#006 邂逅
焚き火の残り香を背に、深まる夜の森を歩く。
闇に包まれた空気はひどく冷たいのに、どこか重たく湿っていた。
まるで、死者の世界に足を踏み入れたような気分だった。
やがて、自らが成した惨劇の現場にたどり着く。
あたりには冷たくなった賊の死体が倒れて、土にはむっとする血の匂いが染みている。
そのなかで、頭領の死体がひと際大きな傷を胸に刻み、仰向けに倒れている。
『頼まれただけ』『お宝奪って、口封じに村を潰せ』『悪いのはお貴族様』
ぺらぺらと話していたその言葉に、黒幕につながる情報の欠片が見え隠れする。
つまり、彼の記憶には、もっと多くの手がかりが含まれている。
――まだ、“色”を感じる。頭領にも、ほかの死体にも。
とはいえ、恐怖と嫌悪感がある。
セラフィーナや村のエルフたちからわかったのは、命を失ってから時間が経てば経つほど、得られるものは少なくなるということだ。
死亡した瞬間、と言っていいほどにすぐ取りこんだセラフィーナは、それこそ記憶に伴った人格を感じるほどの情報が得られたが、時間が経ったエルフたちからの情報は、そこまで完全なものではなかった。
それでも、頭領を取りこむことは、その人格の一部も取りこんでしまうかもしれない。
けれども、ほかに手がかりはない。
頭領の死体の脇に屈み、深く裂けた胸に手をあて――意を決して、奪う。
流れこむ。
貧民街で育ち、盗みと暴力でのし上がり、仲間を食わせるための力を得た。
そんな彼の前に舞い込んだ、己の欲望を当然と語る“貴族様”の汚い依頼。
証拠を残さないため、夜分に通用口から屋敷に入れられ、面会した相手は――
――バルクス・エルグレイド子爵。
街を統べる、“魔具愛好家”として有名な、本来なら一生向き合うこともないような相手。
彼は、威圧するような高く鋭い体躯に煌びやかな貴族服を身にまとい、常に嘲笑を口もとに浮かべていた。
「近くの耳長どもの村で、遥か昔から“リュナハルの碧玉”と呼ばれる魔具が祀られている。それが欲しいのだ。それなりの金貨を払っても、な?」
だが、魔具を奪うことは、教会に禁じられている――貧民街の子どもでも知ってることだ。身分にかかわらず、そんなことをすれば教会から罰が下される。
そう主張すると、子爵は鋭い鷲鼻をあげて嘲った。
「であれば、そんな事実はなかったことにすればよい! もともと何も生まぬ、小さな村だ。野盗に村が滅ぼされ、そこにあった魔具が消え……それは、だれかの罪か?」
灰色の瞳に浮かぶのは、抑えきれない渇望の光。
まるで、すべての価値を己にとっての損得に置き換える者の目だ。
魔具は、一人ひとつしか、同時には使えないはずだ。
なのに彼がなぜ魔具を集めるのか、まるでわからない。
けれどその力強い瞳を見て、この話を請け負うことに決めた。
弱者でいたくないなら、他の弱者を踏み、上に昇るしかない。
それが、俺の選んできたやり方だ。
弱者は、強者に貪られる。
それが、この世界のただひとつの真実だった。
胸の奥から何か重く、黒いものが込み上げてくる。
吐き気と目まいがするような感覚。
けれどもそれを実行する器官がないがゆえに、動揺は一瞬で収まってしまう。
切れ切れの、記憶と情報の欠片。
そこから、求めていた情報はじゅうぶんに得られた。
頭領は、村から奪った“リュナハルの碧玉”を、手分けした部下に任せて、先に子爵のもとへと送り出していた。
ただ、その情報の代償に、頭領たちもまた、悪人ではあったが、人だったということを嫌でも思い知らされる。
事実としてはわかっていても、それを記憶として体感すると、やはり気分はよくはない。
これなら、ほかの賊から情報は集めなくていいだろう。
「光よ、照らせ――そこの者、動かないでくれ」
背後から、若さを感じる、けれども芯のある声が響く。
しまった。
頭領の記憶に集中している間に、だれかに近づかれた。
柔らかな魔術の光が、あたりを照らしている。
ゆっくりと立ち上がり、刺激しないように振り向くと――そこにいたのは、銀を基調とした軽鎧を身にまとい、燃えるような赤髪をひとつに括った少年だった。
リシェラよりは年長に見えるが、青年と呼ぶにはまだ未熟さの残る顔立ち。
けれども、その表情には幼さはなく、向けられた剣先は、はっきりとこちらを捉えている。
「動かないでくれ、と言ったが?」
「言われても、振り向かないと貴方が誰かわからない」
「……セイル・ヴァルデリオ。ルミナ聖環騎士団“聖環の楯”の巡回騎士だ」
確かに、軽鎧や肩にかかるマントに刻まれた聖環の印が、その身分を物語っている。
ルミナ聖環教会は、神の教義を説きながらも、一方では魔物退治や魔具の管理を担う、国を超えた大きな宗教組織。
