3 ミッション
3 ミッション
立花理沙
「立花さん」
「はい」
「たまにはさ。ランチとかしない?外で」
とある日、川上さんに声をかけられた。お弁当があるんだけどな。ま、でも、夕飯にしてしまえばいいか。2人でお財布だけ持って外へ出る。女の子たちに人気のある近くの洋食屋さんに入った。
「ここはナポリタンが美味しいのよ」
「はぁ」
本当はオムライスが食べたかったんだけど、支配的な彼女のご機嫌を取ろうとナポリタンを頼んだ。
「あのさ」
「はい」
料理がくる間、川上さんは彼女の長い髪をクルクルと指で弄び、そしてつまらなさそうな顔で枝毛を探し始めた。
「最近なんか澤田さんと仲良いみたいじゃない」
「いや、仲がいいと言うほどでも」
じろりと枝毛越しに彼女はわたしの表情を読んだ。
「あの人、彼女いるよ」
内心かなりうんざりした。何にって、そうだなぁ。川上さんと言う人の世界は、全てのことがそう言うことに始まりそう言うことに終わるんだろう。それは別に構わない。だけれど、それはあなたの世界。わたしの世界ではない。
「そうなんですか」
「がっかりした?」
「いや別に。そう言うんじゃないですから」
「誰だか知ってる?」
「誰ですか?」
興味はなかったけど、聞くのが礼儀だと思いました。彼女はご丁寧に持っていたカバンからシステム手帳を取り出し、そこから一枚の写真を出して見せてきた。何かの集合写真だった。そこの1人を指さす。
「販売のね、野中さんって言うの」
「へぇ。なかなか可愛い人ですね」
「そぉ?」
彼女はつまらなさそうな顔をした。
「地味じゃない?地味で平凡」
でも、あなたよりは知的に見えるけどねと心の中で毒づいた。この人はですね。別に澤田氏を狙ってるわけでもないと思う。だけど、たまにいるじゃないですか。世の中の全ての男性が自分に興味や関心を向けていないと、おかしいと思う強者が。川上さんは強者なんです。だから、とある男が自分ではなくわたしのような地味な女に興味を持っているように見えると(実際はそういう興味じゃないんだけど)、それは間違ったことだと思うんだな。
***
そしてその日の夜、帰りがけに会社のロビーで見かけた。澤田さんと野中さんが2人で楽しそうに話していた。ああ、川上さんの言った通りだな。2人って付き合ってるんだ。さすが川上さん。この人、社内の恋愛事情に関する情報だけは、いつも速くて正確なんだよね。
野中このは
澤田さんに、これでもかと言うほど訳のわからないことを頼まれてしまった。
経理部の立花さんと友達になれというミッション。
なんで……
めんどくさいことに巻き込まれちゃったな。
しかし、なんか、澤田さんってムカつくけど、妙に逆らえないんだよなぁ。抵抗はするんだけど、詰将棋みたいに追い詰められて結局向こうの思う通りに動かされている気がする。
ぐじぐじ考えていてもしょうがないか。(考えるだけ時間の無駄)
とりあえず、対象を確認しようと、普段はそんなに足を運ばない経理部へ行ってみた。
どの人が、立花さん?
部屋の入り口からそーっと覗く。若干、くのいちになったみたいな気分で。
「野中さん?」
「あ……」
ちょうど良かった。経理部で唯一顔見知りの高梨さん。
「あの、高梨さん」
「はい」
ひそひそ声で話しかける。向こうも合わせてひそひそ声になった。わたしより高い背をかがめて顔を寄せてくる。
「立花さんってどの人ですか?」
「立花さん?」
この列の一番奥の子よと言われてそーっと覗き込む。メガネをかけて、真っ黒な髪を後ろに一本で結んでる。……地味な人だなぁ。澤田さんってああいう人がタイプなの?
