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ネイムレス  作者: 吹岡龍
第三章【雷鳴の暗殺者 -One-eyed REWBS-】
109/167

〔七〕

 ウォールナット、チークに並ぶ三大銘木。

 その質の高さから乱伐が進み、ワシントン条約で取引が制限されている〝緑の黄金〟。

 今や、マホガニーという木材は権威の現れである。

 この机――サンフランシスコのとある豪邸で一際強い存在感を示すこの執務机もマホガニーで作られている。その誂えは、同国大統領に受け継がれるそれと全く同じだ。

 しかし、オーバルオフィスのそれに比べれば年季が違う。まだまだ若く、使い古された気配が見えない。ただのコピー――模造品、レプリカである。

 その机と同様、本家そっくりの椅子に組織のボスは腰掛けている。紛い物の机に肘を立て、組んだ指の上に鼻を置いている。

 フリッツはそんな彼の視界を、右へ左へとゆっくりと歩きながら、「状況は、芳しいとは言えません」と手振りを加えて報告した。


「バーグはユーリカ・ジャービルの暗殺を仄めかし、現在ジャービルの別宅周辺では戦闘が起きている」


 第一実行中隊の戦闘エリア――ミシガン州南東部とは三時間の時差がある。フリッツは腕時計をちらと見やると、作戦の継続可能時間が残り少ないことに焦りを覚えた。


「戦況を観測しているリセッターからの報告では、戦場には五名のREWBSが現れ、ドウジ・シュテン率いる第一実行中隊と戦闘を続けているとのこと」

「リセッターも随分と手広く活動するようになったものだな」


 ボスが口を開いた。

 作戦区域の裏世界に関わるあらゆる痕跡の抹消をするのが、〝リセッター〟と呼ばれる作戦部作戦処理部隊の役目である。戦況の観測や、それらの情報を本部等中枢機関へ報告するのは情報部諜報部隊の任務であるので、彼らには一切の関わりがない。

 本来ならば、リセッターの越権行為を咎められるところではあるのだが、現在は正しい判断と言えた。


「申し訳ありません。諜報部隊としては不徳の致すところであります。〝番人(ウォッチャー)〟たる我々が秘密を守るどころか、第三者によって記憶を書き換えられてしまうとは……。情報部には至急現地への応援を派遣させるよう伝えました。到着はまもなくかと」


 そう、状況が状況だった。

 現地の諜報部隊に、あるアクシデントが起きていたのだ。

 リセッターは、何故REWBSが極秘のはずのジャービル邸へと集結できるのかという疑問から、逆説的に当人たる諜報部隊ですら気付いていないそのアクシデントに気付き、諜報部隊のフォローに回っているらしい。


「記憶を改竄できるヘレティックがいる、ということか」


 ボスがその険しい目を一層細くしたのを、フリッツは見逃さなかった。


「……リセッターによれば、催眠の一種ではないかとのことですが。マコト・サガワのことを考えておられる?」

「どうだろうな」


 言って、フリッツを見る。

 彼も目を離さずいたが、瞬きすると流した。髪を払うように額に触れると、言った。


「我々がノーマルにほどこす処置と言えば、情報の操作と改竄です。催眠の類も時には使いますが、それはあまり強制力があるものではなく、記憶を思い過ごしや勘違いへと挿げ替える程度です。詳細は彼から」


 小太りの、どこにでもいそうな中年男性が一歩前に出た。

 彼の目立たぬ風貌に、潜入と情報収集もこなす諜報部隊らしさを見出したボスは、彼の話に耳を貸した。


「確かに私のセンスは催眠です。対象に、対象が目撃した光景を言わせる、あるいは想起させている状態で、私の額から溢れる強い脳波を対象の脳に注ぐことで、目撃した光景を夢や幻のように現実味のないあやふやな情報へと書き換えます。他の隊員も似たようなものです」

「脳波を注ぐ、とは?」

「私と対象の額を接触させることで、脳波を流し込むことができます」

「つまりキミらのセンスでは、対象が目撃した光景は記憶に残り続けるということだな」

「そうです。ふとしたきっかけでそれが現実だったと思い出してしまうことは多々あります。ですが目撃情報というものは、証言するまでの時間が経つにつれて正確さを欠くものです。たとえその者から裏世界の情報が漏れてしまっても、その頃には我々諜報部隊や作戦処理部隊が任務の痕跡を一切抹消しているので、足がつくことはありません」

「UFOに攫われたという話と同じですよ。全ては事が終わってから思い出すのです」


 フリッツが茶々を入れるように補足する。

 小太りの男は机の上に、ガラス製の小瓶をいくつか陳列させた。それらは全て、組織が製造した物だ。


「これらの薬品や、一定の催眠術のスキルを用いることで、似たような症状を引き起こすことは可能です。しかし確実性は、我々のセンスよりも格段に劣ります」

「これらは実行部隊の備品として配布されていますが、まぁほとんどが使われずにいるのが現状です。何故なら、一つでも手順を間違えるか、この薬品の用量を間違えれば、対象は二度と正常に戻れないからです」


 ボスは小瓶を一瞥すると、「キミのセンスの効力はどのくらいだ」


「対象を想起するきっかけから隔離した状態では、おそらくひと月以上は保つはずです。しかしハッキリと申し上げると個人差があります。それは我々の能力差は勿論ですが、対象も同様です」

「メギィドが残した文献では、三年が経過しても尚、対象の想起は認められず、観測はそこで終了したとのことです。実験に携わったヘレティックは、今は亡き僕の先任です」


 フリッツはニッと口角を上げた。

 彼の先任は情報改竄のエキスパートだったが、急性ストレス障害に苦しんだ挙句、他界している。

「理解した」とボスは区切るように言った。


「では別の問いだ、何故その第三者は諜報部隊を殺さなかったのか」


 小太りの男のみならず、部屋の中央で倒れる二人の元大統領の記憶を覗き込んでいた男女も、鱗が出るほど目を剥いて驚いた。

 しかしフリッツだけは机に手を掛け、身を乗り出して、ボスに笑みを零していた。


「そうです、本当の問題点はそこです。諜報部隊にまで接触しておきながら殺害しなかった。軍事を多少なりとも齧った者ならばそんなマヌケはしません。おそらく情報を操作する為に、彼らを生かす必要があったのです」

「アレハンドロなる秘書の男か」


 リセッターが気付き、諜報部隊がその存在を認識しないように催眠をかけられたアクシデント――アレハンドロ。

 今日までどの報告書にもその存在が明記されていなかった。

 組織が言う〝任務〟というものには、主に三つの部隊が関わる。

 まず情報部諜報部隊が先発する。作戦現場を視察し、情報を取得する。作戦区域を設定し、任務終了まで区域と周辺を常時モニタリングと記録をし続ける。

 続けて作戦部実行部隊が、諜報部隊が用意した現場に突入し、事前に決められた範囲内での行動を開始する。

 最後に遅れて作戦部作戦処理部隊が参加する。実行部隊の任務完了による帰還、あるいは全滅等の何らかの要因での失敗、作戦所要時間の超過が確認されると、彼らは作戦区域に突入し、あらゆる痕跡の抹消を開始する。

 諜報部隊が任務を完了するのはそれらが滞りなく進み、リセッターが帰還してからだ。

 つまり、アレハンドロが早期にジャービル邸に引き篭もり、リセッターに観測されなかった為に、諜報部隊からアレハンドロの情報が上がってくるまでに時間が掛かったということだ。


「ドウジ・シュテン総隊長は、諜報部隊にアレハンドロや〈フェリズ〉なる私兵団についての情報開示を求めていたようです。しかし返答は無かった。総隊長は思ったのでしょう、彼らも知らなかったのではないかと。その要因は、アナタにある」


