第1話 破滅を望んだ令嬢の最後の夜
アナスタシアと叔母のマリーは、アルヴェール子爵領の出張所に身を潜め、
フィーナが来るのを見張っていた。
エドガーがアナスタシアの名を騙り、
フィーナ宛に小包を送りつけたと知ったからだ。
出張所にはいくつか喫茶スペースがあり、
二人はフードを深くかぶって入口を監視していた。
「あなたからの連絡で急いで来たけれど、間に合ったかしら?」
マリーが小声で尋ねる。
「小包は昨日送ったらしいわ。今日、出張所から受け取りの手紙が届くはずだから……まだ来ていないと思う」
「ねえ、叔母様。ヴェルディア子爵家に王宮の査察が入ったの?」
「ええ。3日前にね。アナ、あのとき子爵家にはいなかったでしょう?
もう、子爵家に近寄っちゃダメよ」
「わかってるわ。ずっと王都の宿に泊まっているもの」
叔母はほっと息をついたが、すぐに表情を引き締めた。
「それと……バルメイン伯爵家にも、今日査察が入るはずよ。
アナ、あそこにももう行っちゃダメ。巻き込まれたら大変よ」
「やっぱり……使用人たちが噂していたわ。第三王子って、ちゃんと仕事してくれたのね」
そんな会話を交わしていたとき、
アナスタシアは入口近くの席に座る男へ視線を向けた。
不釣り合いなほど幼い少女を連れた男。
二人は一言も話さず、
すでに二時間も同じ席に座り続けている。
どう見ても不自然だった。
しばらくして、フィーナと侍女が出張所に姿を見せた。
アナスタシアとマリーは、気づかれないように身を伏せる。
その瞬間、不審な男が動いた。
紙に何かを書きつけ、それを封筒に入れて少女のポシェットへ押し込み、
背中を軽く押してフィーナの方へ向かわせる。
少女はフィーナの隣に腰を下ろすと、
突然お腹を押さえて苦しそうにうずくまった。
フィーナは驚き、心配して少女を支えながらトイレへ向かう。
男がその後を追い、アナスタシアとマリーも気づかれぬよう距離を保ってついていく。
トイレの前で、少女は封筒をフィーナに手渡した。
フィーナはその場で手紙を読み、みるみる顔色を変える。
そして紙を封筒に戻し、ゴミ箱へ捨てると、
侍女とともに足早に出張所を後にした。
(男が回収する前に、手紙の内容を確かめたい)
アナスタシアの胸に、鋭い焦りが走った。
「叔母様、あの男を引きつけて」
小声で頼むと、マリーはすぐに頷き、
手にしていたコーヒーをわざと男のズボンにひっかけた。
「まあ、ごめんなさい! すぐ拭きますわ」
慌てたふりで男を洗面所へ誘導していく。
その隙に、アナスタシアはフィーナが捨てた封筒へ駆け寄り、
素早く中の紙を取り出して目を走らせた。
読み終えるとすぐに封筒へ戻し、元のゴミ箱へ丁寧に差し戻す。
そして何事もなかったようにその場を離れた。
ほどなくして男が戻ってきて、
フィーナが捨てた封筒(アナスタシアが戻したもの)を拾い上げる。
中身を確認したのか、ほっと息をつき、
封筒をポケットへ押し込んで出て行った。
マリーが男の様子を確認しながらアナスタシアに合流する。
「叔母様、少し待っていて」
アナスタシアはそう告げると、売店へ向かい、便箋を購入した。
先ほど読んだ手紙の内容を記憶のまま書き写す。
続けて、もう一枚の紙に急いで文を綴った。
――――――――――
アルヴェール子爵領・精流の滝にて不穏な動きあり。
女性が監禁されている可能性があります。
至急、救出をお願いします。
〈シア・テル〉
――――――――――
書き終えると、アナスタシアは出張所の伝達係に駆け寄り、
「港の視察に来ている第三王子へ、至急お届けください」
と依頼した。
第三王子の改革で、差出人を問わず匿名の緊急連絡も受け付ける体制が
すでに出張所に整えられている。
(これで……殿下は動いてくれるはず)
第三王子は、これまでの密告をすべて信じ、
迅速に調査してくれた。
だからこそ、この最後の手紙も必ず届くと信じたい。
(間に合って……お願い)
祈るような思いでマリーのもとに戻った。
「叔母様、ありがとう」
「何が書いてあったの?」
「フィーナを精流の滝におびき出す内容だったわ。
行かないとあの少女の母親の命はないって……
フィーナのことだから、きっと言われた通りに動いたんだと思う。
殿下には知らせたけど、私もすぐ追いかけるつもりよ」
「私も一緒にいくわ」
「いいえ、叔母様には別のお願いがあるの。もう一手打っておきたいのよ」
アナスタシアは周囲を確認し、小声で続けた。
「フィーナといつも一緒にいた、あの文官覚えてる?」
「黒髪で眼鏡の、背の高い人?そういえば、今日は一緒じゃなかったわね」
「そう。その人、ただの文官じゃないわ。私の勘だけど……護衛より強いかもしれない。
