表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
若さは硝煙と共に消えた。  作者: メグ
2、侵攻
8/124

8、現実に踏み込むと、理想は崩れ去った。

※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・組織などとは関係ありません。また、作者は軍事に関する専門家ではありません。あくまで創作物としてお楽しみください。


 これほど緊張した経験は人生で無かったと言って良いだろう。

 車から降りて水の入ったポリタンクを部下に持たせ、道路を横断するために左右を注意深く確認していた。遠くからは銃声と砲撃の音が聞こえ、煙が立ち上っている街の中に、経済都市大阪の面影は見られない。


「よし、左右異常なし! 第一小隊、大通りを横切って住宅地まで移動後に警戒。南、出来るな?」

「もちろん、援護はお願い」

「気を付けろよ」

「ありがとう。第一小隊、前進!」


 六月二五日土曜日、午前一〇時一二分。俺たちは初めて、戦場という未体験の環境に足を踏み入れていた。

 焦げた匂いが辺りに充満し、時々響いてくる銃声は死と言うものを身近に感じさせてくれる。そんな中、不思議なことではあるが、心の中に恐怖は無かった。


「よし……第二小隊は和田川に到達したか?」

「はい、今連絡が入りました。無事到達したそうです」

「分かった」


 俺は通信兵から渡された受話器を使って全小隊に伝える。戦場に入った興奮からか、手が僅かに震えていた。


「これより第一小隊は、陸自部隊がいる市役所へと移動を開始する。もう一度言うが、敵を多く殺すことが目的じゃない。敵と遭遇しても絶対に交戦はするな、いいな! 移動開始!」

 

* * *


~六月二三日 新兵教育修了日~


「申告します! 訓練兵九二名は、新兵教育訓練を修了いたしました事をここに申告します! 参謀総長に対し、敬礼!」


 山の頂にまで届きそうな『必勝』という声が辺りに響き渡り、四週前までまだ子供だった一六歳から一八歳の訓練兵達は、もう一人前の兵士として戦場に出せるくらいに成長していた。参謀総長の言葉が終わって解散の号令がかかると、訓練兵――いや、二等兵達は達成感に包まれ、歓喜していた。


 助教である五人の少尉は『よくやってくれた』『期待している』といった言葉をかけ、今までの苦労を労っている。俺は一人一人と笑顔で握手を交わし、彼等と共に戦えることが恵まれているとさえ感じていた。


「おい! 各小隊長は作戦室に集合! 二兵(にへい)らは生活館の清掃を実施すること!」


 瑞穂少佐の命令に従い、小隊長である五人の少尉は会議室へと向かった。ホワイトボードにはプロジェクターで地図が映し出されているが、一ヶ月前に見た地図とは少し様子が違っている。赤い範囲が徐々に南へと降りてきているのだ。


「全員揃ったな。ではこれより、今後の我々の行動計画について下達する。始めに二三日現在の状況はこの通り、なんとか抑えているが、いつこの防御線が崩れるかわからない。北海道と九州の部隊を近畿地方に充てるという話は出ているものの、どうなるかは分からないな。とにかく、最悪な状況から脱していないのは変わっていない」

「少佐、それで行動計画と言うのは――」


 凪が軽く手を上げて興奮気味に食いつくが、それを鎮める瑞穂少佐は何時になく冷静だった。


「まあ落ち着け、青葉少尉。急がんでも戦争は終わらんねんから」

「その通り、残念な話だがそう簡単に戦争は終わらない。我々AAOは陸自第三七普連、第二中隊が防衛している堺南区役所へ補給任務に就く。二二日午後九時頃に給水車が敵の攻撃を受けたため、彼らには二日分の水しか残っていない。川の水を浄化できる浄水セットの到着は五日後になっていて、それまでに繋ぎとしての水400Lを届ける必要がある。これが私達の初めての任務だ」

