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#010 買われた刃

 グレヴァース商会の裏口をくぐったとき、自分でも驚くほど、心は静かだった。

 決意は固まっている――そう思っていた。


 魔具は希少だ。

 とくに、未登録の、それも戦闘向きのものとなれば、買い手がいないはずがない。

 言葉に出すまでもなく、目利きなら価値がわかるはず。


 わたしは、そう思っていた。だが――


「……なるほど。だが、話がうますぎる」


 無造作にカウンターに肘をついていた店主が、目を細めてわたしを見つめる。

 先ほどちらりと見せただけの“剣”は、今は腰の外套に隠れている。

 それでも、彼にはまるで見えているように、目の奥に、冷たい計算の光が揺れている。


「未登録魔具を売りたい、だと? 名も素性も怪しい異族の女が突然来て……」

「ここに魔具がある。力も、確かだ。それ以上に何か必要か?」

「そりゃあ確かに、上物には見える。だがね、嬢ちゃん――」


 嬢ちゃん。


 寿命の長い“森の民”を相手に、あえてその呼び方をしてくる。

 そこに明らかな意図を感じる――未熟者、と。


「怪しいってのは、商人にとって致命的なんだよ。信用が、商いの基本だからな」


 冷たい声。目が笑っていない。


 ……買ってくれない、かもしれない?