そして、その巡回騎士は、魔物や魔具、異端に対する調査や裁断の権限を持つ、いわば国を超えた警察官兼裁判官みたいなものだ。
<<つまり、まずい状況だな>>
セラフィーナの記憶に言われなくても、それはわかる。
「名前を名乗れ。それにその恰好。どうして顔や肌を隠す?」
「ミレイル・リュナミク。あるダンジョンで【呪い】を受けて、肌が露出すると痛む。それ以来、ずっとこういう恰好だ」
「それは、その……失礼した」
用意していた偽りの理由を告げると、セイルがばつが悪そうに目をそらす。
【呪い】というのは、稀に冒険者がダンジョンで受けることがある法則性のない異常で、今の状態をごまかすにはぴったりだ。
とはいえ、向けられた剣先がぶれることはない。
「それで、ここにある死体と、君の関係は?」
「ここにいる賊たちが、村の皆を殺した。だから、わたしが切った」
「……村とは?」
「リュナハル村。わたしの友の、故郷だ」
琥珀色の瞳と視線が交差する。
この、セイルという巡回騎士は、少なくともすぐに敵対する意思はなさそうだ。
「俺とはしては、君を信じたい。が、その剣。魔具だな? 教会の登録証は?」
「……未登録だ」
「そうか。俺だって、すべての冒険者が正しく登録しているとは思ってない。けれど、巡回騎士として、魔具の扱いには慎重でありたい。だから、その剣を俺に預けてくれ。そうすれば、君を信じる理由ができる」
彼の言うとおり、冒険者が未登録の魔具を持っていることは珍しいことじゃない。
登録には手数料がかかるうえ、高度な魔具は相応の金を押しつけて無理やり没収される、という噂もあるから、当然だ。
まっすぐな瞳。
きっと、悪い少年ではなく、むしろかなり譲歩してくれているのかもしれない。
けれども問題は、今手にある剣は魔具ではなく、“核”を埋めこんだ――つまり、ある意味わたしの“本体”だということだ。
魔力で繋がっていれば多少離れることはできるが、離れすぎたらこの体は崩れ、霧散してしまう。
「悪いが、それはできない」
「……なんだと?」
ぎり、と少年騎士の表情が険しくなり、その全身に力が籠った。
穏やかな空気の質感が変わり、ぴんと張り詰めるのを感じる。
それでも、そう答えるしかない。
「悪いが、それはできないと言った」
「そうか……なら、やむを得ない。力ずくでも拘束させてもらう」
決裂。力が、解き放たれる。
一本の矢のように、地を蹴って迫りくる。
速いが、殺気は感じられない。
あくまで拘束が目的なんだろう。
だが、素直に捕まるわけにはいかない。
剣を構えると、それを弾くように銀の剣が交差する。
何合かの刃の応酬。
木々の間に、甲高い剣戟音の群れが響く。
頭領たちのような実践で育てた刃の真逆の、積み上げた修練を感じさせる剣。
力強いが、セラフィーナの剣技とは相性がいい。
弾き、いなし、躱す。
踊るように立ち位置を変えながら、しかし攻めるわけにもいかず、困ってしまう。
「後ろめたいことがないなら、どうして抵抗する!」
「込み入った事情がある」
「なら、それをちゃんと説明しろ!」
確かに、ごもっともだとは思う。
己の置かれている状況が人に伝えられるものであれば、の話だが。
一度、大きく弾いて、木々の間へと距離を取る。
語れない今、できることはこの少年騎士を撒いて、姿をくらますことぐらいか。
「やめてくださいッ!」
けれどもその計画も、鋭く震えた声が響いたことで、立ち消えになった。
そちらに目をやると、焚き火跡で寝ているはずのリシェラが立っていた。
「その人は、セラ姉の仲間で、恩人です! 悪い人じゃない!」
「君は……エルフの子どもか?」
セイルも、リシェラの悲痛な声に動きを止めている。
「わたしは、リシェラ。リュナハル村の生き残りです。ミレイルは……ミレイルは、わたしを助けてくれた!」
その叫びは震えていたが、どこまでも真っ直ぐだった。
嘘や偽りのない言葉が、夜の森に静かに響き渡る。
「……ひとまず、話を聞こう。誤解があったのなら、それを正すのも、俺の務めだ」
少しの沈黙の後、先に折れたのは少年騎士だった。
その言葉に、こちらも剣を引く。
「リシェラ、ごめん。起こした」
「そんなことより。後で、ちゃんと説明してください」
叱るような口調に、少しばつが悪くなる。
<<リシェラに助けられたな>>
どこか誇らしげな、セラフィーナの思考の囁き。
最悪の衝突は避けられた。
けれども、ここからが本当の勝負だ。
セイル・ヴァルデリオという巡回騎士。
この少年騎士に、どこまで話すべきか。
夜の森が再び静寂を取り戻すなか、わたしは彼に向けるべき言葉を、ゆっくりと探しはじめた。




