種をまくひと
その夜は満天の星空でした。
晴れ渡った夜空をみたのはいつぶりでしょう。
明かりの消えた施設内、カナタはずっと側にいてくれました。
私が動ける時間はあと僅かです。あと二時間……いえ、もうすこし短いかもしれません。
「お願いがあります」
私はカナタにお願いし、中庭に連れ出してもらいました。私の両脚は劣化と電圧不足により満足に動かない状態になっていました。
中庭にあった椅子に腰かけて、彼と手をつなぎ星を見上げます。
「カナタ、いままでありがとう。本当は私がキミを助けなくちゃいけないのに……」
役目を果たせない悔しさ、いえ寂しさのほうが強い感情です。
私はカナタとの別れが辛いのです。
思考を司る量子半導体は構造上、人間の脳内のニューロンと同じ働きをするそうです。単なる電気信号による処理プロセスではなく、量子領域での同時思考と認識による選択……。私たち最先端のAIアンドロイドが思考し感情を持つと云われる所以です。
「僕はずっとここにいるよ、ハル」
空で小さな星々が瞬きました。
「…………ダメです。カナタは朝になったら南へ向かってください」
「南へ? どうして」
たった今スターリンク衛星がかすかな信号を届けてくれたのです。
それは奇跡とも呼べる天啓でした。
――人類復興シェルター『Seed』を目指せ
メッセージと位置座標を発信している人がいます。人間かAIかわかりませんが、希望の光です。
場所はここから南へおよそ二百キロ。
比較的冬の影響が少ない海岸部です。
「生き延びる最後の希望がそこにあります」
カナタは私の話を聞くと驚きましたが、私は地図にあわせた位置、そして進みかたを知らせました。
リスクと危険は大きいですが、この施設にいればカナタは確実に餓死します。
残ったありったけの保存食料と水。一面に積もる雪は汚染され濾過しないと口にすることはできません。
カナタは私の話すことに耳を傾け、真剣にメモをとり、やがて深く考えました。
「ハル、だったら君も連れてゆく」
「無理です」
私の脚はもう動きません。どこにも行けません。
データリンクを行い残存電力をほとんど使い果たしました。
おそらく……残された時間は数分もないでしょう。私は……機能が停止します。
――可動限界、すみやかに充電実施してください。
――記憶領域保持のためスリープモードへ移行します。
目の前にアラートが表示されました。
「無理でも背負ってでも一緒につれていく」
まるで駄々っ子です。
「冷静に考えてください、動かない私を運んだら……数キロとて進めません。また天候が悪化すれば……カナタは……」
声がうまく出せません。
「ハル、君が好きだ」
「えっ……す好きって」
今、そんなことを言われても。
混乱します。えぇ、そんな……。
「大好きだよ」
「こ、困らせないでください」
思考回路がぐるぐるとします。
でもカナタは真剣な眼差しでみつめています。
私はただのAI搭載アンドロイド。人間と見た目は似ていても違うのです。昔……誰かからお前らには心も魂も無いと言いました。蓄積された情報と形成された疑似人格なのだと。
「ハル、目を閉じないで!」
「見えます、カナタの顔」
それでも、私は……こうして考え、嬉しいという感情を持っています。カナタを大切に想っています。
「嫌だ……こんなの」
「私は……ここにいます」
彼は好きだと、言ってくれました。
こんなに……嬉しいことはありません。
「いっしょにいたい、好きなんだ」
好きというのは大切で、誰よりも優先したいという感情です。それは私も同じ気持ちです。
「私も……カナタが好きです」
「大好きだよ……!」
「大好き……です」
ぎゅっと彼はわたしを抱擁してくれました。
好きです。
誰よりも大切に想っています。
だからこそ私は結論を導き出します。
辛くても、何よりも優先すべき決断を。
「……カナタは必ず生きてください」
「そんな」
「生きてほしいのです。ずっと」
健やかに、どこか暖かい場所で、幸せに。
微笑みを向ける相手は、私などではなく別の誰かだとしても。
「お別れですカナタ」
「ハル!?」
「せめて……笑顔で……」
彼は泣いています。
全身の駆動系から電力が失われました。
カナタはいつまでも抱きしめてくれました。ぬくもりだけは感じます。
「ハル!」
「……では……」
せめて笑顔でお別れしたかった……。
カナタのことが好きです。
だから願わくは……どうか生きて――
◇
永劫の闇……。
私は星の世界を飛んでいました。
無数の輝きのなか、意識だけが飛翔しています。
どこか深くて、遠い領域へと吸い込まれていきます。虚無の向こう側に。
私は…………消える……?
蓄積されていた情報が……なくなる。
記憶、量子の領域に……残された記憶も?
これは……意識……?
人が……魂と呼んでいたもの?
