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#001 目覚め

 目が覚めた。

 目の前は、真っ暗だった――というより、そもそも“視界”そのものがない。

 なのに、なぜか不思議と焦りは感じない。

 目がなくても、まわりの様子が“なんとなく”感じ取れる。

 まるで、形や動きの輪郭を、皮膚で直接“視ている”ような感覚。


 ――コウモリが、超音波を使って見る世界は、こんな風に視えるのかも。


 そんな風に思っていたとき、すぐ近くで何かが動いた。

 色のない世界のなか、それだけが唯一“暖かい”色を帯びて、こちらに近づいてくる。


 ――“命の色”だ。


 そう直感すると同時に、本能が先に反応する。

 何かが自分から伸びて、それを貫いた。


 それは、細く、鋭く、けれども柔らかくうねる――触手のようなものだった。


 そう“わかった”瞬間、ぞっとした。

 おかしい。触手なんて、自分の体にあるはずがない。

 だって、普通、人間には頭がひとつ、腕が二本、足が二本。それだけだ。

 それが、当たり前だったはずなのに。


 今の自分には、その“当たり前”がなかった。


 貫いた何かは小さな生き物で、ネズミに似た姿をしていた。

 それがもつ“色”を、触手がすすり、その瞬間、圧縮された何かが流れ込んでくる。


 暗闇のなかで兄妹たちと生まれ、死肉や昆虫を餌に貪りながら成長し、そしてこの触手に貫かれるまでの、一部始終。


 それは、この生き物の記憶だった。

 それと同時に、この生き物がどういうつくりの生物なのか、という情報もなかば強制的に理解させられる。


 ――なにがどうなってる?


 叫びたい。でも、目だけでなく、声を出す口もない。

 それに気づいた瞬間、なんとも言えない恐怖がせり上がってきた。


 ――目がほしい。口がほしい!


 そう強く願ったそのとき、突如として視界が開けた。

 とはいえ辺りはまだ真っ暗で、何かが見えるわけじゃない。

 それでも、“視界がある”という感覚は、はっきりわかる。

 そして口の感覚も、ある。

 思わず「やった!」と叫ぶ。


「キュゥゥ!!」


 けれども、漏れでたのは甲高い鳴き声だった。


 おそるおそる、自分の“体”の感覚に集中する。

 すると、自分の体の形がわかった――それは四角い箱で、そこから触手が一本、ひょろりと生えていた。

 そして、伸びた触手の先に貫かれた偽ネズミの体があって、それが“目”と“口”の感覚を提供している――つまり、偽ネズミが体の一部になっていた。


 パニックになりかける。でも、そもそも跳ねる心臓もなければ、振り回す手足もない。

 感情を爆発させる構造がないせいか、動揺は意外とあっさり落ち着いてしまう。


 わかっていることは、二つ。


 ひとつは、自分は箱のような生き物になっていて、ほかの生き物の帯びる“なにか”を色として感じ取り、それを吸収して、記憶や構成情報を取りこむことができる能力があるということ。

 もうひとつは、そんな自分を“当たり前”とは思えない、強烈な違和感があることだ。

 つまり、自分は元々こういう存在ではなかった――その強い確信だけが、あいまいな記憶の海に漂っている。


 けれども、それ以上を思い出そうとしても、もやがかかったように先に進まない。


 今いる場所がどんなところかだけは、偽ネズミの記憶からなんとなくわかった。

 ここは、地下深い迷宮のような構造物の、奥深くらしい。


 ――触手が出せるなら、人の姿になれないか?


 そう思い、試してみる。

 けれども、結果は失敗だった。

 体の形はある程度自由に変えられるけれど、精密な再現はまったくできない。

 がんばってみても、不器用な幼稚園児が粘土でこねたような――そんな、いびつな人の形にしかならない。


 ――どうやら、構成情報なしで、生きものを再現するのは無理みたいだ。


 人の形を諦め、それからこれからのことを考える。

 今のままだと、わからないことだらけで、何ひとつ判断することもできない。


 ――とにかく、情報が要る。まずは、わかるかぎりの情報を集めよう。


 そう決意すると、箱から球へと形を変えて、続く道の先へと転がり始めた。



 ありがたいことに、進むべき道を選ぶのに偽ネズミの記憶が頼りになった。

 あたりの道がどう繋がっているかは、偽ネズミの生活圏であれば、すでにわかっている。


 進む途中で、“色”を帯びたほかの偽ネズミに遭遇して、それをさらに触手で吸収。

 その記憶から頭のなかで地図を作って組み合わせ、進む先を決める。

 何体かの偽ネズミの記憶には奇妙な“抜け”があって、特定の場所を避けるように遠回りしていたり、妙に警戒したりしている。

 けれどもそれはごく一部で、地図を作る邪魔になるほどではなかった。


 何度かそれを繰り返して進むうちに、いくつかのことがわかってきた。


 まず、偽ネズミの記憶に従って、ちいさな抜け道を通ろうとしたところで、体のなかの何かが引っかかって、そこを抜けれれなかった――つまり、この体のなかには、変形できない無機質な“核”のようなものがある。

 それから、吸収した偽ネズミたちを偵察のために遠くに走らせようとしてみたものの、本体から離すことはできたけれど、離れすぎると本体と繋がる“色”の糸がぷつりと途切れて、消えてしまう。

 つまり、吸収した偽ネズミたちは、目には見えない“色”の糸が伸びる範囲でしか動かせない。


 ――まるで、悪趣味なドローンだ。


 そう思いながらも、増やした偽ネズミたちをお供に、本体を転がして先に進む。

 偽ネズミを“吸収”するとは、命を終わらせて丸ごと取りこむということだ。

 そんなことをあまりにも自然にできてしまう自分が、恐ろしいはずなのに、まったく恐ろしさを感じない――感情が矛盾する。


 そのとき、先に向かわせていた偽ネズミの一匹が突然何かに噛み砕かれてばらりとほどけ、“色”へと還った。


 それを襲って闇から姿を現したのは、耳の長い猫のような肉食獣。

 毛並みは黒く、滑らかで、動きはまるで影そのもののようだった。

 偽ネズミの捕食者――もしかしたら記憶のなかで避けられていたのは、静かな足取りで命を奪う、この獣だったのかもしれない。


 けれども、その猫もどきは“宙に溶けたネズミ”に戸惑い、一瞬呆然と固まった。


 その隙を逃さず、触手を伸ばす。

 反応が遅れた獣は、それを避けられない。

 やわらかな皮を貫き、すぐさま“色”を吸収する。

 偽ネズミよりも多くの“色”が、一気にこの体に流れこむ。


 脳裏に浮かぶこの獣の記憶によると、この耳の長い猫もどきは迷宮を安全なねぐらにしながらも、ときどき迷宮の外の森に出て、獲物を狩って生活していた。


 外の森――はじめて、この暗く孤独な世界の外の、手がかりが手に入った。


 今は、自分の望みも、目的も、誰なのかすらもわからない。

 それでも、このまま誰にも見られず、知られず、たださまよい続けるだけなんて、耐えられなかった。


 ――とにかく、先に進まないと。


 その思いに急かされるように、球になった体を外の世界へ繋がる道に向けて、ひたすらに転がしていく。

 その先に、すくなくとも、今よりは進展がある“何か”があることを願いながら。


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