 フリッツに睨まれるも、ボスはその鉄仮面をピクリとも動かさなかった。


「彼は思ったのですよ。これも、アナタの処遇をも自在にコントロールできるジャービル氏の独断だとね」

「想像力が豊かなことだ」

「しかし、現状がそう示しています。何より、最も混乱しているはずのあの総隊長が、たったの一度しか情報開示を要請していない」


 酒顛ドウジは現状に即した判断力を持つ男だ。加えて、実直だ。

 きっと違和感を覚えながらも任務の遂行を優先したのだろう。任務を途中で放棄せず、ボスの命令を遵守したのだろう。HQの地下に組織の資金源となる油田があると知れば尚更だ。

 フリッツは生真面目な彼を思うと歯を噛んだ。


「ジャービル氏と付き合いの長いボスもご存じないと聞き驚きましたが、それもそのはずですね。アナタが取得するほとんどの情報は、我々情報部諜報部隊の血と汗の結晶なのですから」

「頭でも撫でてやろうか」


 隊員らは睨みあう両者に近付けず、息を呑むばかりだった。


「僕はね、ボス。その結晶を、戦果を穢され歪められたことが許せない。だからすぐに調べさせましたよ、アレハンドロなる男は実在しなかったのかと」


 ボスやフリッツが、〈フェリズ〉ではなくアレハンドロのみに焦点を絞っているのは、リセッターからの報告によるものだ。

 彼らは、酒顛がジャービル邸の位置を外部へ知らせる内通者を、既に感知していると言っていた。それがアレハンドロだとも。

「いたんですか…?」と隊員が訊く。

 フリッツはボスから目を離さずに答えた。


「死んでいたよ。アレハンドロはジャービル――いや、イーサン・プライズの秘書だったビル・ボルノーの息子だったが、スイスでの無差別テロ事件に巻き込まれてね」

「調べればこうも容易くボロが出るというのに、今日まで気付けなかったとはな」

「全くです。これは半永続的に二小隊をジャービル専属に充てていた情報部の采配ミスだ。アレハンドロの情報が彼らから一切出てこなかった」


「ん、ちょっと待ってください」と女が首をかしげて問う。


「少し混乱してきました。じゃあ今のアレハンドロは何者なんです? ジャービルは今のアレハンドロの存在を認知しているのでしょう?」

「今のアレハンドロは偽者だ。ジャービルは彼に騙されている。さらにジャービル周辺の情報は、ジャービルが組織に関わる以前から操作されていたと考えるのが自然だろう。そしてジャービル専属の諜報部隊二小隊もその毒牙にかかってしまった。僕らはね、得体の知れない何者かに手玉に取られているということさ」

「バーグだと思うか、リーダー」


 ボスの眼光が揺らめいた。

「十中八九」と答えるフリッツの瞳も、同じように光っている。


「こうなるとジャービル氏も正常であるとは思えんな」

「えぇ、このあくまでの仮説が正しいとすればそうなります。では何故バーグはジャービルさえも殺さなかったのか。ジャービルというものを影から作っておきながら、今奴は彼を亡き者にしようとしている」

「ジャービル氏が、バーグに与えられた役目を果たしたからだろう。自分の制作物を自分で処理しようとは、まるでマッチポンプを絵に描いたような真似をする」


 バーグが真実自作自演したのならば、この先に何を求めているのか。

 それはボスにもフリッツにも、見当が付かなかった。


「現状の整理を続けます。現地諜報部隊が機能していない為、リセッターのゼツ・ルイサ総隊長が臨時で報告しています」


 今やリセッターの代名詞とも言える累差絶総隊長の独特の存在感は、いつも飄々としているフリッツでさえも身震いするものがあった。

 だから彼の名を口に出すだけで鳥肌が止まらない。


「戦場のREWBS五名の内四名は、こちらが提供した情報どおり〝アルパ〟が送り込んだ刺客のようです。残り一名は、やはりバーグの刺客とのこと。ドウジ・シュテン総隊長にはその旨を伝えましたが、戦況は未だに混迷を極めており、ジャービルの私兵団〈フェリズ〉からは多くの死者が出ているということです」

「しばらく無かったことだな。REWBSではないノーマルが戦闘に巻き込まれ、死亡するのは」


 ノーマルがREWBSに加担した為に、実行部隊の殲滅対象となるのはままあることだ。私怨からアメリカ合衆国への報復を画策するレーン・オーランドの一団もそのケースだ。

 しかし、REWBSとは無関係のノーマルが裏世界の争いに巻き込まれるのは非常に珍しいことだ。さらに突き詰めれば、組織に加担するノーマルというのも、稀であった。


「ボス、バーグは全ての歯車を狂わせようとしています。我々が世界の為に構築してきたこのシステムを、ルールを、根底から突き崩そうとしています。たとえ奴ではなかったとしても、我々は今まさに、見えない何者かに背水の陣を迫られています」


 ボスは両手で隠していた口元を露にし、ゆらと立ち上がった。


「バーグ、〝アルパ〟、そして行方知れずの〈ユリオン〉。これらは全て、3Sクラスの反抗勢力だ。あらゆる手段を使い、徹底的に炙り出せ」


 直後だった。

 机の上に設置されているデジタル電話機が鳴った。と、同時にフリッツの手元の通信機にもコールがあった。


「ボス、どうやら秘匿回線のようです」

「量子通信、か?」

「彼らにそんな技術力があるのですか…!?」


 小太りの男が動転する。

 見た目は二千年以降に販売された標準的なモデルだ。この家に踏み入った時、爆弾などのトラップを捜索する際にこれも当然調べたが、何の変哲もないマイクロフォンから成る電話機だった。

 しかし利用には、量子受信器や量子LANを構築する量子演算機が必要になるはずだ。組織はそれらや、独自開発の人工衛星を所有しているから量子通信を可能にできている。


「ここから一キロメートル先にこれを可能にできる施設が見つかったようです」


 フリッツはボスを一瞥した。彼が子機に取り付けていたケーブルを腕に刺すのを確認し、受話器を取った。スピーカー機能はオンにした。

 誰もが一人の怪人物を想像した。

 ボスは《ライト・ライド》を発動した。任意の光の進行方向へ自身の感覚を広げる空間把握系のセンスだ。たとえ量子化していようと、光子は光に代わりがないようで、ボスのセンスを使えば、暗号解読対策として開発されたこの技術にも対抗できる。何故ならこのセンスは通信を横入りして傍受するのではなく、意識を通信経路である光の道に乗せるだけだからだ。

 ボスは見た。通信相手の居所を掴むとそこで意識を広げ、もう久しく逢っていない口達者な男の険しい形相を捉えた。


『久しぶりだな、ボス。私だ、ディカエル・プレマンだ』


 過酷な拷問により倒れていた男達はその声に目を覚ますと、どちらからというわけでもなく、反射のように歌を口ずさんだ。

 この国の、自由と誇りと尊厳の歌――星条旗を。


*   *   *


 男を愛する男は、女に憧れる男になる。その憧れはやがて嫉妬の炎に変わり、男を女へと近付ける。より近いものへと変えていく。

 女であろうとする男は、遂には男を愛する何かになる。

 それはきっと、壮大な変身譚(メタモルポセス)だったのだ。

 若いながら、幼いながらに、自らの象徴を切除した彼の者は、それを契機に雌雄の枠からだけでなく、人の道からも外れてしまった。

 女を嫉妬していた目は――男を射止めたいと願っていた目は、映ったもの全ての自由を奪うメデューサのごとく双眸へと変態してしまった。

 自らの力を自覚したサード・セックスは、その時笑った。

 自らの成れの果てに、笑ったのだ。

 そうして今も、その時のように笑う。

 愛する男を手篭めにできる悪魔の形容に相応しいこの目を武器にして、笑っている。


「こっちよボウヤ! こっちにその熱い想いをぶつけてごらんなさい!」

「ぬぅん!」


 轟々と燃え盛る炎の中でも耳朶に触れる耳障りな挑発を跳ね返すように、ウヌバは右腕から炎を吐き出した。けれどもその炎は炎と呼べるほど規模が無く、力強さに至っては皆無だった。

