6、靴は固いままだが、数が増えた。
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・組織などとは関係ありません。また、作者は軍事に関する専門家ではありません。あくまで創作物としてお楽しみください。
訓練が始まって五日が経った。敬礼や行進等の基本教練を集中的に教育することは終わり、本格的に軍事訓練らしい事が始まっている。今は銃を受領して分解・結合の練習をしているところだ。自分でもおかしな事だと思うのだが、こういったことに関してとても物覚えが良い。素質があると言われ続けたからなのだろうか?
俺は分解したパーツを元に戻し、鋭い金属音を響かせた。実銃というのは触るだけでも気疲れしてくる。
「深宙候補生」
「士官候補生 深宙 巡!」
「この銃の名前は?」
「これはKM646自動小銃です」
「動作方式と使用弾薬は?」
「ガス圧利用式、5.56×45mm弾を使用します」
「候補生の銃器番号は?」
「はい、一五六七五三です」
一切指摘する事が無かったのか、しばらくじっとこちらを見つめてから日照の方へ歩いていく。少佐の口元が笑っていたような気がするが、きっと見間違いなのだろう。
「……覚えんの早いな。じゃあ春風候補生」
「士官候補生 春風日照」
「この部品の名前と役割は?」
「これは遊底解除ボタンです。後退固定された遊底を――」
日照もこの環境に素早く順応していた。どうやら栄養失調気味らしく、身長も体格も小さい彼女だが、食事の量を増やしてトレーニングに勤しんでおり、俺も南も見習わなければならないと思っていたところだ。実際、朝と夕方の三kmランニングは休憩なしで完走できるようになっており、毎日実施される筋力トレーニングのおかげで徐々に体力が向上している。
「南候補生」
「士官候補生 南 照月!」
「候補生の銃器番号は?」
「銃器番号、一五七七五七です!」
「……本当か? 見せろ」
そう言って浅嶋少佐が南の銃を取り上げようとする。だが南は取られまいとしっかり両手で握っていた。これは全くもって無礼な行動ではない。銃は自身の第二の生命であり、いかなる状況でも他人に取られてはいけないと教育を受けた。南はそれを実践しているというわけなのだ。
「……うん、その調子や。ついでに聞くけど銃器はなんや?」
「第二の生命です!」
「よし……分解結合も全員完璧みたいやな。何度も言うけど、小さいバネ一つ無くしただけでも正常に動作せんくなる。もし無くした場合は一定期間捜索を行った後にまた補給するから、必ず報告すること、ええな? 始末書書くん嫌やからって黙っとったらあかんで」
「はいッ!」
「それから私物でアクセサリーパーツを購入してもええけど、必ず私に許可を取ってからにして欲しい。今日の教育は以上」
「全体、気を付け! 敬礼! 必勝ッ!」
「必勝」
銃を銃器保管庫に収め、トリガーガードにチェーンを通して鍵をかける。何丁もの真っ黒なライフルが乱れ無く並んでいる光景は、いつ見ても格好良いと思える。
「今日の教育はこれで終了やけど、今日から哨所で警戒勤務があるのは知っとるな。今からやと……深宙候補生が一六時三〇分から一七時まで、その後は南候補生って続く。一回銃器は直したけど、また持って単独軍装で正面ゲートに向かう事。解散」
警戒勤務とは、基地や駐屯地の警備をすることだ。不審者だけでなく、民間人が勝手に駐屯地内に侵入しないように三〇分歩哨に立つ。その間、南と日照は駐屯地外周を歩いて不審物や侵入形跡の有無を確かめるのだ。本来であれば実弾が配られるはずだが、射撃訓練がまだなので銃剣を付けた状態で勤務する。
「はぁ~、訓練で疲れたのにまた訓練って……」
「仕方ないよ、立派な士官になるためだからさ」
銃の負い紐――スリングを肩にかけて南のボヤきに答えた。
「そりゃそうだけど……日照もしんどいでしょ?」
