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根なし草が故郷を取り戻すとき

作者: 結咲こはる



 この世界に、私が私らしくいられる場所なんて、きっとない。



 『国民皆さんが穏やかに暮らせる国を――』


 ラジオから聴こえてくる、若い男の声を聴いていた。


 「アスナ!雨が降って来たから、店先の花を全部中へお願い」


 背後からのメアリーの声にハッとして2つ返事をし、外へ出る。するとどうして気がつかなかったのか。不思議に思うくらいの豪雨が降っていた。慌てて店先のブリキのバケツに生けた花たちを中へと運ぶ。歩くたびに跳ね上がる雨粒がアスナの革靴を濡らした。


 ここは古代から受け継がれている魔術の息づく国、オーデヴィア。国を治める王は、古くから伝え残る魔術師の末裔だ。現存する魔術師たちはその派生からなるもので、彼らはその王族を守護し国を発展させるために尽力するよう約束されている。各々が得意とする力を生かし、そうしてこの国は栄えてきた。


 「メアリー、全部中へ入れたわ」


 建物の奥へと声をかけると、干していたのだろうタオルの山を抱え、メアリーはやってきた。雨に濡れた髪を耳にかけながらメアリーはありがとう、と微笑む。


 「予報にはなかったのにね」


 メアリーは不思議そうに外を眺める。そしてその手に抱えたタオルを一枚、私に差し出した。


 「濡れちゃったわね。これで拭いて」


 申し訳なさそうに言うメアリーに「これくらい大丈夫よ」と告げながらも、ありがたくそのタオルを受け取った。陽だまりの匂いがする。私は思わず頬をゆるめた。

 メアリーは私の取り込んだ花たちを見て回り、よわった花を集めてバケツに品種ごと分けた。そのバケツを1つ手にとり、メアリーはじっと視線を注ぐ。すると中から淡い光が漏れ、底から湧き出るように薄緑色の液体が現れバケツを満たしていく。そうやって、別のバケツも同じようにして色の異なる液体で満たしていった。

 メアリーは、地属性から派生した水の力を持つ魔術師である。だからこそ見て触れただけで植物の状態を感じ取り、必要な水質――栄養剤に似ている――を自ら生み出すことが出来るのだ。メアリーにとって、この花屋という職業はまさに天職であると思う。


 「大丈夫かしら、花たち」


 豪雨にも気付かなかったことを気にして、私はメアリーに尋ねた。


 「これくらいは大丈夫よ。すぐ元気になるわ」


 私は安堵する。何を隠そう、私はこのメアリーの花屋で働いておきながら、地属性の魔術師でもなければ、水属性の魔術師でもない。言ってしまえば、魔術師ですらないのだ。

 このオーデヴィアで魔術師でない者はいない。皆それぞれ、何かしらの派生から生まれた属性の魔術を扱う者たちで溢れている。

魔力は遺伝するものとされていて、親が魔術師でなければ、そういったものが子に引き継がれやすいともされていた。私は生まれてすぐ両親を失ったので明確には分からないのだが――恐らくは、そういうことなのだろう。

 そんな天涯孤独な私を救ってくれたのが、メアリーの両親である。1人娘のメアリーは私より年上で、とても穏やかな性格をしている。私を迎え入れ、本物の姉妹のように育てた両親に対して何を言うこともなく、メアリーは彼らのように私を実の妹のように大切にしてくれている。メアリーとその両親。彼らがいなければ、今私はこうして生きていくことすら出来なかっただろう。


 「アスナ、天候が不安定だし、ちょっと早いけれど今日は先に帰っていいわよ」


 時刻は16時。店じまいは19時だから、少しどころかとても早いように感じる。私もお店に残ることを告げれば、メアリーは私の唇に人差し指を当ててやや不機嫌さをにじませたまま、その顔を私に寄せた。


 「お姉ちゃんが帰りなさいって言ったら帰りなさい」


 二の句を告がせない、そんな威圧感を込めたメアリーに、私は勝てた試しがない。

メアリーが私を大切に思ってくれていることがわかっているからこそ、頷いた。そうすることが、いちばんメアリーが喜んでくれるのだとわかったからだ。本当のところは、罪悪感がすごく募っていくばかり。おずおずとメアリーの言葉を飲み込むたび、胃の奥底で渦巻く何かを感じる。


 店の裏から通りに出ると、豪雨の影響か人通りはなかった。いつもなら華やかな街並みも、幾分か憂いを帯びているように感じる。

パッとさした空色の傘が宙に広がり、その下に私は身を滑り込ませた。軽やかに伸びる空色とは打って変わって、足元は泥沼の中を歩いているような錯覚をする。

 傘に縁取られ遠くに見えたのは、オーデヴィア城の裏門だった。メアリーの花屋は、城の裏門に1番近いところにある。正門までは大回りをしなくてはならない。最も、わたしのような者が城に踏み入ることなどまずないのだが。


