表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
若さは硝煙と共に消えた。  作者: メグ
3、海岸警戒任務
12/124

12、目に光が無くなり、やがて横たわっていた。

※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・組織などとは関係ありません。また、作者は軍事に関する専門家ではありません。あくまで創作物としてお楽しみください。


「本日の作戦気象……現在は曇りだが、後々雨になると予想されている。最高気温三三.四度、最低気温二六度。湿度が七〇%以上なので、熱中症に気をつけること。以上」

「全員気をつけ、敬礼! 必勝!」

「必勝」


 俺の受け持った第一小隊は朝の点呼を終え、新しく補給されたスコープの零点調整や機関銃の射撃を行うため、駐屯地を発とうとしていた。射撃場は歩いて一〇分ほどの場所で、混雑を避けるために第二小隊、一小隊、三小隊とローテーションで使用することになっている。数分の待機の後に全員の射撃が終わったとの報告を受けたため、部隊を率いて射撃場へと足を踏み入れた。だが第二小隊は未だに整列したまま広場で座り込んでおり、一向に射撃場を出ようとしない。


「どうした?」


 一人の兵士を前にして話している日照を見つけ、声をかけた。相手の兵士は山崎二兵で、俺は彼がなにか問題を起こしたのだと嫌でも分かってしまう。


「銃口管理と弾倉の紛失の件で指導していました」


 山崎二兵は気をつけの姿勢のまま動いていないが、その表情から早く指導が終わってほしいという気持ちが読み取れる。


「そうか……分かった。とりあえず駐屯地で指導してくれ。暑いだろ? お疲れさま」

「分かりました、巡さんもお疲れさまです」


 その一言に指導を受けていた彼は反応し、煽るような口調で日照の言葉を繰り返した。


「巡さんもお疲れ様です、フフッ」


 彼の目を睨みながら顔を近づけ、その言葉の意図問いただした。


「何が言いたいんだ、えぇ?」

「……いや別に」

「山崎二兵、お前は銃口管理だけじゃなく弾倉までも紛失したそうだな」

「……でも見つかったんですから、別にええやないですか」


 その砕けた口調に我慢ならなくなった俺は、すぐに腕立て伏せを命じた。いくら生意気な奴でも猛暑の中、個人装備とライフルを背負っての腕立て伏せは苦痛だろう。


「腕立て伏せ用意! 日照、先に解散してくれ」

「は、はい……」


 いつもの癖から『日照』と呼び捨てにした事にも彼は揚げ足を取る。


「ッフフ、ハハハ! なんで呼び捨てやねん! もしかして付き合ってんの? アハハハ!」


 我慢ならなくなった俺は奴の胸ぐらを掴み、静かに怒りを込めて厳重注意した。


「付き合ってなんかいない……お前のそれは上官に対する侮辱だぞ……いい加減にしろ! 今後こういう事があったらすぐ処分だ、いいな!」


 こちらをキッと睨み返し、大げさに敬礼をしてから走り去る姿を見た小隊員は、『あいつ調子乗ってるよな』等と口々に言っていた。その場を静め、射撃を無事済ませた俺を待っていたのは、千歳さんからの呼び出しだった。


* * *


「ごめんなさいね、銃器清掃もまだなのに」


 デスクの上にいくつもの書類が散乱している様子を見ると、やはり暇な時間はないのだろう。お金に関係することはすべて瑞穂さんが担当しているとはいえ、この百数十人の人事、補給、他にも情報共有や物資の発注等、やらなければならない仕事が山積みになっているのが目に見て取れた。


「それでその、話というのはね……深宙中尉が暴行をしたって情報があって、事実確認をしたいの」

「暴行ですか?」

「ええ、正直に話してほしいわ」


 心当たりはある。間違いなく山崎二兵の胸倉を掴んだことだ。目撃していた誰かが通報したか、もしくは本人が話したか――とにかく、あれが適切な指導であった事を説明すべく、先程あった件について説明を始めた。


