3、空が輝き、世界は変わった。
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・組織などとは関係ありません。また、作者は軍事に関する専門家ではありません。あくまで創作物としてお楽しみください。
「――被害を受けた都市は、ベトナム ホーチミン、フィリピン マニラ、日本 大阪、ハワイ オアフ島で、各国政府は軍の警戒レベルを上げるなど、準戦時体制へと移行しています。日本政府は今回の事件に対し、未確認飛行物体の存在の隠蔽を意図してきたものではないと回答しています。また、自衛隊の防衛出動に関しては国会で慎重に議論を進めるとみられ――」
午後七時。相変わらず電話は繋がらず、俺と南はテレビ画面に映るニュースばかり見ていた。千歳さんに説明された事がそのままそっくり記者会見で発表されたが、当然驚くことはなかった。
「次に、『AAO』についてです。『AAO Anti Another space Organization』の創設者である北神 千歳氏は、二ヶ月以内に士官の教育を終え、任務に就かせる準備ができていると、JBNSの取材で答えました。北神氏は――」
「あ、千歳さんだ」
「うん」
「本当にすごい人なんだね」
「うん」
「……深宙君、聞いてる?」
「うん」
「……元気出せないよね……ごめんね」
南の気遣いが余計に無力感を生んだ。親を無くした俺にどう接して良いのか、彼女が最も悩ましいはずなのに、俺は一切配慮もせず彼女の名前を呼ぶ。
「……南」
「うん、なに?」
「世界史の授業で長々と戦争の話をしてた先生居ただろ」
「ああ、うん。居たね」
「……あの先生、今のこの状況喜んでたりするのかな」
きっと戦争の時代を目の当たりに出来ると喜んでいるのだろう。あの教師ならそうするに決まってると思い、戦争が大好きなとんでもない人間というレッテルを貼っていた。
「そ、そんなことないと思うけど……」
「戦争か」
「高校始まって二日目でこんなになるとか……」
「……もう誰も傷つかず、悲しまずに戦争が終わってほしいよ。わざわざ戦わずにさ、降伏したほうがいいんじゃないか? そっちの方が犠牲が少なくなるし」
「いや、それは違うな」
今まで電話で誰かと話していた瑞穂さんがソファに腰掛ける。外は雲が広がっていたのもあり、とっくに暗くなっていた。消防車や救急車のサイレン音はずっと続いている。
「違う? 違いますか? じゃあなんで戦うんですか?」
「……巡、お前は何も知らない。太平洋戦争で負けた日本が民主的な経済大国になれたのは、本当にたまたま運が良かっただけなんだよ」
「何が言いたいんですか?」
「お前の住んでる家に泥棒が入ってきたらどうする?」
瑞穂さんの言いたい事を瞬時に理解した。家が国で、泥棒が侵略者という想定で話をするのは今回が初めてではない。前に日本で憲法九条の解釈について議論となったニュースを見て、瑞穂さんが丁寧に解説してくれた事があったのだ。
「そりゃ……警察に通報しますけど」
「通報する暇もなく、刃物を振り回されたらどうする?」
「……なんとか抵抗します」
「そう、それだよ。そう言う事だよ。泥棒が入ってきたからって、はいどうぞと金品を差し出す奴なんてそうそう居ない」
「……それとこれは別です」
認めたくなかった。戦えば死ぬかもしれないという状況で、敢えて相手に立ち向かうことに俺はひどく恐怖を覚えていた。
抵抗する事で大切な人が死ぬかもしれない状況になってしまった事を認めたくない。認めてしまえば、また大切な誰かが死んでしまい、悲しむことになると思ったからだ。
力の入らない拳をなんとか握り込むと、自分の腕は細かに震えていた。
「巡、お前なぁ……」
「ねえ、あれ……見て」
軽い口論に割って入った南はテレビの画面を指さした。そこにはスーツを着た白人男性が出ていた。テロップを見ると『宣戦布告』という文字が。
「私はヴィチネ=ガスポツヴァ連邦共和国の統領『ヴィチネ・クルス』です。我々が基準としているオラス標準時 一九〇二年一二月一二日より『アメリカ合衆国』と『ロシア連邦』による多元宇宙への干渉行為が見られ、一九〇五年に交渉チームを派遣しました。我が交渉チームは『アメリカ』『イギリス』『フランス』『ロシア』『中国』の五大国政府と両宇宙不干渉について合意しましたが、誠に遺憾ながら五大国政府との合意が守られることはなく、非常に不幸なことではありますが、我が連邦政府は地球上に存在するすべての国家に対し、宣戦を布告いたします。我が連邦軍は、占領した国家に対し、以下の政策を実行します。治安維持活動、労働力の確保、各種資源の回収、経済活動の保障。宣戦を布告する根拠として、多元宇宙への干渉は――」
『統領』と自称している男は特徴のある訛った英語を話しており、それが同時通訳で日本語に翻訳されている。そして画面が切り替わり、今度はアメリカの軍人と複数の記者が映った。こちらもまた同時通訳で音声が流れている。
