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ネイムレス  作者: 吹岡龍
第三章【雷鳴の暗殺者 -One-eyed REWBS-】
106/167

〔四〕

『バーグと言う存在は生じた。あの男の前では実像も示された。時代は着実に次のステップへと動いている。そう、〝A〟もその存在を彼らに示す』

『どうも信じられないな。奴らの監視下で、そんな連中が徒党を組んでいるなんて』

『お前はいつどこでボウフラが生まれているのかを把握できるか? どれだけ目を皿にして注意を払っていても、予期せぬ場所で繁殖していることなどままあることだ』

『その〝A〟とやらの目的は、前にアンタが言っていたとおりなのか』

『あぁ間違いない。その局所的な存在意義は、お前の空腹を満たすには少し物足りないだろうがな』

『構わないさ。腕試しには丁度いい』

『ジオ』

『何だ、オーナー』

『私に朝日を見せてくれ』


*   *   *


 人知れず掘り出される油田の上にひっそりと佇む二階建ての建造物――ジャービル邸。

 組織はそれをHQと呼称し、半径約一キロメートル圏のユーリカ・ジャービル名義の私有地は作戦区域に指定した。

 そこへ突如現れた侵入者の目的は、おそらく言わずもがなだろう。

 彼は酒顛ドウジ率いる第一実行中隊の猛攻に怯んだのか、元来た南方へと退却していった。

 索敵範囲から彼の反応が消えた三十分後、早河誠ら最前線で奮戦してきた男達は、HQに帰還する運びとなった。


「厄介な手合いが増えてしまいましたね」


 そう言うファルクの背中からは折り畳まれた金属製の翼が生えている。ボディアーマーその物にも搭載されている浮遊機器(フロート・パック)と、彼のセンス《スパルナ》の三点を併用することで、彼は大空を自由に飛翔できるのだ。

 人が鳥のように重力に逆らって自由自在に飛び回る姿を見て、誠は度肝を抜かれたものだった。


「あれだけの集中砲火を受けても尚生きていられるなんて、ヘレティックの常識の範疇さえも越えています」


 アナタも中々ですが。

 誠は彼の声を背中に受けながらモノローグをした。


「加減したつもりはねぇんだけどな、くそ」


 ファルクと並んで廊下を歩く雪町ケンは、顔の前で拳を握り締めた。

 

「どうして倒れなかったんでしょうか、あの人」


「さてねぇー」と誠の問いに肩をすくめつつ、「もしかするとキミと同じで、センスの発動中は治癒能力が高まるのかもしれない」とファルクは考察した。


「オレと同じ、ですか……」


 言い淀む彼の顔を覗き込み、ファルクは訊いた。


「もしかしてキミは、《韋駄天》だけが特別だと思っているのかい? そうやって可能性の芽を摘んでいたら、この先長生きできないぜ」

「何だマコト、テメー天狗になってたのかよ」


 ケンはこれ見よがしに嫌な笑みを浮かべる。

 星を指された誠は、「ちっ違いますよ!」と否定しつつも顔を赤らめて、「でも元はと言えば皆さんが《韋駄天》を凄いだ危険だってオレに言い聞かせてきたんでしょう!?」と責任転嫁さながらの見苦しい言い訳をした。


「だから凄いのは《韋駄天》であって、テメーのことは何も言ってねぇだろうがよ」


 誠は彼の指摘にグッと顔を詰まらせた。


「あ、今の言い回し、メルセデス秘書官に似ていますねー」


 うっせ。

 ケンはファルクの頭を軽く叩いた。


「それよりもマコト。その格好どうするんだ、替えなんてねぇぞ」


 彼は誠が両手に抱えるボディアーマーを指差した。それはすっかり損傷し、指紋や静脈などの本人認証後にオートで接合されるジョイント部分が焼け爛れてしまっている。

 胸の辺りには溶かし崩されたような亀裂が入っており、内蔵された〈AE超酸〉化合用の液体の一部が漏れ出してしまっていた。不幸中の幸いか、そのお蔭でたとえ誤作動が起きて数種の化学薬品を仕切っている弁が開いても、超酸として生成される心配は無いようだ。

 アーマーは〈アダマンチウム〉と呼ばれる組織製の特殊合金で作られている。それは誠の武器である〈エッジレス〉と同じ合金で、非常に硬く、かつ軽いという性質を持つ。その硬度は、裏世界で最も硬い合金〈オリハルコン〉に次ぐ。

 その〈オリハルコン〉をアーマーに利用しなかったのは、組織のコスト面と、当の開発者メギィドに原因があった。

 彼が〈アダマンチウム〉に続いて〈オリハルコン〉の発明を成功させると、組織は直ちに各基地の構造材を〈オリハルコン〉へ移行するよう提案した。〈オリハルコン〉は〈アダマンチウム〉同様、〈DEM〉というステルス・システムと相性の良い金属であった為、コスト面を抜きにすれば非常に現実的な話の流れだった。

 組織内が〈オリハルコン〉の話で持ち切りになると、作戦部はアーマーの改良を提案した。それはすぐにボスの承諾を得られた。

 そこでメギィドは、予てより考案していた〝アーマーに〈DEM〉を搭載する〟という計画をボスに持ち掛けた。承認に時間は掛からなかった。兵が光学迷彩を着用することになれば、より安全に任務を遂行できると考えたからだ。

 そこまではいい。しかし〈DEM〉搭載型アーマーの開発には成功したものの、いざ彼に預けられていた研究のサポート部隊――通称チーム・イクスが長時間これを着用したところ、イクスの面々はセンスを発動できないばかりか、半ば廃人と化してしまったのである。

 原因は、〈DEM〉から放出される強力で複合的な電磁波に晒されたことにより、覚醒因子が壊死してしまった為だ。

 それを理由に、酒顛やケン、第八実行部隊のセロン・ネーヴェマンら複数の実行部隊リーダーから意見書が集められた。それはヘレティックを利用したモルモット的な実験を全面的に非難する内容だった。事態を重く受け止めたボスは、メギィドから打診されていた新たなチーム・イクスの召集を即時中断。今後は隊員の血液サンプルから得た情報をコンピューター上で仮想的に人体モデルとして構築させ、予測システムのみで実験を行なうよう定めた。

 加えて、〈アダマンチウム〉のアーマーで飛躍的に生存率が向上している現在、ただでさえ予算を使ってまで全ての隊員に行き渡るだけの新たなアーマーを生産する必要があるのかという、根本からの見直しにまで発展した。本件ですっかり及び腰になっていた組織上層部は、更なる生存率の確保よりも、予算の無為な浪費を理由に、これらの件を全面的に棚上げする格好に落ち着いた。

 ケンがそうした背景からメギィドを毛嫌いしていたことを、誠は知らない。

「そうなんですか!? どうしよう……」と〈アダマンチウム〉製のアーマーも生産数が少ないことさえ知らない彼は、不安な顔色を濃くした。


「やっぱりそうなるよなぁ」

「何がです?」


 問いかける誠に、ファルクは皮肉というテーマの小噺を展開した。


「最初は着けるのが怖くて仕方なかったボディアーマーでも、その性能の高さを知れば知るほど無いと不安になるんだ。知らぬ間に依存してるんだよ、あの鎧爆弾に。結構深刻な中毒症状だと思うのは俺だけかな」


 依存なんて。そう否定するように口が動いたが、現についさっきこのアーマーで命拾いした事実は揺るがなかった。

 一人深刻になる彼をどう思ったのか、ケンはファルクを捕まえると、「ファルク、話ついでに聞いてくれ。エリからアレの説明受けた時のコイツの反応がよぉ」

 誠の脳裏に、マデイラ諸島へ向かう船の中の情景が去来した。


「ちょっ、ケンさん何言ってるんですか!? やめてくださいよ、そんな昔の話を――アレ?」


 誠は後ろでニヤニヤひそひそと耳打ち合う彼らに顔を向けながらドアノブを回した。作戦会議室と化したジャービルの寝室に通じる丸いドアノブだ。左手で、振り返る前に把握していた高さにあったノブを掴み、回す。幼稚園児くらいの子供でも、これくらいは見なくてもできる。