「なに?立花さんに用事なの?呼ぼうか?」
「あ、いえいえ」
高梨さん、きょとんとした顔でわたしのことを見てる。
「あ、あの、高梨さん、忙しいとこすみませんけど、ちょっとだけ、ちょっとだけいいですか?」
「え?」
顔の前で片手で拝み、片手で手首を捕まえて部屋の外に引っ張った。廊下の突き当たりまで連れて行く。
「なになに?何の騒ぎ?」
「あの、絶対本人に言わないで欲しいんですけど」
「うん」
「立花さんを気に入っている男性社員がいてですね」
「え?」
こんな話とは思っていなかったらしい。目を丸くした。高梨さん。
「立花さんを?」
「……」
普段はお局として多少のことでは動じない高梨さんの声がひっくり返った。いや、ぶっちゃけそのリアクションはご本人に失礼では?ま、でも、突っ込まないでおこう。
「立花さんって彼氏とかいるんですかね?」
「う〜ん」
片手を頬に当てて、少し首を傾げて考え込む高梨さん。
「いないと思うけど、直接聞いたことないわ」
「仲良くなりたいんですけど、可能だと思います?」
訝しげな顔でチラリと見られた。
「その男性が、仲良くなりたいのよね?」
「最終的にはそうなんですが、とりあえず、わたしが……」
「……」
ちょっと間が空いたよね。
「あの、大人なんだから、直接言った方がいいんじゃないの?なんでクッションを置く?」
「いや、それはそうだとわたしも思うんですけど」
「ものすごい奥手の人なの?」
いや、澤田さんが奥手だと思う人は絶対いないよな。だって、男女問わず普通だったらサクサク攻略してるし。
「普段は普通の人なんですけど、どうも今回は特別みたいで」
「それほど入れ上げてるってこと?立花さんに?」
ちょっとワクワクしてきましたよ。高梨さん。目がキラキラしてきた。
「ね、誰?」
「……」
そうだよね。知りたいよね。でも、教えられないわ。守秘義務が。
「すみません。今の段階ではまだ教えられません」
「まぁ、そっか。つまんないな」
「で、どうでしょう?仲良くなれますかね?」
「うーん。ちょっととっつきにくい子かな」
「そうなんですか?」
「いきなり他部署の人に友達になろうなんて言われてもね」
「だめか」
困った顔をするとちろりとわたしの顔を見て、高梨さん、ぽんと手を打つ。
「でも、わたしがたまにはご飯でもって言ったら来るわよ。他に二、三人誘ってさ。その席に偶然の振りして野中さんも加われば?」
「え、いいんですか?」
「だって、うまくいけば立花さんに彼氏ができる話でしょ?あの子、ちょっととっつきにくいところはあるけど、真面目でいい子だもの。一肌脱ぐわよ」
「ありがとうございます〜」
嬉しくって両手で高梨さんの手を握りブンブン振った。ミッションのゴールが彼方に見えてきたではないか。
「あ、でも、その内気な男の人は、変な人ではないでしょうね」
「……」
変な人ではあるような気がしますが……。一瞬レスポンスが遅れた。
「え、なに?すっごいおっさんとかじゃないでしょうね?」
「アラフォー」
「アラフォー?」
「えっと、ぎりぎり30代です」
「微妙だな。髪はある?」
「ある」
「窓際に追いやられてる人とかではない?」
「いえ、どちらかと言えば真ん中に」
「お腹は?」
「えーっと、そんなに出てないと……、思います」
脱がしたらどうかとかは知りません。もちろん。
「変な性癖は?」
「いや、それは流石に知りません」
「知らないの?」
「知りませんよ。元カレとかじゃないんですから」
「そうか……」
腕組みして顎に手を当ててじっと考え込む。高梨さん。
「ていうか、誰?」
なんだよ。結局、ただ相手が誰か知りたかったんかい。
***
そして数日後の夕方
「あら?野中さんじゃない」
打ち合わせして場所を決めたカフェバーでわたしの方が先に来て座っていると、後から来た高梨さんが呼びかける。なかなかの演技でしたよ。高梨さん。
