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ネイムレス  作者: 吹岡龍
第二章【闇に生きる友人 -Genius in the Dark-】
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〔七〕

「…何だここ、ホントに真っ暗だ」


 思わずそう零したのは早河誠だ。彼は洞穴の内部に侵入していた。

 そこは入り口付近こそは鍾乳洞のような自然の洞穴に見えたが、進めば進むほど人の手が加えられていた。

 行き止まりには隔壁と呼べるような厚い自動扉がある。開くと無数の資料が落花狼藉の有様で散乱した一室に辿り着いた。その上、ヴォノフの言うとおり、一切の光が遮断されていて、ゴーグルの暗視装置が無ければ立ち尽くすことすら危ぶまれる闇が広がっていた。

 誠は資料を拾ったが、全て英文で読めなかった。歩を進めると、背後で扉が閉まった。ギョッとして振り返るのも束の間、また背後で音がした。再度振り返ると、生暖かい空気が顔を撫でた。

 部屋の先に、もう一つ空間がある。今のは扉が開いたのか。そう解釈した誠は、臍を固めて突き進んだ。扉を潜ると、目を疑った。踏み出した先はキャットウォークで、そこに造られているのは縦長の空間――十メートルほど下には、確かに白衣を着た連中が、電球一つ付けずに、せっせと作業に勤しんでいた。

 呆ける誠に、「ど、どなたですかな…?」と白衣の一人が問いかけた。一斉に見上げる彼らの目は、どれも怯えきっていた。


「アナタ達、ここで何をしているんですか…?」


 誠は堪らずゴーグルを外すと、腰のポーチから懐中電灯を取り出し、点けた。するとすぐさま、「ば、ライトなんて点けるな!」と彼らは声を荒げた。どよめき、本当に止せと口々に叫んだ。

「え…?」と咄嗟に光を天井に向けた直後、右の横腹を何者かに蹴られ、吹っ飛んだ。壁に激突すると、白衣の連中がいる最下層へと真っ逆さまに落ちていった。

 朦朧とする意識の中、奇襲の主がキャットウォークから飛び降り、近付いてくるのが見えた。


「追いかけっこもここまでだ、マコト」

「レーン、ここは何だ…?」


 レーンは答えない。あの高さから下りても、まるで階段の段一つ下りたのと変わらないような顔をして、金色だけを冷酷に光らせるばかりだった。




「待て、ウヌバ!」


 暗がりで余計に判別できなくなった弟子を、師匠が呼び止めた。彼は足元の資料を一枚拾うと、暗視装置を使って斜め読みした。


「何らかの研究資料だ。あぁクソ、化学式ばかりだな」


 頭を掻く彼の真似をして、ウヌバも資料に目を通した。一枚、二枚と拾うと、それらに埋もれて一際厚い本を見つけた。中程に付箋が貼られている。


「マスター、コレ…」


 そうウヌバが差し出した本のページに記載されていた太字を、セロン・ネーヴェマンは読み上げた。


「……〈フラカン〉?」

「…火ト嵐ノ神、マヤ神話」


 ネーヴェマンは閃いたように、手元の資料を読み比べた。そこには〝フラカン〟という記述が多数見受けられ、複雑な化学式や分子の構造モデルが図示されていた。


「まさか、化学兵器か…?」


 さしものウヌバも眉根を寄せた。

 ネーヴェマンは急いで他の資料にも目を通した。その内の一枚には、釘付けにならざるを得なかった。


*   *   *


「鬱陶しいわね! 離れなさいよ告白魔!」


 矛盾という有名な故事がある。お前の売る最強の矛で、同じく最強の盾を突けばどうなるのかというものだ。それは商人の誇大広告を皮肉った、辻褄の合わない言動や事象を的確に表している。

 矛として最高の出来、盾として最高の出来であると銘打っておけば、その商人は恥を掻かずに済んだに違いない。何故なら、意地悪な客に同じ問答をされても、拮抗するという回答がまかり通るからだ。

 エリ・シーグル・アタミとアンテロープの攻防は、まさにそれだった。

 同じ合金〈オリハルコン〉製の刀とアームガードは、拮抗という時間を重ねていた。


「美しい、綺麗だ、エリさん!」

「そう思うなら、その物騒な物仕舞いなさい!」


 二振りの刀を巧みに扱うエリだったが、未だに相手に傷一つ与えていなかった。アンテロープは両腕両足に〈オリハルコン〉の盾を仕込んでおり、刀の放つ高熱を凌いでいた。

 それだけ聞けば、あたかもエリがアンテロープを追い詰めているように聞こえるが、実はそうではない。

 一方的に彼が彼女に詰め寄り、その最中に振り回される刀を盾で防いでいるという構図だ。加えて、彼女の太刀筋を鈍らせるのは、彼の異様なまでの言葉責めにあった。


「滴る汗、踊る髪、長い手足、小さな胸――」

「胸は余計でしょ!?」

「全て私好みだ! 私の理想の女性そのままだ!」

「気色悪い! あっちいけぇーーーっ!!」


 エリはもう、半泣きだった。




「何だ、今の声…?」


 まさに犬のように耳を立てるが如く、ケンは頭を擡げた。

『ケン、集中しろ!』と通信機で叫ぶのはデファンだ。彼はケンの後方から狙撃に専念している。


「うるせーよ! こっちはテメーと違って仕事が堪ってんだよ!」

『ふん、器量が知れるな』

「てんめー、もっぺん言ってみろコラァッ!」

「お前達やめろ! シュテンはいつもこんなのをお守りしてるのか…!?」


 カウスは敵にラリアットを食らわせるとそう嘆いた。


「へっ、あのオッサンの頭見れば分かるだろ?」

「ケン、俺は剃ってるんだと何度言えば分かるんだ。ストレスではない!」


 駆け寄ってくる酒顛を、ケンは鼻で笑った。彼の到着に気付いていたようだ。


「遅いぞ、シュテン!」

「すまんな、足場が不安定で満足に鬼になれんのだ。それに…来るぞ!」


 遠くでポニーテールが揺れている。それがこちらに近付いて見えるや、彼女を追う男が拳銃を放った。直後、目の前の雪が弾け、高い飛沫を上げた。まるで爆撃のような突風が身を包んだ。