「ではどうぞ、質問を」
「今回はハワイが爆撃されましたが、もし米本土が攻撃された場合、報復攻撃に出ますか?」
「今やハワイも米本土の扱いです。既に自衛権の行使要件を満たしています」
「連邦本土への核攻撃の可能性は?」
「現在の時点で核兵器を多元宇宙に運搬する技術が確立されていません。次」
「アメリカ海軍は爆撃に対し成すすべがなかったとの証言がありますが、多元宇宙の技術力はどれほどのものですか?」
「現時点では公開することができません……では、次で最後の質問です。そちらの方、どうぞ」
「パールハーバーの再来だと言われていますが、軍としてどうお考えですか?」
「パールハーバーの再来なら、最後に勝つのは我々でしょう。しかし、我々にそんな冗談を言う余裕があるとは思えません。以上です」
「本当に戦争なんだ……」
「……巡、見ただろ? あいつら、私たちを労働力として使おうっていうんだぞ? 多分金もくれないで死ぬまで働かされて、そんな風になりたくないだろ? だからみんな戦おうとしているんだよ。降伏したほうがいいなんてのは――」
俺は薄々気付いていた。刃物を振り回している強盗が目の前にいたら、自分の身を守るためになにかしら抵抗するはずだ。だが、どうしても同意は出来なかった。これ以上悲しむ人が増えて欲しくない。俺みたいに親を亡くす人もたくさんいるだろう。逆もまた然りだ。
「俺は……悲しむ人が増えて欲しくないんです。親や子を亡くしたり、大切な人を亡くすっていうのは、思ったよりもつらいものがある」
「気持ちは分かるよ。でも、そういう悲しむ人を増やさないためにも戦わなくちゃならないんだ。それを決して否定しないで欲しい」
「はい……ちょっとショックで……考え方が極端になってました」
「だと思ったよ。少し休みな」
「はい」
その日は応接室のソファで眠った。いつまで経っても永遠に既読が付かないメッセージを見るたびに涙が溢れそうになる。
母の死を簡単に乗り越えることは出来ないと直感したが、それでも徐々に受け入れていこうとする気持ちが芽生え始めていた。
* * *
翌朝。
朝日の眩しさで目が覚め、重い体を起こして腕時計を見た。時刻は七時一六分を指している。
いつもと違う部屋の様子に気付き、俺は自分の部屋に帰らずに千歳さんの家で泊まっていたことを思い出した。同時に、母がもうこの世にいないという事も――。
悲しみの感情は消えていない。だが、昨日よりは確実に和らいでいる。受け入れるべきなんだ、受け入れるしかないんだと自分に言い聞かせ、顔を洗うために洗面所へと向かった。冷たい水で眠気を覚まし、鏡の中の自分を見つめる。
これからどうやって生きていこうか。母の死の次に頭の中に浮かんできたのはそれだった。当然母の生命保険は降りるだろうし、金銭的に余裕が無いわけではないだろう。あまり頼りたくはないが、いざとなれば千歳さんのところで食わせてもらうことも出来るはずだ。
しかしそれは平時の時の話。今は戦争中なのだ。経済は当然どん底に落ちるだろうし、食料や生活必需品なんかも手に入りにくくなるはずだ。まともな暮らしが出来なくなる。
「ふわぁ~……あ、深宙君。おはよ~」
「おはよう。あれからご両親との連絡は?」
「まだなにも……」
その声のトーンと浮かない表情からして、心配しているに違いない。親子仲がいくら悪くとも、最悪の結末は避けたいはずだ。
「……電話は?」
「これからしようかなって思って」
「そうか……きっと大丈夫だよ」
「そうだといいけど……」
リビングに入ると瑞穂さんが朝食を用意していた。そういえば、昨日は昼から何も食べていなかった。どうりで体に力が入らないわけだ。
「起きたか」
「おはようございます」
「その……巡の携帯に連絡があったんだよ。息子さんですかって」
「……はい」
昨日の午後三時の時点で電話やメール、インターネットが通じにくくなっており、一切の連絡が出来なくなっていた。今朝からは既に復旧しているようだが、死んだという事実を電話だけで伝えられるのは、中々違和感のあるものだった。亡くなったと分かっているはずなのに、どこかで生きているかもしれないという気持ちが僅かに残る。
「お母さんが亡くなったって……遺体は損傷が激しくて、火葬は済ませたらしい。その……お墓はどうするかって」
「……うちの近くに霊園ありましたよね、そこが良いと思います」
「じゃあ、調べてそこにしてもらうように伝えておくよ。保険とかも私が手伝うからな、何も分からないだろうし」
「そうですね……瑞穂さん」
「うん」
「ありがとうございます」
瑞穂さんも苦しいはずだ。育ての親と言っても過言では無い俺の母親の死に対し、目の前で涙を見せないようにしていたのは分かっている。俺がまだ高校一年生の子どもなのだから、大人である自分がしっかりしようとしているに違いない。
「いいよ、私らもお世話になったし」
