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第3話 アナスタシアの回想(後半)

アナスタシアの回想の続きです。

母が掴んだ証拠と、叔母が集めた証拠を一つにまとめ、アナスタシアは署名を書き入れた。

――<シア・テル>


シアは、アナスタシアの名から、

テルは、<告げる>という古語から。

(響きがハルにも少し似ていて……不思議と心が強くなる。

この名なら、母を奪った闇に対して、

娘が立ち上がった証になるはず)


宛先は、王城に設置された“匿名箱”にした。

カルマン家の情報筋によれば、

この匿名箱は第三王子が自ら提案し、管理しているという。


身分を問わず、市井の声を拾い上げるための制度。

密告や告発も受け付けるが、王子は決して私情を挟まず、

寄せられた情報を淡々と精査することで知られていた。


――最も公平に、最も確実に届く場所。


アナスタシアは深く息を吸い、

<シア・テル>と記した封筒を投函した。


数日後。

王都の喫茶店、その奥の個室で、マリーはアナスタシアを迎えた。


「アナ……バルメイン家のこと、調べたわ」


アナは息を呑む。


「まずエドガー本人だけれど……無類の女好きね。

複数の令嬢に手を出しては、母親が金で揉み消しているわ」


胸が痛む。

(フィーナ……こんな男と婚約していたなんて)


「賭博に手を出して借金もかなり膨らんでいるわね」

マリーは声を落とした。

「それと……バルメイン家には違法薬の売買の疑いがあるの。

捕まった密売人が、取り調べでバルメイン伯爵の名を出したわ」


アナスタシアの目が大きく揺れる。


「でもね、証拠がないのよ。

帳簿も取引記録も、きれいに消されていた。

カルマン家の影を使っても、核心までは届かなかったわ」


アナはゆっくりと目を伏せた。

(フィーナは……危険な家と縁を繋ぐところだった)


マリーはアナの手にそっと触れた。

「あなたのお友だち、エドガーと婚約しているのよね。

……なんとか破談になるといいのだけれど」


「叔母様……私に考えがあるわ」

マリーは驚き、アナの手を掴んだ。

「アナ、危険なことはしないで。あなたはまだ十七歳なのよ」

アナは静かに首を振った。

その瞳には、母と同じ強さが宿っていた。

「大丈夫です。私、演技力抜群なんです。二家を地獄に導いてやりますわ」

「アナ……!」

「叔母様、私を信じて」

アナはそっとマリーの手を握り返した。


「私、自分の力で母の無念を晴らしたいんです。

そして……友を救いたい。

それができたら、やっと……やっと自分を認められる気がするんです」


その言葉に、マリーの表情が揺れた。

マリーはしばらく黙っていたが、やがで深く息を吐きだした。


「……分かったわ。あなたの意思を尊重する」

アナスタシアの瞳がわずかに潤む。




アナスタシアは偶然を装ってエドガーに近づき、彼の興味を引くことに成功した。

アナスタシアの家が子爵と地位は低いが、羽振りはいい。そして、アナスタシアは見た目華やかである。

エドガーは美しいものが好きだ。

そして、自分を褒めてくれる女が好きだ。

「エドガー様……お噂以上に素敵な方なのですね。

 こんな私に声をかけてくださるなんて、光栄ですわ」

アナスタシアは微笑み、エドガーは簡単に落ちた。


学園を卒業した舞踏会にて、エドガーはフィーナに婚約破棄を宣言した。

フィーナはその場に立ち尽くし、言葉を失っていた。

アナスタシアは痛む心に鞭を打って、申し訳なさそうな振りをした。


バルメイン家に出入りするようになったアナスタシアは、

使用人の動き、倉庫の鍵、帳簿の保管場所を少しずつ探っていた。

(この家の闇……必ず掴む)


しばらくしてから、第三王子主催の舞踏会が開かれ、

アナスタシアはエドガーに誘われて出席した。


身体のラインをあえて強調するドレスを選び、

会場に入った瞬間、男たちの視線が一斉にアナスタシアへと吸い寄せられる。

エドガーは周囲の反応に気を良くしたのか、

まんざらでもない顔でアナの腰に手を添えた。


その時、きらめく灯りの中でフィーナの姿が目に飛び込んできた。

その一瞬で分かった。

――以前より、ずっと綺麗になっている。


肌艶がよく、表情も明るい。

領地に帰ったと聞いていたが、元気そうで思わず胸を撫で下ろした。


(エドガーに見つかったら大変だわ)

