元カレが地球に衝突するまであと7時間
元カレが地球に衝突するまであと7時間しかない。
人生、いや人類最後の日。私はとりあえず仕事を休んで家で思いっきり寝ることにした。今まで頑張ってきたんだから、人類が滅亡するときくらい休んでも別に罰は当たらないだろう。
外では車のクラクションや自衛隊のヘリコプターの音がけたたましく鳴り響いている。大方、最後のあがきでどこかへ避難でもするつもりなんだろう。元カレが降ってくるんだからこの地球上のどこへ逃げても別に変わらないのに。
あーもう、うるっさい。人がせっかく寝てるんだから最期の日くらい静かにしてよ。私は布団の冷たい部分へと顔をうずめる。そうしていると、外の騒音も気にならなくなってきて、私は徐々に眠りに落ちていった。
次に私を叩き起こしたのは誰かが玄関のドアを叩く音だった。無視してもう一眠りしようと思ったけれど、私の意思に反して叩く音はどんどん強くなる。まるで私が居留守を使っていることを見抜いているかのように。さすがの私も堪忍袋の尾が切れて、文句を言ってやろうと思ってドアを開けると、そこに立っていたのは小学校の同級生の沼田君だった。
※ ※ ※ ※ ※
私はとりあえず、冷蔵庫に入っていた昨日の残り物のおでん(こんにゃくしか残っていない)を沼田君に振る舞ってあげた。
「…それで、どうしたの突然」
それが自分でもよく分からないんだけど。沼田くんはよっぽどお腹が空いていたのかこんにゃくをリスのように頬張りながら言った。
「明日で人類が終わるっていうのを聞いたとき、なぜか無性に伊藤さんに会いたくなったんだよね。松崎さんには失礼かもしれないけど、人が死ぬときに考えることって、過去への未練とか未来への後悔とかさ漠然としてるかもしれないけど、そういうもっと大きなことかと思ってた」
「…それってつまり私のことなんてすっかり忘れてたって解釈でよろしい?」
いや、僕たちそこまで仲良くなかったじゃん。クラスも別々だったし。沼田くんはこんにゃくを箸でつまみながら色々と言い訳を並べる。まあ、そう言われると確かに私も沼田くんとの思い出はほとんど記憶に無い。強いていうなら卒業式で座った席が近かったくらいだ。
ここまでオートバイで飛ばして来たからさあ。残り物のこんにゃくを平らげるとようやく落ち着いたのか沼田くんは言った。
「ところでさ、本当に松崎さんの元カレって降ってくるの?」
「…何言ってるのよ、今更」
私はリビングのテレビの電源を入れる。テレビでは今まさに地球に衝突しようとしている元カレの様子がリアルタイムで配信されていた。画面に映し出されている元カレの元カレとは思えないほどの恐ろしい剣幕に蹴落とされ、私はほんの一瞬、間違えて子供向けの特撮番組をつけてしまったのではないかと錯覚する。画面の端では肩書の長い専門家があーだこーだと意味のない知識を披露していた。そしてチャンネルをどれだけ変えてもその光景が変わることはなかった。
「これで分かったでしょ。死ぬのよ、私たちは。もうすぐあの大きな元カレが降ってきて」
沼田くんは理解したのかしなかったのか箸の先についたこんにゃくの切れ端をチュパチュパとしゃぶっていた。
「でもさあ、不思議だよね。こうやって元カレが降ってこなかったらたぶんだけどもう一生松崎さんと会うこともなかったわけじゃん。それに、こうやっておでんをご馳走になることも」
私は別に会いたくもなかったけど。私が皮肉を込めてそう言うと、沼田くんは特に気にする様子もなくおでんのスープを飲み干した。
※ ※ ※ ※ ※
「⋯これからどうするの?」
沼田くんは他に会いたい人もいないしと前置きしたうえで言う。
「うーん。とりあえず人生の最期らしく、ラーメンでも食べに行こうかな。あっでもこの状況で開店してるラーメン屋ってあるのかな?」
気になってグーグルマップで検索すると、幾つかのラーメン屋が営業中と表示される。
「もうすぐ世界が終わるっていうのにラーメンなんか作って。呑気だね」
それはお互い様でしょ。私がそうツッコむと沼田くんは朗らかな顔で笑った。
「じゃあ松崎さん。お互い良い終末を」
それだけ言うと、沼田くんはバイクをふかして去っていた。まったくお騒がせなんだから。地球が滅ぶときくらい一人にさせてよ。沼田くんが言ってしまうと、何だか疲れてしまってもう一眠りしようかとも思ったけれど人生の残り少ない時間を睡眠なんかに使う気にもなれず、一人でUNOでもやることにした。
友達が遊びに来た時のために買ってあったけど、結局一回も遊ぶことなかったな。私は戸棚から新品のUNOを取り出し、箱を開ける。
小学校の休み時間以来のUNOは意外と楽しくて、私は一人で奇声をあげたりして盛り上がった。UNO最高!!!ヒュー!!!