「……それで、まだ爆撃は続いているんですか?」
「深夜一時の段階でどこかに消えて、ベトナムとフィリピンのは今朝消えたみたいだ。ハワイのは昨日の夜九時に消えた」
消えたと言われても、俺は心の中に佇む不安を拭うことは出来なかった。日本に住んでいてこんな事があろうとは、夢にも思わなかったのだ。
「……これからも、度々こういうことが起こるんですかね」
「いや、それよりもっと深刻なことが起こる。実際に起こったし」
「深刻なこと?」
「テロだよ。飛行機爆破テロは同じ時間帯に世界中で起こって、なんなら離陸直前に滑走路で爆破されたのもあった。それだけじゃない、ロンドンとベルリンでは銃器乱射事件、上海でも爆弾テロ……もう世界中が滅茶苦茶だよ。そのうち地上軍も投入してくるかもしれない」
世界が侵略を受けるだろうという瑞穂さんの言葉に、俺は気になっている事を問いかけた。その『AAO』という準軍事組織はどういうものなのか。
「AAOはどれくらいで人を集めるんですか?」
「まあ長くて四週間だな」
「そうですか」
「興味あるか?」
「興味は……」
軍隊に対する興味は微塵も無い。自分が参加するということも全く想像できなかった。そもそも戦争で自分が戦うということ自体、あまりイメージ出来ずにいる。
「悲しむ人を増やしたくないんだろ?」
「それはそうです。でも俺は……軍隊とかに詳しいわけでもないし、体力もそんなに……」
「訓練があるだろ? 一から十まで全部教わるよ」
「それって自衛隊が教えてくれるんですか? そもそもAAOの構造が分からないっていうか……千歳さんも戦うんですよね? そんなに体力あるようには見えませんけど」
瑞穂さんのこれまでの薀蓄をしっかり聞いて理解していれば、このように発言することも無かっただろう。戦争というのが自分の中であまりにも現実離れしていたため、どうせまた役にも立たない知識を――と聞き流していたのだ。
「え? あははは。司令官が前線で戦うっていうのはあり得ない話だよ。簡単に説明すると――」
「おはようございます」
「お、照月ちゃん。ご両親とは連絡ついた?」
「えぇ、ただその……お父さんは無事なんですけど、お母さんが怪我で入院することになってるみたいで」
「そうか……でもよかったな、生きていて」
「えぇ、本当に」
ほっと安堵する彼女の表情から見て、最悪のシナリオを考えていたことは間違いない。友達の母親が亡くなったのを目の前にしていたのだから、そんなことが頭をよぎるのは、いくら親子仲が悪くとも当然の事なのだろう。
「そうだ、せっかくだしAAOについてゆっくり話そうか。朝食ももうすぐできるし」
「あぁ、いや。別に入るとまでは――」
「まあまあ、とりあえず話だけな?」
「あの、千歳さんは……?」
「AAOの事で朝早くから出かけてるよ」
「そうですか……じゃあ、まあ話だけなら」
「よし、決まりだな」
出来上がった料理をテーブルに運び、俺たちは朝食を取りながら説明を聞くことにした。
「じゃあまず、AAOの組織構造だな。姉さんは日本AAOの参謀総長を務めるんだ」
「さんぼう……そうちょう?」
「要するに社長みたいなもんだよ。それを補佐する参謀次長が私。防衛大出身の友達も加えて、今のところ三人だな」
「へぇ、元自衛隊の人がいるっていうのは頼もしいですね」
「いや、そいつは浅嶋っていうんだけど、AAOが設立される前まで無職だったんだ」
その言葉にサラダを食べる手を止めた。軍事組織なのにそんな人物を入れて本当にいいのだろうかと、俺はひどく心配になったのだ。
「え? 自衛隊じゃなかったんですか?」
「家族から引き留められたみたいでね。優秀な成績で卒業したんだけど辞めたみたいなんだ」
「そうなんですか……」
「あと、AAOはちゃんと毎月給料が出る。階級にもよるけど、一番低い階級で二三万円ほど」
「二三万……それ初任給ですか? 一六歳の手取りって……」
中卒労働者の初任給は一五万円ほどだと知られている。一般社会からすると一五万円という額は、正直な所収入が良いとは言えないものだ。しかしAAOは準軍事組織であり、危険な仕事なのだと嫌でも分かる。破格の待遇にでもしないと人手が足りないということなのだろう。
「うん。衣食住も保証するしな。どう考えても人手が足りなくなると思うし、こうでもしないと人は集まらないよ。一六歳からとなると、ほとんどが現役の高校生だろうしね」
「わざわざ高校を辞めてまでもする価値があるってことですか。でも、結局企業に就職できないと――」
「希望するなら自衛隊への進路も開かれてるし、戦績を考慮して残すかどうかも決めるつもりだよ」
「でも利益は出ないでしょう? 会社じゃないんですし」
「利益は出ないけど、結果を出せば政府から補助金が出る。例えば自衛隊の部隊に物資を届けたりね」
「へぇ~、そのあたりはうまいことなってるんですね。さすがコネが多い」