 ガス切れだ。

 体力の限界を覚えた彼は、ようやく周りの酸素量が微々たるものであることにも気付いて膝から崩れ落ち、受け身も取らずにうつ伏せに倒れた。


「アァーン、もうお疲れちゃんなのぉーん?」


 猫なで声でサード・セックス――オトコオンナは手元のマイクに呟いた。

 対象の周囲に小型のスピーカーを設置し、四方八方から反響するような音声がこちらの正確な位置を攪乱する。これはオトコオンナの閉鎖的空間下での戦闘スタイルだが、その意義はあくまで遊ぶ為にある。

 オトコオンナは自分の能力に確たる自信を持っているのだ。

 倒れる巨人を見て、自縄自縛だとオトコオンナは思った。考えも無しにひたすら自分の周りを炎で埋め尽くして、火災旋風まで発生させて、アレでは倒れるのは無理も無い。


「そういう馬鹿で一生懸命な男、大好きよ。賢しく知略で挑んでくるインテリ君よりもよっぽどね」


 女を気取ったような声がウヌバの意識に鳥肌を立たせる。

「さぁ、コッチを見て」とオトコオンナは囁く。一際ハッキリとした声は、手元の小型パラメトリック・スピーカーによるものだ。これさえあれば、任意の対象にのみ音を聞かせることができる。


「ボウヤの最期は、私が看取ってあげるから」


 男が戦いに敗れ、息絶える様というのは、如何なる快楽よりも興奮する。

 オトコオンナは今の環境に身をやつしてから、そうしたフェティシズムに溺れた。

 炎の隙間から、純朴な巨人が倒れてい様子が見える。さっきまで呼吸の為に上下していた身体が次第に動かなくなっていく。

 息を呑む瞬間だ。熱気とリビドーで喉が渇く。下腹部も熱を持ち始めたその時、すぐ左の壁が爆ぜた。外から爆ぜた。

 耳元でコイルとモーターが鳴いている。排熱口から一息つくように蒸気が噴き出す。バラージュは愛銃の尻を叩くかのように、すかさず引き金を引いて次弾を射出させる。

 銃身の主構造となる二本のレールを走った弾丸は、できたばかりの壁穴の手前で分解した。金属の皮が剥がれ、中から粘性のある液体が大の字のようにして広がった。液体の大半は壁にぶつかり、一部のみがオトコオンナの左横腹に直撃した。

 オトコオンナの身体は超高速で飛来したその液体に押されるままに右手の壁に激突した。まるで小さな子供に横から抱きつかれたようになったオトコオンナは、右腕を身体と壁に挟んだまま身動きを取れなくなった。液体は、強力な接着成分でできていた。


「もう一発だ」


 バラージュは容赦無くトドメの一発を放った。〈ゲイ・ボルグ〉の出力をやや上げてトリモチ弾を撃ち出した。

 トリモチ弾には、一定量以上の極めて強い衝撃を受けると、一瞬遅れて破裂する特殊な薬莢を採用している。レールガンは雷管を叩く方式ではないので、ショットガンの散弾実包とはその仕組みが異なっている。

 先程は壁だけを壊す為に出力を最低限に留めて、トリモチと同じ薬莢を使った炸裂弾を射出した。出力の高さは弾丸のスピードに比例するので、この薬莢が一定量以上の衝撃であれば同じ時間で破裂するのなら、出力を高めることで破裂位置を変えることができるとバラージュは考えた。

 彼女の思惑通り、薬莢は壁穴を潜り抜けると同時に破裂し、トリモチのほぼ全てがオトコオンナの全身に念押しの一発を見舞った。


「ヴ、うっ!?」


 オトコオンナの両頬は壁とトリモチのサンドウィッチに遭い、自然と尖った口元からは人らしい言葉は発せられないようだった。


「アタシは」


 運よく塞がっていない左耳に聞き慣れない女の声が届いた。近寄る軍靴の音に、全身から嫌な汗が噴き出した。


「アタシは計画性の無い馬鹿は嫌いだ。かと言って用意周到な奴も嫌いだ。自然体で、かつ丁寧な心遣いがあった方がグッとくる」

「おんぬあ…? さっきゅにょ、おんぬぁっ!?」


 オトコオンナが隠れていたのは倉庫の管理棟のような施設だった。バラージュは首を鳴らしながらそこに踏み入ると、勝ち誇ったような笑みを浮かべた。

 その顔を見られないようにオトコオンナの死角から話しかける。


「面白いセンスだった。場数を踏めばかなりの手練になれたはずだ。まぁ、お前の性格じゃあ中々難しかっただろうがな」

「こっ、こっちゅへきょい。こっちゅへ…!」

「行かねぇーよ。お前の視界には、二度と誰も入らない」


 〈ゲイ・ボルグ〉を壁に立てかけると、ホルスターから拳銃を取り出した。銃口を後頭部に向け、「遊びすぎだよ、お前。センスを鼻にかけて慢心してたろ」


「ほりょ。ほりょににゃる! ひみちゅ、おしえりゅ!」

「うるせー、ドブスのカマ野郎。誰がお前みたいな玉無しブスの話なんて聞くかよ」


 オトコオンナの視界に入ってしまった時、バラージュはオトコオンナの声が聞こえたわけではない。しかし口元が何を言っているかは大よその見当がついていた。

 つまり彼女は、根に持っているということだ。

 アタミに話したら笑われるだろうな。バラージュは失笑しながら撃鉄を起こした。

 すると、「テメごらあああっ!」火事場の馬鹿力というのが当意即妙か、オトコオンナは既に岩石のように硬化しきっているトリモチにヒビを入れるほどの力で顔を動かしたのだ。

