2、空は曇り、雨粒が落ちてきた。
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・組織などとは関係ありません。また、作者は軍事に関する専門家ではありません。あくまで創作物としてお楽しみください。
「パスポート持った? 忘れ物とか――」
「大丈夫、大丈夫よ。でもまさか、高校生の息子からグアム旅行をプレゼントされるとは思ってもいなかったわ」
「ストレス解消して帰っておいでよ」
「そのつもりよ。じゃあ、母さんもういくからね」
駅の改札を通り、エレベーターへと向っていく姿を見て、俺は『育ててくれてありがとう』という感謝の気持ちを伝えたくなり、大きな声で呼び止めた。
「母さん!」
通勤や通学途中の人々がこちらへ視線を集中させている。急に気恥ずかしくなり、たった一言『ありがとう』と言う事すら憚られた。
どの道一週間後に帰ってくるのだから、その時に伝えても遅くはないだろう。そう思い直し、感謝の言葉を別の言葉へと置き換えた。
「いってらっしゃい!」
俺の声に応えるように手を振る母親。エレベーターが昇っていくのを見届けて、俺も学校へと歩き出した。スマホの画面には八時一三分と表示されている。飛行機は一〇時一〇分に離陸するはずなので、およそニ時間後。朝から曇り空ではあるが現地は快晴らしい上に、旅行シーズンでもないので快適に過ごせるだろう。
そう考えながら歩いていると、後ろから声を掛けられる。それは昨日出会ったばかりの田内だった。
「よう、深宙」
「お、田内か。おはよう」
「昨日はとんだ災難だったな。先生の手伝いとか」
「そう、それなんだけどさ。俺が先生に返事する前に田内が『また今度』って言ってたよな」
「それがなにか?」
「いや、もしかして保身のためだったのかなって」
この追求をせずにはいられない。いくら初対面でも――いや、初対面だからこそ見捨ててはいけないというものがあるのではないだろうか?
「ほ、保身って?」
「だから、俺が拒否してたら先生はあのグループのうちの誰かに頼んでいたわけだろ?」
「お、おぉ……深宙、お前すげぇ洞察力だな」
「洞察力も何もそういう風にしか考えられねえだろ……」
「まあまあ、そんなお前も中々楽しんでるみたいじゃんか」
「楽しむ?」
「とりあえず教室で話そうぜ」
教室に入るまで『楽しむ』とはいったい何なのだろうと考え抜いてみたが、まったく見当もつかない。しばらくして登校してきた昨日の男子三人組を交え、田内から話を聞くことになった。
「実は俺達、あの後先生と鉢合わせになりそうだったから急いでファミレスから出たんだよ。それで、深宙もいないし早めに解散するってことになってな」
「それで?」
「深宙から貸してもらったプリントを学校に置きっぱなしってのに気付いて、それから急いで取りに戻ったんだよ。そしたらちょうど深宙が出てきて」
「あぁ、まあ……そうだな、割と早めに手伝い終えたから」
三人組の中の一人が会話に割って入る。
「なんだ、大したことじゃないのか」
「まあまあ聞けって。そこで俺は見たわけよ……入学してからニ日目にして、女子とニ人きりでお帰りになられている彼の姿をね」
田内の言葉に全員がこちらを向き、口々に勝手な事を言い始めた。
「へぇ~、深宙ってやるんだな。初日から女の子捕まえたか」
「人は見た目によらず、か。意外と遊ぶタイプ?」
「いや、ニ人で帰ってたからってなんでそういう事になるんだよ!」
俺は不服であると訴えたが、その訴えは簡単に取り下げられてしまった。
「まあ、これが一般的な女子であれば……『たまたま帰り道が一緒だったからついて行ってあげようかなー、全然知らない子だしなー』で、いわゆる好奇心からくる行動だといえる」
「南が違うっていうのか?」
「そうだよ、全然違うんだよ! おい深宙、お前気付いてるのか?」
「何がだよ」
田内は声のボリュームを下げ、周りに聞かれないように注意して話す。
「うちの学校、前々から生徒のレベルが高いって評判だったんだよ。そりゃ進学校だから頭のいい奴も多いけど、それ以上にお嬢様とか育ちのいい奴が多くて、美男美女が揃いやすいんだよな。特に今年の一年生は豊作だって聞いたぞ」
「誰から?」
「先輩から」
こいつはもう先輩と知り合うほどなのか、と対人スキルの高さに驚いたが、このノリは確かに友達が多そうな印象だ。現に、彼は同じクラスのほとんどの生徒と顔見知りなのだ。
「まったく……」