俺の言葉に瑞穂さんはふふっと吹き出しながらこう言った。南の方を見ると、何やらピーナッツバターの塗られた食パンに砂糖をまぶしているようだ。俺の分の食パンには普通のバターだけが塗られていて、彼女のように砂糖を振りかけたいと思っていたが、中々順番が回ってこない。
「お前もコネは持ってるだろ? 家賃無料にしてくれるすごい人がさ」
「あぁ、そうか。そういえばそうでしたね。でもなんでAAOの設立を請け負ったんですか?」
「姉さんはいつもこう言っていたよ『誰かがやるだろう、じゃ誰もやらない』って」
誰かが戦うだろう、じゃ誰も戦わない。俺にはそう聞こえた。
ようやく砂糖を掬うためのティースプーンが回ってきて、たっぷりとパンの表面にまぶして出来上がったシュガートーストを咀嚼すると、今まで回らなかった頭が切れるようになり、母が亡くなった悲しみが奴らへの怒りへと変化していった。
そして俺は決意した。これ以上、俺のような境遇の人を増やしたくない。生まれ育った故郷をこんな状態にし、母を殺した奴らを許してはおけない。AAOが一六歳から参加可能なら俺だって入れる。方法はそれしかない。戦って奴らをこの世界から追い出して、そして……平和な世界を取り戻す。戦争をゼロにはできないだろう、だが一〇〇ある戦争を九九には出来るかもしれない。
冷めかけていたコーヒーを飲み干し、瑞穂さんにこう伝えた。
「瑞穂さん。俺、AAOに入ります」
「え……は、入るの!?」
「はいッ、是非入らせてください!」
信じられないという様子でフォークの動きを止める瑞穂さんはこちらを見つめると、少ししてから驚いたと口にした。
「でも昨日まで戦いたくないとか言ってたじゃないか……まさか入るって言うとは思わなかった」
「お願いします。母を殺した奴らを許しておけないんです。それに家族を失う人をこれ以上増やしたくないって気持ちが、一層強くなったんです」
「……本気なんだな」
「はい、お願いします!」
瑞穂さんは俺の目を見つめて数秒後、軽く微笑んでコーヒーを一口飲み、了承した。
「分かった、姉さんにそう伝えておくよ。加入申請書はあるから、あとで持ってくる」
「ありがとうございます」
「あと筆記試験もあるけど、中学卒業程度――社会常識があるかどうかを見る試験だから、そんな難しい訳じゃない。それと面接もあるけど、まあこの辺りは大丈夫だね。健康診断書も必要だけど、今病院は……混んでるかな?」
高校受験のために猛勉強をした実力が衰えていなければ、何も問題は無いだろう。面接も同じで、知り合い同士なのだからと楽観的に思う自分がいた。
「他に何が必要なんですか?」
「中学の卒業証明書、あとは……住民票かな。後で役所まで取りに行こうか」
「ええ、ぜひお願いします」
「んん~!!! あま~」
「……照月ちゃんは興味ないか? AAOに入るってものすごく人のために――」
トーストの甘さを存分に堪能している彼女に何を言っても無駄だろう。それよりもピーナッツバターを塗ったトーストに砂糖をまぶしたあれを食べるとは、甘党なのだと確認しなくてもわかる。
「あ、私お話聞いた時から入ろうと思ってました」
「……は?」
「ですから、AAOに入ります。深宙君より体力も軍隊の知識もないけど、なんとか努力します」
「あぁ……あ、そうかぁ! それならこちらとしても助かるよ!」
南の思いがけない言動に、俺は食べようとしていたヨーグルトをテーブルに置いた。彼女は戦う理由なんて無いはずだ。それなのにどうして、という感情が湧き上がる。
「いや、ちょっと待て……南、なんで? 別にご両親に何かあったって訳でもないし」
「んー、自立出来るかなって思って。ほら、手取り二三万で生活費がかからないって、すごく条件としてはいい訳じゃん? それに活躍さえすればAAOに残ることもできるし……正直、家を出たいって思うから」
「照月ちゃんのお家……厳しかったりするの?」
「はい、過干渉っていうんでしょうか。もう大人として扱われても不思議じゃないのに、いつまで経っても子供みたいに全部管理されて――。そりゃ親にとって、私なんかまだまだ子供にしか見えないんでしょうけど……このままじゃ私、絶対ダメって分かるんです」
南は自立したいのだ。すべて親から指図され、本当に自分が成長出来るか分からない漠然とした不安があるに違いない。たとえ苦労する事になろうとも、彼女は心から自立したいと思っているのだろう。
「そうか……そういう事情があるんだな」
「瑞穂さん、人のためになるって言ってましたよね? 私、そういうことをしたかったんです。お父さんとお母さんは働かなくても食べていける財産も残ってるし、結婚するまでお小遣いだけで生活しなさいって言ってたんですけど、私は人の役に立つ仕事をしたい」
彼女の口振りから箱入り娘として扱われているのがよくわかる。