※ ※ ※ ※ ※
UNOで遊ぶのにも疲れてきて外を見ると、もう元カレが見えるところまで迫ってきていた。もう、落ちるならさっさと落ちてきてよ。ここまで来ると、もう抵抗する気にもなれず、私はそんなことを思い始めていた。元カレの動きは付き合っていた頃と変わらず、鈍くてとろい。
そういえばラーメンを食べに行った沼田くんはどうなっただろう。携帯電話を開いて、そこでようやく沼田くんから電話番号を聞きそびれていたことに気がつく。
あの食いしん坊め。気分を変えようと思ってテレビをつけると、数時間前と全く変わらず、専門家が図やグラフを使って元カレの落下する範囲にや被害想定についての見解を述べていた。専門家はよく分からない単語を並べて必死に核心をはぐらかそうとしていたけれど、天文学に疎い私でも、おそらく誰も助からないであろうことだけは読み取ることができた。あの人はきっと人類が滅ぶ瞬間まであんなくだらないことを続けるのだろう。私はテレビの電源を消した。
外からバイクがエンジン音が聞こえ、私は寂しくなった沼田くんが戻ってきたのだろうと思い、玄関のドアを開ける。
「よう、絵里」
ドアの向こうに立っていたのは私、松崎絵里の元元カレである健くんだった。
※ ※ ※ ※ ※
「…どういう風の吹き回し?それと気安く絵里って呼ばないでよ。私たちが付き合ってたのは大昔の話でしょ」
健くんは悪びれる様子もなくタバコを吹かしながら言った。
「どうもなにも、絵里の元カレ。つまり俺の恋敵が降ってくるってんで様子を見にきただけさ」
「…ここ禁煙なんですけど」
「おっと、そういやタバコ嫌いだったな。悪い悪い」
そういうと健くんはタバコをコンクリート部分に投げ捨て、ぺっと唾を吐きかけた。こういうデリカシーがないところも本当に付き合っていたあの頃から何も変わっていない。
健くんと私が付き合っていたのは大学時代の私がまだ恋愛のれの字も知らなかったころだ。あの頃はまさか健くんがその日の気分で抱く女をコロコロ変えるような尻軽男だとは想像もしていなかった。
「まあ、そんなに怒るなよ。世界が終わるって聞いたとき、お前のことを真っ先に思い出したから大学時代の知人や友人に必死に連絡先を聞き回ってここへ来たんだ。ほら、見てみろよ、上」
空を見上げるともう元カレがすぐそこまで迫ってきていた。私は信じられなくて時刻を確認してしまう。予報の時間よりも早い。気のせいかテレビで見たときよりも表情も強張っているように見える。
「⋯もしかして、嫉妬してるのかもな。俺と絵里が今こうして会ってること、俺がまだお前のこと絵里って呼んでること」
有りうるかもしれない。私の元カレは執念深い性格だったから。それから健くんは私の左頬に小さくキスをした。
「…あと30分と言ったところか。さて、どうする?別に俺はこのまま帰っても構わないが」
「…分かったわ。けど、その前に、本当のことを言ってよ。本当は私を思い出したからなんかじゃなくて、私しかあなたを受け止めてくれそうな人がいなかったからここへ来たんでしょ?」
私の質問に健くんは答えなかった。代わりに、お前のことを忘れていなかったのは本当だ。とだけ呟いた。まあ、少し癪だけど退屈な人生のトリを飾る相手としては悪くないかもしれないわね。
健くんの手が私の首にかかる。
空を見上げると、元カレは速度を増し、この世の全てを飲み込もうとしていたーーー