「ほら、よく見てみろよ。より取り見取りだぜ? ほら、あっちの一番前端の席の子とか、その後ろでしゃべってる髪の長い子もそうだし――」
「はいはいそれで?」
「南さんといえば、お父さんが――」
「お父さんが弁護士、お母さんが歯医者」
昨日聞いた事を忘れるはずがない。そもそもどうして彼が南の父親の職業を知っているのか気になったが、あまり深くは追求しないでおこう。
「……んな、なんで知ってんだよ!?」
「いや、昨日帰り道に色々喋ったから」
「やっぱデキてんだろ」
「何がデキてるんだよ……」
そう言い放ったタイミングで南が教室へと入ってくる。ちょうど目が合い、そのまま俺の元へと近づいて挨拶を交わした。
「おはよ~」
「おはよう」
そして自然な立ち振る舞いで、俺の後ろの席である教室真ん中最後尾の席へと座った。そういえば南は俺の真後ろの席だった事に今気が付いた。昨日話すまで顔も覚えていなかったものだから、そうなるのも仕方がない。
「深宙……ちょいちょいちょい」
「え? あぁ」
教室の前の方へと連れていかれ、俺の意思を問いただされる。
「深宙、お前はどうなんだよ。南さんとどうなりたいんだよ?」
「どうって……友達でいいだろ」
「友達以上は?」
「今のところは別に」
「じゃあ恋人未満は?」
「何言ってるか分からんぞ。あのな、初対面で仲良くなり始めた頃からそういう風に接するって、ちょっと失礼だとは思わんか?」
物事には順序というものが存在する。それはどのような物にも適用されることで、その過程をすっ飛ばしていきなり恋人になるなど結末はわかりきっているというものだ。そもそも俺はまだ彼女を好きになるどころか、友達としても相手の事をよく知らないのだ。昨日聞いた事はまだほんの一部にしか過ぎないだろう。
「あー、下心的な?」
「そう、その通り」
「でもまぁ……大丈夫でしょ」
「なにが大丈夫なんだよ……」
「こう見えても、この川口って奴は恋愛の事については専門家なんだよな。アドバイスしてやれよ」
「なにがどう見えるかは分からないけど、俺は確かに中学の時に恋愛の専門家って呼ばれてたね」
川口と呼ばれた彼は長身というわけではないが、顔はそこそこ整っているほうで、ますます説得力が増してくる。
「俺に相談持ち掛けた件は全部解決したよ」
「具体的にどんな風に解決したんだ?」
「俺の解決法はニつだけだった。『告白しろ』か『別れろ』」
「絶対適当にしてるだろ、それで人生狂う奴も居るかもしれねえんだぞ」
内容はともあれ、友達同士の会話らしい会話をしていることに俺は満足感を覚えた。それより、彼等が思春期の男子なのは確かで、仕方ない面もあるとは言え、あまりに正直過ぎる。
実際、俺もそういうのに興味がないわけではない。だが、今まで人を好きになったことはないし、そもそも好きという感情はどういうものなのかもよくわかっていない。だからこそ、俺は慎重に行動しているとも言える。無責任なことはしたくないというのが今の気持ちだった。
「んで、結局付き合ったの?」
「だから友達だって!!!」
どうやら男女間の友情を理解できないらしい。
* * *
「今日は教室の中暑いね。袖捲くろうかな」
「湿気があるからじゃないか? 雨の予報は無かったけどなぁ」
ニ時間目の現代文が終わってすぐの休み時間。俺は南との会話に花を咲かせていた。相変わらず田内達の冷やかしの視線が気になりはするが、そのうち飽きることだろう。時々スマホを弄りながら連絡先を交換
するタイミングを伺っていたが、なんとも嬉しいことに南から交換しようと持ち掛けてきた。
「あ、連絡先交換しない?」
「それはいいけど、ご両親に管理されてるんだろ?」
南のスマホの中身は逐一母親にチェックされているそうだ。有害なものは見ていないか、指定した友人以外とやり取りをしていないか……。正直なところ、常軌を逸してる行動だと思う。だが本人を目の前にしてそこまできつい言葉を言う事は出来ない。それとなく、オブラートに包んで言うだけだ。
「うん、それでこの間機種変えたんだ、これ虹彩認証できるんだよ」
「あ~、目の中のを認識する奴か」
「そう、だから大丈夫」
「まあ……気をつけろよ」
そうだ、昼休みに田内や川口の連絡先も教えてもらおう。そうすれば、いずれ遊びにも誘われるはずだ。これが高校生活――友人の持つ魅力というものか。