 「あっ」


 突然路地裏の方から聞こえた声に、私は傘を傾け視線を向ける。そこには、黒いフードを深々とかぶった人が転がり込むように私の方へ向かってきていた。


 「えっ、うぐ・・・!?」


 ひとつ瞬きをした間に、私の口は塞がれその路地裏の中へと引きずり込まれた。その一瞬に、空色が舞う。気付いたときには、もう私の手の中にあった傘は通りへと吹き飛んでいた。


 「!?」


 塞がれる口を覆う手に両手をかける。その骨張った感触から、男だと思った。逃げなきゃ。即座にからだを拘束する男性の手の内で身をよじる。すると男が、小さな声で「落ち着いて」そう言って私を見た。


 「ごめんね、巻き込んだ。今なんとかするから」


 交差した視線の先にあるのは、翠色の瞳。人離れしたそれに、私は息を飲む。その時男の背後から、そして私の背後から、仮面をつけた黒服の者たちが音もなく押し寄せてくる。闇に浮かぶ、貼り付けられた不気味な笑み。彼らは恐らく人間ではない。そう直感した私は恐怖に慄き、男性への抵抗を止めた。


 「僕から、離れないで」


 大きく頷くと、塞がれていた口が解放された。


 「掴まって」


 私は素直にその言葉に従う。両腕を男性の胴に巻き付け、その胴の細さに一瞬躊躇した。早く、と急かす声がしたかと思うと、その刹那、私の身体は男の片腕に抱き込まれるようなかたちになっていた。予期もしないことに思わず動揺するが、男の方はそれを気に留める風でもなく、空いた片手でその壁面に触れ、視線を建物の上へと向けた。


 「……もうそこまでっ……!」


 仮面の黒服たちがすぐそこまで迫って来ていて、その腕を伸ばされたら掴まってしまう。両目を強く閉じ、肌に触れる服を握りしめた。


 「舌、噛まないように気を付けて。とぶよ」


 私の足は地面を離れた。その下方で、グシャッと圧し合い潰れるような音がする。しかしそれに気を留めている余裕はなく、私は全身に向かってくる風圧に耐えねばならなかった。凄まじい速さで宙を飛ぶ。肌を扱くような強さの風圧に、呼吸がままならない。


 「もうすぐだよ、ごめん。苦しいよね」


 吸い込むどころか漏れてばかりいる息に気が付いたのだろう男が、口早にそう言う。私は頷くことでしか返事をすることは出来なかった。


 再び地に足をつけた時の、ぬかるむ感覚にメアリーの花屋のある通りからは離れたのだと知った。オーデヴィアは、城を囲むように街が広がっていてすべての通りが舗装されている。こういった自然そのままのかたちが残された場所は、その街のさらに外側にしかない。目を開いた。広がる景色は、どこまでも緑一色。街中にいたらまず見られない、あるがままの自然の姿だ。

 抱きかかえられていたからだが男から降ろされ、少しだけ離れる。乱れた服の裾を整えてから、窺うように私は男を見つめた。


 「大丈夫?怪我はない?」


 男は深々と被っていたフードを背中へと落とした。目を大きく見開き、そのあまりの美しさに見惚れてしまう。柔らかな銀色の髪。白い肌に、さきほど見た翠色の瞳が輝いていた。

 私を訝し気に見る男を気にも留めず、ただじいっとその姿に魅入っていた。そのことが男の気分を害してしまったのか、気に障ったのか。感情の読めない「……あまり見ないで」という乾いた言葉を吐き捨てると、またフードを深くかぶってしまった。私は慌てて頭を下げ無礼を詫びた。

 「不躾に失礼しました!……あの、助けて頂いてありがとうございます」


 私が謝罪と礼を述べると、男は「いや、ちがうんだ」と否定する。


 「僕が巻き込んじゃったんだ。きみが礼を言うことじゃないよ。ごめんね、本当に。頭、あげて」


 男は私の肩にその手を伸ばしそっと私の耳あたりに手を触れ、顔を上げるよう促した。私は合わせてゆっくりと顔を上げ、素直に思っていることを告げた。


 「……それでも、もしあなたが助けてくれなければ私はここにいません。私、魔力がないので」


 私の言葉を聞いた男は、一瞬動きを止めた。そして小さく息を吐く。


 「魔力が感じられなくて、きみがあそこにいたことに気が付けずに巻き込んだ。だから助けるのは当然だよ」


 男の言葉に、私は不思議に思った。魔術が使えない私を揶揄い蔑む者は多くいる。今こそ私も図太くなったのであまり気にはしなくなったが。否定はされても、肯定されることなんて一度たりともなかった。だからこそこういった言葉をかけられるのは慣れていない。それこそ、メアリーの家族くらいだったからだ。