 そんなに動くと首が取れるぞというバラージュの警告にも耳を貸さず、オトコオンナはわずかに自由になった口で怒鳴った。その声音はどすの利いた男のそれだった。


「下手に出てりゃあ図に乗りやがってええっ!! てめぇらにはいつか必ず神々の鉄槌が下る!! 神々に歯向かい、神の子らの尊い世界を蹂躙した報いでなぁ!!」


 バラージュはその意味深長な物言いにほんの少し驚いた。オトコオンナの出自について興味も沸いた。だが、もういいかとあっさり切り捨てた。

 コイツは捕虜にするには危険過ぎる。


「悪いなドブス。アタシはフィクションよりもノンフィクションのが好きなんだ」


 オトコオンナは笑った。視界に窓がある。外には炎が広がっていて、火の手の奥には巨人が倒れている。

 遊びなものか。

 好きを語る時はいつだって本気だ。

 銃声が、狂い咲きのような笑い声を打ち消した。


「秘密、神々、神の子――か。報告すれば、何か掴めるかな」


 バラージュは重い足取りで窓の外を見た。ウヌバを見つけると、嘆息を漏らした。


「手の掛かるガキも嫌いだ、面倒臭い」


 窓枠に足をかけた。


*   *   *


 慟哭が聞こえる。

 ぼぅっとして働かない頭に、激情に任せた哀傷歌(エレジー)のように染み渡っていく。ぐったりとした身体に、手足に、枷が継ぎ足されていくようだ。

 旋律の無いそれに誘われるまま、ただ茫然と足を動かせていた。左手は壁に沿わせて、暗闇の迷路を進んでいく。

 角を曲がってから、対向する人影に気付いた。

 相手もこちらと同様に覚束ない足取りだ。相手のさらに奥から聞こえるエレジーに合わせて、手拍子のように鼻を啜ってもいるらしい。

 死んだ魚のような目で、あぁ、と思う。

 あぁ今日も、共食いをしているのだと。


「ケン」


 無言の行を返すと、震えた声が鼓膜を叩いた。


「ケン、ネーレイが……」


 エリ・シーグル・アタミ。天真爛漫を絵に描いたような第一実行部隊の紅一点。

 そんな彼女が、見る影も無いほどに暗い顔をしている。目も当てられないほどに、酷い顔をしている。

 雪町ケンは、彼女の傍まで寄ると目を閉じて嗅覚を研ぎ澄ました。彼女から漂う独特の臭気に気付いて、何も言わずにそっと彼女を抱き締めた。

 唐突過ぎる行為に、エリは驚きのあまり声が出なかった。


「アレハンドロも死んだ。マコトを眠らせた後、自分で命を絶った」


 殺伐とした会話だった。

 こんな格好でするような話ではなかったが、エリにとっては幸いだった。


「勝つぞ、この任務。悲しむのはその後だ」

「いつからこんな気遣いできるようになったのよ」

「気まぐれだ。一々訊くな」


 ネーレイが、死んだ。

 彼女のお節介なセリフが反芻されて、思わずエリを抱き締めてしまった。だが、これでいいのだとケンは思った。

 寒さに凍えていたようなエリの身体から、震えが剥がれ落ちていたからだ。

 エリは、幼い時分に視た彼の温もりが、今全身を包んでいることに安堵していた。ボディアーマーは邪魔だったが、この隔たりにも満足していた。

 今は、これだけでも充分だ。そう思っていると、次第に頭に熱が篭ってきた。


「戦えるか?」

「う…ん……」

「無理はするなよ」

「ん、む」

「その、何だ。できないなら、俺が、守ってやる、あっと、まぁ、うん」

「う゛っ」


 ケンは勢い余って、流れに任せて、そんなキザなセリフを口走ってしまった。耳まで赤くしてから恥ずかしさを自覚した。

 何てことをしているんだと思っていると、エリが蹲っていた。

「お、おい、大丈夫か」と彼女の肩に触れかけると、「や、やめて。大丈夫だから」と払われてしまった。


「いや、大丈夫じゃねぇだろ。どっか痛むのか?」

「マジやめて、今はマジ、そういうのアウト、勘弁して」


 エリは片手で彼を制止させつつ、一方の手で鼻を覆いながら、股の間に顔を隠していた。

 やっべ、鼻血出ちゃった。今日のケンやばすぎ。

 これ以上優しくされると出血多量で死んでしまう。

 ホント大丈夫か――大丈夫だから――立てないんだろ――立てるし――無理すんなって――大丈夫だって――

 それは何巡目かの堂々巡りの直後だった。

 すぐ近くの通路の壁が崩壊した。まるでクレーン車から鉄球が振り下ろされたように、豪快にだ。

 二人は巻き起こる粉塵の中、あまりに唐突な出来事に瞬き一つできなかった。

 すると――


「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 突如築き上げられた瓦礫の山から絶叫が轟いたので、二人はびくりと肩を震わせた。

 瓦礫から伸びる右手の人差し指は二人を交互に指差すと、最後にはケンに的を絞った。


「このヤロー!! エ、エリちゃ、エリちゃんを泣かせやがったなああああっ!?」

「ちがっ、泣いてないよカズン君、あ…」


 常軌を逸した剣幕でまくし立てる彼を宥めようと割って入ったエリだったが、その右の小鼻からはたらりと赤い液体が零れ落ちていった。咄嗟に鼻を隠すが時すでに遅し。男達は地獄の底を覗いたような愕然とした表情を満面に広げた。


「ああああああああああああああああ! このヤロー、それでも男かよ!? エリちゃんの綺麗な顔に何しやがったんだ!!」

「何もしてねぇって! 言いがかりはよせ!」


 カズンは目尻に涙を浮かべ、鼻を真っ赤にしながらケンの胸倉を掴んだ。


「そ、そうよ、カズン君。これただの鼻血だから、ちょっと疲れたから出ただけだから」

「疲れて出るもんなのか…!?」


 あ…。

 しまったと思い、エリが次の言い訳を考えつくよりも早く事態は悪化していった。


「おいおいおいおいおいおいおいおいおいおい!? それってヤバイ病気じゃねぇのか!?」

「エリ、今すぐ帰還しろ。キヨメ先生に診てもらえ」

「そうだぜエリちゃん、すぐに検査してもらった方がいい!」


 カズンは赤かった鼻まで真っ青にして、ケンは平静を装っているが明らかに目を泳がせて、彼女の身体を気遣っている。

 二人もの異性からこうして心配されるのは非常に嬉しいのだが、きっかけが何分嘘なもので、しかもその嘘が言い出せない類の嘘なもので、エリはまたまた逃げ口上を零すことなってしまった。


「ウソウソ! ホントは、あのその、アレだ! そうだアレだ! あの電撃男に殴られた、みたいな…? アッハハー」


 責任転嫁は完了した。これで二人とも納得してくれるだろう。

 静まり返った二人を見て、エリはほっと胸を撫で下ろした。計画通りだ。

 が、「「許せねぇな」」きっとオノマトペ的に言えば〝ゴゴゴゴゴ〟などがよく似合う気迫のようなものが男達から余計に溢れ出ていた。


「えーと、事態悪化?」


 エリは鼻血を拭いつつ、頬を掻いた。


「野郎、ぶっ殺す」

「お前じゃ無理だ。エリちゃんが受けた屈辱は俺様が晴らしてやる」


 片や指の骨を鳴らし、片やストレッチを始めた。そして両者に共通しているのは、相貌が人殺しのそれになっていることだった。

 身から出た錆とは言え、もはや手に負えない事態にエリは目を回してしまった。

 そこへ、何かが飛来した。鈍い音を立てて足下に転がった大きなそれは、「め…いし……」という言葉を最期に事切れてしまった。

 それを見て、「コ、コイツは…!?」とケンが目を剥いた。


「何だお前、こんな気色悪いゲジゲジ野郎とお友達か?」


 カズンは死体を指で突くと、面白がって背中から生える無数の腕を摘み上げた。

 唖然とするケンの耳が、複数の足音を拾った。駆け足のそれに彼は身構えなかった。味方だと判別できたからだ。


「中々頑丈だったが、力押しでは俺には勝てんよ」

「リーダー!」


 歓喜したエリが鼻血を垂らしながら駆け寄ってくるので、酒顛は頭を掴んで制止させた。


「毒を食らったって聞いたぞ、いいのか?」

「そんなもの、コイツを見れば分かるだろう」


 彼が指差す男――企業戦士のあばら骨は粉々になっており、左目は陥没、腕も足もタコのような軟体と化している。

 《鬼変化》の酒顛ドウジは、美女に受けた猛毒から復活したと言える。


「お前達、無事だったか」

「トマス。外の〈フェリズ〉は…」

「言うな、ユキマチ。奴らは課せられた責務を――生き甲斐を果たした。残る俺達も命ある限りそれを全うする」


 ケンは、トマスの背後にいる隊員らを数えた。彼を合わせて八名。第一次防衛戦で戦死したキムリックを除けば、四十八名もの隊員が美女やこの企業戦士によって惨殺されたことになる。

 ここにいる全員が文字通り死屍累々たるその凄惨な光景を目の当たりにしている。その中には、トマスと同じSEALS出身の男の姿もあった。


「能無しが言うじゃねぇか。だが、お前らの出る幕は無ぇ。残りのREWBS共は俺様が平らげてやる」

「勝負でもするか?」

「はぁ? そういうのを無謀ってんだぜ!」

「トマス。カズンもよせ。演習ではないんだぞ」


 煽り合う彼らを酒顛が止める。

 彼を手伝うように、「そうだ。ネーレイが死んだんだぞ」とケンは言った。

 エリは俯き、目を閉じた。


「は……?」

「彼女が、か?」


 酒顛も〈フェリズ〉も、さしものカズンも驚きを隠せない様子だった。

 カズンは血相を変え、急いで空間把握を高めた。脳裏に周囲の光景がマルチ画面のように映し出される。HQのあらゆる場所に意識を凝らすが、どこにもネーレイの姿が見当たらない。しかし地下を覗くと半球状に抉られた床が目に入った。