お互いの連絡先を交換し、次の授業で使う教材を机に出したところで、クラスの中の誰かが声を上げた。まるで道路に落ちているカラスの死骸を見たかのような声を出した事で、教室の中の誰もが声を上げた生徒の方を向いていた。
「うわっ、なんだあれ!?」
「おいおいおい、空! 空みろよ、おいッ!」
「やば……やばいな」
そのうちクラスのほとんどの生徒が窓際に駆け寄り、空を見つめ、写真や動画をとる者もいた。窓際は人で溢れかえっていたので、俺は廊下に出て階段側の窓から空の様子を見ることにした。
「南、階段の窓からちょっと見てくる」
「待って、私も――」
ニ人で廊下に出ると、違うクラスの生徒も廊下側の窓から空を見つめようとしていた。一体何が起きているのか確かめようと階段の窓の外に視線を移すと、そこにはなんとも形容しがたい形をした巨大な物体が空中に浮かんでいた。
例えるなら、SF映画に出てくる宇宙船のような形。軍艦をいくつも組み合わせたような形に、上下には大きな砲台が付いており、ダークグレーの色をした流線形の異様な物体が空に浮いていたのだ。その非日常的な光景は見る者の好奇心、不安感を煽る。
「な、なにあれ……UFO?」
「分からん……分からない……けど」
「けど、何?」
「……ヤバそうな気がする」
俺達はしばらくの間、その物体の様子を見ていた。もうじき授業が始まるのだが、そもそもこんな状況で授業に集中できるはずがない。俺はいったん席に戻り、鞄にしまったスマホを取りに行こうと考えた。
「俺、スマホ取って来るよ」
「ていうか、もうすぐ授業始まるじゃん」
「そうか……とりあえず戻ろうか」
教室に戻るために人混みの中をかきわけて進もうとすると、突如大きな雷が鳴った。閃光は無かったが、凄まじい爆発のような音と地震に似た振動を感じたので、俺は雷だと思い込んでいた。近くに落ちたのかもしれないと考えたが、その考えは瞬く間に覆されることとなった。
「うおッ!」
「あッ!」
「きゃぁッ!!!」
突如周りの道路や建物が爆発し、その衝撃波で窓ガラスが割れた。雷の音だと思っていた音は次第に増えていき、それが爆発音だと気が付くのに時間はさほどかからなかった。駐車中の車の防犯装置が作動したのか、けたたましいブザー音も響き渡っている。
校舎内はあっという間に阿鼻叫喚の渦となった。生徒たちはどうすることもできず、ただしゃがみ込んだり床に伏せたりして身を守っている。俺と南も急な出来事に驚いてしまい、廊下に伏せて身の安全を確保した。辺りはガラスの破片が飛び散っており、運悪く袖を捲っていた彼女は腕を切ってしまったようだった。鮮血がだらだらと手をつたい、周りに飛び散ってしまっている。
「み、南、その腕……!」
「ガラスで切っちゃったみたい……」
「待ってて、爆発が収まってから保健室に――」
そう言いかけたところで周囲の爆発は止まった。しかし音はまだ続いているので、ここではない別の場所が爆発しているのではないだろうか。
俺は南の腕を掴み、保健室に連れて行こうとする。だが爆発が止んだ隙を狙って逃げようと考えているのか、多くの生徒が階段を下りて外へと駆け出して行った。生徒達は明らかにパニック状態である。
「おい、深宙! さっさと今のうちに逃げるぞ!」
「逃げるって、どこに逃げるんだよ!?」
「分かんねえよ!!! でもあのUFOが関係してるのは間違いないだろ!!!」
「いや……とりあえず先生の指示を――」
田内も他の奴らもほぼ全員校舎から飛び出したようだった。英文法を担当していた教師が困惑した表情で、残っていた俺たちに問いかける。
「ちょっとあなたたち、これはどういうことなの!? 何があったの!?」
「俺たちにもわかりません。いきなりアレが出てきたかと思えば、周りが爆発し始めて」
「……と、とりあえず、あなたはケガしてるの?」
「はい、腕を切っちゃって」
「ハンカチか何かで押さえていなさい。すぐに戻ってくるから」
「じゃあ教室で居ます」
「そうしなさい、教室で待ってなさいね!!!」
ただ事ではないと判断した教師は急いで下の階に降りて行った。俺達はもぬけの殻となった教室に戻って自分の席に座り、ハンカチで止血を試みる。
「よし……これで押さえていれば血は止まると思う」
「ありがとう。ごめんね、ハンカチ汚しちゃって」
「いいよ、それより怪我の方が問題だし」
「……あれ、なんなのかな」
「わからない……田内の奴はUFOって言ってたけど」
俺は地球外生命体の存在を信じるか信じないかで言うと――信じる方だ。しかしあれが本当に外宇宙からやってきたとは考えられず、他にも考えられることとして、俺は秘密兵器の可能性を考えることにした。