アナスタシアはエドガーを別の方向へ誘導しようとした。

だが、そんな思惑をよそに、

エドガーはフィーナを見つけた途端にやりと笑い、

そのまま彼女の方へ歩き出してしまった。


「おい……フィーナじゃないか」

フィーナの肩がびくっと震え、こちらに振り返る。

エドガーは勝ち誇った表情でフィーナを見下ろしていた。

「久しぶりだね。まさか君が舞踏会に来るとは思わなかったよ」


フィーナは、にこりと微笑んだ。

「ええ。ご無沙汰しております、エドガー様。

お二人とも、お変わりないようで何よりです」


(フィーナ、堂々としていて、なんだか大人になったみたい)

アナスタシアの感心をよそに、

エドガーは薄く笑い、わざとらしく視線を周囲に流した。


「ところで……パートナーはどこだい?

まさか一人で来たわけじゃないだろう?」


アナスタシアが扇を口元に当て、小さく首を振る。

「エドガー様、そんなことを言ってはいけませんわ。フィーナは……ねぇ……」

胸が痛みながらも、フィーナを遠ざけるために嘲る。


フィーナが言い返そうとした、そのとき――


「待たせてしまって、すまない」

凛とした声が、背後から響いた。

紺と金の刺繍が施された深いグレーの礼服に、

黒髪をきっちりオールバックで整えた端正の顔立ちの男が立っていた。


「……誰だ、君は?」

アナスタシアの声を代弁したかのように、エドガーが問いかける。


「フィーナ嬢のパートナーの、グレイ・ハーヴェイと申します。

ご挨拶が遅れましたね」

その声は落ち着いているが、しかしどこか鋭さを含んでいた。


(名前も聞いたことないし、顔も見たことがないわ)

エドガーは毒づくが、グレイは全く意に返さない。


「しかし……よりによって、こんな女をパートナーに?」

エドガーは焦ったかのように言葉を継ぎ込み、鼻で笑った。


「こんな女とは失礼ですね。フィーナ嬢はとても素敵な方ですよ」

そう言って、グレイはフィーナの手をとり手の甲に口づけをする。


エドガーは完全に気圧されている。


(もう黙りなさいよ。みっともないったらありゃしないわ)

アナスタシアはあきれていたが、エドガーは止まらない。


「どこがだ。田舎領の娘で、婚約も破棄され──」


「アルヴェール領のことを、あなたは随分と軽く見ているようだ」

グレイの声が、少しだけ低くなる。

「……何が言いたい?」

「あなたはまだ知らないのですね」

「何をだ?」

グレイは挑発的に微笑んだ。

「まあ……お楽しみですよ。今日のフィーナ嬢を見ても気づかないなんて」

エドガーは言葉を失った。

「行きましょう、フィーナ嬢。私とダンスを踊ってくださる約束ですよ」

グレイはフィーナの手を軽く引き、大広間の中央へと歩いて行く。


エドガーは悔しそうな顔をし、その場を逆方向へ速足で去っていった。

アナスタシアはグレイの背中を見つめながら、胸の奥がざわついた。

(あの男、フィーナをだましているんじゃないでしょうね…)


アナスタシアは舞踏会が終わり、グレイが一人になるのを待った。


「ハーヴェイ卿……、ちょっとこの後お時間くださらない?」


アナスタシアは極上の笑顔で誘いをかける。

今日のドレスは、身体のラインを大胆に見せる悪女仕様。

エドガーを落としたときと同じ、計算された微笑み。

――この服、この笑顔。

悪いことを考えている男なら、まず間違いなく引っかかる。

そう思っていた。


だが、グレイはアナスタシアを一瞥し、

「申し訳ない。時間がないので、失礼」

そう言って、そのまま去ってしまった。


アナスタシアは思わず立ち尽くす。


(……どういうこと?

この誘いに乗らないなんて……

ということは、フィーナに本気?

