#003 意志の礎
たどり着いた村の入り口で、嫌でも足を止めざるをえなかった。
獣の瞳に映るのは、焦げた家々に潰れた屋根、そして転がる死体の数々。
あたりの空気には煤けた灰と、焦げた血のにおいに満ちている。
……村は燃え落ちていた。
間に合わなかった。
火の手はもうおさまっているが、ついさっきまでこの場所が地獄だったことは明らかだ。
そこには守るべき少女、リシェラの姿はない。
生きているのか死んでいるのか、どこにいるのかさえ、わからない。
――どうすればいい?
途方に暮れたその瞬間、頭のなかにセラフィーナの声が響いた。
<<どうするもなにも、“探す”しかない>>
語りかけられているような錯覚に陥ったが、違う。
これは、セラフィーナの思考を、再現した結果だ。
膨大に取りこんだ、彼女の記憶。
そこから導かれる判断。
“彼女ならこう考える”という答えを、無意識にそれは提示してくる。
<<時間がないのに、情報が足りない。効率よく探すには、情報が必要だ>>
流れるように続く思考。
それが、自分自身のものなのか、セラフィーナの判断をなぞったものなのかも、もう曖昧だ。
けれど、いずれにしろ、それはたしかに正しい。
この焼け落ちた村で得られる情報の源といえば――残された死者たちしか、ない。
つまり、彼らが見たもの、聞いたことの断片から、生存者の痕跡をたどる。
だけど、それを望んでいるかどうかもわからない者へ行うのは、死者への冒涜ではないのか?
<<仲間を助けられるなら、わたしたちは躊躇わない。命を、無駄にするな>>
それは、きれいごとではなく、少なくとも彼女にとっては真実だった。
悩んでいる時間はない。
だから決めた。
たとえそれが、冒涜であったとしても。
無駄にはしないことを選ぶ。
村に入ると、すぐに目についたのは、弁慶のように立ったまま息を引き取った老エルフだった。
筋骨隆々の老鍛冶師、ラウレイル・サルフィーン。
彼のなかに、まだ残る“色”を感じる。
耳長猫の体でぺこりと頭をさげてから、そっとそれをいただく。
「こら、慌てるでない! みなに伝えろ、互いに支えて東へ抜けよとな」
賊が村に入りこむなか、近くの若造を逆へと押しやる。
それから未来をつなぐため、普段の鍛錬で手に馴染んだ長く太い棒を構えてその場に立ちはだかった。
彼の死は、ほかの村人が逃げる時間を稼いだ。
村の通りを東へ抜けていく。
すると、いくつかの焼け死んだ賊の死体と、剣に貫かれ、焼け焦げたエルフの死体があった。
そこにまだ残る、“色”を、いただく。
「理論はもういい。あとは実践だ」
ずっと引きこもりだった魔術研究家の変人、イゼリオ・フェルナレド。
逃げる村人を守ってありったけの魔術を放ち続け、最後は刃に貫かれながらも、自らの炎で己もろとも敵を焼き払った。
最後に思い浮かべたのは、密かに想い続けた者の名と、その無事への祈りだった。
彼の死は、賊に犠牲をだし、また恐れさせた。
さらに奥へ抜けていくと、村の隘路で重なるように倒れたエルフの大人たちと賊の死体が見えた。
きっと、防衛線を引いてここで戦ったのだろう。
リュナハルはちいさな村で、成人前の子はリシェラしかいない。
逃げずに戦ったということは、せめて未来につながる子を逃がしたのかもしれない。
男も、女もみな死んでいる。
彼らの“色”をいただくと、やはりリシェラと彼女の養母を逃がすため、彼らは勇気ある決断をしたことがわかった。
気づけば陽は低く、空が朱に染まっている。
村の大人たちの記憶から、リシェラたちが逃げた深き森へと向かう。
ちいさな丘を越えると、点々と続く賊の死体が、道を指し示していた。
そして、その先に。
刺し貫かれたリシェラの養母、ティアレナ・ヴェリスの遺体があった。
“色”を、いただく。
「いい? 決して振り返らないで。森に入れたら、教えたとおりにやるの。そうしたら、きっとあなたは大丈夫だから。獣からの逃げ方と隠れ方、覚えているでしょう?」
リシェラの泣きそうな顔。
それを突き放して、わたしは振り返って矢をつがえ、追手どもを狙う。
二度は見ない。
こういうときに正しい決断をできる、賢い子だって知っているから。
「わたしは弓、子を守る弓……」
つぶやきながら、矢を風に乗せる。
たとえ、わたしの命が時間稼ぎにしかならないとしても。
それでも、どうか――
彼女は、最後の貴重な時間を稼いだ。
森へと走る。
体に、いや、“核”に尋常じゃない量の“色”が満ちているのがわかる。
魔術研究家のイゼリオの記憶が教えてくれる。
この“色”は、魔力だ。
リュナハル村のエルフたちは、記憶以外にも、魔力と、エルフという種族の構成情報をくれた。
だから、今ならできる気がする。
完全な情報があるセラフィーナをもとに、村のエルフたちの構成情報で補完。
これで、「セラフィーナと、村のエルフたちとの中間にある素体」を再構成する。
できるはずだ。
彼女のすべてと、村の皆が残したものが、自分のなかにあるのだから。
魔力が、情報に基づき、形をつくる。
構築完了。
この体は、村のエルフたちを少しずつ継いでいる。
ヒトの高さの視界に、心のどこかで“なつかしい”と感じる。
駆けながら、セラフィーナが得意としていた片手剣を形にする。
すると、それが当然のことのように、記憶だけであっさりと構成できた。
さらに念のために、“核”を剣に移して飾りに偽装し、目深に被れるローブを身に纏う。
準備は整った。
これなら、戦える。
あとは、探し出すだけだ。
ここで倒れた誰もが、未来をつなぐために命を懸けた。
だから、それを継いで、成し遂げる。
そう胸に浮かぶ決意を抱いて、わたしは深き森の奥へと踏みこんだ。