「じゃあ映画みたいに侵略されてるってこと?」
「いや、もしかしたらどこかの国の兵器なのかも……宇宙人が侵略って、あり得なくはないんだろうけどな」
「ってことは、日本で戦争が起こったってことなの? 信じられない……」
「まだわからないけどな、わからないけど……もう、何が何だか」
俺も少しパニックになりかけていた。もしあの巨大な物体が地球外生命体の宇宙船だったら……超大国の秘密兵器だとしたら……考えはまとまらず、行きつく先の答えは『分からない』だった。
出血の勢いがかなり落ち着いたところで、担任の教師が深刻そうな顔で教室へと駆け込んでくる。担任も状況が全く呑み込めていないようだった。
「他の子たちは?」
「どこかに逃げました」
「……と、とりあえず、保護者が迎えに来るまで待ってなさい」
「あの、うちは家に母さんがいないんです。用事で海外に行ってて――」
「じゃあ……親戚とかは?」
「知り合いなら近くに住んでますし、連絡もつきます」
この知り合いというのは、他の誰でもない瑞穂さんの事を言っていた。中学の時の事ではあるが、大きな地震が起こり、学校がいきなり休校になった時も嫌な顔一つせずに迎えに来てくれたので、またあの人に頼ろうという考えだった。
「それは任せるから、とりあえず迎えに来てもらいなさい。南さんの怪我は大丈夫?」
「一応、血は止まりかけてます」
「必要だったら保健室に行きなさい、そこは自分で判断して」
「わかりました」
担任はロッカーから救急箱を取り出し、怪我をしたほかの生徒を手当しようと廊下へ戻った。俺は巨大な物体の正体を先生に尋ねた。答えは出ないと分かりきっていながらも、聞かないと頭がどうにかなりそうだった。
「先生! あれは一体……今何が起こってるんですか!」
困った表情を作り、大きく溜息をついて問いかけに答える。
「そんなの、先生が知りたいくらいよ」
* * *
「……瑞穂さん、何か分からないんですか?」
「姉さんと話せば分かるよ」
最初の爆発から数十分後。一向に繋がらない電話を何度も繰り返し、ようやく電話に出てくれた所で瑞穂さんに迎えに来て欲しいと頼み、車を出してもらった。今は瑞穂さんの車で南の自宅に向かっているところだ。
遠くから響く爆発音はまだ止んでいない。空中に浮かんでいる巨大な物体は少しずつ移動しているようで、今いる位置からはよく見えなかった。
「……テロですか」
「まあ、似たようなもんだね。照月ちゃん、そこの角を曲がったところだっけ?」
「はい、あそこです。わざわざ送っていただいてありがとうございます」
「いいよいいよ、気を付けてな」
「はい。じゃあ、また連絡するね」
「あぁ、気を付けて」
南はインターホンを鳴らして玄関の前で待っている。鍵を開けてもらいたいようだが、誰も出てこないようだ。
瑞穂さんは南が家に入るのを見届けてから車を出そうとしていたため、一向に入ろうとしない彼女に声をかけることにした。
「照月ちゃん、どうしたの? 家の人出かけてる?」
「そうみたいです。私、鍵持ってないのに……」
「もしよかったらうちに来なよ。連絡がつき次第迎えに来てもらえばいいだろうし」
「いえ、ご迷惑をかけるわけには……」
「いつ戻ってくるのかもわからないのに、外で待つのはしんどいだろ? ほら、乗りな」
「あ、ありがとうございます。すみません」
再び南を乗せて瑞穂さんの家へと向かう。車内から見える街の様子は明らかにいつもと違っていた。爆発によって崩れた建物、パニックによる交通事故、ある家の窓からは煙がもうもうと立ち昇っており、周囲には消防車が数台停まっていた。
「まったく……四月の忙しいときに……」
「瑞穂さん、本当に何も知らないんですか? さっきから何か知っているような口ぶりですけど」
「巡、うちに着いて姉さんを交えて話がある。だから今は何も聞かないでくれ」
「……はぁ」
俺はもどかしい気持ちを何とか抑え、相変わらず『国内で同時多発爆破テロ』『未確認飛行物体が大阪市に出現』と表示されているスマホの画面を見つめていた。こんな大変なことになったんだ、まず心配なのは母親だ。
休み時間が一〇時四〇分から五〇分までだったので、おそらく離陸はしたと思うのだが……飛行機の中であれば連絡もつかないだろうし、グアムに着くのは大体一五時くらいだろう。その時にメッセージを送ってみようか?
