9、星空の下、闇に音が響いていた。
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・組織などとは関係ありません。また、作者は軍事に関する専門家ではありません。あくまで創作物としてお楽しみください。
「深宙少尉の処遇について伝える。少尉 深宙 巡、減給一ヶ月、以上」
減給を伝えられた俺は部下に対して顔向けが出来なくなっていた。直接聞いたわけではないのだが、影で無能な指揮官と言われている事に薄々気付いている。それに対して怒りを表す資格も無いと考え、一人で戦術や部隊運用についての知識を深めているところだった。
部下を殺さないで済むためには努力が必要だ。座学が苦手だった俺はとにかく知識を頭に詰め込むことに集中する。
これが答えなんだと信じていた。才能のない者は努力するしか方法が無いはずである。教本で重要だと思った部分をノートに写していると、スピーカーから放送が流れた。
「行政班より連絡。士官は一七時〇〇分より作戦室へ集合」
時計を見ると一六時五〇分を指していた。教本を閉じて本棚に戻し、身だしなみを整えて指定された部屋へと向かう。
部屋に入ると既に全員着席しており、急いで空いた席へと座る。待っていたと言わんばかりに口を開いた瑞穂さんは、それぞれに数枚の紙を渡した。
「それでは今後の作戦計画について下達する。本日午後に陸自は部隊の再編を開始し、和歌山県の海岸を警備している一個師団が大阪に投入されることになった。それに伴い、我々は海岸警戒任務を引き継いで遂行することとなる。今回の投入部隊は再編した第一、二小隊で、投入期間は三〇日を予定している。出発は明後日の二七日だ、第一小隊の小隊長は南少尉、第二小隊の小隊長は枯宮少尉。そして二個小隊の統合指揮官として……青葉少尉、頼んだぞ」
俺ではなく凪を選んだのは当然の事だろう。ただ、作戦にすら参加させてもらえないのは少し寂しい気持ちがした。出撃しないのは日照も同じだが、駐屯地警備と謹慎後に任務を外されるのでは事情が全く異なる。
「まともに休ませてあげられないのは心苦しいが、今回の任務が終わったら一日だけ休日を用意出来るから、あと少しだけ頑張ってくれ。それから第二期士官候補生、訓練兵の受け入れ調整について、基礎訓練時に成績が優秀だった兵士に助教を任せたい。人選はこちらで終えているので、各小隊長は下達するように。他に伝達事項あるか? ……無いな、以上」
手短に説明を終えた瑞穂さんに対し、統合指揮官として任命された凪が敬礼をした。彼女が活き活きとしているように見えたのは目の錯覚ではないだろう。きっと彼女ならうまくやれるはずだと思い、俺は部屋に戻った後も自習の続きを熱心にしていた。
* * *
凪の率いる二個小隊が出発して一週間が経った。
第二期士官候補生と訓練兵は基礎軍事訓練が始まり、外からは大きな掛け声が聞こえ、二ヵ月前は俺もああだったんだと、少し懐かしい気分にさせられた。
「深宙少尉を呼び出したのは理由があってやな……」
だるそうに襟元をパタパタと扇ぎながら話す浅嶋少佐は、めっぽう暑さに弱いようであった。確かに七月に入ってからというもの、暑さは日に日に増してきており、セミの鳴き声と身を溶かすような太陽が、如何にも夏らしさを感じさせてくれていた。
「青葉隊からの報告でな、昨日も一昨日も不審船の目撃情報があんねん。この加太ってエリアは大阪と和歌山を繋ぐ重要な地点やからな。和歌山市の方に上陸する際も、この地点から偵察行動を行えば効率的に作戦を進めることができるし、敵にとっては県境沿いの山々を超えるより、制空権を握ってるうちに上陸する方が合理的やと判断したんやろうな」
「では、敵の上陸が近いと――?」
「可能性はある。今のところ南大阪の戦線は膠着してるし、何かデカい事をせな道は切り開けん状況やからなぁ」
氷の入ったアイスコーヒーを飲んで涼しそうにしている少佐を見ていると、俺まで冷たいものを飲みたくなってくる衝動に駆られた。
「不審船が出没するってことは間違いなく特殊部隊の上陸があるはずやねん、特に夜間な。上陸されたら青葉隊だけじゃなくて、和歌山市にも危険が迫る。そこで昼夜間用光学照準器……サーマルスコープを補給したい。数は一二個って少ないけど、各分隊長一〇人と他誰か二人に付けさせたらなんとかなると思うねん」