 朝飯前。造作もないこと。

 ですが、どういうわけでしょうか。あるはずのノブが見当たらず、真っ平らな壁があるばかりだったのです。手探りで壁にある小さな突起を見つけたので、正面に目を向ける寸前に一度回しました。回らないばかりか突起も持ちにくい形状だったので、目を戻してから二度三度回しました。

 ぐりぐりぐりぐり。

 普段、ノブを回すような手の形にして、壁に向かってぐりぐりぐりぐり。

 見ると、それはもう壁でした。

 本当に何ということでしょうか。

 手元には小高い二つの丘が並んでいましたが、それは分厚い金属の板が作り出したまやかしだったのです。決して丘よりも標高の高い場所にある童顔の少女の自前ではありませんでした。

 などと、誠は無言のまま――しかしながら動揺から目を白黒させて、あるはずのないドアノブを繰り返し回した。もう脳から新たな指令が届かない。

 ぐりぐりぐりぐり。

 少年が、少女の胸に人差し指と親指の腹を押しやり続けているその状況は、不慮の事故として片付けるにはいささか常識の範疇を凌駕していると言うほか無かった。

 被害者アリィーチェは、胸元に触れたままの加害者誠の手に瞠目したまま立ちすくんだ。見る見るうちに顔は紅潮し、同じく充血した瞳はぐちゃぐちゃに歪んだ。

 ひんっ。

 そんな風な、悲鳴のような何かを残し、彼女は通路へ走り去っていった。


「えーと……」


 何が何やら。

 呆然とする誠の前で、眼鏡の美女――ネーレイが微笑んだ。


「マコっちゃん、解るよね?」

「へ?」


 彼女の声は優しく、笑顔も爽やかで、丸い顔立ちから可憐とも言えた。しかし、目を見ると怯んでしまう。山なりの目蓋の形に反して、その奥から覗く眼球は笑っていなかった。

 それを察知したのは誠だけではなかったようで、背後の男達は彼女から滲み出る圧に無言の行を通した。

 そんな彼らに「ケン」とエリがにこやかに言い、「ファルク」とバラージュが奴隷に向けるような目で呼びかけた。

 二人はコントローラーで操作されるロボットのような従順さで、誠の腕を拘束した。

 わりぃマコト つーかお前がわりぃ。

 どんな理由にせよ、前方不注意は罪なんだよ。

 冷や汗をダラダラと垂らしながら生唾を飲み下す二人のお兄さん方は誠に囁いた。

 誠はネーレイと目を合わせる。

 瞬間、視界が吹っ飛んだ。左の頬が爆発したようだった。

 

「何やってるんだお前ら?」


 ドアの前で倒れる誠に向かい、酒顛ドウジが問う。

 ユーリカ・ジャービルらを引き連れてやってきた呑気な彼に、頬を腫らした誠は荒んだ目を向けた。


*   *   *


 水を打ったようにしんとした空間は、一人の嗚咽を皮切りに音を思い出したようだった。次第に伝染していく悲しみは、テーブルの上に置かれたマグカップに注がれていった。

 第一実行中隊、〈フェリズ〉、ジャービルらは、今後を語る前にまず、〈フェリズ〉の隊員だった男――キムリックへの黙祷を捧げていた。

 電流を放つ侵入者により、彼は凄惨に息を引き取ったのだった。マグカップは彼が愛用していた品だった。


「彼の死を活かせなかったのは俺の力不足だった。〈フェリズ〉の諸君には申し訳が立たない」

「シュテンさん、アンタのせいじゃねぇよ。悪いのは全部、このサラブレッド崩れと童貞小僧のせいだ」


 名指しされたも同然の若い男二人がカズンを睨んだ。

 しかし、「んだよ、お前ら。何か間違ったか? あ?」という彼は煽るが、口悪さに反して正論でもあった。

 二対一という絶対的有利な条件を活かせなかったのだ。


「次の襲撃は必ずあるだろう。それが今この瞬間か、それとも一週間後か、それは皆目見当が付かん。そこでだ、防衛配置の見直しをする」


 また険悪なムードになるところを、酒顛が遮った。

 トマスは前日アレハンドロが行なった手順に従い、壁に巨大なスクリーンを出現させた。今回投影されたのは戦闘区域を俯瞰した地図だ。HQを中心に、半径二百メートル間隔で同心円が表示されている。中心から二百メートルの線が最終防衛ライン、四百メートルが第三防衛ラインといった具合だ。


「まずは〈フェリズ〉諸君を最終防衛ラインまで後退させ、主にHQ内部に待機させる。今の戦闘でバーグが送り込んできたと考えられる刺客がヘレティックであることは自明だろう。キムリックが身をもって知らしめてくれた教訓を活かすには、この策しかあるまい。ヘレティックにはヘレティックを、それが組織の意義でもある」


 ちらと酒顛の視線が向けられたことに気付いたトマスは、背筋を正して頷いた。


「自分に異論はありません。ジャービルさんの守り手を無為に減らすのは望むところではありませんので」

「うむ。続いて我々第一中隊だが、刺客が奴一人と断じられない以上、やはりこれまでどおり全方位へ即座に対応できなければならない。防衛ラインは第三まで後退させる。その上でこの配置図に従って、長期ゲリラ戦闘を行なってもらう」


 地図に各員の名前が表示された。

 自分の配置先を見つけたエリは、今の酒顛のセリフを思い出して絶叫した。


「えええええええええ! ゲリラせ……ええええええええええええ!?」


 彼女はスクリーンまで歩み寄ると、自分の配置先を食い入るように見つめて、「シャワーは!? あったかいご飯はー!?」彼女の配置は第三防衛ライン南部――6-Eになっていた。


「女性諸君にはすまないが、ケリがつくまで我慢してもらいたい」


 ええええええええええええ!?

 耳を塞ぐ酒顛に、エリはおいおいと泣き縋った。


「なぁオッサン、ケリってのはどうやって着くんだ?」


 彼女の頭を掴んで引き剥がす彼に、ケンが問う。そのつまらなそうな目には、この任務の結末が見えているようだった。


「……それは俺にも分からん。バーグ本人を捕縛せん限りは、刺客は必ずまた氏を狙いに来るだろう。今回の戦闘で、我々の存在は露呈してしまったからな。刺客がバーグと繋がっていれば、新たな指示を仰いで別の手段を選ぶ可能性がある。もしくは、今度は複数名が相手になるやもしれん。その時我々にできるのは、全力で氏を護衛することだけだ」


 ケンは歩み出た。

 酒顛の立場は理解できているし、本部からの通達が無い限り任務の性質が変わらないことも承知している。

 ボスが、あるいは作戦部が、〝ジャービルの意思を尊重した上で彼を守れ〟と言っている以上、一兵士にはそれに従わなければならない義務がある。

 だからケンは、「おい爺さん、油田を放棄する気は無いのか」とこの任務で最も重要視される〝意思〟とやらに訴えかけた。

 この地下に油田があるからジャービルは自分諸共守ってみせろと言っている。だが当人は、「何を馬鹿なことを!?」と声を荒げる一方だった。


「この油田が貴様らの生命線であることはすでに伝えたろうに!」


 アレハンドロは主の動向を注視していた。

 今は主におかしな点は見当たらない。ここの油田は組織の資金源そのものなので、バーグを初めとしたREWBSに発見されるわけにはいかない。

 では、先程の彼のセリフは何だったのだろう。油田のボーリング制御室に二人で軟禁されていた時、彼はアレハンドロに支離滅裂な言葉を投げかけた。

 アレハンドロに主の不在中、ここに留まり、油田の守護を任せるよう仰せ付けたのは他でもない主自身だ。それなのに主は彼に向かって〝何故ここにいる〟と言った。〝命じていない〟とまで言った。

 アレは何だ。どういう意味だ。

 アレハンドロは激昂する主を目の端に留めながら思考した。

 〝何故制御室に入ってきている〟、そういう意味か?

