前編
「こんのぉ、変態魔術師がぁっ!」
容赦なく腹部に叩きつけた掌。
そこに生まれた純魔力が爆発。
指向性だけをもってローブの男を吹き飛ばす。
バールのとあるウィザードが使っていたノンアクションでの攻撃魔術であるが、完全に模倣できなかったためこうして掌に魔力球を生み出して押し付けるという格闘魔術になっていた。
ただしその威力は扉程度なら軽くぶち破るほどで、普通に考えればローブの男に命は在るまい。
「死ぬかと思ったじゃないか」
だが、倒れた棚の下からもぞりと出てきたハーフエルフの男に目立った外傷はない。
それもそのはず、吹き飛ばした少女には彼の纏うローブが凄まじい魔力を秘めているのが見て取れた。
恐らく彼女が全力で攻撃しなければその守りは打ち破れないだろう。
「世界平和のために死ねぃ。下郎がっ!」
で、まぁそんな高度な魔術と高度なマジックアイテムを駆使して何をやっているかと言えば
……毎度の事なのでもったいぶる必要性はかけらも無いが、つまり下らないじゃれ合いである。
そう指摘すればまず間違いなく少女の方は全力否定するだろうが。
「コホン」
何時の間に現れたのか、一人の老魔術師が室内にいた。
白く長いあごひげに、くたびれたローブ。
100人中99人までもが彼を魔法使いだと認識するだろう。
そして事実彼は魔法使いである。
「長、宜しいですかな?」
威厳と言う言葉が具現化した声が許可を求める。
最高導師の一人である男は現体制のNo.2だった。
無論魔術の実力だけで言えば居並ぶウィザードの方が上だが、彼はこの場に居なければ宮廷魔術師になっていただろう政治手腕に長けた男であり、いかに個人主義かつ実力主義の魔術師ギルドであったとしても組織と言う形態を持つ以上、このような男は必要とされる、そういう老人だ。
「あ、なんだい?」
対して威厳とか尊厳とかを次元の彼方に置き忘れて、ぽんぽんと埃を叩きながら立ち上がったギルドマスター────フウザーの問いに老術士は気難しい顔のまま用件を告げる。
「先日の会議の議事録です。目を通してください」
どさり置かれた資料は関連する情報を添付したためかかなりの量である。
「なお、例の懸案ですが、満場一致で否決された事をお伝えします」
「なんだって!」
あからさまに嫌そうな顔が一瞬にして驚愕へと変貌する。
訝しげな少女────ティアロットは老人の持つ議事録に目を向けるとそこにはこう書かれてあった。
『ギルドの制服改善提案(女性用)』
「一応長からの提案なので議題にはしましたが、本来なら見なかった事にして証約処分する内容ですが?」
哀れむような目で少女が老術士を見遣る。
やけに上手なデザイン画が数枚。
それはフウザー直筆の制服デッサンなのだが、どれもこれも魔術師を何だと思っているのか小一時間ほど問い詰めたいものばかりだった。
「フウザー殿。
あなたの性癖はよくよく存じているつもりです。
なにしろ貴方のウィザード任命を反対した一人ですから」
「だったらこんなところに縛り付けられてるボクの身にもなって、心の安らぎをくれたっていいじゃなーい?」
何のつもりか、また何処から取り出したのかギターを持って歌うフウザー。
しかし老術士は全く取り合わず、冷たい視線を向ける。
「あなたは自制という言葉をよくよく知らないが、決して馬鹿ではありません。
そして今、魔術師ギルドという組織があなたを罷免できないこともお分かりでしょう」
己より年上の若い魔術師を見上げる目は険しい。
「どう足掻いた所であなたの地位は守られます。
我々の手を煩わせないでいただきたい」
「だったらいい方法があるよ?」
フウザーは酷薄な笑みを浮かべて椅子に腰掛けると肘をついて組んだ手の先に老魔術師を透かした。
「ボクを────」
「わざわざ老人の心臓にいらぬ負担をかける必要はあるまい」
開きかけた口を言葉が遮る。
フウザーは一瞬だけ苦笑を浮かべて老魔術師に笑みを見せると書類を寄越せと手を差し出した。
老魔術師もフウザーの言わんとした事は分かっていた。
