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それぞれ進級し、王子は3年生、アリアローズが2年生になった日の朝。
(いよいよ今日から始まるのね)
起きてからすぐにアリアローズはマーサの用意してくれた水で顔を洗い、そのまま両手で自分の頬をパン!と叩いた。
入学式の日。
エミリアは晴れ晴れとした気持ちで学園の門をくぐった。すれ違う人達皆が自分に笑顔を向けてくれる。何もかもが新鮮でキラキラして見える。エミリアは嬉しくて仕方がなかった。
入学式が始まり祝辞の為壇上に上がったアレン王子を見た瞬間、エミリアの頭の中で鐘が鳴り響いた。
(この方がアレン王子なのね。幼い頃から私には特別な方がいて、その人と結ばれると信じていたけれど、アレン様が私のその運命の相手だったのね。なんて素晴らしいんでしょう!)
次の日からエミリアは王子を見つけては声を掛け、いつの間にか腕を絡ませるようになった。
学園の中では身分は関係ないと言っても限度がある。
最初の頃は王子の同級生で側近のマーカスが注意したが、エミリアには全く効果がなかった。
王子がはっきりと拒絶すると今度は待ち伏せして付け回し、注意すると何も悪いことはしていないと言い張り、癇癪をおこしたり、泣いたりするようになった。
そして、とうとう学園にエミリアの兄、ライエル・クルージュが呼ばれる事になった。
その頃のライエルは両親が引退し、男爵家の当主になっていた。
クルージュ男爵家が仕入れた薬草が冬になる度、多くの人の命を奪う流行病の特効薬としても使える事を突き止め、大変な評判になり、当主であるライエルが王宮にも出入りし、薬の相談を受けたりするようになっていた。
そんな時にこの呼び出しだ。
学園長からエミリアの愚行を聞き、顔から火が出るほど恥ずかしく腹が立った。
「大変申し訳ありませんでした。妹は当分の間、自宅で教育させていただきます」
ライエルはそのまま泣いて嫌がるエミリアを引きずるようにして帰って行った。
幸いな事に今世では直接目にする事はなかったが、エミリアの不敬な行動や自宅謹慎になった事は、アリアローズの耳にもすぐに届いた。
(ここまでは前世とだいたい同じ展開ね。この後、長期休みの間にアレン様は私に冷たくなって、卒業パーティで婚約破棄されてしまうのよね)
学園を卒業し、父に付いて本格的に宰相になるための勉強を始めたユーリスも、エミリアが自宅謹慎になった報告を聞いてほっと胸をなでおろした。
「何を言われても変わらないわ!私はアレン様と結婚するの!そう決まっているのよ。お兄様はどうして分かってくれないの?」
これまでの行いがどんなに下品で不敬な事か説明しても、諭しても、怒っても、エミリアは全く分かろうともしなかった。
(今は何を言っても無駄だ。落ち着くまで待つしかないな)
ライエルはエミリアを部屋で反省させる事にした。
「無理を言わないでくれ。王子にはバルトレイ公爵令嬢という婚約者がいるんだ。私やエミリアにはどうする事も出来ない話だ。
そんな事よりも貴族としての振る舞いを少しは身に付けないと困るのはエミリア自身なんだぞ。
今、お前を何とかしてくれそうな家庭教師を探しているから、見つかるまでの間部屋で反省していなさい」
そう部屋の前で告げると、侍女達にエミリアを決して出さないように言いつけた。
そんな中、ライエルのところに隣国エルノアの商人ムーリャンが遊びに来てくれた。
ムーリャンはライエルよりもずっと歳上でライエルにとっては頼れる商売の先輩だった。初めて会った時に気軽に声を掛けられたので驚いたが、特効薬の話をしている内にすぐに仲良くなり、今では何でも話せる仲になっていた。
久しぶりに酒を酌み交わし、色々な話をするうちについ、エミリアの愚痴も出てしまった。すると、ムーリャンは荷物の中から小さな薬袋を取り出すと話し始めた。
「これは、他人を操る事が出来る魔法の薬だ。無味、無臭で副作用は飲んだ後眠ってしまうことぐらい。癖がないから、何に混ぜても良いそうだ。
信じられないと思うが、この薬は本物だ。使った事のある俺が言うのだから間違いない。