それよりも明らかに常軌を逸している両親の行動は、本当に擁護しようがない。娘の人間関係、将来の夢、挙句の果てにはスマホの中身でさえも掌握する事は、いくら大事に思っていても限度があるものだ。いや、逆に娘にとって悪影響を及ぼす。本当に我が子の幸せを願うのであれば、子の意思を尊重し、後押ししてあげるべきだと思うのだが――その上で適切な助言をするのは全く問題のないことではあるが、度が過ぎている。
「瑞穂さん、両親の同意は必要なんですよね?」
「ああ、さすがにな」
「考えるまでもなく、南のご両親は――」
「当然反対するだろうね。大事な娘が戦場に行くんだから」
愛する我が子が戦争に行く。いくら本人が希望していたとしても、親は反対するものだろう。
どれだけ高給で待遇が良かったとしても、戦争で活躍して得たお金で食べる食事は、我が子が無事であっても喉を通らない。それどころか、横になって眠れるかどうかも怪しい。
「そこは私がなんとか説得しますから。あ、ミルクティーのおかわりいただけますか?」
「あぁ、いいよ」
南には何か考えがあるのだろうか? 彼女の様子を見ている限り、何も考えず、ただ感情に突き動かされて物事を決めているようにしか見えない。まあ、感情に突き動かされて物事を決めた俺の言えたことではないのだが。
「ありがとうございます。じゃあ、私も書類取らないとですね」
「そうだな、食べ終わったら早速行こうか。巡は着替えてくるか?」
「あぁ……そうですね、お願いします」
心の中に潜在的に存在していたであろう闘争心が湧き上がるのを感じた。自分自身でこの土地を守り、人々を守る。
俺のような人間を増やさないために――。
* * *
春の暖かな日差しが桜の木を照らしている。僅か一週間の在学だったが、もうこの桜を見ることはないのだと思うと、少し惜しい気もした。
戦争が始まってから一週間後の四月一四日。南とともに退学届が受理されたことを確認し、千歳さんの自宅へと向かっていた。
街中は迷彩服に身を包んだ自衛官に、軍用トラックや装甲車が走り回っている。確かに戦争らしい雰囲気だと感じたが、実のところあれから攻撃は起きていない。攻撃する能力がないのか、それとも何か別の理由があるのかは分からないが、いつまた爆撃やテロが起こるか分からない状態は、人々を緊張させる。
「辞めちゃったね、高校」
「あぁ、今までの苦労は何だったんだって思うけどな」
AAOへ入るために高校を退学すると言い出した南を止められる者はいなかった。
千歳さんと一緒に彼女のもとへ付き添ったのだが、父親は怒りというよりも呆れた様子だった。二人の言い争いの詳しい内容は聞いていないが、二度と家に戻って来ないことで合意したそうだ。父親から厳しい視線を向けられたのは千歳さんだけでなく、俺もそうである。
『言う事を聞かない子はうちの娘じゃない。うちの娘はそんなこと言わない』と言い張り、退学届けや加入申請書に捺印した後は『こんな風に育てたくなかった、失敗だな』という言葉を投げかけたようだった。幸いにも南自身は傷つくどころか、AAOに参加して自立しようという気持ちが昂っている様子だ。
「ねえねえ、やっぱり銃撃つんだよね。自衛隊の銃とはまた違うのかな?」
「銃かぁ。楽しみではあるけど、ちょっと怖い気もするな」
「そう? あーでも確かに、気を付けないとだめだよね。オモチャじゃないんだもん」
他の生徒が授業を受けているのを見ても何の感情も湧かない。割れた窓はすべて外され、雨の日は休校という前代未聞の対策がなされていた。中には俺達を見つめる生徒もいるが、気にせずに歩いていく。
「ねえ、深宙君。深宙君は死ぬのが怖くないの?」
「死ぬのは……怖くないよ、不思議と」
「私もそんなに怖いって感じはしないな。逆に楽しみにすら感じられるよ」
「楽しみ……か」
深くは考えていなかったが、戦争という事は確実に人が死ぬ。俺がこの手で人を殺すというのだ。出来るだろうか? いくら銃を使おうと――人差し指を引くだけで人が死ぬとは言えど、人を殺すのは抵抗があるものだろう。あまりに現実離れしていて想像すらできない。どんな感じなのだろうか。不謹慎かもしれないが、俺は少し好奇心を抱いた。人を殺す、か。
「南はさ、人を殺す覚悟……あるのか?」
「人を殺す覚悟?」
「別の世界から来たとは言え、同じ人間なわけだし、抵抗があるかもなって思って……でも想像は出来なくて」
人を殺す行為はどれほどの理由があろうとも、決して許されることのない事だと認識されている。誰もが人を殺すということを忌避し、それは国、文化、宗教に関わらず、すべての人間に共通することだった。
俺は全く想像出来ない。自分が銃を持って人を撃ち殺すなど、全く――。
「殺すのは……でも、自分が死にそうになったら何も考えずに撃ち殺しちゃうと思う」
「そうじゃなかったら?」
「そうじゃなかったとしても、任務だったら殺さないといけないし、私達が撃たないと悲しむ人が増えるって言うんなら……躊躇はしないのかな」
「なるほどな……」
そんなことを話している内に千歳さんの自宅へと到着し、早速あの二人に報告することにした。
