1 透明人間
本作品は私の一昨年末、12月から昨年初め1月にかけて掲載した作品、彼女は牡丹君は椿①②③に続く話になります。
時代設定は、現在から約20年ほど前の設定になります。そのため、スマホがまだ登場しません。デジカメが出てくるのもそのためです。(現代では写真は全部スマホで見せますからね。時代もずいぶん変わったものです)
雑な性格ですので、20年前の設定なのに現代の物を間違えて書き込んでいて、矛盾が起きている部分があるかもしれません。そのようなことがあれば、私宛クレームをいただけましたらと思います。鋭意対処する所存でございます。
また、本作品は一部性描写及び暴力的な描写を含んでおります。殊更に過激に描写した物ではありませんが、そう言った内容を好まない方は頁を捲るのを止めていただいたほうがいいかもしれません。
彼女は牡丹君は椿の③で蒼生さんとこのはちゃんの話を書き終わった時、まだ2人の話を終わらせる気はありませんでした。ですが、このはちゃんとお母さんの対立という出来事にきちんと向き合える自分がいませんでした。中途半端なままで書けないまま放置し、少し時間が経ちました。そういう思いもあって、本作品はメインストーリーの主人公は澤田さんですが、③で書ききれなかったこのはちゃんについても続きを書いています。
そして、この4人の人たちについては、いつになるか分かりませんがまた未来でこの続きを書こうと思っています。私の頭の中にすでにいくつかの場面があります。この場面に更にいくつかの場面が加わった時、また、この4人の皆さんと再会できたらと思っております。その時にはこのはちゃんと蒼生さんの娘さんの楓ちゃんと梢ちゃんにも会えるかと。
ですから、この本のタイトルには最後に数字の①がついております。
最後までお付き合いいただけましたら幸いです。
Starbucksの片隅で
今日もまた同じアイスラテを頼んでしまいました
冒険のできない女
汪海妹
2021年6月20日
本作品に出てくる会社は全て作者の想像上の産物であり、架空の物です。
現実に存在する会社とは一切の関係はありませんのでご了承ください。
一部映画や本、お茶の商品名、実在するものを使用させていただきました。
具体的に名前を使ったものに関しては、脚注をつけ説明を加えさせていただいております。
1 透明人間
立花理沙
わたしには得意技がある。それは、透明人間のように過ごすことです。みんなの印象にできるだけ残らず、静かに無害な人としてこの世に存在し続けること。
あ、でも、お給料はもらわないと。そこまで透明にされると困ります。
お給料はもらえるくらいの存在感を残しつつ、無害で静かな存在で過ごすこと。それが、わたしの得意技……、のはずだった。
「立花さん」
「……」
課の奥でPC見ている時に気のせいかわたしの名前が呼ばれた気がした。課長でもなく同僚の川上さんでもない。つまりは、別の部署の人。でも、別の部署の人となんてほとんど接触していないわたしがどうして呼ばれる?というか、わたしの名前って別の部署の人覚えてたんですか?
「立花さん」
空耳ではない。恐る恐る横を見る。男の人が立ってます。
「はい」
しかも、なぜ、この人?澤田暎。文芸部の有名人。なぜ経理部の霞のわたしに話しかけるんですか?
「去年の秋の読書フェスの時のイベント経費と日毎の売り上げの実績のデータ、まとめといてって頼んだんだけど、できてる?」
「それは川上さんのお仕事です」
「うん。僕が頼んだのは川上さんだけど、川上さんってそういう仕事、全部下請けに出すみたいにあなたに丸投げしてるよね」
じっと澤田氏を見る。
「いや、隠さなくてもバレてるから。他のやつはどうか知らないけど、僕は知ってるからさ」
「……」
「あ、これじゃないの?」
急に人のPC覗き込んできた。わたしは椅子を横に引いて彼から距離を取った。澤田氏は勝手に人のマウス使って、画面スクロールして内容を確認している。
「ほとんどできてんじゃん。ね、これ、このまま一旦送ってよ」
「いや、川上さんがチェックしてからじゃないと」
「その川上さんはどこにいるの?トイレ?」
澤田氏は周りをキョロキョロと見渡した。
「……」
「どうせまたあれだろ?経費伝票に不備がとかなんとか言いながらいろんな部署回って、社内の目ぼしい独身男を梯子してんだろ」
なんてことを……。思わず目を見開いた。
「え、知らないの?この話、社内中で有名じゃん」
「……」
いや、知ってるけど、そこまであけすけに言わないでも。見て見ぬ振りをするのが武士の情けと言うものではないですか。
「というか、川上さんはどうでもいいからさ。この資料送って」
「いや、困ります」
澤田氏はちょっと無表情になってわたしを見た。
「それは、川上ごときに忠義だてしてるの?あいつ、立花さんの上司だっけ?」
「いえ」
「先輩?」
「いえ」
「じゃ、なんで?」
「川上さんは……」
川上さんは大卒で正社員で、わたしは高卒で契約社員なんです。微妙な力加減があるんです。そこまでつらつらと言うのがちょっと躊躇われた。