彼はいきなりのし上がったわけではないのだから、先の一件のあらましもよく知っていた。
そして彼には表向きの関与はないものの虚実の体制に少なからず手を貸していた人間である。
それは見てみぬふりという許容として、だ。
だからその言葉に返す言葉を持ち合わせては居ない。
「……では、失礼します」
場に似合わぬ装飾満載の衣装に身を包んだ少女を見据え、すぐに視線をフウザーに戻す。
「……」
もう一度、己が成しえない、否、成そうともしなかった事を一夜にして成し遂げてしまった少女を一瞥する。
そうして彼は長の部屋を後にした。
先の一件。
つまり魔術師ギルド世界本部の長、サン・ジェルマン伯爵が数年前から失踪殺害されていたという事実。
そしてウィザードの律法を破りバールに荷担した者の永久追放劇の影響は一月程度で消え去るものではなかった。
これまでバール派閥の魔術師が占めていた席ががら空きになり、この椅子を巡った水面下の戦いが激化の一方を辿ることを恐れた良識派が取ったのは彼ららしくない、苦渋の決断だった。
つまりフウザーをギルド世界本部長に任命するという事。
確かに彼の実力を認めざるを得ないが、彼の悪行もまた知らぬ者は居なかった。
バール主導の『大同盟』結束時にはアイリンに荷担したとして罰せられ討伐命令まで出たし、しばらくはドイルの国政に関わっていたとされる。
良識派はその全てをバールに荷担したウィザードを正すための行為と認定し、彼の功績を称えることに決定した。
また、伯爵の行方不明が全ギルドに知れ渡った際、彼の研究所がその実行犯に襲撃されたのも大きい。
当然調べれば実行犯とフウザーの繋がりから偽装工作を強く示唆するのであるが、世界はそれだけの時間を与えなかった。
各国が発表した魔術師ギルドへの批難声明。
予想を遥かに越えた実行犯の動きに翻弄された結果、彼らは決断を迫られたのである。
結果、伯爵の件で召集されたバールのウィザード達はその場で捕縛されることになった。
その時点で最大権力を誇っていたはずの彼らは一夜にして虎の衣をはがされ、何も知らなかった魔術師たちに責め立てられたのである。
魔力の永久封印という処置を取られた彼らの末路は決まったようなものであった。
さて、この事件を引き起こした張本人はというと、犯人捜索という時間猶予を与えぬように自首していた。
犯人───ティアロットは世界にばら撒いた手紙と同文を手にアイリンの魔術師ギルドへ向かうとその場で身柄を拘束されたが、そこで最初の脅迫文、つまりサン・ジェルマン伯爵の誘拐を狂言と主張した。
秘密裏に神殿に協力を要請し、証言が真実だと知ったギルドは少女よりまず恒久的中立である立場を貫くために世界本部へ報告。
結果大捕り物へと発展した。
無論彼女を無罪放免にするわけにもいかない。
彼女の処遇に関してギルド内でさまざまな議論が交わされた。
処刑せよという過激な発言もあったがそう簡単にはいかない理由があった。
彼女について厄介な点は4つ。
彼女が子供であること。
彼女はギルドの人間でないこと。
彼女は木蘭のお気に入りであり、アイリンの特殊な職権を与えられている事。
そして彼女の要請にルーン代表のエカチェリーナを始めとした有力者が応じている事実。
特に後半二つのため、彼女を処断したとすれば外交問題は必至である。
かといって面目を立たせねば示しがつかない。
そんな板ばさみの中で出した結論は責任転嫁であった。
前述2つの問題を逆手に取ってアイリンの木蘭大将に保護観察処分を要請したのである。
この決定にさまざまな不満が出たものの最たる原因はウィザードというギルドの象徴が起こした事であり、その結果を求めればルーンやアイリンに多大な被害をもたらしていた。
もしこの少女を処断した場合、アイリンとルーンからは魔術師ギルドに対して多額の賠償金を求めるきっかけになりえるのである。
つまり、サン・ジェルマンの殺害とその隠匿によりバールの無法を容認したと見られることを避けたのだ。
結果、『デマ』で世間を騒がしたお騒がせ娘に保護者を付け、少々罰を与えてくださいと木蘭に求めたのである。