「何だ!?」

「あぁん、もう! コイツ超しつこいのぉっ!」


 エリが子供のようにべそを掻いて駆けていってしまった。アンテロープは猛然と追いかけたかったが、ネイムレスの兵達が屯している叶わない。岩肌を跳ね登り、一同を俯瞰した。彼らの周りには、自分の部下――PMCの精鋭達の屍がいくつも横たわっていた。


「何だアイツ? ヤギか何かか?」

「いいえ! 私の名はアンテロープ! 最強の足を持つ男!」


 もはや劇場染みた演出まで持ち込む彼は、「そしてコレは〈ヴァーユ〉! 最強の火力を持つ、拳銃です」と銃口を向けた。にやりと笑って引き金を引くと、またもやケン達の足元が炸裂した。

 畳を反したように白い壁がせり立ち、視界を遮る。アンテロープはその隙に忍び寄り、一番手近な男に蹴りを放った。まずは小手試し程度に、首を折るのに充分な力を籠めた。

 しかし相手――ケンは、視界に頼らず、音と臭いだけで回し蹴りを受け止めた。


「最強の…何だって?」

「やりますね。ですが、男には興味が無いんですよ。それにアナタはどうにも気に食わない」


 鬩ぎ合い、「あぁ?」とケンは眉を波打たせた。

 男は片足立ちのまま訊いた。


「アナタ! エリさんとどういう関係ですか!? 私の直感がどうにもザワつきます! そう、片思いの相手に男の影がチラついてヤキモキする感じです!」

「は……はあああっっっ!?」


 意味不明だった。理解不能だった。開いた口が塞がらなかった。

 ケンの様子はさて置き、コレはチャンスと、エリはポンと手を打った。アンテロープが飛び退いたところを見計らい、ケンの腕に抱きついた。


「いやぁん♪ ケンきゅんったら、すっ呆けちゃって♪」

「はあぁああああっっっ!?」

「昨日もアッつい夜を過ごしたじゃない♪ さっきだってぇ、作戦前に皆に隠れてあんなことやこんなことをん…♪」

「はあああああああああああっっっ!?」


 もう何も言えなかった。顔だけが妙に火照って気持ち悪かった。今まで味わったことのない羞恥心に動転していると、(馬鹿、話合わせなさいよ! こっちだって恥ずかしいんだから!)とエリが耳打ちした。

 すぐに解釈した彼は、男をストーカーに見立てて口裏を合わせた。


「……そ、そうだなー。しかしアレだなー、内緒にしてなくて良かったのかー?」

「だってぇ、ストーカーに誤解されたまんまじゃ気持ち悪いんだも~ん♪」


 戦場でスキャンダル発覚という空前絶後の事態に、「嘘だろ、マジなのか?」とアッサーラは酒顛に問いかけていた。酒顛は肩をすくめる。彼の目には、可哀想な男二人が小悪魔に弄ばれているようにしか映っていなかった。

 しかしながらアンテロープには効果抜群。うふふアハハと、棒読みながらイチャイチャするバカップルを羨ま…もとい、憤慨していた。


「ゆ、許せません…! エリさんと、あんなことやこんなことやそんなことまで!!」

「いや、そんなことまではしてないわよ」

「私もしたい! 間男扱いでもいいから!!」


 低俗なセリフに、エリは言葉を失くした。

 続いて、彼の標的は恋敵に変更された。


「そこの銀髪の人、名前を」

「は?」

「お名前をおおっ!!」


 男の必死な様子に思わず負けてしまい、「ケンだ、雪町ケン」とつい口を滑らせてしまった。「お前も何で言うんだ!?」とエリと並べて酒顛がツッこむが、「いやだって、アイツがスゲー訊くから…」と彼女同様の弁明をするほかなかった。

 そんなコントのようなやり取りだったが、突然笑い出すアンテロープに一同は身構えた。


「ユキマチ…? ハハ、ハハハハハ!」

「………」

「よりにもよってあのユキマチですか! お噂はかねがね伺っておりますよ! 伝説の男――セイギ・ユキマチの武勇伝!」

「………」

「それで、アナタの足はどうなんですか? アナタは彼の近親者と見えます。アナタの足にも、彼と同じセンスがあるんじゃないんですか!?」


 ケンは、エリの腕を引き剥がすと、「ねぇよ」と否定した。

 エリはそろりそろりと彼から離れた。彼の目に苛立ちと殺意がギラギラと立ち込めていたからだ。触らぬ神に何とやらだ。


「ほぉ、それは残念ですねぇ」

「だが、持ってる奴は知ってる。それにそいつと張り合ったところで、テメーじゃ足元にも及ばねぇぞ」

「…?」

「《韋駄天》は誰にも止められねぇ。使い手が、クソ頑固なガキだからなぁっ!」


 自分で言っても反吐が出たようだ。

 立てば雷、座れば火山、歩く姿は暴風雨。今のケンは、無粋な輩に逆鱗を触れられた大いなる龍だった。


*   *   *


 壁に背をつけ、立つこともままならない。痛い。とても痛い。

 レーンが次第に近付いてくる。指一つ動かそうものなら飛び掛ってくるだろう。


「答えて…くれないんだね」

「ならばどうする。力尽くで聞き出すか?」

「そうさせてもらう!」


 キャットウォークから降り注ぐ強気な声に、レーンは眉一つ動かさなかった。

 すぐさま空間を冷やし始めるネーヴェマンに倣い、ウヌバも腕を正面に伸ばした。彼らの創る氷が、誠とレーンを隔てる高い壁となった。

 空気が乾く。レーンは氷の奥の誠から意識を逸らさず言った。


「…そこの黒人、忠告しておくぞ。一度でもここで炎を使ってみろ、マコト諸共死ぬことになるぞ」

「あぁ、資料は斜め読みさせてもらった! 開発しているのは〈フラカン〉と言うそうだな!」


 白衣の研究者達がどよめき、逃げ惑う。しかし動くなと語気を強めるネーヴェマンに圧倒され、数名が腰を抜かした。


「恐ろしいことを考えているじゃないか、坊主!」

「どういうことですか!?」


 誠が問う。「ん? コイツはなぁ――」と言いかけて、事態が動いたことに気付いた。レーンがいないのだ。

 タンタンと軽い音がする方に目を向ける。そこにはレーンの姿があったが、常軌を逸していた。

 彼は重力を無視したように壁に二、三度足をかけると、キャットウォーク特有の網目状の足場に指を掛け、さらにはそこを支点に足を持ち上げた。一連の流れで運動エネルギーは死なず、指を離すことで宙を舞った。さながら伸身のムーンサルトを決めるように足場へ着地するや、ネーヴェマンと肉薄した。

