼らが羨ましいか?』
「……アナタには言っていなかったけど、オレは記憶喪失なんだ。それなりの常識はあるけど、自分のことはほとんど覚えていない。羨むほどの現実なんて、何も」
『ほぉ、都合の良い嘘をつけるものだな』
「そう思いたいなら勝手にすればいい。これが嘘でも本当でも、アナタ達に従っているんだから何も問題無いだろ」
『そうはいかない』
「どうして……!」
『この任務にお前を充てたのは親愛なる神々だ。彼らはお前とバーグが何らかの関係にあると睨んでいる。分かるな? 今のお前は、他の連中よりもいっとう高い監視下に置かれているというわけだ。そして期待される役割も大きい』
〈アルパ〉のヘレティックは、ことごとく洗脳を受けている。幹部である元大統領達を神々と崇めるよう思い込ませ、ノーマルを神の子、ヘレティックを神に仇為す悪魔と刷り込ませている。そして〈アルパ〉のヘレティックは神々の慈悲を受けた僕として、神々に絶対の服従を誓っているのだという。
誠は《千里眼》男を哀れに思っていた。同時に〈アルパ〉を憎々しく思った。
それが表情に出てしまったのか、『そういう危険な香りを漂わせるから、俺達は神々に滅ぼされるのさ』と釘を刺されてしまった。
歩けと指示され、誠は大通りへ引き返し、またぞろ目的地を目指した。
『アンディ・コープ、奴は用意周到だ。あの動画を大手サイトにアップデートする前に、奴はどういう手順を踏んだと思う?』
誠は答えない。行き交う人の誰が聞き耳を立てているか分からないからだ。
『まずは電子掲示板(BBS)で人集めをしたのさ。その時点から奴は〈BURGE〉を名乗り、言葉巧みに参加者の興味を惹きつけた。そうして動画の存在を知らせ、時間を指定してから複数の動画サイトに投稿した。あとはBBSやマイクロブログにURLを添付しさえすれば祭りの始まりだ』
その“拡散”という現象は、喩えるなら竜巻のようなものだろうか。天空から垂れる小さな渦が、次第に多くの大気を巻き込んで、地表に着いた頃には誰にも止めることはできない。そうしてそれが消えた頃には、我が物顔で通った巨大な轍だけが刻まれている。
流行という、歴史の轍が。
『各サイトでその動画が公開されたのはたったの五分。“小羊”がすぐに全ての動画、全ての情報の削除を行なったものの、時既に遅かった』
「小羊……?」
再び信号に行く手を阻まれた誠は思わず返事を零してしまった。それを母に手を引かれる小さな女の子が聞き取って、白々しくそっぽ向く彼の顔を覗き込んでいた。
『〈アルパ〉が誇る天才プログラマー。俗に言う、ウィザードというやつだ』
機械――科学に長けた、ヘレティック。
誠の中で、一つの呼称と、一人の男が想起された。
ヘレティックには優れた頭脳を持つ者がいるという。時として彼らは、世界に破滅を齎すほど凶悪な兵器を生み出すという。《ギフテッド》と呼ばれるセンスを持つ彼らの中に、組織の科学者――メギィドという博士がいた。
彼は組織に多くの人智を超えた科学技術を提供してきた。その一方で、〈ユリオン〉というハイパーコンピューターを秘密裏に開発していた。
〈ユリオン〉は、自身で思考し、自身で兵器を開発できるとされる危険な代物である。かつてそれの破壊を巡り、組織の英雄が死んでいた。二十年余りの時を越え、再び蘇りつつあったそれを今度こそ破壊する為、誠はメギィドを追い詰めた。
しかし、肝心の〈ユリオン〉は既にメギィドさえも与り知らぬ場所に消え、彼自身も何者かの手にかかり、誠の目の前で命を散らせた。
手前勝手で、身震いするほどに恐ろしい思考の持ち主だった。
誠は、〈アルパ〉にも彼に通じる者がいるのかと思うと不安で堪らなかった。
『動画は国内だけでも十万人を越えるユーザーにダウンロードされていた。小羊はそれらユーザーのPCに対象の動画のみを削除するウィルスを送ったが、USBメモリのような補助記憶装置にコピーしている者が半数以上いるようだ。アンディ・コープはBBSでそれを行なうよう誘導していたことが後で分かった』
ビル群の中に堂々と聳える凱旋門を潜ると、およそ四万平方メートルの大きな公園に入った。昼間であるからか、老若男女問わず、ランチや食後のスポーツなどを楽しみ、リフレッシュしている姿が目立った。
『さらにアンディは自宅のPCではなく、市内のPCショップのサンプルPCからアクセスしていた。通常、利用制限されているはずのPCが〈BURGE〉の名でライセンス登録されていたのだ』
「よく分からないんですけど、どうしてその動画を公開したのがアンディって人だと判ったんですか」
『小羊がそのPCのIPアドレスから所在地を割り出し、俺が《千里眼》で確認した。ちょうど一連の行為に目処がついたらしい奴が逃げるように去っていくところだった。それから奴のプロフィールを取得するのはとても楽だった』
深い木々の葉擦れを背に、涼やかな風が髪を攫った。
『アレが、アンディ・コープが通う大学だ』
マンハッタン区にあるその大学を一目見て、誠は思わず立ち竦んでしまった。
十人十色の表情で門扉を出入りする学生達の姿が、黒い制服に身を包む少年少女のそれと重なって見えていた。
「学校……」
イヤフォンの――電波の先で、《千里眼》男は彼の独り言をそのままにした。