〔エピローグ〕
会ってみる価値はあると思った。
シューベル・オーランドは、野心からではなく、好奇心から判断した。
自分と密約を交わしたあの連中が、その者には何があっても近付くなと忠告してきた。理由を問えば、彼にはネイムレスをも凌駕する情報力があると言う。しかもそれはセンスという超能力の類によって齎され、情報の正当性は十割を切った例が無いらしい。
息子も連中に同意していた。嫌な予感がすると言っていた。
確かに不気味であった。どこからともなく連絡を寄越す過分な振る舞いは怪人物の名に相応しく、反面、ネイムレスには一銭も要求しないなど、耳を疑う好条件で協力関係にあったらしい。
利慾に囚われない物好きか。それともREWBSがネイムレスを陥れる為に送り込んだ尖兵か。
どちらにせよ、この男達を警戒しない手は無い。自然、拳銃を握る手が汗ばんだ。
シューベルは今、パリのバンリュー――郊外。低所得の移民が多い、公営住宅地帯――の、小汚い団地の一室にいる。そこには二人の男が、彼を待ち構えていた。
男と言っても、一人はサングラスをしている明らかな中年男性だが、もう一人は覆面をしているので背格好から判別したまでだ。中年は椅子に腰掛け、覆面はその傍でボディガードのように佇立している。
彼らはこの場所を指定してきた。ついでにボディガードの付き添いも許可をした。複数名でも構わないと言うので、遠慮なくこの団地を包囲させてもらった。銃の携帯も許可されたので、初めから突きつけさせてもらっている。
男はシューベルを一目見るや、のそのそと立ち上がった。
それにはシューベルを含む全員が銃口を前に押し出すが、男はただ、空の手を差し出しただけだった。
「バーグだ。突然お呼び立てして申し訳ない。どうぞ掛けたまえ」
握手に応じない彼に対し、バーグは揃えた指で椅子を指した。しかし彼は、結構だと一蹴した。長居はしたくなかった。バーグが危険であるのは分かっているが、それ以上に場所が場所だった。
フランスのバンリューと言えば、アメリカで言うブラック・ゲットーに相当する。治安とは縁遠い犯罪多発区域だ。何が起きても不思議ではない。
気が急いたシューベルは、「用件を聞こう」と厳しい面で訊いた。
するとバーグは、「用件?」と首をかしげた。
「…呼び出したのは貴様だろう」
「そうではあるが、情報の売買をするとは言っていない」
「どういう意味だ」
今一度銃を突きつける。
バーグは再び椅子に座った。
「私が情報屋であると言う情報が先行し、アナタが勝手に思い込んでしまったのだよ」
「ならば何故呼び出した。私も暇ではないぞ」
「それはよく知っている。しかし案ずる必要は無い。明日の株主総会は中止だ」
何を言っているのか分からなかった。
シューベルは眉を八の字にしたまま固まった。色々と思い巡らすが、彼の言葉の真意に当たるものは無かった。
バーグは、「そこのお前、テレビを点けてくれ」とシューベルの背後に立つ男に言った。彼は命令されたことに不服そうだったが、シューベルが頷くので、仕方なく応じることにした。
テレビが点くと、ニュースをやっていた。「馬鹿な…」と口走ったのは、自身が経営しているホテルが炎上していたからだ。
「誰が犯人だろうか」
「犯人…?」
「そうだろう? 息子がカラコルム山脈でネイムレスと干戈を交えている今、このタイミングで、父親のホテルが炎に包まれている。こんな偶然が重なるだろうか」
「貴様…、どこまで知っている!?」
シューベルはバーグの額に銃口を押し当てた。その行為に対し、バーグや覆面が何らかのアクションを起こすことは無かった。まるで殺されないことを確信しているかのようだった。
「まずは感謝をしていただきたい。私の連絡が無ければ、アナタは最愛の息子と言葉を交わさぬまま、天に召されていたのだから」
銃口が揺れる。堪らず、「相手は、ネイムレスなのか? だとすれば話が違う。ネイムレスは表世界と呼ばれる我々の生活には干渉しないことを原則としているはずだ」