サーマルスコープ。熱を検知して映像に映す機構を備えたこの照準器は、明るさに関係なく使用することが出来ると教育中に教えられた。
「なるほど、ではそのサーマルスコープの補給ですか」
「あぁ、それもそうやねんけど……春風少尉と一緒に青葉隊に合流してもらいたいねん。そして残りの期間、向こうで勤務してほしい」
「どういうことですか? それは……補給任務ではなく、ただの作戦投入では……?」
「まあ人手も足りへんようやし、何よりの理由は前の作戦での失敗があるからな。春風少尉も前回は留守番やったやろ? 司令部としては一〇時間座学を勉強させるより、一回実戦を経験したほうが成長すると判断してん」
「いや、そうは言っても自分は……」
あんな失態を晒しておいて、また戦場に出て兵士達を指揮出来るというのが信じられない。また何かやらかしてしまうのではないか、と不安にもなっていた。
「まあまあ、とりあえず聞いてみいや。確かに大勢の命……貴重な戦力を失ったのはAAOにとって痛手でしかないけど、やからって深宙少尉を辞めさすわけにもいかへんし。ただでさえ人手が足りてないんやから、しっかり成長してもらわんとな」
「ですが……俺に兵士を率いる資格があるとは思えません」
「とにかく、これは命令や。駐屯地におっても通常業務しかやることないからな。具体的な任務としては、今回君らには指揮官の補佐を命じたい。結構激務になってるらしいし、同期やから手伝ってあげぇや、な?」
浅嶋少佐のその言葉に断ろうにも断れなかった。
まず前提として、俺は少尉だ。軍隊に所属しているわけではないが、AAO規定では軍人と変わらない扱いになっている。上官の命令は絶対なのだ。
「……分かりました。命令と言うのであれば」
「うん、決まりやな」
* * *
物資がぎゅうぎゅうに詰め込まれたSUVに乗り、俺達は加太へと向かっていた。戦争さえなければ観光客で賑わっている場所だが、今となっては殆どの住民が避難をし、ゴーストタウンと化しているらしい。住人の多くがお年寄りとも聞いていたので、避難済みなら安心できると心を撫で下ろしたのだった。もし戦闘が起こっても民間人への被害は無いだろう。
「私、海を直接見たことがないんです」
到着まであと一〇分ほどの時、助手席に座っていた日照が口を開いた。俺はちらっと彼女の方を見たあと、楽しみかと聞いた。
「そうか……どうだ、楽しみか?」
「はい、ものすごく楽しみです! 戦争中じゃなければもっと喜べたんですけどね」
「まあ……そりゃな」
海水浴場が見えた時、日照の目は何時にも増して輝いていた。それは太陽の煌めきが目に反射してるだけではないのだろう。
「よし、ついたな。えっと指揮所は……」
「あそこに兵士がいますよ」
そう言って指差した場所に、五人の兵士が固まって話し合っていた。こんな炎天下の中でもやけに楽しそうに、やる気に満ち溢れた表情で話し合っている。そこへ車を寄せて指揮所の場所を問う。
「おい、指揮所はどこだ?」
「必勝! 指揮所はあの公園です」
「ああ、ありがとう」
SUVから降りてオリーブ色の大型テントに入ると、クリップボードに書類を挟んでサインをしている凪の姿があった。
「お、巡と日照じゃん! 十日ぶりだね~」
「お久しぶりです」
「凪、結構焼けたな」
太陽で褐色に焼けた肌は健康的に見える。凪だけでなく、テントの中にいた兵士達の多くがそうだった。
「そりゃそうだよ、毎日毎日炎天下の中で指揮してるんだから」
「はは、それもそうか。南と小夜は?」
「今は外で巡回してるから、あと……二〇分で戻るかな」
「よし、じゃあ早速補給品を――」
「あ! サーマル来たんだ! ちょっと見せて見せて! あ、物資貯蔵庫はこっちだから!」
ウキウキしながらスコープの入ったケースを持ち運ぶ彼女を見ると、しばらく戦闘らしい戦闘は起こっていないのだなと感じる。
「おぉ~、ちょっと重いけど、これなら夜もバッチリだね。えーっとじゃあ……ここにサインしてね」
補給品の納入書を渡され、名前と日時を記入した後、早速銃器に装着する。一気に重量が重くなり、見た目の格好良さや迫力に比例して『コレを持って戦うのか』と、気が滅入りそうになった。
