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#015 在り方

 それから、数日。

 街の雰囲気は、驚くほどに何も変わっていなかった。

 子爵が教会に罪を問われ、しばらくは代理の領主になるという知らせはあった。

 けれども宿の窓から見下ろせば、陽に照らされた通りで商人と客が言葉を交わし、人々が行き交い、それぞれの人生を生きている。

 窓から差し込む穏やかな日差しが、わたしの体をじんわりと照らし、温める。


 わたしたちは、あの後も宿に部屋を借り続けていた。

 以前セイルから渡されたお金でしばらくぶんは前払いしているし、さらに幸いなことに、今のわたしにはこっそり夜に屋根から回収した、”わたし”を商会に売ったときの対価がある。

 そのおかげで、しばらくはお金の心配をしなくてすむ、というわけだ。


「ミレイル、ちょっといい?」


 背後から、呼びかける声。

 振り向くと、そこにはもじもじと、何か言いたげに身を揺らすリシェラがいた。


「なんだ?」

「その……身体はもう、大丈夫なの?」

「大丈夫だ。この前も言ったろう、わたしは他の人より頑丈だ、って」


 結局、あの後にリシェラとセイルには、

「子爵の刃を受ける直前に、とっさに剣を変形させて鎧のように肌に這わせた」

「結果、直接刃は受けずにすんだが、【呪い】のせいで衝撃が響いて動けなかった」

 と無事だった言い訳をした。

 苦しい説明だとは思うが、それ以外に血の一滴も流さずに無事でいたことを説明できる理由が思いつかなかった。

 幸いにしてリシェラもセイルも、実際にわたしに刃が刺さっているのを、立ち位置的に直接は見ていない。

 その場はそれで切り抜けて、それから毎日心配してくるリシェラに耐えかねて、【呪い】は感覚を狂わせるが、体はむしろ頑丈にしてくれている、とその場しのぎの嘘を重ねて――いつか、ぼろが出てしまいそうだ。