 しかし最も度肝を抜かれたのは、この星の無い宇宙のような暗闇を、暗視装置も無しに的確に移動していることだ。

 見えているのか。そう思わず腰を引いたのが運の尽きだった。レイピアが二の腕を叩く。四角い断面を持つそれを上下に繰り返し撓らせるだけで、ネーヴェマンの太い右腕は軽々と切断されてしまった。


「黙っていろ、下種めが」


 赤い血が噴き出すよりも速く、レーンは彼の身体を蹴り倒した。腹を踏み、自分の手首を返す。切っ先が下に向き、激痛に喘ぐ氷男の喉下を狙う。

 それ静観していられるウヌバではなく、雄叫びを上げると腕に纏った氷のハンマーで彼を攻撃した。

 対するレーンは、先程の逆再生のように宙を舞い、華麗に飛び降りた。


「マスター!」


 ウヌバが声をかけ、ネーヴェマンの腕を止血する。

 その様子を見上げていると、背後から急速に何かが迫った。左手を背中に回し、レイピアの特徴的な鍔――椀鍔(カップ・ヒルト)でもって、相手の剣を受け止めた。相手が弾丸のようなスピードだった為、背骨を砕かれる覚悟もあった。

 しかし、与えられた衝撃は、子供騙しにもならないほどの弱さだった。

 レーンはレイピアを〈エッジレス〉と競り合わせながら、誠と向かい合った。

 ずぶの素人である誠は、ここからの展開をまるで考えていなかった。とりあえず鍔迫り合いを演じているが、攻撃手順が分からない。引けばいいのか、押せばいいのか分からない。さらには勢い任せに剣を振るってしまったことにさえ怯えてしまっていた。


「そんなやる気の無い剣で!」


 レーンは誠を押し退けた。そして間髪を容れず、突いた。

 誠は咄嗟に《韋駄天》で逃れるが、レーンの足も速く、動きを止めるとすぐに追いつかれてしまった。

 暗闇に金属音が連続する。この空間で、レーンだけが暗視装置を使っていなかった。そして最もよく動き、優位に事を運んでいた。

 逃走に次ぐ逃走と、〈エッジレス〉の広い刀身で猛攻を凌ぐが、壁際に追い込まれるとどうしようもなかった。

 ようやく動きを止めた彼に、レーンはゆっくりと近付く。金は残酷な輝きを増している。

 焦眉の急。もう駄目か。そう思ったところに、耳元でブザーが鳴った。壁がスライドし、背中の支えが無くなった。扉が開いたのだとすぐに解釈し、その奥へ逃げた。

 そこもまた、広い空間だった。

 扉が閉まり、電気が点いた。突如明るくなり、誠はゴーグルを外した。扉の方を見ると、レーンが配電盤を操作していた。

 いくつか長机が並んでいる。フラスコやビーカーといった実験器具もあれば、可燃性やら急性毒性やらを示すマークがあしらわれた大きな木箱が、端の方にいくつも放置されている。それ以外はだだっ広く、体育館のようだった。


「…っ!?」


 突然の明かりのせいか、急に頭が痛くなった。耳鳴りもする。キュッキュッと忙しない音が響く。雑踏のようで、複数の若い声の狭間に、ダウンダウンと何かが弾んでいるようだった。これは、一体…?

 眉間を押さえていると、「マコト、いい加減に諦めろ」とレーンが言った。


「それはこっちのセリフだよ!」

「僕は止まらない。たとえ父の命令でも、僕はこれだけは止めない」

「ここで研究しているのは何なのさ、教えてよ!」


 その問いに答えたのは、レーンではなかった。手に持ったゴーグルから、苦しげな声が漏れる。ネーヴェマンだ。


『へ、兵器の名は…〈フラカン〉。それは…強い光を浴びるだけで燃える、油よりも危険な…液体だ』


 誠はゴーグルを掛けず、携帯電話のように耳に当てて聞いた。「油より…?」と口に出すと、レーンが図星を指されたように舌打ちした。


『誰の発案かは知らんが、恐ろしいことを考える。奴らはコレを使って、アメリカを火の海にするつもりだ!』

「火の海だなんて、そんな…!!」

「いらないことをペラペラと」


 色をなしたレーンは踵を返した。扉に向かうらしい。

 ネーヴェマンを殺すつもりだと察した誠は、急いで彼の行く手を阻んだ。


「ア、アメリカを燃やすって…本気なの…?」

「コレを、金持ちの道楽だと思うのか? 下劣だと思うか?」


 レーンは押し通る代わりに、長机の方へ歩いた。そこで珍しい黒い試験管を手に取った。


「本当の下劣というのは、〈ネオ・アルゴー〉の出資者達のことを言うんだ」

「それはキミのお父さんもそうだろ?」

「父がアレに出資したのは、船の完成を早め、目障りなビリオネア共を抹殺することにあった。父は清廉潔白な男でね、あぁいう穢れた連中が嫌いなんだよ」


 試験管を落とす。砕け散った黒いガラス片を誰に見立てたのか、レーンは見下すように踏み潰した。


「元々あの船には爆弾が詰まれる予定だった。しかし僕がそれを中止させ、ネイムレスを誘き寄せて一網打尽にするという計画に書き換えた。その筋書きにはメギィド博士もご満悦だったよ。進んで協力してくれた。それは都合が良かったよ。キミらを裏切り、その最中に死ぬことは解っていたからね。こちらが始末する手間が省けた」

