21、夜は比較的静かだった。
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・組織などとは関係ありません。また、作者は軍事に関する専門家ではありません。あくまで創作物としてお楽しみください。
九月三〇日の午後六時。
早めに入浴を済ませた所でほんの一〇分ではあるが、夕食までの時間を自由時間として兵士達に与えることにした。表向きは作戦前という事でリラックスしてもらいたいと伝えてはあるが、実は遺書を書くための時間を確保しているに過ぎない。兵士達も薄々感づいている様で、各自ペンを片手にいそいそと書き進めている。
中には遺書を書かない、もしくは家族が居ないという都合で書けない者もいたが、そういった事情がある場合は南から分けてもらったチョコレートをこっそりと渡していた。二〇歳を超えれば、このチョコレートが酒やタバコに代わるのだろう。
そう思いながら各部屋を見回っていると、一人の兵士が俺に話しかけてきた。手には二つの茶封筒を持っている。
「必勝。深宙中尉、ご相談があります」
「相談? 遺書じゃなくて手紙の事か?」
「遺書は書けました、こちらです。相談したい事と言うのはこちらの手紙でして……」
そう言って差し出す封筒は一般的な茶色の物ではなく、薄い水色の封筒だった。のりで封がされておらず、白色の丸いシールをぺたっと貼ってあるだけだった。
「これは?」
「実はその……三小隊の第二分隊に所属している、立華 火憐という子がいるのですが」
三小隊という事は南の小隊だ。俺も兵士全員の名前を覚えているわけではないのだが、その立華という名前には聞き覚えがあった。必死に思い出そうと努力していると、ゴルフ場攻略作戦初日の朝に誰もが休養をとっている中、一人だけ機関銃の整備をしている女子の機関銃手がそうだったと思い出した。後で南にその子の事を報告し、評価してやってくれと伝えたのだ。
「ああ、立華一兵か! それで、その子がどうしたんだ?」
「はい、自分は……立華のことが好きなんです。なので作戦前に気持ちを伝えようと思いまして」
AAO内には男子だけでなく、女子の兵士も多く存在している。事実、AAOを統率している幹部はほとんどが女性であるし、兵士の男女割合も五人中一人は女子なくらいだ。兵士とは言えど思春期を迎えた年頃の少年少女なわけで、そういった色恋沙汰も小耳に挟んでいた。
AAO規定で恋愛を禁止している訳ではない。ただ駐屯地内での過剰なスキンシップや、業務に私情を挟んだ場合は軍紀を乱す行為として、憲兵に身柄を引き渡される。さらに目に余る場合は減給、不名誉除隊も視野に入れられるのだ。
「告白するっていうことか。この手紙を届ければ良いんだな?」
「は、はい。渡せるタイミングが今しか無いかなと思ったので」
「分かった、南中尉経由で渡しておく。それで、相手からの返事はどうしてほしい?」
「出来れば手紙でお願いしたいのですが……口頭だと、中尉にご足労かけるかと思いまして」
どちらにしろ俺が仲介役になるのは必然なのだが、とにかく彼の要望を聞き入れる事にした。
「別に口頭でも良いよ。まあ、手紙でも良いって伝えてはおく」
そうして女子の使っている生活館まで赴いた所で、丁度建物前の広場で銃器点検をしていた南を呼び止めた。
「必勝、今時間あるか?」
「えっとー……共有火器の点検あるからそんなに無いかな」
「すぐで良いんだ。この手紙を立華一兵に渡してくれ」
そう言って水色の封筒を手渡すと、南は意外そうな表情をしてにやけていた。
「へぇ~、深宙くんはああいう子が好きなんだ」
「いやいや、俺じゃなくて小隊の奴がな。ラブレターを渡してほしいって頼まれて」
「なーんだ、つまんないな。えーっと……誰に渡すんだっけ?」
「第二分隊の立華一兵だ。返事は手紙か口頭で」