「千歳さん。退学届、ちゃんと受理されてました」
「そう。じゃあ早速だけど、これからの計画について説明するわね」
応接室に集まった俺達は、『AAO 士官候補生 教育日程』と印刷された紙を渡された。そこにはこれから行われる軍事訓練と兵科別訓練の概要がまとめられていた。
「これからあなた達は、AAO第一駐屯地で四週間の基礎軍事訓練を受けてもらうわ。一週目は軍隊式の生活に慣れながら歩き方や敬礼の仕方を習得して、二週目からは小銃の操作、および管理方法、射撃術予備訓練と――」
突然聞きなれない軍事用語を連発され、俺と南は少し困惑していた。だがこれからAAOの一員として戦うにおいて、基本的な軍事知識も必要とされるはずなので、その場で質問をすることにした。ついでに知識として吸収してしまおうということだ。
「ちょっと待ってください、全然軍事用語が分からないんですけど……」
「まあ最初はそんなものだよ。別に軍事知識がなくても問題ないようなカリキュラムになっているから、そこは安心して欲しい」
「そうですよね、習えば分かりますもんね。深宙君、心配しすぎだよ~」
南は興味津々に説明を聞いている。手渡された資料を食い入るように見つめ、装備や銃の魅力に取りつかれたようだった。
「照月ちゃんはやる気あるなぁ! 期待出来そうだよ」
「結局、今の時点で参加希望は何人くらいなんですか?」
「まだ目標の一〇〇人に達してないんだ。えーっと確か……姉さん、何人だっけ?」
「六五名ね。試験で落ちるのも考慮すれば、だいたい五〇人くらいかしら」
「そんなに落ちるんですか? あの試験でですよね?」
AAOに参加するためには筆記試験と面接試験を通過しなければならない。とは言うものの高校受験を経験した者にとって、あの試験は簡単とかいう問題ではなく、瑞穂さんが前に話していた通り、一般常識があるかどうかを確認するための試験に思えた。
面接は身内という事で形式上のものを一分で終わらせたが、これが他の受験者にとってどう作用するかは分からない。
「なんとなくで来た子が何人かいるみたいだし、そういう子は落ちるでしょうね」
「別にそれでもいいんじゃないですか? 今は人手が足りないんですし」
「残酷なことを言ってしまうけど、軍人というのはある程度センスのある人間じゃないと務まらないわ。ただ給料を貪り、いざ戦闘が始まったらロクに活躍もせず、日々の訓練でも手を抜く……中には軍人が天職な子もいるだろうけど、ほんの一握りね」
「そうなんですね……いつから駐屯地に行くんです?」
「三日後の一七日に知り合いが赴任するから、明後日ね。ここから車で一時間くらいの……ここね」
そう言って地図を指さした場所は、大阪府と和歌山県の県境沿い――山々が連なっている場所の麓のようだった。こんな場所にいつの間に駐屯地を作っていたのか、俺は感心するばかりである。
「山の麓かぁ、綺麗な場所なんだろうなぁ。深宙君もそう思わない?」
「二人にくれぐれも言っておくけど、これはごっこ遊びでもキャンプでもない、戦争だよ。浮足立つ気持ちはわかるけど、気を引き締めて訓練に臨んでほしい。分かった?」
普段俺と接していた時の雰囲気とは全く違った空気感があり、かなり緊張してしまう。この場がピリついた様に感じたのだが、南はむしろやる気を高められたらしい。
「は、はい」
「もちろんです」
ついに戦う事が出来る。奴らをこの地から追い出して、平和な世界を作ってやる。そんな熱意が俺の心の中を満たしていた。
本当の事を言うと、この時まで訓練の詳しい内容も分からず、しかもどういう内容なのかもイマイチ想像できなかったので、かなり楽観的な心構えだった。知らない人に教えて貰う訳でもなく、これまでずっとお互い知り合ってきた仲というのもあって、少し楽しそうだとさえ思っていた。次の日に地獄を見るとも知らず――。
* * *
退学届けが受理された翌日。大きな雨雲が近づいている空を見て、母が亡くなった日もこんな日だったと思い出した。あの時こうしていれば――。そんな後悔はもうしないと決めた。これからはただ奴らを追い出すことだけを考える。そう考えながら南の家から服が入った段ボールを運び出し、瑞穂さんのSUVへと乗せる。どの道AAOで私服を着る機会は無いと聞き、数着の衣服と下着を残してすべて処分するというのだ。何もそこまでしなくても――と思ったが、彼女の意思は一切揺るがない。
「じゃあ、お父さん。今まで育ててくれてありがとうございました」
「……本当に出ていくんだな」
玄関の前で父親と話をしているが、雰囲気が良くない。当然だ、家を出ていく娘が父親に最後の挨拶など、円満な雰囲気になるわけがない。俺は車のルームミラーを失礼にならない程度に見つめ、彼女の父親の表情を伺った。呆れた表情ではあるが、どこかに不安な感情が残っているようにも見える。
「はい、お母さんにもよろしく伝えてください。では……」