「なんだ、補給任務か……」


 初めから本格的な戦闘を覚悟していた俺は、補給任務という事で拍子抜けしてしまい、思わず言葉が漏れてしまった。


「深宙少尉、補給は重要だぞ。候補生の時に習っただろ? 補給ほど重要なものは他に無いと言って良い」

「は、はい。申し訳ありません」

「話を戻して、この任務のために20Lのポリタンク二〇個を用意した。君達にはこのルートを進んで、目標の区役所に水を届けてもらいたい。敵は二km先のこの公園で押さえてはいるが……交戦する可能性もある、十分に注意してくれ。それと、区役所では四七人の民間人を保護しているとの事で、これを救助するために陸自 第三飛行隊所属のCH-47J 輸送ヘリコプターが一一時三五分に二〇〇m離れた小学校のグラウンドに着陸する。収容後は低空かつ高速で離脱するので、誤射の無いように気を付けてくれ。他には……うん、特異事項は無いな。任務の成功と全員無事帰還を祈っている。二四日の二〇時より最終ブリーフィングを行うので、覚えておくように――以上」

「気を付け、敬礼。必勝!」

「必勝」


* * *


 作戦室から出ると、俺たちは初めての作戦投入の話に興奮していた。まだ二日あるとはいえ、本格的に戦場に赴くという事に、まるで遠足前の小学生のように無邪気に喜んでいたのだ。喜ぶようなことではないのかもしれないが、AAOの士官として、一度は戦場を体験してみたいと切望していたのだった。


「ねえ凪、ついに実戦だよ! 待ちに待った実戦!」

「滅茶苦茶嬉しそうじゃん」

「だって、やっと訓練以外の事できるんだよ?」

「確かに、戦場に出れるっていうのはちょっと楽しみだけどね」


 そこへ日照が不安を訴えてくる。口ぶりから察するに、やはり皆の事を案じているのだろう。死を身近に体験した彼女だからこそ、今回の任務に対する不安も人一倍大きいはずだ。


「でも、もしかしたら戦死者も出るかもしれませんし……私は素直に喜べません」

「日照……そりゃ死ぬのはちょっと怖いけど、私達がやらないといけない事なんだし」

「凪さん、分かります。ただ、私が心配しているのは……」

「兵士達の事か?」

「ええ、巡さんの言う通り。あの人達が死んでいくと考えると、私はどうしても――」

「日照、余計な事は考えない方がいい。ただ任務を完遂することだけを考えるんだよ」


 偉そうな口を叩いてはいるが、俺だって戦場は初めての経験だ。死傷者は出るかもしれないが、心のどこかで戦場を理想化していた部分があった。映画や小説の中でしか見ることの無い戦場を思い描いていたのだ。


「でも、それでも……私の命令で人が死ぬと考えると……」

「大丈夫大丈夫! そうは言っても補給任務でしょ? しかも弾薬とかじゃなく水の」

「照月さん……まあ、確かにそうですけど。凪さんはどうお考えですか? 今回の任務で……誰か死ぬと思いますか?」

「……分からない、私はただ任務を全うするだけだし」

「そうですか……いざ出撃となると、少し怖くて」


 そこに小夜が口を挟んだ。


「誰だってそうよ、私もいい気分ではないわ。誰も死ななかったとしても、自分の部下が怪我をするだけで心が痛むもの」


 まさに小夜の言う通りだ。自分の命令一つで部下が死ぬこともある。死にはしないとしても、それで重傷を負ったりしていい気分なはずがないのだ。戦場に足を踏み入れる事に対する興奮と同時に、死傷者が出るかもしれないという心配も大きくなっていった。


* * *


 補給任務当日の朝。トラックにすべての水を積み終わり、それぞれ実弾を配られていた八時一五分。俺は千歳さんから一枚の紙を渡された。そこには『命令書』と書かれ、AAO参謀総長の印も押されている。


「これが通行証としても機能するから、無くさないようにしなさいね」

「はい、分かりました」


 グローブボックスに命令書を収納し、小銃を助手席に置いて出る。

 パワフルな見た目のSUVは車体と窓が防弾仕様となっており、マットなレンジャーグリーン色に塗られたその外観から、如何にも軍用車っぽさが滲み出ていた。しかしこれは軍用車ではなく、国産のSUV――中東の紛争地帯や民間軍事会社でもよく使用されるタイプの車で、タフさが尋常ではないとの評判は、AAOに入る前から知っていた。


 初めて乗る車にしては少々大きいのが心配ではあるが、人生初めて乗る車という事で、愛着が湧き始めている。そして敵の銃弾から身を守ってくれるという事が何よりのお気に入りだった。運転自体もとても楽しいと感じる。


