#007 夜明け
結局、その後はもう夜も更けていたことから、セイルは最低限の事情、つまり村が賊に襲われ、リシェラだけが辛うじて生き残ったこと――だけを再び確認すると、詳しい話はまた明日に、と告げて一方的に離れていった。
離れていった、といっても近くで野営か、もしかしたら監視されているかもしれないが、とりあえず、今はリシェラと、自分しかいない。
静かに寝息を立てるリシェラの横で、ひとり座って目を閉じる。
この偽りの体は、どうやら眠る必要はないらしく、ただ己の内に意識を向ける。
深く沈めた意識は、気づけば夢のようでいながらどこか現実味を帯びた――無限に白で満ちた空間へと、たどり着いていた。
そこには、わたし以外にひとりの人影が漂っている。
――わたしは、いったい何なんだ?
言葉にしたつもりはなかった。
けれども、思考そのものがそのまま言葉となって空間に響き――
<<それは、迷いか? それとも問いか?>>
それに人影が同じように返してくる。
近づくその人影は、美しくも勝気そうな顔をした女エルフ――セラフィーナだった。
正確にはその記憶の残響か。
<<その通り。わたしは死んだが、ミレイル、お前が願いを継いでくれた>>
遺体に残る魔力から記憶と情報を貪ることで。
そんなことができる存在は、当然ながら、人ではない。
<<そうだな。お前が目覚めた場所は、たぶんまだ見つかってない古いダンジョンだろう>>
セラフィーナの知識は、今やわたしの知識でもある。
その冒険者としての記憶のなかにも、今の自分に当てはまるようなものはなかった。
ただわかっていることは、ダンジョンの魔物には人にはない“魔核”がある、ということ。
――つまり、今のわたしは魔物なのか?
<<さあな。お前みたいな魔物は見たことないが>>
直接伝わってくる感覚は、心底どうでもよさそうだった。
なにせ、彼女はわたしだ。
<<わたしは記憶の残り香にすぎない。お前があの子を守るなら、それでじゅうぶんだ>>
その考えすら、手の込んだ自問自答に過ぎない。
頭がおかしくなりそうだった。
<<あまり難しく考えるな。“誰であるか”より、“何を成すか”が大切だ>>
いかにも冒険者として生きた、セラフィーナらしい考え方。
確かに、今は自分が何ものか悩むよりも、何ができるか悩んだほうが、よほど前向きだ。
たとえ自分が魔物であったとしても。
そう考えると、この白に満ちた場所で、すこしだけ気が楽になった気がした。
<<だが、あのセイルとかいう巡回騎士には、隠し通さないとまずいだろうな>>
セラフィーナの懸念が伝わってくる。
ルミナ聖環教会の騎士は、いわば魔物退治の専門家でもある。
これで、方針は固まった。
つまり、あの少年騎士に、正体について疑問を抱かせないようにしながら、必要な情報を渡して、できれば黒幕を探るのに役立ってもらう。
簡単ではなさそうだが、やることさえ決まってれば、後はどうするかを考えるだけだ。
いまだ明けない夜の闇のなか、リシェラの寝息を子守歌に、わたしは静かに日の出を待った。
翌朝。
空に日が昇り、夜の名残の冷たさが少し和らいだところで、野営地のすぐ近くにさっそく人の気配を感じる。
いや、あえて感じさせているんだろう。
「リシェラ、朝だ。起きてくれ」
「んぅ……わかった……」
声をかけると、外套を敷いて寝ていたリシェラがもぞもぞ動く。
寝起きだと、ふだんの大人びた態度が鳴りを潜め、見た目相応にとても愛らしい。
それをずっと見守っていたい気持ちはあったが、それよりも気配のほうを振り向く。
すると、そこには予想していた通り、セイル・ヴァルデリオの姿があった。
陽に照らされると、燃えるような緋色の髪と輝く銀の鎧、それに聖環の印の組み合わせが、ますます“正しい立場”にある者のように見える。
そして、その手には何かが入った布袋が提げられていた。
「……それは?」
「今日は続きの話を聞きに来たが、その前に」
ぶっきらぼうに、布袋を渡してくる。
「昨日の詫びに、飯を作る。そんな状況なら、食料もろくにないだろう。食べながら、話を聞かせてくれ」
少しの間、風で木々の葉がこすれる音が響く。
開いてみると、そこにはバケットと干し肉の塊、それに食べられる野草など。
すこしだけ、この少年のことがわかった。
不器用だが、悪いやつではないようだ。
リシェラの頭がしゃっきり起きたころには、焚き火でのちょっとした調理は終わっていた。
温められたバケットに挟まれた薄く刻まれた干し肉に、新鮮な野草。
それを、疑わしいものを見る目でリシェラはじっと見ている。
「聖環に誓って、変なものを入れたりなんてしない。昨日の話で、君たちの立場はわかったつもりだ」
「リシェラ、いただこう」
リシェラを宥めるため、先んじてそれに手を伸ばす。
掴み、口に入れる。
集中して、“味覚”を感じる器官を再現し、味を感じる。
そして取りこむ。
“核”が満ちることもない、人を模した行為。
だが、不思議とほんのわずか、あたたかいものが胸の奥に灯る気がする。
「わたしたちの立場がわかったなら、これ以上何を聞きたいんですか?」
諦めたようにバケットに手を伸ばしながらも、リシェラは不信感を隠さない。
「そうだな。まず、ミレイル。君は昨日、あそこで何をしていた?」
「賊たちから、何か村を襲った理由や、その証拠に繋がるものがないか、探ってた」
「それはなぜだ?」
「友や、友の故郷の人々が、なぜ死ななければならかったか、確かめるためだ」
「……それで、何か見つかったのか?」