「いえ、私はそんなことないですけど……むしろちょっと楽しいです」
「え……」
少し言葉に詰まったが、確かに日照ならこの環境でも――いや、むしろこの環境だからこそ楽しいと思えるのだろう。彼女の負の記憶はすべてを楽しいと感じさせるのかもしれない。
「えっと……ヘルメットに装備、水筒……あ、ガスマスクバッグ忘れてたな」
「深宙君危なかったね、めっちゃ怒られるやつだよそれ」
「素質あるとはいえ、まだちょっと慣れないよな」
「そう? 私は慣れたけど?」
装備を付け終わり、ベッドから余裕の表情で立ち上がる彼女の右肩には何もついていなかった。規定ではL字型のライトを付けなければならないのだが。俺は笑いながら彼女に指摘する。
「ははは、余裕言ってる割には……これ、ライト忘れてるぞ」
「あぅっ……あはは……ありがとう」
浅嶋少佐に勤務開始の報告を終え、俺は一人で夕日が眩しい入口ゲートの前に立っていた。すらっと伸びたライフルを持って立っているだけでも軍人になった気がしてくるが、結局一人で三〇分も立っていなければならないというのは罰に等しく、段々注意が散漫になってくる。いや、俺の任務は不審者が侵入しないか見張ることだ。木々に隠れて近づいてくるかもしれない。
俺は林の中を見渡し、何か動くものがないかを確かめた。まあ結局ここは前線でないため、そう簡単に敵など見つかるはず無いのだが。
それにしても本当に美しい場所だ。こうやってゆっくり自然の中で暮らすというのも悪くはない。戦争が終わったら、貯金した給料でどこか別の田舎に住むのも――いや、母さんの墓がある。しばらく大阪を離れるのは難しそうだ。
そろそろ二〇分は経っただろうと思い時計を見ると、一六時三七分。一〇分も経っていなかったのか……と、俺が心の声を漏らしたとほぼ同時に、道路の方から軽々とした足音が聞こえてくる。あっという間に南達が一週回り終えてきたようだ。そう思って足音の方へ目を向けると、そこには汗をダラダラとかいている金髪の女の子がいた。綺麗な髪を三つ編みにして、それをお団子にしてまとめている。
「はぁ、はぁ……やっと着いたぁ」
その女の子は地面に座り込み、持っていたペットボトルの水をすべて飲み干した。俺はすかさず退去するように告げる。
「あの、民間人の方はこれ以上進むことができません。引き返してください」
「……ここ、AAOなんですよね。自衛隊じゃなくてAAOなんですよね!」
「えっと……はい、そうですが……」
そう答えると、目を輝かせながら俺の銃と装備を食い入るように見つめる。
「やっぱ自衛隊とは違うなぁ……! ODの戦闘服にマルチカムトロピックのヘルメット……ACHっぽいなぁ……銃はM16か……折り畳みのリアサイトってことはスコープが配られる……? ていうか固定ストックじゃなくて伸縮タイプ……あれ? プレキャリじゃないのはなんでだろ……」
独り言で軍事用語をぶつぶつと言いながら近づいてくる。思わず銃剣を女の子に向け、身分証の提示を求めた。
「停止! 停止! それ以上近づかないでください。それと、身分証の提示を――」
「え? あぁ、ごめんなさい。私、瑞穂さんの知り合いです」
そう言って保険証を渡してきた。青葉 凪二〇〇〇年生まれ……同い年のようだ。住所は和歌山県になっている。瑞穂さんの知り合いというと、面会か何かだろうか? 俺は哨所の中に入り、内線電話の受話器を手に取って番号を打つ。
「はい、こちら司令部」
「必勝、士官候補生 深宙です」
「お、巡か。どうした?」
「えっと……青葉 凪さんという方がお見えです。面会ですか?」
「え? ああ! そう言えば今日だったか……いいよ、ちょっと待ってくれ、すぐに出る」
「分かりました。必勝」
受話器を元に戻してから青葉さんに身分証を返却する。彼女は俺の持つ銃に興味津々の様だ。