「解っていた…?」

「〝直感〟が、そう働いたのさ」

「博士はキミとどういう関係だったの」

「ただの知人さ。〈フラカン〉の生みの親であり、ここの研究員を紹介してくれた。恩人や、パートナーとも言える。しかし彼は我欲が強過ぎた」

「だから見捨てたの? 殺されることが解っていたのに」


 誠は拳を握った。

 メギィドは許せない男だった。しかし、死ぬことは無かったとも思えるのだ。生きて、罪の償い方を模索するべきだったと。


「僕は、他人の命に関心が無いんだよ」

「だったら! 何であの赤ん坊を助けたんだ!」

「気まぐれさ」

「あの時のキミは、助けることに迷いが無かった! 気まぐれであんなことをするはずがない!!」

「それでも、気まぐれだったのさ。あの一日は、僕の気まぐれから始まった。あんな風に余計なことを考えついてしまわなければ、こうしてここで、キミと相対することはなかった。そう、あの一日は、僕の予感が的中する最たる証明になったが、僕の人生における二つ目の汚点となってしまった」


 直感、予感と、また曖昧な表現をする。

 誠は息を呑み、問いかけた。


「キミは、何者なの…?」


 レーンは深く目を閉じた。


*   *   *


「坊ちゃんは素晴らしいですよ。彼は全てを予測される!」


 アンテロープは一人、ネイムレス相手に奮戦していた。今もまた、〈ヴァーユ〉が轟音を奏でた。目にも止まらぬ速さで直進するそれは、ヴォノフと呼ばれる男を上下真っ二つに弾き飛ばした。

 青筋を立てるケンに殴られるも、頑丈なアンテロープは口を止めなかった。


「予測というのは語弊がありますか。全ての現象は、〝存在〟から始まります。また存在は〝発生〟でもある。坊ちゃんはその〝発生〟から〝展開〟、〝収束〟に至る過程を先読みし、それに見合う的確な対処・行動をされる。故に彼に死角は無く、全てが彼の思いのままだ。加えて彼は、天才だ!」


 エリはようやく理解した。

 船でのことだ。《サーマル・センサー》を使って彼を見ると、彼からは妙な色が溢れていた。特に脳からはまるで触手のように、虹色の光が形を変えながら伸びていた。

 アレは脳波なのかもしれない。通常、人の熱によってそんなものは見えないし、電磁波でもないそれは、単なる微弱な電気的信号に過ぎない。しかしヴォノフのようなヘレティックがセンスを使うと、似たように変わった色を見ることができた。

 あの触手は、彼の感覚そのもの――俗に感応波と呼ばれる類が形を成したものだ。

 だとすれば、ネーヴェマン達が危ない。

 エリは口中で、少年の名を叫んだ。


*   *   *


 膠着していた状況は、レーンの行動によって、再び動き始めた。ファンデヴという、大きく踏み込んでからの突き攻撃が、誠を襲ったのだ。


「そんなに怖がるのなら、剣など持ってくるな。部下にやったように振るってみせろ!」


 誠は例によって逃げるだけ。「それじゃあ殺し合いになる! ボクはキミを止めに来たんだよ!」と言うものの、その手段が思いつかなかった。

 下手に近付けば殺される。加減しなければ殺してしまう。究極の一長一短のジレンマだ。


「しつこいな、キミも」

「キミの本当の気持ちが分からないんだ。あの日逢ったキミは普通の少年だった。格好良くて、頭が良くて、優しい男だった。ボクはすぐに憧れたよ。キミみたいに誰の支えも無く、ちゃんと二本の足だけで立てるようになれたらって。だからきっと、シェイナだって、キミのことが…!」

「そのシェイナ・ペレックはキミを心配していたぞ、突然姿を消してしまったとな」

「話したの!?」


 レーンは胸ポケットからスマートフォンを取り出した。メールボックスには、シェイナとのやり取りが残されている。しかし彼は、「もう話さないさ!」と言って、それを握りつぶした。

 彼の手が、血で染まる。


「僕はもう、誰にも心を許さないと誓った。父以外の誰にも!」

「シューベルさん…」

「父は、優しい人だ。そして、誰よりも偉大だ」


 そんなに知りたいのなら教えてやるといった具合に、レーンは自棄になっていた。

 苛立つ。こんなにも苛立ち、こんなにも不愉快なのは初めてだった。


「父は、今から三代前の合衆国大統領と旧知の仲だった。彼の当選は、父の援助無くしては有り得なかったほどだ。ある日彼は、とある話を父に持ちかけた」


 父が話してくれた真実を、少年にそのまま伝えた。


「簡潔に言えば、超能力者の撲滅に力を貸してほしいということだった」

「超能力者って、もしかして…」

「そう、僕らヘレティックのことさ」

「そんな。でも、アメリカは――」

『マコト…! それ以上は組織法に拘るぞ!』


 腰のポーチに仕舞ったゴーグルが大音声で口止めする。

 肩をすくませる彼に助け舟をやるつもりでもなかったろうが、レーンは言った。


「彼は、ネイムレスの存在を暴露したよ。その上で、父に話を持ちかけた。彼は、ヘレティックが人間の支配を画策していると言った」

「そんなはずは――」

「キミの意見なんてどうでもいい。重要なのはコレからだ。知りたがったのはキミだろう、黙って聞いてもらいたいものだ」

「………」

「彼は父の資金力で、ヘレティックの撲滅を目的とした秘密の機関を設立しようと考えた。眉唾だと父もさぞや思ったことだろう。決断を急かされながらも、父はその話を一度持ち帰った。それから三日後、元大統領は暗殺された。公には急性のアルコール中毒とされたが、父は言う、アレは毒殺だったと」


 アメリカのみならず、そのニュースは世界に伝播された。メディアは、大統領を二期務め、麻薬の撲滅や差別問題に積極的に取り組み、外交でもその手腕を遺憾無く発揮した彼を大きく讃え、報道した。その反面、毒殺であるとする記事も少なからずあったが、それは彼の女性遍歴などにスポットを当てた、単なるゴシップに留まった。