「分かった、ちょっと待ってて」
機関銃を整備している女子の元に向かい、手紙を渡した後の様子を見つめていた。一分ほど手紙をじっくり読んだ後に考える素振りをし、南はまたこちらへと戻って来る。
「えーっとね『友達からお願いします、この作戦が終わったらお話しましょう』だって」
「お、返事が早いな」
「でも良かったね、その子。私達、恋のキューピッドになった感じだ」
恋のキューピッドという単語を聞いて、俺は少しだけ笑いを漏らしてしまった。俺達が持っているのは可愛らしいデザインの弓矢ではなく、黒く重い自動小銃である事にギャップを感じ、笑えてしまったのだ。
「え、なんで笑ってるの?」
「いやいや、なんでも無い。じゃあまた後でな」
きっとあの兵士も喜ぶだろう。作戦が終わった後、楽しい時間を過ごせるに違いない。もし戦況が落ち着けば、やがて外出や外泊も許可出来るかもしれない。
彼のいる部屋の前についた所で、俺は大切な事に気づいてしまった。立華一兵と共に過ごすためには、この作戦で生き残らなければならないではないか。あまりにも残酷な現実に、さっきまで笑っていた自分があまりに無神経に思え、憂鬱になった。彼に返事を伝えるべきか――それとも伝えないで小隊を夕食に連れて行くべきか。拳を握りしめて天井を見上げていると、当の本人に声をかけられてしまった。どうやら部屋の中から俺の姿が見えていたらしい。
「必勝。中尉、手紙の件ありがとうございます」
「あ、あぁ……返事貰ったんだ」
こうなると話すしか無いだろう。もし彼が戦死するとしても、意中の女子から告白の返事を聞けないままだなんて、死んでも死にきれないはずだ。
「へ、返事を……やけに早いですね」
「ああ、でも大丈夫。『友達からお願いします、作戦が終わったら話しましょう』って言われたよ」
「ほ、本当ですか!? いよっっっっしゃぁああああ!」
声のボリュームこそ抑えてはいたが、その湧き出る嬉しさのオーラは全く隠せていなかった。ぐっと握りしめた手でガッツポーズを作った彼の肩へと手を置いた後、簡単な祝いの言葉を口にした。
「おめでとう。これから彼女とうまくやるんだぞ?」
「は、はい! もちろんです! これも全部、深宙中尉のおかげです! ありがとうございます!」
「俺は別に何もしてないよ。じゃあそろそろ夕食だから、戦闘帽取って整列するように」
「分かりました! おい皆、廊下に整列!」
今、彼は浮かれている。好きだった女の子に勇気を出して想いを伝え、それを受け入れてもらったのだから、当然浮かれるだろう。しかし本当に大丈夫なのだろうか? 彼が――もしくは立華一兵が銃弾に倒れないという保証は一切無いのだ。砲弾が彼、彼女だけを避けて落ちるという事も絶対にありえない。この苦しい感情は、彼等があまりにも残酷な現実に飲み込まれてしまう未来を表しているようで、とても不快だった。
* * *
「では各小隊は仮眠を取るように。君達も少し横になるといい」
「分かりました。気をつけ、敬礼。必勝!」
最後の作戦ブリーフィングも終わり、あと三時間ほどで日付が代わる午後九時過ぎ。
俺は中々寝付けず、こうなったら最後まで起きていようとひたすらカフェイン飲料を体に流し込んでいた。それまで一切飲むことがなかったエナジードリンクもとっくに缶を空け、インスタントコーヒーの三杯目を味わっていた。
「あ、巡さん。眠れ……って、そりゃ眠れませんよね」
自習室に顔を覗かせたのは南と日照の二人だった。恐らく俺と同じで、緊張して眠れないのだろう。
「こうなったらカフェインで覚醒してしまおうって思ったんだよ。二人もいるか? 奢るぞ」
「いいねー、じゃあ私これ!」
「ありがとうございます。私はこれで」
廊下に備え付けられている自販機で二本の飲み物を買った。日照はお茶で良いと言ったが、南はストロベリーパッションフルーツというフレーバーのエナジードリンクを選ぶ。明らかに俺の飲んだものよりも甘さがきつそうで、いかにも南の選びそうなものだと感じていた。