「こちら保険証です。それと瑞穂さんがすぐ来るようですから、少々お待ちください」
「あ、どうも。あのぉ……その銃、一回持たせてもらってもいいですか?」
「いえ、ダメです」
俺が強く断ると、彼女はもうそれ以上お願いすることは無かった。仕方ないか、という表情で頷いている。
「そっか……そうですよね。そちらは高校生なんですか?」
「もともとはそうです。一年生だったんですけど、青葉さんもですか?」
「え? 名前……あ、保険証で見たのか。私も高校一年だったんですけど、今休学中で」
「そうですか。まあ、大変な時期ですからね」
「えぇ、まあ」
そういえば、この青葉さんと瑞穂さんはどうやって知り合ったのだろうか? 俺は一つ質問してみることにした。
「瑞穂さんとはどういう経緯で知り合ったんですか?」
「昔、親と一緒に瑞穂さんの事務所に行った時に会ったんです。それからは共通の趣味だったっていうのもあって――」
「あぁ、こういう銃とかお好きなんですか」
「そうなんですよ、変わってますよね」
「いえ、そんなことはないと思いますけど……あぁ、なるほど。そういうことか」
偶然同じ趣味だったっていうのもあって知り合いになったわけなのだろう。それにしても、この子は歩いてここまで来たように見える。いや、まさか。
「あの、ご自宅はどちらに?」
「ここから二時間くらいのとこです」
「結構かかるんですね」
「歩いてですよ」
「えぇッ!? 歩いて来たんですか!?」
「はい!」
満面の笑顔で答える彼女の表情から疲労感は感じられなかった。しかも女の子でなんて驚きだ。
「すごいですね。女の子なのに――」
俺が『女の子なのに』という言葉を発したとたん、笑顔が崩れて悲しげな表情になったのがはっきりと読み取れた。なにか地雷を踏みぬいてしまった気がする。一言謝ろうと思った所に、瑞穂さんがやってきた。
「ごめん、待たせた」
「あ、瑞穂さん。お久しぶりです」
俺は教えられた通り瑞穂少佐に対して敬礼をした。民間人の前ということもあるため、すこし緊張している。
「必勝!」
「うん、勤務ご苦労」
ゲートを開け、青葉さんを中に入れる。すれ違いざまに聞こえるか聞こえないかぐらいの声で『気持ち悪いよね』と言われ、俺は自分に言われたのだと思い、少し後悔してしまった。あの時、すぐ謝っていれば……。
* * *
次の日の朝、俺たち三人はいつものように朝のランニングで汗をかいていた。心臓が破れそうなくらいに脈打ち、見上げた空は水色で、白い雲がゆっくりと流れていく。そよそよと春の風が熱を持った体を冷まし、この爽快感に身を委ねていた。
「深宙君、今日はタイム縮んだよね?」
「あぁ、えっと……一四分一秒だな」
「やったぁ! ついに一三分台だ~!」
「はぁ、はぁ……。違います照月さん、まだ一四分台です」
喜ぶ南に対し、冷静に訂正をする日照はまだ息が上がっている。栄養失調気味だった彼女は1kmを走るのでさえもひどく辛そうにしていたが、その根性は計り知れないものがあった。
「総員、気を付け」
浅嶋少佐の号令に、俺たちは姿勢を正して反応する。一緒に走っていたはずなのだが、数滴の汗をかいている以外は一切息が上がっている様子がないのをみると、流石だとしか言いようがない。
「こんなところで悪いけど、紹介したい子がおる。さ、自己紹介して」
青葉 凪です。本日より、士官候補生として教育訓練を受けます。よろしくお願いします!」
昨日の金髪の子――そうか、あれは面会ではなくて訓練のために来たのか。そう思って数秒後、俺は彼女から『気持ち悪い』と言われてしまったことを思い出した。もう会うことはないだろうと思っていたのもあり、妙に気まずさを感じる。
「青葉候補生は君らよりも軍事知識が豊富やから、なんか分からん事あったら聞いてみたらええわ。あと基本教練についても教育は終えてるから、今日から君らと同じ訓練を受けさせる。質問は?」