立ち尽くす私に、男は心配そうな表情を浮かべる。


 「大丈夫?ごめん、もしかしてどこか打ったりした?」


 私の顔に触れていた手をゆっくりと動かし、頭に触れる。それが妙に心地よい。


 「いえ、そうじゃなくて。どうして……そんなに優しくしてくださるのかなって……私、無能者なのに」


 魔術で栄えるこの国は、魔術を使えない者を軽蔑視する節がある。だからといって魔力を持たないことを隠すことも出来ないので、私のような者は風当たりが悪いのだ。この国で生まれた無能者は、皆この国を離れていく。それでも私がこの国を離れないのは、メアリーたち家族がいるからである。離れたところで、行く当てもない。

 彼はどうしてって、と小さく呟く。


 「同じように生きているのに、魔力があるとかないとか、関係あるかな」


 その目は、とても澄んでいた。濁りのない、透き通った瞳。その翠色に見つめられて、私は思わず目頭が熱くなった。魔術師なのに、メアリーや両親みたいに長く私のそばにいたわけでもない人なのに。何て優しい目を私に向けるのだろう。そう思ったら零れる気持ちが止められなくて、不意に私の瞳から小さな雫が零れた。


 「……えっ……?どうして泣くの!?ごめん、なんか悪いこと言った?」


 男は慌てだす。慰めるようと屈んで私に視線を合わせようとするその姿が嬉しくて。でもやっぱり慣れないせいかおかしくて、私は小さな声をあげて笑った。


 「……え?」

 「いえ……なんだか、かわいい方だなあって」


 近寄り難いような美しい見目をした男は、口を閉じていたらそれこそ近寄りがたく感じる。でも私のような無能者で、なんの力も持たない平凡な女の涙にしどろもどろして困り果てる子どものような姿に、私はすっかり緊張の糸をほぐしていた。


 「……なんだか複雑なんだけど」


 不貞腐れながら呟く男に、私はさらに笑い声をあげた。笑っては失礼だと、せめて笑うなら控えめに、と膨らむ笑い声を抑え込んでいたけど、もう無理だった。


 「……アスナ、といいます」


 一頻り笑った後、そう告げた。突如告げられた名前に、男は不思議そうな顔をした。その様子に、私も同じような表情を浮かべる。生まれた間に、私が口を開いた。


 「あなたの名を、教えて下さらないのですか?」


 私の言いたいことを理解したのだろう男は、ああ、と小さく呟き。戸惑ったような表情を浮かべた。何か言いづらいことでもあるのだろうか。それなら無理に聞かなくともいいか、と考え、口を開こうとしたとき、男はその口火を切った。


 「……ノア」


 ノア、と名乗った男は、どこか所在なさげにしている。困らせてしまったと感じていたが、じんわりと浮かぶ頬と耳の赤みに気がついて、私は微笑んだ。


 「ノア、本当にありがとうございます」





 ノアと出会って、早くも3ヶ月が経とうとしていた。ノアは私と同じ19歳。王族直属に仕える魔術師なのだそうだ。この歳で王族に直属に仕えているとなると、よほど魔術師としては力の認められた存在であるのだろう。私は只々、すごい!と尊敬のまなざしをノアに向けた。その度に、ノアは照れて恥ずかしそうにするので、後半はその反応を見たいがため、わざとそうしていたことは、ノアには内緒の話だ。

 ノアとはメアリーの花屋で店先に立っているときや、花屋がお休みの休日によく会った。出かける場所は街から離れた湖畔。街中よりも居心地がいいようで、ノアは決まってそこへ私を誘った。きっと魔術の属性が関係しているのだろう。メアリーも、店先の植物たちと一緒にいるときの方が落ち着くと言っていた。


 「この薬草がここにあるなんて珍しいな」

 「そうなの?」

 「うん、滅多にお目にかかれないよ」


 ノアはとても物知りだった。野生している植物の名前やその効能、扱い方を教えてくれる。それだけじゃなく、異国の歴史や食物などにも詳しかった。その博識さに私は舌を巻いてしまう。そんな私に対してノアは決まって「これくらい常識でしょ」と軽口を言った。