 ため息をついて、話を変える。


「それより、何か言いたいことがあるんじゃないのか?」


 あれから日も経ってるし、体の調子を聞くためだけに声をかけたとは思えない。

 すると、リシェラは少しためらった後に、意を決したように口を開いた。


「あの、さ。ミレイルは、わたしが知るのを手伝ってくれるって、言ったじゃない?」


 今はもう、遥か昔のことに思える、はじめてリシェラと出会った夜の話だ。


「……ああ、言った」

「結局、わたしはぜんぶ知ることができて、子爵は捕まって。約束を、果たしてくれたから……そろそろ、これからのことを考えないと、って思ったの」


 これから。

 そんなことは、まだ考えていなかった。

 なんとなく、リシェラとセイルがいる日常が、このまま続くんじゃないか、とぼんやり想像していただけで。


「確かに、そうだな」

「それで……わたし、ふたりが子爵と闘った日に、何もできないで隠れてるだけで、悔しかった。それに、あの人が言ってたことにも、ひとりだと対抗できなくて」


 ゆっくりと、噛みしめるように語るリシェラの言葉を、黙って聞く。

 そんなことはない、と言いたい気持ちもあったけれど、今は口を挟んだらいけないような気がして、言葉を呑みこんだ。


「だから、わたし――」


 そこで一回言葉が詰まり、けれども勇気を絞り出すように、リシェラは続けた。


「ミレイルみたいな、冒険者になりたい。もう、守られる側ではいたくないから」


 その翠の瞳には、しっかり考え抜かれたであろう、固い決意が宿っていた。

 きっと、彼女はあの日から、ずっと考えていたのだろう。


 かなわないな、と思う。

 いつだって、この子は一歩先を見ている。

 なんだか置いていかれているような気がして、すこし胸が苦しくなった。

 成長した子どもの背中を眺める親は、きっと同じような気分になるのだろう。


「それで、その、都合がいいお願いなんだけど……ミレイルに、冒険者のこと、教えて欲しいなって。わたしが、ひとりでやっていけるようになるまで。……だめ?」


 すこし気恥ずかしそうに、けれどまっすぐに見上げてくるリシェラ。


 ああ、この子は本当に。

 いつだって、先を示してくれる。


 それは、新しい約束だった。

 リシェラが一人前になるまで、一緒にいる。

 そういう絆を形にした、約束だ。


「もちろん、いいに決まってる。わたしも、もっとリシェラと一緒にいたい」

「やったぁ!」


 頷くと、リシェラにしては珍しく、子どもっぽく跳ねる。

 そのとき、コンコン、と扉が礼儀正しく叩かれた。


「ミレイル、リシェラ、いるか?」


 その裏から聞こえてくるのは、落ち着き払ったセイルの声。


「セイル、聞いて! 思い切ってミレイルに訊いたんだけど、冒険のこと、わたしに教えてくれるって!」

「お、よかったじゃないか! やっぱり、何事も先輩に教えてもらうのが一番だからな」


 戸を開けて入ってくるセイルは、喜ぶリシェラの話を聞いても特に驚いた様子はない。

 ということは、リシェラから先にこの話を聞いていた、ということだ。

 ……それは、なんだか、面白くない。


「……おい、ミレイル、何で俺を睨む?」

「睨んでない。別に、なんでもない」


 首をかしげるセイルから、顔をそむける。

 そんなに、顔に出ていただろうか。


「ああ、それより。ミレイルとリシェラに頼みがあるんだ」

「今日は、頼まれごとが多い日だな」


 ちょっとした皮肉に、やれやれ、というようにセイルは首を振る。


「突っかからないでくれよ。で、頼みだが、もう少しこの街にいてほしいんだ。今回の“碧玉”の件で、証人として話を聞かれるかもしれない。もちろん、ことが終わるまでの滞在費なんかは教会が持つ。どうだ?」


 予想外の話に、思わずセイルの顔を見つめてしまう。


「……あれで終わりじゃないのか?」

「ふつうならそうだが、相手は貴族だ。教会が、慎重になるのも無理はない」

「同じ“神の民”なのにか?」

「混ぜっ返さないでくれ。俺だって思うところはあるが、そういう上からの要請なんだ。で、どうなんだ?」


 尋ねられて、リシェラと顔を見合わせる。

 終わった、と思ってたのはわたしたちだけだったようだ。


「どうって……断ると、お前は困らないのか?」

「まあ、困るな。だが、君たちには断る自由がある」


 どこまでも、生真面目なやつだ。

 リシェラはこちらを見て、笑ってちいさく頷いてきた。


「セイルが困るなら、わたしたちは断らない。そもそもお前の協力がなかったら、きっとここまでうまくいかなかった」

「それはどうかな。俺は今回の件で、自分の力不足と……未熟さに気づかされたよ。だから、今後はもっと鍛えないとな」


 庇われたときのことをまだ悔いているのだろう――その表情には悔しさと、自分自身に対する怒りが隠しきれずに漏れ出ていた。

 それでも、セイルもまた、もう未来のほうを向いている。


「それじゃあしばらく居るって、上に報告しておくよ」

「そうしてくれ。ああ、それから……あらためて、礼を言う。ありがとう、セイル」


 そう伝えると、立ち去ろうとしていたセイルは一瞬驚いたように目をまるくした後、照れくさそうに視線を逸らした。


「いや、騎士の務めを果たしたまでだ。……それじゃ、また」


 足早に去っていくセイルに、こちらを笑って見ているリシェラ。

 とりあえずあとすこしは、こんな穏やかな日々が続きそうだった。




 ――その夜、わたしは、鐘楼の屋根の上にいた。

 夜が深くなり、だれもが寝静まっている時間帯。


 けれども眠る必要がないわたしは、寝息をたてるリシェラを残して、宿を抜け出してここまで来た。

 獣の姿になって屋根伝いに歩き、目的地に着いたら、人に戻る。

 滑らかに擬態をかえる感覚にも、もう慣れた。


 この鐘楼は、領主の館を探っていたときに見つけた、絶好の隠れ場所だった。

 見晴らしがよく、あたり一面が見下ろせて、朝の鐘の時間までだれも来ない。

 静かに考えごとをするには、ちょうどいいところだ。

 涼しい夜風に当たりながら、ひとり、意識を内に沈める。


 リシェラとセイルは、それぞれしっかりと、これから先のことを考えていた。

 その先に一緒にいたいと思うも、それなら避けて通れないひとつの問題がある。


 子爵の魔具、接続環ダルネは最後に、『旧朋』という言葉をわたしに投げかけた。

 その意味は、正確にはわからない。けれど、少なくともまったく知らない存在に向ける類のものではないだろう。

 ふるい、ともがら。

 わたしには、そんな言葉を向けられるような覚えはない。

 なぜそんな言葉が――結局、わたしはいったい、何なのか?