「……ありません!」
「そしたら朝食を済ませて、7時丁度に単独軍装を着用して生活館前に集合。以上」
「総員、気を付け。敬礼」
静かな山の麓には、覇気溢れる『必勝』の声が響き渡った。
それから俺を含めた四人で食堂へと移動し、朝食を取って席に着く。今日はパンが出てくる日のようで、ヨーグルトに目玉焼き二つとソーセージ、サラダにりんご。これくらいなら理想の朝食と言えるだろう。
「いただきます」
俺は青葉さんに昨日の事を尋ねてみることにした。
「青葉さん、昨日の事なんですけど……」
「え? はい、なんですか?」
「いやあの……何か不快にさせてしまったのなら謝ります。すみませんでした」
「……?」
頭の上に疑問符を大量に浮かべながら考え込んだ後にブロッコリーを飲み込むと、彼女は思い出したかのように声を出した。
「あぁ! 銃剣向けられたことですか?」
「え、銃剣? ……深宙君、本当にそんなことしたの?」
「巡さん、いくら何でも銃剣を向けるのは……」
南と日照がここぞとばかりに会話に交じる。
「いや、銃剣はその……そういう決まりだろ?」
警戒勤務中、不審な者や民間人が駐屯地周辺にいた場合、銃剣を用いて威嚇するようにと教育されていた。あくまでも俺は習った通りにしただけなのだが――。
「確かにそういう風に習いましたが、参加希望の方に対して刃物を突き付けるのはどうかと思います……」
「そうだよ、深宙君が神経質になりすぎてたんじゃないの?」
威嚇についての必要性を追及されるまでになったところで、やっと青葉さんが口を開いた。
「別にそれなら気にしてませんよ。私がライフルを持たせてって言ったんだし、当然威嚇くらいはされますよね」
「え? あぁ……はい」
『気持ち悪い』と言われた原因が『女の子なのに』という言葉にあるのは明白だが、なぜか彼女はそれを取り上げようとしない。それどころか、全く別の事に関して触れているのを見ると、本当に気にしていないのかもしれないと思え始めた。なんにせよ、初対面でああいうことを言われるとは思っていなかったので、俺は必要以上に憶病になっていたようだ。
「この際だから自己紹介するね。私は 南照月」
「春風 日照です。よろしくお願いします」
「こちらこそよろしく。ねえ、訓練ってどう? きつい?」
「割ときついよ~。青葉さんは――」
少々硬い空気になるのを嫌ったのか、彼女は下の名前で呼ぶように言う。
「凪でいいよ」
「分かった。凪は体力ある方なの?」
「自慢じゃないけど、結構自信あるんだ~。普段から運動しててね」
「わぁ、羨ましいです。私はついていくのがやっとで……」
「そっちの日照さんは――」
朝食を食べ終えて部屋へと戻り、戦闘服と単独軍装を身に着ける。各種ポーチが付いたベルトとハーネス、ヘルメットとガスマスクバッグのセットを単独軍装と呼ぶが、凪は説明をする前に完璧に装着していた。軍事知識があるとは知っていたが、これには俺も驚かされた。
「へぇ~、やっぱすごいね。凪はそれどこで覚えたの?」
「まあ、ちょっと色々調べてね」
世間一般でいう『ミリタリーオタク』というものなのだろう。軍用品に詳しいのもその影響か。
「よし、じゃあ行こうか」
正直なところ、凪に対する疑問はいくつか残っている。まず一つ目は『なぜここまで歩いてきたのか』、二つ目は『なぜ不快に感じた事を気にしていないように振舞っていたのか』ということだ。
一つ目に関しては和歌山県から来たという情報を持っているため、EMP攻撃による影響で車が使えなくなったという事は有り得ない。それにここはバスも通っていないので、両親に頼んで送ってもらうしかないはずなのだが、それが出来ないという事は……親が彼女のAAO参加を否定的に捉えているかもしれない。しかし参加の許可は必要なはずだ。百歩譲って参加を認めはするが、送迎はしないという事なのか?