 「アスナ、今日のお昼はなに?」


 翠色の瞳を輝かせながら、ノアは私に問う。


 「今日はサンドイッチ。ノア、好きでしょう?」


 するとノアは嬉しそうに微笑んだ。

ここではその目立つ髪色を、瞳の色を隠さぬようになった。隠すのは、魔力を持たない私のように、あらゆる人から軽蔑視されてきたトラウマが原因らしい。陽の光に照らされた銀色の髪は、とても綺麗に輝いている。

確かにあまり見ない髪色だ。オーデヴィアに住まう人々の中にブロンドの髪のひとがいるけど、それですら珍しいくらい。だからこそ私は初めてノアにあったときに息を飲んだのだから。綺麗だな――と。

私はノアの髪も瞳も好きだ。人と違うことが恐怖を煽るようだけれど、私はそうは思わない。しっかり者で、優しくて。ひとの気持ちを考えてあげられるところ。ときどき歳よりも幼く見えるあどけない可愛らしさを持っているノアは人を惹きつける魅力に溢れていると思う。

 湖のほとりに座り、私たちはサンドイッチを食べた。具材は、この季節野菜折々を挟んだものと、卵の二種類。前回五種類くらいのサンドイッチを作って来たら、ノアはこの2つが1番お気に召したようだった。


 「アスナの作るサンドイッチが1番おいしい」


 ノアは頬張ったサンドイッチを飲み下す。そして2つ目のサンドイッチを手に取って言った。


 「それは良かった。ありがとう」


 そうは言いつつ、優しいノアのことだから、きっと何を食べてもおいしいと言うのだろう。私は横目にサンドイッチを頬張るノアを見ながら、手にした野菜サンドにかじりついた。


 陽が沈み落ち、水面に朱が滲み始めた。普段ならもう帰ろう、とノアが先に言うのに、今日は一向にその様子はない。不思議に思いながら、私は腰を上げて言う。


 「ノア、そろそろ帰りましょう」


 その言葉も届いていないのか、ノアは未だに目の前に広がる湖を見つめている。もう一度、ノア?と呼べば、ノアは我に返ったようにして飛び跳ねた。


 「なに?」

 「えっと、そろそろ帰りましょう?」


 同じ言葉をもう1度告げれば、ノアは陽の沈みかけた空を一瞥してそうだね、と言い、慌てて立ち上がった。何か、いつもと様子が違う気がする。


 「ノア」


 ノアの前に立ち、私より高い位置にある顔に両手を添えると、翠色の視線が私の方へ下りてきた。


 「どうかしたの?様子が変」


 眉尻を下げつつ、そう尋ねる。その言葉に、わずかだがノアの目が見開かれた。気のせいか。その瞳は何かを語りたがっているように見える。

 私が口を開こうとしたときだった。湖の水がうねりながら宙に舞い上がり、勢いをつけて私たちに襲い掛かってきた。思いもしない出来事に順応できず、私は身を固くした。対してノアは、素早く私のからだを抱きよせ、その水流をやり過ごす。


 「アスナ、怪我ない?」

 「……」


ノアが受け身をとり、さらに私の下敷きになってくれたから、私はなんともない。ノアの言葉に応えようと吐き出したはずの言葉は、震えていて音にならない。私のからだは小刻みに震えだす。私の手を、ノアが優しく握りしめてくれた。だけど私の震えは収まらない。

ノアは、緑の茂るその奥に視線だけを向けると問いかけるように声を放った。


 「いきなり誰ですか」


 一瞬誰の声かと思った。それがノアの声で、言葉であったのだと分かる頃、ノアが向ける視線の先に、ガサガサと音を立て木々の枝葉を押しのけて、誰かが現れた。

 私が生きている一生涯、一度たりとも直接この目で見ることはないと思っていたひと。そして会うときは、それこそ私の人生の終末だと思っていたそのひと――今朝もラジオで演説をしていた王家の王子――リアムだった。

私だけではなく、ノアもまた驚きを隠せない様子でそのまま動けずにいる。どうしてこのような場にオーデヴィア国の王子がいるのか。

 リアムは装飾を外した軽装に身を包み、ゆっくりとその足をこちらに進めた。


 「まさか……」


 ノアの言葉には、躊躇いがあった。


 「……今までずっと僕に刺客を送り込んでいたのは、」


 ノアの言葉に、私は耳を疑う。慌ててリアムに向けていた視線を、ノアへと向けた。その目には、深く重い感情が浮かんでいる。


 「ああ、俺だよノア」


 リアムの背後には見覚えのある仮面の黒服たちが蠢いていた。私の手を握るノアの手が震えていることに気がつき、私は怯みそうになる気持ちをなんとか鼓舞する。下手したら、殺されるかもしれない。このオーデヴィアのお荷物でしかない無能の私なんて。でもいずれ殺されるのなら、この命を取り上げられるのなら、その前にノアために何かしてあげたかった。