 いや違うだろう。組織は彼らの分類上ヘレティックではない人間――ノーマルを保護することも任務の一つにある。だからああして自分も閉じ込める必要があった。あの時の自分に、他に居場所など無かった。それは主も知っているはずだ。何かが彼の癪に障ったのだとしたら、それは非常に理不尽極まりないが、主にはよくあることだった。

 しかし気になるのは、その直後の彼の顔から感情が消え失せたことだ。まるで物言わぬ人形のように固まり、重い目蓋の奥にある瞳に生気は感じられなかった。

 侵入者の撃退をトマスが報告して初めて息を吹き返したようだった。

 まさかとは思うが、認知症を患っているのか……?


「俺達も暇じゃねぇんだ。いつまでもテメーの介護なんてしてらんねぇんだよ」


 ケンの不躾な物言いが、アレハンドロの胸に突き刺さった。天下の石油王も老いには敵わないのか。

 その王は車椅子の上で目を血走らせた。唾を飛ばし、辛うじて動く上体を前のめりにして銀髪の青年を怒鳴りつけた。


「貴様ぁ、儂を誰と心得ておる…!? 儂はジャービルじゃぞ! 組織の三大出資者ユーリカ・ジャービルその人じゃぞ!?」

「一兵卒の俺には関係ねぇよ。俺にはパトロンよりも大事なもんが他にある」

「ワガママをほざいておられるのも今の内だけだぞ!? ボスのリコールの件は儂が全て揉み消したがな、今からでも再提案できるのじゃぞ!!」


 ざわとヘレティック一同が反応を見せる。

 酒顛は彼らから目を逸らし、生唾を飲んだ。

 ケンはそれを察知するもその場で酒顛を問い詰めず、持論も曲げなかった。


「勝手にしろよ。テメーらは好き好んで金出してんだろ。俺らも好き好んで戦ってるんだよ。ボスなんて関係あるか。テメー一人に時間を割いてる間に、どれだけの任務を遂行できると思ってる。少しはそのカスッカスの脳味噌に〝自重〟って言葉を刻みやがれ。いつまでもテメーらのマネーゲームに付き合ってられねぇーんだよ」

「その任務に行けるのも儂の力があればこそだ!」

「関係ねぇっつった」

「~~~~~っトマス! トマス貴様何を突っ立っておるのか! 奴を殺せ! 今すぐ殺せ! 貴様は儂の傭兵じゃろうて!」


 トマスは答えなかったが、唯々諾々とライフルの銃口をケンに向けた。レーザーサイトで彼の額に狙いをつけた。

 動じないケンの目には苛立ちは無く、「また振り出しか? ったく、本当にテメーらノーマルは成長しねぇな」と言うとおり落胆の色だけが滲んでいた。


「撃てトマス! 黙らせろ!」


 トマスがライフルの安全装置を外すのと重ねて、酒顛がケンの頭を殴った。


「ケン、頭を下げろ」


 言っても聞かない彼の後頭部を鷲掴みにしようとした酒顛だったが、彼はするりと躱して椅子に腰掛けた。

 結局酒顛が一人、「ご無礼をお許しください」と頭を下げることとなった。


「任務の遂行期間についてはボスから諜報部を通じて報告があるかと思います。しかし私も油田の放棄をお考え下さることをお勧めします。篭城戦はあまりにリスクが勝ち過ぎています。もしかすると任務の続行は、アナタのお命をより一層縮めることになるやもしれません」


 酒顛の真摯な態度にも、「……それでもならん」の一点張りを続けるジャービルの目は僅かに揺らいでいた。


「固執する理由が他におありなのでしょうか。もしもそれが組織と何ら関係の無い私情であれば、我々の士気にも関わります」

「それは……語るつもりは、ない!」


 まるで子供のように、王は車椅子を部屋の扉へ向かわせた。

「ジャービルさん!」と酒顛が呼び止めると、「ないものはないのじゃ! 儂は寝る! 貴様らの言うとおりあの薄ら寒い制御室でな、それで構わんじゃろ!」と吐き捨てて足早に去っていった。


「意味わかんなーい」


 肩をすくめるエリ達に、「申し訳ありません」とアレハンドロは深謝した。


「セバスちゃんが謝ることないじゃーん」

「おい執事。何か知らねぇーのか、爺さんがここに固執する理由ってのをよ」


 ケンの問いに、「存じ上げません」とアレハンドロは正直に答えた。

「ふぅん。じゃあよ……」とケンは一呼吸を置くと、「テメーは何を隠してやがんだ?」


「私が、で御座いますか…?」


 アレハンドロは動揺を隠し切れない。

 ケンは容赦無く追い詰めるように、「お初にお目にかかります」と口走った。

「は?」となったのはアレハンドロだけではないのは当然だろう。


「テメーは俺らと初めて会った時にそう言ったが、アレはつまり、ヘレティックに会うのがって意味で間違いないか?」


 一同の疑問符に答えるケンは詰問の手を緩めなかった。


「いえ。単に皆様とは初対面で御座いましたものですから、そう意味で申し上げたつもりですが…」

「なら以前にヘレティックと会ったことはあるのか」

「ありません。ないはずです。ですが主からは、アナタ方の外見は我々と区別が無いと伺っておりましたので、もしかすると今日までに出逢った誰かがヘレティックだったという可能性は否めません」


 ケンは何を確認したかったのだろう。一同は疑問符を増やすばかりだった。

 何らかの猜疑心から質問し、見当違いの答えが返ったのだとしたら、それはきっと恥ずかしいことこの上ない。迷探偵が理由をこじつけて誰彼構わず犯人扱いするようなものだ。

 だがケンは顔色一つ変えず、アレハンドロの一挙手一投足――眼球から指、喉仏の上下運動までをその目に焼き付けていた。

 さばがら蛇に睨まれた蛙の構図。ピリピリとしたムードが居心地を悪くする。

 それを掻き消したのは、空気を読めない大賞の男部門覇者――カズンだった。


「オイオイオイ! ケン様よぉー! お前どうしちまったんだぁ、いきなり刑事ごっこなんて始めちまってー! 電撃の食らい過ぎで頭のネジ吹っ飛んじまったかぁー!?」


 ぐははははは!