「あ、高梨さん」
「どうしたの?偶然」
「友達と待ち合わせしてたんですけど、ドタキャンされちゃって……」
わたしたちが話している後ろに経理課の子達が3人いる。女の子たち。端っこに立花さんがいた。3人でわたしたちをちらちら見てる。
「じゃ、帰るとこ?」
「いや。折角だからなんか食べてから帰ろうかと」
「じゃ、一緒に食べる?ね、みんな、いい?販売の野中さん」
3人が揃ってわたしの方を見ながらお辞儀する。
テーブルの席に座るときにちゃっかりと立花さんの横に座った。そこまでは良かったんだけど……。なんか2人っきりで話すって雰囲気でもなくって……。ははは……。
おとなしい子でした。第一印象の通り。ただ……。
「わたしの顔になんかついてます?」
「ん?」
「さっきから野中さんじっとわたしの顔、見てません?」
「えっと……、いや、肌が綺麗だなって思って」
「……人並みだと思いますけど」
「あ、あの、化粧品とか何使ってる?」
ガールズトーク定番である。
「安物です」
玉砕した。取り付く島がないぞ。たらーっと汗が垂れる気がしました。ミッションのゴールまでの道に霧がかかってきた気がする。
「な、なんか同い年ぐらい?わたしたち、もしかして」
「27」
「に、にじゅう?」
「27です」
「あ、やっぱりい。わたし、26」
ニコニコ。若干、笑顔引き攣ってます。でもあちらは涼しい顔。
「立花さんは結婚を考えてる相手とかいるの?」
「なんで急にそんな話?」
「あ、いや、同い年だから気になって……」
「そういう野中さんはどうなんですか?」
ぱっと蒼生さんの顔が浮かぶ。ミッションを忘れてついニヘラッとしてしまった。
「あ、一応、1人」
2人いたらどうする、そこ。言ってから、自分で自分に妙なツッコミを入れる。
「えー!うそ。いいなぁ」
すると立花さんではなくて一緒に来てた川上さんが妙に高い声で反応する。
「どんな人ですか〜」
「いや、ごく普通の」
「もしかして、社内?」
「えーっと……」
社外なんだけど、社外と言っていろいろ突っ込まれるとな。作家さんですだなんて言うわけにはいかないし。
「あ、社内なんだ。やっぱり」
「すみません。これ以上はちょっと」
「彼氏ってどんな人なんですか?優しい?」
「あ、一応、まぁ」
「付き合ってどれぐらいなの?」
なんというか、わたしのネタで盛り上がってどうする?また、たらーっと冷や汗が。
「皆さんはどうなんですか?」
「え〜」
ふると笑いながら誤魔化すみなさん
「わたしは特定の彼は今、作ろうとしてないんです」
不意にきっぱりと言い切る川上さん
「え、なんで?」
「フリーでいたら、いろんな人と話せるでしょ?重要な時期に1人に絞ってると、選択肢を狭めるじゃない」
「なるほど」
「野中さんは、もう、その彼に絞っちゃっていいんですか?」
なんか、ずいとそう迫られた。目力強いな、川上さんって。若干身を引く。
また、蒼生さんの顔が浮かぶ。今更、別の男?あり?そんな展開
真剣に考えてしまった。
「そこまで悩んでるってことは、付き合っていても内心まだ迷ってるってこと?」
「いや、そうゆうわけではないです」
婚約したばっか。一瞬でも返答が遅れた自分、すみません……。
じゃなくって、わたしは立花さんとはなしたいんだけどっ。
***
結局その後も会話は無難に進みつつも、立花さんと会話らしい会話はできず……。
「あ、わたしも同じほーこー」
本当言うと逆方向のくせに嘘までついて立花さんにくっついて東西線に乗るわたし。
つり革に並んで捕まりながら、アタックを続ける。
「あ、あの、今日はあんまり話せなかったけど、わたし仙台から出てきててこっちに友達ってあんまいなくってさ。良かったらラインとか交換してくれない?」
「……」
「だめ?」
「なんで、わたし?他の2人ではなくて」
「……」
じっと見られた。