「南、それ本当に美味しいのか?」
「これ飲んだこと無いんだよね。エナジードリンク自体初めてなんだよ」
プルタブを開けてぐいっと喉に流し込むと、眉をしかめて味の感想を口にした。
「……うーん、イチゴシロップ系でめっちゃ甘いなぁ……不自然な甘さっていうか、昔幼稚園の頃に飲んでたシロップ薬に炭酸入れたみたいな……そんな感じ」
口には合わなかったようだが癖になる味のようで、南はちびちびと飲み続けていた。
「はは、ハズレか」
「うーん……あんまり冒険するもんじゃないね。最後の飲み物がこれになるかもしれないんだし、やっぱカフェオレにしておくべきだったかなぁ」
そんな俺達を見ながら不思議そうな表情を作った日照は、今まで全く気にしていなかった事について尋ねてきた。
「あの、お二人はなんで苗字で呼び合ってるんですか? 他の方には名前で呼び合うのに」
考えたことも無かった。自然と俺は『南』と呼びかけ、南は俺に『深宙君』と呼びかける。知り合ってから今までずっとそうしていた。
「なんでって……初めて会ってからずっとそうしてたからな」
「もうこの呼び方で慣れちゃったし、今更変えるのも変だし……ね?」
俺も南も同じ様な事を考えていたらしい。今更『巡』と『照月』では、少々恥じらいがあるというか、とっくに慣れてしまったものだから、今更呼び名を変えるのは気恥ずかしいものがある。
「でも私や凪さん、小夜さんには下の名前で――」
「それは多分、最初に下の名前で呼ぶように言われたからだな。まあ言われたっていうか、最初に俺がさん付けして堅い空気にしちゃったから、向こうから下の名前を呼ばせて空気を和ませようとしたんだと思うけど」
初対面、しかも男女比率に偏りがある士官候補生の時は、相手をなんと呼んで良いのか分からなかったのだ。例えば凪なら『青葉さん』か『青葉』の二択だったわけだが、周りが『凪』と下の名前で呼ぶので、俺もそうしたまでだった。
「なるほど、そうだったんですね。じゃあせっかくですし、お互い下の名前で呼び合ってみてください」
「えっ」
俺も南も全く同じタイミングで声を出す。何より驚いたのは、日照がそうやってこの場を茶化すような、俺達をからかうような事を言ったことだった。今までは身の上話か山に籠もっていた時の話、もしくは他愛もない世間話のみだったのに、こうやって積極的にコミュニケーションを取ろうとする日照は初めてだった。
「いや、流石にいきなりは変えられないっていうか」
「そうそう! 深宙君の言う通り! もう癖になっちゃったからさ!」
試しに反発することにした。実際、下の名前を呼ぶことの最初の気恥ずかしささえ乗り越えれば、後はこれまでと同じ様な接し方で変わりないと思うのだが、敢えて嫌そうに振る舞った所で日照の反応を伺うつもりなのだ。南も同じ考えなようで、俺に話を合わせてくれている……と思っていたが、本当に恥ずかしいらしい。
「いいからやってみてくださいよ。ほら『巡』『照月』って」
食い下がらないどころか、逆に面白がっている日照に新鮮さを感じる。こんな性格だったのだろうか? もしくは作戦前の興奮からなのか。
「もー……じゅ、巡……あーもう! なんか違和感がすごいし変だよ!」
「ほら、巡さんも。ほらっ」
ここまで強要する日照は初めてだった。仕方がない、ここまで期待されては従わない訳にはいかない。南も『私がやったんだから当然やるよね?』という視線をこちらに向けているので、言わないとこの場から離れることは出来ないだろう。全身を駆け巡る恥ずかしさや照れを思いっきり押し殺しながら、窓の外に視線を逸らして名前を口にする。
「て、照月……」
