#013 跳躍
子爵が堂々と構えた槍斧は、槍の間合いと鋭い突きに加え、さらに柄の先についた斧の刃で薙ぐこともできる、洗練された死をもたらす凶器に見えた。
けれどもセイルは、それに臆することなく、一歩踏み出して、子爵の間合いへと入りこむ。
すぐさま襲いくる、力強い突きの乱舞。
それをセイルは一歩も引かず、鋭く、正確な軌道で迎え撃つ。
それはまるで、光と音の嵐のようだった。
その意図は明白だ――俺が攻撃を引き受ける。
だからその間に子爵の横へと回り込み、武具を握る手元を狙う。
数の差を活かした、役割の分担。
「ミレイル、後ろっ!」
けれど、そこでリシェラの叫びが後ろから響いた。
振り向くと――宙に浮いた大きな楯が、こちらを押し潰すような勢いで、目の前に迫っていた。
慌てて宙に跳び、楯を体の下にくぐらせて、ぎりぎりのところですれ違う。
通り過ぎたそれは、わたしと子爵の間に滑り込み、意志があるかのようにその場で静止した。まるで、わたしの行く手を遮るように。
「……どういうことだ」
新たに出現した浮かぶ楯に、間合いを取ったセイルが怒りと困惑が入り混じった声を漏らす。それも、無理はない。
――逃げ道を塞ぐ炎壁は、勢いを緩めることなく燃え盛っている。
――だというのに、今、目の前には魔具でしかありえない、宙に浮かぶ楯がある。
魔具は強力だが、そのぶん一度にひとつしか使えない。
かつてのセイルの言葉が脳裏をかすめる。
だというのに、今、子爵はふたつの魔具を、同時に扱っているように見える。
「さて、どういうことだと思うかね? 答えは、私が“選ばれた者”だからだよ!」
薄ら笑いを浮かべた子爵が、今度はわたしに向かって踏みこむ。
2対1の戦いのはずが、魔具の数では互角になった――それどころか子爵の力は、まだ全貌が見えてこない。
距離を取ろうと退がるも、追いすがるように遠心力を活かした大振りな刃が向けられる。
間に剣を挟んで、なんとか止める。
「ハッ、これで終わりと思ったか? 闇よ、散れ!」
間近で止まった、槍斧の刃の先――そこから黒い泥のような何かが湧きだしたかと思うと、次の瞬間、爆ぜた。
とっさに、剣の形を身を覆う大きな盾へと変える。
盾ごと衝撃で宙に浮き、襤褸屑のように吹き飛ばされた。
身体は守れたが、ごっそりと“色”を削られる。
これで、三つめだ。
一方でセイルの刃は楯に阻まれ、火花を散らしているのが視界の端に映る。
このままだと、押し切られる。
「どうした、小僧! 口ほどにもないな? 騎士というのは名ばかりか?」
饒舌に語りながら、子爵は楯に守りを任せて、己は力を乗せた斬撃を次々とセイルに繰り出していく。
“聖刃”の力か、明らかに力負けしてるはずの斬撃をセイルはなんとかいなせてるが、間に合わなくなるのは時間の問題に見える。
何か、状況をひっくり返すための情報が必要だ。
そう思って、今見えているものに目を凝らしたところで、ふと違和感に気づいた。
まずひとつめに、楯の動きがまるで子爵の意思に関係なく勝手に動いているようで、子爵の攻めとうまくかみ合っていない。
現に子爵が刃を振るおうとする、まさにその先に楯があって攻めきれない瞬間があり、それもあって、セイルはぎりぎりのところで命を繋げていた。
そしてふたつめに、その楯を目ではなく、魔力で視ると――わたしが“端末”に伸ばすときのような、細い魔力の糸が繋がっているのが視えた。
その糸は淡く揺らめきながらも宙を伝って、子爵の紅い籠手へと続いている。
さらに籠手からはそれ以外にもふた筋の糸が伸びていた。ひとつは子爵の握った槍斧に、そしてもうひとつは床に転がる豪奢な杖に繋がっている。
仕掛けが読めた、かもしれない。
“炎壁”が籠手の力だと思っていたが、違う。
「セイル、その籠手だ! それが、三つの魔具を操っている、ひとつの魔具だ!」
その言葉に、子爵の顔色が初めて変わった。
余裕ぶった笑みが消え去り、目に焦りが浮かぶ。
「なんだと? なぜ、それが……女、貴様はいったい、なんだ?」
そして、魔具を介してほかの魔具を操っているのなら、その制御には、限界があってもおかしくない。
考えてみれば、“炎壁”は同じ場所に出しっぱなしで置かれ、楯が攻撃的な動きをしたように見えたのは、子爵と楯との間に立っていた一回のみ。それ以降は、身を守るためだけに使われている。
それぞれ単体で考えたら、あまりにもったいない使い方じゃないか?