いや、やっぱり今送るべきだ。インターネット環境が生きている今送らないと、後々ネットが使えなくなってから送れないなんて、母を心配させてしまうだろう。そう考え直し、俺は母親へ安否確認のメッセージを送った。
『母さん、俺は無事だよ。家も大丈夫だから心配しないで楽しんで来て』
『もしこっちでなにかあったら、千歳さんと瑞穂さんのとこに頼るから安心してほしい』
送信をタップし、瑞穂さんにテレビをつけていいか尋る。
「ニュース見てもいいですか」
「ああ、いいよ」
ナビのメニュー画面からTVを選択してチャンネルを切り替えると、どこも速報で『大阪市内で同時多発テロ』とテロップ表示がされていた。
「――では、まだ爆発が続いてる模様です。落ち着いて地下や頑丈な建物に避難し、窓辺には絶対に近づかないでください。怪しい人物や物を見つけた場合、近づかずに――」
「やっぱりテロなんですか……」
「……巡、パラレルワールドって信じるか?」
「はい?」
突然突拍子もないことを聞かれ、俺は思わず聞き返してしまう。
「あぁ、いや……やっぱり家で話すよ」
「ちょっと待ってください。本当にSF映画みたいなのが今起こってるってことですか!?」
「そこまでは……私たちの中で一番事情を知ってるのは姉さんだよ」
「千歳さんが……」
『北神 千歳』ニ五歳の若さにして不動産業で大成功を収めていて、俺の母親とは昔から付き合いがあった。千歳さんのご両親は幼い頃に亡くなり、瑞穂さんと2人で生活していた頃に母がよく世話をしていたと聞いている。千歳さんは一八歳の時に投資で莫大な利益を手にし、その資金をもとに会社を興したというのだ。
実を言うと、俺と母親もこの恩恵に与っている。昔面倒を見てくれたお礼として、新築のアパートの一室を無料で貸してもらっているのだ。母はそんな迷惑かけられないと拒絶していたが、人の厚意を無碍にするものではないと諭され、結局入居して四年が経っている。おかげで金銭的な負担は大きく減り、貯金もできるようになると母が喜んでいた。
「よし、着いた。ほら、どうぞ上がって。おーい姉さーん、回収してきたぞ~」
瑞穂さんが玄関の扉を開けて千歳さんを呼んだ。南は脱いだ靴を丁寧に揃え、俺の後に続いてリビングへと向かう。
「あぁ、帰ったの。無事だったのね」
「うん、被害が結構ヤバそうだけどね。あ、こっちの女の子は巡の友達。家に誰もいなかったみたいだから、放っておけなくて――」
「あらあら、大変だったわね……家の人が迎えに来るまで、ゆっくりしていきなさい。遠慮はいらないから」
「あ、ありがとうございます! えっと……」
南がどう呼べばいいか困った様子だったのを察してか、千歳さんから自己紹介をした。
「私は北神千歳。お嬢さんは?」
「南照月です」
「南さんって、あの大きなお家の?」
「あ、はい」
千歳さんはバラバラだったパズルのピースがうまく組み合わさったように納得した反応を見せる。
「南さんの娘さんだったのね。何年か前にマイホームの購入でうちに来ていただいてたのよ。この近くで一番大きな土地だったから、よく覚えているわ」
「そうだったんですか、その節はお世話になりました」
「あら、丁寧に挨拶まで出来て、偉いわね~。大人びているわ」
「いえ、そんな――」
俺は二人の会話を遮り、千歳さんに今何が起こっているか、思いつくだけの疑問をすべてぶつけようと考えた。
「お話し中すみません。千歳さん、あの空中に浮いてるデカいのは何なんですか? なんでこんな事になってるんですか? 何か分かるんでしょう!?」
「おい、巡」
少し落ち着けと言わんばかりに一杯の冷たいお茶を出してくれる。のどが渇いていたので、一口含んでからテーブルに置いた。
「照月ちゃんもお茶でいいかい?」
「ええ、ぜひ」
こんな状況はまともじゃない。誰もがそれに気づいているはずなのに、みんな平静を装っている。そんな様子が異常に思えるが、現代の日本人にとって同時多発テロなど創作物の中でしか見ることのできない、もしくは遠い異国の地でのみ起こる事件だと思い込んでいることだろう。目の前でテロリズムの被害が起こっているというのに、その現実を直視しようとしていない。誰もが『大丈夫、大丈夫』と根拠のない言葉を繰り返し、出来るだけ早く平穏な日常生活に戻ろうと虚勢を張っている。
「……南さんはここで待っていてくれる?」
「えっ。あぁ、はい」
いつになく神妙な表情で応接室に通される。扉を閉めると、もう外を通る車の音や遠くから響いてくる爆発の音は聞こえない。ただ静かな空間に三人がいるだけだ。
「……何から説明しようかしら」