 しかしシューベルだけは真相を知っていた。


「ならば次は自分が死ぬ、父がそう思うのは当然だ。知ってはいけない秘密を知りながら、ネイムレスとやらが生かしておくわけがない。しかし彼は襲われることすらなかった。代わりに大物の資産家が急死した。その資産家は、父の後に彼に会っていたらしい」

「それって」

「そうだ、父は命拾いをした。以降、父は口を噤んだようだが、事態はそう易々と進まなかった。ヘレティック撲滅計画は、任期を終えた大統領に代々受け継がれる計画だった。国の長老となった彼らは、本来の意味での元老院を秘密裏に創設し、対ネイムレスの特殊軍事機関を陰で機能させていた。彼はその機関に新たな研究部署を創る為に、父に近付いていたらしい」


 彼はおもむろにレイピアを目の前に立てた。

 その動作に誠は肌を粟立たせたが、彼はレイピアを見つめ、睫毛を震わせるだけだった。


「一年後、僕が生まれた。しかし父は、僕が人間でないことを知る。僕は生後二ヶ月でずりばいを覚え、半年を待たずに二本の足で立っていたそうだ。僕自身も、一歳の頃から記憶がある。そして何より、言葉を覚えたばかりの僕は、母が病を抱えていることを指摘した。それが的中したことで、父は確信を得ることになった」


 半信半疑だった。母カトレアは、彼にしつこく指摘される内に不安になり、病院で検査した。そこで、脳に腫瘍があることが判明した。


「母の身体の中を見たわけではない。ただ、僕の感覚がそれを感知したまでだ。僕のセンスは、周囲の情報を知悉し、そこで起こり得る事態を精確に知覚する能力だ。銃を向けられれば、そこから放たれる弾の軌道も解るし、背後から撃たれてもそれに対応し得る反射能力が、この身には備わっている。あのベビーカーが坂を転がっていくのも、このセンスがあってこそできたことだ」


 僕はこれを、《超直感》と呼ぶ。

 誠は、彼に頬を触れられたような感覚を覚えた。しかし距離は遠い。手をいくら伸ばしても届く距離ではない。他に雑音があったら、会話さえままらないほど離れている。


「母の死後、父はより頭を抱えていた。〝人間ではない何か〟である僕をどうするかということだ。アメリカやネイムレスがこのことを知れば、自分の身にも危険が及ぶことは明白だったからね。しかし父が選んだ道には、僕でさえ驚いた。僕は自分を普通でないことを解っていたから、余計にね」

「お父さんは、どうしたの…?」

「解りきっているだろう。父は、アメリカとネイムレス双方を駆逐する道を選んだ」


 だから〈フラカン〉。

 だからその標的はアメリカ。


「父は僕を守ると言ってくれたんだ。その為には命すら投げ出すと言ってくれたんだ。だから僕は、父の愛に報いる為に、ここでこうして、キミと対峙している…!」


 今度は肩を突かれたようだった。気迫か、それとも勝手に恐怖しただけか。想像もつかないが、一つだけ理解できる。

 レーン・オーランドの心は今、殺意に満ち満ちている。


「解ったか!? 僕はキミの言葉に耳を貸すつもりなど無い! 父の願いの成就こそが僕の唯一の願いだ! その邪魔をするならば、キミにも死んでもらう!」

「レーン!」


 清芽の言葉が過る。しかしどうすればいい。決断しろと言うのか。

 彼を、殺せと言うのか。

 アメリカの為に。死ぬかもしれない命の為に。

 できない。できるわけがない。あの部下のように、気絶させるほかにない。


「殺す気も無く――


       誠は駆け抜けた―レーンの背後に向かって―ただひたすらに―我武者羅に―脇目も振らず


     ――そのナマクラは、僕の神経を逆撫でさせる!」


 彼は《韋駄天》中の誠を、目で追っていた。さらには腰を捻り、レイピアを構え、〈エッジレス〉を受け止めていた。

 後頭部狙いの誠の攻撃は、彼にはまるで通用しなかった。

 誠は急いで離脱した。


「逃げ足だけは一流だな、マコト!!」

「レーン、ここで造っている物を今すぐに廃棄して! アメリカを燃やそうだなんて正気じゃない! キミは、人を殺すということがどういうことか解っていない!」

「キミよりかは理解しているさ。経験も無いようなキミよりかは、遥かに!」

「人を殺して、偉そうなことを言っちゃいけない!」


 今度は正面から挑んだ。一瞬で距離を縮めれば目が眩むはず。

 だがそれも読まれる。〈エッジレス〉を掴まれ、「青臭い!!」と鳩尾に膝を入れられる。

 ボディアーマーが衝撃を和らげる。誠は冷や汗を滲ませながら、レーンの肩を掴んだ。


「キミのお父さんは酷い人だ! 子供にこんなことをやらせるなんて!!」

「父を侮辱したなっ、マコトぉっ!!」


 頭突かれた。首が縮んでしまうかと思ったくらいだ。

 誠はようやく手を離し、仰向けに倒れた。今がチャンスであったが、レーンは動けなかった。眉根を寄せて、「…キミは、何か妙だ」頭が触れ合った時に違和感を覚えた。


「初めて逢った時から思っていた。キミも、脳に何らかの異常があるように見える…」


 母と、同じように。

 ゆっくりと目を開けた誠は、〈エッジレス〉を杖のように支えにしながら立ち上がった。


「……ボクには、記憶が無いんだ」

「………」

「お父さんのことも、お母さんのことも、あまり覚えていないんだ。だけど覚えていることが一つある。二人とも、とても優しかったんだってことだけは!」


 右へ左へ剣を振り回す。躱されても《韋駄天》で背後に回り込んで、繰り返した。


「キミのお父さんのように、実の子を人殺しにするような人達じゃなかったって!!」


 また視界から消えた。今度は目で追えない。そう判断し、対策を練り、身体を反応させるのに要する時間は、《韋駄天》を凌駕していた。

 切っ先を指で抓む。刀身をU字に曲げ、腰の力も借りつつ指を離す。これは本来、一体多数や四方からの銃撃を想定して考案した技だ。回転と共に相手を切り刻む様は、とぐろを巻いた蛇に似ている。

 誠の顔に、首に、腹に、骨を裂くほど深い一文字が刻まれた。

 痛い、痛い、痛いっ!!

