6 野次馬
6 野次馬
野中このは
「それから何の音沙汰もなくって」
「暎?」
「はい」
「ふうん」
夜、家に帰って食事を済ませた後、食器を片付けてからリビングに戻る。先生はソファーで何か本を読んでいる。隣に座って話しかけた。話しかけても本から目を上げない。邪魔してほしくないのだろうけど、今日は邪魔をする。
「気になるんです。どうなったんだろう?」
「ほっときなさいよ」
100%そう言われるだろうと思ってました。
「でも、気になるんです。見かけていたドラマみたいに」
「だけど、君は失敗をしてしまったから、いわばクビになったんでしょ?」
グッと言葉に詰まった。
「先生からさりげなく探りを入れてみたら?」
しかめ面になって読んでいた本から顔を上げる。
「別に当人同士の問題でしょ?なんでそんな女の腐ったようなことしなきゃいけないの?」
「そこまで言うことないじゃないですか」
人間の知りたいという好奇心は今まで科学を牽引し、世界を発展に導いてきたはずだ。
「とにかく、僕は自分で納得のいかないことはいくら君の頼みであっても加担はしません」
はっきりすっぱり断られた。そしてまた先生は本に戻る。しょうがない。それでは、別の方向から攻める。
***
「その後、どうなりました?」
「どうなったって何が?」
「いや、あの……」
テーブル越しにちょっと身を乗り出し、手を口の横に添えてひそひそ声を出す。
「立花さん」
じっと冷たい顔で見られました。もちろんこの人、澤田さん。暇はあるかと珍しくこっちから呼び出した。会社の近くに新しくできたカフェです。
「なんで君にいちいち話さなければならないわけ?」
「別に立花さんにお聞きしてもいいんですけど」
思いっきりイラッときたのが、伝わってきました。別に今更、澤田さんに嫌われるポイントがあがろうが気にしない。ずずっと茶を飲む。
「なんか進展ありました?」
「別に」
「ウソー」
「……」
「やっぱ、立花さんに……」
ムッとした顔のままで澤田さんが口を開いた。
「家政婦として雇った」
「へ?」
「一週間に一回。これでいいでしょ?満足?」
「え、じゃあ、澤田さんの家に一週間に一回来るんですか?」
「そう」
「え、だって、その時って家に2人っきり?」
「……」
「うわー」
なんか、やらしいなぁ。昼下がりの家に女連れ込んでさ。勝手に昼下がりと決めてかかりますが。
「それ、立花さん、オッケーしたんですか?」
「はい」
「それって、満更でもないんじゃない?立花さんのほうも」
2人っきりになるのに断らないのは、そうなっちゃってもいい相手に対してのみでしょ。澤田さんなんてありえないっていってたのに。なんだ。あれは、わたしが彼女だと思い込んでたからだったのかなぁ。キャーキャー。
「何をそんなに嬉しそうな顔してんの?」
「いやぁ、蒼生さんも喜びます」
「気が早いなぁ」
当人はそういうと、至って落ち着いた顔で澄ましている。そして静かにお茶を飲んだ。
「いけなさそうなんですか?」
こう、様子を伺いつつ、押し倒しちゃえばいいんではないの?ため息つかれた。
「とにかく微妙な時期なんで、絶対に何もするな。彼女に近づかないで」
「え〜」
最初無茶振りされた時にあんだけ嫌がっといてなんですが、今は関わりたい。
「こう、女子ながらの援護射撃とか要りません?」
「このはちゃんの援護射撃は、間違ったところに当たりそうだから要りません」
「つまんないなー」
「じゃ、俺、忙しいから」
「な、ちょっちょっちょっ」
立ち上がって去ろうとする澤田さんの服の端っこを捕まえた。
「なに?」
「今後も定期的に話聞かせてくださいよ」
「何のために?どんな義理があって?」
すごく冷たい顔で言われた。そんなこと言われたぐらいでめげない。ニコニコ笑う。
「結局、あれか、俺から話聞かなければ、あっちに行く気か……」
「そんなことは言ってませんよ。でも、あんまりほっとかれると、保証できないな」
人間の好奇心に扉は立てられないんですよ。
***
そして、それから会社で毎日仕事をしながら、用事があって別のフロアに行って経理部の横を通り過ぎるようなことがあれば、中を覗く習慣ができた。立花さんいるかなって。急に綺麗になって華やかになったりしないかなって。だって、女の子って恋をすると変わるじゃないですか。
話しかけるつもりはなかった。ただ、様子を見たかったんです。野次馬として。
「何かご用ですか?」
「へ?」
いつもみたいにこそーっと中を覗いていると、後ろから声をかけられた。しかも、立花さん本人でした。たらーっと冷や汗が垂れる。あれだけ澤田さんに本人にはちょっかいをかけるなと言われてたのに……。
「あ、お久しぶりでーす」
「わたしにご用ではないんですか?なんか最近、中には入ってこないけどよく経理部をのぞいてらっしゃいますよね」
「あ、いや、別に深い意味はなくって。ただ、立花さん元気かなーって」
「元気です」
「あ、それは、どうも。では」
見事に前と同じ。長い前髪にめがね。ひらひらした服を着てるわけでも、化粧が派手になったわけでもなし。いやー、恋、してます?話聞いてたらうまく言ってるって思い込んじゃってたんだけど。微妙な時期だと言った澤田さんの顔を思い出す。そして、なぜか蒼生さんの顔まで。女の腐ったようなことしなきゃいけないのと言ったしかめ面が。
ごめんなさい。先生、わたし、その、女の腐ったのかもしれない。まずった。あの、まともな恋愛などと程遠い澤田さんが珍しく本気そうなのに、劇中で脇役であるわたしの起こしたどうでもいい行動のおかげで、うまくいくものがうまくいかなくなったら、どうしよう?
