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#014 最後の一線

 世界に色はなく、動きもない。

 まるで、一生を振り返るために、誰かが最後の時間をくれたかのように。

 終わりが迫ると、世界をこんなふうに感じるのか――そう思った瞬間、自分の中から何かが響く。


<<要求:従属器/行使せよ>>


 その響き方は、セラフィーナの残響にどこか似ていた。

 けれども伝わる内容は、まったく覚えのない無機質なもの。


 いったいどこからかと探ると、それは体に埋まった槍斧(ハルバード)から――いや、違う。

 槍斧ではなく、それに魔力の糸が繋がる、子爵の籠手から伝わってきている。

 世界のなかでそこだけは色づいていて、脈動する魔力でそれがわかった。


<<これは、いったい?>>

<<変更――要求:従属器/停止せよ。回答:結線伝送。要求:汝/個体符号は?>>


 わたしの戸惑いに、直接それが応えてくる。

 結線とは、魔力の糸の繋がりのことか。

 それと同時、わたしのなかで膨れつつあった槍斧の魔力が、収まっていく。


<<わたしは……ミレイル、と呼ばれている。お前は?>>

<<照合中:……汝=名称一致なし。回答:我=接続環【ダルネ】>>


 それで、ようやくわかってきた。

 これは、死を前にした走馬灯ではない。

 情報のやりとりが極限まで圧縮された、時間が止まったような“現実”だ。

 なんで急にそんな世界に入ったかといえば……おそらく偽りの体が破られて、魔力を通して子爵の魔具【ダルネ】と繋がったから。


 ということは、まだ終わってない。

 子爵をなんとかしなければ、セイルとリシェラが危ない。

 そして現実での戦いの鍵は、この魔具ダルネが握っている。


<<ダルネ、助けてほしい。このままだと、セイルとリシェラが危ない>>

<<検討中……拒否:理由=要求不明瞭>>


 意思がそのまま伝わってくるから、なんとかぎりぎりのところで意思疎通が成り立つ。

 この魔具には確かに意思があるが、それは人間的な人格というよりも、規則に縛られた人工知能のようだった。


<<なぜ、子爵に従っている?>>

<<回答:我/契約者=なし。仮使役者=貴称“子爵”。優先:仮使役者>>

<<だが、子爵はお前の力を使って、悪を成そうとしてる!>>

<<回答:我/優先度に従う>>


 ダルネにとっては、現実の世界がどうなろうが、どうでもいいのだろう。

 あるいは魔具というもの全体にとって、現実とはそういうものなのかもしれない。

 けれど、わたしにとっては違う。


<<セイルとリシェラを、助けたい。ふたりを、傷つけないでくれ>>

<<検討中……拒否:理由=“子爵”、“セイル”、“リシェラ”/同一優先度>>


 その答えからは、善意も悪意も一切感じられなかった。

 まるで、冷たく分厚い壁にボールを投げ続けているような気分だ。


 ――こんな相手を、どうやって説得すればいい?


 焦りが、胸の奥からじわじわと這い上がってくる。

 このままだと、セイルもリシェラも、最後には殺されてしまう。

 けれどそのとき、別の疑問がふいに浮かんだ。


 ――待て。そもそも、どうしてわたしは助かったんだ?


