39
店を持たないムーリャンはいつもどこかの街の宿に泊まり、商談をする時は宿の部屋を時間で借りて商談をした。そうやって各地を回りながら色々な薬を売買する生活を何十年も送っていた。
前の夜、遅くまでエミリアの事を考えていたムーリャンは翌日お昼前に目を覚ました。
近くのお店で食事を終えて街を歩いていると平民にしては上等なワンピースを着た若い女性に声を掛けられた。
「突然声を掛けてすみません。ムーリャンさんですよね?」
そうだと答えると若い女性は、ローラという名でライエルの事で頼みがあると言う。仕方がないからムーリャンは近くのお店に入ると目立たぬように少し奥まった席に案内してもらった。
頼んだ紅茶が運ばれてきてそれを1口飲むとローラは
「昨日王宮の医療室から2人が出てくる所を見ました……」
と話し始めた。ローラはライエルとの結婚を考えていて、1度はライエルもそれらしい話をしたにも関わらず、どうも自分を避けているような気がする。ムーリャンはライエルと親しいようだから、何とか自分とライエルの仲が上手くいくように取り持って欲しい。という話だった。
(この女だな)
ライエルが言っていた王子に薬を飲ませた時に協力してくれた侍女はこの女に違いないとムーリャンは思った。確かライエルはこの女を嫌がっていたはずだ。ムーリャンはローラに言った。
「ローラ嬢、俺は確かにライエルの仕事仲間だが、そういう話をライエルとした事は1度もないんだ。申し訳ないが俺には無理な話だ」
ローラはがっかりするとそのまま帰って行った。
ローラは昨日も医療室の近くでライエルを待っていたが、ムーリャンと一緒だったので声を掛ける事が出来なかった。その後仕事に戻ったローラは侍女長から呼び出されて、ライエルを待ち伏せするのを止めるように叱られてしまったのだ。
ライエルの方から王宮内で働くローラに会いに来ることは難しい。これからライエルに会うにはどうしたらよいか考えたローラはムーリャンに頼もうとしたが断られてしまった。
(薬を飲ませるのは手伝ったけれど、ライエル様の言った通り王子は眠っただけだった。何も起きていないのに薬の事で繋ぎ止める事は難しい。
そう言えば、薬を飲ませたのは妹のやった事を許してもらうためだと言っていた。ライエル様にはちょっと変わったエミリアという名の妹がいると聞いた事もある。
その妹を手懐ける事ができれば、ライエル様に近づくことが出来るかも知れない)
そうローラは考えて、エミリアにプレゼントするための髪飾りを買うと、王宮にある自室に戻り手紙を書いた。そして髪飾りと一緒に丁寧に包むと、エミリア・クルージュ男爵令嬢に送った。
ローラからのプレゼントと手紙を受け取ったエミリアは、早速プレゼントの包みを開けて髪飾りを見るとがっかりした。
(宝石が何も付いていない髪飾りなんていらないわ)
男爵令嬢だが贅沢な物に囲まれた生活を送るエミリアには、ローラがくれた髪飾りはいかにも安物に見えて気に入らなかった。
だが手紙を読んだエミリアは喜んだ。
ローラからの手紙には自分は兄ライエルとお付き合いしている者でエミリアの事はいつもライエルから聞いている。たまたま街でエミリアに似合いそうな髪飾りを見つけたので思わず買ってしまった。是非受け取って欲しいと書かれていた。
エミリアは兄が王子に操りの魔法の薬を飲ませるために利用した王宮侍女がいる事を知っていた。そしてその女から脅された兄が高価なプレゼントを買った事も兄の執務室の隣の部屋で聞いていたのだ。
(兄を脅していたのはこのローラという女に違いない)
エミリアは操りの魔法の薬を手に入れるためにローラを利用できるかも知れないと思い、早速お礼の手紙を書いた。
エミリアからローラに届いた手紙には髪飾りのお礼と、1度2人きりで会いたいと書かれていた。
ローラは仕事がお休みの日にエミリアに会うためお店に向かった。エミリアを上手く手懐けてライエルとの仲を取り持ってもらうつもりで、街の広場に面した高級レストランの個室を予約していたのだ。
2人は予定通り店の個室で紅茶を飲み始めた。エミリアからライエルとの関係を聞かれたローラは、ライエルとは王宮内で出会い、実はもう既に口付けを交わした仲なのだと少し恥ずかしそうに話した。
エミリアはまだ13歳。恋愛に憧れる年頃の少女がこんな話を聞けば驚いて、口付けまで交わした仲なら早く婚約した方が良いと言うに違いないとローラは思っていた。
ところがエミリアは急に冷めた表情になると聞いてきた。
「この間、お兄様がどこかの女性に脅されて高価なドレスや宝石を買わされたと聞いたのだけど、その女性はローラさんで間違いないのかしら?」
(脅された?)
ローラは驚いて否定したが、エミリアはローラがライエルを手伝い王子に薬を飲ませた事も知っていた。
ローラは自分がエミリアを利用するつもりでいたのに、実はその反対で利用されようとしている事に気付いた時にはもう遅かった。
エミリアは自分もその薬が欲しくて兄に頼んだのだが、兄は持っておらずムーリャンという兄の友人に頼んで手に入れてもらうしかない事を話した。
「ローラさん、あなたには出来るだけ早くムーリャンに頼んであの薬を手に入れてもらいたいの」
王子に飲ませた薬は、エミリアの不敬な行いを王子に許してもらうために準備されたもので、人を落ち着かせる効果しかない薬だと説明してもエミリアは呆れたような顔をして
「あなたって馬鹿なの?
アレン様に何か飲ませた時点であなたの罪は確定してるのよ。それが何の薬でも関係ないじゃないの」
と、馬鹿にされただけだった。
エミリアは時間がないのと言いながら必ず薬を持って来なさいと次に会う日時を指定して、またここを予約しといてね。と言うと帰って行った。
街の広場を取り囲む場所には貴族や裕福な平民に人気のお店が並んでいる。広場には露店も並んでいて、気軽に買える食べ物の店や水売りが客を呼び込む声が響いていた。
買った物をそのまま広場にある長椅子に座って幸せそうに食べる人の姿をぼんやりと見ながらローラは呟いた。
「何でこんな事になってしまったのかしら」
こどもだと思っていたのにあんな恐ろしい子の義姉になるなんてとんでもない。ローラはライエルの事など、どうでも良くなっていた。それよりムーリャンを探して薬を頼まなくては。
ローラは先日ムーリャンに声を掛けた辺りに移動しようと動き始めた。
夕方には王宮に帰らなくてはならない。ムーリャンを探す時間がないと考えたローラは、街にある薬の店を訪ねてムーリャンの事を聞いた。
すると店主はムーリャンの泊まっている宿を教えてくれたのでローラはその足で宿に向かうことにした。