 「……リアム王子、発言の許可を」

 「……魔力を持たない無能者か。まあいいよ、許可する」


 実物のリアムは、とても威圧感がある。華やかな舞台に立つ者の本性を垣間見た気がして、身の毛がよだった。


 「一国の王子が、仕える一般の魔術師相手に、陰湿な方法で手を下すのはいかがなものかと思います」


震えそうになる声を、腹の底で支える。反感を買うような物言いをしてしまったことに後悔はないが――やはり怖い。魔術師でありしかも王族の人間となれば、どのような刑罰が下ってもおかしくはない。今もう次の瞬間にこの首がからだと分断されることだってありえるのだ。

 それでも――。私は奥歯に力を入れた。

先ほど見たノアの表情が頭から離れない。ノアの――あんな悲しそうな、苦しそうな顔を私は見たくない。

3か月前、ノアと出会ったあの日。ノアは襲われることを、命を狙われることをどこか慣れていたように思う。それはノアが先ほど言っていた『何度も』という言葉がすべてを物語っている。ノアが命を狙われていたのは、決して1度や2度ではないのだ。

その元凶が、まさかこの国を治める頂点にいる王族の人間だと――リアム王子だと、誰が予想しただろう。国民の平和を謳う国の王子が。


 「……あんたさ」


リアムが口を開く。不愉快だと隠すこともなく前面に押し出された重苦しい雰囲気。最中向けられた殺意に、私はハッとする。魔術を使うのだと判断した時点で、もう遅い。しかしその刹那、ノアが私を抱き寄せた。


 「それはさせない。……兄さん」


 私とノアを包み込む無数の霧のようなベール。それはノアが放った魔術だった。


 「ノ、ア……?」


 私は唖然とした。


 「ずっと、言おうと思ってたんだよ。アスナ」


  ノアが、ゆっくり口を開く。その表情は、銀色の前髪が邪魔をして窺うことは出来ない。


 「僕はね、王家の第二王子―ノア。世間には公表されていない、実在しないことになっている、王族のひとりだ」


 ほんの束の間、私とノアの時が止まったように感じた。

役目を果たし霧散したベールの欠片は空舞い上がるようにして消えてゆく。ずっと握っていてくれていた私の手を放し立ち上がったノアは、その翠色の瞳をリアムに向けた。


 「・・・ふん、腹立だしい。どうしてそんな見目をするお前が、王族の力を継いでいて、この俺が派生魔術師なんだよ」


 皮肉たっぷりに言うリアムの言葉に、ノアは眉間に皺を寄せた。

胸が締め付けられた。このリアムもまた、ノアの外見を指摘するのか。私が無能者であることを蔑まれた日々。あのときの心の痛みは決して消えない。いくらもう慣れっこだって、その傷だけは永遠に残る。私は、メアリーたちに救われた。メアリーが、父さんが、母さんがずっと私という存在を認めてくれていたから、私はその傷の痛みを和らげることが出来た。今も、きっとこれからも。そういう誰かが、ノアにだって必要なのだ。魔力もなくて魔術も扱えない。魔術師である人間としては役不足だけど、そばで「大丈夫だよ」って言い続けてあげることなら、私だってできる。

リアムに対する憤りを感じながらも不安に思い、ノアを見つめた。その視線に気が付いたのか、ノアは私を呼んだ。甘くて優しい、柔らかな声だった。


 「アスナに出会って、自分が思う感覚が間違ってないって、確信を持てたんだ。だから、すごく感謝してる」


 ノアは一歩、前へ出た。


 「……戦う決心がついた」


 ノアはその場を駆け出し、リアムに真っ向から向かっていく。

いくつもの魔術を駆使し、リアムの攻撃をかわしながらその間合いに入り込み、リアムを拘束する。魔術だけじゃない。ノアは身体能力が異常に高かった。

 私はあっけに取られた。これが王族の魔術師なのか、と。


 「このやろ……ノア!お前自分が何をしているかわかってるのか!?」

 「兄さんの魔術を封じただけだよ」


 リアムの背後にいた仮面の黒服達は、動力であった彼の魔力を失い、その姿を崩していく。私は湖のほとりに座り込みながら、ノアとリアムのやりとりを見つめていた。

 時間にして、ほんの数分くらいだと思う。時間の流れがわからなくなる。王族として国民全員に尊敬の意を向けられているリアムを、こんなにあっさりと上回りその動きさえ封じてしまうノアに、私は呆然としてしまっていた。