「各小隊長は集合!」


 四人の若い指揮官達は、お互いにお互いを鼓舞していた。五人でないのは、日照の持つ第四小隊は駐屯地を警備する役割を持つからであった。それぞれが小隊を受け持っているが、そんな中でも俺は各小隊を統括する『中隊長』として任命されたのだ。

 『任務を完遂しよう』『みんなの無事を祈ります』といった言葉が行き交い、やがて作戦投入の時間となる。

 浅嶋少佐の『全員で帰れよ』という言葉を背負い、俺たちはこの静かな山の麓から、硝煙の匂いが立ち込める戦場へと足を踏み入れたのだった。


* * *


「小隊長、第二小隊と第三小隊が目標地点に到達しました」

「分かった、警戒させろ」


 縦一列で足早に進んでいると突如木々が生い茂っているところから声がした。覇気のある声で制止させられ、よく目を凝らしてみると徹底的に偽装を施した自衛官が歩哨に立っていたのだった。


「止まれ! 誰かッ!」

「AAO所属 少尉 深宙 巡です。水の補給に参りました」

「通行証の提示を願います」


 ポケットに入れていた紙を広げて見せ、直接区役所にまで案内をしてもらえた。途中、第三小隊が目視で警察署を確認したと連絡が入り、順調に事が進んでいると安堵する。

 通りかかった警察署の駐車場には自衛隊のテントや車両、周りの交差点にも機関銃陣地と、明らかに戦時下の様相を見せており、トラックの中には銃弾を受けたような傷がある物もあった。


「中隊長、AAOの深宙少尉がお見えです」

「AAO? あぁ……分かった、すぐ行く」


 案内してくれた自衛官はテントの中に入り、中隊長と呼ばれている男に声をかけた。随分と若く見えるが、あれで中隊長とは大したものだと感じる。

 やがて俺の前に姿を現し、補給に対して謝意を述べていた。


「初めまして、私は第三七普通科連隊 第二中隊 臨時中隊長 三等陸尉 永山 達也(ながやま たつや)です。水の補給、本当にありがとうございます」


 顔に偽装クリームを塗っていても、明らかに寝不足だとわかる。目も少し充血しており、そもそも表情に疲労感が出ているのだ。この二ヵ月、不眠不休で戦い抜いてきたと素人でも分かるほど、彼は疲れ切っていたようだった。


「初めまして、AAO所属 独立歩兵中隊 中隊長の少尉 深宙 巡です。礼には及びません」


 お互い握手を交わし、早速第三小隊に水を積んだトラックごと移動してほしいと連絡した。

 万が一敵に攻撃された場合、全ての水を捨てることになりかねないため、最初の80Lは兵士に運搬させることになっていたのだ。近くに敵の脅威が無い事を確認した今、無駄に労力をかけて持ってくることはない。

 部下に指定の場所へ水を運ぶように指示し、俺は詳しい現状を尋ねることにする。


「中隊長」

「あぁ、永山でかまいませんよ」

「それでは永山さん、現在の状況を詳しく教えていただきたいのですが」

「現在……この荒山公園を主抵抗線としています。西は第三中隊が信太山演習場で敵を叩くため敢えて誘引させていますが、我々は敵をさらに南下させないために、本作戦地域の死守を命じられています」

「そちらの兵力はどのくらいですか?」


 大きくため息をつくと、彼はばつの悪そうな顔をした。


「……正直に言います、最悪です。第二中隊は二一六名居ましたが、四七名が戦死、五八名が重症により移送。残りの内三三名も軽傷ではありますが、負傷しています。……戦死した人員の中には中隊長も――」

「せ、戦死……されたんですか?」

「はい。もう階級の高い隊員が自分以外居ないものでして、こうやって中隊の指揮を執っているんです」


 なるほど、やけに若い中隊長だと思っていたがそんな事情で部隊を指揮しているとは。

 そう思っていた時、ふと永山さんが外を指さした。そこにはブルーシートで覆い隠された何かがある。


「あそこで眠っているんです、一番右端の場所にね。まだ移送用のトラックが来ていないので、外で寝てもらっているんですよ」

「……あの方々のためにも、ここを守らないといけないんですね」

「ええ、そうです。中隊指揮の経験なんかこれっぽちもないんですがね」


 自虐を冗談のように笑いながら言っている彼を見ていると、こうも戦場が身近にあったのだと驚かされるばかりだ。駐屯地で過ごしていた二ヵ月間、特に爆撃があったわけでもないし、工作員こそ捕まえはしたが、それ以降はこれと言って大きな事件も無かった。度々見る勢力図も赤色が増えているものの、自分の心のどこかで遠い場所で起きていることだと思い込んでいた節がある。