「あの、もし外れてたらごめんなさい。澤田さんのことでですか?」
「え?」
心臓が止まりました。ばれとるやんけ。澤田さんの一見ニコニコしながら実はイライラしているあの顔が浮かぶ。このはちゃーんと呼んでいる。
しかし、バレてしまったのならもはや小細工なしでいこうではないか。
「あの、どう思います?男として。澤田さんとか」
「心配しなくても、全然そういう可能性はありません」
きっぱりさっぱり否定された。瞬殺。
「えっと、その、一ミリの可能性も?」
「この際ですからはっきり言っておきますが」
「はい」
「わたしは彼氏を作りたいとか結婚したいっていうの、全然ないんです。だから、澤田さんだけでなく、全ての人とあり得ないですから」
「え……」
「だから、安心してください」
「安心?」
「野中さんの彼氏なんでしょ?澤田さん」
ガタンガタン、ガタンガタン
東西線は乗客を運ぶ。
いいえ、違いますというと、澤田さんが立花さんを気に入ってるから、わたしがこんなことを聞いているという背景がバレます。非常に不本意ですが、非常に……。ここは澤田さんの彼女ってことにしておこうか。
「大体、心配するようなことなんてもともと何もありません。いくつか仕事を頼まれてメールでやりとりしたり、ちょっと話したりしただけですから」
「あの、そういう時は、どう思いました?その、悪い印象ではなかった?」
「彼女に向かって、あなたの彼はなんだか印象悪かったなんて、言いますか?」
「あ、でも、忌憚なきご意見を」
くすりと笑った。その日の夜、初めて見た笑顔のように思った。
「嘘とかではなくて。別に悪い印象はないですよ。話したりする前から優秀な人って印象が強かったですし。ただ」
「ただ?」
「あの、月末の一番忙しい時にレシートの束よこされた時はちょっと……」
「ああ」
「あれはもう二度としないでくださいって野中さんから言ってもらえません?」
ちょっと首を傾げながらお願いされた。
「わかりました」
そして、次の駅で彼女は降りた。ミッションは終了した。
彼女はインポッシブルですよ。澤田さん。報告終了です。いつ報告すっかな?明日?とりあえず今日は潜入スパイみたいなのしたしさ。ぐったり疲れたし。帰ろ、帰ろ。先生の待つ家へ。
***
「おかえり」
「ただいま帰りました」
「どこ行ってたの?」
「あ」
「連絡ないから心配した」
時計を見る。11時過ぎてた。
「残業してたの?ま、でも、残業で酒の匂いはしないよね」
「……」
先生の顔を見る。お得意の無表情です。
「この前もなんか、外でご飯食べて帰ってきたけど、同じ人?」
「え?」
「なに?」
「先生、今、もしかして嫉妬してます?」
「……」
スタスタとあっちへ行ってしまった。
ニャー
代わりにエメラルダが出迎えてくれる。猫拾って、靴脱いで、先生を追いかける。
「すみません。澤田さんにこの前からめんどくさいこと頼まれちゃって」
「なんだ。暎か」
一気に先生のムッとしたテンションが通常のテンションに戻った。
「あ、戻っちゃった」
「なに?」
「嫉妬してる先生、もうちょっと眺めてたかったな。初めて見たのに」
「……」
「短かったなぁ」
「そんな遊びやめなさいよ。もう一度仕掛けそうだね」
「でも、自分ばっかやきもきするのはつまらないです」
「やきもきさせるようなこと、なんかした?僕」
してはいないと思うんです。人をそばに寄せ付けるのを嫌がる代わり、それでも寄せ付けた人に対しては、細やかに心を配る人なので。
「先生は何もしなくても、自分で空回りしちゃうのかな」
好きだから……
何もないところに何かあるように思っちゃったり。相手の気持ちが見えないと焦ってみたり。
「今でも?」
そう言われてそっと自分の左手を見た。左手の薬指。そして、痺れた。人は本当に幸せな時というのがあるのだと思う。有頂天な日々。永遠に続かないその日々にいる間、幸せを感じると体が痺れる。そして情けなく笑ってしまうんだと思う。生まれてから今までで一番の笑顔。