二つ目はそう振舞う理由の見当がつかない。本当に気にしていないだけなのかもしれないが、ああやって初対面の相手に『気持ち悪い』と言われると、思わず謝罪しなければならないように感じてしまうのだ。
いや、謝罪はともあれ『女の子なのに』という言葉が彼女を不快にさせたのは確かだ。俺はそういう扱いをされるのが苦手なのかもしれないと考えていた。
とにかく、これから一緒に訓練を受けていく同期なわけだから、仲良く付き合っていきたいと思う。途中参加とはいえ、同期は同期なんだ。俺はかかとを鳴らして集合場所である生活館の前へと向かった。
* * *
「ふぅ~……」
一日の疲れを癒した風呂から上がり、生活館前のベンチに腰かけていた。夜空がとても美しく、きらきらと光る星を見て、都会じゃこういうのは見れないなと改めて実感した。真っ暗闇の山を見ると、自然に対する畏怖の念に加え、少し恐怖感も生まれる。
「お、ここに居たんだ」
声がする方を向くと、凪が髪をまとめながら歩いて来ていた。ベンチの隣に座るよう促し、他愛もない雑談に興じる。そんな中で、俺は彼女に対していくつか聞きたいことがあった。『気持ち悪い』と言った意図と、どうして歩いてきたのかという事。二人の会話は途切れ、もう戻ろうかとも思い始めるころだが、俺は思い切って聞くことに決めた。
「なあ、凪。最初に話した時、『気持ち悪い』って言ったよな」
「気持ち悪い……あれ? 言ったっけ?」
「その、俺が女の子なのに――とか、なんとか言ったせいってのはわかるんだけど、なんで気持ち悪いって言ったのかなって……まあ、単純に罵倒なんだろうけどさ」
「……ん~? あ、もしかして『気持ち悪いよね』じゃない? それなら言ったけど」
「え? あぁ、そうか」
『気持ち悪い』『気持ち悪いよね』なるほど、少し勘違いをしていたようだ。だが、同意を求めるというのはどういう事だろう。疑問が解消されるどころかさらに湧いて出てくる。
「ちょっと待ってくれ、じゃあなんでそう言ったんだ?」
「だって巡君が『女の子なのにたくさん歩けて』って言ってたでしょ? だから」
「いやいや、俺は別に気持悪いって思ったわけじゃない」
単純にすごいと思ったのだ。普段から運動をしない人間であれば二時間歩くのなんて地獄の苦しみに等しい。
「……そうなんだ」
「ちょっと考えすぎだろ……あと、そもそもなんで歩いてきたんだ?」
「それは……その……」
困ったように口を閉じてしまい、俺は気が付いた。何か事情があるに違いない。
「話したくない事情があるんなら無理に話さなくてもいいと思うけど、なんにせよ、誤解が解けてよかったよ」
「……まあ、いずれ言うから」
「わかったよ。さ、そろそろ戻ろうか」
立ち上がってなんとなくゲートの方を振り向くと、人影のようなものが見える。目を凝らしてよく見ようとするが、闇が深すぎてよくわからなくなってしまった。見間違いなのだろうか? 俺は背筋の不快感をしっかりと感じ取ってはいたが、これが正常バイアスというものなのか、なんでもないと言い聞かせ続けていた。
* * *
朝日を浴びながらゲート前へと集合し、ランニングのために準備運動をする。
「よし、今日は一三分四〇秒以内を目標にしいや。いつまで経ってもダラダラ走っとったら敵に逃げられるで」
「よ、四〇秒……」
「ゲート開放、先頭は深宙候補生。前へ、進め!」
そうしてゲートを出ていつものルートへと走り出した時、なにかがフェンスの傍で横たわっていた。立ち止まって見ると、女の子が駐屯地の前に倒れこんでいる。それに気付いた浅嶋少佐は彼女に駆け寄って外傷がないか、息はあるかを確かめる。頬には生々しい痣が――。
「……寝てるだけなんか……?」
「ぅ……ぅぅ……」
小さなうめき声を出した後、起き上がって辺りを見回し、数人に囲まれているのを理解したようだった。少佐がいくつか質問をする。
「どこか痛いとことか無いですか?」
「え、あ……だ、大丈夫です」
「ここまでどうやって来たかわかりますか?」
「えっと……自転車で来て、それで……えっと……うっ、痛い……」
痣のある方の頬を抑えて痛みを訴えている。擦り傷はないので、転んで打ったわけではなさそうだ。
「とりあえず手当します。君らはランニングの続きを――サボったらあかんで」
