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魔塔主はアリアローズにソファーに勧めると
「ここは何でも自分でする事になっているんだ」
と言いながら紅茶を淹れ始めた。アリアローズがなるほどと思っていると向かいのソファーに腰かけた魔塔主が話し始めた。
「魔塔はバルトレイ公爵家への魔法師の派遣を終わりにしたいと考えているんだが、バルトレイ嬢もそれでいいか?」
アリアローズは少し悲しかったが兄ユーリスが学園を卒業した今は、自分だけのためにグレイに来てもらう事を心苦しくも思っていたのでそれを受け入れる事にした。
「グレイ先生には魔法を使う事の楽しさや厳しさを教えていただきました。その時間が私にはとても大切な事でしたので残念ですが、魔塔主様がそう決められたのでしたら私はそれに従います」
「バルトレイ嬢が努力してバリア魔法を覚えた事はグレイから報告を受けている。今までよく頑張ったな」
「ありがとうございます」
グレイ先生とはまた会えるし、魔法の勉強なら学園でもできるのだから大丈夫とアリアローズが思っていた時
「アリアローズ嬢、話は変わるが君にどうしても会いたいという人が来てるんだ」
魔塔主は嬉しそうにそう言うと、呼び鈴を鳴らした。すると
トントントン
ノックの音の後に入ってきたのは美味しそうなお菓子を載せたトレイを持った王子だった。
アリアローズはすぐに立ち上がり、王子にカーテシーをして挨拶すると王子はトレイをテーブルに置くと優しく言った。
「丁寧な挨拶をありがとう。リアも座って食べないか?君の好きな物を選んで持って来たんだよ」
魔塔主は3人分の紅茶を淹れ始め、王子はそのまま魔塔主の横に座ると言った
「私もリアに話があって、セシル様に頼んでここに来させてもらったんだ」
「そうでしたか」
「もうすぐ長期休みも終わるだろう? 半年後には私も卒業する。その卒業パーティでは是非リア、私の選んだドレスを着た君を、私にエスコートさせてもらえないだろうか?」
王子の真剣な表情を見てアリアローズは戸惑った。こんな事は前世ではなかった。卒業パーティで王子がエスコートしたのはエミリアだったはず。
「私…でよろしいんでしょうか?」
今の自分はまだ王子の婚約者で、王子が他の誰かをエスコートする事などあってはならない事だ。思わずおかしな返事をしてしまったとアリアローズが悔やんでいると王子がアリアローズを見つめながらゆっくりと言った。
「それは…前は違っていたという事なのかな?」
驚いたアリアローズは自分が震え始めた事に気付き、手にした紅茶に口を付けるのを止めてそっとテーブルに戻した。
それを見ていた魔塔主が言った。
「バルトレイ嬢、もしかしたら君は前世の事を覚えているんじゃあないのか?」
アリアローズは益々酷くなる震えを止めようと目を閉じて両手で自分の身体を抱えるとぐっと力を込めた。
しばらくするとアリアローズには王子の声が聞こえてきた
「リア、…リア、何も心配はいらないよ。実はセシル様にも前世の記憶があるんだ。私とセシル様はリアと話をしたいだけなんだよ」
(えっ?魔塔主様にも…)
アリアローズがゆっくりと目を開けて前を見ると、心配そうな顔をした魔塔主と王子の姿があった。
「急にこんな話をして驚いただろう。実はバルトレイ嬢にここに来てもらったのはこの話をするためなんだ。
騙すような事をして申し訳なかったがバルトレイ嬢が俺と同じように前世の記憶があるかどうかを確かめるためにはここに呼ぶしかなかった」
アリアローズの震えはいつの間にか収まっていた。
「まずは俺の記憶から話そう」
魔塔主は自分が15歳の時に思い出した事から始まり、最後には自分の持っている魔力の全てを使い時を戻した事を話した。
それを聞いたアリアローズは、自分の前世の記憶の中の出来事は思っていたものとは少し違っていたのだと思った。
魔塔主は言った。
「今度はバルトレイ嬢の覚えている話を聞かせてくれ」
「私は早くに死んでしまいましたのでお役に立てるとは思えませんが覚えている事を話させていただきます。私が前世を思い出したのは5歳の時でした…............…」
アリアローズの話が終わるとゆっくりと王子が立ち上がり、アリアローズの前に跪くと言った。
「アリアローズ、前世、私は君に酷い事をして傷付けてばかりだった。ほんとうに申し訳なかった。どんなに辛い思いをさせてしまったか考えただけで私には許されない事だと分かっている。でも言わせて欲しいんだ。私はアリアローズを愛している。私が望むのは前世でも今世でもアリアローズ唯ひとりだ。