「女を道連れにしていたようです」


 エリの目蓋の裏には、女に馬乗りになっている彼女の姿が焼きついている。全身に火傷を負いながらも、必死になってアリィーチェを守る為に最善を尽くしていた。


「おそらくセンスを無効化にできる女だ。俺が取り逃がしたばかりに…」

「それを言うなら、電撃使いを仕留め切れなかった私にも責任があります」

「悔いるのは後にしようぜ」


 ケンが言う。兵士の双眸が、彼らを進むしかない現状へ連れ戻す。

 目頭を押さえていた酒顛は、深く息を吸い、鼻からゆっくりと吐いた。開いた瞳には厳しさが戻っていた。

 彼はケンの肩に手を置くと、一同に訊いた。


「マコトがジャービル氏を連れ出したと聞いたが」


 ケンもエリも首を振った。確かに臭いは外に出ているが、行方となればその臭いを辿らなければ正確な方向・位置までは分からない。

「見つけたぜ、北だ。距離は六百」と、きっとケンをフォローするわけでもなかったのだろうが、カズンは自慢の空間把握で誠の居所を探し当てていた。


「ヤバイな、電撃野郎は真っ直ぐガキを追ってやがる。ん、あのガキ止まったぞ」


 酒顛は彼らに令した。


「ケンとエリ、そして〈フェリズ〉の半数はマコトの援護だ。ケンが先陣を切れ」

「了解だ」

「俺とカズン、トマスの本隊は、八時方向の敵を片付ける」


「俺様一人で充分ッスよ」とカズンは言う。

 しかし酒顛は彼の左手を指し、「強敵なんだろう。それにリミットは日の出までだ、時間が無い。指示に従え」

 カズンはそっぽ向いて舌打ちした。


「ウヌバとバラージュならやれるはずだ、奴らを信じよう」

「ファルクはどうすんだ」


 ケンが問うと、「電撃使いの偵察に行ってもらう」

 ここから北と言えば、深い森林地帯が広がっている。資料では、この工場地帯が盛んだった頃にその森をさらに切り崩し、敷地を拡大する計画があったと書いてあった。

 その森林地帯にあの男が入ったというのなら、ファルクを偵察に寄越すのは得策だと考えられる。夜中の木々による視界不良という地の利を活かせば、高高度から彼の鳥目で電撃使いを捕捉しても、彼に危害が加わることもないだろう。


「ジャービル氏の保護が完了次第、ケンとエリは奴の迎撃だ。絶曰く、バーグとの関わりがあるのは奴だけらしい。何としても捕縛しろ」

「絶? 累差絶が、どうしてここにいる…!?」


 ケンが問い質す。

 エリや、そしてカズンでさえもその名を聞いて神経を荒立たせる。


「分からんさ。ただ諜報部隊が有効に機能していないようだ。捕縛と言えばアレハンドロもだが…」


 首を振るケンは、「目の前で、な」と右手をピストル代わりにし、こめかみに当てて撃つようなジェスチャーをした。


「何か掴めたのか」

「内通者が奴だったのは確かだ。詳しくは後で報告する」


 うむと酒顛がうなずいた直後だった。

 突然、カズンが明後日に向かって叫んだ。


「テメエエエエ! やりやがったなあああああああああ!?」


 狂ったように怒鳴り散らす彼の脳裏には、空中で翼を捥がれ、四肢を圧し折られたファルクが墜落する様が映っていた。


「あのガイコツ野郎! ファルクを殺しやがった!」


 ファルクは受け身も取れずに荒野の瓦礫の上に落ちると、そのまま動かなくなった。

 彼のすぐ傍には、挑発的な笑みを湛えるガイコツ男が佇立している。


「会話を盗み聞きしてやがった! 俺様が感知できないなんて有り得るかよ!?」

「話は以上だ! 奮闘を祈る!」


 緊急事態に、酒顛の号令と同時に一同は走り出した。

 しかしそれを食い止めるようにHQが全体が軋み、壁や窓ガラスがひび割れ始めた。揺れは足元からと言うよりも、壁面と天井から伝わってきていた。

 地震ではない、直感したケンはカズンに叫んだ。

 彼はすかさず、「分かってる!!」と呼応すると、右手を左から大きく右へ振った。すると途端に軋み続けていたHQが平静を取り戻した。


「行けよシュテンさん! ノーマル共も! 自分の頭で考えて動きやがれよ! 口に出したらそこで終わりだ!」


 一同が額や首筋に嫌な汗を滲ませながらも、散開の為に一歩踏み出したその時、「させん!!」という力強い声をカズンは聴いた。

 前後左右、さらに上方から感じたことのない重力を感じた。

 酒顛らは自分達をHQごと押し潰そうとするその未知の圧力に身動きできず、ノーマルである〈フェリズ〉に至っては頽れてしまった。

 牢に閉じ込められた格好になった一同に、「……テメーら、俺様の後ろで団子になってろ」と呟くように言った。


「カズン…?」

「いいから早くしろ馬鹿犬。俺様も初めてのことで余裕が無ぇーんだ」


 今なら判る。センスの発動による臭いを嗅ぎ分けられるようになったケンには、カズンからその臭気が普段に比べていっとう強くなったのがよく判る。その証拠に、彼の気迫のお蔭で動きがわずかに軽くなっている。

 指示に従い、ヘレティックは彼の背後でノーマルを囲むように陣を組んだ。酒顛は酒瓶に残った全ての酒を飲み干すと、巨大な鬼となって最後尾から一同を包み込むようにした。

 カズンは全身から力を抜かず、ウェスト・ポーチから一本の注射器を取り出した。


「待って、カズン君! それって覚醒助長薬でしょう!? 今更アナタに使っても効果なんて――」

「効果はある」


 ケンが答えた。


「組織の規則としては、新参のヘレティックにはセンスの上限を知る為に投薬が定められているが、リーダーはそれを止めた。出逢った頃からカズンのセンスは強力だったからだ。投薬をきっかけに暴走されちゃあ一溜まりもねぇ、リーダーはそう考えた」


 エリは唖然とした顔をカズンに向けた。


「限界と言っても当時の限界だがな。今のコイツの限界は、あの時以上だろうよ」

「そういうことだ、エリちゃん。俺様のかっこ良さに惚れて失神なんかしてくれんなよ」


 カズンは短い針を左腕に刺した。シリンジ内の液体が見る間にカズンの体内に注ぎ込まれていく。

 忽ち、臭いが跳ね上がる。


「限界なんぞ知りたくなかったが、負けを知るよか億倍マシだあああああっ!!」


 一同は目を開けていられなかった。

 突風のような見えない圧力が前方――カズンの背後から溢れ出て、腕を顔の前に置くのが精一杯だった。酒顛が爪を立てて床にしがみ付いていなければ、彼らは吹き飛ばされていただろう。

 俯いていたトマスは見た。四方の壁が床から剥がれ、粉々になって四散していく様を。

 彼は苦笑した。自分達は、とんでもない男に銃口を向けていたのだと。



 それは世界の終わりに見えた。

 まるで水平方向に飛ぶ隕石か竜巻のようなものが、あらゆる建造物を吹き飛ばしているように見えた。

 しかしそこに燃え盛る岩石は無く、透明の圧力が巨大な噴煙を引き連れながらこちらを目指しているのみだ。

 ガイコツ男は歯を噛むと、激痛に悩まされる両手を前方に差し出し、バリアーを生成した。


「カズン…」


 血に塗れた目でファルクはそのスペクタクルを目撃していた。

 口元はその無残な姿に反して笑っている。


「そうだお前なら、一番になれるぜ。いちば――」


 一帯が消し飛んでいく。

 おそらく数十、数百メガトンの衝撃力だとガイコツ男は直感した。荒唐無稽な推量しかできないが、小惑星の衝突にも匹敵するはずだと思った。

 止められない。

 その弱気がガイコツ男の腕を引かせ、彼の細い身体を木の葉のように吹き飛ばしていった。

 それでも乱気流と鑢のような粉塵に揉まれながら辛うじて見えた飛来する建物に取り付くと、気を取り直して《念動力》を発動した。この建物を飛行機のように操り、どこか安全な場所へ不時着させようと考えた。

