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残されたフライパン

 ふと目が覚めた。窓から差す西日が俺の顔を照らしている。

 寝返りを打つと、床の上にストロング系の空き缶がいくつも転がっているのが目に入った。そうだ、白昼堂々と酒を飲んでいて、そのまま寝てしまったのだ。


 俺はもう一度寝返りを打って、天井を眺める。

 随分と懐かしい夢を見た。妻との別離からもう二年。帰国して部屋に誰もいなかった時はパニックになった。居間のテーブルの上にあった離婚届を見た時、妻がそこまで理解の無い女だとは思っていなかったので、そのあまりに身勝手な行動に正直腹が立った。

 しかし、妻には連絡がつかなかった。仕方なく両親に連絡をすると、俺はこっぴどく叱責された。きっと妻におかしなことを吹き込まれて、騙されているのだ。

 そして、俺は置いてあった名刺に書かれていた弁護士に連絡を取った。黙って離婚届にサインをすれば養育費以上のものは求めないが、それを拒むようであればモラルハラスメントによるDVで慰謝料を求めて裁判を起こすと言われた。もう言っていることがめちゃくちゃだ。俺も弁護士を立てようといくつかの弁護士事務所に話をもちかけたが、すべての弁護士に弁護を断られた。皆が皆同じことを言った。


「裁判になったら負ける公算が非常に高い。素直に離婚に同意して、養育費をきちんと取り決めなさい」


 俺の心には不満しかなかったが、残された道は離婚しかなかった。

 妻にも会えず、娘にも会えない。妻の弁護士に、せめて娘と会いたい旨を伝えたが「生まれたばかりの娘さんを放置して長期の海外旅行へ行くような自分勝手な父親に会わせると、娘さんの身に危険が及ぶ可能性があるため、会わせることはできない」と断られた。納得のいかない俺に、弁護士は冷静にこう諭した。


「あなたがやったことは、そういうことなのです」


 育休も終わり、失意のままに会社へ出勤。

 俺は出社直後に上司から呼び出された。何事かと思ったら、育休中にひとりで海外旅行に行っていたのかと問い詰められた。俺は驚き、慌てて語学留学であることを説明した。その説明を聞いた上司は「そんなことのために育休制度があるのではない!」と大激怒。このことで妻に離婚されたことを伝えると、励ましてくれるどころか「当たり前だ!」と叱責された。

 この件は、育休制度の根幹を揺るがすとして社の上層部にまで話がいってしまい、俺は役員や人事に呼び出されて、きつく詰問をされることになった。

 幸いクビにはならなかったが、社内にこの話が広まってしまい、周囲からは白い目で見られることに。養育費の支払いもあるので、会社を辞めるわけにもいかず、俺はただひたすら針のむしろの上で働き続けることになった。

 誰も俺のことを理解してくれない。俺の味方は誰一人いなかった。


 しかし、俺にもようやく明るい兆しが見えた。

 妻から養育費の支払義務を免除すると、弁護士を通じて連絡があったのだ。きっと妻も自分が間違っていたことに気付いてくれたのだろう。俺は妻の実家へと向かった。お義父さん、お義母さん、元気かな? 謝られたら俺は許すよ。そんな狭量な男ではない。愛をもって妻の復縁を受け入れる。


 そう思っていた――


 ちょうど義実家から妻が出てきた。声をかけようと近づこうとしたところ、その後からひとりの男が娘を抱っこして義実家から出てきた。妻と男は幸せそうに笑い合い、そして微笑みながら手をつないだ。

 俺は身動きが取れず、何も言えなかった。養育費が不要になったのは、妻……いや、元妻が再婚したからだ。もう俺とのつながりを完全に断ち切りたかったのだ。俺の脳裏に焼き付いている元嫁の美しい花嫁姿がガラガラと音を立てて崩れていく。


 俺は何もかも、希望すらも失った。


 床に転がる酒の空き缶を眺めながら、自分の絶望と向き合う。

 心の痛みに耐えかねて、ふと顔を上げると、キッチンにひとつだけ残されたものが目に入った。鉄製のフライパンだ。


『いつか産まれた子どもに受け継ぎ、幸せな家庭を受け継いでいってもらう』


 元妻の言葉が脳裏に蘇る。

 そして、俺はようやく理解した。

 このフライパンは忘れていったんじゃない。元妻はわざと残していったんだ。俺との短い生活の中で受け継ぐようなものは何も無いと。俺とは完全に縁を切りたいんだと。


 涙に霞んでいくフライパンを見ながら、俺は何百回目かの言葉を呟いた。




「どうしてこんなことになったんだろう……」



挿絵(By みてみん)



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