 悲鳴を上げたかったがそれどころじゃない。今やるべきことは、足を動かすことだ。《韋駄天》を発動させることだ。以前に言われた、耳にタコができるほどに言い聞かされた。《韋駄天》を使えば、どんな傷も立ち所に治る。だから怪我をしたら迷わず走れと。

 逃げる為に一歩引く。すると痛みも少し引いた。だが、レーンはそれを許さなかった。

 彼は誠の腕を掴むと、その細腕からは想像できない怪力で引き寄せ、最寄の壁に投げつけた。

 壁は岩が剥き出しになっている。ごつごつとした壁に背中を打ち、ついでのように後頭部にも激痛が走った。脆い岩が崩れたその時、鎖骨の下から燃えるような激痛が迸った。

 レーンがレイピアで深く、深く、刺している。


「ぎゃあああああああああああああああああああああっ!!」

「マコト。キミはネイムレスですらないようだな」


 痛みから逃れれようと、レーンの腕に爪を立てるが、彼はさらに押し込むばかりだった。


「アメリカの行ないを黙っていられるか? 奴らは、ヘレティックを根絶やしにしようとしているんだぞ」


 問うても、誠は絶叫を返すばかりだった。

 ただの少年を虐めているような気分になったレーンは、レイピアを抜いた。

 誠は傷口を抑えて倒れた。足に力を入れようとするが上手くいかない。追い討ちのように意識が朦朧としてきた。

 そこへ、雫が落ちる音が響いた。銀の針を濡らす、赤い雫だ。それをぼんやり眺めながら、誠は一言つぶやいた。


「……関係無い」

「何?」

「ネイムレスとかREWBSとか…、ヘレティックとかノーマルとか…、アメリカの陰謀とか。そんなもの…ボクには関係無い。人殺しは人殺しだ。ボクはそれが許せないんだ」

「キミは、ノーマルに加担するのか?」

「…レーン、嘘をついちゃいけない」

「………」

「キミだって関係無いと思ってるんだ。誰だろうと、お父さんの邪魔をするなら排除するつもりなんだ。確かにアメリカに端を発したのかもしれない。だけどキミ達は最初から、大切なものの為なら他を蔑ろにしても構わないと思っている、冷酷な親子だったんだ」


 衝動に駆られた。堪忍袋の緒が切れた。

 蹲るように左の頬を地面に付ける彼の顔を、加減も無しに蹴りつけた。

 ぐちゃりと潰れた音がして、頭の芯から冷えた。しかししまったと思ったのも少しで、すぐに平静を取り戻した。

 冷酷な息子である自分を、取り戻した。


「そうだよ、マコト。僕らはもう、誰の犠牲も厭わないと決めたんだ。だから父は、裏でREWBSとして活動していたPMCを買収して、兵力をかき集めた。僕に戦いを止めさせたかったのかもしれないね。だけど僕の存在意義は、父の願いの為にしかない」


 深く目を閉じ、ゆっくりと明けた。

 その動作は、全てを跳ね除ける(まじな)いだ。


「さようなら、マコト。キミの身に起きた不幸を、心から不憫に思うよ」


 踵を返す。もう彼のことは忘れようと思った。潰れたスマートフォンが床に転がっている。そうだ、彼女も忘れよう。あの日出逢った全ての人、全てのことを忘れてしまおう。

 レーンはまた目を閉じた。歯を噛んで、閉じた。滑稽だと思うことも、全て忘れようとした。


「オレの話は終わってない」


 背中を打つ声に、全身が痺れた。

 油断した。そう思うもよりも、疑問の方が強かった。

 彼の口調が変わっている。

 振り返ると、殴られた。硬い拳で、脳を揺らされた。しかもそれは、振り返るのと逆――正面からだった。


「言ったはずだ。お前は止める、オレが止める。もう、手段は選ばない…!」


 直後、レーンは壁に激突した。骨が軋む――直後、後頭部を殴られ――直後、腹に刃の無い剣が捻じ込まれた。

 受身を取ったレーンは舌打ちし、久々に口から垂れた血を拭った。顔を上げると、遠くに誠の姿があった。その顔付きは、さっきまでの甘く、頼りない容貌ではない。少しガサツで険のある、常に斜に構えたような少年の顔だ。

 しかしその姿こそが彼らしいと、レーンは思った――直後、誠が急迫した。

 彼の目は、怒りに燃えたように紅かった。




 応急処置は済んだ。止血剤と増血剤を患部近くに打ち、傷口は特殊なシートで包帯のように包んだ。


「ウヌバ、助かった」


 ネーヴェマンはそう言って、弟子の頭を撫でた。

 弟子は不甲斐ないといった顔をして、俯くばかりだった。


「なぁウヌバ。俺は、お前の為に何かをしてやれただろうか」


 首をかしげるウヌバをよそに、ネーヴェマンは立ち上がった。手すりで身体を支え、

下階の研究者達を見下ろした。

 彼らは誠達が扉の向こうへ消えてからも、メドゥーサに睨まれて石像になったように、その場から一歩たりとも動かなかった。無抵抗で従順なのは良かったが、彼らが開発している〈フラカン〉は恐ろしい代物だと思った。

 資料にはこう記されていた。


〝深夜にトラックから〈フラカン〉を垂れ流し、走行する。大陸各地でこれを行ない、日出までに完了する。太陽光にのみ反応するよう改良された〈フラカン〉は、日の入りと共に引火する。東から徐々に火が回り、数日、あるいは数週間に渡り燃え続けるだろう。各地で混乱と消火活動が多発することが想定されるが、それも徒労に終わるだろう。

 〈フラカン〉の炎は水を使っても消えない。現在の実験では、数時間に及ぶ無酸素状態に晒す他に、確実な消化の手立ては無い。氷で圧迫し、マイナス三十度以下に設定した特殊な冷凍庫で保管すると、無酸素状態の倍の時間で鎮火に至った。しかしそれは冷凍作用によるものか、圧迫したことにより擬似的な無酸素状態を作られた結果かは不明。検証を重ねる必要がある。