「AAOもこれが初任務ですから、お互い頑張りましょう」

「はい、もちろんです、と言いたいところですが……通信機も無いですし、弾薬の補給も滞りがちですからね」

「通信機ですか?」

「ええ、二ヶ月前にEMP攻撃があった時から壊れてしまっていて、連隊本部へ補充を要求しているんですが、まだ答えを貰っていないんです」


 通信環境が良好でなければならない事は素人でもわかることだが、それが未だに構築されていないことに対し、驚きを隠せなかった。


「じゃあ、どうやって連絡しているんですか?」

「スタミナのある隊員に走ってもらっています」

「車両で行き来は出来ないんですか? もしくは自転車とか」

「ここでは燃料が貴重になりましたからね、あまり無駄遣いはしたくないんです。自転車もあればいいんですが、市民の所有物を許可なく使用する事は問題ですし、ほとんどの自転車は鍵がかかっていますからね」

「苦労されてるんですね……」


 永山さんはポリタンクを運んでいる兵士達を眺め、眉をしかめてこう続ける。


「……苦労してるのはあの子達――いや、君達を含めた国民全員が苦労してますよ。まだ高校に行っている歳なのに、こうやって戦いに巻き込まれるっていうのは」

「これは自分で決めた道ですから」

「そう……ですか。それにしても、今の時間に到着してよかったですね。朝の内に来てたら巻き添え食らうことろでしたよ」

「巻き添え?」

「えぇ。指揮所が小学校にあるんですが、そこまで敵の偵察が来まして、大暴れした後帰っていったんです」

「敵の偵察が……そこの小学校ですか!?」

「はい、そこは中隊の指揮所として使っていたので、被害がかなり出ました」


 敵がそこまで近づいていたという事を聞き、この陣地も長くはないと判断せざる終えなかった。さらに主要な指揮官が亡くなったという事は、これまでなんとか耐えていた部隊が総崩れになる恐れもある。永山さんなら大丈夫、とは言い切れず、物資も人手も足りていないところで、取るべき選択肢は――。


「撤退はどうですか? お考えですか?」


 『撤退』という二文字に敏感に反応し、大きく溜息を吐いてから心の内を吐露した。


「はぁ~……実をいうと、今すぐ撤退したいんですよ。こんな状態でまともに戦えるはずが無いのですが……やはり命令ですから」


 確かに大阪で敵を食い止めたいのは理解できる。だが、他の地域から部隊を投入するわけでもなく、ただ貴重な人員と物資を消耗するだけの戦いが賢いとは思えない。


「とにかく、補給に関して本当に感謝しています。浄水器が無い以上川の水も使えないので、飲み水の確保に悩んでいたんです。水道もずっと前に止まりましたからね」

「なるほど……」


 そういったやり取りをしていると、深刻な顔をした自衛官が駆け寄ってきた。さっと敬礼をし、永山さんに報告する。


「永山中隊長、阪和道の壁が抜かれました!」

「はぁ!? 壁のどこが抜かれたんだ!」

「和田川西、赤坂台五丁目の住宅地に流入しています……」

「馬鹿野郎ッ! それを止めるのがお前らの仕事じゃねえのか!!!」

「敵の戦力はこちらの三倍はあります、まだ弾薬の補給も終わっていない状況ではとても――」


 今まで優しく話していた永山さんが、報告をしている隊員の頬を拳で殴った。殴られた隊員は一瞬よろけたが、すぐに気を付けの姿勢に戻る。


「根性がねえんだよ! 頭使って戦えよ!」

「……第三小隊も砲撃によって相当な被害を受けています」

「もう……なにやってんだよぉ……!」


 テーブルを手のひらでバンッと叩き、噛み締めるように言葉を吐き出していた。俺は報告していた隊員に壁とは何なのかを聞いてみる。


「壁って何ですか?」

「はい、阪和道は防音壁がありまして、それを壁として使う事によって敵の侵攻を妨げていました。北側に繋がっている橋やトンネルも爆破したのですが……抑えきれませんでした」


