地雷ですぅ…
「クレア……クレアったら! 居眠りなんかしてたら解雇されるわよ!」
「へ?」
意識を取り戻した場所はヨーロッパのお屋敷という雰囲気の場所で私は慌てて周りを見回した。
目の前にはメイド服姿の女の子がいたんだが……なんというか、顔の印象がぼんやりしてて、全体的に輪郭が曖昧だった。
「く、クレア?」
「何寝ぼけてるのよ……βが解雇なんてされたら、次の仕事先なんてないのよ?」
心配したような口調で話しかけてくれる様子にどうやら私が「クレア」なのだということを自覚できた。
自覚した途端に、私の中に「クレア」としての記憶とこの世界の常識が流れ込んできた。
この世界は10%のαと20%のΩ、そして70%のβで構成された完全な階級社会。
社会の中枢を司るのは能力的にエリートのαであり、Ωはαの番として主に従属する立場になっている。
そして、βはその二つの種族に奉仕するための奴隷のような種族だ。
理由としてはこの世界ではαとΩの番しか子供を作ることができない。
βは子供を作れないからその多くはまとめて育児施設に預けられ、15歳になればそれぞれ就職していく。
クレアもそんな一般的なβの1人であり、今はαの屋敷でメイドをしている。
「う、わあ……」
すごく生々しい社会関係まで頭に入り込んできたことに呻く私を見ながら、メイドの女の子――モニカは心配そうに眉をさげていた。
けれど、それ以上の問題に好子は直面していた。
オメガバース……地雷です!
別に人の趣味にどうこういうつもりはないけれど、自分が読むときは避けるジャンルというか……ッ!
読んでみたら面白いよ~、みたいなことフォロワーにも言われてたけど、面白い人が描いたのなら面白いかもしれないけど、率先してオメガバースを読みたいかと聞かれたらちょっとうーん、となるような感じのジャンルなんだよ。
寧ろ、二次創作にいきなりオメガバースぶっこんでくる場合とかは苦手というか、もうオリジナルでやればいいじゃん、て気持ちになるというか……。
いや、いいんだけどね!
人が描く分には別にいいんだけどね!
私はなるべく回避するんであらかじめ注意書きとかあらすじに書いておいてほしいなってところなんだよ!!
「ねえ、大丈夫? 具合悪いの?」
「だ、大丈夫! ちょっと寝ぼけちゃったみたいだけど、もう大丈夫! うん、なんていうか、頑張るから!」
私はそういうとモニカに笑顔を返した。
立ち上がって黒い制服の裾を直してから私はすぐに廊下を進んでいった。
屋敷の中は天井が広い白い石造りになっていて、壁にはタペストリーや絵画などが飾られていていかにもお金持ちのお屋敷という雰囲気だった。
大きな板ガラスの窓もこの世界ではかなり高額なもののはずで、この屋敷の主人が相当に高い地位にあることを示している。
「ええと……とりあえず、ここの屋敷のカップリングがどうなってるか考えよう。 男同士で結婚してるわけで、Ωは社会的地位を持てないから屋敷にいるし、αよりは接触しやすいよね」
そうはいってもクレアは侍女ではなくメイドだ。
主人たちの近くに仕えることはできないうえに、清掃や料理がメインの仕事なだけにあまり接触の機会はない。
とはいえカップリングを理解するためにもなるべく相手のことを知るのは重要だろう。
何も知らないカップルの二次創作なんて描けるはずがない。
できることなら主人の部屋の掃除とかができればいいのだけれど……。
そんなことを考えながら私が地下の使用人食堂に入るとそこは怒号が飛び交っていた。
「ちんたらするんじゃないよ! ゆで卵は刻んだらすぐにソースをかけて持って行って! まったく、旦那様が返ってくるっていうのに何ぼんやりしてるんだい!」
「別に……ぼんやりなんかしてないです」
唇を尖らせてふくれっ面をする若いメイドとエプロンをつけた中年の女性――多分、ここの料理長なんだろう人との言い合いを見ていた。
「クレア! あんたはこっち、早く奥様の部屋に持っていきな!」
料理長がお玉で示したテーブルの上には銀のトレイの上に載った湯気の立つリゾットとサラダ、ポタージュスープが載っていた。
予期せぬチャンスに驚きながらトレイを手にしてから、私は料理長に視線をめぐらせた。
「奥様は旦那様と一緒にお食べにならないんですか?」
「今更なに言ってるんだい! 結婚して3か月、奥様はずっと部屋で食事だよ!」