 しかし彼は目を疑った。目の前の光景が、気付けば随分と落ち着き払っているからだ。

 さっきまでの目の覚めるような轟音も、地獄の一部が現世に噴き出したような煙の嵐も、ジオラマのように軽々と飛んでいた建造物やその瓦礫も、全てが時を忘れて制止しているのだ。


「さぁ、ガイコツ」


 空中で、横向きになっているビルの上で、ガイコツ男は片膝を突いている。いつの間にかそのビルに、赤毛のアフロ頭を逆立たせる男も立っている。

 彼らの周囲には、無風の中の雲のように止まった巨大な礫と、サイエンス・フィクションの飛空艦隊のように浮かぶ無数の建物がある。さらに下から、HQの床面が魔法の絨毯のように飛行して近付いてきている。絨毯には数人のヘレティックや神の子が乗っており、こちらを睥睨している。


「俺様とサイッコーのキリング・ファイトを始めようぜ」


 赤毛の男の身震いするほどの笑みに、ガイコツ男も狂喜した。

 同時に、神々に許しを乞うた。

 本能に抗えぬこの哀れな猛獣めをお許しください、と。


*   *   *


「記憶がおかしい…?」


 止まれ、降ろせと子供のように駄々を捏ねるユーリカ・ジャービルを深い森の木陰に降ろした誠は問うた。

 ジャービルは息を荒げながら言った。


「そうだ、儂の日常はあの日からか狂っておる」

「あの日?」

「儂がこの体たらくになった日、アイツは――アレハンドロは、儂の前で死んでおる」

「何言ってるんですか。アレハンドロさんは生きているじゃないですか」

「本物は、その親と共に凶弾に倒れておる。今日まで傅いていたあの男は――偽者だ」


 やつれた顔で断言する老人に、「思い過ごしじゃ、ないんですか…」

 ジャービルは記憶を掘り起こした。見つけたのは、まだ幼く父を亡くしたことで身寄りの無かったアレハンドロを引き取ってからの日々だ。

 忙しなく世界を放浪する中、時間が許す限り勉学に専念させ、読書をさせた。彼の父のようにする為、秘書やら執事やらのノウハウを叩き込んでやった。彼は知識の吸収力が高く、目覚しい成長を遂げた。自分を慕い、常に傍でサポートしてくれていた。

 そうして今のアレハンドロになった。それは間違いがない。

 だが本物のアレハンドロではない。今日になって、それを思い出した。本物が死んでいる様を思い出した。

 本物のアレハンドロは、幼いながらにして狡賢く、悪戯では済まされないような度を越した悪行を平気な顔してやるような、口の悪い不良少年だったような気がする。だから自分は、デヴォン島基地から一刻も早くここへと戻ろうとしていたのだとさえ思う。

 アレハンドロが、妙な真似をしないように。今のアレハンドロがそんな男であるはずもないのに。

 自分は、偽者を育てた。どのような経緯でそうなったかは分からないが、組織に協力すると誓った夜に、自分は一人――孤独だったような気がしてならない。全てを無くした喪失感を思い出すのだ。

 しかしそうして思い出そうとする度に分からなくなる。今のアレハンドロは、突然降って沸いたように自分の傍にいるようになったとしか思えない。

 脳味噌を締め上げられるような頭痛に眉間を押さえたジャービルは、「お前も記憶喪失らしいな、小僧」と言った。


「お前はどちらを信じる。今確実に息衝いている意識と、見えない不確かな過去の記憶の、どちらをお前は信用できる?」

「そんなもの、過去の自分に決ま……っ!?」


 言いかけて、肌が粟立った。奇妙なまでの不安が鎌首を擡げたのを自覚した。

 記憶を失ってから何度も思ってきた。本当の自分は何者なのかと。

 最近は記憶を取り戻すことにばかり執心していたが、果たしてその記憶が今の自分にとってプラスになるのかという疑問が解決したわけではない。


「解らんだろう。過去の――記憶を失う前のお前が、今のお前と正反対の性格でないという保障は無い」


 ジャービルの生固い瞳を見つめながら聞き入った。


「人は皆、その者の本質どおりの人生を送っているわけではない。本音に反した生き様を貫く者も中にはいるだろう」


 本当の自分が、どうのような心を持ち、どのような思想を抱き、どのような知識や経験の上にあったのか、誠には全く想像できない。

 ふと思い出すのは、覚醒のきっかけとなった拉致直後の偽テロ騒動の折だ。テロリストのリーダーを騙ったケンに追い詰められる中、自分は犯罪者なのではないのかと思った。

 もし真実そうならば、今こうして綺麗ごとを並べる自分は偽善者に他ならない。

 組織も、メギィドも、レーンさえも否定できない、同じ穴の狢。

 決して正当化してはいけない――悪。

 自分以外の――悪。

 待て。待ってくれ。組織は――悪、なのか……?

 闇が、膨らむ。

 誠は頽れると、不意に込み上げてきた胃液を吐き出した。


「記憶が消えたところで過去の真実は揺るぎようが無い。だがな、儂は恐れぬぞ。本当の自分を取り戻し、真実を思い出し、この死中に活を見出してみせる。儂の記憶は、儂の人生は、儂一人のものだ!」


 彼の強い言葉に、誠は顔を擡げた。


「さっき、戻れって言っていましたが、戻ってどうするんです。それで、記憶が戻るんですか?」

「あの少女のセンスで、記憶を呼び覚ます」


「そんなことできるんですか…!?」と、あの可憐でひ弱で、臆病な彼女を想像した。


「知らん。しかし、やってみるだけの価値はあるはずだ」

「確かにバラージュさんは、ネーレイさんがあの子のセンスはポジティブな言葉にも作用するはずって言ってましたけど…」

「そうなのか。ならば、ならば必ずともやってもらわねばならん!」


 動かぬ下肢で身を乗り出すので、前のめりに倒れかける。

 誠はそれを支えつつ、「確証なんて無いんですよ。あの人はあの子の姉代わりだから、良いように捉えているだけかもしれないです」

 そうだ。これは希望的観測でしかない。

 誠の心配を物ともしないように、ジャービルの意志は頑として揺れなかった。


「言ったはずだ、小僧。儂は恐れぬ。真実も失敗も、一縷の望みがあるならばそれに縋るのみだ。お前は記憶を取り戻したくはないのか、この老人の戯言に恐れ戦いたか!?」


 ジャービルは自分を支える少年の腕をしわくちゃな手で掴むと、血走る目で懇願した。


「少女に会わせてくれ…! 後生だ、儂の記憶を、本当の儂を掬い上げてくれ!!」


 彼は、自分だ。

 恐れを知る前の自分だ。

 誠は彼の真っ直ぐな瞳を見てそう思った。

 この人には、これしかないのだ。思い至ったこの可能性に縋る他に無いのだ。

 生唾を飲み下した誠は、「戻ります」と彼の願いに応えた。


「俺も、本当の自分をここに、この身体に取り戻したい…!!」


 胸に手をやる少年の目も必死だった。ジャービルはにたりと笑うと、「頼む」と初めて頭を下げた。

 誠はすぐに彼に背を向けて跪いた。

 ジャービルは背負ってもらう為に、彼の肩に手をかける。しかし、少年のリアクションが止まっている。


「どうした、マコト・サガワ。早く背負ってくれ」

「……ジャービルさん。少し、少しでいいです。時間を下さい」


 よく感じると、彼の肩が、身体が震えていた。ジャービルは彼の肩越しに前を向いた。

 それは暗闇だから気付いたのかもしれない。高い木々が叢生するこの森の奥――その一点で、キラキラと光る糸のようなものが目に入った。

 誠はそれを警戒しながらジャービルを担ぐと、一息に後退した。すると直後、さっきまで身体を預けていた大木の太い幹に大穴が空いた。大木は当然倒れ、他の木々も道連れにしていく。