 「お前が勝手に城外へ出て遊び惚けているからいけないんだからな。父上も母上もお怒りだ。お前は、王家に、この国に存在しないことになっているんだから」


 チクリと刺す胸の痛み。魔術師でもない私はある意味では“魔術が扱えない無能者”として存在しているというのに、生粋の魔術師であるのにそこに存在していないとされてしまうこの矛盾。この国は、オーデヴィアは本当に――国民全員が穏やかに暮らせる国なのだろうか。

ノアはそこにいるのに、どうしてその命が存在しないものに出来るのだろう。もし存在を消されるのなら、この無能である私で十分じゃないか。

なにより――。私は唇を噛む。

こんな風に思わせ考えさせる発言をしたリアムこそ、同じ血のつながった兄弟ではないのか。本当の、それこそ私とメアリー、両親のような関係じゃない。本物の家族なのに。


 「…‥好きなひとが、できたんだよ」


 静けさの落ちた空間に、ノアの言葉が響いた。


 「は、お前、何言って……」


 目を見開いたリアムは、その視線をノアに向けた。意表を突かれたように、驚きを隠せずにいるようだった。しかしそれはリアムだけではない。ノアの声に、顔をあげた私もだ。


 「だからもう、父さんたちの言いなりにはならない」


 そう言って、ノアは片手を返すように振る。するとリアムの身体が引き上げられ、その身体は宙吊りになった。その様を見ているノアの瞳に、色が、温度がなかった。嫌な予感がした。


 「僕が第一王子になる」


 その手を握り込んだ途端、リアムを拘束する魔術の束がリアムの身体を締め付けはじめた。リアムの表情は一変する。喉元。酸素を絶たれ、気管支がミシミシと悲鳴を上げる。あのままでは、人殺しになってしまう。誰が?誰でもない、あの優しい――ノアが。

 私は上手く力の入らない足をもたつかせながら、ノアの背に向かって駆けだした。ノアの手は人殺しの手じゃない。その力だって、そんなことに使うものじゃないはずだ。


 「やめて!」


 ぎゅう、と強く抱きしめ、私は頬をノアの背に寄せた。この背中に多くのものを背負っていた。背負い過ぎていたのだ。

もう、いいんだよ――と言ってあげたい。

私にはそれしか出来ない。ノアの顔を覗き見た。あんなに美しく澄んだ翠色は、見たこともないくらい濁り歪んでいる。私はその背を強く抱き締めながら、自分でも驚くくらいの悲しい痛む声をあげた。


「ノア!」


 びくりと大きく揺れたノアの身体は、次第に力が抜けていく。リアムは音を立て地に落とされた。慌ててノアの身体から離れ、リアムに駆け寄る。どうか生きていて、と走り近寄ってリアムのからだを抱き起こす。むせ返り咳を繰り返すリアムに息があることを確認した私は、ほっと胸を撫でおろした。良かった。本当に良かった。


 「ノア」


 後ろを振り返り、地に蹲るノアを見た。放心状態になっているノアは、焦点の合わない瞳を漂わせながら「あれ……」と呟く。私はノアに近づき、その小さく丸まったからだを、そっと抱き締めた。


 「・・アスナ」

 「良かった……ノアが。人殺しになんて、ならなくて済んで……本当に」


 本当に良かった。自分に言い聞かせるように何度もそう呟く。私はノアの首筋に頬を寄せ、その体温を確かめる。熱を放っていたノアの身体。今は少し落ち着いているように感じる。魔術師は、魔力のコントロールを失うと身体に不調をきたす。メアリーも、力の加減を出来るようになるまではいつも高熱を出していた。その度、魔術師とはなんて繊細なのだろう、と何度思ったか。

 少しだけ身体を離し、正面からノアを見つめた。それに、ノアも答える。美しい翠色が潤んでいた。それを見て――ああ、私はノアが好きなのだと、この時初めて自覚した。



**



 季節は巡り、私は今日で23歳になった。

あれから1度もノアとは会っていない。正式に王族を名乗るために、ノアは城へ帰って行った。私と会っていた頃は監視の目を盗んで城外で暮らしていたそうだ。だからあれほど頻繁に会えていたのだと納得する。だって、城に戻っていった途端ノアはおろか、リアムだってその姿を見せない。王族は、厳重な守りの中で大切にされている。でもそれって、考え方によっては監禁ともいえることを、私はあの1件で考えるようになった。

国民全員が穏やかに暮らせる国、そもそもその国の核になる王族の人間ですら、きっと穏やかに暮らせてはいないのだろう。


 「アスナ、おめでとう」


 メアリーの花屋に着くなり、先に店に来ていたメアリーが包んだのであろう小さな花束をくれた。小さな花をメインに彩られた華奢なデザイン。メアリーは本当にこういったセンスが素晴らしいといつも思う。