まだ俺が若い頃の話だが、そいつは人を騙して商売する嫌な男だった。薬の効果を確かめるにはちょうどよいと、取り引きを持ち掛けて食事に誘ったんだ。
酒を飲ませて酔った所に薬の入った水を飲ませたらすぐに朦朧としてきた。
俺は支える振りをして、耳元で
『これからお前は嘘が吐けなくなる』
と囁いたんだ。
その後奴はすぐに眠ってしまい、2時間程で目を覚ましたが、本人は酔っ払って寝てしまったと思い込んでいたし、俺の囁いた事は全く覚えていなかった。
それから奴は嘘が吐けなくなり、今までの事もバレて商売が出来なくなってしまったんだ」
ムーリャンは薬袋をライエルの手に握らせると続けて言った。
「エミリア嬢は学園に入学したばかりだし貴族としてのデビューもまだだろ? 何も分からないところに、素敵な王子様が現れて舞い上がってしまったんだろう。気にする事はないさ。
お前には恩がある。もしもこの先困った事があって、この薬が役に立ちそうなら使って欲しいんだ。
薬はこれが1回分だ。少し多く入れてあるが零さないように気を付けろよ。飲ませたらそいつが眠ってしまう前にさせたい事を必ず耳元で囁くんだ。そうしなければ、ただの眠り薬になってしまうからな。
勿論、違法な薬だから、すぐに捨ててしまっても構わない。この薬はもうすでにお前の物だからな」
「ムーリャンさん、お迎えの馬車が来ました」
執事の声掛けにムーリャンが重い腰をあげると、迎えに来た馬丁に支えられながら帰って行った。
(他人を操れる薬か......。エミリアの願いを叶えてやりたいが、王子に薬を飲ませるなんて無理だ。
いっその事エミリアに飲ませたいくらいだが、王子の事、学園の事、家庭教師の事。困った事が多すぎて今はどうにもならんな)
ライエルは苦笑いするしかなかった。
それから数日後、国王からの書簡がクルージュ男爵家に届いた。
流行病の特効薬を見つけたライエルに国王から直接褒美を贈りたいので、王宮に来るようにというありがたい内容だった。
ライエルも王宮への出入りする事が増え、顔馴染みになった医者や侍女達と親しくなっていた。中には特効薬で命が助かった侍女や家族が助かった騎士や高官もいて、何かあったらいつでも言って欲しいと言ってくれる者やライエルに秋波を送る女性までいた。
(上手くやればアレン王子に薬を飲ませることが出来るかもしれないぞ)
それからのライエルの行動は素早かった。
まず、何でも言ってくれと言っていた高官に頼み込み、謁見の後に王子と会えるように取り次いでもらった。頼まれた高官は最初無理だと思ったが、王子は特効薬に興味があるとの事で、ライエルと王子のお茶会はすんなりと決まった。
「妹のエミリアが王子に不快な思いをさせてしまった事をお詫びしたいんだが、王子にお会いするは初めてで不安なんだ。下級貴族である自分には戸惑う事も多い。知った人が居てくれると心強いのだが…」
と、侍女長に相談すれば、それならばその日は......と、誰がその日にお茶を準備するのかを決めて紹介してくれた。その日のお茶を準備する侍女の名前はローラだった。
ライエルはローラを夕食に誘うと、王子とのお茶会を頼んだのは、エミリアという愚かな妹が学園でどんな事をしたのか、そして常識のない家として、兄である自分にも影響が出始めている事を話した。
ローラはエミリアの愚かさに驚き、学園に入学していきなりそんな事をしたのでは、クルージュ男爵家では大変だっただろうと思ったが
「エミリア様はこどものような心を持った方なのですね。でもクルージュ様が心配される事もよく分かります」
と言った。ライエルは
「分かってもらえて、こんな嬉しい事はないよ」
と嬉しそうに笑い、その笑顔を見たローラの心はときめいた。
その後2人はそれぞれの家族の楽しい話や趣味の話などで盛り上がり、そろそろ帰ろうかという時、ライエルが白い薬袋を取り出してローラに王子の紅茶に薬を入れて欲しいと頼んだ。
最初は驚いて、戸惑っていたローラも、ライエルが毒とか、悪い薬ではなく、王子の心をリラックスさせ、改めて妹の事を許してもらい、クルージュ家を守りたいだけなんだ。と頼みながら薬を指先に付けて、少しだけ舐めてみせると、協力を約束してくれた。
(準備は出来た。後は当日を待つだけだ)
ライエルは久しぶりの高揚感を感じていた。