「まず……射撃場で指導を受けている山崎二兵がいました。ただ、日照……じゃなくて、春風中尉が俺のことを名前で呼んだんです。それに突っかかってきて、口答えはするし態度は悪いしで、一度きつく指導しました。その過程で胸ぐらは掴みました」

「そう……」


 人差し指と中指の腹を唇に当てて少し考えるような素振りを見せ、言葉を続けた。


「確か、山崎二兵は分隊長に掃除やらせてた兵士よね?」

「はい、先日報告した通りです」

「あぁ……そう、分かったわ。何かあればまた報告して頂戴。あと、くれぐれも暴力だけは無いようにね」

「分かりました。必勝」


 千歳さんの様子から察するに、今回の暴行『胸ぐらを掴む行為』についてはお咎めなしのようだった。確かに暴力は良くないが、ああいった舐め腐った態度の人間は怖い思いをしないと治らないように思える。実際に治るかどうかは別としても、口だけで注意するよりかは遥かに効果があっただろうと思っていた。


 銃器の清掃をするために自室へ向かおうとしたが、途中で銃本体に付けるアクセサリーの話を思い出す。数々の装備品を導入した中でも、連発射撃時の安定性を増大させるフォアグリップは特に印象に残っていた。倉庫で樹脂製のグリップを受け取り、改めて自室へ戻ろうとした時、倉庫の裏手に人影が見えた。兵士達のほとんどは銃器清掃を実施しているので、もしや不審者かと思い、音を立てず静かに歩み寄る。


「ウッ! ……うぅ」

「おい、しっかり立てや。俺が怒られたん完全にお前のせいやからな?」


 声と口調ではっきりと分かった。山崎二兵だ。


「なあ、なあなあ?」


 影から覗き見ると、腹を殴る、蹴るといった暴力が田村一兵へと加えられていた。しかも度々ビンタまでしており、奴を許せなくなった俺は倉庫の影から飛び出し、片手で首を押さえる。突然のことで相当驚いたのか、間抜けな声を出して俺の押さえた手を振り払おうとする。


「山崎ッ! 一体なんなんだこれは!」

「うぉぁっ! ッなんや!」

「もう我慢出来ない、参謀総長の目の前に突き出してやる! ……田村一兵、君も付いてこい。事情を聞く」

「……はい」


 田村一兵の瞳に生気が感じられなかった。朝すれ違った時は、それでも幾分か元気が有るように見えたのに。とにかく、こんなイジメを――れっきとした暴行を見過ごすわけには行かない。早速田村一兵に廊下で待機を命じ、山崎二兵を連れて参謀総長室に入ることとなった。


「必勝。山崎二兵の件でお話があります」


 事の顛末をすべて聞いた千歳さんの表情はみるみる険しくなり、今まで見たことのないほどの凄まじい形相で睨み、叱りつけた。もう十数年は共に過ごしているが、こんな千歳さんは未だかつて見たことがなかった。


「山崎二兵ッ……あなたはこの組織には不要です。あなたみたいな人間がいるくらいなら、サボり倒す兵士一人を雇ったほうがマシよ。人間として最低のことよ……あなた、いつからこんな事してたの?」