 その考えが、ようやく現実味を持って胸に落ちてくる。

 思ったよりも、相手は慎重だった。

 その瞳の奥には、好奇心ではなく疑念と警戒の色が浮かんでいる。


 ――だとしても、ここで引くわけにはいかない。


「普通の商人なら、そうだろう。だが、ここでは怪しい魔具でも商ってくれる……そう聞いたんだがな」


 これは、賭けだ。この商会が本当に信用の置ける清廉潔白なところなら、怒って追い払われるだろう。

 けれど、村ひとつを滅ぼしてまで魔具を手に入れた領主に、魔具を卸している商会だ。


「……それで、その魔具は何ができるんだ?」

「自在に、思うだけで形を変えられる。剣にも、棒にも、弓にもだ」


 ふん、と鼻を鳴らして問う店主に、実際に外套から出して、形を変えて見せる。

 ……老鍛冶師ラウレイルが使っていた棒。養母ティアレナが好んでいた弓。

 村のエルフたちの記憶を、今度は“武器”として借り受ける。


「……ふん、なるほどな。たしかに、こいつは買い手がつきそうだ」


 ようやく、表情が変わる。

 商人としての好奇心。計算。欲望。


 ――引っかかった。


「ただし、怪しいものは安くなる。買い叩くぞ。……異存はないな?」


 足元を見る気満々の交渉に、わたしは無言で頷いた。


 これは、もとから対等な取引ではない。

 目的は、金ではなく、わたしが買われることなのだから。



 取引は終わった。

 本体の“剣”は店主の手に渡り、わたし――ミレイルの擬態は、対価の革袋を手に裏口から外へ出る。


 本体からの距離はぎりぎりだが、まだ耐えられる。

 まわりに誰もいないことを確かめて、革袋は屋根の上へ投げておいた。

 必要なら、あとで回収するつもりだ。


 そして、限界が来る前に魔力を還流させて、姿を解く。

 擬態の体は音もなく崩れ、意識が本体の“核”へと移る。


 視覚も聴覚も失い、ただ周囲のものを“魔力のゆらぎ”を通して感じる。

 今や、わたしは限りなく魔具そのもので、なんだか懐かしさがあった。


<<なるほど、魔力でものを視てるのか>>


 昔との違いは、今までに得た記憶と知識、経験があること。

 あの頃のわたしは、ただもがき、流されるだけだった。

 でも今は、自分で決めてここにいる。


 そうこうするうちに、どうやら木箱に詰められ、商会の保管庫に置かれたらしい。

 まわりの箱のいくつかからも、それぞれの“色”が滲んでいる。

 おそらく、買い集められた魔具だろう。


 あとは、律の曜日を待つだけだ。


<<待つのは性に合わないんだがな>>

 ――とはいえ、今のわたしにできるのは、それだけだ。


 幸い、この体は、飢えも渇きも感じない。

 だから、ただ静かに意識を沈めて、そのときが来るのを待った。



 そして、時は来た。


 箱が揺れ、持ち上げられる感覚が伝わってくる。

 おそらく、馬車への積み込みだろう。


 がた、がたと木車の特有の揺れ。

 情報を集めるために、音を集める器官――耳をつくる。


 石畳を叩く馬の蹄の音。街のざわめき。人々の生活音。


 しばらくすると、やがて音が変わる。

 雑踏が消えて、響くのは蹄の音だけ――そして、やがてその音も止まる。


 がやがやと、向かってくる足音。

 それから、誰かに箱を抱えられ、揺らしながら運ばれる。


 どさり、とどこかの床の上に置かれる気配。

 それも、わたしの箱だけでなく、いくつもの箱が積まれていく音がする。


「メレアン! 今回の仕入れはどうだね?」


 そこに、頭領の記憶のなかで、聞いた覚えのある声が響く。


 ――エルグレイド子爵。


「まあまあの粒ぞろいかと」


 応える声は、あの老店主のもの。

 カツ、カツと甲高い靴音が余裕をもった歩調で近づいてくる。


「まあまあ、か。お前の仕入れには、いつもかなりの対価を払っているつもりだが?」

「ご愛顧いただき、本当にありがたく思ってはおりますが――なんせ品が品ですからな。仕入れるだけでも、大変なのです。ご容赦を」

「まあ、いいだろう。狩りと同じで、いい日もあれば、悪い日もある。そういうことだな?」

「おっしゃる通りでございます」

「であれば、いい日が続いてくれると嬉しいのだがな!」


 機嫌がよさそうに見せながらも、常に相手に圧をかけるような尊大な喋り口。

 こいつが、魔具ひとつのために、リシェラやセラフィーナに犠牲を強いた者。


「まあ、今回は変わり種も仕入れております。出所は怪しいですが」

「ほう、自信があるのか?」

「使用者の意思に応じて、自由に形を変えるとか。ご覧になりますか?」


 わたしのことだ。

 ぎくりと動揺してしまう。


「……いや、どうせ後で確認する。すべて“あの部屋”へ置いておくように」

「仰せのままに」


 子爵の声が離れていき、老商人の指示で、またどこかに運ばれる。

 しばらく揺られたあとに、階段を下りる感覚と、冷たく湿った空気の変化が伝わってきた。


 ――おそらく、地下だろう。ここが“あの部屋”か。


 どさりと、床に積まれて、運び手が離れていくのがわかる。

 そこは、箱越しにもわかるほど、むせ返るような魔力で満ちていた。


 どれだけの魔具を集めたら、こうなるのか。

 そして、このなかに“リュナハルの碧玉”はあるのか。

 確かめたい気持ちに駆られるが、今はまだ、待つ。

 すべての荷が運び込まれ、商会の者たちがいなくなったら、行動の時だ。



 ガチャン、と重そうな錠が回る音が響く。

 それに引き続いて、荒々しい運び手の足音が遠ざかっていく。


 ――行ったか。


 訪れた静寂に、まずは自分が収められている細長い箱の様子を探る。

 何の変哲もない木箱で、外から降ろす簡単な掛け金が掛けられているだけのつくり。


 隙間から薄く板状に伸ばした触手を差しこみ、掛け金を跳ね上げる。

 すると、いともたやすく蓋は開いた。


<<内側から開けられることなんて、想定してないだろうからな>>


 それはそうだ。

 自由に動くために、擬態を剣から耳長猫――エルフが“夜の番人”と呼ぶ、かつて吸収した獣の姿に再構成し、箱から外へと這いだす。


 すると、そこには―――想像よりもはるかに乱雑に積まれた、魔具の山があった。

 広い部屋にもかかわらず、その有様は愛好家の展示室というより、むしろ武具の保管庫に近い。


 剣、槍、槍斧(ハルバード)、盾、杖、籠手。


 それらに赤や黄、緑の色布が巻かれ、かろうじて何らかの区分があることを示している。

 これは、単なる愛好家じゃない。一度にひとつしか使えないのに、それでもなお魔具の力を求めている。

 そう直感し、その執着に不気味なうすら寒さを感じる。


 とはいえ、時間は限られている。


 “リュナハルの碧玉”の見た目は、セラフィーナの記憶でわかっている。

 精巧な金属の飾りが二重の輪のように取りついた、海のように深い、碧色の玉。


 目と、“色”を視るのとを両方使って、部屋を注意深く見まわす。

 “色”が幾重にも折り重なり、鮮やかすぎて視界がごちゃつくが、目に映るものを優先して……あった。


 緑の色布の魔具が集められた床に、それは価値のない玩具のように、ごろりと無造作に転がされていた。

 かつて村で大切に祀られていたものへのあまりの扱いに、怒りが湧く。

 けれど、冷静にならないといけない。目的の“碧玉”は確認できた。

 であれば、次は脱出だ。

 ここから気づかれないように、無事に、抜けださないといけない。


 けれど、運ばれるときに感じた移動距離からして、ここは館のかなり奥深く。

 これだけ無造作に貴重な魔具が散らかされているのも、部外者は誰も入ることがないという自信の表れだろう。

 さらには地下で、逃げ道はない。



 ――逃げ道はない?


 そこに、ふと引っ掛かりを感じる。

 ここには、それこそ“碧玉”のように、良くない手段で集められた品もある。

 子爵が用心深い性格なら、いざというときのための逃げ道があってもおかしくない。


 獣のひげをひくひくと震わせて、空気の流れを読む。

 すると、感じる。ほとんど気づけないほどかすかに、でも確実に、空気がゆっくりと動いているのを。

 流れを追うと、何の変哲もなさそうな壁の前にたどり着く。

 けれども“色”で視ると――その前に置かれた魔具の“色”が、向こう側へと漏れていた。


 ――やっぱりあった!

<<お貴族様の脱出路、か。酒飲みの与太話で聞いたことはあったが、まさか本当にあるとはな>>


 “ある”という視点で見ると、そこに壁とほとんど同化した扉と、目立たないように隠された鍵穴があることに気づける。

 あとは、ここを開くことさえできれば――


 カツ、カツ、と離れた重い扉のさらに先から、余裕を感じさせる足音が響いてくる。

 まずい、子爵だ。


 急いで擬態の力を集中し、伸ばした触手を溶かした金属のように流し込む。

 鍵というのは、形が合えば回るはずだ。

 なかの凹凸を感じて、その都度形を微調整する。


 足音が近づき、やがて――扉の前で、止まった。

 あとすこしだが、回らない。

 焦らないように、壊さないように、探りながら圧力をかけて――

 するりと、錠が回った。


 開いた隙間に獣の体を滑りこませ、すぐに静かに閉じる。

 それと同時に、ガチャン、と大きな錠の回る音。

 扉の向こうの収蔵庫に、子爵が足を踏み入れた気配がする。


 間に合った。

 踏み入れたそこは、細く、低い、人ひとりがようやく通れるような通路。

 そこを、空気の流れに沿って獣の足で、全力で駆け抜ける。


 たどり着いた先は廃れた浅い井戸の底で、見上げると丸くくり抜かれた空が、祝福するように明るく照らしてきている。

 その暖かい光に包まれながら、わたしは光に満ちた外の世界へと飛びだした。

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