エルサレムから千歳への旅路
私たち兄弟は、今、戦いの続くエルサレムからインドのバンガロール空港へ飛び立とうとしている。
私たちの両親は、ソ連崩壊前はウラル山脈の近くにあるロケット発射実験場に勤めていたが、混乱時にイスラエルに帰化した。その50年ほど前は、第二次世界大戦後にそういう帰化が数百万人規模であったと聞いている。
両親は、ともにタワー・セミコンダクター社の水管理システムの管理者として働いていた。イスラエルには、半導体の最大手インテルの製造拠点もあったが、周りの複数の国と戦争をしている状態なので、ほとんど稼働していない。何せ、大規模な停電が起こるのだ。半導体の製造は一つの製品をつくるのに数か月かかる。途中で電気が止まると、全部廃棄になる。
中国はこの20年、半導体を内製化したく、多額の投資を行っていた。日本やアメリカから半導体製造装置を購入しては、コピーしている。コピーするだけの工業製品の生産力がある。
しかし、その道は険しい。半導体製造の一番大変なのは、シリコン・ウェハーを投入してから、プロセス管理をし続けなければならない。真空炉で金属をイオンに変えてスパッタリングしたりするには、その道の専門家が必要だし、温度管理、材料の入手も重要だ。各工程には純水による洗浄が必ず必要だが、どの程度洗うのかもノウハウになる。
つまり、製造装置、必要な半導体材料があっても、歩留まり20%という不良品の山を作ってしまうのだ。
結局、台湾や韓国の半導体プロセスのベテランを高額な給与で雇うことで対応した。
バンガロール
バンガロールは、半導体設計のメッカだ。世界の名だたる企業が進出している。世界の先端製品の15%はこの地で設計されているという。ベンガルールという名前に変わっているが、町のあちこちには旧名のバンガロールが残っている。
兄弟は、最近「後工程」の製造を始めたCSという会社に就職した。半導体チップ自体は台湾から購入し、それを切り離してプラスチックのケースに封入する仕事だ。日本の会社も出資していて、指導も行っている。
二人は英語が喋れるし、インドは英語圏だと聞いていたが、社内会話はヒンズー語のようで、聞き取れない。各種装置は中国語のマニュアルがついているし。
一番困ったのは、どの工程を通しても、品質に疎いことだ。ICは最終的に50個単位でパーケージに入れて梱包される。ピンの曲がりをチェックする監視装置があるのにもかかわらず、128ピンの足がすべてまっすぐになっていないのが最終工程に残っている。
これらのICを購入した会社は、ピンが曲がっていれば、プリント基板に実装するとき失敗する。
この国の工科系の卒業生はすごく多いが、製造に関係する工場が少ないので、現場の身につくノウハウといううのが育たないのだろう。
この後工程の工場が量産試作を可能とした日、インドのIT大臣は、わが国でも半導体の製造ができるようになったと、たくさんのマスコミに吹聴した。
10年ほど前、長期にわたって政権を維持している首相は、10億ドル規模の補助金を用意して半導体工場を誘致しようと試みた。三つほど候補が上がり、工場進出の認可に至ろうとしては忽然とそれは消滅していった。
10億ドルあれば、24nm程度もしくはそれ以上の半導体を製造できる設備が用意できる。
最近、地元の企業タタ・エレクトロニクスが、ディスプレイ・ドライブICを作る前工程の会社を設立する認可が下りた。1億ドル規模だ。早速面接すると、採用された。とんとん拍子に、プロセス要員として採用され、台湾の3番目のファウンドリーを運営している会社に1年間の研修者に抜擢された。
両親が進めてくれた工科大学で物理を専攻したのが良かったのかもしれない。
会社自体は建設中だ。あと1年ほどで建物の工事は終了し、半導体製造装置が運び込まれ、試作が始まるだろう。
会社は、広大な湿地の一角にある。近くを高圧電線が走っているので、工業用地なんだろう。商店とかは近くにはない。
台湾
新竹空港に降り立つ。バンガロールよりビルの密度は高い。地下鉄を使って、研修先の特別に用意された社員寮についた。日本にあるコンビニというのが併設されている。生活に不便さは全くない。
まだ何も仕事をしていないのに、給料は支払われ、出張費もついている。でも、研修先では台湾語が話されているのには閉口した。スマホで翻訳しながら説明を聞いている。
金額ベースでは、オランダのASMLの作ったDUV露光装置だけれど、東京エレクトロンの製造装置が数的には多い。なので、台湾に常駐するサポートの人たちと話す機会も多い。何たって英語が通じる。
TELに限らず、複数の日本の会社のサポート部隊は常駐しているらしい。台湾人と日本人の区別はつかないが。
そして日本へ
TSMCは米国アリゾナに半導体製造設備を作っていて、第一期の工場は量産を始めている。アリゾナは水が少ないが、どうも、それを上回るメリットがあるらしいが、よくわからない。工場立ち上げ時に台湾へ研修に来た百名のアメリカ人のうち17人はそこで退職したらしい。
兄弟は研修中に退職し、新千歳空港に立った。会社ラピダスへの定期バスが出ていた。受付の人を除けば、50代の人が多い。僕ら兄弟は水管理関係を担当するそうだ。なんと、両親のしていた仕事と同じだ。
完