あの子、大丈夫なのかしら……)




舞踏会の後も、アナスタシアはバルメイン伯爵家で地道に探り続けた。

そして、ついに――


ワイン倉庫の奥、隠し扉の向こうに隠された二重帳簿を見つけた。

密売の金の流れ。

隣国商人の名前。

倉庫の住所。

日付。


アナスタシアは震える手で写しを取り、

〈シア・テル〉の署名を添えて、再び第三王子へ密告した。


翌日。

そろそろバルメイン伯爵家から手を引こうかと考えていたアナスタシアは、

応接間の机に置かれた新聞の見出しに目を留めた。


――〈アルヴェール領、ハーブウォーターが王都で人気急上昇〉

――〈若き領主代理フィーナ嬢、本日、港にて第三王子の視察に同行予定〉


(フィーナってば、すごいわ……)

アナスタシアが記事を読んでいると、

後ろから覗き込んだエドガーが、顔を歪めた。


「……は? なんだこれは」

「フィーナが……第三王子に呼ばれてる?」

「俺より上に立つだと? 冗談じゃない……!」


エドガーは新聞を乱暴に奪い取り、

“若き領主代理フィーナ”の文字を睨みつけた。


「あの女、ふざけやがって……!」


新聞がくしゃりと音を立てる。

エドガーはそのまま丸めて床に叩きつけ、

苛立ちを隠しもせず屋敷を飛び出していった。


アナスタシアは息を呑む。

(……フィーナに何かする気かもしれない)

(港に向かったのは、まさか……)

嫌な予感に突き動かされ、

アナスタシアは急いでエドガーの後を追った。


港の倉庫街。

アナが物陰から様子をうかがっていると、突然背後から声がした。


「ヴェルディア子爵令嬢。こんなところで何をしている?」

振り返ると、グレイが立っていた。


「あなたこそ……どうしてここに?」

「こちらが質問しているんだが?」


(早く追い払わないと、エドガーを見失っちゃう)


アナスタシアは焦りを押し隠し、

グレイの腕にそっと手を添えて、挑発するように微笑んだ。

「教えてあげてもいいけど、それなら、少し付き合ってくれない?」


ほんの一瞬の沈黙。

その後、グレイはため息をつくように言った。

「……下手な演技だな」

「っ……!」

アナスタシアは思わず目を見開いた。

悪女の仮面が一瞬で剥がれ落ちる。


「な、なによそれ。あなたこそ……どういうつもりよ?」


グレイは首を傾げる。

「どういうつもりとは?」

「フィーナのことよ」

「どうとも。俺は仕事で彼女を手伝っているだけだが」

「それだけじゃないでしょ!」


アナスタシアはさらに踏み込もうとした。

だが、グレイはその気配を読んだように一歩引き、

アナスタシアの言葉を軽く受け流す。


「……君は、勘ぐりすぎだ」

それだけ告げると、彼は闇に溶けるように姿を消した。

気づけば、追っていたはずのエドガーもどこかへ消えている。


「……最悪」

アナスタシアは肩を落とし、唇を噛んだ。

焦りと空振りだけが胸に残る。


その後も、何とかエドガーの動向をつかもうと、バルメイン家に通い続けた。

「エドガー様に会いに来たの」と言い、彼のそばに張り付く。

だが、その日はエドガーは不在だった。


アナスタシアは確信していた。

エドガーは必ずフィーナに何か仕掛けてくる。

フィーナが傷つく前に阻止しなければ。


焦りが胸を締めつける中、ふと背後から声が聞こえた。


「……あれ、エドガー様の指示だったんですよねぇ」

アナスタシアは反射的に柱の陰へ身を隠した。


「何の話?」

「ほら、昨日の小包ですよ。

アナスタシア様からアルヴェール子爵令嬢宛で出して、

出張所での引き渡し依頼にしておけって」


アナスタシアの心臓が跳ねた。

(……今、なんて?私の名前で……フィーナ宛の小包?)


使用人たちは気づかず、話を続ける。

「おかしなことを依頼なさるなぁ。

そういえば、最近、王宮の査察が入るとか噂をきいたけど、お前きいたか?」

「え?まじで?それはやばいな」

「俺は、ヴェルディエ子爵家に査察が入ったって聞いたぞ」

「貴族様は何を考えてるかわからんよなぁ」

「俺たちも身の振り方を考えなきゃならんかもな」


アナスタシアは震える指でマリーへ手紙を書き、

急いで出張所へ向かった。

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