 何がそんなに愉快なのか、彼は馬鹿笑いした。

 それで場が和むことは無く、より両者の隔たりは大きくする一方だった。

 アレハンドロはおずおずと、「もう宜しいでしょうか? ジャービル様が心配ですので……」と酒顛に救いを求めた。


「ええ、申し訳ありません。結構ですよ。今後の詳細は、制御室のコンピューターでも閲覧できるようにしておきますので」


 快くケンからの解放を手伝ってくれることにありがたく思ったアレハンドロだったが、「公開可能なページまで、ですか」

「……何か問題でも?」と酒顛は問い返す。

 アレハンドロは逡巡したのも束の間、「いえ。それでは失礼します」と言い残して退室した。

 酒顛は、今のはどういう意味だという目をケンに向けた。

 すると彼は鼻先を親指で払って目を逸らした。


「ともかくだ、諸君らにも各々主張はあるだろうが、任務の遂行が最優先だということを肝に銘じてほしい。任務について何か質問はあるか」

「はい!」


 気持ち良いくらいにハツラツとした声で手を挙げたのは誠だった。

 彼は酒顛の応答を待たず、目上の隊員達を掻き分けて酒顛の前まで歩み出た。そしてスクリーンを指差し、「オレの配置場所はココで間違いないんですか」

 ケンといい、誠といい、自己解釈で質問をするのは困ったものだった。

「間違いない。何か問題があるなら言葉にしろ」と彼を窘める酒顛に、今度はネーレイが挙手した。


「私からも異議を申し立てます。アリィーチェの配置場所を変更して頂きたいです」


 連れ子のように彼女の足元からピタリとくっついて離れないアリィーチェも、彼女を真似て手を上げつつ、首を縦に振りまくった。その眼差しは真剣そのもので、誠と目が合うと縄張り争いする野犬のように睨み合った。


「どうしてだ。お前達二人がいなければ、誰がジャービル氏の護衛につく。今のやりとりを見て不安があるのは分からんでもないが――」

「リーダーちょー鈍感」


 口を挟んだのはエリだ。

「鈍感? 俺がか?」と動転する彼に、「よりによってこの二人を並べるとか配慮が無さ過ぎ」と彼女は上から目線で肩をすくめた。

 その物言いを聞いてようやく、酒顛は会議前に誠とアリィーチェの間に一悶着があったことを思い出した。

 しかし、「お前達なぁ、今はそんな瑣末な問題を取り上げていられんだろう」と一笑に付した。胸を触っただ触ってないだ、故意だ事故だなんて、大事の前の小事にもならない。


「瑣末―? あーダメダメ~~~。リーダーはそんなんだからその歳まで結婚できないのよー」

「何をっ!?」


 それは関係ないだろ!

 酒顛は動揺し、エリのペースに呑まれていることに気付かなかった。


「今最も重要視されるべきは効率よりもチームワークよ。同胞内の不協和音は敵にとっては格好の付け入る隙になるんだから、水と油は分けておくべきなの。だからどちらかをあのエロジジイの傍に残して、どちらかを別の場所に移すことで、私達も余計に気を揉む必要が無くなるの」


 いつものチャランポランな彼女は何処へ行ったのか。思わぬ正論に、おおという歓声が上がる。


「さ、さすがだぜ、エ、エリちゃん」

「んだよアタミ、お前生まれて初めてまともなこと言ったんじゃねぇのか?」

「何を言ってるのバラージュ。私はいつも馬鹿を装っているだけなのよ」


 フッと自慢のポニーテールを払い、妖艶な微笑を一同に振り撒く。

 そんな彼女に、アリィーチェは憧憬の眼差しを向けた。

 気を良くしたのか、「アリィーチェ、アナタは私達が守ってあげるから安心してね」と少女をそっと抱き締めた。

 すると少女も上機嫌で抵抗の一つも見せなかった。

 エリは人知れずにやりと笑った。アリィーチェとネーレイの信頼さえ勝ち取ればこちらのものだった。


「エリのヤロー、完全に寝返りやがったな」

「どうでもいいですっ」


 ごめんなさいね、マコっちゃん。今はアナタよりも自分の立場が可愛いの。アリィーチェ姫のセンスはハンパないから。

 保身に走る彼女に、「ならばエリ、この配置からどう変更するんだ」と酒顛は訊いた。

 もちろん代案は用意してあるんだろうなという彼に、「フフン、そんなの簡単よ。マコっちゃんとバラージュを交代させるの」と彼女は鼻高々に答えた。


「ほぉ。それではバラージュはHQ内部から狙撃を行なえるんだな」


 現状のバラージュの配置場所は、HQから二百メートル圏内――所謂最終防衛ライン内の東側にある高台だ。彼女はそこから主に東地区の索敵を任じられている。振動感知のセンス《バイブ・センシング》と、対物狙撃銃〈ゲイ・ボルグ〉によって対象の狙撃も行なう。

 しかしエリの案によれば、バラージュはHQ内部の、それも地下から索敵と狙撃を行なわなくてはならないらしい。閉鎖された空間で、空間把握によって索敵ができたとしても、彼女得意の狙撃はまずできない。子供でも分かることだ。


「と! 見せかけて! カズン君と交代させるんだなーコレが!」

「ふむ。彼から二百メートルを奪ってでも、マコトを最終防衛ラインに押し上げるべきと?」


 カズンの配置は、バラージュと対を成す位置――最終防衛ラインの西側を担当する。彼が空間把握できる最大範囲は、純視界で視認できる地平線までの距離約四五〇〇メートルとされている。それを踏まえればたったの二百メートルの後退など造作もないことだろうが、問題となるのは彼の攻撃範囲だ。


「カズンの《念動力》は、半径およそ八百メートルまでが有効に働く。東をバラージュに任せ、彼を西側の索敵と対応に専念させるべきだと俺は考えるがな。それに、身一つで全方位を索敵させるのは、苦行以外の何ものでもない。それはお前が一番よく分かっているんじゃないか?」


 図星だった。

 エリは目を泳がせると、アリィーチェの不安げな瞳とぶつかった。

 負けるわけにはいかない。負けられない戦いがここにある!


「かーらーの~~~、アリィーチェとウヌバをチェーンジっ!」

「なるほどなぁ。それでは三時方面の防衛力が激減するが、チームワーク維持の為ならば仕方ないか……」


 HQから四百メートルの位置に第三防衛ラインはある。ライン上には、十二時にケン、三時にウヌバ、六時にエリ、九時に酒顛がそれぞれ配置される。

 索敵が可能なエリとケンを南北に分けることで、カズンとバラージュの索敵の穴を埋めようという意図があるのだ。

 さらに戦闘力の高い酒顛とウヌバをライン上に配置することで防衛線を維持できる。


「私とアリィー――」

「お前は自分の役割を理解しているのか? 敵が逃亡したのは出現ポイントと同じ六時方面だ。索敵能力が高いお前には前線から逸早く警鐘を鳴らしてもらわにゃならんのだぞ」

「ちょ、ちょっと待ってよ、じゃあさ! ファルクがアリィーチェ持って全域を飛び回ったらいいじゃない、輸送機みたいに!」

「すまない、エリさん。俺はあまり腕力が無いんだ。いくらアリィーチェが軽くても、空爆用の爆弾を装備するのが精一杯なんだ」

「こ、この根性無し!」

「!?」


 謂れの無い非難を受けて、ファルクは言葉を失くしてしまった。

 彼は高高度から作戦空域を巡回するのが役目だ。より長く、より高く飛ぶ為に、必要最低限の筋力と体重を維持している彼に、アリィーチェを運搬する余裕は無い。

 じゃあ、えーと……。

 スクリーンに張り付いて、誠とアリィーチェを引き剥がせる場所を探した。しかし見当たらず、それどころか別の点に目がいった。


「あーーーーっ! 何よコレ! ネーレイだけお風呂じゃん! シャワー浴びれないどころかお風呂で待機じゃん! 湯船に浸かって優雅にワインとか飲めちゃうじゃん!?」

「それは私のセンスが水を使って索敵できるからで――」

「つーかリーダー! お風呂入れない女子って私だけじゃん! アリィーチェなんて自宅警備員だし、バラージュもその気になったらサボり放題じゃん! 何コレ、パワハラじゃん! パワー・ハプニング・ランボー、略してパワハラじゃん!」