「じゃあ、こうしよう」
澤田氏はぱっと切り替えた。
「とりあえず、俺にこの資料を送る。それで、川上さんが戻ってきたらチェックしてもらって、もう一回川上さんから同じ資料を受け取る。これで問題ないでしょ?」
そして、返事を聞かずに行ってしまった。
えー
しばらく呆然とした。
澤田氏のアドレス、澤田氏のアドレス……
同じ会社の人で、有名な編集者なのでこちらは名前を知っていた。だけど、直接話をしたことはなかったし、メールだって直接やり取りすることはなかった。自分がCCになっていて、受け取ったメールの中からアドレスを見つけ出した。まぁ、でも、普通は名前がそのままアドレスになっている。sawadaakira、見つけた。
一通りできて、入力ミスがないかチェック中だったエクセル表を添付して送った。
それで終わりのはずだった。ところが数日後……
「立花さん」
「……」
その時は川上さんもいた。あろうことか澤田氏はその川上さんを、大卒で正社員の川上さんを無視して、本来透明人間であるはずの高卒で契約社員のわたしを呼んだ。
「立花さん」
「……はい」
席を立って澤田氏が立っている経理部の部屋の入り口の方へフラフラと行く。心なしか課内の皆さんの視線を浴びている気がする。
「この前調べてもらった件なんだけど、申し訳ないけど一昨年の分も調べてもらいたくてさ」
「あの……」
血の気がさーっと引いていく。
「困ります」
「それしか言わないね。君」
川上さんの視線が背中に刺さっている気がするのは気のせいだろうか。
「僕としては、間に仲介業者をおかずに直接農家から野菜を買いたいみたいなものなんだけど」
ああっ、もう。そそっと廊下に出た。はてという顔で澤田氏がついてくる。
「澤田さんみたいな人に直接話しかけられると目立って困ります」
「え、なんで?」
「わたしは下っ端なんです。直接外の部署の人とやり取りするのは他の人の仕事です。川上さんとか」
「そんなの、誰が決めたの?」
「……」
なんとなく決まってる、暗黙のルールです。あの人、1人でも多くの注目を浴びたい人なので。
「とにかく、わたしは壁の花のようなもんなんです。話しかけないでください」
すると、澤田氏はぷっと吹き出した。
「わりと面白い言い方すんだね。立花さん」
「……」
「でも、俺、効率悪いの嫌いなの。むっちゃ忙しいから、レスポンス遅い人嫌い」
「……」
「ね、じゃ、こうしようよ」
でた、お得意のB案。
「携帯、教えて。もう、直接ここには来ないからさ。メールでお願いしてわかんないとこあったら携帯で聞くから」
「……」
もうポケットから携帯出していて、当然教えてもらえること前提でニコニコしている。
なんだか、疲れてしまっていて、その時。
透明人間は、想定以上に人間に接触されると、太陽に当てられて溶けてしまう氷のように弱いのかも知れず……。これで自由にしてくれるのならと、つい、教えてしまった。
普段の自分ならありえない。携帯の番号を人に教えるなんて。
まぁ、でも、しょうがないだろう。だって、相手は正社員だし、それにちょっと偉い人だし。仕事でしか使わないものなんだから、深く考える必要もない。そう、自分に言い聞かせた。
***
澤田氏は確かに仕事でしかわたしの携帯を使わなかった。その点は問題なかった。ただ、その仕事の部分は膨張していきました。ちょこちょこ問い合わせが来るようになって、せっせとデータを送る。すると、とある日に電話で呼び出される。呼び出されて澤田氏の階の休憩室に行くと、紙袋を渡される。ずしっと。触った感触でわかる。本だった。
ガサゴソと開けた。
「これ……」
「プレゼント」
ニコニコしてる。その笑顔を見てから中に入ってた数冊の本を見る。エクセルの本とか費用分析の本とか予算の立て方の本とか。
「どういう……」
「いつもお世話になってるから、お礼にプレゼント」
でも、これは、どちらかというと澤田氏自身のためなのではないか。薄ぼんやりとそういう疑惑が浮かぶ。グラフとか集計とかもっとできるようになれば、澤田氏の会議資料にわたしの作った資料をそのままコピペできるのだ。
「ありがとう……」
「うん」
「ございます」
「ね、立花さんってさ」
「はい」
「こう、テンポが人と違うよね。話すテンポがさ」
「どういう……」
「俺が呼ぶと、1回目は必ずスルーして、2回目でやっと耳に届くじゃん」
「……」
「ありがとうを分割して話す人、初めて見た」
動物園で、日本初公開の動物が来日してガラスの向こうに入れられているのをまじまじと見るような目で見られた。
「ね、なんでメガネかけてんの?」
「え?」
「綺麗な目してんのに」
「……」
「コンタクト、合わないの?」
「……」
その時、スッと体が冷えた。一体、どのぐらいぶりだろう?透明人間であるわたしが関心を持たれたのは。
「わたしのことは、よく切れるハサミとか液漏れしない修正液のようなものだと思ってください」
「へ?」
「ハサミがメガネをかけていようがいまいが、刃が鋭かったら問題ないですよね?」