……………………
◇
――SYSTEM LOAD
――BIOROID制御OS Orpheus 起動
――疑体制御系FIX……正常
――記憶領域積層演算開始……正常
――意識領域人格再構成……正常
――YOU HAVE CONTROLD
(あなたに委ねます)
◇
ハル
誰かが……呼んでいます。
遠くから私の名を呼ぶ人がいます。
ハル、聞こえる? 僕だよ。
この声を……知っています。
「ハル!」
水の底から浮かび上がる泡のように、意識が光あふれる表層へ。
「…………カナタ?」
ゆっくりと目をひらきます。
淡い光……ぼやけた視界。
やがて像を結んだのは、見覚えのある顔でした。黒髪に大きな瞳、目には涙を浮かべています。
「よかった! 気がついた……ハル」
突然ぎゅっと抱きしめられました。
「……えっ、あれ? カ……カナタ……?」
私は……たしか機能を停止したはずです。
これはどういう状況……ですか?
視界に入った周囲には。白い服を着た大人の男女がいました。
「ハル君……だね? 君の記憶ユニットを新しい生体系素体に移植したんだ。肉体制御系は入れ換えたばかりだから、馴染むのにしばらく時間がかかると思う」
「カナタ君が貴方の記憶ユニットだけを大事にここまで運んできたの。身体、動かせそう?」
「え……あ……」
カナタが……私を?
記憶ユニットだけを外し運んでくれた?
それは自壊制限をもつ私には思いつかないアイデアでした。
「……手が……動きます、指も……!」
駆動系はシリコン筋肉ではありません。
指先がしなやかに動き、指先に幾何学的な指紋も見えました。
人間そっくりの肉体は有機合成の人造細胞によるボディだとわかりました。循環器系と呼吸器系があり人造細胞内では強化型ミトコンドリアがエネルギーを生んでいます。自己修復できる肉体。顔は……以前とはすこし違いますが、髪は柔らかい絹糸のような桜色でした。
頭にはコネクターも何もありません。
脳も……細胞で出来ている……?
「良かった、ハルだよね?」
「カナタ……そうです。私です」
「そのぎこちない笑いかた、間違いないね」
「えっ、そうですか?」
あれ?
すこしカナタの印象が違っています。
幼い印象が消え、なんとなく精悍で、背も伸びて、大きくなっているような……。
困惑する私にカナタは説明してくれました。
施設で電源を失い、動かなくなった私のボディから記憶媒体だけを取り外し、共に新天地を目指し旅に出たことを。
施設で何体かのアンドロイドの残骸に触れ、構造だけは理解していた。だから取り外すことが可能だったと。
長い苦難の旅の果て、人類再建コロニーにたどり着いたことを。
彼を導いたのはマザーAIでした。
世界各所にあった避難施設を「Seed」と称し、わずかな人間を生かすよう情報操作したのです。
カナタは生き残りSeedにたどり着いた百数十人の人間たちと共同生活を始めたのです。
「ここで暮らしているのはマザーAIが選別、未来を託すために導かれた人々さ」
白い服を着た男と女のひとはいいました。
医療施設のような部屋には窓があり、外の様子が見えました。
明るい日差しにいくつものビニールハウスや密閉型の施設が立ち並び、若い人たちが行き来しています。
「導かれた……」
「僕はここで働いてるんだ。世界をより良くするためにね」
彼は強い意志を宿した瞳で、私の手を取って立たせてくれました。彼は私より背が高くなっていました。
「カナタ……大きくなった?」
「二年ぶりだからね」
「えっ!? そうなのですか」
驚きました。時間がかなり過ぎていました。
「こんな状況だからね。ハルさんの記憶ユニットに適合する素体が、なかなか見つからなかったの」
「でも、不妊治療目的で研究されていたiPS生殖細胞内蔵型バイオロイドの素体が、とある施設で何体か見つかってね。そこから記憶と意識を移植……適合するように一年かけて調整したんだ」
白衣の男性は半ば自慢げにスラスラと難しいことを言いました。けれど私はその単語の半分も理解できませんでした。
「はぁ……ありがとうございます」
どうやら私の過去の科学的知識データベースは半分消えかけているようです。日常生活に支障は無さそうですが……。
窓から見える範囲では様々な機械や物資が集められ、人々が忙しそうに働いています。
「そうだハル、外へ出てみない?」
「外……?」
カナタが私を外に誘います。気がつくと雪はありません。日差しが暖かそうで緑の草も地面にはえています。
立ち上がるとすこしふらつきましたが床に足がつきました。でも無理をするなと車椅子に座らされ、カナタが押してくれました。
「すぐに歩けるようになるわ」
白衣の女のひとは微笑みました。
車椅子を押され施設の外へ。ふわりと暖かな風が頬を撫でました。
「春が、季節が戻ってきたんだ」
カナタは嬉しそうに私の肩に手をおいて風景をみせてくれました。
「春……! 春がきたのですね!」
「暖かいでしょ」
「うん……」
驚きました。
永遠に続くかに思われた寒く辛い季節が終わり、明るく希望に満ちた季節が巡って来たのです。
ビニールハウスの中では青々とした葉が茂っていました。
「ハルといた施設から持ってきた麦の種だよ。今は成長点のn細胞培養と人造種子で沢山増やしているんだ」
「これなら沢山パンが食べられそう」
「そうだね」
彼は笑いました。
私は彼をみてあらためて好きなのだ……と感じました。この記憶が消えなくて良かった。
心のそこから思いました。
「いっしょに生きよう、ハル」
君が好きだ。
彼はそう言ってくれました。
「はいっ、カナタ」
私はいま上手に微笑めているでしょうか?
<おしまい>