「それはパワハラじゃなくてただのランボーだ」


 エリに身体を揺さぶられながらも、酒顛は丁寧にツッこんだ。

 直後、エリの背中がぶるりと震えた。

 振り返ると、アリィーチェのあの眩しいくらいだった憧憬から一転、軽蔑の眼差しへとメタモルフォーゼしていたのである。


「見ないで! そんな目で私を蔑まないで!」


 ほんの数分で信頼は崩れ去った。もう二度と、あんなにも熱い視線を全身で堪能することはできないだろう。

 恒例の寸劇が終わり、「どうするんですか。オレは前線でも大丈夫ですよ」と誠は業を煮やしたように酒顛に迫った。

 その物言いに、「はんっ! さっきヒーヒー喚いてたのはどこのどいつだよ?」とカズンが鼻で笑った。

 彼は視ていたのだ。侵入者との戦いの最中、殺されかけていた誠を。悲鳴を上げるその情けない格好を。


「アナタも直撃を受ければ、あの痛みが分かりますよ…!」

「お生憎様だな。俺様はどうヘマをしたって大天才だから、傷一つ受けたくても受けられねぇんだよ」


 もはやケンとの関係よりも深刻な犬猿の仲になった両者の間を、「おい、カズン。もうやめろ、話が進まねぇー」とバラージュが裂いた。


「バラージュの言うとおりだ。つまらん意地の張り合いは任務の後にしてくれ」


 酒顛に言われると、へいへいとカズンは引き下がるが、誠の怒りは未だ治まらないようだった。


「マコト、お前の提案は到底受け入れられん。《韋駄天》を十二分に扱いきれん今のお前を何の装備も無く放り出すことはできん。新たなボディアーマーに関しては諜報部に送らせるよう伝えておく。それまではこの配置に従え」


 不服な顔をする誠と違い、アリィーチェは行動で示した。なんと彼女は酒顛の脛を蹴り、退出したのだった。

 痛くはなかったが、去り際に見せた彼女の鋭い眼光が酒顛の胸に妙な罪悪感を残した。


「アリィーチェ、待ちなさい!」


 ネーレイは酒顛を気遣いつつも、彼女の後を追っていった。

 参ったもんだと頭を掻く酒顛を、「ガキのお守りは大変だな、オッサン」とケンはけらけらとせせら笑った。


「お前も昔はあんなものだったよ」

「そりゃどうも」

「今も変わらないんじゃない?」

「おいコラ、今何つった」

「どちらもどうして成長してくれん……」


 気苦労が耐えない酒顛の脳裏に秘書官メルセデスのセリフが過った。


〝だから私はあの時反対したのです。この子達をアナタに――〟


 今更どうしようもないことだったが、後悔が頭から離れなかった。

 一人頭を悩ませる彼を置いて、「それよりさ、バラージュ」とエリは話頭を転じた。

 二刀流の腕前と並び、彼女の変人ぶりは組織の中で有名だったが、こうまで飽きっぽく、自分本位だとは、初対面のファルクは思いもしていなかった。美人とも聞いていたので、多少の欠点などそれでカバーができるだろうとも思っていたが、もはやとっくに幻滅している本当の自分からは目を背け続けられないようだ。


「ネーレイがアリィーチェの姉代わりだってのは見れば分かるけど、にしても過保護過ぎじゃない? 何か、理由があるの?」


 いつの間にやら数少ないファンが一人減ったことに気付かないエリの問いに、バラージュは少し戸惑った表情を浮かべた。何分他人事だ。勝手に話していいものか判断がつかない。

 一考するバラージュの目に誠が留まった。

 彼は興味の無いような顔でそっぽ向いているが、いつまでもこの調子では本当にチームワークの悪さが敗因になりかねない。

 バラージュは理解してもらわないまでも、耳に入れてほしい一心で、彼女らの過去を語った。


「アタシはネーレイと違ってその場に居合わせていないから、その時のリアルは分からねぇけど、アイツが言うにはアリィーチェはREWBSの研究機関で被験体として扱われていたらしいんだ」


 誠がぴくりと反応する。素知らぬフリを続けながら耳をそばだてているのがよく分かる。


「被験体なんて言えばまだ聞こえはいいが、つまるところは実験用のモルモットだ。どうやらアイツはその研究所でセンスの発動を無理強いさせられていたんだとよ」

「《ネガティブ・コントロール》を彼女に使わせて、その効果範囲や殺傷能力をデータとして数値化していたということか」

「そんなところでしょうね。でも本当にエグいのはそこじゃないんです」


 彼女と出逢って一年になるか。

 最初は誠達と同じでとんでもないクソガキが入隊したと思ったものだが、事情を聞けば目を瞑らずにはいられなかった。


「アイツはREWBSに、本当にネガティブな言葉しか発せないよう調教させられたんだ。黙れを意味する〝緘黙〟、見るなを意味する〝盲目〟、動くなを意味する〝不動〟、そして死ねを意味する〝心不全〟。全部、REWBS共の刷り込みによるもんだ」


 誠は全身で彼女の話に聞き入っていた。


「コレはネーレイの憶測なんだろうけど、アリィーチェのセンスは本来ネガティブな言葉だけに作用するものじゃないらしいんだ。もっとその…、優しい言葉もセンスとして機能するとかって、アイツは言ってた」

「でも、今の彼女はそれができない身体になっている、と」


 バラージュは深く頷くと、誠の肩に手を置いた。


「だからよ、マコト。お前の言いたいことも分かるんだが、少しは優しくしてやってくれ。アリィーチェにも、アイツに寄り添って、アイツの復讐を支えることしかできないネーレイにも。ネーレイもREWBSに実の妹を殺されてるんだ、だから嫌でもアリィーチェのことを大事にしたくなるんだ」


 俯く誠の脳裏に金色が蘇る。


「……復讐なんて、間違ってますよ。それを手伝うことも」


 容認なんてしたくない。黙認なんてしちゃいけない。

 味方がやることだからと杓子定規に区別してしまってはいけない。

 その行為の終着が〝殺し〟ならば、一度たりとも認めてはいけない。

 でも――


「でも、少しは……はい」


 彼女の怒りは、理解できる。

「ありがとうな」とバラージュは言う。ガサツで女らしさを感じさせない彼女だが、その時はとても母性のようなものが滲み出ているように見えた。


「アタシから話せるのは以上だ。リーダー、アタシはこの配置に感謝してる。この配置でしか、アイツらのセンスは活かせないからな」


 彼女の大きな助け舟に、「他の者も異論は無いな?」と問いかけても一人しか手を挙げなかった。


「何だ、マコト……。もうこれ以上は――」

「違います!」


 誠は手を下ろすと、歯切れ悪く言った。


「そ、その……アリィーチェの好きなものって、何ですか?」


 少し遅れて一同が爆笑したのは仕方ない。


*   *   *


 HQのエントランスには隠し扉がある。そこからスロープで地下に下ると広間に出る。赤絨毯が敷かれたエントランスとは違って灰色のコンクリートが剥き出しになっており、薄暗くひんやりとしていて、四方の壁が迫ってきそうな圧迫感が漂っている。

 奥にある大きな扉を抜けると、ボーリングの制御室となっている。今そこにはご立腹の様子のジャービルが独りで愚痴を呟いている。

 トマスとアレハンドロは彼を残し、扉の前に立っていた。

 トマスは部下二人に誠とアリィーチェが来るまでの代理となるよう命じると踵を返した。


「トマス大尉」

「何か」


 呼び止めたのはアレハンドロだ。彼を部下らに聞こえぬよう少し離れた場所へ連れ出すと、さらに用心して耳打ちした。


(以前の話になるのでしょうが、私の留守中、ジャービル様に何か変わったことはありませんでしたか)

(特には。報告も受けておりません)

(そうですか…)

(何か問題でも)