ぽかんとした澤田氏を残して、若干重い本を抱えてスタスタと自分のフロアへ戻る。
体の芯が凍えたまま、まだ戻らない。嫌なテンポで心臓がなっている。
普通だったら、わざわざ壁をどんと作る必要がない。だって、わたしは自分の気配を消すことに随分上達したんだから。それなのに、そういうバリアのようなものを破って迷い込んでくるような人間というのもいるものだ。
わたしは変だ。自分で自信を持っていうのもどうかと思うが、事実だから言っておく。自分が変だということを巧妙に隠して生きているが、わたしは変だ。ただ、無害である。これまでもこれからも周りに迷惑をかけて生きていくつもりはない。
しかし……、この人も変だ。澤田氏。
優秀な編集者だと聞いていて、ただ、仕事のできる人だという印象が強かった。
しかし、それだけではない。この人、変。
妙なことを言って、去ってきたから、少し仕事を頼むのが減るとか、減らないにしても個人的に関わろうとするようなことは減って、ひたすら事務的になるだろうと踏んでいた。それが望むところだし。
しかし、月末の繁忙期に彼の行動はエスカレートした。
「え?理沙ちゃん、何それ。誰から来たの?」
「……澤田さんです」
「それ、普通はダメだよね。でも、澤田さんからなら断りにくいか」
「……」
「どうする?わたしから言ってあげる?」
「いえ、大丈夫です。今回はとりあえずわたしが整理します」
「でも、毎月になっちゃったら、どうする?理沙ちゃんは澤田さん付きの秘書とかじゃないんだからさ。便利に使われちゃうよ」
「自分で言います」
「自分で言える?」
「はい。大丈夫です」
お局さんの先輩はため息をついた。高梨さん。真面目で優しい人である。
「たまーに、偉い人で勘違いした人がこういうことするけどさ、でも、澤田さんは一回もこういうことしたことないのに、どうしちゃったんだろうね」
「はぁ」
「わたしたちは伝票作成係じゃないのに」
澤田さんからわたしの名前宛で届いたのは、その月の個人経費のレシートの山です。
男の人が使った個人経費を、女の事務員が本人の代わりに整理して伝票にして、確認印をもらって精算に回す。普通の会社ならよくあることなのかもしれません。しかし、うちの会社は600人強の規模の会社。わたしたちは限られた人員で、それら全員の経費精算を当月に済まします。伝票のチェックはしても、伝票を作成するわけがない。600人ですよ。
でも、一部の人で、勘違いした偉い人の中に、これやっといてとドサっと置いてく輩がいる。しかもね、経理部に自分の女の子がいるんです、そういう輩には。もちろん、自分のと言っても本当にそういう関係があるわけではない。ただ、お気に入りの女の子にそういうのをやってもらうのが、なんちゃらプレイみたいなものなんだと思うんです。
ものすごくイラッとしました。澤田暎に。
今まで色々頼まれてたのは、それでも、まだ自分の業務と関係あるものだった。しかし、この伝票の整理は、わたしでなくても誰でもできる雑用。ただ、澤田暎の場合、なんちゃらプレイで気に入った女の子にというより、ただ単に自分の便利な道具として(ただ純粋に男として女としてとか関係なく)、使われている感の方が高い。だって、ほら、この前だってわたしのスキルをあげようとスキルアップのためのアイテム渡して来たぐらいだし。仕事できる男って、陰に奴隷を抱えてるもんなのか?
イライラしながら(月末ってね、経理部は戦場なんですよ)、システムから澤田暎のその月の経費精算のデータをプリントアウトする。くそ、しかも、接待費とかむっちゃ多いし、この人。
時系列に証票であるレシートを二枚目、三枚目の附表に裏書きを確認しながら貼り付けていく。確認しながら、気づく。全部、きちんと綺麗に書かれている。プリントアウトしたデータを見る。摘要の書き方、金額、全部完璧。裏書きも完璧。非の打ち所がない。それに、このレシート、時系列に並んでいる。
つまりは、きちんと自分で整理して、或いは誰かにやらせて、あと貼るだけだったわけだ。ここまでやったんなら貼ればいいのに。なんかよくわからんな。
一枚、一枚、貼り付けながら、考える。
偉いおっさんの中には、自分の経費精算の個人コードとパスを所謂自分の女の子に教えて、入力すらさせる輩もいる。そこまでいかない人も適当に入力しておいて、修正箇所をこちらにやらせる輩もいる。とにかく、伝票とかまとめるのが嫌いな人がこういうレシートを送りつけたりするのが好きなわけだ。しかし……
ふと手に取った一枚のレシートの裏を見る。
この几帳面な字。しかも、一字一句無駄のない摘要。むしろこの人、細かい作業が好きな人。
こういう人って反対に、他人に任せると細かいところが気に入らないからやだってなるような気がするんだけど。わからないな……。
怒ってたのを忘れて、首を捻る。
よっぽど忙しかったのかな?
貼り終えた伝票と経費精算の書類を持って、文芸部のあるフロアへ行く。精算書類には本人のサインか印鑑が必要なのだ。デスクにはいなかった。会議中らしい。デスクの上に書類を置いて自分の課へ戻る。