その様子が妙におかしかったのか、それともネタにしたかったのか、日照は笑いをこらえながら俺の事を無視して別の話題に切り替えた。やはり最初に会った時の日照とはかなり印象が違って見える。
「そういえば、今日って中秋の名月らしいですよ」
「いや人の話聞けよ! 俺がせっかく名前で呼んだのにさぁ」
「あはははは! ナイスツッコミだね!」
この三人だけの空間で笑いが爆発した。廊下に笑い声が響かない程度に声を抑え、やがて波は引いていく。
「はぁ~、しょうもないこと話してるだけなのに、なんか楽しいね」
南の言う通り、本来であれば下らなくどうでも良い事であるにも関わらず、とても面白かった。いや、楽しかったのだ。作戦の事など考えず、ただひたすらお喋りしているのがこれほどまでに楽しいとは。それもこれもお互いを『同僚』ではなく『友達』として意識しているからなのだろう。
「話を戻して、今日は中秋の名月らしいです」
言われてみれば、確かにもうそんな季節だ。
季節はとっくに初秋へと移り変わっていた。葉っぱの色は緑から黄緑色や黄色、赤色に変わり始め、雨が降った夜はかなり冷えるほどに気温は落ちている。空気も湿気が少なくなり、日中はぽかぽかと温かい天気が気持ちよかった。近くの栗の木は実を落とし、射撃の帰りに拾えるだけ拾って食堂で食べたあの味は、今までに食べたどの焼き栗と比べても甘く、忘れられない味だった。
「今日って曇りだよね? 今日っていうか一日か」
「一回見てみましょうか。えーっと月は……あ、ありましたよ」
窓から顔を覗かせると、大きくくっきりと――そして黄色に少し赤みが混ざったような色合いの月が空に浮かんでいた。多くの雲が流れていく中で、まるで俺達に見せるようにしてわざわざ隙間からその姿を垣間見せる様相は、昔話に出てきそうな神秘的な景色と、土や木の香りが混ざった風が相まってとても心癒される。
「……月が綺麗だな」
何気なく放ったその一言に日照はまた何か思いついたようで、俺の袖を引っ張って南の元へ寄せると、こう囃し立てた。
「照月さん、巡さんがプロポーズしてますけど、どうしますか?」
定番中の定番だと思った。『月が綺麗ですね』の意味は何かと問われて、答えられない者は鈍感だろう。俺は早々にその意味を理解し、笑いながら修正する。
「別に南に言ったわけじゃないよ。普通に綺麗だって言ったんだ」
しかし肝心の南はまったく理解出来ていないらしく、その言葉の意味を聞くと感心した声を漏らした。
この時間がとても楽しい。友達と他愛もない話で盛り上がり、笑い合う事は日常だったはずだ。高校に登校する時、休み時間、帰り道――何人かで集まって駅の前やコンビニの前で駄弁っているあの風景さえも、この戦争が非日常へと変えてしまったのだ。そう考えると、楽しい会話の後に悲しい気持ちが押し寄せてくる。
「……なあ、南、日照」
俺の声のトーンが低くなったことに気がついた二人は、何も言わずにこちらを見つめていた。
「……この作戦、絶対に成功させよう。なんならこの作戦で戦争を終わらせよう。日本から追い出して、その次はこの世界から――」
何も言わなくとも、俺達はお互いに握手を交わしていた。作戦開始前に兵士一人一人と握手を交わすにも関わらず、握手を交わした。月はそんな三人を見守るが如く、度々雲に隠れながらも月明かりで照らし続けていた。
* * *
「減速する、車間距離に気をつけろ」
総合ゴルフ場までの道のりを車両で移動して数十分が経過した。時刻は〇時一〇分を過ぎている。
砲弾の爆発音が響き渡り、俺達は予め決められていた停車位置に車両を停車させ、戦闘指揮所を設営する事にした。迅速にテントを展開し、無人車両やドローンの準備も進めていく。
「第一小隊は救急テントを設置後に炊事所の偽装! 第二小隊はK12機関銃陣地の築城を! 第三小隊は迫撃砲陣地と通信アンテナの設置をしなさい! それと物資の積み下ろし場所は建物に囲まれてるあの場所にして! 通信兵は砲兵隊の展開状況を十分おきに報告すること! 実施ッ!」