 トマスは首をかしげて問い質した。

 気のせいか。それならそれで構わない。「いえいえ、今のは忘れてください。私の思い過ごしかもしれませんので」と一人で納得したアレハンドロは制御室に姿を消した。

 ジャービルに何かあるのか。

 トマスはしばらく壁を見つめたが、気にするのは自分の役目ではないと穿鑿したい気持ちを抑え留めると、襟元を正してからスロープを上った。


*   *   *


「さっきは肝が冷えたぞ」


 第一実行中隊の各員がゲリラ作戦の装備を整え、それぞれの配置場所へ向かう中、酒顛はケンをジャービルの寝室に引き止めていた。

 ケンは〈マルチプル・ゴーグル〉のレンズを目の細かい布で拭きながら、酒顛の説教を右から左へ聞き流していた。


「お前もカズンのことを言えないな。会話には手順というものがある」

「下手に出ても問題を解決できなきゃ意味がねぇよ。もう俺達には妥協できる点なんて一つも残ってねぇんだぞ」

「承知しているさ。しかしお前の言動はあまりに感情に素直過ぎている。〝自重〟するべきはお前も同じだ」


 へいへい。

 反省の色も無く、ケンはリュックサックを担いだ。中には長期戦に備えた携帯食や医療品が詰め込まれている。


「待て。何もこんな説教を垂れる為に呼び出したんじゃない」


 酒顛は配置図が投影されたままのスクリーンを見た。視線は、HQの地下に向けられていた。


「俺はこれを機に、マコトを前線から外そうと思っている」

「………」

「あの子は優し過ぎる。俺達の行ないをいつまでも黙って見ていられるとは思えん。いずれは我々にもあの〈エッジレス〉を向けるだろう。矛盾を正す為に、あの刃の無い剣を」

「そんなもん、とっくに分かりきってただろうが」


 そうだ、初めから分かっていた。

 あの少年は初めから、人殺しという行為に、人並み外れた嫌悪感を抱いている。命のやり取りに不向きな思考回路だ。

 ダメなものはダメと、自分の中に徹底したルールを作り、決して犯そうとしていない。


「アンタの言いたいことも分かるぜ。確かにアイツは俺達の殺人を許さないまでも、道理に基づいた正当な理由があると思っているからな。現に俺達は快楽や復讐の為に殺ってきたわけじゃねぇ。あくまで〝世界の為に〟仕方なくだ」

「だがそれも、そろそろ限界だろう。彼は本心では我々にも怒りを抱いているはずだ」

「だからってアイツを部隊から外すのは難しいだろうよ。上の連中が、いつかエリが言ってたようにマスコットとして扱うわけでもねぇ」

「彼のセンスがあれば、基地に閉じ込めておくことも不可能だろうしな」


 縁の広いソフト帽。その下に浮かぶ不快な微笑が、酒顛の頭を重くした。


「斉天大聖か……」

「何だそりゃ?」

「いや、こちらの話だ」


 そう、今は奴の戯言を気にかける時ではない。


「ともかく、マコトを刺激するような振る舞いはしてくれるなよ」

「そりゃあ俺じゃなくて俺様ヤローに言ってほしいもんですねー」

「ハハ、すまんな」

「つーか、何であのガキのご機嫌伺いなんかしてんだよ。らしくねぇぞ、オッサン」

「……スバロさんのことをな、思い出していた」


 その名を聞いた途端、ケンの態度が豹変した。青筋を立てて酒顛の胸倉を掴み、怒鳴りつけたのだ。

 荷物が重い音を鳴らして崩れる。


「親父のことといい、いつまで引き摺ってんだよ……!? 死んだ奴のことなんて忘れろよ、今はアンタが先頭にいるんだぞ!」


 確かにそうだ。

 スバロさんはもういない。この世にいない。死んだ。

 自らが犯した過ちを償う為に処刑された。

 だから代わりに、取って代わるように、自分がこの役割に立っている。重い荷を背負いながら。

 ケンの怒りは、自分を信用してくれているからだ。

 酒顛は彼の想いを汲み、雪町セイギやスバロといった前任者達の影を頭の隅に追いやった。


「そうだな。俺達にも正義がある。それをヒヨッコにどうこう言わせるわけにもいかんよなぁ」


 誠がスバロのようになるわけがない。

 例えなったとしても、こうして怯えていてはどうにもならない。

 今必要なのは、あの少年に自分達の正義を間違っていると言わせない強い信念だ。


「ケン、成長したなぁ、お前も」

「上司がしっかりしてくれないもんですからねぇ!」

「このっ」


 ケンの頭を小突いた酒顛は、彼が握ったままにしているゴーグルに目をやった。


「それはそうと。お前、何か嗅ぎつけているんじゃないのか。彼に何をやらせている?」


 彼は訳知り顔でシャンデリアにゴーグルを翳した。


*   *   *


 扉の奥からグワングワンと音が漏れ出し、その度に床も多少揺れている。

 少女アリィーチェは酒顛が用意した心無い配置図に従い、制御室の前で待機している。膝を抱え、小さな頭を埋めながら時間を潰すこと二日が経つ。隣は今、空席だ。

 現在時刻は一九〇〇。

 朝昼夕の食事は各自の判断に任されている。長期戦になることは間違いなかったので、おそらくほとんどの者があまり満足とは言えない食事を余儀なくされているはずだ。

 その点、HQ内部の、本当の最後の盾となる彼女らは、前線に比べて天と地ほどに悠然とできていた。エリが言ったとおり、こうして閉鎖された空間――一種の城の中では、妙な安息が息づいていた。

 しかし居心地は悪い。今のように食事時になれば、あの不愉快な少年はどこかへ行ってくれるが、しばらくすると帰ってきてしまう。それ思うと、どうにも食事が不味くなる。

 居ても居なくても、結局苛立ちは頂上から下山してくれない。

 膝に頬を乗せて、息をつく。床から響く振動がスカートのフリルを揺らす。それを見つめていると、急に視界に影が差した。

 ふと顔を上げると、目の前で透明のビニール袋がぶら下がった。袋の中には丸く大きな耳が二つくっついたドーナツが入っていた。ご丁寧にチョコで目と口までペイントされていた。

 カワイイ……。

 クマのような、ハムスターのような、とにかく愛らしい動物に見える。

 アリィーチェはそれに目を奪われるも、視線をさらに上へとスクロールさせると、途端にそっぽ向いた。

 袋を彼女に向けていたのは、誠だった。

 彼は彼女の足元にそれを置くと、まるで対の狛犬のように扉に向かって逆さの位置に腰を下ろした。

 沈黙が二人の間に蓄積していく。互いに身動ぎ一つしないので、衣擦れさえも聞こえない。

 そんな中アリィーチェは、誠に悟られないように足元を盗み見た。袋の中で微笑む動物顔のドーナツはやはりカワイイ。

 是非手にとって近くで見たい。色んな角度から鑑賞したい。そして満足したらゆっくり味わいたい。

 欲求が積み重なっていく度に、喉が渇いていく。

 あぁダメダメ。

 アリィーチェは思い直し、目を逸らした。

 さっきは可愛く見えたが、あれはきっと気のせいだ。そして味も不味いに決まっている。もしもこの男が作ったのだとしたら、よからぬ物が混入されている可能性もある。

 でも。

 アリィーチェはまた、チラリと足元に視線を運んだ。


「あげるよ」


 心臓が跳ね上がった。

 べ、別に欲しくないもん。興味も、無い……もん!