 「お誕生日くらい、お仕事お休みしていいのに。せっかくなんだから、出掛けてきたら?」


 メアリーは茶化すように言う。


 「何言っているのよ、今日はご予約のお客様がいらっしゃるんでしょう?1人じゃ大変じゃない」


 眉尻を下げ笑いながら、メアリーからもらった花束をバラして生け直す。せっかく包んでくれたものを崩すのは惜しいけれど、花が傷むよりはいい。仕事が終わるまで、窓辺に飾っておこう。そう思って私は花瓶を持って移動する。


 「そういえば、今日のご予約のお客様は何時に見えるの?」


 メアリーに問いかける。その返事と、店先のドアが開くのは同時だった。


 「アスナ」


 懐かしいその声に、私は一瞬動けなくなる。

ゆっくりと店先のドアの方を見れば、そこには銀色の髪。街中なのに、フードで隠すようなことはしていなかった。顔立ちは変わらないのに、服装のせいか少し大人びたように見える。

 手から滑り落ちそうになる花瓶を、近づいて来ていたノアがそっと奪い取り、窓辺に置いた。私の目の前に立ったノアは、壁に片手をつき、私を覗き込んだ。――ずっと恋い焦がれていた、翠色。


 「ノ、ア・・?」


 私の掠れた声に、ノアは笑う。


 「なに、どうしたの。そんな驚かないでよ」


 口に手を当て、今もなお可笑しそうに笑うノア。思考が付いて行かない。


 「お待ちしていました、ノア様」


 そう言って、店奥からメアリーが現れる。その手には、大きなバラの花束。まさか。


 「予約のお客様って……!」

 「そう、僕」


 私は驚きのあまり声を上げると、ノアはいたずらが成功した少年のように微笑んだ。こういうところは、本当に変わっていない。


 「まさかこんな小さな花屋が、王族の方から直接注文を受けるだなんて。びっくりよねえ」


 メアリーは微笑む。ノアが、こちらの花屋はとても城内でも評判がいいんですよ、とメアリーに言いながらその花束を受け取っていた。私は呆然とする。まじまじとノアを見れば、その視線に気が付いたのだろうノアがこちらを見やり、メアリーから受け取った花束を抱え直す。


 「はい、アスナ。お誕生日、おめでとう」


 ノアが微笑む。私は瞬きをした。


 「ごめんね、去年もその前も、祝いに来たかったんだけど。ちょっと立て込んでて」


 ノアの言葉に、息を飲む。そんな忙しない中、わざわざ私の誕生日を祝いに来てくれたのだろうか。


 「あ、……ありがとう」


私が花束を受け取ると、ノアは嬉しそうに微笑む。


 「それでね、今日は大事な話があってきた」


 それを聞いていたメアリーが、なら奥の部屋を使ってどうぞ、と口添えをしてくれた。「だって」なんて嬉しそうに微笑み私に向き直るノアの無邪気さに、私は思わず頬が熱くなった。

 どうしても、ノアへの気持ちを自覚してからすぐこの顔は熱を持つから困る。

 奥の空き部屋に、私が案内する。そして戸をあけ、ノアを先に通した。バラの花束。せっかくだからこれもバラして生けてこようと思ったのだけれど、なんとなく、そうするのが憚られた。


 「…‥正式に王の座に就くことが決まった。それで、アスナ。僕と婚姻を結んで欲しい」


室内に入るなりノアが言った発言に私は、あまりに報告された情報の多さに言葉を失っていた。……なんだかすごく爆弾発言された気がするけれど。とりあえずまずは、祝わなければ。たぶんそれは、きっと。王族のひとと――家族と、きっと今までよりも前に進んだ関係が築けたってことだと思うから。


「お、おめでとう……!」

「うん、ありがとう。そっちは別にいいんだよ。ねえ、いい?」

「え?……なにが?」


ノアのあっさりとしたお祝いの享受。そして急かされる許しを請う言葉。ちょっと気持ちが追いつかない。事態が飲み込めない。


「えっと……いい、っていうのは……?」

「だから、婚姻。あれ、伝わらないかな?結婚して欲しいんだけど」

「……待って、そんなに馬鹿じゃないわ、私」


 頬を膨らませた私の様子を見たノアは、破顔した。笑い過ぎだってくらい笑うから、思わず「笑い過ぎよ!」と声を荒げた。

 ノアと結婚――?だって、だってノアには。私は思い出していた。かつてのノアが言っていた言葉を。


 「ノア、……好きな人がいるって、言ってたじゃない」


 手が震えて、ノアからもらった花の花弁が落ちてしまうのでは、と思う。しかし、その震えを抑えることが出来ない。私の言葉に、ノアは不思議そうな顔をする。そして何か合点がいったのだろう、ああ、と頷いた。


