2 美しい伝票
2 美しい伝票
澤田暎
「ねぇ、このはちゃんさ。今晩、暇?」
「忙しいです」
「少しは、躊躇してからいうよね?普通」
「忙しいです」
会社の電話越しに1ミリも愛想のない返事が返ってくる。
こいつ、ムカつくぜ。しかし、蒼生はこういうことにははっきり言って役に立たないしな。第一うちの会社の人間ではない。俺は話題を替えた。
「なんか、そう言えば婚約したらしいじゃん。君たち」
「仕事中に無駄話するの、やめてもらえません?切りますよ」
「自分の婚約の話が、無駄話なの?」
「婚約が無駄だとは言ってません。でも、今は仕事中です」
「指輪とか、もう、買った?」
「ああっ、もう!大体、忙しさで言ったら、澤田さんの方が上でしょ?なんでそんないつも余裕なんですか?」
「忙しい、忙しいって言いまくっている人は、時間の使い方がわからない無能な人間だよ」
「今、思いっきり、イラッとしました。切りますよっ」
「切ってもまたかけるけど」
「……」
過去の実績がある。本当にかける。しかも、内線無視したら、外線で取り継がせる。同じ課の他の人にも迷惑かかる。ため息ついて、敵は降参した。こうでなくてはならない。
「なんなんですか?全く」
「だから、ちょっとお願いしたいことがあるからさ。今晩、暇?」
「別に予定はないですけれど」
「仕事何時に終わる?」
「ちょっとまだ見えません」
「じゃ、終わったら、電話して。俺も会社にいるようにするからさ」
***
「よっ。婚約、おめでとう」
仄暗く照らされたがらんとした会社の一階ロビーで待ち合わせた。エレベーターから出て俺を見つけて近寄ってくる間、このはちゃんはしかめ面をして真っ直ぐにこっちに歩いてくる。近寄ってきた彼女にそう声をかけた。
「いつ、公表するの?」
「先生の都合が……、というかむしろそこら辺は澤田さんとかが絡んでくるんじゃないですか?」
「ああ、そうだね。まあね」
別にアイドルとかではないから小説家の結婚なんて普通はタイミングをみなくてもいいんだけど……。ただ、蒼生の場合は前の奥さんが死んでまだ日が浅いし、それに今製作中の映画の内容がね、前妻との話だからな……。作品外のニュースが小説の売れ行きや映画にも影響を与えそうなんだよな。
「蒼生、喜んでたな」
「え、そうですか」
しかめ面していたのが、ちょっと照れ臭そうに笑った。単純だな。
「毎日、デレデレしてる?あいつ」
「いや、普通だと思いますけど」
「あいつ、普通にしてても奥でデレデレしてるじゃん」
「そうですか?」
「そばで見ててわかんない?このはちゃんと一緒にいる時、すこーし緩い。仏頂面が」
このはちゃんが両手で口元押さえてぶっと笑った。
「あいつ、鉄仮面みたいに笑わないからな」
「いや、笑いますよ」
「それ、このはちゃんの前だけ。普段スマイル率、限りなく低い」
「ああ、そういえばそうかも。なんか昔、そうでした。でも、澤田さんの前でも?」
「なかなか笑わないよ」
「付き合い長いのに?」
「だから、すっごい貴重なもの見てんだよ。このはちゃんは」
また笑ってる。幸せそうだ。
「何が楽しくて生きてんだろうな。蒼生」
「ひどい」
「だって、あんな笑わないやつ、滅多にいないって」
そして、ふと気づく。蒼生の話をしたくて呼び出したわけじゃない。
「いこ」
「どこへ?」
「適当に。飯食えるとこ」
「蒼生さん、呼び出しちゃダメですか?」
あんだよ。ガクッときた。一緒に暮らしてるくせにまだ足りないのかよ。これだから新婚はって、まだ、結婚してないけどさ。