「……照月」
「はい」
「……気を付けて」
「……はい」
彼女は後ろを振り返って父親を見ることもなく、堂々とその場を立ち去った。瑞穂さんがあれで良かったのかと問うが、南は何も言わない。ただ窓の外を見つめる彼女は、心なしか微笑んでいるように見えた。
その後、千歳さんの家に荷物を預け、俺達は応接室で雑談していた。好きな食べ物、趣味――話題が尽きないのは嬉しいことだ。時間の感覚を忘れてしまいそうになる。
「私甘いもの好きなんだ」
「やっぱりそうなんだな」
「やっぱり?」
「前に朝ご飯食べてるときにさ、ピーナッツバターに砂糖っていう組み合わせで食べてただろ? あれ絶対甘々になるなーって思ってたんだよ」
確かに脳は覚醒するかもしれない。しかしあれは胸焼けを起こしそうで俺は口にしたくない。糖分の摂りすぎは肌にも良くないと思うのだが、彼女は一切気にする素振りを見せなかった。実際、南は肌が本当に綺麗に見える。
「ああ、あれか~。でもおいしいよ?」
「いや、さすがに甘すぎるのはな……」
「あの甘さは犯罪的だよ、本当に。ミルクティーで追い打ちかけてくるのは天国だよ」
「甘いものか……チョコレートは?」
「チョコレートはまあまあかな」
甘いものが好きなのにチョコレートはまあまあという感想に、俺は意外性を感じた。甘さの中にも好みのものが色々とあるのだろう。
「へぇ、まあまあなのか」
「あ、でも生チョコは好きだよ」
「生チョコは確かにいいよな。ついつい手が出てしまう」
「それと――」
ふと壁に掛けられた時計を見ると一一時前を指している。まだ昼食には早いが、食べ物の話をしているためか、少し小腹が空いてきたと感じた。
「南、腹減らないか?」
「ん~、確かにちょっと小腹空いてきたかな」
「どうする? 飲み物で誤魔化すか?」
「じゃあ温かいお茶で」
ポットのスイッチを入れてお湯が沸くまでの間に、窓から空を見つめる。迫力のあるずっしりとした灰色の雲の隙間から、何かグレーの人工物のようなものが見えた。
その瞬間の俺は全身に悪寒が走り、今居る場から動けなくなる。まさか……またあの飛行物体? 見間違いかどうかをもう一度確認するため、窓から身を乗り出して目を凝らす。その様子に気が付いた南は、何が見えるのかと隣へやってきた。
「どうしたの? 何が見えるの?」
「あっいや……」
俺の左腕に彼女の体が触れ、焦って後ずさりしてしまった。女の子特有のふんわりとした良い匂いがして、少し緊張が解れた。やはり俺も思春期を迎えた男のようだが、こんな時に何を考えているのか、自分でも呆れてしまう。
「あ、ごめん。それでどうしたの?」
軽く一言謝るだけで、彼女の反応は実に淡泊なものだった。思春期男子の心の内など知らないのだろう。
「いや、爆撃されたときに見えた……あれなんていうのかな、奴らの……空中の……」
「うん、覚えてる。えっ!? もしかして出てきたの!?」
「一瞬雲の隙間に見えた気がしたんだよ。ほら、あのあたり」
そう言って指を指す場所には、やはりさっき見えた人工物のようなものが――。
「あ、あれって!」
「やばい、窓から離れよう。それと……俺は千歳さんに伝えてくる!」
「ちょ、深宙君!」
彼女の静止も聞かず、急いで三階の部屋の扉を叩き、敵が来たことを伝えた。
「千歳さん、奴らが!」
「どうしたの? そんなに慌てて」
「あっちの空を見てみてください! 奴らが居ます!」
「えっ……あ、あれは……航宙駆逐艦よ」
「こうちゅう……くちくかん?」
「ええ、こちらの世界にはまだない技術を使った兵器で、大阪に現れたのは『イサ』と呼ばれてる。この間の爆撃は、あれの主砲とロケット弾を使ったものなの」
知るはずのない情報を掴んでいる千歳さんに、俺は驚くしか無かった。テレビやネットでもあれが何なのか公表されていない中で、どうしてそんなに正確な情報を得ているのだろうか。
「え、なんで分かるんですか?」
「内調にいる知人と少し話をしてね。色々情報を分けてもらったの」
「な、内調って何ですか?」
「内閣調査室。今はそれだけ知っておいて」
確か日本の情報機関だとどこかで聞いたことがある。普通の人なら本当に繋がりがあるのかと勘ぐってしまうが、千歳さんなら――と、俺は根拠の無い信頼を寄せていた。
「航宙駆逐艦は戦闘機で落とせないんですか?」
「それが分からないの。まだ空自の戦闘機はイサを目で見たことすらない。現場に着くころには消えてるのよ」
「雲に隠れてるんじゃ」
「……そうだといいんだけどね。瑞穂!」
廊下に出て瑞穂さんを呼ぶと、何事かと言いたげな表情で自分の部屋から出てきていた。
「あれ? どうかしたの?」
「イサが現れたわ。また爆撃があるかも」
「また……」
「とりあえず、明日は――」
千歳さんが口を開いた瞬間、空が白く光ったかと思えば、今度は一度の大きな爆発音が遠くで響いた。前の爆撃と明らかに違うと確信した。
「い、今のは?」
