#004 偽りの守護者
深き森は、その名のとおり木々が深く生い茂っていて、湿った土の匂いに満ちていた。
この場所なら、リシェラがそう簡単に見つかるとは思えない。
けれども、時間を無駄にしている余裕はない。
枝を蹴り、木々のあいだを駆ける。
エルフの体は森を駆けることに適応していて、その使い方は村のエルフたちの記憶が教えてくれた。
駆けながらエルフの耳と“色”で、音と魔力を探っていると、いかにも荒っぽい響きの男の声を遠くで捉える。
――いた。
「くそっ、またいなくなりやがった」
「あと一匹さえ殺れりゃ、こんな辛気臭いとこからおさらばなのによ……おい、どっちが先か競争しようぜ!」
木々の上から見下ろすと、剣や槍を構えた賊が5人、思い思いにあたりを探っていた。
またいなくなった――つまり、リシェラは生きている、ということだ。
念のため、“色”を、つまりあたりの魔力を探ると――いた。
賊たちのそばに張り出した太い木の根の陰に身ひそめる、ちいさな少女。
こんな状況でも悲鳴ひとつあげず、猫のように逃げ出す機会をうかがっている。
ああ、わたしの守るべき宝、リシェラ。
生きていた、という安心と、守らなければ、という激情が同時に襲ってきて、我を失いそうになる。
彼女が潜む場所は賊たちに近く、うかつには動けないし、いつ見つかってもおかしくない。
湧き上がる感情をおさえて、状況をよく確認する。
森のなかは薄暗く、木々で視界も悪く、なにより敵は、自分たちが狩る側だと油断しきっている。
<<教えてやろう。どちらが狩られる側なのかを>>
セラフィーナと意思が一致する。
枝から枝へと渡って、真上へ。
幸いにも、賊たちはリシェラを探すために、それぞれが違う方向に注意を向けている。
音もなく舞い降り、落ちながらまずは一人目を、剣で貫く。
「お゛ッ」
一瞬の断末魔。
それに反応されるよりも早く、さらに近くの2つの首に刃を振るう。
「なっ」
「ぐえっ」
血が噴き出し、力を失った体が倒れる。
残りは二人。さすがにこちらに気づかれた。
「なんだてめえ!」
「生き残りがいたのか!?」
武器を構えられるが、問題ない。
賊とリシェラの間に入ることができた。
リシェラもこちらに気づいたが、どうやら戸惑っているようだった。
「……逃げて」
この体ではじめて声をだしたから、すこしぎこちなく響いたが、伝わったはずだ。
「セラ姉?」
予想外の反応。
振り返りたい衝動に駆られるが、敵から目を離せない。
背を向けたまま、剣を振って促すと、リシェラの気配が森の奥へと離れていく。
その間に、賊がなにか小さなものを口にあて、息を吹きこむ。
――ピリリリリリ!!