 そんな千歳さんに流石の山崎二兵も怯えたのか、床に視線を落として答えた。


「……ここに入ってすぐです」

「すぐ? ……あなたまさか、新兵教育中の助教に対してもあんな事してたの!?」

「いや、最初は口だけやったんで。それにあれは暴力っていうか、気合を入れ直す――」


 千歳さんは立ち上がり、俺の装備に付けられている鞘から銃剣を抜いた。刃先を奴の方へ向け、今にも首元を刺しそうな勢いだ。


「次余計なことを言ってみなさい、喉を掻っ切るわよ」

「千歳さ……参謀総長、抑えてください」


 俺の言葉で冷静さを取り戻したのか、千歳さんは銃剣を鞘に収めて大きくため息をついた。そして今度は田村一兵の話を聞くべく、扉を開ける。だがそこに彼の姿は無かった。


「あれ? あいつどこに……」


 そう呟いた途端、切羽詰まった様子の日照が部屋の前へと現れる。


「巡さん! 倉庫に! 倉庫に田村一兵が銃を持って立て籠もってます!」


 その言葉を聞いて急いで現場へと向かうと、既に他の兵士たちが彼を説得しようと試みている所だった。田村一兵のライフルには銃剣と弾倉が付いており、この世の全てに絶望したような顔をした彼は、涙を流しながらこう叫ぶ。


「なんで俺がこんなことしなくちゃならないんだよ! なんで人に優しくしたらこんなことになるんだよ!」


 銃口を空へ向けた彼が引き金を引くと、辺りに一発の発砲音が響き渡り、誰もが遮蔽物へと身を隠す。俺は彼を説得すべく、倉庫の奥に入った田村を追い、足を踏み入れた。


「ち、近づくなァ!」


 ひどく怯えた様子の田村に優しく声をかける。ついでに背負っていたライフルもそのあたりの壁に立て掛け、装備も床に置いた。


「大丈夫、大丈夫だよ。ちょっと二人で話をしようか」

「ちゅ、中尉ッ……! お願いします、そこから動かないでください!」

「ああ、じゃあここで話そう。な? だからそれを一旦置いてくれ」


 涙をぼろぼろ流す彼は、銃口をこちらに向けたまま動こうとしない。


「中尉……中尉! もう限界です……毎日毎日毎日毎日! あいつの成長を期待して優しく接してきましたけど、もうダメです! 俺は、俺はあいつに殺されました! 心を殺されたんです!」

「ああ、しんどかっただろう。俺がもっと早く気づいていれば――」

「中尉はうまくやってましたよ……ッ! 俺です! 俺が問題なんです! この性格は死なないと治らない!」


 俺の方へと向けていた銃口を自身の口の中に突っ込んだ。長い銃故に、引き金へと指が届きにくく、その隙に取り上げてしまおうとも考えたが、暴発してしまうかもしれないという心配があったので、家族の事を口に出す。


「待ってくれ! お前の父さん母さんはどうなるんだよ!? 確かお兄さんも居たよな、きっと深く悲しんで――!」


 しかしもう既に遅かった。鉄筋コンクリートの壁へと脳漿が派手に弾け、硝煙の匂いと共に血生臭さも漂ってくる。死ぬ瞬間まで苦しそうに涙を零していた彼の表情は、決して安らかなものではなかった。


「参謀総長! ……救急車をお願いします」


 外に出てそう告げると、田村と特に仲が良かったであろう同期達数人は悔し涙を流し、そのうち一人は地面を殴りつけていた。やがてざあざあと大粒で激しい雨が振り、田村一兵のイジメ問題は、自殺という最悪の形で幕を閉じてしまった。


* * *


「――よって、二等兵 山崎 佑之介を不名誉除隊とする。二〇一六年八月二日、AAO参謀総長 少佐

北神 千歳」


 田村一兵の自殺の情報は瞬く間に広まることとなってしまった。メディアは連日『いじめによって自殺。閉鎖的な組織構造が原因』等と煽り、負傷して除隊した元兵士へも取材を敢行するなど、目に余る行為が散見される。千歳さんはあまり公にはしたくなかったようだが、この事件を隠蔽しようとしていたわけではない。遺族へ謝罪と補償を行い、自殺に追い込んだ張本人である山崎 佑之介二等兵はAAOを辞めざるを得なかった。


 そもそも、射撃が終わってからもなぜ田村一兵は弾薬を所持していたのか。これに関しては、射撃の際使用しなかった弾薬を倉庫内で一時保管していた事が災いしている。千歳さんは弾薬の管理について再考の余地があるとも言っている。