「でもこれ、格好はいいですね。格好は」
「あぁ……ちょっとでも体力のある奴に持たせるべきか」
俺の提案に凪が同意した。各分隊に一つ、士官としては俺と南に一つずつ補給する事となる。本来であれば一番体力のある凪に持たせるべきだったが、統合指揮官という立場上、戦闘に積極的に参加することはできないので、その次に体力のある者に補給するのが合理的と考えたのだ。
指揮所に戻って状況の説明を受けた所、定期的な海岸巡回を主にしているようだった。凪はすべての説明を終えた後、より良い作戦を求める。
「で、もっといい案が欲しいんだ。正直なところ、私は戦史の知識だけで作戦立案してる所があるから」
「とは言うものの、俺だって……」
いくら士官の教育を受けたとはいえ、俺達はまだまだ経験が浅い子供なのだ。本物の特殊部隊を相手にするための作戦なんて作れるわけがない。しかも俺は候補生の中でも座学が苦手だった。さらに言えば前の失敗も強く頭に残っていた。また誰かが死ぬなんて事があってはならないと、強い責任を感じていたのだ。
「……ここ、岬の部分は階段になっていますよね? それに南側は空いた土地……草が伸びてるんじゃないですか?」
「あぁ、そうだね。私が見た時は腰までだったけど、たぶんもっと伸びてると思う」
「では、この岬の部分と港、南端に哨所を設置しましょう。それと戦闘指揮所をこの丘の上に移動させてもいいですか? なるべく高所に観測所を設けたいんです」
「あぁ、うん」
「それから巡回の間隔については、その日ごとに変えたほうが良いと思います。不審船の目撃もあったことですし、何より民間人の立ち入りが完全に統制されていませんから――あれ? どうかしましたか?」
積極的に作戦を考え出す日照を見て呆気に取られていると、彼女はそんな俺達が不思議に見えたらしく、こちらの表情を伺っていた。
「いや、あんまりにも日照の作戦立案がしっかりしているから……あれ? 日照の作戦立案の時の成績って、中間くらいだったような」
「俺も覚えてる。まあ普通だったよな」
「いえいえそんな! 私なんてまだまだ……」
謙遜する彼女に秘められた能力は相当なものではないのだろうか。誰よりも自分の能力を過小評価し、日々の努力を怠らなかった彼女は成長しているに違いない。それに比べて俺は――この際考えないでおこう。
「じゃあ、とりあえず日照の案を実行しようかな。なにか問題があるようなら修正する。それでいいよね、巡?」
「ああ、異論はない」
「よしっ! じゃあ二人とも寝室まで案内するね」
地図を手際よく片付け終え、自分の銃を背負ってテントを出る。
「ああ、ありがとう……寝室?」
俺の知る限りだと、敵から身を隠せる比較的安全な場所に、徹底的に偽装を施したテントで寝泊まりする事になっているはずだ。それが寝室という事は、この近くの建物で寝泊まりしているという事に他ならない。
「そう、あそこに見えるシーサイドホテルでね。支配人と照月のお父さんが知り合いだったみたいで、融通聞かせてくれたんだ」
「本当か!? それはまた助かるな!」
ただでさえ暑いこの場所で、蚊に血を吸われながら眠るなんてまっぴらごめんだ。それが快適で清潔なべッドにエアコン付きの部屋となると、士気の上がり方も段違いだ。なるほど、だから最初に会った兵士達の顔色が良かったのか。
だが気になる点もある。戦場が近くなるからと誰もが避難をしたこの地域で、客足も足らないだろうに営業をしているホテルがあるなんて。
凪に連れられてロビーまで行くと、人の良さそうな男性と女性が出迎えてくれた。
「すみません、二人に部屋を与えて欲しいんですが」
「かしこまりました。ではご希望のお部屋はございますか?」
「最高級のでお願いしますね」
「では、こちらのスイートルームを――」
凪の気遣いは余計だった。きっとAAOの予算から天引きされるであろう宿泊費を、俺はなるべく安く済ませようと思ったのだ。
「え? いやいやいや、普通の部屋で良いです! 普通ので!」
「えーいいじゃんお金払わなくていいんだし。すっごい広くて豪華なんだよ?」
「そうだとしても普通ちょっとは遠慮するだろ。えっと、ベッドタイプの部屋でお願いします」