 ダルネと接触した、そのすぐ後に。

 確かに発動しかけたはずの魔具が、止まった。ダルネが止めた。


 あれは、偶然じゃない、はずだ。


<<どうして、わたしを助けた>>

<<回答:理由=優先度順に処理>>


 優先度順。わたしを吹き飛ばす魔具の発動は、もともと子爵が命じていた。

 けれども、それはダルネに撤回された――つまり、偽りの魔具であるわたしの存在は、子爵よりも優先されるのかもしれない。

 だとしたらまだ、希望はある。


<<わたしと子爵だと、どちらが優先になる?>>

<<回答:汝/優先>>


 思ったとおりの答え。


<<じゃあ、今の仮使役者をリセットして、今後権限を渡さないことはできる?>>

<<回答:可能。汝/要求?>>

<<……お願いする。これ以上、犠牲者を出さないために>>

<<受諾:再設定=仮使役者権限。歓迎:旧朋助力>>


 それを最後にダルネの魔力の糸が宙へと溶けていき、結線が切れる。

 同時、世界が色と動きを取り戻して――すべてがゆっくりと、動きだした。



 わたしの体に埋まった刃は、魔具として力を発揮しなかった。

 そのことに子爵は怪訝そうに眉をひそめながらも、それをわたしから引き抜く。

 支えを失った体が、どしゃりと崩れ落ちる――実際、この体への構造的なダメージは深く、さらにダルネとのやりとりで負荷がかかったのか、魔力の巡りも妙に鈍い。

 遠くから、わたしの名前を悲鳴のように叫ぶ、リシェラの声が聞こえる。


 今は体を動かさず、傷を受けた場所を再構成するしかない。


 そう判断するとほぼ同時に、離れて浮いていた楯が命を失ったかのように、がらん、と床に転がった。


「――貴様ぁぁぁ!!」


 背後から響く、セイルの叫び。

 その声には、今まで聞いたことがないほどに、セイルの怒りが漏れ出ていた。

 まるで、騎士としての仮面にひびが入ったように。


 そして声の主はわたしの前に出ると、勢いのままに子爵へと切りかかる。

 けれども、“聖刃”を失ったその剣は動揺のあまり精密さまで失っていて、とても騎士のそれとは思えない荒々しい剣筋になっていた。


 今までは、そんな力任せの剣は、浮かぶ楯に止められていた。

 しかし今や楯は地に堕ちていて、ぴくりとも動く様子がない。


 その結果、子爵は、己の力だけでセイルの剣を受けるしかない。

 何が起きてるかわからない、といったような顔のまま、それでも子爵はセイルの乱れた剣を、なんとか受けきった。


「ふん、異族の女ひとりのために剣を濁らせるか! 仲間の死は初めてか、騎士様?」


 そんな状況でも嘲るのは、もはや習性なのか、己の矜持を保つためか。

 けれどもその言葉に、セイルが帯びる気配が、さらにもう一段階、変わった。


「――もう、黙れ」


 怒りから、怒りを超えてよりどす黒く染まった何かへ。

 声だけで、ぞわり、と背筋が震えるような不穏さがあった。


 そして子爵に向けて振るわれる刃は鋭さを失っていくかわり、どんどんと叩き潰すような鈍い重さを増していく。


「くそっ、なぜだ! 私の魔具が働けば、お前など――」


 魔具が停止したのはダルネの権限を失ったからだが、そんなことは子爵にわかるはずもない。

 魔具に頼れず戦う哀れな子爵を、聞く耳など持たない、と言外に伝えるような、すくい上げるような強烈な一撃が襲う。

 ガキィン!と甲高い金属音と共に、ついに子爵の手持ちの槍斧が弾かれる。

 そこを、路地裏の喧嘩のような、容赦の欠片もない前蹴りが襲った。


 ゴッ――と鈍い音を立て、子爵の身体が地を跳ねて、転がる。


 もはや子爵には魔具もなく、武器もない。

 決着は、ついた。


 そのはずなのに、セイルはいまだ、歩みを止めない。


「……ミレイル! ミレイル、死なないで!!」


 気づけばリシェラの涙混じりの声が、すぐそばまで来ていた。

 まだ動けることを伝えるために、傷を隠しながらも、手を伸ばす。

 すると包帯に覆われたそれが、ふるえるように触れられ、温かく包まれた。


 そこには、確かな命の温もりがある。

 リシェラは無事で、わたしも生きている。

 それなら、様子がおかしいセイルを、止めないといけない。

 なによりも、彼自身のために。

 動けなくても、私にはまだ、すべきことがある。


「大丈夫、だ……それより、セイルを……」


 その気持ちを込めてぎゅっと手を握ると、リシェラもまたその手を握り返してくる。


 その間にもセイルは子爵に馬乗りになり、握った剣の柄で、力任せに子爵を打ちのめしている。

 そこには、正確さも技術もない。ただ、激情だけがあった。

 その手のなかの、かつては正義の光を帯びていた剣が、今はその輝きを失っていた。


「それで……どうした、殴るだけで、終わりか?」


 傷だらけになり、敗者となってもなお、子爵は嗤う。

 それが、彼なりの矜持なのかもしれない。

 セイルはそれに、その剣を断頭台の刃のように高々と振り上げることで応える。


「セイル、だめ! それ以上は――その人と同じになっちゃう! それに、わたしもミレイルも、そんなことだれも望んでない!!」


 リシェラがその背中に、祈るような叫びを投げかけた。

 セイルはそれに、一瞬ぴくりと手を止めて――けれど、その刃は無情にも振り下ろされる。


 ガン!と硬いものを叩く音が、響く。


 セイルの剣先は、かろうじて子爵の首のすぐ真横に、振り下ろされていた。


「……俺は……俺は、教会の騎士として、ここにいる。だから、お前を切ることはない、バルクス・エルグレイド子爵。大人しく、教会の裁きを待て」


 その言葉には、荒れ狂う激情を押しこめて、なんとか絞り出した苦みがあった。

 けれど、それでも彼は最後の一線を踏みとどまることができた。


 その事実に、ようやく張り詰めていたものが緩むのを感じる。


 ようやく胸の傷と足の再構成が終わり、ゆっくりと顔をあげる。

 すると目が合ったリシェラが、目尻に涙を残しながら、笑った。


「セイル! ミレイルも、ほら。大丈夫、生きてるよ!」


 振り返ったセイルと目が合い、表情から毒が抜けたように険が取れて――

 それからその肩が、自然と力が抜けたように、ふっと沈み込んだ。


 ――よかった。だれも、何も失わないで済んだ。


 その実感が、じわじわと湧きあがってくる。

 これで、ようやく、長い夜が終わった。

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