「2人で会ってると、あいつ嫉妬でもするの?」
「いや、別にそういうわけじゃないですけど」
「たまにはさ、ちょっとハラハラさせるくらいじゃないと飽きられるよ」
「え?」
こういう話、すぐまに受けるんだよね。このはちゃん。顔がちょっと硬くなったし。
「ちょっと用事があるからって言って、誰と会うとか詳しく教えないで電話切ってごらん」
すると、深刻な顔してその場で蒼生に電話かけてた。今日はちょっと外でご飯食べるので遅くなります等々。相手の名前は言わずに簡単に話して電話を切った。わりと単純ですよ。この子。
***
「で、なんですか?用事って」
2人で、会社の近くの居酒屋に入る。もつ煮が美味しいんだ。ここは。平日だけど仕事帰りのサラリーマンで混んでいる。2人だったのでカウンターに通された。
「経理部にさ」
「はぁ」
「立花さんっているじゃん」
「誰ですか?」
「知らないの?」
「いや、経理部とかはあまり行きませんから」
「じゃ、誰なら知ってるの?」
「高梨さんくらいかな」
「ま、それはいい。とにかく立花さんと仲良くなって」
「なんで?」
なぜか性懲りも無く熱燗を頼んでいて(以前悪酔いをしたことがある)、その銚子をぎゅっと握りながらじっと見つめてくる。小汚いカウンター席の隅っこの方で。
「気になるんだよ」
「それって、どういう気になるですか?」
おでんがグツグツ前で煮えている。小汚い店だがいつもいい匂いがする。ここは確かにうまいんだ。
「どういう気になるって気になるにはそんないろんな気になるがあるの?」
「例えば、なんか裏がありそうだからとか」
「……」
「実は、経理部なのに、というか経理部だけに使い込みをしていて男に貢いでいて、それを澤田さんが極秘に調査しているとか?」
真剣な目をしながら、1人で手酌で熱燗を飲んでいる。
「意外と……」
「はい」
「刑事ドラマとか見るほう?」
「はい?」
俺はおもむろにカバンからデジカメを出して、写真を見せた。
「これを見て」
「はい」
おちょこ抱えながら真剣に覗き込むこのはちゃん。
「伝票ですね。精算伝票のレシート」
「うん。これを見て何か感じない」
かなり真剣に食い入るように見てる。
「貼り方がむっちゃ綺麗じゃない?」
「はい?」
思わずため息が出た。
「こんなに綺麗にレシートを貼るのは俺だけだと思ってたのに」
「は?」
「これを見てしまってから、彼女のことが気になって仕方ないんだよ」
「……」
生肝を抜くとこんな顔になるだろうかというくらいの顔を、しばらくこのはちゃんはしていた。
「それって、そういう気になるですか?所謂男女の気になる?」
「はい」
「澤田さんが?」
「失礼なこと言うね。悪い?」
「いや、でも、フツーは」
「普通は?」
「顔とか、体とか……、レシートすか?」
「レシートの貼り方ね。だめ?」
おでんの香りがしております。酔っ払いのだみ声が響き渡ります。
「或いは、声がとか、気立てがいいとか、それが、レシート……」
「だって、こんなに綺麗にレシートは普通は貼らないよ。普通は」
「……」
眉間に皺を寄せて、いかがわしいものでも見るような顔をされた。無視して続ける。
「ここから俺は類推した」
「何を?」
「きっとこの人は家事ができる」
「は?」
「普通のできるじゃない。完璧にこなす。仕事ぶりも見事だが、きっと家事も完璧にこなす」
「はぁ」
「端的に言うとだね。この人が俺が思ってるくらい家事のできる人だったら」
「できる人だったら?」
「結婚したいの」
もう一度、生肝を抜かれたような顔になった。このはちゃん。