思った以上に冷え込んだ夫婦関係らしいことに私は心の中で頭を抱えた。
トレイを手にしたまま階段を上がって2階廊下の突き当りにある奥様の部屋へと向かっていく。
この世界ではオメガバースの世界ということもあり、旦那様や奥様という言葉に性別の意味合いは含まれておらず、Ωが社会的地位を得られないことと、毎月訪れる発情の時期を過ごすために屋敷の奥まった場所に部屋を設ける必要があることで、「奥に住んでいる方」という意味合いで既婚のΩを「奥様」とか「奥方」というらしい。
重厚な装飾がほどこされた扉をノックしてから私はトレイを一旦片腕に持ち替えて扉を開いた。
室内の中は柔らかい花の香りと清潔なリネンの匂いに満たされていて、白いレースのカーテン越しに奥様の姿が見えた。
青白いくらいに白い肌、ややこけた頬に濃い灰色の髪が柔らかな曲線を描いて流れていた。
目元ははっきりとした二重で物憂げな雰囲気をした紫色の瞳をした美しい男性……。
労働や運動をあまりしていないせいか筋肉が細く、全体的に女性的な雰囲気があるけれどしっかりとした肩幅やはっきりとした骨格が透ける手の甲に男性らしさが現れている。
「奥様、お食事をお持ちしました」
なるべく失礼にならないように声をかけてから視線を反らすと、テーブルの上にトレイを置いた。
料理の温かな湯気と美味しそうな香りにこちらまで食欲がそそられてくる。
けれど奥様は一度かぼそい溜め息をつくと、手のひらを自分の顔へと添えて顔を窓の方へと背けた。
「ありがとう。 けれど食欲がないんだ……下げてくれ。 料理長にすまないと伝えておいて」
「え、でも……」
「いいんだ、いつものことだから、料理長も君に厳しくは言わないだろう」
いつものこと、て奥様は何日もまともに食事をとっていないのでは?
それはそれで使用人として見過ごしていいものかという気もするけれど、主人の食生活にどうこういうのも使用人としてどうなんだという気がする。
戸惑うように私が固まっていても奥様は窓の方を見たきり動かない。
は、と私は思いついたように顔をあげた。
「も、もしかしてつわりですか?」
「……からかっているのかい。 主人は私とは違う部屋で寝ているのにどうやって子供ができるのか。 いくら私がΩでも1人では子供はできないよ」
それは確かにそうだ。
というか、結婚して3か月なんていう新婚でもう妊娠というのもややこしいことになってきそうな気がする。
「わ、分かりました……それじゃあ、下げます。 夜食でもなんでもお持ちしますから、食欲が出たら呼んでくださいね」
「……ああ」
せっかく持ってきた料理だけれど、食べないと本人が言うなら置いていても仕方ない。
一応の承諾の声を聞いてから私は料理を持って、再び地下の食堂へと向かっていった。
「……恋愛感情がない結婚、て感じなのかな」
Ωはαに従属する種族。
だから本人の意思とは関係なしに結婚させられた相手のことが好きではない。
でも、それでハンガーストライキなんてしてたんじゃそもそも結婚した意味がない。
大体これが奥様1人の意固地な問題ではなくて旦那様が奥様を避けているのも問題なのだから、旦那様の方にも接触する必要がある。
考えながら使用人食堂に戻ると、旦那様のお帰りだという呼び声が響いて私はモニカたちと共に急いで玄関へと向かった。
既に執事や従僕たちが並んで旦那様を出迎え、私たちは壁際で静かに頭を下げていた。
ちらりと見えた旦那様は背が高くて鋭い目つきをしていてグレーのスーツが似合う。
鼻筋が高くて薄い唇をきっと結んだ厳しそうな印象の男性で、執事から報告を受けながら的確に指示を飛ばして歩いていった。
なんというか……スーパー攻め様って感じ。
というか全体的にここのお屋敷って90年代って感じなんだろうか。
そうなってくると当て馬の1人も欲しいところなんだけれど難しいかな。
旦那様が2階に行くと私たちメイドはすぐに寝室の準備へと駆り出された。
部屋の掃除は昼に済ませているけれど洗い立てのシーツをベッドに張り、花を飾り、蝋燭に火をともして、暖炉にも火を入れる。
主人たちが心地よい空間で過ごせるように、主人たちに気付かれないように立ち回るのがメイドの役目だ。――多分。
半日ほどしか働いていないけれど、慣れていない業種の仕事に私は息をつき、食事を終えて自室に戻るとそのまま固いベッドに倒れこむようにして私は眠りについた。