いつ見ても素晴らしい指揮能力だ。何か指示を受けたわけでもないのに、凪は冷静沈着に部隊の指揮を執っている。そしてそれを見ていた浅嶋少佐が、感嘆の声を漏らしていた。
「青葉すごいなぁ。ここまでとは思わんかったわ」
憲兵に作戦地域の交通整理を依頼したため、憲兵小隊の指揮官である浅嶋少佐も、指揮のためここに来ているのだ。『憲兵』と書かれた腕章を左腕に付け、凛とした態度で兵士達を統率する様子を見ると、やはりプロの軍事教育を受けた人は違うという印象を受けた。
この後すぐに駐屯地へ撤収するとは言え、少佐は一切手を抜いていないように思える。いや、すぐに駐屯地へ戻る事が出来るからこそ、今を一生懸命にしているのか。
とにかく、兵士達に分かりやすい指示を出しているこの人は、AAOの兵士達とは雰囲気からして違っている、別格の存在だった。
「小隊長、このくらいで良いでしょうか?」
炊事所の偽装が出来たようで、俺は近くまで行って出来具合を確かめた。少々枝が多いような気もするが、近くで見ても分からない程度になっているため、このまま地面をシャベルで均しておくように指示した。砲弾や銃声の音は絶え間なく続いており、このゴルフ場を超えた先では激しい攻防線が繰り広げられているのだと、現場を直接見なくてもよく分かる。
「凪、一小隊は救急テントの設置と炊事所の偽装、整備を完了させた。次の指示を」
「じゃあ塹壕を掘って貰える? あの機関銃陣地から伸びるように交通壕を掘って、ここまでS字になるように」
早速補給隊から土嚢袋を受領し、シャベルでひたすら地面を掘り続ける。集中的に人員を活用することにより、一個分隊では三時間かかる作業も、四倍の一個小隊にかかれば五〇分で終えることが出来るのだ。俺も直接シャベルを持ち、基準を作るため浅く掘り進めていった。小隊員達は足首ほどの深さまで開通した塹壕をより深くなるように作業を続けている。
「小隊長! UGVとドローンの準備できました!」
「分かった、UGVには各分隊の背嚢を積んで待機させろ!」
UGVとは無人地上車両の略称である。車輪が六つ付いたこの特徴的な外見の車両は、大きな動くカゴのような認識で運用されており、AAOでは各種物資の運搬、負傷者の移送、機関銃を取り付けての小隊火力増強と言った事に活用していた。タブレットのように画面の付いたコントローラー・パッドで操縦をするのだが、それに映し出される映像がまるでゲーム画面のように見え、これが未来の戦場環境かと驚いたものだった。
ドローンは先の作戦で使われたものと同じものを使用している。ドローンは捜索・偵察及び、火力誘導に関しても非常に有用であり、兵士の生存性を保証しながらも効率的に戦場の可視化を実現できる、夢の様な装備だった。ただしバッテリー容量の問題から、連続飛行時間は三五分となっている。数は全部で一二機――予備バッテリーも十分に保有しているが、実際の戦場環境でどれくらい使えるかはまだまだ未知数だった。世界中の軍隊を見渡してみても、このようにハイテク装備を柔軟に導入している国は少なかったため、運用方法が確立していないという点が足を引っ張っている。
「各小隊長は進捗を報告して!」
腕時計を見ると、時計の針は一時五分を指していた。停戦協定が失効してから一時間ほど経った頃だが、予想していたよりもかなり静かに思える。砲弾や銃声は絶え間なく聞こえているが、その数自体が少ない。これなら先の作戦で聞いた銃声の方が激しかったと、俺は二ヶ月前の事を思い出していた。
「一小隊は現在交通壕の整備中。UGVとドローンの準備は出来ている状態だ」
「ネットワーク体系は同期してる?」
「ああ、通信兵にやらせてる。三小隊がアンテナを設置できたらいつでも使えるよ」