なんだかんだ言って、澤田さんには蒼生さん共々めっちゃお世話になっているのに……。
くらくらしてきました。
とにかく逃げよう。接触を避けるんだ。くるりと回れ右したところで呼び止められた。
「野中さん」
「はいっ?」
「ちょっとだけ、お時間いいですか?」
「……はい」
休憩室には他の人がいて、人目を避けて使用されていない打ち合わせのスペースに入った。
「澤田さんに聞きました」
「えっと、何を?」
ドキドキドキドキ
「野中さんが付き合われてる方って、あんまり公にできない人なんだって」
「え?あ、ああ……」
「そんなに心配されなくても、わたし、ペラペラ話したりしませんから。もちろん、具体的に誰なのかとかも聞いてませんから」
「あ、それは、どうも」
「てっきり澤田さんと付き合ってるんだって思い込んでたものですから、この前は変なこと言ってしまってすみませんでした」
ペコリと頭を下げられました。
「あ、いや、別に。わたしも否定しなかったし」
「なんで、否定されなかったんですか?」
「えっと……」
模範解答を用意しておくべきだった。頭、真っ白。
「あの日は、澤田さんの名前を出すつもりなかったから」
「え?」
「……」
「野中さんがあの日あそこにいたのは、澤田さんとは関係ないでしょ?」
「……」
澤田さんにはなんだかんだ言ってお世話になっている。それなのに脇役のわたしが、余計なことを……。でも、立花さんは既に不審なものを見る目でわたしを見ております。はい。中途半端に逃げるのと、きちんと説明するのと、どっち?どっちがいいの?
「あの、今からわたしが言うことを……」
「はい」
「わたしが言ったってことが澤田さんにバレると非常にまずいんです」
「え?」
「百叩きの刑にあうというか、死んだ方がいい人のリストに名前を書かれるというか……」
デスノート(*2)ってありましたよね?あれ、持ってそうだわ。澤田さん。
「は?」
ぽかんとした立花さん
「とにかく、すっごいやばいことになるんです。ついでに言うと、わたしの彼にも怒られます」
「はぁ」
「だから、絶対にわたしから聞いたってことを秘密にしてもらえませんか?」
「え、ええ……」
「というか、聞いたこと自体を秘密に」
「はい」
ごくりと唾を飲みました。暴露してしまいます。すんません。わたしが暴露したという事実が、澤田暎と火野蒼生に伝わりませんように。ナンマンダブナンマンダブ。
「立花さんがどんな人が知りたいから、仲良くなってこいって澤田さんに頼まれたんです。本当は」
「……」
彼女はゆっくりと赤くなった。色白な顔とその首元。美しい肌がほんのりと赤く染まる。その時、やっぱりよく見ると、この人、綺麗な人だなぁと思いました。
「ただ、立花さん、あの日、彼氏もいらないし結婚もしたくないってはっきり言ってたから難しいと思いますよって言ったんですけどね」
「ああ……」
「あの、無理にとは言わないんですけど、もし、可能性があるのなら」
「はい」
「澤田さんのこと、そういう意味でちょっと考えてあげてくれませんか?」
「なんで野中さんがそんなに心配されるんですか?」
「えっと……、そうだな」
ちょっと考える。
「わたしの彼の一番大切な友達だから、ですかね?恩人でもあるし」
「……」
さっきの涼しい顔が消えて、ほんのりと頬を赤らめている立花さんを見る。可能性はゼロではないかもしれないなと。
「あ、あの、くどいようかもしれないですけど、わたしが話してしまったことはご内密に」
「……はい」
*2 デスノート
言うまでもありませんが……
DEATHNOTEは、大場つぐみ原作、小畑健作画による日本の少年漫画作品。2003年12月から2006年5月まで『週刊少年ジャンプ』に連載。名前を書いた人間を死なせることができるという死神のノート「デスノート」を使って犯罪者を抹殺し、理想の世界を作り上げようとする夜神月と、世界一の名探偵・Lたちによる頭脳戦を描く。(Wikipediaより)