#005 誰が為に
日が暮れた森の中、小さな焚き火が、夜の冷え込みをどうにか押し返していた。
その明かりに照らされて、リシェラの銀の髪が、ちらちらと赤く染まって揺れる。
首ほどの高さに切り揃えられた髪。その奥で、翠の瞳がまっすぐこちらを見ていた。
膝を抱くように身を縮めながらも、決して目を逸らさない。
小さな体に、強い意志が宿っている。
すでに、今に至るまでの経緯は語り終えていた。
自分はセラフィーナの冒険者仲間で、同じエルフということもあって意気投合し、セラフィーナが村に帰るのについてきた。
ところが道中で賊に襲われ、その目的が村の者を根絶やしにし、宝を奪うことを知った。
そこで、セラフィーナの頼みを聞いて、助けに駆けつけてきた――という偽りの物語。
「それなら……ミレイルは。村を、通ってきたんですか」
静かに頷く。
ーーミレイル・リュナミク。
それが、セラフィーナの記憶からこの体につけた、偽りの名前だった。
しばしの沈黙。焚き火のはぜる音が、ふたりの間の空白を埋める。
「だれか、生き残っている人は」
「……わたしの見るかぎり、いなかった」
リシェラの表情が、こわばる。
「……セラ姉は……」
「戦って、死んだ。だから、わたしがここにいる」
くしゃりと、表情が歪む。
それでも、子どもらしく大泣きすることもなく、涙を浮かべながらも堪えている。
<<わたしがこの子を守ると誓った、姉が死んだ日と同じ>>
強い子だ。
でも、その強さが、今は痛ましく感じられる。
「……泣きたいなら、今なら、泣いてもいいと思う」
「いえ、泣きません。みんなが、私の命を繋いでくれた。だったら、すべきことは泣くことじゃない」
そして、悲しいぐらいに賢い。
無理をしているのだろう、その手は硬く握り締められ、膝を抱く腕にも力が入っている。
強がる心をほぐしてあげたいが、あいにくこの体はセラフィーナではなく、彼女にとって見知らぬミレイルのもの。
今、できることは何もない。
風でざわめく木々の音がいやに大きく感じられる、しばしの静けさの後に、リシェラは口を開いた。
「……セラ姉は」
すこし言い淀んでから、続ける。
「セラ姉は、立派でしたか」
「……ああ。たくさん敵を倒したし、彼女のおかげで、今、わたしがここにいる」
偽りのない、真実を伝える。
「村のみんなは、立派でしたか」
「ああ。彼らが稼いだ時間と道しるべが、わたしをここに導いてくれた」
震える肩に、鼻をすする声。
それらすべてに、気づいていないように振舞う。
それが、彼女の望んでいることだろうから。
「そう、でしたか。ありがとう、ミレイル」
しばらく時を置いたあと、リシェラはそう、声をかけてきた。
ミレイル・リュナミク。
セラフィーナの記憶をもとに作り上げた、偽りの仮面。
けれど、今、この焚き火を前にして、その名がまるで本物のように胸に重くのしかかる。
本来なら、ここにいるべきはセラフィーナだった。
彼女ではない自分が、こんな風に寄り添っていいのか。
その問いが、答えのないまま胸に刺さっていた。
「これから、どうする」
その疼きを誤魔化すように、気づけば口が先に動いていた。
「わたしは……なんでみんなが死ななきゃいけなかったのかを、知りたい」
「それはーー」
無茶だ、という言葉が出かかった。
それには、この虐殺を引き起こした黒幕を探り、さらに生きてそこまで辿り着かないといけない。
とても、村を失ったひとりのエルフの少女にできることではない。
「わかってる! でも、このままだと、前に進めない。胸を張って、生きられないの」
抑えきれない、悲痛な魂の叫び。
それでようやく、わかった。
この子は強いんじゃない。
ただ、そのまま受け止めたら押し潰されてしまう悲しみから、なんとか逃れられる理由を探している。
「たとえ、それをみんなが望んでいなくても?」
セラフィーナの意思は、<<この子が生きてくれればそれでいい>>と伝えてくる。
村のみんなの記憶も、そんなことを望んでいたわけではなく、ただ純粋にリシェラが生き延びられるように願っていた。
「それでも、止まったら……わたしが、わたしを許せない。だから、止まれません」
その言葉に、場違いながらすこしだけ羨ましさを覚えてしまう。
もしも自分が、リシェラと同じ状況だったら、こんな風に思えるだろうか?
信念と決意。
それは、偽りだらけの自分にはとても眩しく映る。
だからーー
「わかった。なら手伝おう」
リシェラのまなざしが、かつてのセラフィーナと重なった気がした――だから、応えたくなった。
自分も胸を張って生きれるように。
「そんな! 巻き込むわけにはーー」
「セラフィーナには恩があるし、なにより、わたしも胸を張りたい」
人として。ミレイルとして。
「それに、巻き込むのを拒むってことは、自分でも簡単じゃないってわかってるってことだよね」
「う……それは、はい」
「だったら、無茶をやるときこそ、万全の体勢と準備が必要だ。だから、明日からのために、今日はもう休みなさい」
バツの悪そうなリシェラに畳みかけ、無理やり横になるように仕向ける。
背を向けて横になったリシェラから、表情が見えないまま、声が届く。
「あの、ミレイル。ありがとう……ごめんなさい」
「礼はいい。わたしも前に進みたかったから、ちょうどよかった」
それからも、なかなか寝付けないようで、リシェラの声が、ぽつり、ぽつりとあたりの音に混じるように漏れてくる。
眠気が、彼女の心の壁をほんのすこしだけ緩めているようだった。
「昔、病気でお母さんが死んじゃって、それから、セラ姉とティアレナがわたしの面倒を見てくれたの」
「……ああ」
「ティアレナは、村でいちばん弓がうまくて、わたし、それを教えてほしくて駄々をこねたの……でも、笑いながら教えてくれたのは、森での逃げ方と隠れ方だった。まずはこれからね、って」
「……そうか」
「わたしは、セラ姉みたいに戦う力が欲しかったから、悔しかった。でも、わたしが生き延びられたのは、ティアレナがそれを教えてくれたから」
「……そうだな」
それに、ただただ静かに相槌をうつ。
「ティアレナは、今のわたしを、どう思うかな……」
「彼女は、正しかった。きっと、誇りに思ってる」
だんだんと、リシェラの声が強さを失ってきた。
微睡んでいるのだろう。
「……あのね、ミレイル。ありがとう、来てくれて……」
ようやくこぼれ落ちた、子どもらしいか細い一言。
それを最後に、焚き火の揺らぎと共に、リシェラの呼吸が静かに整っていく。
小さな寝息が聞こえだしたころ、起こさないようにそっと立ち上がる。
新たな目標は、決まった。
これは、セラフィーナの意思でも、村の記憶のせいでもない。
自分自身が選んだ道だ。
だれかの代わりじゃない、“ミレイル”として生きるための初めの一歩。
そのためにはこの惨劇の黒幕につながる手がかりが必要だ。
そして、その手がかりは、森のなかにあるーーそう、頭領の記憶のなかに。
今なら、まだ間に合うかもしれない。
惨劇の現場に戻るため、もと来た森の奥へと足を踏み出す。
焚き火の赤が徐々に木々の陰に消えていき、わたしは再び、深い夜の闇のなかへと身を投げ出した。