「分かった。じゃあ何人か引き抜いて、補給隊からスクリーン装備持ってきて」
スクリーン装備と格好良く呼んではいるが、結局はプロジェクターのセットの事を言っているだけだった。戦場の可視化を実現するため、戦闘指揮所内では作戦地域の地図と共に、ドローンやUGVに搭載された偵察カメラから映像をリアルタイムで映し出すというものだ。
「九里山少尉、スクリーン装備を頼む」
「必勝ッ! スクリーン装備ですね!」
「……元気が良いのは分かったから、ここで敬礼は遠慮してくれ、狙撃される」
この戦争が起こる前に見た映画で『上官への敬礼はするな。真っ先に狙撃される』というセリフがあったと記憶しているが、まさか大真面目に言う日が来るとは夢にも思わなかった。
「えっと……佐山一兵。ケーブル類はどこにしまったの?」
「はい、こちらです」
「あ、ありがとう。ど、どうぞ!」
ひどく緊張し、怯えているようだった。それもそのはずで、人生で初めての戦場に足を踏み込んだわけなのだから、当然怖いはずだ。俺は九里山少尉に持っていたチョコレートを渡しながらこう告げる。
「緊張するのはいいが、あんまり緊張しすぎると部下が不安になる。これ食べて、ちょっとは落ち着いたほうがいい」
「は、はい! ありがとうございます!」
キャンディーの包装に似た包み紙を開け、一口ぱくっと放り込むと、目をぎゅっと瞑って小刻みに震えていた。
「に、にっが……これブラックチョコレートですか?」
「カカオ八〇%のチョコだよ。もう一個いるか?」
「え、遠慮しておきます」
照月から貰ったチョコの内、大半は甘くないチョコレートだった。照月の持っているチョコレート自体、時々千歳さんが後方に赴く時にコンビニで買って来てくれたもので、その中には甘いどころか、苦味しかないチョコも多く含まれていた。あれを千歳さんが食べたかったものかどうかは分からないが、照月はそれらを捨てるわけにもいかず、俺に押し付けて来たというわけだったのだ。
「その苦味にだって耐えれるんだから、緊張くらいどうってことないだろ?」
「まあ……気の所為かもしれないんですけど、ちょっと緊張が解けてきた気がします。ありがとうございます!」
「じゃあ、後で青葉中尉に進捗を報告するように」
きっと彼女は緊張が解けてなど居ないだろう。しかしプラシーボ効果のように『大丈夫、大丈夫』と心の中で繰り返すのは、とても効果があると信じていた。緊張が解けた風に思い込ませれば、そのうちこの空気にも慣れるのではないだろうか。
ある程度陣地の形が整い、少し手が空いた分隊ごとに個人の偽装をすることになった。近くの草や枝を折り、ヘルメットに挿していく。新しく支給されたフェイスペイントも顔に塗り、いつでも攻撃が出来る状態になっていた。
「左上から右下に塗れよ。もったいないとか思わないでたっぷり塗れ。耳と首も忘れずにな」
小銃の弾薬、ナイトビジョン、銃器の状態、水の量に加え、戦闘服の糸のほつれでさえも入念に確認し、やがて時計の短針は三時を示していた。風はひんやりと肌寒く、ボディーアーマーを着用していても苦にならないどころか、快適な体温になっていると感じている。重くなければより快適なのだが、この重さこそが敵の砲弾や銃弾から身を守ってくれるのだと自分に言い聞かせた。
「各小隊長は集合!」
凪から集合の合図がかかり、俺は指揮所の中に入っていく。すると驚いたことに、この短時間でオフィスのような環境が揃っていた。机、椅子、プロジェクター、モニター、通信機、地図――しかもそれぞれが乱雑に置かれているわけでもなく、整然と並べられているこの内装は、とても綺麗ですっきりしている。とにかく、俺はこの素晴らしい環境に感動すらしていたのだった。
「じゃあ座って。自衛隊からの報告が来たから共有しておく」
凪は指揮棒を使ってモニターを指した。