今すぐは無理でもいい。何年先の事になっても構わないから私が君の隣にいる事を許して欲しいんだ。こんなずうずうしい事を言って申し訳ないが、どうしても君を諦める事が出来ない」
王子は真剣で心からアリアローズを愛している事が伝わって来た。
アリアローズは思った。
(私は今、前世でも今世でも感じた事のないくらいの幸せを感じているのが分かる。私もまた、アレン様を愛しているんだわ。前世でのアレン様は確かに私の心を踏みにじった。
でもそれはアレン様のせいではなかった。それなら尚更今のアレン様を責める事はできないはず)
「前世の私はアレン様に嫌われたのだと思っていました。私は駄目な人間で他人から愛される事など無いと思い込んでいました。
そして自分が人生をやり直している事に気付いてからは、前世のようにだけはなりたくないと、そればかり考えて自分なりに頑張って来たつもりです。
でも、前世のアレン様は魔法によって操られ、エミリア様によって私は陥れられたのですね。私のせいばかりではなかった。
あの時の苦しみを忘れる事はできないでしょうが、今日それを知る事ができて救われたような気持ちです。
アレン様、私はあなたを許します。ですがこれからの事は少し考える時間をいただけますか?」
「もちろんだ。考えると言ってもらえただけで嬉しいよ。ありがとうリア」
2人が頬を染めて見つめ合う様子を見ていた魔塔主が申し訳なさそうに言った
「そぅ…そうか、そうなんだな。そう言う事があってバルトレイ嬢はバリアを身につけようとしたのだな」
王子は少し残念そうに魔塔主の横に戻った。
「そうです。少しでも抗いたかったのです。魔法科に入り、お父様を何とか説得して魔法師になって、王宮勤めを回避できればと思っておりました」
魔塔主は言った。
「ところで、アレンの魔法は解けて、君達も仲直りできたようだが、まだ解決していない事もある。問題はムーリャンがどこにいるか分からない事なんだ」
アリアローズが言った。
「ムーリャンさんなら知っています。たまに王宮の医療室に薬を届けに来られていますよ」
「「王宮に?」」
ライエルの事は知っていたが、まさか隣国出身のムーリャンが王宮に出入りしているとは思ってもいなかった2人は驚いた。
「そうです。私は今2度目の妃教育を受けているので、既に覚えている事も多く余裕があるのです。そこで何かあった時逃げ…いえ、対処できるようにと思い、王宮内を散策して知り合いも増えました。
ムーリャンさんの事は医療室にお邪魔した時に教えてもらいました。エルノアでは流行病に苦しむ人のために働いた英雄のような方だと。
そういえばエミリア様のお兄様も医療室によく来られるそうで、御2人はとても仲が良いと聞きました」
「クルージュ男爵に関する噂を聞いた事はないか?」
アリアローズは少し考えてから言った。
「これは下賎な話なのですが、クルージュ男爵と仲の良い侍女の話を聞きました」
魔塔主は身を乗り出した
「教えてくれ」
「医療室の下働きの者に、クルージュ男爵が来たら知らせるように頼んでいる侍女がいるそうなのです。知らせれば僅かではありますが御礼がもらえるので喜んで知らせに走る者もいるそうです。
もしかしておふたりで待ち合わせているのかも知れません。クルージュ男爵がお帰りになる途中の道で2人が話しているのを見かける事があるそうですから」
「その侍女の名前は分かるか?」
「はい、ローラ・シークリット伯爵令嬢です」
その名前は王子が操りの魔法を掛けられた時に紅茶を用意した侍女だった。
魔塔主は何か思い付いたようで急に立ち上がりながら2人に言った。
「バルトレイ嬢、アレン、2人共今日はありがとう。急用が出来たから俺はこれで失礼するよ。
アレンには悪いがここで魔塔主としての俺が君達を2人きりにする訳にはいかないんだ。誰かに来てもらう事になるが許してくれよ」
「「も、もちろんです」」
「あっ!ムーリャンの事は俺に任せてくれ。アレン、頑張れよ!」
魔塔主は嬉しそうに部屋を出て行った後、すぐにリクが入ってきた。
(なるほど)
赤く頬を染めた2人を見てリクは言った
「アレン様、今日王宮に帰られる前に見て頂きたい書類が部屋に置いてあるそうです。
バルトレイ嬢には馬車が来るまでの間、誰かに魔塔を案内させましょう」
その後、王宮から来た迎えの馬車が魔塔の前に停ると、王子が嬉しそうにアリアローズの手を取り、2人は一緒に馬車に乗って帰って行った。