「はい、わかりました」
『大丈夫ですか』と彼女に肩を貸す少佐の方を振り返ると、昨日見た人影はあの子だったんじゃないかと思えてきた。ただ、どうしてあそこで……後々本人から話を聞けばわかると思うが、今は気になって仕方がない。結局俺たちはサボることもタイムを誤魔化すこともせず、いつも通りにランニングを終えて朝食を済ませた。朝食中は倒れていた女の子のことで持ちきりだったのだが、どうも心が落ち着かなかった。
訓練の指示を貰うために部屋で待機していた所に千歳さんが訪れ、俺たちに軽く事情を話す。その子によると、両親は爆撃によって死亡し、今は親戚の家で住まわせてもらっているらしいのだが、その親戚が多額の金銭を要求するため、どうしようもなくなってこの辺りを彷徨っていた様だ。自分がどうしてあそこで寝ていたのか――どうして頬に痣があるのかはわからないと言うが、とにかくAAOに入れさせてくれと言う事を聞かないそうだ。
「それで、参加させるんですか?」
「そうねぇ……事実なら試験と面接を受けさせて合格すれば参加できるけど……」
「でも、話を聞く限り相当厳しい環境に居るんですし」
「うーん……あの子に何か素質があるのなら――」
「素質?」
驚いた。凪ならともかく、千歳さんは俺達に素質があると言っていたのだった。まだ体力も、知識も、リーダーシップも無いに等しい状態で、なんと素質があると――。
「春風さんに関しては、瑞穂の首を絞めた――つまり、極限状態でも生き残ろうと必死になった。私の妹が一枚上手ではあったけど、その勇気は十分素質があるように思えるわ」
「じゃあ、凪は?」
「青葉さんもそう、豊富な軍事知識と基礎体力は素質と言える」
「俺と南は……」
「あなた達は意思がある。戦って勝とうという意思があるの」
「そんな事言ったって……」
「私達は人手が足りないからとにかく全員合格させてるわけじゃない。ある程度素養を持つ人材を選んでいるの。分かる?」
「それは分かりますけど……」
「……皆も同じ考えかしら?」
どうやら俺だけでなく、三人も彼女の事に同情しているようだ。特に日照が入れてやってほしいと、言う事を聞かない。
「そう……とりあえずあなた達には、あの子の自転車を一緒に探して欲しいの。近くに置いてきたんじゃないかと思うんだけど」
「分かりました。近くを探してみます」
「えぇ、お願いするわ」
朝に彼女を見つけた場所に行くと、壁にもたれかかって俺達を待っていたようだった。
「えっと、初めまして。俺は深宙 巡です。こっちは――」
「南 照月です。この子は春風 日照で、こっちが青葉 凪」
「初めまして。枯宮 小夜です。ご迷惑をおかけして申し訳ありません……」
ぺこり、とお辞儀をする彼女の頬にはガーゼが貼られていた。あの痣はやはり殴られたのだろうか、と悪い想像ばかりしてしまう。
「いや、大丈夫ですよ。それで、どのあたりに停めたとかは――?」
「それが……よく覚えていなくて」
「そうですか……まあ、すぐ探せますよ。凪と日照はこの辺りを探してみてくれ、俺達三人で向こうの道沿いを見てくる」
「分かった」
まさか訓練を中断して自転車を探す事になろうとは。俺は近くにいる枯宮さんに話しかけてみることにした。
「枯宮さんはおいくつなんですか?」
「一六です」
「へぇ、偶然も偶然ですね。さっき自己紹介した子たち、全員今年一六歳で同い年なんですよ」
「そうなんですか……随分楽しそうですね」
「まあ、そうですね。高校の代わりにここで過ごしているようなもんですよ」
「……本当、楽しそう」
そう呟いたのを見て、俺は胸が締め付けられるような思いになった。どれほど苦労をしてきたら夜中に逃げ出すくらいの行動を起こすのだろうか。道から外れてどんどん林の方へ進んでいくと、南から声をかけられた。
「深宙君、あれってそうじゃない?」
指さされた方を見ると、男が自転車に乗っていた。枯宮さんはあれが自分のだという。
「……なんであの人に乗られてるのかしら……?」
「ちょっとおかしいですね。なんか様子が……」
男は駐屯地の方へ向けてカメラを向けている。持っているのはデジタルカメラで、迷彩のジャケットにジーパンを履いていた。明らかに自衛官ではない。工作員の可能性があると思い、南へ哨所まで回り道をして連絡するように伝え、俺は男が逃げないように時間稼ぎをするため、職務質問を装って話しかけた。