「作戦地域に関しては昨日のブリーフィングの通りだから省く。現在三七一普通科連隊は一個中隊規模の敵歩兵部隊と交戦中。ただし敵が攻撃や機動防御をする兆候はなく、まだ暗い内にこちらから攻撃を仕掛ける方針に転換した。私達は予定通り、四時定刻に住宅地を抜けて堺南区役所を攻撃、その後は敵陣地を突破した陸自部隊が先行し、AAOは補給を受けた後に続く事になる」
彼女は画面を切り替え、俺達一人一人に目を合わせながら話していた。
「ここで伝えておきたいことがあるんだけど、区役所から南東に約一kmの地点に大型ショッピングモールが集中している箇所がある。ここは物資集積所の他に、屋上の駐車場に対空砲や野砲が設置されているという情報があって……これを便宜上『ショッピング要塞』と呼称するけど、この要塞を攻略してから区役所を攻撃してほしい。それともう一つは、地図と航空写真を見てもらえれば分かりやすいんだけど、この一帯の住宅地は全部碁盤目状になってるの。だからドローンを復数運用したいわけなんだけど、空中衝突を防止するだけじゃなくて電柱とか電線に引っかからないようにする意味も含めて、必ず衝突防止機能をオンにして欲しい。何か質問は?」
気になることがあった。俺達の第一目標は南区役所の中隊司令部を攻撃することで、ショッピング要塞を攻略するのは第二目標なはずだ。それを敢えて要塞攻略を先に実施するというのは何か意味があるのだろうか?
「俺達の第一目標は区役所への攻撃だろ? どうして要塞を先に攻略しなければならないんだ?」
「ショッピング要塞に配置されてる兵器は、敵陣地を攻撃する陸自部隊を側面から狙い撃ちに出来るの。しかも屋上なわけだから、対空砲なんかは砲弾の雨を降らせることが出来る。陣地を突破できないと、そもそも区役所を攻撃した所で意味はないんだよ」
「なるほどな……ただ、被害を被った敵が陣地から後退する可能性を考慮した場合、区役所攻撃を優先したほうが良いんじゃないか?」
「敵が撤退を考えているなら、もう区役所より後方の陣地を占領しているはず。今の所そういう情報はないから、前線を維持する意図なのは確かだと思う」
後退する際に後方の陣地を占領しておくのは、戦場での原則の内の一つだ。
敵がこうして何時間も陣地に籠っているということは、攻撃の意図が無いのではと勘ぐってしまうが、冷静に考え直すとそれはそれでおかしい。
夜襲を実施出来る装備がこちらより不十分とはいえ、俺が昨夜のブリーフィングで聞いたのは『敵による攻勢が予想される』という事だった。改めて頭の中の情報をまとめた所で、敵による攻撃の可能性を拭いきれない自分がいる。もちろん機動防御も含めてのことだ。陣地の中に籠もっているだけが防御ではなく、部隊が機動し、攻撃部隊の側面や後方を打撃することも防御作戦である。
「分かった。それと自衛隊側の火力支援態勢と、戦車の有無は?」
「今の所自衛隊に火力支援は行われない。戦車も配備されてないね。でもミニミ付きのLAVが六両支援してくれるって」
その言葉に溜息が出てしまった。LAVというのは軽装甲機動車というもので、小銃弾を防ぐ程度の防御力を有しており、一言で言えば小さなタイヤ付きの装甲車だ。四名を搭乗させることが出来るが、防弾性能に関しては不安が残る面があり、あまり期待は出来そうになかった。対空機関砲や野砲で撃たれれば、あっという間に棺桶になってしまうだろう。
住居への被害を最小限に抑えるため、爆発物は使わない――正常な思考回路なら思いつかないような、卒倒するほどの不条理だ。この事を決めた政治家を小一時間問い詰めたいところだが、とにかく決まってしまったものは仕方がない。少なくとも、AAOには105mm榴弾砲という心強い味方がいる。
「最後の質問、敵の兵器の種類は?」
手に持っていたクリップボードを見つめ、やがて挟まれた書類をパラパラとめくりながら読み上げる。