 隊員の胸ぐらを掴みかかり、永山さんはますます問い詰めていく。


「抑えきれませんでしたじゃねえんだよ!!! お前のせいでここ守れなかったらどうすんだよ!」

「申し訳ありませんでした!」

「うるっせえよ! さっさとここの守り固めろ! 民間人もいるんだぞここは!」

「了解!」


 永山さんは目頭を押さえ、防弾チョッキを着用してこう続けた。


「……お見苦しいところお見せして申し訳ありません。聞いての通り、また戦闘があると思います。水の運搬を急がせましょう」

「それもそうですが……」


 明らかに不利なこの状況――民間人を救助するためのヘリは一一時三五分に到着するはずだ。それまでなんとしてもここを死守しなければならないのら、俺達AAOもそれに協力しようと考えた。どの道、この中隊は一〇〇%パフォーマンスを発揮できないだろう。俺は防御作戦を練るため、通信兵に第二小隊長の凪を呼び出した。


 五分ほど経ち、凪が現れて早速作戦を考え始める。

 まず敵が流入した住宅地での戦闘は交戦距離が近くなりがちになるため、同士討ちの危険がある。そのため一旦畑の方へと誘いだし、東側の道路に面している土地に装甲車や機関銃を配置、いわゆる十字砲火の状況を作り出そうと考えた。

 だがこの作戦にはいくつか壁がある。畑へと誘いだす囮の部隊が必要であること、効果的に火力を集中できるかどうかという事、そもそも陸自がこの作戦に協力するかどうかだ。


 ただでさえ少ない戦力の中から囮のために何人か抜き取ろうというのはいささか不安な点として挙がる。それに永山さんがこれに協力しなければ作戦は成立せず、AAO単独で実行しても相当な被害を被るというのが凪の予想だった。


 現在時刻は一〇時五七分――三〇分と少しを耐えればヘリによって民間人を救助できるが、敵が十字砲火に晒されていると気が付いた場合、すぐに公園側から俺たちの側面を狙うはずだと予想される。とにかく実行に移した場合、如何に敵を釘付けに出来るかが重要だと断言した。要は時間を稼ぐのが目的なのだ。


「永山さん、ぜひこの防御作戦にご協力をお願いします。民間人がここを脱出するまで、なんとか持たせないと――」

「いや……ダメです。そちらの任務は水の補給であるはずです。それを逸脱してまで介入しようというのは、あまりに無責任ですよ?」

「永山さん! この作戦についてどうお考えですか! それだけ聞かせてくださいッ! 効果がありそうか、無いか!」

「だから君は水を届けに来ただけだろう! 終わったんだから早く帰りなさい!」


 怒鳴り、机を叩き、イスを蹴り――彼はストレスが限界まで溜まり、感情の制御を全く出来ていないと言っても過言ではなかった。突然上官が死亡し、他に階級の高い者がいないからといって中隊長に任命され、残った百数名と民間人の命を預かるともなれば、心理的な負担も相当なものだろう。


 ただ実際、感情の制御を出来ていなかったのは俺も同じだった。正義感と感情でのみ突き動かされ、任務の範囲を逸脱しようとしているのは事実。でもそれが正しい事だと信じ、こうやって行動していた。


「いいえ、帰りません! AAOの一員として、民間人を避難させるまで戦わせてください!」

「戦うとしても、素人が作った作戦には協力しませんよ! どうしてもというなら、むしろこちらに協力してください」


 『素人』という言葉は耳が痛くなる。経験が浅く、知識も不十分な俺たちは確かに『素人』だ。いくら凪が作戦立案のセンスがあったとしても、彼らは俺達と違ってプロなんだと、その差を認めざるを得なかった。


「それは……わかりました。第三七普通科連隊 第二中隊の指揮下に入ります」

「ちょ、ちょっと、巡!?」

「そうするしかない。三〇分程度の時間稼ぎなら、俺たちにもできるはずだ」

「……本気? 司令部に判断を仰いだほうが良いんじゃないの?」

「いや、大丈夫。事後報告で十分だよ」


 怪訝そうな表情を作りはしたが、自分に止める権限が無いことを悟ったのか、渋々凪は各小隊に連絡を入れる。

 永山中隊長の作戦はとにかく敵を食い止める事。そして敵の後方が手薄になったところで損耗率の低い陸自側の小隊を投入し、一時的にでも後退させるという作戦だ。こうして聞けばうまくいきそうな感じがするが、そう簡単にいけば苦労しない。