「……分からないわ。攻撃じゃないなら……あら? スマホが……」
ポケットからスマホを取り出して電源を入れようとするが、何度やってもつかない様だ。試しに俺のもやってみたが、何回やっても画面は暗いままである。充電はしておいたはずだし、今の一瞬で故障したとも考えにくい。
「あれ? 充電したはずなのに……バッテリーの寿命でもないはずだし」
「……姉さん、電気点けてみて」
「えぇ……点かないわね。ブレーカーが落ちたのかしら?」
「……やばい、姉さん……今のEMP攻撃じゃないか?」
「ま、まさか。敵が核兵器を持ってるってことよ?」
相手が恐ろしい核兵器を持っているなどと言われたため、俺は冷や汗をかいてしまう。軍事知識が全く無くとも、小学校の時の修学旅行は広島だったため、その恐ろしさは十分理解していた。
「可能性はある。EMPは特別な技術がなくても、高高度で核爆発さえ起こせばいい。でも白い光は……私も体験したことがないから確証はないけど、スマホも電気もこうだし」
「EMP……?」
「高高度核爆発によって発生する電磁パルスで、なんていうのかしら、電子機器を使えなくするっていうの? 電気、水道、ガスも使えないはず」
「電気は分かりますけど、水道も……」
この文明社会が崩れ去ってしまう事に対して強い不安感を露わにした。窓から外を見ると、いつの間にかあの物体はどこかに消えており、強風に煽られるようにして雲が流れていった。
「とにかく、照月ちゃんを呼んで――あ、車……」
「え、車もダメになるんですか!?」
「電子回路が全部死ぬからな。クッソ……まずいぞ、本当にまずい」
「あ、あの! なんか光が――」
焦った表情で三階へと駆け上って来た南に簡単な状況を伝える。空に広がっていた雲はあっという間に消えてしまい、春の清々しい青空が顔を出した。
「情報が無いからなんとも言えないけど、もしかすると……ワシントンやモスクワもこんな状況かも」
「まさか、あのアメリカとロシアですよ?」
「指揮官というのは常に最悪の状況を頭に入れておくべきなの。とりあえずここにいてもどうしようもないし、また攻撃があるかもしれないから早く駐屯地へ向かいましょう」
「姉さん、車が死んでるのにどうやって向かうんだよ?」
「足を使うの」
「足?」
千歳さんが太ももをぽんっと叩き、覚悟を決めた表情で言い放った。
「ここから駐屯地まで高速を使えば一時間かからないくらい。歩いたらまあ……七時間くらいね。日没までギリギリだけど、それでも一日を無駄にするよりは遥かにマシ」
「待ってください、七時間の道を歩くんですか!?」
「私も姉さんの意見に賛成だよ。ここで一日潰すより早く行動したほうがいい。今から出発すればギリギリ間に合うし、向こうなら発電機も貯水タンクもある」
「いやでも、さすがに七時間は……」
「AAOに入るんでしょう? だったらそれくらいできないと」
「え、えぇ~……そんな無茶な」
「深宙君、AAOに入るための試験だと思えばいいんだよ。絶対大丈夫、千歳さん達もいるし」
南が大丈夫だと繰り返し、ついに俺は折れざるを得なかった。
「……はぁ、分かりました。行きます、行かないとダメなんですよね」
「よし、その意気だな。姉さん、荷物は最小限でいいよな」
「そうね……四Lの水とお菓子……地図、コンパスに――マッチも入れて頂戴」
「分かった、すぐに準備してくる」
早速準備に取り掛かる瑞穂さんの表情はいつになく真剣な表情で、本当に七時間の道のりを徒歩で移動しようとする覚悟が垣間見えた。そもそもスマホも使えないのに目的地である駐屯地にたどり着けるかどうかも怪しい。地図とコンパスでなんて、あまりにも無謀だ。無謀なのだが……それをやってのけようとする意思を強く感じられる。もうどうなっても知らない、俺はAAOに入って戦うと決めたのだ。
「姉さん、準備出来たよ」
「ええ、すぐ行くわ」
俺たち二人を交互に見つめるその眼差しから、期待されていると嫌でもわかる。千歳さんもまさかこんなことになるとは思わなかったのだろう。完全に意表を突かれた状況ではあるが、むしろそれを利用しようとさえしていたようだった。俺たちの体力と意思を試そうという事に――。
「二人とも普段から運動は?」
「俺は一切してません」
「私も運動は……」
「そう……正直言ってかなり過酷だと思うわ。でもあなた達が決めた道だもの、私が引き留めることは絶対に無い。いい? 立ち止まっちゃ駄目よ。立ち止まらず、常に前に進み続けなさい。いいわね?」
玄関を施錠して俺達四人は歩き始めた。街は恐ろしいほど静かで、状況が理解できない住民は外に出て様子を窺っていた。嵐の前の静けさ、というものだろうか。それがひどく不気味に感じ、多少無理をしてでも早く街を出たいとすら思い始めていた。
ただ……『静けさ』は今の不気味な静寂だとして『嵐』は一体何を指すのだろうか?
閲覧頂きありがとうございます。ブクマ・評価などよろしくお願いします。