「何だ…!?」

「あの仮面の――隻眼の、暗殺者です…!」


 巣があったのか、幾羽もの鳥が動揺を囀りながら忙しなく飛び立っていく。

 一人なら一目散に逃げられる。しかしジャービルを背負っている今は背走しなければならない。


「暗殺者……、バーグの刺客か!」


 閃光が彼らを襲う。誠はジャービルに予告も無く上へ大きく跳んだ。高い木々を二、三本越して、着地する。激痛が奔るが、ほとんどの衝撃は誠の柔軟な足の筋肉と、同じく柔らかな腐葉土が逃がしてくれる。

 誠は急いで地面を蹴り、背走を続けた。


「このままではHQに戻れませんっ」

「何っ!?」

「あの人がここにいるっていうことは、ネーレイさん達に何かがあったんですよ。考えたくもないけど、そういうことなんですよ…!!」


 今戻れば、HQは敵に占領されてしまっているかもしれない。

 誠は後ろ向きな予想を浮かべながら、電撃を避ける為に今一度跳躍した。進路上で一際高い大木が邪魔をしていたのでそれにしがみ付いた。高さは十メートル程か、暗闇にも拘らずよく見渡せる。

 南東に火の手が見える。南西は大きな煙のようなものが地表近くに漂っているようだ。

 続けてHQを見て言葉を失くした。


「おい小僧、アレは何だ。儂の屋敷は、どこへ行った…?」


 誠は答えられなかった。答えが、見つからなかった。

 HQらしい物がごっそりと無くなっており、さっきまで自分達がいた――ネーレイ達が戦っているはずの地下だけがぽっかりとその穴を披露していた。


「大きな音はあったけど、こんな…」

「少女は、やはり死んだ…!?」

「そうと決まったわけじゃありません! でも――」

「儂の希望が潰えた……?」


 喉からそう搾り出すと、ジャービルは苦しそうに呻き始めた。

「ジャービルさん!?」と声を掛けるが、胸を押さえて苦しむばかりだ。必死になってしがみつく左腕が首を締め付けるので、誠もうっと呻いた。

 そこへ、「見つけたぞ、ユーリカ・ジャービル」隻眼の暗殺者が、彼らと同じように木々の頂上まで飛び上がり、左手を向ける。

 それはまるでカメラのフラッシュのようだった。強烈な光が二人の網膜をフィルムのようにして焼きついた。

 誠は咄嗟に左手だけでジャービルの尻を支え、放たれる雷撃から右手の〈エッジレス〉で身を守った。しかし不安定な足場ではその衝撃には耐えられず、容易に振り落とされることになった。

 放物線を描くように落下する中、誠はくるりと身体を捻った。パルクールの要領だ、そう思った。重い頭を上に向かせ、意地でも足から着地するようにバランスを保った。

 着地はきっと痛い、さっきよりも痛いはずだ。しかし誠に選択の余地は無く、ただただジャービルの身を守る為に最善を尽くした。

 足が着く。小枝を踏み、柔らかい土へと斜めに減り込みながら滑っていく。土砂が舞い上がる中、誠は腹這いになって不時着した。

 身体が止まると、すぐにジャービルを見た。苦しげな顔はさらに悪化して、青ざめている。ズボンがボロボロに破れ、大量に出血している。

 やってしまった。ただでさえ重篤な持病を抱えているというのに、こんな大怪我までさせてしまった。

 誠は彼を草むらに隠すと、出血を抑える為にポーチから止血剤を取り出し、傷口の近くに打った。怪我を負った時はこうして処置すればいいと、清芽達には教わっていた。


「こ、こぞぉ…」


 誠の二の腕をあらん限りの力で掴むジャービルは、「思い出した…ぞ。黒、黒い手だ……!」と吐き出した。涙に濡れるその瞳には、視界を奪うように向けられた真っ黒な手の平が投影されていた。その手の、指と指の隙間から見える男の顔もはっきりと思い出せた。

 イランの屋敷にある寝室。男は、愉悦に浸るように目を細めると、ジャービルの顔の左半分を包み、親指を眉間の少し上辺りに宛がい、捻じ込んだのだ。拇印を押すように、力強く。


「黒い、手……うぅっ!?」


 額が弾けたような衝撃が誠を襲った。靄が一つ晴れて、白い親指が自分の額に押しやられる光景がまざまざと目に浮かんだ。

 さらに臭いが鼻腔を満たしていく。生臭いような、肉が焼け焦げるような臭いだ。

 動かない瞳の端に倒れる女性がいた。

 彼女は。彼女は――


『お前は私の――』

「儂はお前の――!?」


 ジャービルの耳にあの日聞いた言葉がリピートされる。遥か――想像を絶するほど遥かな高みから降り注ぐ、野太い声だ。


「あの男に惑わされ、あの男に奪われた…! 奴に気を付けろ! 奴はああぁ……っ!!」


 ああ、あ、あ……。

 我に返った頃には、全てが遅かった。彼が今際の際に残した言葉を理解してやることも、懸命に伸ばしていた手を温もりあるうちに握り返してやることも、ひいてはその命を永らえさせることさえも、何もかもできなかった。


「ジャービルさん…? ジャービルさん!?」


 問いかけるも、返事は二度と返らない。「アリィーチェに会わないと、ダメなんでしょう…?」と未練でもって意識を引き戻そうとするが、木の幹に凭れかかった身体はずるりと崩れ落ちるだけだった。

 何故死んだ。さっきまで生きていたのに、何故。出血は確かに酷かったが、すぐに止血剤を打った。それの何がいけなかったのだ…?

 ただ分かるのは、守れなかったということだ。作戦は、任務は失敗したということだ。


「……守れなかった。皆が守ってきたのに。エリさんが、皆が命を賭して。それなのに、本当に誰一人、俺は……!」


 額が熱い。熔けた鉄が落とされたように熱い。脳が、熱い。

 誠はその熱から、現実から逃避するように叫んだ。熱を冷ますように、冷たい土の絨毯に額を擦りつけた。救ってやれなかった男の命に――掬ってやれなかった男の人生に詫びるように。


「依頼は成したか。…俺の求めた結末ではなかったが、まぁいい」


 断末魔の叫びのような哀哭の中、背後で静観していた男がそう口走る。

 土と涙に塗れた顔で振り返った誠は、彼に問い質した。


「いいって、何がいいんですか…?」

「……マコト・サガワ。互いにつまらぬ事情から解放されたわけだが、どうする?」


 戦うか、否か。

 隻眼は言外にそう伝える。

 しかし、「つまらぬ、事情…?」と誠は問うた。聞き捨てならなかったのだ。


「ジャービルを守りながらここまで戦えたお前達は賞賛に値する。ノーマルを索敵に置き、機動力のあるお前や銀髪男を前線に置いて俺の戦力を測る。さらには、サイキックは俺を工場の地下へと叩き落し、トラップへと導いた。見事な手際だった。しかし俺が捕縛の対象であったが為に、こうしてジャービルは亡き者となった」


 もしもこの隻眼男への殺害許可が下っていれば、あの日の内に任務は完了していたかもしれない。


「純粋に、力と力をぶつけ合っていれば、お前達はムダにノーマルを死なせずに済んだ」

「アナタを殺していれば、皆が助かった。そう言いたいんですか…!?」

「そうだ。俺から情報を引き出そうとするつまらん欲が、お前達の首を絞める結果となった。ミサイル攻撃を想定してサイキックが配置されていたのだろうが、あれほどの手練を前線に置かないお前達の守備への意識の高さが、俺をこうまで自由にさせてしまった」

「後からなら、何とでも言えますよ…!」

「その通りだ、箱の中の猫の生死は蓋を開けなければ分からん。しかしな、一つだけ言えることがある」


 奇妙な顔の上で、隻眼が光る。誠の後ろに横たわる死体を指差す。


「俺を襲った最初の一撃。アレで俺を殺さなかったお前の甘さが、その老人を殺した」

「ち、ちが…」


 即座に否定するも、「何故、加減した」と隻眼は矢継ぎ早に問い続けた。


「絶好の機会だったはずだ。俺ならば反撃の隙など与えない。あの銀髪の男も、サムライ女も、サイキックも、水使いの女も、きっとお前以外の全員が迷いなど捨てて俺を確実に殺していたはずだ。つまらん事情が無ければ、尚更な」