 現在は蛍光灯ですら引火してしまうほどの過敏性を有している。我々は禍根の残る原子力依存からの脱却と、新たな半永久エネルギーの開発に邁進する所存である。

 その為には先進各国へ、原子力に勝り、かつ比較的クリーンな〈フラカン〉という名の炎を提示しなければならない。その為に助力を下さったメギィド博士、並びにオーランド氏に感謝の意を表したい。ありがとう、アナタ方は私達の最たる友である〟


 ここの研究者達にも、相応の目的や志があったようだが、組織の一員としてその使用方法を認めるわけにはいかない。ネーヴェマンは、連中に叫んだ。


「即刻〈フラカン〉を廃棄しろ! さもなければ――」


 ネーヴェマンから語次を奪ったのは、何かが壊れる大きな音と、突如射し込んだ強い光だった。

 〈フラカン〉の過敏性は確かだった。記述の通り、強い蛍光灯の光に反応し、ビーカー内部の〈フラカン〉が突如火柱を上げた。

 それが連鎖反応を起こし、次々燃え上がっていく。暗い室内に光が宿り、それはたちまち爆発を生んだ。

 これは不味いと思う最中、扉を押し破った主が、金髪の少年に猛攻を加えていた。


「あの戦い方、セイギ・ユキマチの…!?」


 凄まじい光景だった。レーンの周りに、いくつもの誠がいて、それぞれが彼に〈エッジレス〉を振るっていた。一人が現れると、一人が消えてといった具合で、輪唱を絵に描いたようだった。雪町セイギも、あのような戦術で難敵を追い詰めていた。

 しかしレーンも負けず、恐ろしいまでの身体能力を備えていた。誠の動きに合わせて手足を動かし、それがまた千手観音のように、肩から何本も生えているようだった。

 あの子が、互角に戦っている。

 ネーヴェマンはゴーグルの通信機を作動させた。


「ウヌバ、今は消火に専念するぞ。ドウジ、誰かを避難誘導に寄越してくれ!」

『無茶を言うな! こっちも手一杯だ!』


 爆発音が連続している。こちらでも炎が勢いを増している。フラッシュオーバーだ。しかし並ではない。それは岩をも焦がすほどの火力だった。


「くそ! マコト、もういい! 退避しろ、急げ!!」


 誠は足を止めない。レーンに付けられた傷はすでに癒え、それが痛みによる恐怖を遠ざけ、更なる加速の要因となっていた。


「聞いてるのか、マコト!!」


 彼は見向きもしない。炎が勢いを増し、轟々と音を立て、研究者が悲鳴と共に逃げ惑うが、それでも聞こえないはずはなかった。

 集中しているから?

 違う。今の誠は、誰の言葉にも耳を貸すつもりはないのだ。


「マコト、キミは……?」


 レーンはいつしか壁際に追い込まれた。さっきとは全く逆の光景に、苦笑する気すら起こらなかった。


「見ろ、レーン。この炎が人を殺すんだ。お前はそれで満足かもしれない。でもそうすれば、多くの人が悲しむんだ。何でそんな簡単なことに目を向けられないんだ!」

「何度も言わせるな。僕は父が良ければそれでいい」

「そんな男は父親なんかじゃない! ただの飼い主だ!!」

「それでも構わない!!」

「ふざけるなぁっ!!」


 〈エッジレス〉が壁を穿つ。レーンは辛うじて躱した。


「マスター!」


 氷による消火活動も困難だった。いくら厚い氷で押し付けても、外から別の炎が圧し掛かり、見る間に溶かしてしまう。


「…ウヌバ、二人を引き剥がせ」


 ネーヴェマンは、炎を睨みながら言った。

 急に不安になったウヌバが彼に問いかけようとするが、「急げ、時間が無い!!」と肩を押された。

 攻められ続けるのはレーンの性分ではなかった。彼は誠の足を裂いた。呻き、動きを鈍らせたところに蹴りを入れる。しかしここで止めれば、また傷を癒ししまう。レーンはレイピアを構えると、誠の頭を狙って飛び掛った。