 顔をさらに埋める彼女だったが、真っ赤な耳だけは艶のある髪から覗いている。

 誠はそんな風に強がる彼女を、記憶の隅にある少女や、フランスで世話になったシェイナ・ペレックと重ねた。


「八月くらいだったかな、第一のみんなとフランスにいたんだ。〈ペレック〉ってパン屋さんに住み込んで」


 あまり語りたくはなかった。

 語るとどうしても、金色への想いが強くなって、あの時の自分の力不足を呪いたくなるから。

 だけど今は、彼女との溝を少しでも埋めたかった。


「作るのはあんまり得意じゃないし、作り方も熱心に覚えてなかったから美味しくないかもしれない。けど、今回はやっと形になったんだ。食べたかったら食べていいよ」


 誠は彼女に向かって正座を組むと、両手を突いて頭を床まで下げた。


「……ゴメン」


 土下座でもしなければ、デヴォン島での無礼は無礼のままだと思った。


「この前は酷いこと言った。言ってしまいました。本当に、ゴメンなさい」


 許してほしいとは思わない。

 許すのは彼女であって、自分が求めることではないから。

 誠にできることは、罪と向き合い、謝罪を重ねることだけだ。

 しばらく――もしかすると小一時間頭を下げ続けた。するとガサガサと音がした。

 顔を上げると、アリィーチェが誠に見向きもせずに、ドーナツを一口齧っていた。右耳を、小さな口で少し。

 それ以上食べなかったのが、味の感想の全てだった。


*   *   *


 同じ頃。

 第三防衛ライン南部――6‐Eに位置する建物の中にエリの姿がある。

 本日の最高気温は十五度。現在は日中に比べて低く、十度といったところだ。

 風がやや強く、夜も荒んでいるこの街の道路を、西部劇でよく見かける球状の植物――タンブル・ウィードのように単なるゴミが転がっていくのが見える。

『さてさて、お次のご来店はいつになるんでしょーかね~?』なんて独り言ちたのが二日前の夕暮れだった。それから今まで、誰とも会わず、誰とも話していない。相手が肉体から電気を発生でき、局地的に電波障害を起こせるので、量子通信と言えども電子機器に依存できなくなったのだ。

 おしゃべりなエリにとっては、お風呂に入れないことに次ぐ精神的痛手だった。

 食事は野戦糧食(レーション)だ。カロリーの摂取のみに重きを置いた軍用のそれとは違い、組織製は味も濃厚で、少量でも満腹感を得られる。レンジ無しで温められる物まであったりなどメニューは多岐に及ぶ。

 しかしこうして独り埃っぽく殺風景な場所で、ひたすらに栄養の摂取だけを目的としてこの行為に及んでいると心が荒む一方だった。

 それを抑制し、正す為に、彼女は正座を組んだ。

 誰かに謝る為ではなく、膝の前に置いた二振りの刀と向き合う為に。無心となる為に座を組んだ。心頭滅却というやつだ。

 そうなれば《サーマル・センサー》は清々しいほど広域に効果を発揮できる。覚醒因子がアドレナリンの分泌と機能するという学説は本当に正しいのかと疑ってしまうほどにだ。

 《サーマル・センサー》を使い、脳裏に描かれる周囲の情景は、全体的に青く見える。壁の外の景観も同じで、昼間に太陽から得た熱はすっかり拡散してしまっているようだった。

 時折赤い点が見えるが、それは小動物や虫の類だ。地下――下水道に意識を凝らすとネズミがチョロチョロと動き回っている。しかし人が住まなくなって数十年が経つ現在、どこで何を捕食しているのだろうか。

 エリはネズミを追った。すると絶句した。

 ネズミが、ネズミを食らっていたのだ。共食いだ。

 その光景は、もはやこの地域での生態系の終末を意味していた。

 エリは思う。

 人間も同じ。ヘレティックも同じだと。

 いつまでも争っていては、きっと同じようになる。

 センサーの範囲に大きな熱源が侵入した。位置は第一防衛ライン――6‐A。


「来たのね、ネズミさん」


 そちらがその気ならば、こちらも刃を向けるしかない。

 ヘレティックを守る為には、その手段しか選べない。思いつかないのだから。

 エリは腰を上げると床にスーパーボール大の四つのガラス玉を並べた。青、緑、黄、赤の四色だ。

 確かに電波的な通信手段は取れない。しかしヘレティックならではの方法で連絡を取り合うことは可能だ。

 まずは外に出て、ピストル型の信号弾を空に打ち上げる。普通は音や煙を発して狼煙の役割を果たすものだが、この弾頭は音も煙も発さず、不可視光を輻射する。

 続いて戦闘空域を哨戒中のファルクが、空爆用の装備の変わりに両手に抱える信号弾の受信機でそれを観測する。彼はすぐにカズンに報告する。

 カズンは《念動力》でもって、HQ内のペンを取り、メモ用紙に状況を記す。

 まるでポルターガイストのように勝手に動き出すペンと紙に、〈フェリズ〉一同は腰を抜かすが、トマスはすぐに別の紙に対応措置を応答する。

 空間把握でそれを認識したカズンの意識は、続いてエリまで飛んでいく。そして一つのガラス玉を割って、HQの意思を伝えるのだ。

 その間、一分も要さない。

 割れたガラス玉は、警戒解除の青でも、戦線維持の黄でもなければ、戦線後退の緑でもない。即時迎撃を意味する赤だ。

 エリは〈紅炎双爪〉を両腰に差すと、リュックサックを置き去りに6‐Bへと侵攻を続けるネズミの迎撃に向かった。

 律儀にも同じ場所から、こちらの都合に合わせて侵入してくれた。後は自分が彼に勝てるかどうかだ。

 ケン達六人がかりで挑んでも倒せなかった強敵だ。

 エリはセンサーを侵入者のみに絞って駆け出した。


*   *   *


 ファルクは哨戒を続けていた。敵が単独だという可能性が無いからだ。

 しかし六時方向に出現した敵は一人のようだ。もしも複数ならば、信号弾がその数だけ撃たれる手筈になっていたからだ。

 彼女は一発だけ撃った。もしも見落としがあればまた撃ち上がるはずだ。

 考察するファルクの手元でリリと鳴った。エリのものと続けて肌を粟立たせた彼は、キノコ型の受信機に目を落とした。逆さになったキノコの傘が全方位の受信を可能としているのだ。今度受信した位置はバラージュの方だった。


「方角は!」


 バラージュのいる施設の屋上に着地したファルクが問う。


「二時と四時だ!」

「二ヶ所!?」

「前の奴と同じだ、まっすぐこっちに向かって直進してやがる!」

「分かった。カズンに伝える!」


 ファルクは急いでカズンのいる西に飛び立った。

 彼が掻き混ぜた突風を払い除けたバラージュは、〈ゲイ・ボルグ〉の安全装置を外した。




 カズンを見つけたファルクの手元で、またリリと鳴った。すぐ目の前のカズンが信号弾のピストルを掲げていたので彼だと思った。


「今撃ったんだな!?」

「あぁ? まだに決まってんだろ」

「決まってるって……おい、じゃあ今の信号はどこから!?」


 ファルクは慌てて手元の受信機に目をやった。ディスプレイには12‐Eと表示されていた。


「ケンか!」


 カズンはディスプレイをじっと見つめながら、12‐Eへと意識を送った。そこにいるケンはしきりに十時方向を気にしているようだった。

 今度は十時方向に意識を飛ばすと、確かに一人侵入者の姿が見える。ケンは持ち前の耳と鼻で感知したのだろう。


『おいカズン、もう視えてるんだろ! 指示を出せ!』


 知ったような口を利きやがって!