もしかしたらフィーナは彼に黙って出てきたのかもしれないの。
だから……彼がここにきたら、これを渡してほしいの」
アナスタシアは、写し取った脅迫文をマリーに差し出した。
「叔母様と私、似ているでしょ?後ろ姿なら、きっと叔母様を私だと思うはずよ」
アナスタシアの母の妹であるマリーとは、髪の色も背格好もよく似ていた。
「わかったわ。その人が来たら、さりげなく渡るようにしてみるわ」
「叔母様、ありがとう」
「でも……あなた一人で大丈夫なの?」
「私は大丈夫よ。向こうは私を仲間だと思っているはずだもの」
「そう……でも、危険なことはしないでね」
「ええ、わかってるわ」
アナスタシアはそう言うと、カルマン家の御者が待っている馬車待機所のところへ戻った。
「すぐに精流の滝に向かってちょうだい」
小一時間ほどで、滝の入り口に到着した。
「ご苦労様。帰りはエドガー様に乗せてもらうから、あなたは出張所に叔母様を迎えに行って」
「かしこましました」
アナスタシアを運んだ馬車が元の道に引き返していく。
その背を見送る間もなく、荒々しい声が響いた。
「おい、ねえちゃん。こんなところに何の用だ?」
屈強な男が数人でてきて、アナスタシアを囲んだ。
「おい、エドガー様の婚約者様だよ。手を出すな」
一人がアナスタシアに気づき、慌てて制止する。
「ふん……分かればいいのよ。エドガーはどこ?」
「エドガー様は小屋にいますが……、今ちょっと取込中でして」
男たちは、アナスタシアを小屋に近づけまいとする。
「私は、この計画を知っているからいいのよ。小屋にいるのね」
アナスタシアはそう言って、小屋まで歩いていく。
小屋の前に立ち、扉に手をかけた。
中から、かすかな物音が聞こえる。
アナスタシアは息を呑み、扉を少し押し開けると、
薄暗い空間の中で、エドガーがフィーナに馬乗りになっていた。
フィーナは必死に抵抗している。
アナスタシアは後ろを振り返るが、誰も来る気配はない。
(……まだ来ないのね)
アナスタシアは、ふぅっと息を吐き小屋の扉に手をかけた。
「こんなところにいたのね」
アナスタシアが扉から姿を現すと、
倒れたフィーナに覆いかぶさっていたエドガーは驚き、眉をひそめた。
「おまえ……どうしてここに?」
アナスタシアはヒールの音を響かせながら近づいた。
「あなたを追いかけてきたに決まってるじゃない。私たち、婚約者なのよ?」
エドガーは舌打ちし、苛立ちを隠さない。
「分かってるよ。だが……俺にはどうしても金が必要なんだ。
だからこの女が必要なんだよ」
(ふん、賭博の負け込んだ借金でしょ。自業自得じゃない)
「金……そういうことだったのね」
アナスタシアはゆっくりと髪をかき上げ、薄く笑った。
「ふふ……こんな面白そうな計画、私にも教えてほしかったわ。
ねえ、どうせなら私も混ぜてくれたらよかったのに」
エドガーがわずかに口角を上げる。
「お前も悪い女だな。この女は友達だろ?」
アナスタシアは鼻で笑った。
「ふん、友達なわけないじゃない」
エドガーは満足げに頷き、手を振った。
「まあいい。この場はもう帰れ。全部片付いたら迎えに行く」
アナスタシアは目を細めた。
「……この女をどうするつもり?」
エドガーはフィーナを見下ろし、ぞっとするほど歪んだ笑みを浮かべた。
「そりゃ……俺の女にするんだよ。
そうすりゃ、あのグレイ・ハーヴェイとかいう生意気なやつも諦めるだろう?」
(屑以下ね)
アナスタシアは一瞬だけ目を見開いたが、すぐに妖艶な笑みを浮かべた。
「あら、それはいい方法ね。
でも……あなたがこの女を可愛がるなんて、いやだわ。やきもち焼いちゃう」
エドガーは満足げに笑う。
「心配するな。俺の一番はお前だ。この女は……金づるだよ」
「……最低ね、あなた。ほんと、私にぴったりだわ」
アナスタシアがつぶやいたその瞬間──
外から、怒号と金属がぶつかる音が響き渡った。
「……なんだ?」
小屋の外がざわつき始め、男たちの叫び声が次々と上がる。
「誰だ!」「くそっ、やられた!」
エドガーは苛立ち、扉の方へ向き直る。
「何が起きてる……?」
(やっと来たのね)
部下の一人が扉を開けようとした瞬間──
轟音とともに扉が内側へ吹き飛び、木片と埃が一気に舞い上がった。
その白い煙の中から、ひとりの男がゆっくりと姿を現す。
それは、グレイだった。
そこからは、鬼神のごとく突進し、エドガーを殴り倒した。
(ヒーローの登場だわ)
アナスタシアは、まるで別世界を眺めているような錯覚を覚えた。
やがて、第三王子が到着し、倒れた男たちを見渡しながらグレイに声をかける。
「それにしてもグレイ、腕が落ちたなぁ。
たかが30人だろう?黒刃のライも引退か?」
黒刃のライ?