 「それね、アスナのこと。あの時から、アスナがずっと好きだった」


 迷いなく告げられた言葉に、私は動けなくなった。高揚する気持ちがある反面、私は懸念する。私はそもそも、魔術師じゃない。私の表情が曇った理由を理解したのだろうノアは、安心して、と私の頭に手をおいた。ゆるく動かされるその手に、私はやっぱり心地いいと感じる。ずっと――そうされていたい、と。


 「魔術師だとかそうじゃないとかは置いておいて、僕はアスナがいいんだよ。言ったじゃん、戦う勇気が持てたって。だから、ちゃんと両親も説得した上で、ここに来てる」


 それとも、とノアは続けて言う。


 「アスナは、……ほかに好きな人がいたりする?」


 ノアの言葉に、私はそんな人はいない!と声を荒げた。その声量に驚いたのか、ノアは瞬きをして――そしてにっこりと微笑んだ。


 「ねえ、じゃあ、だめ?」


 ノアに小首を傾げてそんな風にねだられたら、私じゃない女の人だって絶対頷いてしまうだろうそんな顔をされて、だめなんて言えるはずなんてない。そんなこと、私以外の人にしないで欲しいと思うくらいには、もちろんノアが好き。だけど――そんなノアの隣に並ぶのが、私でいいのかという不安はぬぐえない。


 「……手伝ってよ、アスナ。このオーデヴィアにいるみんなが穏やかに過ごせる場所を作ること」

 「え、だってそんなこと無能の私にできることなんて……なにも……」


 そんな尻すぼむ私の言葉を拾ったノアは、肩をすくめてみせた。でもその表情はとても穏やかで。私が知らないこと、いろんなことを教えてくれたときに見せてくれた顔だった。


 「ないものとされてることを受け入れきれなくて、腐って城脱走してのらりくらり好き勝手過ごしてた自暴自棄の僕が、こうして僕であることを選んで、手にした。ひとりの人間の存在価値を見出してくれた。これだけすごいことしたのに、アスナは無能だって言うの?」


 頭の上に置かれていた手が、私の頬に手を添えた。そっと感触を確かめるように触れられるその手に、思わず身を震わせた。なんだか、私が知っているノアであるようで、そうではないように思える。熱の集まる頬。その温度がノアに悟られませんように、とただ何度も心の中で祈った。


 「僕にとってアスナは無能なんかじゃないんだ。アスナは自分が思ってるより素敵だよ。僕が知り得なかった、大切なことを教えてくれたしね」

 「大切なこと……?私が?」


 にっこりと頷くノア。私がノアに教えを請うことはあれど、私がノアに教えたことがあったかどうかなんて考えるまでもないと思っていたのに。その内容が気になってしまって、私は思わず身を乗り出してしまった。


 「ねえ、それってなに?教えて?」

 「んー、どうしようかなあ」

 「ノアってば、意地悪しないで教えて……っ――」


 引き寄せられた瞬間に、バラの花束が床に落ちた。赤の花弁が舞う小さな部屋。差し込む太陽の光の真ん中で、私の唇はノアのそれと触れ合った。隙間なく近づいた距離。唇をわずかに離して、ノアが私を見下ろしていた。悪戯っ子のそれ。ずっとだいすきで、憎めないでいたもの。


 「一生涯かけて教えてあげるから。ね、僕の隣にいて」


 この世界に、私が私らしくいられる場所はない。そう思っていた。けれど、きっとそうじゃない。ないのなら、つくればいいのだ。きっとノアは、私が望んでいるものを知っている。そしてそれは私もだ。

 差し出されたノアの手に私はそっと触れた。欲しいものためには、私も戦う覚悟が必要だ。ノアが隣にいてくれるなら、私はきっと―立っていられる。

 触れた手の指先が絡んだ。きっとノアは待っててくれたんだと思う。私が自分から歩み寄るのを。反対側の手で、ノアが私の頬を撫ぜた。催促されてるようで、ゆっくりと返事をしようと口を開くも、言葉を飲み込みたくなる。だってなんだか、ちょっと、悔しい。


 「アスナ」


 でももうそんな縋るような声で名前を呼ばれたら、応えたいと思った。唇を震わせて、ゆっくりと言葉を紡ぐ。世界が動き出す音がした。


 「根無し草が故郷を取り戻すとき」最後まで読んで下さった方、ここまで読んで下さりありがとうございます。嬉しいです。貴重なお時間をわたしの作品を読むことに注いでくださったこと。そのお時間を大切に次の作品につなげていけるよう、書いていきたいと思います。


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