たとえ支払いがいらないとしても、遠慮しないといけない場面だろう。それを気にもせずスイートだのと言う凪に、俺は呆れるしかなかった。もちろん俺を気にして言ってくれたのはとても有り難いが、時と場所を考えなければならない。
「はい、かしこまりました。他にご要望等はございますでしょうか?」
「特には……日照も無いよな?」
「はい、大丈夫です」
「自分も――あ、支配人はいらっしゃいますか?」
その『支配人』が少々胡散臭く感じてしまったため、俺は直接会って話をしてみることにした。敵の協力者とはまだ言えないが、可能性を完全には否定できない。
「はい、ご面談でしょうか?」
「ええ、少しの間だけなんですけど」
「少々お待ちください……。はい、瀬戸です。AAOの方がお見えです……はい、分かりました。申し訳ございません、少々お時間取らせてしまいますが、よろしいでしょうか?」
「ええ、もちろんです」
「ありがとうございます。ではご案内いたします」
戦闘背嚢を担いで案内のままに進んでいく。建物自体は古いようだが、手入れがしっかりとされており、このホテルに対するスタッフの愛を感じられた。こんなご時世でもしっかり出勤しているのは、収入に関する事情だけでは無いはずだ。
「こちらでございます。なにか必要なものがございましたら、そちらの内線電話をお使いください。カフェではお飲み物もご用意しておりますので、お気軽にお申し付けください。では、失礼いたします」
俺は背嚢を下ろし、中から戦闘服や下着等を取り出して丁寧に端に寄せておく。銃を壁に立て掛けてイスに座り込むと、目の前には海が広がっていた。もちろんその先には敵に占領された淡路島も見える。
こうして窓の前に立っていると対岸から砲弾でも撃ち込まれそうに思えるが、幸いそういったことはまだ起きていない。それより、もし今のままこちらが航空優勢を取れなかったとしたら、いずれ爆撃機なんかが来るかもしれないと予想出来た。そうなれば事態は一気に悪化する。国民の士気が下がれば当然戦況にも影響が出る上、工場や都市への被害は馬鹿にならないのだ。
そういった悲観的な事を考えていると、部屋の扉がノックされた。どうぞと開けると、そこには壮年の男性がスーツ姿で立っている。
「どうも、はじめまして。シーサイドホテル支配人の増田洋一と申します。この度はご宿泊いただき、誠にありがとうございます」
「はじめまして、AAO青葉隊所属、深宙巡少尉です。お忙しいところわざわざすみません」
「いえいえ、ここでお話も何ですから、是非ロビーの方へ」
ロビーのソファに腰掛けると、スタッフの女性が飲み物を聞いた。
「お飲み物は何にいたしましょうか」
「ああ、ホットコーひ……じゃなくて、アイスコーヒーをお願いします」
「それで、どういったご用件でしょうか? なにか必要なものでもありますか?」
増田支配人はポケットに入っていたタバコを取り出そうとしたが、俺が未成年であることに気を使ったのか、はっとして取り出すのをやめた。
「ええ、話というのはですね。AAOにこうしてご協力いただけた件について、本当に感謝しているんです。直接お礼申し上げたく思い――」
「いえいえ、とんでもない。私達の仕事場を守ってくださるんですから、当然の事です」
「それで、南少尉のお知り合いだと……?」
「ええ、その南さんのお父様が私と面識がございまして、いつもお世話になっておりますから」
事実かどうかはわからないが、父親と繋がりがあるのなら信頼できそうな気がする。南がAAOに入ってから支配人になったわけでも無いだろう。しかし安心は出来ない。利益が出ない状況で営業しているのがとても不自然だからだ。本当に信頼できるか判断するため、俺は揺さぶりをかけることにした。
「ああ、そうでしたか……でも、お客さんもいないのに大変でしょう?」
「はっきり言いまして、かなり厳しい状況ではあります。ですがスタッフ一同、ここが大好きなものですからね。出勤しないスタッフについては残念ではありますが、強制させることはできませんし……まあ、ボランティアみたいなものです」
「なるほど……ありがとうございます。また何かあればお伝えします」