あの、伝説のヒーローの?
閃光のハルと黒刃のライ──
フィーナのヒーロー。
フィーナはいつも誰かに守られている。
私には現れないヒーロー……
アナスタシアが物思いに沈んでいると、
王子は、エドガーを縛り上げるよう指示を出し、アナスタシアへ視線を向けた。
「それと、アナスタシア嬢もね」
(取り調べね。そうよ、まだ私の演技は続いているのよ)
アナスタシアは一瞬だけ目を細め、わざと戸惑ったふりをした。
「……え?なんで私まで?」
王子は軽く肩をすくめる。
「密告があってね。ヴェルディエ子爵家の不正について。
君にもいろいろと確認したいんだよ」
アナスタシアは大げさにため息をついた。
「あーあ……逃げ切れると思ってたのに。残念だわ」
(やっとこれで幕を下ろせる。やっと終われるわ、お母様)
アナスタシアが覚悟を決めたその瞬間、フィーナの声が響いた。
「うそよ……!アナは私を助けてくれたもの!」
アナスタシアはくすりと笑い、わざと冷たく言い放つ。
「何言ってるのよ?
あなた、ぶたれたからおかしくなっちゃったんじゃない?」
フィーナは息を呑んだ。
「アナ……」
アナスタシアは肩をすくめ、退屈そうに言う。
「助けた? あなたを? そんなわけないじゃない。
私はただ、エドガーの計画に乗ろうとしただけよ」
フィーナの胸が締めつけられる。
「アナ……どうして……?」
アナスタシアはフィーナを見つめ、ほんの一瞬だけ視線を揺らし、すぐに外した。
「……あなたが悪いのよ。いつも誰からも好かれて……
私にはないものを全部持ってる。だから……壊したかったのよ」
アナスタシアが嘲るように笑ったその瞬間、
フィーナはじっとアナスタシアを見つめた。
「……アナ。私、知ってるんだから。
あなたがどんなにやさしい人間か。
私のことを、ずっと大事にしてくれてることも」
アナスタシアの笑みがわずかに揺れる。
胸の奥が、きゅっと痛んだ。
「エドガーに襲われそうになったから、止めに入ってくれたんでしょ?
あなたのことだから、助けを呼んで……時間稼ぎをしてくれてたんでしょ?」
「な、なに言ってるのよ」
アナスタシアは思わず声を上ずらせた。
心臓が早鐘を打つ。
演技のはずなのに、呼吸が乱れる。
フィーナは静かに続ける。
「アナが……私のことで無理をするとき、
唇が少し震えるのよ。私しか気づかないくらいだけど」
アナスタシアは反射的に口元を押さえ、目をそらした。
(……見られてたの? そんな細かいところまで……)
フィーナはさらに言葉を重ねる。
「昔、私が陰で笑われてた時……
あなた、誰より先に私の前に立ってくれた。
平気なふりしてたけど……あの時も震えてたわ」
アナスタシアの瞳から、ぽろりと涙がこぼれた。
「フィーナ……もういいから黙って」
これ以上は聞きたくなかった。
今までの決心が鈍ってしまう。
アナスタシアは王子の方へ向き直り、
「さあ……早く連れていってください」
アナスタシアが懇願するように王子を見つめると、
王子は小さく頷き、アナの肩にそっと手を置いた。
「フィーナ嬢、大丈夫。あとは私に任せて」
(フィーナ……さようなら。私の、大切な親友)
アナスタシアは抵抗せず、護衛に連れられていった。