「すいません、ちょっといいですか」
俺の方を一瞥すると、カメラを仕舞ってポケットに手を突っ込む。
「はい、なんすか?」
「ここで何をされているんですか?」
よく見ると髭が生えてはいるが、かなり若い見た目をしている。
「……近所に軍隊が来たっていうんで、物珍しさに見に来たんすよ」
「そうですか……写真撮影はご遠慮いただいています。この場で削除をお願いします」
「あぁ、そうなんすか? すいませんね~、オレ全然知らなくて~」
ヘラヘラと笑っている男はデジカメを操作し、すべての写真を消していく。さりげなく背中に回ったところ、首筋に刺青が見えた。確か多元宇宙の人間は首筋に国章を彫るという文化があったはずだが、まさか。
俺の視線に気づいた男は態度を一変し、凍てつく様な口調で俺に質問をする。
「こっから一番近いコンビニって……どこかわかります?」
「……いえ」
「そうかぁ……バイトの面接行かなあかんねんけどなぁ。ちょっと調べてくれません?」
「申し訳ないのですが……ご自身で解決してください」
「……お前やろ、殺したん。アイツとの連絡が途絶えてもう一週間以上経ってるんや。この国章……知ってるやろ? お前やな?」
俺は手が震えていた。この手で殺した奴の仲間だと、よく考えなくとも分かることだ。今の俺は武器を持っていない、銃剣の一本でさえも――頼む、南。浅嶋少佐を早く呼んで来てくれと心の中で念じた所で、その男はゆっくりと近づいてきた。俺は男の目を睨んだまま、拳に力を入れる。
「……そっちが先に手を出したんだろ」
「ああ、やっぱりかァッ!!!」
そう叫んでポケットから何かを取り出して俺の方へと突き出した。刃渡りが一三センチほどある折り畳み式のナイフを腹へと突き出したのだ。
だが、刃を展開するまでのコンマ数秒の間、俺は瞬時に奴との距離を取り、手を蹴って叩き落とそうと考えを巡らせていた。数秒間睨み合いが続くが、そこへ枯宮さんが後ろから近づき、あっという間に腕を掴み、後ろに回して地面へと伏せさせた。男は後ろ手にされ、身動きが取れなくなっている。その隙に俺がナイフを遠くに蹴り、枯宮さんに自分が代わると申し出た。
「枯宮さん、俺がやります」
「いいえ、押さえる所を押さえないと意味がありません。これは体重で押さえてるわけじゃなくて技術で押さえてるんです。今のうちに何か拘束具を持ってきてください」
「わ、分かりました。えっと……あ、丁度来た」
俺がテープか何かを持ってこようと考えているうちに、浅嶋少佐が銃を構えて走ってきていた。日照と凪も後ろに続いている。
「少佐、何か拘束具はありますか?」
「あぁ、これで」
そう言い、結束バンドを手錠のようにしたものを男の手にきつく締める。
「南候補生、警察に連絡を頼む。残りの者は単独軍装で銃器に着剣の上、周囲の捜索を行う。まだこいつの仲間がおるかも知らん」
「分かりました!」
* * *
大阪府警は機能回復に努めているため、代わりに和歌山県警に身柄を渡すこととなった。まだスパイや工作員に関する法律が出来ていないのが驚きではあるが、それでもナイフの持ち歩きや傷害未遂をしたのだから、対応としては十分だろう。日照と遭遇した時の事も話したが、特に何か聞かれるという事はなかった。前代未聞の事件にかなり頭を悩ませているらしい。
「では、また後日連絡します」
「はい、お願いします」
敬礼を交わし、遠のいていく警察車両を見つめていると、少佐から声をかけられた。
「深宙候補生」
「士官候補生 深宙 巡!」
「お前、まさかやとは思うけど……手柄立てようと思ったんか?」
「い、いえ」
俺は手柄を立てようと思ったのではなく、奴が逃げないように――その場から離れないように留めておくつもりだった。だが少佐からは、とても危険な行為だと咎められる。
「下手したら刺されてたんやで? なんでその場で監視せんかってん」
「……逃げられては意味がないと思いましたので、職務質問を装って時間を稼ごうと――」
「とにかく、危険な行動に変わりはない。もしあの子が制圧してくれんかったらどうするつもりやったんや?」
「蹴ってナイフを叩き落とそうと――」