「何を、また、唐突に」
「本人に言ってないからいいでしょ?別に」
「ていうか、澤田さんって結婚願望あったんですか?」
少しカチンときた。カチンと。
「俺が、若干、婚期を逃しかけてるのは……」
「はい」
「誰のせいだと思ってる?」
「さぁ」
「君のご主人のせいだから」
「へ?」
「蒼生とあかりさんがあんなことなって、フラフラしてるの心配で気づくと5年経ってたから」
「いや、そんなん蒼生さんに言ってくださいよ」
「結婚するんだから、共同責任でしょ?」
「え?」
「自分達だけ幸せになるつもり?」
「……」
渋い顔になった。渋い。人間はね、ある一定の良心を持ってるからね。時々そこを突くと自分が望むような結果が得られますよ。ご参考まで。
「立花理沙、27歳、商業高校を卒業した後に、最初は別の会社で働いていたんだけど、契約社員募集の時にうちに応募してそれからはずっとうちの経理部で働いている。もう6年くらい」
「え、なに?」
「出身は埼玉。卒業後はずっと東京。今の住所は千葉県の……、あれ、どこだったっけ?」
「ちょっ、個人情報、なんで知ってんですか?」
「人事部に伝手があって。ただ、家事ができるかどうかと彼氏とかがいるかどうかはわかんなくてさ」
「いや、人事部ってそんなことペラペラ話しちゃっていいんですか?」
「まぁ、細かいことは置いといてさ」
このはちゃんをビシッと指さした。
「君、歳も近いし、立花さんと友達なって」
「は?」
「それで、サクッと家とかお邪魔して家事ができそうかどうか確認して」
「はぁ?」
「それと、彼氏的なものがいないかもね」
「いや、そんなん、わたしなんかより澤田さんの方が上手いじゃないですか」
確かに自分は人と知り合って仲良くなるのが上手い。口説くためだけじゃなくて、仕事上の関係性を築くような場面でも滅法強い。普通は。
「それがさー」
「はい」
「ちょっとそれ、もらえる?」
無意識にぎゅっと握ったままになっていたお銚子をこのはちゃんから取り上げて、自分用に置かれていたおちょこにチョロチョロと注ぐ。
「あ、親父、大根ちょうだい。それと、その、糸こんも」
「あいよっ」
「それが、なんですか?」
「ん?ああ……」
思い出す。あの時、いっつもボソボソとしか話さなかった立花理沙が、急に人が変わったようにつらつらとわたしのことはよく切れるハサミだと思えと言った時のことを。
「流石の俺も取り付く島がないような子なんだよ」
「ええっ?澤田さんが?」
その言葉を聞きつつ、首を捻りつつ続ける。
「人が嫌い?或いは、男が嫌い?」
「じゃ、無理じゃないですか」
「でも、そうと決まったわけじゃないし……。完璧に家事をこなす人なんてさ、それで、独身で年齢もそこまで離れてなくてなんて、なかなか見つからないしさ」
このはちゃんが、じっと俺を見る。
「そんなに家事に重きを置くなら、家政婦として働いている人で若い人を探してみたらどうですか?」
「ん?」
「短期で雇ってみて、その働きが気に入って他の条件も良ければ口説いてみる」
「……」
思ってもみなかったが、頬杖をついてちょっと考える。
「でもさ」
「はい」
「よくわかんないけど、家政婦さんってのは、そういう目的で雇うものではないじゃない」
お嫁さん候補を斡旋するところではない。家政婦紹介所は。
「男1人の家には、そういう問題が起こらなさそうな人しか来ないんじゃない?平たく言えば結婚しているおばさんみたいな人しかさ。そうじゃないと危ないんじゃないかな」
そうじゃないと、レイプされたりとか事件が起きちゃうんじゃないの?
