希望と絶望
カナタが来てくれてから、止まっていた時間が動き出した気がします。
「き、気を付けてください」
「大丈夫だよ」
屋根に登りカナタは太陽電池パネルの掃除をしてくれました。
施設での暮らしを良くするため、カナタは出来る範囲で施設を修理してくれます。
太陽光パネルに絡みついた蔦を取り除き、積もった汚れを払い落とします。
「発電量がかなり回復しました……!」
「よかった」
カナタのおかげで施設の発電量もかなり復活しました。
彼は他にも強盗団に壊されたドアを直し、残った物資を集めてくれました。どれも医療支援用アンドロイドである私には無理なことばかりです。
「ありがとう、感謝します」
「べ、別に……」
私はカナタのためにありったけの食料を集めました。乾燥食料、医療用の補水液まで使えるものは全て。
「ビタミンが不足していますね」
「野菜なんて育たないよ」
何年も外はずっと秋か冬のような気候です。
夏も春も無くなってから数年。外では植物はほとんど育ちません。丈夫なススキと針葉樹の林だけが次第に世界を覆いつくしています。
「昔は中庭にお花も咲いていたのですが」
患者様と一緒にドライフラワーでリースをつくり飾りました。埃をかぶったリースがいくつか壁に残っています。
「ハル……それ使えないかな?」
カナタは壁のリースを取り外し、ドライフラワーから種をみつけました。お花の種と「お豆」と「麦の種子」が手に入りました。
入り口のホールで転がっていた枯れた観葉植物の鉢をカナタは運び、日の当たる部屋の中に並べました。種を植えつけ水を与えます。
蒔いたのは豆の種でした。
「これで育つかなぁ……」
「すごい……すごいですカナタ!」
私には思いつかないことでした。
「食べられるといいけど」
「きっとなんとかなります。楽しみですね」
明日への想いを「希望」と呼ぶそうです。
人間は希望を失くすと生きていけないと、私は教わりました。
生きるための希望を、カナタは次々と作り出してゆきます。
一週間もたたずに日の当たる室内で豆が芽吹きました。
「芽が出た!」
「調べましたが、若葉の状態でも食べられるみたいですよ」
「豆まで育ててみたいけど……」
緑の葉がだんだん育つのを毎日眺めるのが楽しいと感じます。
「毎日おおきくなるのですね」
「もうすこし大きくなったら食べちゃお」
微笑むカナタ。
いつしか彼の横顔をそっと眺めるのが私は好きになりました。
このまま一緒にずっと暮らしていけたら良いなって思います。
カナタはそんな私の思考、気持ちを知ってか知らずか、一人で出掛けることもあります。
「必ず戻ってきてくださいね!」
「まわりを見てくるだけだよ」
外を探検してくるカナタですが、目ぼしい物資は何も手に入りませんでした。
体力と食料の温存のため、暖かな部屋の隅でゲームをするようになりました。
陽だまりでふたり、床の上に敷いたラグマットの上で向かい合います。カードゲーム、トランプ、将棋にオセロ。時間はいくらでもあります。
「ハル、ちょっと手かげんしろよ」
「カナタが弱すぎるんです」
「くそーもういっかい」
「ふふふ、いいですとも」
白で埋め尽くしたオセロを前にカナタが怒ります。その表情が可笑しくて、私も微笑みかえします。
なんだか変です。
ほわほわして、
これは楽しい、嬉しい、そんな感情でしょうか。
AIである私には感情はありませんが、蓄積した知識と反応は人間のそれと同じです。
収斂進化。
違う存在でもやがて同じような姿形に至る。思考や意識も同じことじゃ。と、施設にいた博識のご老人がいつか私に言いました。
今のわたしにはカナタが必要です。
彼は……私を必要としてくれているでしょうか?
気になります。
二人でいると温かいのです。お日様による体表面の温度上昇のせいではありません。
心地よい、幸せ……でしょうか?