ホイッスルのような甲高い音が反響する。
なるほど、合図か。
であれば、集まる前に、残りを倒す。
セラフィーナの記憶が、男たちの構えの隙を教えてくれる。
無造作に踏みこむ。
慌てて振り下ろされるも、浅い。
紙一重で避け、後隙に首を薙ぐ。
吹きあがる血しぶき。
背後から、突きの気配。
前に跳んで離れる。
振り向くとやはり、後ろには突きの姿勢で固まった最後のひとり。
剣をイゼリオから継いだ風の魔術で加速し、手放す。
放たれた剣は、男の体を、背後の木へと縫いとめた。
「ぞん、な゛――」
ごぽりと血を吐き、絶命するのを確認して、ふぅ、と息をつく。
はじめての戦いなのに、心は恐ろしいほど静かだった。
それは、セラフィーナや村のエルフたちの記憶によるものか、それとも――
「おいおい、なんだてめぇ……“銀級”の仲間か?」
考えに浸る暇もなく、聞き覚えのある声がかけられた。
剣を引き抜きながら振り向くと、セラフィーナの記憶で見た頭領が、奥から姿を現した。
ずんぐりとした体躯だが、重心は低く、場数を踏んだ剣士のように隙がない。
その両脇には、部下らしき手勢がふたり。
「……だとしたら、どうする」
「どうするもなにも、死んでもらうしかねえが、興味ってやつさ。分け前増やしてくれた礼も言わねえとだしな」
頭領は、肩をすくめてから転がる死体に目を向け、鼻で嗤った。
「なぜ村を襲った? なぜ皆を殺した?」
「おいおい、睨むなよ! 俺は頼まれただけだ。お宝奪って、口封じに村を潰せってな。悪いのはお貴族様と、弱かったお前らだろ」
おどけたように振る舞う頭領をよそに、部下たちは左右にわかれ、じりじりと包囲を狭めてくる。
「それを頼んだのは、だれだ」
「おいおい、いくら俺がべらべら喋るからって、言うと思うか? それより、そろそろ――死んでくれや」
すぅ、と頭領の目が細められる。
視界の両端から、同時に斬撃が襲いくる。
左を身をひねって避け、右を受け流す。
そこへ、頭領の正面からの振り下ろし。
まずい、間に合わない。
風の魔術で剣を加速させ、かろうじて弾く。ずしりと重い一撃。
それから数合、ひたすら守勢に回るしかない。
ようやくとらえたわずかな隙に、頭領の脇を転がり、辛くも包囲から逃れた。
「おーおー、今ので殺れねえとは大したもんだ」
またまだ余裕がありそうな頭領の態度。
――戦いの、練度が違う。
“銀級”は、あくまで冒険者としての『強い魔物が倒せる実力がある』証明。
人同士の戦いの練度とは別物だ。
実際、だからセラフィーナは命を落とした。
人には後ろは見えないし、同時に対処できる数も限られている。
この賊たちは、桁外れに強いわけではないが――群れて人を殺すことに慣れている。
「てか、面白ぇ魔具持ってんな。お前が死んだら、俺がありがたく使ってやるよ」
ゲラゲラと、下卑た笑い。勝った気でいる。
魔具――稀にダンジョンなどで見つかる、特別な能力が付与されたアイテム。
そんな不快な話を聞かされている間にも、また部下たちが左右から回りこんでくる。
――逃げるか?
否。逃げたらリシェラの安全が確保できない。
けれども、倒せるか?
セラフィーナや村のエルフたちの記憶を駆使しても、人同士の戦いでは相手に利がある。
<<それでも、勝ちたいなら。そのためには――>>
こだわるな。
どうせ、体も剣も、すべてニセモノだ。
なら、人同士の戦いのルールに従わなくてもいい。
<<すべてを使え>>
パチリ、と思考のスイッチが、切り替わった気がした。
焼き直しのように、また左右同時の斬撃。
左を避け、右を剣で受ける。
次の瞬間、受けた剣の先を鎌のように細く伸ばし、右の側近の喉を掻き切る。
「ごぉっ!?」
正面から迫る、頭領の斬撃。
剣を元の形に戻し、下からの切り上げで迎え撃つ。
ギィン、と鋭い音を響かせ、互いの武器が弾かれる。
その力をそのまま、肘を基点にぐるりと回して次の斬撃へ。
関節を無視した異常な挙動に、パキャ、と肘から割れるような異音が響く。
「うおぉっ!?」
切れたが、浅い。
その間に、間近に寄った左の部下が、振り下ろしてくる刃が迫る。