「殺して、どうなるんですか。人が死んで、胸がすくのか…!?」

「人それぞれだろうが、な。俺はそうすることで己の強さを確認できる」


 隻眼はぐっと胸の前で拳を握った。直後、保険で張っていた電磁障壁が〈エッジレス〉を防いだ。早河誠が、目にも止まらぬ速さで彼を背後から襲っていた。二振りの刃の無い剣が縦と横から振り抜かれていた。


「ふざけるな! そんな自己満足の方が、よっぽどつまらない!!」


 不可視の斥力場に押されながらも、誠は地面に踏ん張って叫んだ。

 隻眼はおもむろに振り返ると同時に左手を彼に翳した。

 誠は危険を感じ横に跳ねた。遅れて、今いた場所の直線上に電撃が放たれた。

 膝を突きながら切っ先を向ける彼を見て、隻眼は冷笑した。


「話には聞いていたが、こうまで俺と正反対だとはな。面白いぞ、マコト・サガワ」

「話って、誰から…?」

「俺のオーナーだ、とだけ言っておこうか。奴はお前にご執心でな、俺も一度会っておきたかった」

「バーグ、だな?」


 他に誰がいるのだろうか、とさえ誠は思った。

 酒顛をはじめ、皆が言っていた。この任務は、バーグによる暗殺予告に端を発していると。


「奴は、どこにいる」

「聞き出す方法は、分かっているだろう?」


 長い金属製の棒を槍のように構えて、彼は笑う。

 誠は挑発に乗った。まずは彼の死角となるはずの右半身から一太刀入れる。邪魔な電磁障壁に気を取られず、続けて背後から二撃目を狙う。そこでようやく、攻撃を再開してから一秒が経った。


「今度はどちらを選択する? 俺を生かすか、殺すか!」


 目では追えない。隻眼は諦めて、未熟な彼を言葉で誘った。


「決まってる! 俺は誰も殺さない!!」


 持ち前のフットワークを活かし、巨大な卵の殻を叩き潰さんとするように多方向から猛攻した。


「ならば俺は捨て身でいこう! 初めてだっ、力押しにのみ専念できるのはっ!!」


 殻が牙を剥いた。光が膨張し、電子の針が放射状に拡散する。

 目を焼かれた誠はすぐに後ろへ飛んだが、大木で背中を打ってしまった。《韋駄天》の効力で眼球が見る間に治癒された直後、視界一杯に鉄棒を振り上げる隻眼の姿があった。

 彼と初めて対峙した時をフラッシュバックした。仮面を付けていた彼は、あの時もこうして強力な電気を帯びた鉄棒を振り翳すと、誠のボディアーマーを破壊したのだ。

 二度目は無い。今度食らえば命の保障は無い。

 誠は直上から迫り来る電気棒を二振りの〈エッジレス〉で鋏のように銜えた。

 サムライ女の技に酷似していると認識した隻眼は高揚せずにいられなかった。ガラ空きになった胴を蹴ると、少年は呻いた。だが、彼の後ろの巨木が突然こちらへ倒れてきた。

 誠は鳩尾を蹴られながらも、《韋駄天》を発動させた左足で木の根元を蹴り砕いたのだ。背に圧し掛かるそれを素早く躱し、今一度距離を取った。

 倒れゆく巨木は隻眼を巻き込んだかのように見えたが、次の頃には木っ端微塵に弾け飛んでいた。


「アリィーチェはっ、ネーレイさんはどうした!!」

「水使いはよく戦った! 少女も今頃は、〝A〟の女に――」


 語次を待たず、大粒の涙を散らして真っ向から誠は挑んできた。

 虚を突かれた隻眼は電子障壁を構築しきれず、彼の一撃をまともに食らってしまった。吹き飛ぶ身体は木々の間隙を抜け、何らかのコンクリート壁にぶつかった。

 血反吐を吐いて、重い身体を起こそうとしたその時、腹に厚さ三センチメートルの切っ先が二つも捻じ込まれた。


「許せないっ!!」


 背後の壁が割れる中、耳元でそんな声を聞いた。

 隻眼は受け身を取れず、凹凸を繰り返す床に背中を打った。

 目を開けて周囲を見渡すと、無数の椅子が縦にも横にも整列している。当時は赤かったのだろう座面の張り材も今では埃ですっかり色褪せてしまっている。


「こんなにもっ、こんなにも誰かに殺意が沸いたのは初めてだっ!」


 ここはオペラハウスのようだった。この工場帯の娯楽施設として建造されたのだろう。

 外観はネオルネッサンス建築様式。舞台は半地下に掘られ、アリーナは二階、入り口はちょうど地上のあたりという、当時では洒落た造りとなっている。その広いスペースには、千人は収容できるように見える。

 誠はその地上から空けた壁の穴から隻眼を見下ろしている。


「だったら心に従えばいい! 衝動の赴くままに戦えばいい! それが俺達、ヘレティックのあるべき姿なのだからな!!」

「違う! ヘレティックは、センスは、そんなものの為にあるんじゃない!!」

「相容れんなっ、マコト・サガワ!!」


 誠は地面を蹴り、ホールに飛び入った。天井すれすれを移動し、向かいの壁に足を着いた。

 隻眼はそこへ電撃を放つ。

 迫り来る光の乱舞を躱し、誠は着地と同時に椅子を一つ二つと踏み台にしてから隻眼に〈エッジレス〉を振るった。両者は客席の最前列と舞台との間に設けられた広い踊り場に着地した。

 度重なる戦闘で疲労が蓄積しているのか、隻眼は電磁障壁を張らずに鉄棒でそれを受け止め、流した。


「そんなに殺し合いが好きか!」

「それがっ、俺の生き甲斐だからな!!」


 トマスの言葉が過る。

 ジャービルを守ることを最後の生き甲斐とする、彼の言葉だ。


「そんなものは生き甲斐とは言わない! 誰かの為じゃなく、自分の欲望に任せて不幸を撒き散らすお前に、生き甲斐なんて言葉を語る資格は無い!」

「お前にもヘレティックを語る資格は無い。型に嵌めるなよ、小僧!!」


 誠の右の大腿に鉄棒が刺さった。高圧の電気を帯びたそれは、銃弾の衝撃さえも吸収する戦闘服とアイギススーツを破り、彼の太い大腿骨をも貫通した。

 さらに隻眼の手からレールガンのように放たれたので、彼を引き摺って釘のように上手の壁に深く突き刺さった。


「ぐあああああっ!!」

「耐え難い苦痛、か。俺には無縁の感覚だな」


 自虐するように隻眼は言った。

 しかし傷口を押さえて身悶える誠には全くもって聞こえていなかった。彼は懸命に鉄棒を引き抜こうとするが、釘のように刺さったそれはびくともしなかった。あまりの激痛に《韋駄天》も発動できず、彼の脳は絶え間ない苦しみを知覚するばかりだった。


「なぁ、マコト・サガワ。お前は運命を信じるか?」


 右手を向けて、隻眼は問う。その手には無数の光るシャクトリムシが絡み付いて、時折剥がれては消えていく。二人の決闘の幕引きを手伝うように、バチバチと拍手のような忙しない音がホールに響く。


「俺は信じていなかった、今の今まで――な!」

「《不能》!!」


 なだらかな斜面を上った先にあるホールの出入り扉に向かって、隻眼は電撃を放った。

 光速で空間を突き進んだその炎は、少女のすぐ傍の壁にぶつかると四散した。

 少女は、歩み出た。扉を潜り、燃え盛る絨毯を照明にしてその姿を晒した。


「少女、お前も戦士になったか」


 少女――アリィーチェの双眸は、もはや憎しみだけに彩られていた。

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