「結局、誰も寄り付かなかったんだな? 友達も出来なかったと」

「はい、山崎二兵は誰にでも突っかかったり喧嘩を売ったりしていましたから」


 所属していた分隊や同期にも話を聞いたが、そもそも山崎二等兵は素行が悪く、揉み合いになることもあったそうだ。それに加え、少しでもイジメの被害者を庇った場合、夜寝ている時に踏みつけられる、物を隠される等の行為が頻繁に起きていたとの証言がある。もちろん、これを報告しようとした者も同じ様な目に遭うため、これまで気づきにくかったというわけだった。


 しかし浅嶋少佐は自身に責任があると言って話を聞かない。俺を含めた五人の士官は加太で任務を遂行していたので、そもそも駐屯地の様子を知る由もなかったからだ。

 あまりにも悲惨な結末で終わってしまった今回の事件を踏まえ、イジメを対策するための通報システム構築、士官と兵士の交流を密にする事に加えて、憲兵の設置計画が推進された。


 軍という組織は自己完結性を有しており、食糧、エネルギー、通信、移動はもちろん、医療や警察能力に関しても一定の能力を持っている。これは軍が作戦遂行においてインフラが破壊された地域でも十分に行動するためだが、AAOはそもそも発足間もない組織であると同時に、一線で戦う戦闘部隊として想定されていなかったため、このような能力は低かった。


 今回計画されている憲兵は、軍内部の警察組織である。組織内の秩序を維持し、軍法の代わりとなるAAO規定に基づいて秩序を乱す者を処罰するこの憲兵の設置は、戦場での交通整理能力も必要ではあったが、何より組織内の秩序維持のため早急に整備が急がれていた。

 

「ごめんなさい。私が小隊をもっとよく管理していれば、こんなことにはなりませんでした……」


 第二小隊所属であった田村一等兵を悔やんだのは、何も彼の家族や友人、同期だけではない。上司である日照もまた、隊内でのイジメを感知できなかった自身の不甲斐なさとして、自分を責めているようだった。


「いや……ああいう奴は何を言ってもどこへ行ってもイジメをする人間だよ。痛い目を見てもいつかまたやらかすだろうし」


 彼を悔やむ人々は口々にこう言っていた。『田村がビシッと指導していたら――』『もっと厳しく接していたら――』だが、果たしてそうだろうか?


 田村一等兵が自分を変え、山崎佑之介に厳しく当たっていたとしても、イジメを止めることは出来なかっただろうと、俺自身は考えていた。特に山崎佑之介という人間は、誰にでも偉そうな口を利き、何かあればすぐ手を上げていたそうだから、田村一等兵がイジメから逃れられたとしても、また別の誰かが標的になっただけだと日照に伝える。


 そして俺は再び思う。いつの間にか人の死に慣れていることを。


* * *


 気持ちの悪い汗は背中をぐっしょりと濡らしていた。コンビニを見つけ、照明が切れている店内へ足を踏み入れると、鉄のような匂いが充満している。レジのある台には体に無数の穴が空き、そこから血が溢れ出ている人々の死体が積まれていた。清潔感のある白い壁には、わずかに黄色や白の塊が混じっている肉片がこびり付いており、鼓動が早くなるのを感じる。ここは俺が人が死んでいるところを初めて見た場所。


「殺してやる! お前のせいだッ!」


 後ろから突然大声でそう叫ばれ、驚いた俺は固まりかけている血溜まりを踏んで滑ってしまい、体中血まみれになってしまった。無表情で立って拳銃を突きつけているその顔は忘れるわけがない、和歌山で出会った同級生の田内だった。


「お、おい」


 そう声をかけると、肩をがっしり掴まれ、こめかみに銃口を当てられる。咄嗟に立ち上がろうとするが、ヌメヌメとした血とツルツルした床のおかげで派手に転び、幸運にも相手の持っている拳銃を蹴り飛ばすことが出来た。