「そういうもんですかね?」
「とにかくこれはミッションだからよろしく」
もう一度ビシッとこのはちゃんのこと指さした。
「え〜!」
***
自分は自分で言うのもなんだけど、大抵のことができる。仕事だけではなく、家事とかも一通りこなす。そして、一つ一つのことをわりと結構きちんとやらないと気が済まない。手が抜けない性質である。
それでずっとやってきた。だけど、社会人になって長くなってくると、任される仕事はどんどん増えるし、1人で全部回すなんて不可能。だからと言って気に入らない仕事をする奴と仕事をするのは嫌い。自分は結構好みがうるさいのだ。だから、社内外問わず常に自分の気にいる仕事をしそうな人というのを探している。悪い言い方をすると利用できそうな人。
経理部には時々、費用のことを調べたい時とかデータの提供を依頼することがあって、だけど、ずっと色々やってくれてた子が結婚退職してしまった。その後の後釜を探していた。川上さんという女の子がやたらと前に出てくる子で、試しに使ってみた。
なんだか仕事の遅い子で、そこが気に入らない。だけど、送ってくるデータはいつも綺麗にきっちりまとまっている。なんかあの話している感じとこのもらうデータにギャップがあるなと思ってた。そして、用があって経理部に行ってふとキャビネットを見て気がついた。
「高梨さん、最近、大掃除でもした?」
「え、なんでですか?」
「あそこの棚、もうずうっとごちゃごちゃと古い資料が片されないまま埃かぶってたじゃない」
「やだ。そんな細かいとこまで見てんの?」
「でも、今、綺麗になってる」
きっちりと掃除され、ファイルに分類され並べられている。
「あれはね、立花さんがスキマ時間でちょっとずつ片付けてくれたのよ」
「立花さん?」
「ほら、あの一番奥に座ってる子」
黒縁のメガネかけて、なんか前髪がバサッと眉毛を隠すように長くて、そして、長い髪を後ろで一本にまとめた子。黒いカーディガンを羽織ってて薄いベージュのパンツに白いシャツ。足元は茶色い踵のあるローファー。
地味な人だった。
そっと本人が気づかないように背後に近寄って、遠目にPCでやっている作業を覗いた。
エクセルの使い方を見ててわかった。ああ、この子、川上のゴーストライター的な子だなと。
それで、その立花さんを後釜に決めた。予想以上に良かった。これは使えるかもと思って、あわよくば更に仕事をさせようと仕事関係の本を買って渡すことにした。
「ね、なんでメガネかけてんの?」
「え?」
「綺麗な目してんのに」
「……」
「コンタクト、合わないの?」
「……」
あんな話をしたのは、友達のような関係になりたかったから。それで、ご飯とかご馳走したかった。なぜって、そういうもう少し仲の良い関係になったら、仕事が頼みやすくなるから。使える人には手間暇かける。後々それが、役に立つ時が来るからだ。俺はそうやっていろんな仕事を回してる。
なのに、思いっきり壁を作られた。大人しい子だから楽勝だと思ったのに……。驚いた。
立花さんって……
不思議な人だなと思った。そう、なんていうのかな?あの子、俳優みたいだなと思った。
わざと演じてる?地味で大人しい女の子を演じてる。でも、本当はあんなふうにはっきりとものを言う。
それで、もうちょっといたずらがしてみたくなって、特に深い気持ちもなくレシートの山を送った。また、怒って本性を現しながら、怒鳴り込んででもくるかと思ってた。
ところが……
綺麗に、これでもかと言うくらいきっちりと綺麗に貼られて完成した伝票が返ってきた。サインすればいいだけになって。月末の忙しい時期。悪戯だからわざとそう言う時期を選んで、どさっと送った。瞬く間に綺麗に貼られて返ってきた。その伝票は本当に綺麗だった。
驚いた。
まるで、俺が貼ったみたいじゃん。
横から、斜めから眺めてみる。
そう、俺の経費伝票はこれでもかと言うくらい綺麗です。なぜって、そりゃ、几帳面な性格だからです。自分でも時々疲れてしまうのだけれど、やめられない。
自分は几帳面な人間。
俺の婚期が遅れているのはお前らのせいだと言っているから、これは蒼生とこのはちゃんには言わないけれど、でも、実はこの几帳面な性格が災いしていると言うのもある。
他人と暮らせない。
女を自分の家にあげるの、いつ頃からかな?すごい嫌で。なぜって、適当に遊んできた女ども、全部家事ができない。というか、几帳面でない。家にあげると、俺の気に入った空間を乱す敵的な存在にしか思えない。女を家にあげて、イライラしなかったことがない。だから、家にはあげない。
でも、女を家にあげないってことは、まぁ、結婚とかしないってことになるわけだ。自由でいい反面、きつい。仕事が忙しくても、家が汚いと落ち着かない。どんだけ疲れてても夜中にどうしても気になって洗面所の掃除なんかしてる時にふっと思う。
誰かがいてくれたら楽なのに。
でも、俺と一緒に暮らせるような几帳面な女なんている?
それで気づくとこの年齢。39歳。若干、焦っていた。いや、正直に言おう。お節介おばさんみたいに蒼生に女を作ることに躍起になって、やっとそれが成功したときに気がついた。いや、俺に女がいないじゃねえか。遊べる女はいる。でも、一緒に暮らせる女は?
そう言う時に、不意にあの伝票を見せられて……、なんだか運命のようなものを感じてしまった。