バーグは鼻で息を漏らすと、「ボリュームを上げろ」とリモコンを握るボディガードに言った。
すると女性アナウンサーが、現在のところ従業員の冷静な避難誘導の甲斐あって死傷者は確認されていないが、秘書だけが行方不明だと報じている。さらには、関係者が外出中のシューベルと連絡を取っているが、居場所が分からないことまで詳細に伝えていた。
「何を仰る。アナタは、REWBSだろうに。秘書もその一味だと目されたのだよ」
シューベルは唇を噛んだ。
「REWBSにノーマルもヘレティックも無い。ネイムレスを知り、ヘレティックを知り、その上で人知を超えた強大な力をもってテロ活動を行なう者――それがREWBSだ。ヘレティック単体の情報を拡散するだけなら、FBIやCIAを騙って恐喝すれば済む。しかし明確な反乱行為があれば、ネイムレスとて火消しを張行せざるを得ないだろう」
だからそのように睨まないでもらいたい。
バーグはそう言って、背中を椅子に深く沈めた。
「お為ごかしが私に通じると思っているらしい。貴様の掌で踊らされるつもりはないぞ」
「アナタはまた勘違いをしている。私の利益が、アナタの損と結びつくことはない。事実、ネイムレスもそうだった。彼らは一切損をしていない。しかし、連中のボスは素晴らしい表現をしたよ。〝油断があったとすれば、私に接触を許してしまったことだ〟とね」
「私もそうだと言いたいのか」
「どう受け取るかはアナタの都合だ、シューベル・オーランド。ただ言わせて頂きたいのは、ネイムレスやREWBS、そしてアナタの宿敵であるアメリカ――この三つの勢力全てが、アナタやご子息を目の敵にする日は近いということだ」
シューベルは銃を下ろした。スーツの内ポケットに仕舞い、言った。
「覚悟も無く反乱を企てるほど、私は酔狂ではない」
バーグは目を細めたようだった。やおら立ち上がり、シューベルの肩に手を置いた。
「それでもアナタは迷っておられるようだ。そんなアナタに、私はいつでも手を貸すつもりだ」
「貴様の利益とは何だ」
その問いかけに、バーグは顎を撫でると、にやりと笑った。
「ネイムレスが無くなるのもいい。アメリカが壊れるのもいい。ノーマルが死滅し、ヘレティックが台頭するのもいい。それらの全てが夢半ばに潰えるのもまた、いい」
訝る目に応えるように、こうも言った。
「私は、アナタがお嫌いな、酔狂で道楽に身を任せる男のようだ」
黒い高級車――〈シェパード〉が数台、バンリューの中を去っていく。物珍しそうに、子供達がそれを追いかける様子を、二人の男が眺めていた。
内の一人、覆面が問うた。
「何故、姿を晒したんだ」
バーグは彼を背にしたまま答えた。
「存在を明示しなければ、恐怖は生まれないものだ。人は恐怖を材料に思考するものだ」
「その通りだ」
覆面はそう言うと、銃を撃った。サイレンサー付きの銃口から放たれた弾丸は、擦れるような音を立てながら、バーグの後頭部に突き刺さった。
「それがたとえ偽者であっても、明示するという行為こそが重要だ」
うつ伏せに倒れる男の傍に銃を置いた覆面は、コートのポケットから携帯電話を取り出した。呼び出し音が止まると、相手の声を待たずに訊いた。
「オーナー。次は何をしようか」
その口元は、確かに笑っていた。
* * *
バミューダ基地の中央、最下層には、死者を弔う墓地がある。しかしそれは表世界のように、掘れば棺が出るようにはなっていない。墓標の下には何も無い。
何故なら組織の死者と言えば、ほとんどが実行部隊の所属で、現場で息絶えると〈AE超酸〉によって消滅を余儀なくされるからだ。また発達した医療のお蔭で病死は皆無で、老衰であっても遺体はすぐに火葬されてしまう。
だから、ここには何も無い。生きている者達が、死者を思い出す為だけに造られた、自己満足の空間だ。
しかしすすり泣く声が止まないのは、その生きている者達の想いが本物である証だとも言える。
