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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

最後の願いを流星に

作者: 海山 里志

 キミはいつだって唐突だった。キミと最期に出かけた日も、キミの誘いは唐突だった。


「ねえ、今夜星を見に行かない?」


 昼休みの教室でのことだった。そもそも今日は特に学校に来ている人が少ない。来ている人は、私ーー汐留桜ーーのように明日の到来を信じている人か、高橋杏奈ーー私が「キミ」と読んでいる無二の親友ーーのように最期の日の日常を楽しみたいという人くらいだ。


「杏奈、分かってる? 明日共通テストなんだよ?」

「もー、桜は堅いなぁ。明日なんて来ないよ。ニュースでやってたでしょ?」

「そう言って、もし予想が外れて明日が来ちゃったらどうすんのよ」

「ダイジョーブダイジョーブ! 私たち模試でいつもA判定だったでしょ? へーきへーき!」


 A判定といっても名のある大学じゃない。地元の公立だ。それでも、キミはいつだって底なしに明るかった。その明るさに、何度救われてきたことか。


 私はため息一つついて答えた。


「分かった。でも参考書か単語帳は持っていくこと。そして10時までに隕石が来なかったら帰ること。それでいい?」


 隕石ーーそれこそが明日が来ないと言われている根拠だった。JAXAの発表によると、直径は約15キロメートル。恐竜の絶滅を引き起こした隕石とほぼ同じサイズらしい。たかだか浦賀水道の入り口に収まる程度の隕石で地球が滅ぶとは、やはりどうにも信じ難かった。


 母には、杏奈と一緒に勉強してから帰るから遅くなる、夕飯はいらない、と誤魔化した。真意を察してか知らずか、返事は一言、分かった、だった。


     *     *     *


 終業のチャイムが鳴り、皆荷物をまとめる。ある者は家路に就き、またある者は塾に向かう。そんな中、私は生物基礎の参考書を取り出した。


「えー、勉強するのー? 早く星を見に行こうよー!」


 キミは文句を垂れるが、私はそれを嗜める。


「隕石の接近は9時頃でしょ? それまでは、何があってもいいよう準備しておくものなの」

「桜がそう言うなら、いいよ、私も勉強に付き合ってあげる」


 そう言ってキミは地理の参考書を取り出した。そしてイタズラっぽく笑って唐突に言うのだ。


「そうだ、せっかくだから問題出し合おうよ」

「いいよ。じゃあ問題。甲状腺から分泌されるホルモンはなんという名前で、どんな働きがある?」


 キミはニタリと笑って答える。


「ミノといって、満腹中枢を刺激するのだ〜」

「杏奈真面目にやって!」


 私が咎めると、キミはぺろっと舌を出してみせた。そんなキミの表情が、憎めなくて、大切で、この瞬間がいつまでも続いてほしいと思った。

 だからかもしれない。私が明日の到来を強く信じてしまうのは。

 ふざけ合いつつも進めた二人きりの勉強会は、巡回の先生に下校の時間だと告げられるまで続いた。


     *     *     *


 夕食は珍しく外食にした。といっても、某庶民派イタリアンチェーンだが。ドリンクバーをつけた。それがせめてもの贅沢というやつかもしれない。


「こんな普通のところでよかったの?」


私が尋ねると、キミはあっけらかんとして逆に尋ねた。


「最後の晩餐が?」


 ちょうど壁にはドメニコ・ギルランダイオの名作が掲げられている。向かいにはラファエロ・サンティの名作も掲げられていた。


「ちがーう! 共通テストを前に験担ぎしなくてよかったのかってこと!」

「あー、それね。うん。験担ぎしないことが、私にとっての験担ぎだから」


 キミの顔が少し曇る。深く聞いてはいけない気がした。それでもキミはケロリと顔を崩した。


「それにね、最期の日だからこそ、日常から少しとび出した程度の贅沢が一番いいんだよ」

「そういうものなのかな」

「そういうものだよ。さ、乾杯!」


 そう言ってキミは満面の笑みを浮かべてでグラスを掲げる。私はそれに顔を崩して応える。シュワシュワと泡を立てるソーダで満たされたグラスが、チンと音を立ててぶつかった。