もしかすると見込み違いかもしれないが、それでも――試してみる価値はある。
「リシェラ! 近くの魔具をひとつ、こっちに!」
「え……うん、わかった!」
呼びかけに、リシェラはすぐ手近にあった、緑の色布のついた何かを放り投げてきた。
受け取って見ると、それはいかにも何かの祭事に使われそうな、煌びやかな鈴。
緑は、きっと子爵に「使えない」という判断をされた魔具たちだ。
手に取ったそれを、子爵に向けて放り投げる――当たっても、ちょっと気を逸らすことができるかもしれない、というぐらいのあまりにも無力な投擲。
けれど、そんな鈴から子爵を守るために楯がセイルの前から離れて、わたしとの間に割り込んでくる。
――やはりそうだ。
「セイル、楯はわたしが引き受ける!」
叫ぶと同時、魔力で短剣を構成し、苦無のように投げ放つ。
すると楯がそれを防ぎ、跳ね返ったそれを、すぐさま魔力へと還す。
そして還った魔力でまた同じものをつくり、絶え間なく投げ続ける。
この楯はどんな攻撃でも、子爵に迫るものは区別なく、自動的に防いでいる。
ということは逆に、些細な攻撃をぶつけ続けるかぎりは、威力に関係なくこの楯を拘束し続けることができる、ということだ。
そしてそれは、魔力があるかぎり無尽蔵に武器を生成できるわたしにぴったりだ。
後は任せる――そんな気持ちを込めてセイルに目を向けたちょうどその瞬間、向けられた視線が重なった。
そこに浮かぶのはかすかな称賛と、それに後は任されたと言わんばかりの確固たる決意。
「ええい、弱き者どもが群れおってからに、鬱陶しい!」
いかにも苛立ったように呻く子爵に、セイルが今一度、正面から構えを取った。
「だが、その『弱き者』たちをないがしろにした結果の果てに、今がある。その意味をよく考えるべきだ!」
「小僧が、偉そうに抜かすな!」
煌めく白と武骨な鈍色が、何度目かの邂逅を果たす。
今やふたりを邪魔立てするものは何もなく、ほとんど純粋な一騎打ちだ。
純粋な技と力ではセイルが有利なのか、お互いの刃を捌きながらも、少しずつ、セイルが間合いの支配を広げていく。
このまま戦いを続ければ、間違いなくセイルは子爵に打ち勝てるだろう。
そう安心していいはずなのに、なぜか一抹の不安が拭えない。
それがなぜかと考えて、気づいた。
そんな状況にもかかわらず、あれほど苛立っていた子爵の表情に、まだどこか余裕のようなものがにじんでいるのだ。
つまり、きっと、まだ何かある。
「確かに、お前たちのような弱き者でも、運命によって厄介になることがある。それは認めよう」
そこで、気づく。炎壁の勢いが、落ちている。
魔力で視ると、子爵の籠手から床の杖に繋がった、あったはずの魔力の糸がひと筋消え去っていた。
そのかわりに新たに伸ばされているのは、セイルの手にある“聖刃”へ――
「セイルッ!」
「だが結局は、最後に勝利を収めるのは、いつだって力ある者だ――支配せよ!」
子爵の刃とぶつかる直前、セイルの魔具の纏った光が陽炎のようにふっと消え去った。
金属同士が甲高い音をたててぶつかり、急に力を失ったセイルの剣は、跳ねるように大きく弾かれる。
そこに、子爵は嗜虐的な笑みを浮かべて――させない。
楯に短剣を叩きつけ、同時に床を全力で蹴り、跳ぶ。
人の限界を超えた足が、バキョ、と砕ける異音を発する。けれど、構わない。
がら空きになったセイルの胴に、子爵の刃が迫る。
勝利を確信した子爵の表情が、かつての頭領と重なった。
その刃が届くよりも前に、体を割り込ませ――間に合った。
背に、セイルの温かな存在を感じる。
「……ミレ、イル……?」
「おやおや。ようやく一匹目、と思ったら……別のが釣れたか。まあ、よい」
わずかに震える、荒い息遣いが耳に届く。
いつも冷静なセイルが、何かに抗うように、立ち尽くしている気配がする。
間に剣を差しこむのは、さすがに間に合わなかった。
子爵の魔具は、偽りの皮膚を割き、体の芯まで潜りこんでいる。
痛みはない――そこには、痛みを発する器官がないから。ただ、違和感だけがある。
「今度こそ、その身で味わうがいい。――闇よ、散れ」
さらにそこで、子爵の言葉で、胸のなかで魔力が蠢く。
そして――視界が色を失い、世界がモノクロになって、止まった。