 商品棚の隙間に入った拳銃を取ろうとする田内から逃げようと、レジを飛び越えて事務所へと立ち入る。間違いない、ここは日照と出会ったあのコンビニだ。奥の倉庫の扉を開け、商品の山を崩して身を隠す。日照が実践した方法を模倣したが、後ろを追ってきた田内にふくらはぎを撃たれたようで、右足がびくっと反応する。しかし痛みは無い。筋肉が拗じられているような感覚に襲われるだけだ。


「お前が殺した。お前のせいだ。お前のせいで死んだ。お前が殺した。お前が殺した。心を殺した」


 病的なほどに早口でその言葉を繰り返す様は恐怖でしかない。俺は目を瞑り、いっそ早く殺してくれと心のなかで願っていた。


 次に目を開けると、突然の痛みが右のふくらはぎを襲う。この感覚はこむら返りというものだろう。足を伸ばすことが出来ず、もたもたしている内に筋肉の痙攣は激しくなり、ついに声を上げるまでになった。


「あッ! ッ……クソ!」


 その声に驚いたのか、隣のベッドで寝ていた葉室少尉が机の上のライトを付けた。足を抑えて悶絶している俺を見た後、すぐに衛生兵を呼んでくると言い出したので、思わず止める。


「いやッ! それほどじゃァッ……あぁ! 足! 足を伸ばしてくれっ!」

「は、はい!」


 ゆっくりと足を伸ばす手伝いをし、凝った筋肉をほぐすように優しくマッサージをしてくれた。少しすると激痛は引き、持ってきてくれた水を一杯飲む。


「はぁ……ありがとう。ごめんな、寝てたのに」

「いえ、脚が攣るのは自分も経験しましたから、気持ちはよくわかります」

「……なあ、今見た夢の話聞いてくれるか。ちょっとで良いんだ」


 壁にかけられた時計の短針は二の数字を示していた。葉室少尉はもちろんです、と言わんばかりに頷き、卓上ライトの明るさを暗く設定する。


「俺が初めて死体を見た場所でさ……薬物に染まった友達から銃を突きつけられて、血まみれになって、隠れたけど見つかって『お前が殺した、お前のせいだ』ってくり返すんだよ。『心を殺した』とも言ってたな……それで……それで……目が覚めた」


 得体のしれないものを見た恐怖の感情ではない。あれはむしろ、なにかとてつもないことをやらかしてしまった後、責任を追求される時のチリチリとした恐怖に近かった。


「……中尉、自分のも聞いていただけますか?」

「あぁ」

「……虐められていたんですよ、自分は」


 ほんの数日前、葉室中尉が山崎佑之介の行為に対し、人一倍怒りを露わにしていたのを思い出す。『絶対許せない』と強い口調で言っていた意味を、俺はやっと今理解した。


「中尉もお気づきでしょう。自分は……中性的な外見をしています。いくら髪を短く切っても、一人称を『俺』にしても……女みたいだと虐められていました。暴力も幾度となく受けましたし、お金だって――」

「それで山崎に対して、誰よりも怒っていたのか」

「はい……実を言うと、AAOに入ったのは自分を成長させられるんじゃないかと思っての事なんです。ここで自分を強い人間に変えれば、もうあんなことに遭わずに済む……でも、イジメの犠牲者が出てしまった今では、利己的な考えだったんだなって……」


 彼の瞳には涙が浮かんでいるようで、オレンジ色の暗い照明に照らされてきらきらと際立っている。俺は彼の方へと顔を向け、その言葉を否定する。


「いや、何言ってるんだよ。田村一兵がイジメを受けて自殺に追い込まれたのと、葉室少尉のイジメを受けていた過去は関係ないだろ? AAOに入った動機も全く関係無いし」

「ですが……」

「俺はこの世の中の人たちを守ろうと思って入ったけど、ここに入らないと生活が出来ないから入った奴とか、軍隊が好きだから入ったやつもいる。でも結局みんな訓練を乗り越えたんだし、これから一緒に戦っていく……仲間なんだ。そもそもの志願動機は関係ないし、イジメで自殺した今回の件も全く関係ない」