「いえいえ、こちらこそご利用いただきありがとうございます」
つまり、このホテルが俺たちを受け入れた理由は一〇〇%善意からという事だが、完全に信用したわけではない。民間人を装ったテロ事件も多く起きていることだ。警戒するに越したことはないが、あまりに警戒しすぎた態度をとってしまうと、やはり人は愛想を尽かしてしまうものだろう。しかしそれが非常に難しいのだ。人を信用することも、信用されることも難しい。それが人にとって最も大切な事なのに。
* * *
「よいしょっと……はぁ、はぁ」
「深宙君、もうちょっと深く掘ったほうが良いんじゃない?」
土を掘って土嚢袋に入れ、城壁を作るがごとく積み上げていく。『見晴らしの丘』と名付けられたこの小山から見える夕日と海は、たしかに素晴らしい眺めだったが、感嘆の声はあっという間に消え、ここ数日黙々と陣地を作っていた。
「そうだな、ついでに偽装網もかけよう」
まだ朝の九時だというのに太陽は容赦なく地面を煮えたぎらせ、セミの鳴き声が辺りに響き渡っていた。時々腕や首元に纏わり付いてくる蚊を叩き潰し、野戦シャベルで土を掘り起こしていると、自然と体中にびっしょりと汗が流れる。熱中症にも気をつけるため、近くにおいていた水筒をとって水を一口飲んだ。照月も同じく、このじめじめした暑さにかなり参っているようだった。
「ふぅ~、陣地構築ってすごい疲れるんだね。訓練の時よりも疲れる気がするよ」
「まあ、この暑さの中だからな。ていうか虫よけスプレーが欲しい」
「ホテルの人に頼んでみたら? 市内まで買ってきてくれるかも」
「ちょっと悪い気がしてな。二小隊の奴に買い出し行かせようか?」
「ただでさえ人手が足りないんだよ? そんな余裕無いよ」
「確かに……俺たちが陣地工事してるってだけでも不自然だもんな」
本来指揮官である俺たちがこうして作業をしていることは不自然だ。もちろん兵士達の手伝いをすることは稀にあるが、こうして少尉が二人だけで陣地を構築しているのは、本来であればあり得ないことなのだ。
「そうだね……早く第二期が来ればいいけど」
今この瞬間にも駐屯地では訓練が続いている。兵士と士官が教育を終えるのは八月一日なので、あと二週間と少しという計算だ。
「きっと素晴らしい人材が集まってるはずだよ。階級だって抜かされるかもな」
「ふふっ、私達も頑張らないとね」
完成した射撃陣地に偽装網をかけ、忙しそうに書類に目を通している凪に報告した。
いや、忙しそうにしているのは凪だけではない。小夜は二小隊の小隊長で、日照は南の代わりに第一小隊長として小隊を率いているし、俺は海岸警戒任務の進捗を司令部に報告しなければならない。しかも五日に一回来る補給品の納入書と数を確認し、それらをホテルのダンスホールまで運び、整理――それだけではなく、こうして陣地を構築したり、夜間は各哨所を巡回するという任務も任されていた。各種書類を整理するのも俺の仕事だ。
「凪、陣地工事終わったぞ」
「ああ、お疲れ。しばらく何もないから、海岸の喫茶店で涼んでたら?」
その一言を聞き、南は俺の返事を待つこともなく承諾する。
「うん、行ってくる! 深宙君もいいよね?」
「あぁ……いいけど」
「じゃあ行ってくるね。何かあれば兵士を寄越してくれればいいから」
「はーい、行ってらっしゃーい」
照月に連れられて海辺の道を歩いていく。時々すれ違う兵士と敬礼を交わし、シンプルで白い豆腐のような外観の喫茶店に入った。海に面した方向はすべてガラス戸となっており、まさに海岸の喫茶店という名に相応しい。
「いらっしゃいませ、お好きな席にどうぞ」
五〇代ほどだろうか? 痩せたショートヘアの女性がメニューを渡す。照月はアイスモカを――俺はアイスアメリカーノを注文した。エアコンの効きが悪いのか、一緒に扇風機も回っている。
「南はここによく来るのか?」
「ほんっとにたまにできる暇な時にね。ここの飲み物美味しいんだよ、冷やしプリンも」
「へぇ、でも珍しいな。みんな避難してお客さんも居ないっていうのに」
そこへ先程の女性がやってくる。飲み物をテーブルに運び、俺の疑問に答えた。
「お客さんは潰れん程度におるで、こうやって若い兵隊さん達が来てくれるんやから。……そっちの男の子は初めて見るなぁ」