 キミとの夕飯は本当に楽しかった。サラダを分け合い、ピッツァを分け合い、パスタを分け合った。それは本当にいつも通りで、でもグラスに注がれた緑色のメロンソーダが、この晩餐がいつもと違うものであることを告げていた。


     *     *     *


 時計が8時を告げ、私たちは割り勘をして店を出た。店の明かりも、街灯も、信号灯も、何一つ欠けることなく輝いている。行き交う車の量も決して多かったり少なかったりすることはない。それを見て思うのだーーなんだいつも通りじゃないかーーと。


 キミは私の手を取って前を歩く。道は大通りから次第に脇道へと入り、やがて崖沿いに柵の設けられた小道に入り込んだ。


 天には埋め尽くすほどの星々。耳に届く波音と鼻に届く磯の香りが海の近いのを告げていた。頬を撫でる汐風が冷たい。


「ねえ、どこまで行くの?」

「うん? 星のよく見えるところまで」


 キミはニコニコ笑いながら私の手を引く。白い息を吐きながら連れられた先は岬の少し開けたところだった。

 そこには古ぼけたやや大きな灯台が建っていた。入り口には鎖に錠が掛けられ、金属製のプレートには「関係者以外立入禁止」と書かれていた。しかしキミは気にする様子もなく針金で錠を開ける。


「いいの? 立入禁止って書かれてるけど」

「いいのいいの。今日は地球最期の日なんだから」


 私はそれでも躊躇する。そんな私の背中をキミは押した。


「それにここ、廃灯台なの。誰も来ないよ? こんなところ」


 キミは扉を開けて私を中に招き入れた。その時に立ったキイッという軋みが、この灯台の古さを物語っていた。

 中は窓から差し込む星明かりに照らされ仄かに明るかった。カビ臭さが鼻につき、階段に積もる埃が目に留まった。

 キミはそれを気にすることなく、狭い螺旋階段を登る。私はキミを信じてついていった。

 やがて使われることのなくなった灯体の脇を抜けて、扉の前に立った。


「さ、着いたよ!」


 キミは満面の笑みでそう言って、扉を開けた。途端に凛とした冬の風が頰を撫で、それに運ばれた磯の香りが鼻腔をくすぐった。波音が耳に心地よい。

 キミに促され、展望デッキに一歩出る。眼下には吸い込まれそうな暗く蒼い海。天には宝石を散りばめたような星々。


「綺麗……」


 私が思わず呟くと、キミはにっこり笑って言った。


「どう? 勉強する気なんて起きなくなったでしょ?」


 その問いかけが妙に可笑しくて、私は思わず笑ってしまった。キミも笑みをこぼした。

 ひとしきり笑った後で、唐突に君は口を開く。


「実はね、待ってたんだ、この日を」

「待ってた?」


 キミがあまりにも真剣な口調で言うものだから、私は君の方に振り向き問い直す。キミは星を仰いだまま続けた。


「私は、優秀でなければならなかった。家でも、学校でも。マリオネットだったんだよ。中身がなくて、将来の夢とか希望とかもなくて、ただ家族や先生の言う通りに生かされるだけの存在。だから、地球滅亡の日が共通テストの前日だって分かった時は、運命だと思ったよ」


 私は何も言えなかった。だからキミは、こんなにも地球滅亡を信じて、いや、楽しみにさえしていたのか。

 キミは私に振り返る。その瞳は、満天の星を映したかのようにキラキラと輝いていた。


「でも、そんな私を桜は必要としてくれた。大切にしてくれた」


 キミは一歩、また一歩と近づく。そして優しく私の身体を抱いた。


「だから好きだよ、汐留桜」


 途端に頰が熱くなった。そうか、これが好きという気持ちなんだ。嬉しいという気持ちなんだ。授業で与えられた知識ばかり頭に入れて、こんなに大切なものを忘れていたとは。私はそっとキミの背に手を回した。


「私もだよ、高橋杏奈」


 その瞬間、天に眩い光が走った。二人抱き合ったままその方に振り向くと、青白い尾を引く流星があった。そうか、私たちを滅ぼすものはこんなにも美しいのか。


「ね、せっかくだから願い事しようよ」

「いいよ」


 私は胸の中で祈る。死んでも杏奈と一緒にいられますように、と。


 大地が震える。私とキミはしかと抱き合い踏ん張った。そしてどちらからともなく唇を重ねた。それが私の最初で最後のキスだった。

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