「……はい」


 彼の言葉の意味が見えた気がした。葉室少尉にとっては、イジメの問題は被害を受けた経験の有る自分が解決しなければならないと、一人で背負い込んでいたのだろう。だから『利己的』という言葉を使った上、強い怒りを表していた。その怒りの内半分ほどは、イジメを防げなかった自分への怒りだったはずだ。


「気にしなくていい……とは言わない。死んだ田村のことを覚えてやれば良いんだ。そして二度と繰り返さないと……一人で背負い込まないとお互い約束しよう、な?」

「……はい!」


 約束を交わした俺達二人は卓上ライトを消し、まだまだ終わりの見えない戦いへと挑むべく、体を休ませることにしたのだった。


* * *


 猛暑日の外とは違い、ひんやりとした空気で満たされている作戦室の中には、士官以上八名の姿が見えていた。


 八月五日一四時丁度――次の任務の説明を受けるべく集まった俺達のモチベーションはかなり高まっていた。新しい装備を導入したことによる自信もあるのだが、何より海岸警戒任務の成功が大きい。


「そうしたら……まず現在の戦況についてだな」


 瑞穂さんはそう言ってスクリーンの前に立ち、西日本の地図を表示させる。


「大阪南部で敵の前進を停止させているのは君達も知っての通りだが、中国地方がまずい。敵は一昨日の晩から岩国市に対して攻撃しているが、自衛隊はなんとか耐えている状況だ。この岩国が抜かれれば下関が――下関も陥落したら九州への上陸は必至だろう。九州も占領されたら、いよいよ東日本への攻撃も激化することになる」


 その言葉に小夜が反応し、手を上げて発言した。


「では、次の任務は下関ですか?」 

「いや、そっちは自衛隊に任せる。心強い味方も来るからな……とにかく私達AAOがすべきなのは、この総合ゴルフ場にある敵の防空砲兵部隊を無力化することだ」


 大阪府は河内長野市に位置するゴルフ場を衛星写真で映し出し、付近に展開している陸自部隊も表示させた。


「現在南大阪を守っているのは第三七普通科連隊、それも相当な被害を受けている状況でだ。正直言って、この中隊なんか地図上にしか存在しない。度々予備自衛官の中隊を支援として送ってはいるんだが、チビチビ投入しているせいで効果的な攻撃は出来ない状態だ。部隊の再編も時間がかかっているし、幹部の損失も大きい」


 どうして他所から兵力の補給をしないのだろう、という疑問は誰しも抱いたようで、今度は凪が口を開く。


「戦力の逐次投入をしているということですか? 自衛隊が?」

「ああ……残念ながらそうなってしまっている」


 戦力の逐次投入というのは、軍事戦略上最も愚かな行為だと言い切れる。実際、太平洋戦争ではガダルカナル島の戦いで圧倒的な戦力を誇る米軍に対し、日本軍は戦力の逐次投入によって三度も大敗を期していた。


「まあその……自衛隊としてはもちろん別の師団を動かしたいんだろうな、バカじゃないんだから。でも、作戦に国会議員やら何やらが口出しするせいで意思決定が遅れてる。それに政府が敵を過小評価してるのも問題だ。楽観的な視点で机上の空論ばかり並べている無能が上にいるっていうのが、どうにも……」


 俺自信は政治に詳しくないのだが、確かに今の日本政府は対応が遅れに遅れていると感じていた。避難民に対する生活支援から始まり、物資の統制に関しても未だに具体的な政策は決まっておらず、数日前はとある国会議員による『避難した人はお腹が空いたらとにかく寝ればいい。そうすれば空腹を感じなくなる』という発言により、大きな非難を浴びることになっていた事を思い出す。もう失笑するしかない。