かくしてティアロットは謹慎処分という名目で事実上無罪放免となったわけである。
しかし、ここでまた一つ事件がおきた。
マルフィック、這い寄る混沌、さまざまな名で呼ばれる魔族が再び復活したのである。
その上ティアロットに興味を向けてきた。
戦いにすらならなかった一戦に、自分すら守りきれなかったティアは一時アイリンを離れ、不本意ながらもまともに応戦できるフウザーの元に行く事にしたのだ。
もちろん木蘭であれば七星宝剣を以って対立することも可能だが、普段大本営に居て諸国を回る事も多い彼女に(一応)一般人のティアが付きまとい続けるわけにも行かない。
木蘭的には参謀として起用したいと何度か言っていたが、承服するつもりも彼女にはない。
戦争を嫌い、それ故に事件を巻き起こしたのだ。
そしてそれはあくまで無国籍かつノーマークの魔術師だから成しえたことである。
さまざまな混乱を経て世界としては緩やかな平和の時を刻み始める。
その内に災いの種を育みながら。
「おや? ティアロットじゃないか」
放たれた声は親しみを宿す。
性懲りも無くセクハラを繰り返すフウザーの部屋に居る気などカケラもないティアはいつも通りに図書室前にやって来ていた。
「どうしてお前がここにいるんだい?」
そこに現れたのはスレンダーな女魔術師。
鋭いまなざしニヒルな口元、女性にもてそうな女性がそこに立つ。
「いろいろあっての。
しばしフウザーの元に居る羽目になったわ」
嘆息交じりに答えると、
「そりゃ災難だね」
笑みを浮かべて肩を竦めるルフェルナ。
「うちの研究室だったらいつでも開いてるから逃げ込んでおいで」
世界本部にてアーティファクト科の導師である彼女も調べ物に来たのだろう。
「感謝する。
当面はここでよいじゃろうがな」
最高ランクの書庫がそこにはある。
一生かけても読みきれないであろう書物の数々はティアにとっては絶好の避難場所だった。
「違いない。ほんとにあんたは本が好きだねぇ」
「他に興味を持てぬだけじゃよ」
苦笑いを浮かべ踏み込むと古書独特の匂いと羊皮紙の匂いが一気に体を包む。
「興味ねぇ。
字面だけを追いかけても真実に至れないだろう?
で、例の十三系統魔法とやらはどうだい?」
軽い気持ちで問うた女術士はあからさまに動揺した少女を訝しげに眺める。
「行き詰まった、ってだけの顔じゃないねぇ。
どうしたんだい?」
「……いろいろあっての」
年不相応の沈痛な表情に姉御肌の女魔術師は腰に手を当てて嘆息。
「ほれほれ、あんたの頭がいいのは分かるけど、困った時は相談しなさい」
「……」
ルフェルナをきょとんとした顔で見詰めて、そして照れの含む苦笑を浮かべた。
「で、どうしたんだい?」
「魔族を滅ぼせる力が欲しいのじゃ」
ルフェルナはその言葉を飲み込むために10秒ほどの時間を要した。
「はぁ、あんた巻き込まれ型だねえ」
一通りの説明の後、放たれた言葉は容赦のない物だった。
「ぐ……」
否定する要素がかけらも無く俯く。
「その上責任感が強いし面倒見がいいし。
若いからいいけどいずれお肌荒れるよ?」
「やかましい。性分なのじゃから仕方あるまい!」
つい怒鳴ってしまい周囲の避難の視線から逃れるように縮こまる。
「大半はわしのせいにない」
「まぁ、否定はしないけどね。
魔族によく好かれるんだねぇ」
いじって面白がっているルフェルナからふぃと顔を背けむくれる様は年相応。
「あはは、怒るな怒るな。
で、力がほしい、ってことだね」
「……うむ。十三系統魔法ではこれ以上の出力は人間の限界を超える可能性が高いのじゃ。
現にあやつの物理魔法を模倣しようとすれば無駄に時間が掛かったり魔力を異常消費してしまう。
研究のために行うならまだしも、実戦では命取りになりかねん」
日焼けしないように書物保管庫には窓がない。
魔法の灯りに照らされた室内で声を落とし呟く。
「まぁ、研究室魔術みたいなもんみたいだし、儀式魔術として完成させた方がよさそうだとあたしも思うよ?
