生まれる前の世代です
「うふふ、初日の気分はどうだったかしら?」
不意に聞こえてきた声に起き上がると、そこは白い部屋だった。
いや、部屋というより空間と呼ぶべきなのか、見渡す限り真っ白で自分が立っている地面と壁や床の区別がなく、全く白いだけの場所。
そこの中央に私が生前使っていた原稿用の机とパソコンとが置いてある。
そして側には例の女神様が立っていた。
「い、いやいやいやいや! オメガバースならオメガバースて説明してくださいよ! 私、オメガバースは結構な地雷でして、なるべく読まないようにしてるジャンルなんですよ! できることなら学園ものとかアイドルとかの世界であってほしかった……!」
「あら、この世界ではハッピーエンドにできない?」
「へ?」
女神様は困ったように小首をかしげて自分の頬に指を添えていた。
その姿はなんとも美しく、絵画のようであったけれど何故だか冷や汗が背筋を伝い落ちていった。
「貴方、この世界では役に立てないの?」
そうだ、私は「どんな男同士でもハッピーエンドに導く」といった言葉でこの世界に採用されたんだ。
それじゃあ役に立てないと理解されたらどうなる?
この世界にせっかく生まれ変われたのに、消えるのか?
いや、そもそも私……次は生まれること自体できるの?
「できないんじゃあ仕方ないわよね」
「で、できます! やります! 大丈夫です、地雷だけどカップリングには関係ないですよね! 子供が生まれるところまで見守るわけじゃないんだしい、メイドなんかけっこういろんなお屋敷転々としてるわけですから、大丈夫!」
「あらあら、やる気は十分ね! 安心したわあ」
両手を重ねて顔の前にやり微笑む女神様を見ながら私は全身の汗が止まらず、凍えそうになっていた。
何が何でもハッピーエンドに導かないと私の存在そのものが危ない。
私はひとまず自分の机について、女神様を見上げた。
「と、とりあえず、ここにパソコンがあるってことは私に原稿を描けってことですよね? 原稿を描くと、その、何が起きるんですか?」
「ここで貴方が描いた原稿は近い将来の現実になる。 過去の事は変えられないけれど……そうね、例えば考え方みたいなものには影響を及ぼすんじゃないかしら」
「二次創作が原作に影響与えちゃっていいんですか!?」
「だってぇ、どういうわけだか私の世界なのに私がどれだけお膳立てしてもハッピーエンドにならないんだもの」
この女神様、もしかしてメリバの女神だったりするんだろうか……。
眉を下げて言う女神を見上げながら私は静かにこの世界の設定を思い出していた。
私が新たに生まれた世界は、αがΩを従属させ、その2つの種族に隷属するβという種族がいる。
この世界の一般的な宗教では「神はもともとΩを愛玩人形として作り上げ、βをその下僕として世話をさせるために作った。 しかし、Ωは次第に神に逆らうようになり、思いあがったΩはαを生み出す。 神はΩに対し、お前は自分が生んだものに支配されろ、と告げた。 そのためにΩはαに従順に従わなければならなくなった」という教えがある。
アダムとイブの楽園追放に似てるなあ、なんて考えながら私は女神様にちらっと視線を向けた。
「あの、うちの旦那様たちの設定資料とかってないですかね? カプの妄想するにもまずは資料が必要なんで、できたらしっかり設定把握しときたいんですけど」
「あるわよ。 それじゃあ、貴方に見やすいようにコレに入れておくわね」
そう言って女神がパソコンに触れるとパソコンのモニターには写真と文章が表示された。
感覚としてはPDFで資料を見ているのと変わりない。
私はその資料に目を通しながら口元に手を当てて考えていた。
旦那様――アルバート・ロヴィアン。
アランディア帝国の侯爵家に生まれ、αとしての素質を遺憾なく発揮し、現在は政治家として活躍をしている。
幼少期から跡継ぎになるべく厳しい教育を受け、同じくαとして生まれた兄を蹴落として侯爵家の後継者として指名されている。
奥様――エリオス・ロヴィアン。
アランディア帝国伯爵家の愛人の息子として生まれるも、Ωであるため政略結婚の道具として認知され育てられる。
αである弟と違い、最初から政略結婚の道具としてしか父に見られていないことに失望しており、父の愛情を求める一心で実父に夜這いをかけたことがある。
「奥様!」
思わず声が出た。
旦那様はまだ女性向けではよくある感じだけど、奥様!
奥様、貴方は90年代じゃない……70年代の方です!
「私、『風木』と『トマ心』は履修してるけど、70年代はハッピーエンドじゃないからこその余韻があるっていうか……!」
これ最悪の場合、片方が死ぬエンドになる設定だよ。
やっぱり女神様はメリバの女神様なんじゃないか?
ひい、と引きつった声を上げながらも私はそのまま設定を読み進めていき、ふ、と目を止めた。
「これだ! この設定を生かせば、2人ともハッピーエンドになれる!」
私はすぐにペンタブに手をやるとイラストソフトを起動させる。
これもう死後だから購入ソフトも権利関係どうなっているのか分からないけれど、とにかく私はまだ女神様に消されたくない。
その一心が私にペンを進めさせていた。
ネームを描いている暇はない、とにかく頭によぎった内容をまとめて絵にして並べていく。
女神様は私の様子を見ながら嬉しそうにきゃっきゃっと騒いでいる。
今は女神様は作業応援botかなにかだと思うことにして、私は一気に漫画を描いていった。
「できた!」
かなりの時間がたって、完成したと私が内容を出力したとたん、不意に意識が遠のいた。
まあ、仕事をしてから原稿を一気にかきあげたんだから疲れもでるか、そう考えて私は机の上にもたれるようにして眠った。
翌朝、目が覚めるとそこは私に割り振られていた使用人用の部屋のベッドの上だった。
漆喰の壁がつめたいなあ、なんて思いながら起き上がって私が欠伸をしていると隣のベッドのモニカも起き上がってきた。
「おはよう、今日もがんばろうね」
「うう~、メイドの仕事きついよねえ」
「仕事があるだけマシだって」
そんなことを言いながら顔を洗って朝の支度を済ませ、メイド服に着替えると私たちは使用人用の地下食堂へと急いだ。
主人たちが起きだす前には食事を済ませて、リビングや玄関を綺麗にしておかなければならない。
食事をしている間、執事から伝えられる伝達事項などを聞きながら私は紅茶を飲んでいた。
今のところまだ原稿の結果は出ていない。
流石に寝て起きてすぐに結果がでるほどではないか、と考えつつ、私は目玉焼きののったトーストを手にとり口に運んだ。
カリっと焼き上がった薄切りのトーストが香ばしく美味しかった。