「結局、政治の場に立っている奴らは東京が攻撃されていないからああいう事を言えるんだよ。敵の爆撃機が東京に現れたら、ちゃんと仕事しだすかもな……失礼、話を続ける」


 そう言ってゴルフ場の詳細な地図を映し、任務についての説明が続けられた。


「この総合ゴルフ場は対空砲やレーダーが配置されていて、南大阪一帯の防空網形成に一役買っている。実際、一昨日には低空で侵入したOH-6Dヘリコプターが撃墜されていて、ここを攻略することがまず重要となる。この陣地には一個防空砲兵中隊が駐留しているが、西への攻撃のため三分の二ほどの戦力は出払っていると考えられているため、私達だけでも十分相手が出来るはずだ」


 瑞穂さんの攻撃計画は三段階で構成されていた。まず、敵防空陣地周辺に点在している敵歩兵小隊の野営地奇襲。その後ゴルフ場に侵入し、レーダー・弾薬庫を制圧した後に対空砲の無力化。最終的にゴルフ場に防御陣地を整えるまでが作戦として計画された。


「より詳細な作戦計画は明日下達する。それと本日の点呼で各小隊別に完全軍装の点検と銃器点検を行うのでそのつもりで。以上」

「気をつけ、敬礼。必勝!」


* * *


 自室に戻り、初めてのブリーフィングはどうだったと葉室少尉に尋ねる。どうやら相当気を引き締めていたようで、瑞穂さんの話した事をノートにまとめていた。


「どうだった? ブリーフィングは」

「はい。やはり規模は小さくても攻撃作戦ですから――」

「いやいや、そういうことじゃなくてだな……緊張したか?」

「あぁ、はい。やっぱりちょっと緊張しますね」


 彼の生真面目な性格のせい……というよりも、慣れない環境で緊張しきっているのが何よりの原因だろう。ノートを見ると略地図まで書かれており、流石にここまでしなくてもいいのではと思ってしまった。


「なあ、別にそこまでしなくてもいいと思うぞ。詳細な命令下達は明日なわけだから」

「はい、分かりました。……その、深宙中尉。中尉は……今のこの国をどう思いますか?」

「どう思うって?」

「……酷すぎじゃないですか? この国は」


 『政治的に』という事だろう。現在の政権与党は防衛出動までの複雑で前例のない手続きを迅速にクリアし、早期から自衛隊の展開に積極的だった。しかし経済政策においては迷走とも言える案が続出し、信頼の置ける政府という姿は崩壊している。物資の統制や経済対策等も一向に案が煮詰まらず、自衛隊や防衛省の方針に逐一口出しするという事が起こっていた。

 

 一方野党連合はというと、初期こそ非暴力・無抵抗による戦争反対を高らかに叫び、防衛出動には消極的だったが、いずれ自分達の生活にも影響が出ると考えたのか、一転して徴兵制度も検討するほどに過激な主張をしていた。メディアも同じく、五月頃には反戦キャンペーンを行っていたが、今では敵地にどんどん攻めていけというような論調に様変わりしている。世論は徹底抗戦という雰囲気で形作られており、それはAAOや国にとっても良いことでは有るのだが、考え方によってはこうやって侵略戦争に突き進んでいくものなのだと、なんとなく分かった気がした。


「まあ、あんまり気にするな。不安の種が増えることになる」

「はい……」


 誰しもそう思っているはずだ。この国の未来が明るくないのは明々白々であるため、政権への不信感は徐々に高まってきている。しかし日本人というのは中々示威活動を起こさないもので、有事特別措置法が施行されてからもデモや集会は制限されること無く、報道管制が敷かれることもない戦時下の日本だったが、特になにか不満を表明するということを、国民はやりたがらなかった。たとえ不満を言ったとしても、周りから袋叩きに遭うのがオチなのだった。

閲覧頂きありがとうございます。ブクマ・評価などよろしくお願いします。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