 悩むわたしの後ろからセラフィーナが現れ、不思議そうに問いかけてくる。


<<それは、そんなに大事なことか?>>


 正直、それが大事なのかどうかすら、よくわからない。

 魔物なのか、魔具なのか、あるいはそれ以外の何かなのか。

 考えるには、あまりにも材料が不足している。


<<なら、これから過ごす日々のなかで、確かめていけばいい>>


 どこまでも前向きなセラフィーナの考えに、ふっと緊張の糸が緩みそうになる。

 そんなに行き当たりばったりで、いいのだろうか。


<<いいも悪いも、わからないことを悩んでもしょうがない。大事なのは、これからどうしていくか、どうしたいかだ>>


 それは――確かにその通りだ。

 これからどうしていくか、どうしたいか。

 それを考えると、自然と望みが浮かび上がってくる。


 ――自分が、いったい何ものなのかを知りたい。


 けれども、そのために今のリシェラたちとの絆を、手放したくない。

 そこまで考えが及んだところで、気づかされる。


 要は、わたしは不安なのだ――正体のわからない自分が、リシェラたちのそばに居ていいのかどうか。

 けれども、それがわかるまでリシェラたちを遠ざけるだけの気概も勇気もない。


<<それなら、どっちも追い求めたらいい。自分に正直でいられるのは、それこそ冒険者の数少ない特権のひとつだ>>


 そんなわたしの背を押すように向けられる、セラフィーナの温かい言葉。


 ――いいんだろうか。

<<いいかどうかは、自分で決めることだ。ミレイル、お前はどうしたいんだ?>>


 その問いに、一瞬答えに詰まる。

 けれども、わたしの本心は決まっていた。


 ――わたしは、どっちも諦めたくない。

<<だったら、諦めないでいい。その責任を、自分自身が負うかぎりな>>


 セラフィーナの堂々とした返事に、ふっと肩の力が抜ける。

 状況は変わってないのに、不思議と心の重しがひとつ、外れた気がした。


 リシェラたちのそばにいながら、自分自身の正体を探っていく。


 それが、わたしなりの、これからのこの世界との向き合い方だ。

 カチリと、心のピースがどこかに嵌まった。

 そしてそれをきっかけに、部品が噛み合った機械が動き出したように、わたしの心が晴れていく。


 ふと気づけば、鐘楼の鐘の、低く柔らかな音が聞こえた気がした。

 もちろん、こんな時間に本当に鐘が鳴るはずがない――だから、これはきっと、わたしの心のなかに響く門出の音だ。


 意識が現実に戻りゆくなかで、離れていくセラフィーナに礼を伝える。


 ――ありがとう。


 すると、セラフィーナは呆れたように笑った。


<<おいおい、わたしはお前の一部なんだ。自分自身に礼なんていらない>>


 そう言って、けれど意識が完全に現実に戻る直前に、声が届く。


<<――だから、お前がどんな形で、どんな在り方を選ぶとしても。私は、これからもお前を助けよう>>


 瞳を開くと目に映るのは、薄曇りの夜空の下で、静かに眠る街――今日この場所に着いたときから、何ひとつ変わってないように見える光景。

 それでも、確かに変わったものはある。


 わたしは、リシェラのもとに帰るため、ゆっくりと宿へ向けて歩きだす。

 吹いてくる夜風が、不思議と今は、すこし温かくなったように感じられた。

これにて、第一部は完結となります。


小さな物語ですが、もし心に残る場面があったなら嬉しいです。

よろしければ、ブックマークや感想などお寄せいただけると、今後の創作の励みになります。

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