ニャー
エメラルダに逃げられた。ストンと床に降りてスタスタと歩いていく。
「暎に何を頼まれたの?」
ジャケットを脱ぐと、ダイニングチェアの背もたれにかけて、先生と並んでソファーに座る。かくかくしかじかと事の次第を話す。先生に秘密にしてって、言ってなかったよね?澤田さん
「レシート貼った伝票見て、恋に落ちるってあります?先生」
「うーん」
「そんなシチュエーションで、恋愛小説とか書けます?」
「ま、でも、小説のネタになるかどうかは別にして」
「はい」
「世界の中で起こりうる事実かどうかという観点から言えばありうる」
「はぁ」
でも、なんかまだ腑に落ちない。
「レシートなんて言って誤魔化しただけで、本当は普通にいいなと思ったんじゃないかな」
「なんでそう思うの?」
「だってね、最初は地味な人だなって思ったんですけど、今日ゆっくり近くで見て気づいたんです」
「うん」
「よくよく見たら、結構な美人なんですよ」
「へぇ」
「すごい薄化粧で、メガネかけて、髪型も悪いんです。前髪が長くて綺麗な目元を隠しちゃってるっていうか」
「うん」
「隠れ美人。澤田さん、すごい。よくこんな隠れた名品を見つけたなと思って」
「そう」
「恥ずかしいからレシートなんて言ってただけで、多分普通に綺麗な人だから惹かれてるんですよね?」
「うーん」
先生は腕組みをして空を見つめながら考え込んだ。
「暎、その人と結婚したいって言ったの?」
「もし、家事ができる人なら結婚したいって」
「無意識のうちに普通に女の人として惹かれていて、それに本人が気づいていないんじゃないかなぁ」
「え?」
「だとしたら、そのまま気づかないようにしてあげてよ」
意味がよくわからないんだけど。目を白黒させていると、先生がふっと笑った。
「暎はさ、ちょっとこんがらがったやつだから。素直に恋愛して結婚なんかしないよ」
「え?そうなんですか?」
「本当はすごく寂しい部分も持ってると思うけど、自分でそれを認めないからね。だから、レシートがとか家事ができるから、みたいななんていうのかな?恋愛とはちょっと違う要素で結婚したいって言う、言い訳みたいなのが自分で自分を騙すのに必要なんだろうな」
「自分で自分を騙す?」
「人の中にはさ、寂しいから誰かを愛したいし愛されたいって普通のことを自分も思っているって、絶対に認めたくない人種ってのがいるんだよ」
ややこしい話だな。しかめ面になる。先生の言葉を一度頭の中で復唱する。復唱して理解してから聞いた。
「なんで?」
「それは人様々だと思うけど」
「澤田さんって、そんな人なんですか?」
「暎は相当、こんがらがっている」
「見えません。変わった人だとは思うけど」
「意地でも見せないんだよ」
「先生には見せるの?」
はははと先生は笑った。
「まぁ、見せると言えば見せるかな。ま、でも、僕はちょっと見たらすぐにその人の心の癖みたいなの、隠してても見えちゃうんだけどね」
「わたしは?」
「なんで、急に君の話になるの?」
先生はきょとんとした。無視して続けた。
「わたしはどんな人間ですか?」
「それは、教えない」
「なんで?」
「長い時間を一緒に過ごすんだから、一気に教えてしまったらつまらないし」
エメラルダが不意にぽんと先生の膝の上にのる。先生はエメラルダを撫でながらそっと笑いながらわたしを見ている。
「つまらないし?」
「僕も全部わかってるわけではないと思うよ。今はまだ」
「わたし、そんな難しい人間じゃないですよ」
「そう思ってるんだ」
え?違うの?
わたしの顔を見て先生はまた笑った。澤田さんの言うところの貴重な笑顔。
先生はわたしから顔を背けてエメラルダを眺めながら猫を撫でている。エメラルダが満足そうに鳴いた。