カナタと一緒にいたいのです。
密かに祈ります。
ずっとこんな日々が続きますように、と。
もちろんメモリ内で願う真似事しかできませんが……。
「もう一回!」
「いいですよ……あ」
オセロの駒が指先からすべり落ちました。
うまく……指先で掴めません。
指と腕が、動かないのです。シリコン駆動系アクチュエーターの劣化が進んでいます。
「ハル……?」
「平気です! まだ左腕があります」
部屋が光を失います。カナタの顔は悲しんでいるように見えました。
やがて強い風に流された雲が太陽を隠してゆきます。私に残された時間は……少ないのかもしれません。
カナタは施設のなかで動かなくなった他のアンドロイドを分解し、部品を手に入れてなんとかしようとしてくれました。でも専門的な知識も道具も何も無い以上、どうすることもできませんでした。
それから一週間後。
嬉しいこともありました。
お豆のツルがわさわさと育ちました。さっそく試食です。
「美味しいですか?」
「新鮮な草の味がする……」
カナタは葉をかじり微妙な顔をしました。
豆の若芽は栄養満点ですが、味は表情から察しがつきます。
「ウサギみたいで可愛いです。栄養だとおもって頑張ってたべてください」
「ハルは気楽でいいよ」
カナタの苦笑する顔が好きです。
すこし「からかう」ことを学びました。もっとカナタとお話がしたいです。
カナタは以前よりも表情も感情も豊かになり、私と沢山おしゃべりをしてくれます。
だけど……私のボディは限界を迎えつつありました。腕や脚の動きが徐々に悪くなっているのです。
「美味しく食べる方法を考えましょう」
「カレーに混ぜれば美味しいけど……」
「昨日が最後のカレーです」
「そうだったね」
保存食も減り続けています。
施設内の在庫はもうありません、節約してもあと二週間が限界です。
これでは……冬を越せません。
短いサイクルで秋と冬だけが押し寄せてきます。
茶色く枯れた世界。
何もない荒涼とした大地。
これでもまだ秋なのです。一面真っ白な雪に閉ざされる季節になれば、カナタは……。
嫌です。
カナタが居なくなるなんて、私の頭がぐるぐるめぐり、良い考えが見つかりません。マザーAIとの通信も途絶え、自分だけでは結論を出せません。
メモリ内に記憶されていた世界崩壊前の地図を調べました。
この山奥の施設から数キロ先に集落が、さらに二十キロ南に町がありました。
物資や食料を手に入れられる可能性があります。
けれどカナタにそれを告げても首を横にふりました。
カナタは人口数百万人の大都市から来たのです。そこではすべての物資が枯渇し餓死者が骨になっていたといいます。既にどこでも食料が見つからずネズミを食べながらようやくここにたどり着いたのです。
「途中の町も集落も見たよ。でも何もなかった」
困りました。
このままではやがてカナタは飢え死んでしまう。
ふたりで育てた豆は「希望」をくれましたが、ごくわずか。お腹を満たす量ではありません。
ドライフラワーから得た麦の種は?
やはり収穫まで数ヵ月必要です。
私の知識とアイデアでは、良い打開策がみつかりません。
やがて激しい嵐がやってきました。
冬の訪れを告げる嵐です。
ゴウゴウと恐ろしい音がして、私とカナタはじっと耐えるしかありませんでした。
「カナタ、体力を温存しましょう」
「……ハルは温かいね」
ふたりで寄り添って毛布にくるまり暗い空を見つめます。
私は体内サーモ保持機能により人間の体温を再現しています。抱いていただければ湯たんぽがわりにはなりますから。
「こうしていましょう」
「そうだね……」
太陽がようやく顔を出したのは、三日後のことでした。
追い討ちをかけるように最悪の事態が起こりました。
「太陽光発電パネルが破損しました。もう充電は不可能です」
「そんな!」
慌てて施設の外に飛び出したカナタは愕然とします。太陽光パネルが吹き飛ばされ地面で砕けていました。
施設の暖房機能も停止、仮に太陽光パネルが復活しても充電設備の不調で満足に充電できません。
私の内蔵バッテリー残量はわずか7%。
期待していた充電も出来なくなりました。
あと一日で完全に機能を失うでしょう。
「カナタ、私は明日には……動けなくなります」
伝えるのも躊躇いました。
でも伝えなければなりません。
お別れの時間が迫っています。
みるみるカナタの顔が困惑と、そしてくしゃくしゃの泣き顔に変わります。
「嫌だ……! そんなの、ハル!」
満足に動けなくなった私を彼はぎゅっと抱き締めてくれました。泣きじゃくりポロポロと涙を流しています。
「……涙……」
私も泣けたらよかったです。
カナタと同じことがしたいのに。
消失への予感を悲しい、別れを辛いと感じているのに涙を流せないなんて……。
「ハル……僕を……一人にしないで……」
「ごめんなさい……。ほんとうに……」
かろうじて動く左手で彼の頭を撫でます。壊れかけのセンサーが体温を伝えてくれました。
「さよならです、カナタ」
それはあまりにも唐突な終焉でした。
<つづく>
次回、最終回――。