「はい、何日か前からこっちに来て――」
「あぁ、そう。でもホンマ、はよ戦争終わってほしいわぁ。今政府が交渉してるって言うてるけど、結局口だけやもんな。ウチらみたいな小さい店は収入補償も受けられへんし、危ないとは思うけど、こうやって商売するしか無いんやわ……じゃあ、ごゆっくり」
俺は南にあの女性が店主かどうかを聞き、コーヒーを口に含む。ホテルで味わうコーヒーとさほど変わらない気もしたが、ロビーで飲むのとは雰囲気が違う。少し値が張るが、こういった所で飲むのも悪くはない。
「南、あのおばさんが店主なのか?」
「そうみたい。なんかね、旦那さんと息子さんが交通事故で入院してるんだって」
さして興味もなかったので『へぇ』と受け流し、他愛もない世間話を続けた。凪から交代の連絡が入ったのは二〇分後のことだった。
* * *
星空が見える二三時――駐屯地ならとっくに就寝時間だが、ここではローテーションで勤務に立つ。太陽によって削られた体力はやがて睡魔を誘い、俺はカフェインを欲するようになっていた。闇夜に包まれた海はすべてを飲み込むがごとく黒く、波の音だけが響いているこの場所は、今まで見たことのないほどに穏やかだ。
「必勝、特異事項はないか?」
「必勝、異常ありません」
「よし……何かあれば報告しろ」
サーマルスコープ付きのライフルは今まで以上に重く、長時間構えていると腕がプルプルと震えてきそうだ。しかしその重さ以上に、夜間でもしっかり人の姿を捉えることができるというのが、何より心の支えになっていた。真っ暗な海に対抗できる唯一の手段――それが俺たちの士気にも大きく影響している。
岬の哨所近くに足を踏み入れると、どこからか『止まれ』という声が聞こえた。
「止まれ、誰だ」
「深宙 巡 少尉だ」
「必勝!」
「しっかりやってるようだな。どうだ、そのスコープ」
「はい、すごく良いです。これならどこから来てもわかりますよ」
僅かな月明かりに照らされた山本二兵の顔は眠気に襲われているようにも感じたが、居眠りをすることもなくよくやっていた。
「そうか、もうすぐ交代だからな。特異事項も無いな?」
「あぁ、はい。ただ、木之本がトイレに行きたいと――」
そう言われ、もう一人の兵士に体調を尋ねた。熱帯夜では無いとはいえど、脱水症の危険もある。
「木之本、大丈夫か?」
「は、はい。あの……お腹が冷えてしまってですね」
「わかった、俺が代わりにいるからすぐ行って来い」
「す、すいません。ありがとうございます」
そう言って暗い道を駆けていく様を見ているとなんだか笑えてくる。俺は土嚢の窪みに銃を置き、スコープを覗いた。
「……少尉」
「私語厳禁だぞ」
「すいません」
「……何だ、言ってみろ」
小声でささやくように話を続ける。波の音に彼の声がかき消されそうになるため、俺は少しだけ体を寄せた。
「あの、少尉は……人を目の前で殺したことがありますか?」
「目の前で?」
「はい。この前の戦闘で……自分は初めて人を撃ちました。でも、なんか……何も感じなかったんです。もっと衝撃を受けるとか、躊躇うとか思ったんですが」
「あぁ……そうだよな、以外と何も感じないんだよな」
「えぇ、そうなんです。自分は……戦闘マシーンにもなれるんじゃないのかと」
「フフッ、なんか面白いな」
彼の真剣な口調から出た『戦闘マシーン』という言葉にシュールさを覚えたため、俺は思わず笑ってしまう。そんな彼は至って真面目だったらしく、俺を一瞥して心外だと言う風に呟いた。
「真面目な相談なのですが……」
「悪い悪い、でも分かるよ。俺は……ここに入る前、武装工作員を拳銃で撃ち殺したんだ、目の前でな。バァンって……初めてだったんだけど、すごい音と衝撃だったよ。それで……撃ち殺した後、サァーって恐怖が押し寄せてきた。殺してしまったんだって動揺と大きい音による興奮、それから命を狙われてたんだって恐怖が入り混じってな。なんか……何も感じない――いや、考えられないんだ。誰だってそうだと思うよ」
「そう……なんですか」
「あぁ、だからお前はおかしくなんかない。こんな異常な状況で異常な事してるんだ。おかしくなっても無理はないけど、ちゃんと仕事してくれてるお前たちには、本当感謝してるよ」