「姉さん、とりあえずこの世界の根幹から話すのがいいと思う」
「……えぇ、そうね。それがいいわね」
千歳さんは眼鏡を外し、テーブルに置いて話を始めた。
「巡、多元宇宙論ってわかるかしら?」
「多元……宇宙論?」
「簡単に言えばパラレルワールドね。厳密には違うんだけど、私たちの世界とはまた別の似たような世界が存在しているっていう――」
「はい、それだったら……SFとかで」
俺は映画が趣味と言うわけではないが、瑞穂さんが映画をよく見るのもあり、度々DVDを貸してもらっていたのだ。その中には当然様々なジャンルの作品があるのだが、中でもSF映画と戦争映画の視聴回数は飛び抜けて多い。
「えぇ、よく題材にされるわね。物理学の世界でもいろいろ議論があるんだけど……話を戻すわ」
その時、応接室の扉がわずかに震え、南が聞き耳を立てているんだと感じた。千歳さんは気付いていないようで、そのまま話を続けた。
「一九九三年、アメリカの『アーノルド=モリンズ博士』が多元宇宙論の証明に成功するの。この世界とはまた別の宇宙の存在が確認されたものだから、公にすることは禁じられたわ」
「どうして禁じたんですか? 人類にとって、大きな一歩になると思うんですけど」
「九三年と言えばユーゴスラビア紛争とか、ソ連も崩壊して間もない頃だから、下手に人々の混乱を招いた場合、無政府状態が訪れることになりかねないと判断したのでしょう。」
多元宇宙論の証明だとか、アーノルド=モリンズ博士だとか、聞き慣れない単語が出てきてかなり困惑していた。それでもまずは話をしっかり聞こうと思い、続きを話すよう促した。さっきリビングに置いたお茶を持ってくるべきだったと後悔する。
「……それで、どうなったんです?」
「九九年にはコンピュータの画面に別宇宙の映像を映し出すことができたの。これは隣人観察計画って呼ばれたんだけど、ノイズが多すぎて風景しかわからなかったわ。そのあと、ニ〇〇ニ年にロシアが別宇宙と繋がる直径一・五mの『穴』を開けることに成功して、そこから大型の望遠鏡を通して観察が続けられた。それからは冷戦時代の宇宙開発競争みたいに、アメリカが直径四m、ロシアが六mの穴を開けて……そのうち情報収集のためにエージェントを派遣するという話まで出たんだけど……」
「派遣はしなかったんですか?」
「派遣寸前になって、逆に向こうの宇宙から交渉チームが派遣されたの。私たちが向こうを覗けるんだから、当然向こうからもこっちを覗けるってどうして気が付かなかったのかしらね」
俺はこの映画のような話に、ますます引き込まれていった。
「これ以上お互いの宇宙に干渉することは、それぞれの世界に悪影響を及ぼす可能性があると告げられたの。彼らは一切の研究を封印しようという事を提案したわ」
「彼らもその技術を持っていたんですか……」
「えぇ、国連の常任理事国が協議に参加したんだけれど、全会一致で封印に合意した。二〇〇六年には一切の研究データが抹消されて、すべては終わったと思われたわ。ニ〇〇八年まではね」
勿体ぶった話し方の効果もあるのか、俺は千歳さんの話に飽きること無く耳を傾けていた。扉の揺れる音が時々聞こえるので、南はまだ聞き耳を立てているのだろう。
「その時何があったんです?」
「ギリシャの軍事施設を撮影した容疑で逮捕されたイギリス国籍の男が、別宇宙から来た人間だと分かったの。偶然に偶然が重なってそうと判明したのね」
「別の宇宙の人々も俺たち同じ人間なんですよね?」
「そうよ。ただ、向こうの人々は首筋に国章を刺青で入れる文化があるらしくて、それを知っていた関係者がたまたま見つけた……という事ね」
「文化が違う……時間とかも同じなんですか?」
「向こうの世界とは、およそ一〇〇年くらいの差があるとされているわ。宇宙規模で見れば、誤差の範囲でもないのだろうけど」
首筋に国章を……独特な文化だ。ただ向こうの世界の人々も俺たちの生活を見たら、独特な文化と思うのだろうか。
「お互いが封印で合意したはずの研究が、まだ向こうの宇宙では続いているかもしれないという疑念が沸き上がった。そして逮捕された男を尋問した結果、侵攻の可能性についても議論されることになるの」
「それも国連でですか」
「えぇ、流石に事の重大性からか秘密裏ではあるけれど、国連に加盟していない国と地域にも参加を呼び掛けたの。ニ〇一一年には一〇年以内に侵攻される可能性が七〇%以上と結論付けられて、各国は『別宇宙からの侵攻に対応するための国際協約』に批准したわ。もちろん公表はされていないんだけどね」