誠は、彼らを遠くから眺めていた。
ネーヴェマン。プラワット。ヴォノフ。三名の墓を、彼らの部隊が囲っていた。その中には、ウヌバの姿もあった。
彼は座っていた。まるでカラコルムへ向かう前に、ネーヴェマンと訓練場で話していたように、ジッと向き合っていた。
「オレは…」
誠は言った。同じように、彼らを眺めるしかできない酒顛達に、宣言した。
「オレは、レーンを止めます。それがオレの、戦う理由です」
黄金が目に焼きついて離れなかった。
闇の中に輝くその色は、拒絶を孕んでいるようだった。ひっそりとこちらを睨み、次第に遠ざかっていく。
それを追う内に、いつしかその黄金だけが、道標になっていた。
思う。
彼を捕らえなければ、自分もいずれ、闇に喰われてしまうだろうと。
だから誠は、走ったのかもしれない。
必ず孤独な黄金を救い出すと、心に誓って。
〔了〕
第二章【闇に生きる友人 -Genius in the Dark-】、いかがでしたでしょうか。
T・Fです。
今回のテーマは、「縁」です。
それは「偶然の出逢い」であったり、ニュアンスは違いますが「袖振り合うも~」でもありますし、「その親の子として生まれた運命」も含んでいます。
この「ネイムレス」は、ボーイ・ミーツ・ガールではなく、本当はこの、「ボーイ・ミーツ・ボーイ」を書きたかったんです。
ちょっと男色的に聞こえますが、そうではありません。
記憶を失くしてからの誠の人生においては、レーン・オーランドとの出逢いがターニングポイントになる、という意味です。既に「ネイムレスSB」で、飛山椿とボーイ・ミーツ・ガールは果たしていますからね。
人ってのは、他者と無縁に生きられないようになっています。
しかし「運命的」な関係というのは中々無いものです。
初めから太い糸で結ばれている二人なんて無いものです。
縁の糸を、どれだけ太く紡ぎ合わせていくかが重要だと私は思います。
私がこれから書きたいのはまさにそういう展開です。
執拗な誠と、関係を非情に断ち切れるレーン。この二人が今後、どういう風にその糸を加工していくのか。
しばらく掛かりますが、その一点を愉しみの一つにしてくだされば幸いです。
同時に、「親子」や「師弟」というものにもスポットを当てています。
レーンとシューベル。ウヌバとネーヴェマンですね。
オーランド親子は、「ネイムレス」を語る上で重要な位置にあります。何せ「愛する息子が人間ではなかったら」というテーマですから。誠は彼らを厳しく批判していましたが、果たして「親として」「子として」、彼らの判断は間違っているのでしょうか。それも追々、書いていきます。
ウヌバとネーヴェマンについては、ちょっと私のエゴが強いです。
正直に言うと、ネーヴェマンは死んでもらう為に生み出しました。さらに正直に言うと、第二章は「誠とレーン」というメインと並ぶ、「もう一つの見せ場」の為にプロット時から死に様まで用意していました。
ネーヴェマン、すまん。
その割りに絡みが少なかったんですけど、それでもウヌバに何かを伝える役目を担わせたかったんです。「でき過ぎた弟子と、不十分な師匠」といった感じですかね。あんまり偉大だと、レーンが霞みますし。
ネーヴェマン、ありがとう。キミは犠牲になったのだ。犠牲の、犠牲にな。
縁と言えば、エリとアンテロープもありますね。
でもまぁアレは別に気にしなくていいんじゃないですか? 強いて言えば起爆剤ですが、ついでのようなものですw
さて、ストーリーがまた一つ進みました。これにより「ネイムレス」一番の謎――バーグに一歩近付いたということになります。
伏線というほど大層なものでもありませんが、嘘をいくつかバラ撒いています、そしてこれからもバラ撒いていきますので、適当に推理してみてください。
それでは今回はこの辺で失敬します。
最後までお目を通してくださいましてありがとうございました。
ゆっくりと休んでください。
いつかまた会う日まで、さようなら。