 AAO第一中隊の任務は、敵が抜けた地点を守っている陸自第二小隊の予備部隊として待機すること。もし第二小隊が敵からのさらなる攻撃を受けた場合、俺たちを投入するというわけだ。凪が言うには『どうなるかわからない』と言うが、単純な話で時間稼ぎだ。三〇分も稼げるのならば、むしろそれでいい。


 待機場所の畑には青々とした草が生い茂っており、草むらをかき分けて地面に銃を固定する。視界はあまり良くないが、敵が立っていれば十分狙える位置だと感じた。


 気がかりなのは自衛隊の装備だ。あの迷彩は緑に溶け込みすぎており、動かなければどこに彼らがいるのかもわからなくなる。誤射に気をつけろとは言うが、本当は陸自の位置も正確に把握できていなかった。


 少しすると銃声が近くなり、敵が間近まで迫ってきているのだと確信した。どこだ、どこにいるんだと目を凝らしてみても敵がいるのかはわからない。時々爆発音もし、銃声は激しさを増していく。

 そんな中、通信兵が受話器を持って受け答えをしていた。


「――了解。中隊長、自衛隊第一小隊が敵と交戦しました。川を渡った西の団地です」

「敵の規模は?」

「一個中隊が正面に展開していて、そのさらに西側に侵攻中の敵部隊が確認されています」

「こことここ……地図で言えばここらへんか?」

「えっと……はい、ここと……ここです。間違いありません」


 地図を指差して位置を確認し、俺は敵の部隊がどのように進むのかを考えた。


「側面を取られたのか……その先は自衛隊の小隊が守っているはずだが……」

「中隊長、自衛隊第三小隊も府立高校前で敵二個小隊と交戦しました」

「ってことはここか。西の部隊が守り切ってくれれば問題ないだろう」

「中隊長、もし守れなかった場合は――」

「大丈夫、俺たちで守ればいいさ。あと二〇分守ればいいんだよ」

「は、はい」


 しかし、自衛隊も中々粘り強いものだ。あれだけの被害を出しておきながら、こうやって戦い続けているというのだから――。


「ん? ……砲撃!」


 突然凪が大声で叫び、俺は反射的に地面へと伏せた。そして一秒もせずに近くで爆発が起き、土が背中に降りかかる。空気が力強く揺れるのを感じ、明確な恐怖を感じる。


「クソッ! ロクな遮蔽物が無いぞ!」

「中隊長! 敵が突っ込んできます!」


 そう言われた方向を見ると、敵がこちらに向ってきていた。特徴的なヘルメットに木製の長いライフル――迷わずに射撃命令を下す。


「全員射撃開始! 撃て! 撃てー!」


 一斉射撃が始まり、建物の影から出てきた敵は身を潜める。しかしどこからか銃撃を受けてしまい、数人の兵士が銃傷を負った。


「衛生兵! こっちに来て手当してやれ! 第一小隊は撃ち続けろ!」

「中隊長! 砲撃がッ!」

「いいから撃て! 撃て!!!」


 実を言うと、攻撃を受けている間も状況をしっかりと掴めていなかった。既に前方の陸自部隊が撃破されていたとしたらもう後がない。俺達だけで守り切れるはずもなく、ヘリが来るまでの二〇分を戦い、速やかに後退をしなければならない。


「ちょっと! 何をやってるの!」


 そこへ小夜が率いる三小隊が砲弾から逃れるように俺たちの元へ駆け寄った。


「砲撃を受けてるのよ!? 早く移動しないと!」

「そんなこと言ったって……じゃあ一小隊と三小隊はあの建物まで後退、二小隊はその援護だ。移動開始!」


 敵の射撃は正確すぎた。小隊が移動する最中、敵の弾は確実に一人、また一人を当てていく。いつからか機関銃によって身動きが取れなくなった俺達第二小隊は、ヘリ到着まで残り五分と言うところで壊滅状態に陥っていた。