秘密という単語が最も似つかわしくないと感じていた国際連合が、積極的に隠蔽をしているという事に対して、俺はこれまでの考えを改めることになった。最も澄んでいると思っていた水が、実は見せかけだったというのは少しばかりショックである。
「おかしな話です。国連はそういう秘密なんかに敏感に反応すると思ったんですが」
「人類の存続にかかわる問題だからね……」
「それで、その協約は何に関するものなんですか?」
「戦争の歴史を振り返った時、国の持つ軍隊だけだと侵略を防げなかった事例もある。今回の場合、明らかに地球規模の侵攻になる可能性が高かったし、全面戦争になれば世界経済は確実に破綻する。そこで軍部隊が戦場に到着するまでの時間稼ぎだったり、占領後の抵抗運動、補給なんかを行う大規模な民兵組織――準軍事組織を整備するというものよ」
「徴兵みたいなものですか? 全員軍人みたいな」
俺の軍事に関する知識なんてその程度だった。徴兵なら韓国や台湾にある制度だと知っているが、本当にそれしか知らない。
「ん~ちょっと違うわね。参加出来る年齢は一六歳からで強制じゃなくて志願制なの。一八歳になった後、希望するなら軍隊へ所属することになるわ」
「はぁ……なるほど。ていうか、中学の時に授業で習ったんですけど、子供って戦争に参加しちゃいけないんじゃないんですか?」
「その件は私が説明するよ」
今まで黙って聞いていた瑞穂さんが口を開いた。南は相変わらず聞き耳を立てているようだった。
「国連では子供が戦闘に参加することについて禁止しているんだ。具体的に話せば長くなるから敢えて言わないでおくけど、基本的に一六歳以上じゃないと軍事組織には参加できない」
「ですよね、俺もそんな風に習った覚えがあります」
確か平和教育か何かで、今でもアフリカや中東の紛争地帯では、小学生ほどの少年兵が武器を持って戦っていると習っていた。その知識が今活かせられることになろうとは思いもしなかった。
「今回の事件はそうも言ってられないほどに切迫しているんだ。もはや、こちら側の人類が絶滅するかもしれない状況にまでなっている。実際、今日……攻撃が始まったしね」
「じゃあ戦争でも起こったっていうんですか? 世界中を巻き込んだ侵略戦争が?」
「そうよ、これは戦争よ。日本が七〇年間忘れていた戦争が勃発したのよ」
何も言えなかった。普段なら俺をからかおうと、無駄に凝った設定のデタラメを話しているんだろうな、ぐらいにしか思わないのだが、状況が状況だけに千歳さんの話を信じざるを得ない。そして、朝まで平和に過ごしていた日常があっという間に崩れ去ったことに対して大きなショックを受けていた。心拍数が上がり、汗でシャツが背中に張り付く。
「理解した?」
「……理解するしかないんでしょう? これからどうなるんですか? 千歳さんはどうするんですか?」
「これからどうなるかは分からないわ……ただ――私はAAOの創設者として責任を果たすつもりよ」
「AAO?」
「『Anti Another space Organization』さっき説明した準軍事組織ね。世界中に存在しているわ」
「AAOの創設者って……千歳さんが!?」
千歳さんが不動産で成功している事は周知の事実だが、まさかその準軍事組織を創設しているとは夢にも思わなかった。これまでそんな素振りを一切見せていない事を考えても、本当にそうなのかと疑いが少しだけ残る。
「そうよ、私が日本のAAOを創設したわ」
「そんな……個人が作るもんなんですか?」
「姉さんはもともと政界との繋がりがあって、一九歳の時から別宇宙の脅威に対する研究に助成金を出してたんだよ。ほとんどの国では軍の管轄なんだけど、日本の場合は……」
残念そうに言葉を止めた瑞穂さんに代わり、話を進めていく。
「政権交代があってから、今の首相は安全保障に関してほとんど知識がなくて……防衛省とも話し合ってみたんだけど、彼らの予算だとどうにもならない部分があったりして、結局は私が民間組織として整備することになったのよ」
この政治劇のような話が一般人の口から出たのであれば、デマや妄想として片づけられるのだろう。しかし千歳さんの人脈や資金があれば、嘘と断言できないのがまたもどかしい。信じていないわけではないが、完全に信じたわけでもない。ここは慎重に情報を吟味する必要があるが、どうも頭が働かない。
「そんなわけで、姉さんは日本AAOの創設者として……今日に備えて来たんだ」
「てことは、もう人はいるんですね」
「いいや、これからだよ。今の今までずっと秘密にしていたんだから」
「それ、本当に間に合うんですか? 戦いは始まったんでしょう?」