それに蹴りを放ち、足先を丸ごと捻じれた剣へと再構成する。
刃同士がせめぎ合い、最後にはこちらが弾き、勝つ。
信じられないものを見るような顔に、剣と化した足をさらに“伸ばし”、貫く。
ぐしゃりときれいに頭に穴があいた体が、力を失ってどさりと倒れる。
残ったのは頭領だけだ。
にやけた薄笑いは消えて、脂汗を浮かべながら、こちらを見る。
「てめぇ、いったい何なんだよ……魔物か!?――くそっ!」
たまらず振ったとでもいうような、破れかぶれの、力のこもった大ぶりな斬撃。
だが、そこに感じる殺意は本物だ。
正面から剣をあわせて、大きく弾く。
体勢を崩した頭領の目が、希望を捨てずギラついている。
その柄の奥から、「カチリ」と小さな異音。
次の瞬間、飛び出した銀の閃光がまっすぐ顔に迫り――生やした細い触手で反射より早くつかみ取った。
何かの液体をまとった、針。おそらくは毒。
きっと、何度か彼の危機を救った“奥の手”だろう。
けれども、それすらこの体には、通用しない。
「ふざけんなよ、このバケモノが――!」
大きく体勢を崩した頭領に、剣を持った右腕を異形にしならせ、今度は命に至るまで大きく、深く、切り捨てる。
「くそが……こんなとこで、終わるのかよ……」
終幕を告げるように、盛大な血飛沫が舞う。
それが、頭領の最後の言葉になった。
静かになった森のなかで、あらためて擬態の状態を確かめる。
すると、無茶をした肘と足先の表面に、蜘蛛の巣状の細かいヒビが入っていた。
どうやらニセモノの皮膚は、人を超えた動きをすると、耐えきれずに崩れるらしい。
――魔物。バケモノ。
向けられた言葉を思い返す。
もっともだ、と思う。
自分がなにものなのかすら、今の自分にはわからない。
宝箱に擬態して人を襲う、ミミックと呼ばれる空想上の敵が、頭によぎる。
けれども、今はまだ、立ち止まるわけにいかない。
集中すると、ひび割れは元からなかったかのようにすぅっと消え去った。
けれども、これだとまたいつ崩れるかわからず、どこか心もとない。
今後に備えて、できるだけ肌を見せない装いを整える必要がある。
まずはローブを目深にかぶり、セラフィーナの記憶から特に裾の長い軽装を再現して。
それからさらに、肌の露出するところには、その上に巻きつけた包帯を構成する。
無機物への擬態は、生きものに比べてなぜかはるかに楽だし、破綻しない。
完成したのは、深くかぶったローブから目だけをのぞかせる、異様な風体の女エルフ。
この装いなら、肌が多少崩れても、ごまかせるかもしれない。
不審ではあるかもしれないが、背に腹は代えられない。
姿を整え終えたところで、気配を探りながら、森を駆ける。
リシェラを逃した方向へ。
もしかしたら、まだ賊たちの別動隊がいるかもしれない。
そんな不安を抱えて、木々を抜けると――たどり着いた。
かすかに明かりがさす、枯れて倒れた巨木の陰。
そこに、息をひそめて隠れる、利発そうな少女。
――リシェラ。無事だった。
抱きしめたい。
湧きあがる衝動はきっとセラフィーナや村のエルフたちの記憶によるもので、でもそれがわかっていても、消すことはできない不思議なものだった。
驚かせないために、あえて気配をあらわにして、近づく。
すると、彼女はすぐに気づいて、こちらに顔を向けてきた。
目と目が合う。
「セラ姉……じゃない。貴女は、だれ?」
リシェラの目がわずかに揺れる。
迷いと、怯えと、希望が、すべてないまぜになったような――そんな色を帯びていた。
その答えは、自分でもわからない。
けれども――
「わたしは――セラフィーナに頼まれて、ここに来た。リシェラ、貴女を守るために」
どうありたいかは、わかる。
セラフィーナや村のエルフたちから継いだ想い。
それを大切にしたい。
人として。
怖がらせないようにゆっくりと、包帯に覆われた、偽物の手を伸ばす。
それに、リシェラはおそるおそる巨木の陰から歩み出て、温かい手を重ねてくれた。
<<ああ、ようやく>>
感極まった思いは、セラフィーナのものか、自分か。
どちらにせよ、この世界で、ようやくひとつ、何かを成し遂げられた気がした。