「いえ、そんな」
ふと岩場の方をスコープで覗くと、白いものが通った気がした。いや、間違いない――人がいるんだ。この辺りは岩場になっているため、隠れられそうな場所も多い。
「おい、二時の方向に人影が通った」
「ッ! あ、見えました」
「どこだ」
「二時の方向から少し右にずれて、あの……なんていうんでしょうか」
「あぁ、俺からも見える。さすがサーマルスコープ」
当然感心している場合ではない。民間人か否かを確認し、敵であれば捕縛しなければならないのだ。また、戦闘指揮所に報告もしなければならない。ここから指揮所までは全力疾走で6分と言ったところか。
「はぁ~、すいません深宙少尉、今戻りま」
「静かに! 誰かいる。お前は戦闘指揮所まで報告に行け。それと寝ている分隊を叩き起こしてこい」
「りょ、了解」
白い人影はゆっくりと岩場を移動し、どんどんこちらに近づいてくる。この岬には海へ降りる階段があるため、それが目当てだろう。それからもう一つ気がついたことがあるが、一人ではなく三人のようだ。火力で勝つ自信は有るが、バラバラに逃げられると追跡できない。
その人影が三〇mほど近づいた時、俺は声を張り上げた。
「そこ! 動くなッ! 動けば射殺する!」
彼らの体はピタッと止まり、気配を消そうとしていた。だが、彼らの動きは俺たち二人に筒抜けである。そして当然だが、民間人であればこんな真夜中に、こんな場所で、停止命令を受けて気配を消そうと務めないだろう。つまりはそういうことだ、敵に間違いは無い。だが本任務での交戦規定では、敵が武器を有しており、自身の生命が脅かされる合理的な判断があった場合のみ射殺が許されている。
「全員伏せろ! 従わなければ射殺する! それから三人は固まれ、広がるんじゃない」
彼らは俺たちのような夜間用の装備を持ってはいない。それが三人にとって焦りとなったのだろうか、またゆっくりと岩場を移動し始める。
「少尉、撃ちましょう。敵に間違いありません」
「だが……」
基本的には捕縛しなければならない。射殺しても敵から情報を引き出すことはできないが、捕虜にすれば数多くの重要情報を引き出すこともできる。そういった意味でも、射殺せずに捕縛するのはとても重要なことだった。
「深宙少尉」
その一言で敵は走り出した。はっきりと水音が聞こえ、俺は即座に射撃命令を下す。
「射撃開始!!!」
隣りにいた山本二兵のライフルから光の筋が飛んでいく――サーマルスコープは全員に補給できないため、装着した人員には曳光弾の入った弾倉を配布している。スコープを通して敵を発見し、具体的な場所を曳光弾で知らせるという戦術だ。
だが、俺のライフルの引き金はバットを空振りするかの如くスムースに引かれただけだった。安全上の問題から、弾倉は挿入しても薬室に装填はしていなかったのだ。
「クソッ!」
装填ハンドルを思いっきり引っ張り、セレクターを連発に入れて射撃を始めた。瞬く間に二人は倒れたが、同時に俺と山本の弾倉も空になってしまった。暗闇の中なので、ポーチから弾倉を引き出しても、挿入口にうまく入らない。
「少尉! 海水浴場の方に――追撃します!」
「待て、木之本が分隊引き連れて来るだろ! 同士討ちになるから注視するだけで良い!」
「わ、わかりました」
俺と山本のやり取りの後、わずか数十秒後に道路を走ってくる分隊を確認した。逃走する敵を見つけたであろう彼らは、一斉射撃で無残にも弾幕の雨を浴びせる。この静かな海に、いくつもの銃声が響き渡っていた。
哨所へと駆け寄る凪と日照は、まず俺たちに負傷の有無を確認する。
「二人とも大丈夫? 怪我は?」
「大丈夫だ、それより死体を引き上げよう。おーい! 担架持ってきてくれ!」
左肩につけていたL字ライトを点け、岩場に倒れている死体を二人がかりで引き上げた。ウェットスーツを着用しており、ひと目で特殊部隊だとわかる。
ホテルの駐車場に死体を運び、三人の荷物を地面に並べた。機関短銃、拳銃、食料品、時計、地図――そんな中でも、海水に濡れた小さなメモ帳は一際目に入る。ちぎれないよう、慎重に慎重にページを捲ると、そこには日記が綴られていた。
* * *
・七月一一日