「おい! 一〇時の方角だ! 撃て!」

「中隊長、もう弾が――!」


 悲痛な叫びさえも掻き消す銃声は、ますます俺の判断力を削いでいく。そしてやっとのことで現れたヘリを確認したところで、俺たちは後退の準備に取り掛かった。

 無線機の受話器を取って各小隊に命令する。


「ヘリが到着した。繰り返す、ヘリが到着した。第一小隊は直ちに車両の準備に取り掛かれ。第三小隊は援護だ、以上」


 二〇分の戦闘がほんの数分にすら感じられた。次々と銃弾や砲撃に倒れ行く部下を見て心を痛め、認識表を回収しては銃を撃ち、また倒れた部下の認識票を回収し――。やがて民間人を乗せたヘリ飛び立って行くのを見ていると、どこからか光のシャワーが機体に浴びせられた。


 対空砲だ。『民間人搭乗中』と機体に旗が付けられているが、そんなもの関係ないと言わんばかりの無慈悲な対空砲火が機体を直撃する。


「あぁ……チヌークが!」


 凪が絶望したように声を上げると、煙も上げずに住宅地の中へと突っ込み、ただ大きな衝撃と爆発音が周囲に響き渡った。あまりにもあっけない、戦争の理不尽さが形となって表れたようだった。


「クソっ!!! もういい! 第二小隊、車両の位置まで後退しろ!」


 何も考えずに命令を下し、とにかく残った兵士達を生かすことだけを考えた。すぐ側でぐったりと倒れている兵士を担いで運ぼうとする奴に対し、俺は認識票だけ回収しろと命ずる。


「おい! 死んだなら置いていけ! 認識票だけを――」

「中隊長!!! お願いしますッ!!! 彼女を連れて行かせてください!!!」

「今すぐここを離れないといけないんだ! お前の動きが遅いせいで別の奴が撃たれたらどうする!?」

「お願いします! お願いしまッ……! あぁッ!!!」


 放置された車の影から出ようとした所で、彼は胴体に何発もの銃弾を受けて地に倒れた。いくら呼んでも返事が無く、助からないだろうと判断して認識票を取って先を急ぐ。

 『悪く思わないでくれ、指揮官としての役目を果たしたいんだ』と心の中で唱え続けた。


 車は何時でも発進できる状態で、人数確認も終えているようだった。永山中隊長のいるテントに入って報告をする。


「必勝! AAO第一中隊、これより帰還します」

「……ああ、もう帰りなさい」

「はい、では健闘を祈ります」


 テントから出た途端、一発の銃声が響き、辺りに待機していた自衛官が焦った様子で中に入っていく。おそらく、永山中隊長は自分で――。

 それが間違っているとは思えなかった。突然指揮官に抜擢され、必要な物資も無いままに苦しい戦いを強いられ続けた彼は頑張ったほうだろう。


「各小隊、報告」

「第一小隊、現在一三名、八名戦死、三名負傷、以上」

「第二小隊、現在一一名、一一名戦死、二名負傷、以上」 

「第三小隊、現在一七名、四名戦死、五名負傷、以上」

「各小隊、車間距離を維持しながらAAO第一駐屯地へと帰還する。万が一敵と遭遇しても、絶対に交戦はするなよ。よし……乗車」


* * *


「第1中隊は作戦を遂行し、帰還したことを申告します。総員六四名、現在人員四一名、戦死二三名、重傷者四名、軽傷者六名。以上」


 参謀総長である千歳さんの前で報告をした後、俺は自室にて謹慎という処遇になった。本来の任務の範囲を逸脱し、避けることのできた戦闘を始めた挙句、出撃した内の三分の一もの兵士を失ったのは、もはや擁護することのできない愚の骨頂であると言われてしまったのだ。


 俺自身、感情に突き動かされて勝手に判断したのは悪かったと反省している。陸自の助けになるどころか、かえって現場を混乱させてしまったのかもしれなかった。とにかく、不適切な命令を出して死人を多く出したのは間違いない。いくら謝ったところで、死んだ兵士らは戻って来ないのだ。