「やかましいッ!!!」
覇気のある声で一喝され、俺は思わず不動の姿勢を取ってしまう。
「ええか? よー覚えとけよ。お前の命が大事なんや。お前が死んだら――深宙候補生に与えられた任務は誰に降りかかるか分かるか? 代わりはおらんねん、今の私らに。少しでも短期間に十分な教育訓練を施さなあかんねん。ええか、これは士官になっても覚えとけよ。一人一人の命が大切や。分かったな?」
「は、はい!」
「……まあ、よぉ頑張ったな」
最後に労りの言葉を言うと、後ろに立っていた千歳さんへと話しかけた。
「千歳姉、あの枯宮って子は中々才能あるわ」
「そうみたいね……まったく、こんな言葉にならない偶然ってあるのね」
「ほんまやなぁ……ほかに士官候補生に志願してた子らは来やんのん?」
「大阪に住んでる子たちは連絡が行き届いてないと思うから厳しいと思うわ。他県からの子には延期の連絡をしていて、二期の士官候補生にするつもりよ」
「せやな……それがええわ。とりあえずこの子らを一期として、それから兵に希望する子らは……三週間後やったっけ?」
「えぇ、そうね。教育教官が百合だけど、助教をどうするか……」
「……分かった。明日から教育を再開する」
「引き続きお願いね」
「全員、今日は残りを個人整備時間として与える。清掃状態を確認して、個人の衛生管理も徹底するように。以上、解散!」
* * *
「あ、改めて……枯宮小夜です。よろしくお願いします」
部屋へと案内された枯宮さんは、まだ慣れない環境に緊張している様子だった。それに伴い、男女比が明らかに偏ってきたところで、俺のみが隣の部屋へと移動になった。今まで誰かが着替える度に隣の部屋に移動しなければならなかったことを考慮しても、楽になったのはそうなのだが――不純な理由だと分かっているものの、俺も思春期男子の内の一人。あの女性特有の匂いがどうしても忘れられない。
「それじゃあ、何か分からないことがあれば誰でもいいので聞いてください」
「あ、ありがとう……あの、敬語外してもいいのだけれど」
「じゃあ、そうするよ」
それからその日は特に訓練もなく、それぞれが思い思いのままに過ごすことになった。現在時刻は一六時二三分。俺はジャージに着替え、生活館の隣に位置する広場へと向かった。ここには懸垂をするための鉄棒や、各種筋力トレーニングをするための道具が設置されている。こことは別に室内にもあるようだが、こんなにいい天気にも関わらず、室内で汗をかくのは考えられない。
早速腕立て伏せから始め、三〇回を三セットやったところで休憩を挟んだ。腕の筋肉は腫れているようで、さすがにきついと思っていると、ジャージ姿の凪がやってきた。水筒を床に置き、自分もすると言って腕立て伏せを始める。
「おぉ……すごいな。俺三〇回を三セットできつかったのに、それを五セットも」
「にじゅうはち、にじゅうく、さんじゅう……ふぅっ! きっつー」
「にしてはそんなにきつそうじゃないけど……俺も負けてられないな」
「……ねえ、巡はどうしてAAOに入ったの?」
腕立て伏せの体勢を取った所で、俺の志望動機について聞かれた。そのまま腕曲げてゆっくり体を下げ、筋肉の動きを意識しながらその問いに答える。
「俺は……悲しむ人を増やしたくないから、戦おうと思ってAAOに入った」
「そっか」
「凪はなんで入ったんだ? やっぱりこういうの好きだからなのか?」
「えっと、う、うん。そうなんだよ」
「本当に?」
「本当、本当に」
彼女の答え方からして本心ではないのだろう。何か色々事情を抱えているようではあるが、一切話そうとしてくれない。
「ほ、本当はね? えーっと……私の持ってるスキルで人のために何かしたいなぁって思って入ったんだ」
「へぇ……そうか」
この答えも本心でないと分かり切っている。いずれ彼女がAAOに入った理由を教えてくれるだろう。今は聞く時期じゃないと感じた。
「さあ、次はプランクかな。やり方わかる?」
「どうやるんだ?」
「うつ伏せになった状態で肘をついて、こうやって――」
「うぅっ……これは」
次の日の朝、全身が筋肉痛となっていたのは言うまでもない。
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