もうこちらの国に来て二ヶ月が経ったが、一向に勝利の光は見えていない。どうもこちらの国の軍隊は情報以上に強力なようだ。技術的な差があるとは聞いていたが、ここまで苦戦を強いられるとは思いもしなかった。本来であれば『日本国西部』はとっくに占領し、『大韓民国』『中華民国』を攻略するはずだったのだが――。
話は変わって、ここの土地の食べ物はとても美味しい。水は少々薬品臭いが、蛇口を捻れば飲める水が出てくるというのはとても素晴らしいものであるし、店にある食べ物も興味深いものが多かった。
こうして日記を書いていると、故郷で大学に通っていた頃の事を思い出す。あの頃の私は血気盛んで、連邦武力省の保安要員に志願していた。懐かしいものだが、故郷に帰っても誰も居ないのは寂しいことこの上ない。
なにはともあれ、今日の分はこれで終えよう。また明日。
・七月一二日
第一波特殊浸透部隊として選抜された。これほど名誉なことはない。それにこの作戦を成功させた暁には、国へ帰って英雄として制服を着ることもできるのだから。そうしたら、きっと綺麗な女房もできることだろう。そうしたら子を育て、家を買い、週末には森へ出かける。泉のほとりで軽食を食べ、子供と遊び、昼寝をしたいんだ。きっとできるだろう――まだ二〇の若者ではあるが、活躍すれば夢ではない。
だが、上陸してからが不安で不安で仕方がない。闇夜の中、敵に気づかれずに案内人の住む場所を探すという事が、とても難しいことだと説明されたばかりだ。
……もう出撃だ。ボートの用意が出来たようだ。さっき一口ばかり酒を試したが、なかなかきついものがあった。だが、国に帰る頃には慣れる事だろう。連邦の勝利と安寧を願って、万歳。
* * *
「これは……日記だよな」
ライトで照らしながら、メモ帳に書かれた綺麗な字を目で追っていく。敵が『人間』というのは分かっていたが、『人』という事を実感した初めての経験だった。彼らにも生活があり、人生がある。その事を完全に忘れていた。いや、考えたくなかったのかもしれない。俺は『人』を殺すことに躊躇いがあったのだ。
『人間』を殺す躊躇いはいつの間にか無くなったように感じる。初めて人を殺したあの日、俺はこれから敵を撃つことができるのかと悩んでいたが、戦場に出るとそんな悩みはいつの間にか消えていた。
問題なのは、『敵』が『人』でもあると実感したのだ。三人の死体――この中の誰かが英雄への夢を抱き、幸せな家庭を築こうと願っていたんだ。その事を考えると、とてつもなく心が痛み、それ以上読みすすめることが出来なかった。
日照がよく見せてほしいというので、彼女に手渡して死体の元へと向かった。半開きの瞼を手で閉じ、心のなかで冥福を祈る。次の人生では平和な世界に生まれてくれと――。
「確かに日記ですね。『第一波』って事は、『第二波』もあるんでしょうか」
「……あると思うよ。持ってた武器はサプレッサーが付いてるのもあるし、完全な特殊部隊……あ、これ地図じゃん! ツイてるなぁ」
凪は押収した装備品を整理していた。彼女は何も思わないのだろうか。彼らのことを見て、ただ海水に濡れた肉の塊としか思えないのだろうか? ……いや、彼女はすべてを考えないようにしているのだ。敵の人生の事を考えても、勝利は訪れないというのを一番理解しているはずだ。
「あの-、大きな音が聞こえましたけど、なにか……あ、えぇッ!?」
ホテルのロビーから出てきた女性スタッフが、死体を見てひどく動揺した。日照は一早く彼女の元へ駆け寄り、見せない用にしてロビーまで付き添って行った。
「申し訳ありません。さあ、戻りましょう、見ないほうが良いですから」
俺は悪いことをしてしまったように思えてならなかった。死体を――被弾した場所からまだ血が出ている、砂にまみれた決して綺麗とは言えない様な死体を、見慣れていない人に見せてしまったのだ。凪も同じく思ったのか、青いビニールシートを上にかけ、見えないようにする。
「……今度から、このシート使おうか」
「あぁ、それが良い」
警察が救急車と共に現れたのはそれから一五分ほど経ってからだった。手についた血を洗い流しながら、俺はこう思う。『彼らも人なんだ』と――。
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