今日大阪に爆弾が降ってきたという事は、既に戦いは始まっているということだ。それなのに人がいないというのは、本当に大丈夫なのかと心配になってしまう。
「とりあえず、防衛省経由で広告を出せるようにはしたから人目にはつくはずだし、今夜あたり国連から発表があるんじゃないかと思う。AAO第一期は一〇〇人集まればいい方だと思ってる」
「大阪だけでですか?」
「日本で」
「いや、いやいや……無理がありますよ。たった一〇〇人で何ができるんです?」
軍事音痴である俺も、流石に一〇〇人で国防が務まるとは思っていない。もっと人手が必要なのは言わずもがな、そもそもそれを未成年の子どもにさせようとしていることが信じられなかった。
「一〇〇人でもいいから必要なんだよ。日本全土をカバーはできないけど、攻撃を受けた都市でのみ活動すれば……なんとか出来るかもしれない」
「もう訳が分かりませんよ……」
俺がそう呟いて数秒後、スマホの通知音が鳴った。ポケットから取り出してみると、そこには世界中で航空機の爆破事件があったというニュース速報が表示されていた。爆破された航空機の中に関西空港発グアム行きの文字が目に入り、背筋が凍る。時間も一〇時一〇分出発の飛行機で、俺が予約した航空会社のもので間違いない。生存者は――無し。
「嘘だろ……」
「どうした?」
「ひ、飛行機が……母さんの乗ってた飛行機が……爆破されたって……」
「えっ!?」
「見せてっ! ……そんな……そんなこと」
俺は涙をこらえることができなかった。次々と大粒の涙が頬を伝い、少しずつ呼吸も荒くなっていった。母は無事なはず、きっとそうだと信じる間もなく、悲惨な現実を突きつけられひどく悲しみ、後悔した。
「俺のせいだ……俺が旅行なんて言わなければ……チケットを予約しなければ……母さんに伝えてから予約しても遅くなかったのに……俺の、俺の……ううぅ……畜生ッ!!!」
「巡、お前のせいじゃないよ。お前はちゃんと親孝行しようとして――」
「親孝行しようとして……なんです!? 親を殺したっていうんですか!?」
「いやっ、そういうわけじゃ……」
「はぁ……こんなことなら、あの時伝えておけばよかった……育ててくれてありがとうって、なんで言えなかったんだ……今になって……なんで後悔してるんだよ……」
「巡……」
ニ人は涙こそ流さなかったが、表情から見てひどく悲しんでいたことだけはわかった。千歳さんが俺にハンカチを手渡し、それで目を押さえる。なんとか涙が出るのを抑えるが、今までの母親との思い出に涙を流さずにはいられない。もう声を出すことすらできなくなっていた。
あれからどれくらいの時間が流れたのだろう。涙は枯れ果て、空腹とショックから体のだるさが最高潮に達した。そのままソファに倒れこみ、俺は何度も何度も後悔した。
母が死んだ。
事実そのものを受け止めることは出来たが『ありがとう』の一言を伝えられなかったのは、もうどうしようもなく自分が愚かに思えてしまっていた。
「巡、何か食べようか。私が作るよ」
「……何も食べたくないです」
「そうか……姉さんは?」
「飲み物だけ……」
「私はあの子と一緒に食べるよ。姉さんは紅茶?」
「……何でも良い」
「分かった……」
そう言って扉を開けた所で南が立っていることに驚いた瑞穂さんは、何も言わずに彼女をリビングへと誘導した。
「……千歳さん」
「何?」
「なんでこんなことになってるんですか……母さんが犠牲になる必要なんか……これっぽっちも無かったじゃないですか。なんで……」
戦争は俺と全く関係のない事だと思っていた。遠い異国の地で起こっている、ニュースに出なければ知りもしない事だった。あまりにも無残な戦争の現実を目の当たりにすると、この世の不条理さを呪ってしまいたくなる。
「戦争なのよ……これが戦争なの」
「……何で戦争なんかが起こるんですか」
「彼らの持つ領土的野心、資源、技術……人間の欲から来るものよ」
「本当、馬鹿馬鹿しい……」
「そうね……戦争なんて、馬鹿馬鹿しいわよね」
本当に馬鹿げている。領土が欲しいとか、資源が欲しいとか、そんな理由で戦争をするなんて――。
俺は戦争に対して無知だ。歴史に興味があるわけでも、軍隊に興味があるわけでもない。
戦争で全く関係ない人が死ぬという事がこれほどまでにショックだとは思わなかった。戦争なんて遠い異国の地で起こっている、自分には関係のないことだと思っていた。どうして何の罪のない人々が巻き込まれて死んでいかなければならないんだ。どうして――どうして母親は死ななければならなかったんだ。どうして……。
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