「物では、なにも。ただ、わたしを襲った賊の頭領は、『エルグレイド子爵』のために村の魔具を奪い、口封じのために皆を殺した、と言っていた」
それを聞いて、セイルは目を見開く。
正確には頭領はそこまで言ってなかったが、そこは記憶の情報から補完して、頭領が少し口を滑らせたことにする。
「それって――!」
「“リュナハルの碧玉”か」
息をのむリシェラとは対照的に、顔をしかめるセイル。
「なんで知ってるの!」
「教会は、君たちの村にあったような魔具も把握して、定期的に状況を確認している。そもそも、俺がここにきたのは、その確認のためだったんだ」
「だったら、なんで!」
リシェラはその先を、なんとか飲みこんだようだった。
なんで、間に合わなかったのか――八つ当たりだとは、自分でもわかっているのだろう。
「近くで不審な動きがあると聞いて、巡回の予定を早めたんだが……いや、言い訳だ。すまない」
「それで、教会はエルグレイド子爵を裁けるのか?」
セイルは深く眉をひそめ、重い溜息をついた。
「子爵となると……やっかいだ。貴族には自治権があって、教会だからといってうかつに手は出せない」
「それなら、みすみす見逃せと?」
教会が裁けないとなると、リシェラの望みを助けるために――もしかしたら、“人”のやり方では済まないかもしれない。
わたしの問いに、セイルは一度目をきつく閉じて考えこみ、それからゆっくりと開いた。
「……自治権にも、例外がある。“聖環の楯”は、聖法典に明らかに違反した事例について、独自に調べて裁く権限がある」
「つまり?」
「今回だと、他者の魔具を強奪したことは聖法典に反する行いだ。ただし、明らかに違反したと断定するには、証人と証拠が必要になる」
そこで、セイルの視線がリシェラとわたしに向けられる。
まっすぐな決意を感じさせる、琥珀色の瞳。
「つまり、もし君たちが証人になるなら、あとは証拠があればいい。子爵が“碧玉”を現に持っていることを確認できるなら……俺たち教会が、この件を裁こう」
その言葉には、ずしりとした重さがあった。
気づけば焚き火の赤みは消え、代わりに陽が木々の葉を透かして地面に揺らめいている。
緊張した空気のなかに、自然だけがいつもどおりの静けさを保っていた。
リシェラがそれに、揺れる言葉で返す。
「……でも、貴方は私たちと違って、人間でしょ。信じられない」
「俺を信じてもらえなくても、聖法典を信じてもらえればいい。君たち“森の民”も、聖法典では同じ神の民だ。……それに、君たちが正しいなら……俺は、こういう魔具を好き勝手して許されると思ってるようなやつは、許せないんだ」
吐き捨てるような言葉の底に、煮えたぎるような熱さを感じる。
彼にもまた、その想いを貫く理由があるのだろう。
「ただ、もちろん、あくまで証拠を見つけることができれば、の話になる。しかも、証拠を探すにしても、証言を揃えて裁くにしても、相手の根城まで行かなきゃいけない。君たちがこの件の生き残りだと知られたら、わかってると思うが、命の危険もある」
その言葉は、それでも行くのか、と問いかけている。
それに、リシェラは硬い決意のこもった瞳を返した。
「私は……それでも、わたしの村があったこと、みんなが生きていたことを、なかったことにされたくない。先に進みたい」
「リシェラがそうするなら、わたしも同じだ」
「わかった。なら、君たちをこの件の証人として帯同し、力が及ぶかぎり守ると誓おう」
あっさりと、話は終わりだ、と言うように立ち上がろうとするセイル。
そこに、敢えて声をかける。
「わたしたちが、お前をだましてるとは思わないのか?」
「それは……ないと思いたいな。俺みたいな新人を嵌めるにはことが大きすぎるし、第一、もしそういった手合いなら、逆にそんな見るからに怪しい恰好はしないだろ」
確かに、それはそうかもしれない。
「それに万一だまされてたとしても、構わない。罪には必ず、罰が伴う。もしこれが偽りの罪なら、俺に相応の罰がくだるだけで、それが正義っていうものだ……俺は、それを信じてる」
どこか達観したような物言い。
それには危うさがある一方で、若くとも、巡回騎士としての確かな信念を感じる。
<<こいつは、本物のお人好しだな>>
セラフィーナの残響が、どこか呆れたように囁いた。
けれどわたしは、少しだけ、嬉しいと思ってしまう。
――信じてみても、いいのかもしれない。
そう思わせるだけの輝きが、彼にはあった。
「それじゃ、食べ終わったら出発しよう。北の街、グラシュフェルドに向かう。子爵が直接治めてる街だ」
「その……ごめんなさい、八つ当たりしちゃって。ちゃんと話してくれて、ありがとうございます」
リシェラも、まだ完全に信頼はしてないようだが、それでも一応警戒を緩めてみせる。
情報が繋がり、次に向かう先も決まった。
グラシュフェルド、惨劇の黒幕が治める街。
だが、そこでは自分の正体を隠しながら、奪われた魔具のある場所を突き止めないといけない。
――本当にできるのか?
そんな疑念が一瞬よぎるも、すぐに脳裏からかき消す。
できる、できないじゃない。
一歩ずつ、進んでいくしかない。
セラフィーナ、村の犠牲者たち、それにリシェラに胸を張れる自分でいるために。
明かり差す空を見上げると、木々の隙間から覗く空は、抜けるように晴れ渡っている。
その青さはあまりにも深く、そこには静かに、けれど確かに見えない何かが潜んでいるように感じられた。
けれど、わたしたちはそれでも進むと決めた――それだけが、今、確かなことだった。