とてもじゃないけど実戦で使う魔術にはなりえない、か」
試行錯誤したものの、ティアに出来るのはいいとこ劣化コピーだった。
フウザーから教わった物理魔法『浮舟』さえも、本来無詠唱魔術のはずなのに詠唱という手間を用いらざるを得なかった。
「んー。
いくつか方法がないわけじゃない」
「む?」
流石にここでタバコを吸うほど馬鹿ではないが、愛煙家の性かタバコを咥えると火を点けずに目を細める。
「まずは触媒だね。
宝石なんかに術式を刻み込んで投げつけるって魔術がある。
魔力が弱い魔術師の中には使ってるのもいるらしいが」
「呪符なぞと同じかえ」
「ああ。
だが、製作には手間隙が無駄に掛かるし、材料を探すのにも金が掛かる。
まぁ、お前みたくぽんぽん撃ち合ってるのが使う魔術じゃぁないね」
最後の一言に非常につっこみたかったが、言い返される言葉が予想できたため黙りこくる。
「強いて言えばその杖なんかは触媒だろう?
アーシアが持つフェンリルやフウザーの持つハーフロッド。
これらはその発展系と言えるし、その極みは賢者の石というところだろう」
言われてみれば確かにそうだ。
ティアの持つ魔杖『レーヴァティン』も基本性能はハーフロッドと同じく、魔力消費を軽減することができる。
「裏を返せば魔力を増大させておるのか……」
呟きいくつ物術式を頭に浮かべては消していく。
「だが、ティアロット。
リアルタイムで起きている事象への対抗手段としてはあまりにも悠長じゃないかな?」
思考を洗いざらい流して正面を見据える。
「解法は見えている。
けれども受け入れられない、だろう?」
「苦笑を浮かべながら言うでない」
不機嫌極まりなく言い放ち眉根を寄せる。
「今まで積み重ねたものを捨てるのは勇気が必要だ。
けれども、コモンマジックを始めとした現代魔術を再習得すべきなんだよ。
ティアロット。
それが君の難題に対する一つの解法だ」
ぶすりとしたまま杖を握り席を立つ。
「そんなことは分かっておる」
「ならば進めないお前じゃないだろう?」
頬杖をついて見詰める目は優しい。
それ以上言葉無く立去る少女を見送り、ルフェルナは大きく息をつく。
「運命ってのはかくもえり好みするもんなのかね」
その小さな肩に乗る重圧を自分はどうにも出来ない。
ただ、年長者として、少しでも手助けするだけだ。
気休めかもしれないけれども。
日が昇ればやがて沈む。
夜闇に紛れ、彼はルーンシティの石畳を踏んだ。
見上げる先にあるものは魔術師ギルド世界本部。
「やれやれ、思い通りに行かないものですね」
魔術の砦、容易く踏み込める場所ではない。
「無警戒ということでもないでしょう。
仕方ありませんね」
闇に消える。
そう、闇は深い。
深くて広い。
その全てが彼のフィールド。
だからやりようはいくらでもある。
「では、お付き合いいただきましょう。
荒ぶる想いの狂想曲に」
優雅に一礼。
その瞳は柔和に狂気を湛えて沈んだ。
夜はいずれ来る。
この闇が晴れても再び ──────────