 そう懺悔していると部屋のドアがノックされ、浅嶋少佐が顔を見せる。


「必勝」

「うん、座っててええで」


 敬礼を返すこともなく、ただ俺の隣に座って床を見つめている。気を遣ってくれているのかどうかは分からない。


「……初めての戦場はどうやった?」

「どうと言われましても……分かりませんでした。何も分かりませんでした」


 そう答えるしか無い、本当に何もわからなかったからだ。敵の位置、友軍の位置、適切な命令、全て分からないままだった。


「そうか……そうやろうな。深宙少尉みたいな若すぎる子に中隊長っていう重荷を背負わせて、戦場を経験させる……悪いのは私ら大人や。これだけは言える」

「……死んだ二三人をはっきりと覚えています。重傷を負った四人もです。あいつら、頑張って耐えてやっと兵士になったのに――」

「そうやな、でもそれが戦争やからな。誰一人死なんと任務を遂行すんのが理想やけど、あくまで理想や」

「おかしなものです……銃弾が飛び交うあの場所では何の感情も湧かなかったのに、今ここにきて事の重大性に気付いている。死んだ二三人には親がいて、兄弟もいて……」


 俺の命令で死んだのは仕方のないことではない。死ななければならない子たちでもなかった。俺の未熟さが人を死なせてしまったと思うと、涙が溢れそうになる。


「少尉は確かにその……命令違反したことになってるし、結果的に被害はかなりのものやったけど、その気持ち自体は悪いもんじゃないと思う。少なくとも、私はそう思ってるしな」

「ですが、俺は……じ、自分は……」

「過ぎたことを悔やんでもしゃーないやろ、死んだ奴らが戻ってくるわけでもないし。とにかく死亡通知書については……私が代わりに書くから、次に呼ぶまで何が良くなかったかを考えとき。失敗をただ失敗で終わらすんは無能のすることやで」


 部屋を出て行こうとした少佐と鉢会うように小夜と出会う。お互い敬礼し、小夜は部屋へと入ってきた。


「作戦、お疲れ様」

「あぁ……小夜もな」

「聞いたわ。謹慎なんだってね」

「……責任は取らないといけないだろ? 言い訳のつもりもないよ」

「そう……」


 彼女は元気づける言葉の一つもなく、ただ壁にもたれ掛かって窓の外を眺めていた。俺が小夜の立場だとしても、気まずくて下手に声をかけられないだろう。


「遺品整理はどうなってる?」

「今小隊員がやってるわ。泣き出す子もいて、ちょっと混乱してる」

「……死ぬ必要の無い奴らだった。一生懸命訓練に耐えて、これから一緒に戦っていくんだと信じていたのに……」


 小夜は黙ったままだが、こちらに視線を移したようだった。腕組みをし、戦闘靴の踵をコンコンと床に当てている。


「でも、今になって思うんだ。せっかくなら遺書を書かせたほうが良かったのかなって。そうすればさ、遺族の人達も悲しみがある程度和らぐ――」


 俺の言葉に突然声を荒げた小夜は、今にも俺を殴り倒しそうな勢いだった。驚いた俺は目を見開いて立ち上がった。


「あなた本気で言っているの!? 遺書があれば悲しみが和らぐって、本気で言ってるわけなのッ!?」

「え……そ、それは……えっと……」

「いい加減にしなさい! 全員無事に帰って来れるなんて事はこれから先滅多にないわよ。これは遊びでもなんでもない、人が死ぬ戦争なのよ。確かに同僚や部下が死ぬのは悲しいけど、それを乗り越えるべきよ! それにあなたは中隊長として命令を出す立場だったんだから、一人の死で一喜一憂するなんて事――」

「分かってるよッ! でも俺の命令で人が死んだんだぞ!? 小夜が俺の立場ならショックを受けずにいられるのかよッ!?」

「私もショックは受けるけど、次はどうすれば犠牲を少なく出来るかっていうのを考えるわ。たとえ結果に繋がらないとしても、遺書があれば良いとか、そういう無責任な事は絶対に考えない……ッ!」


 無責任という言葉が重くのしかかる。悔しさを感じる事もなく、小夜の言葉を心の中で繰り返していた。無責任な事は絶対に考えない。どうすれば犠牲を少なく出来るか。


「……ごめんなさい、少し言い過ぎたわ。でももう一度、どうして自分がここに居るのかを考えてみたらどうかしら。テストで適当に点数取って三年過ごしたら卒業できる高校とは違うのよ。よく考えなさい、ここは戦場よ」

閲覧頂きありがとうございます。ブクマ・評価などよろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