「えーっと、設置式から読み上げるね。11.5mm機関銃、37mm機関砲、57mm迫撃砲、77mm迫撃砲、76mm対戦車砲、120mm野砲……ぐらいだね。あとは輸送トラックが八両と、指揮官用と思われる車両が三両。装甲車両は無し」
敵ながら賢明な判断だ。市街地に戦車を持ってこないのはとても優秀だったと拍手せざるを得ない。もし戦車がいたなら、新しく配備された対戦車兵器でスクラップにしていたところだ……というのは半分冗談だが、実際敵の戦車が存在しないだけでも、遥かに前進はしやすくなる。厄介な敵が居なくて幸いだ。
「分かった、ありがとう」
情報共有が終わってすぐ、補給隊は弾薬等の物資を調達するため、一度駐屯地に戻ることになった。次の補給は三時間後――予備弾薬も背嚢の中に入っているため、当分の間心配はいらないだろう。
陣地構築の続きを指示しようとした所、指揮所から飛び出してくる凪を見つけた。情報共有は今さっき終わったのに、何かあったのだろうか。
「各小隊長は再集合! 早く!」
テントの中に入ると、地図には陸自部隊を表す青色の部隊符号が、どんどん敵陣地の方へ向けて動いていた。これこそが戦場の可視化だ。ドローンによって捉えられた部隊の情報はリアルタイムで送られてくる。
「ったく、自衛隊の情報はタイムラグありすぎだよ……三時一五分より、陸自は全面的に攻撃を開始するとの事。現在時刻は一三分だから、私達も急いで攻撃体勢を整えて、準備の出来た小隊から住宅地へ侵入する。質問は?」
「質問っていうか……私達、もう今すぐにでも出発できるけど?」
南が『何を今更』といった風に答えると、凪は驚いた様子だった。この短時間で陣地構築やその他様々な作業があったのにも関わらず、今すぐにでも攻撃できる準備が出来ているという言葉を信じられなかったようだった。
「えぇ!? でも忙しかったでしょ!?」
「合間を見つけてなんとかね。日照と深宙君の隊も準備できてるでしょ?」
南の言葉に日照が答える。
「はい、ドローンとUGVも展開可能です」
俺も持っていたコントローラーの電源を付け、設定画面を開いてみせた。
「一小隊もネットワーク体系の同期は済ませたし、移動も出来る用意がある」
その言葉を聞いて、凪は小夜にこう聞いていた。
「ほ、本当に攻撃命令出して良いのかな? まだ心の準備出来てないんだけど」
「良いんじゃないの? 凪、あなたが統合指揮官なのよ?」
小夜がそう助言したものの、まだまだ命令を下すことに迷いがあったようだ。
凪が自信を無くした――いや、そもそも自信なんて無かったのかもしれない。統合指揮官というプレッシャーに押しつぶされないよう、目の前の仕事を必死にこなしているだけだったのかもしれない。しかし、これまでの凪はここまで卑屈にはなっていなかった。心の準備という言葉など、彼女の口から出るとは思いも寄らない事だったのだ。
そこで俺は理解した。
これまで俺達小隊長は、統合指揮官を頼ってきたのだ。積極的に意見や質問をぶつけることをせず、少し遠慮気味に聞くだけだったのだが、そんな小隊長はやがて成長し、自分達が何をすべきで、どうすれば作戦を円滑に進められるかという事を理解していた。
凪の助けが無くとも自発的に動き、適切な指示を出す――その結果、わざわざ面倒を見なくとも、俺達だけでしっかり準備出来ている状態になっているのだった。小隊長達は立派に成長していた。
「う、うーん……よし、じゃあ各小隊、攻撃開始線まで移動準備! 陸自には連絡を入れる」
「了解」
こうして部隊はついに反撃作戦が行われる戦場へと身を投じる事になった。後にこれを『十月攻勢』と呼ぶことになるとは、まだ誰も知らなかった。
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