 カズンは舌打ちすると、「クソ共が増えやがった、八時と十時だ!」

 それを聞いたファルクは当然愕然とした。


「バラージュは二時と四時だと言ってる! 敵は五人か!?」


 一考したカズンはファルクから受信機を奪い取った。「何をするんだ!?」と動揺する彼の頬を掴むと、言い聞かせた。


「コレは俺様が預かる。お前は空爆装備に変えたらシュテンさんのところに飛んで判断を仰げ。ノーマル共じゃあ俺様達を扱いきれねぇだろ」


 カズンは稀にこういう真剣な顔をする。

 そしてまともな神経で、まともな指示を出す。

 さすがは我ら第二実行部隊のリーダーだ。冷静さだけならバラージュやネーレイがリーダーに適任なんだろうが、センスの能力値の高さと複合的に見た時、最も頼れるのはやはり彼しかいないのだ。


「分かった。各員への通達、頼んだぞ」


 返事は無かった。すでにカズンは意識を凝らし、HQへの連絡を行ない、トマスからの返答を各員へ届けていた。

 敵は複数だ。誰にどこを対処するべきかが問題だ。特に感が当たれば八時方向は――。

 その旨をトマスに筆談で問うと、すぐに指示が返ってきた。

 カズンはそれを視てにやりと嗤った。


「何だ。ノーマルだてらに解ってやがるじゃねぇか」


*   *   *


 3‐E。巨大な倉庫内部。

 腕を組み仁王立ちするウヌバの足元にはガラス玉が転がっている。

 それが突如宙に浮き、壁に飛んでぶつかり、砕け散った。色は赤だ。

 ウヌバは本作戦の手順を思い出した。もしも複数の敵が出現した場合、ガラス玉が割れた方にいる敵を優先しろとのことだった。

 つまり、赤のガラス玉が割れたのは四時の方向なので、ウヌバはそちらに迎撃行動を取らなければならない。

 彼は頷くと、周囲に警戒しながら倉庫を出た。




 ウヌバの様子を《バイブ・センシング》で観測したバラージュは、後方から彼のバックアップに務めた。彼女のガラス玉は四時方向で割れたのだ。

 敵の位置は算出している。現在は4‐Bだ。

 しかし上手く建物の中を経由してHQに向かっているので狙撃は難しい。

 バラージュは少しの隙でも見つけたら引き金を引けるよう、左目を照準器に固定した。

 彼女の狙撃技能は、第八実行部隊のデファンをも凌ぐ。




 一方、ケンは二時方向で侵入者と目と鼻の先にあった。壁一枚隔てた先の通路を対象は歩いている。

 自分以外の足音を追えばこのくらいは容易いことだった。

 後は呑気にHQへ向かっている侵入者をどう料理するかだ。

 まずはノーマルかヘレティックかを判別することが肝要だ。前者ならば気絶させて情報部に引き渡せば済むが、ヘレティックならば不用意に近付けない。

 自分が警戒しているように相手も警戒しているかもしれない。それを利用するか。

 ケンは残った三色のガラス玉を手の上で転がした。




 8‐F。

 カズンの目の前で無数の瓦礫、鉄くずが浮遊している。重力に逆らい、カズンの全身に向かい続けている。

 彼はそれに気にも留めず歩き続ける。瓦礫は彼の手前二十センチメートルを維持し、正面から見ればさながら人型の瓦礫が歩いているようだった。

 視界が塞がれているが、カズンには関係無い。問題はその瓦礫が殺意を剥き出しにしていることだ。

 瓦礫はカズンと同じ《念動力》で操作されていることは間違いない。その主は遥か遠方――8‐Bから念波を送っているようだった。

 いよいよ我慢ならなくなったカズンは、《念動力》の見えない盾を前進させた。瓦礫を押し退け、拡散させたのだ。


「聞こえるか、クソカス」


 その声に対する侵入者は顔を擡げた。これはテレパシーではない。人の常識を遥かに超えた空間把握能力が、把握先の音を拾ったに過ぎない。


「俺様はお前みたいな劣化コピー野郎を見てると虫唾が走るんだよ。だから――」


 カズンは右手を伸ばし、視線の先に佇む建物を掴むような仕草をした。すると建物がみしみしと音を立て、最上階だけが千切れた。カズンは脳裏で建物の重量を排除しながら、それをもう一つのセンス《豪腕》でもって放り投げた。

 どこへなどは愚問だろう。


「さっさと潰れて死んじまえ」




 遠くで大きな音がした。

 反響していて位置は分からない。ただ直感で、こんなにも派手なゴングを鳴らすのはカズンしかいないだろうと酒顛は思った。

 酒顛は各員の武運と無事を祈りながら、酒壷を腰に携えて十時方向を目指した。


「酒顛さん! やっと見つけた!」


 そう言って降下してきたのはファルクだった。

 焦燥に駆られた彼の顔を見て、「あまり心地好い報告ではなさそうだな」と酒顛は言った。


「報告します。現在、二時、四時、六時、八時、十時方向からHQに向かって敵が侵攻中です」

「五人か」

「現時点はそのようです」

「トマスは各員を迎撃に当たらせているんだな?」

「はい。ですがカズンは少し不安を抱いているようです」

「解った。ならばお前は戦場の哨戒を続けろ。戦況を随時報告するんだ」

「では、量子通信を使用しても?」

「使えるまで使い続けろ」

「ワタシモ サポート シマス」


 唐突に、まるで昔の頼りないテレビ音声のような声が足元から響いたので、二人はギョッとして腰を引いた。


「ネーレイか! ビックリさせないでくれ、心臓が止まるかと思ったじゃないか!」


 彼らの足元にあった水溜りから声がしたのだ。その水はまるで生きているように蠢くと、やがてのっぺらぼうのパペットのような像を結んだ。

 それは手振りを加えて彼女の声を伝えた。よく見るとその水溜りは下水に繋がっているようだった。


「アラ ゴメンナサイ。《ウォーター・テイル》ニ コンナ ツカイカタガ アルコトハ シラナカッタ カシラ?」

「違うよ。いきなり出てきたことにビックリしたんだよ。状況が開始されて、いつどこから敵が出てくるかも分からないんだから」

「ワタシハ ソノ サクテキノ オテツダイヲ シマス。リーダー トクニ アナタノ シュウヘンノネ」

「それは助かる。俺が敵と接触したら離れていい。その後は索敵とトマスの伝令役も兼任してくれ。敵の目的はまず我々一人一人を孤立させることかもしれん」

「リョウカイ デス。アナタモ ヨクッテ?」

「あぁ、問題ないよ」


 ファルクは首肯した。

 酒顛は敬礼し、「守りきるぞ」と口づけした拳を彼らに差し出した。

 二人も同じようにし、拳を突き合わせて了解した。

 ファルクは飛び立ち、ネーレイのパペットは敵の位置を指差すと水に戻った。

 酒顛は彼女に従って地面を蹴った。


*   *   *


 第一実行中隊が闇夜で戦闘の火蓋を切った頃、アメリカ西海岸カリフォルニア州サンフランシスコにてボスの姿があった。

 彼はひっそりと静まり返った庭付きの豪邸の、本棚に囲まれた書斎の椅子に腰掛けている。

 ここは彼の別荘ではない。裏世界の主である彼に、基地以外の住処など無い。


「もういい加減、家主の居場所を教えてはくれませんか?」


 言ったのは、情報部員のフリッツという優男だ。

 彼は多少の苛立ちを、ボスと向き合うように腰掛けている二人の男に向けた。

 男達は拘束具に身を包み、椅子に縛り付けられている。二人も家主ではない。

 フリッツの問いに対し、男達は懸命に首を振った。


「知らないのか?」

「そのようです」

「こちらも同じです」


 答えたのは男達の頭に手を置く男女だ。彼らはセンスを使い、男達の脳裏を読み取っているのだ。


「ボス、如何なさいますか?」


 どれだけ問いかけても知らないの一点張り。事実そうらしいから余計に性質が悪い。


「では、アナタ方が知っている情報を全て吐き出していただきます。よろしいですな、アメリカ合衆国第四十一代大統領ウッドラー・クリフォード氏、同第四十四代大統領ジェイムス・V・アダム氏」


 両名は目を剥いて絶望した。

 ボス――ひいてはヘレティックへの恐怖と憎悪、殺意の怨嗟が彼らの脳裏を支配していた。

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