 即死させる。それしかない。

 体力の限界だった。傷は癒えるが、疲労は蓄積していた。レーンが飛び込んでくる。今なら無防備だ。後ろを取って、終わりにしてやる。

 二人の視線が交わった時、彼らを業火が隔てた。その炎は壁に当たるとすぐに消えたが、レーンを冷静にさせるには充分だった。

 彼は自ら起こしてしまった失態に気付くと、キャットウォークへと飛び乗り、外へと逃げていった。

 誠も急いでそれを追うが、階段を上るので一苦労だった。しかし目だけはまだ怒りに震え、「邪魔をするなよ!!」とウヌバに食って掛かった。

 見たことのない誠の姿にウヌバは驚きを隠せなかった。


「何てことをしてくれたんだ! もう少しで――」


 聞いていられず、ウヌバは誠の側頭部を素早く殴った。

 視界が揺れて、意識が閉じた。

 気絶する誠を担いだ彼に、「ウヌバ、退け! これ以上は持ち堪えられん!」とネーヴェマンが命令する。その一方、彼は氷を生成し続け、この場から離れる気配が無かった。


「But!」

「周りの岩を溶かし始めている…。これでは山が弾けるぞ…!?」


 このまま炎が蔓延すれば、人工のマグマ溜りとなるだろう。何せ〈フラカン〉は消えない炎だ。

 現在有効とされる消火方法は二つ。無酸素空間に長時間封印するか、もしくはその倍の時間をかけて氷漬けにし続けるかだ。

 ネーヴェマンが――彼でなくてはできない方法は決まっている。


「ウ ヌ バ !  何 を し て い る 、 早 く 来 い !」

「リーダー!」


 鬼となった酒顛が駆けつけてきた。ウヌバが担ぐ誠を見ると目を丸くしたが、ウヌバはそれどころではないといった風に動揺していた。

 扉を潜ると、凄まじい熱気を放つ炎に対し、ネーヴェマンが独り奮闘していた。


「セ ロ ン !」

「ドウジか…。REWBSは?」

「ケ ン 達 が 追 い 詰 め て い る 、 お 前 も 早 く !」

「地形を変えるわけにはいかん。そんなことをするのは、ノーマルやREWBSだけで充分だ。そうだろう、ドウジ」

「セロン…」


 角が縮んで、背丈も元に戻る。酒顛は盟友と向き合った。汗を垂らす彼の顔には、質実な瞳が二つ輝いていた。

 爆発が起きる。焦げた空気が一同を襲う。

 彼の覚悟を受け取った酒顛は、踵を返した。

 しかし背後で、「下ろせウヌバ!」とネーヴェマンが喚くのを聞いた。彼は、ウヌバによって強引に担がれていた。

 ウヌバは誠も背負いつつ、「ノォウ!」と拒絶した。その目は必死で、目尻からは涙が溢れていた。

 そうだよな。あの船で死んだ子達のように、見殺しにはできないよな。

 酒顛はウヌバから誠を預かると、外へと足を急がせた。爆ぜた空気が何度も背中を押すが、外の光はまだ遠い。そこへ向かって最後の研究員が脱出したように見えた。

 下ろせ下ろせとウヌバの背中を叩いていたネーヴェマンは、迫り来る火の手を目撃した。

 このままでは。

 彼は左足のポケットからファイティングナイフを取り出し、ウヌバの二の腕に刺した。ウヌバは悲鳴を上げるが足を止めないので、もう一刺しして、捻った。それでようやく手を離してくれた。二人して転倒するが、彼は逸早く起き上がり、炎に向かって左手を向けた。

 念じるように、意識を凝らす。全身のありとあらゆる細胞を活性させるように想像し、いつもの手順で大気を凍らせる。狭い通路に厚い氷の隔壁ができる。しかし火の勢いは治まる気配が無い。

 酸素を求めて氷の壁を叩く。次第に弱まり、ようやく収まったかと胸を撫で下ろしたところに、パリンという耳朶に触れた。

 氷が割れた。空気が中へ吸い込まれる。それは不完全燃焼で発生した一酸化炭素と手を取った。それを見計らったように、炎は悪魔のように意思を持って、ネーヴェマンを襲った。

 バックドラフト。

 氷の壁が粉砕し、炎が彼の身体を呑み込んだ。


「マスター!!」


 辛うじて見える師の背中に叫ぶ。その背中から白い煙が噴出した。


「ウヌバ、走れ!!」


 酒顛が彼の胸倉を掴む。彼はその力に逆らえず、遠ざかる師の影に目を奪われていた。

 炎が迫る。それを絡め取ったのは氷の茨だった。

 その美しい輝きが、ウヌバの目を眩ませた。


「マスター…!」

『聞こえるか』

「!?」

『戦士には二つの名誉がある。愛する者の為に死ねる名誉と、次代に遺志を遺せる名誉だ』

「………」

『だからウヌバ、俺のようにはなるなよ』


 師の声が聞こえた。


『俺のように、何も残さぬ男には、決して――』


 火の手の悉くを厚い結晶に封じ込めたその奥から、彼の優しい声が響いた。

 幻聴でもいい。そう思えた。

 生きてさえくれれば、尚良かった。

 しかし現実は残酷、氷の奥で幾度となく破裂音が繰り返す。一際巨大な音がした時、ウヌバは気付いてしまった。

 手を伸ばした先に、彼はもういない。




 洞窟から酒顛達が飛び出してきた。続けて氷の茨が這い出てきたが、それはすぐに静まった。

 外に待機していたカウス達が唖然としている。彼らは研究員や降伏した兵達を拘束していた。

 酒顛は氷の茨をじっと見つめた後、「くそぉっ!!」と雪に拳を突きたてた。

 彼らの中にリーダーがいないことを知ったアッサーラは、まさかと絶望した。

 一同が動揺を隠せない中、ケンが叫んだ。


「狙えるか、デファン!!」

「おうよ、やってやらぁっ!」


 彼らは岩に登り、山の裏手から浮上してきた輸送機に、敵から拝借した〈RPG-7〉と呼ばれる対戦車ロケットの照準を向けた。

 ゴウと巨大な鉄の翼が空を切る。デファンは引き金を引いた。バックブラストと共にミサイルが発射される。

 しかし弾頭を何かが貫いた。空中で破裂するそれをよそに、輸送機はネイムレスの真上を悠然と旋回した。

 その爆音が誠の目を覚まさせた。ハッとして見上げると、青い空に何かが浮かんでいる。

 輸送機のハッチが開いている。ロケットを狙撃した主が、姿を見せた。


「レーン…!」


 アレを落とせば。

 そう思い、ステナが一歩踏み出した。両手を輸送機に向け、《念動力》を送り込む。掌に対象物の固さを感じる。

 原因不明のトラブルが、輸送機に発生した。エンジンは良好、スタビライザーも正常。それなのに前に進まず、それどころか後退しているようだった。

 彼女は両手の中央に小さく見える輸送機を納めながら、腕をゆっくりと引いた。針にかかった魚を引き寄せるように、じっくりとだ。


「いいぞステナ! そのまま真下へ落とすんだ!」

「分かってる、黙ってて!!」


 強気な彼女は、額に汗を滲ませながらも口角を上げた。地面に叩きつけ、押し潰してやる算段だ。

 混乱する機長をよそに、レーンは冷静だった。アンテロープから奪った〈ヴァーユ〉を彼女に向けた。

 ステナは腰を抜かして尻餅をついた。何故なら、目の前に突如、誠が現れたからだ。

 彼は〈エッジレス〉を盾にして、弾丸を弾いていた。金色と視線を交じらせる。

 深く目を閉じた相手は、それっきり輸送機に姿を隠してしまった。

 何事も無かったように彼方へ逃げていく輸送機に、誠は叫んだ。抑えても抑えきれないこの感情を、彼に届けたかった。


「レーン…。レーン! レエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエン!!」




 カラコルム山脈のとある山の中腹に、洞窟がある。そこは不思議なことに溶けない氷で封じられており、砕いて中を調べることも困難だった。

 しかし氷の奥には確かに見える。ぽっかりと空いた丸い空間に、宝石のような輝きを放つピアスが転がっているのが、しっかりと。

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