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お通夜を一日間違えて出席してしまったかのような気まずい空気の中、沈黙を破ったのはアルビスだった。
「ヴァーリ、これを騎士の詰所に持っていけ。先日提出した報告書に不備があったやつだ」
「へ?───......あっ、は、はいっ」
書類の束を差し出されたヴァーリは慌てて剣を鞘に戻すと、うやうやしく書類を受け取った。
ま、これでこの一件はおしまいということで。
ちなみにシダナはもう既に机に着席して、これまで通り書類をさばき始めている。だけれど、
「よく、ご辛抱なされましたね」
「......黙れ」
シダナは書類から目を話さずに、そうアルビスに言った。
アルビスを苦虫をかみ潰したような顔にさせたそれには、2つの意味があった。
一つ目は、自分の側近の騎士の危機なのに、カレンをたしなめることをしなかったこと。
二つ目は、愛しい女性と同じ部屋にいて相当嬉しかったはずなのに、それを顔に出さなかったこと。
どちらもアルビスにとったら、相当辛いことだった。でも、その我慢は大正解でもあった。
もし仮に、アルビスが「いい加減にしなさい」とか「その辺にしておいてやれ」とカレンに言っていたら、この状況はもっと最悪なことになっていたから。
カレンはアルビスのことを、心から嫌っている。憎んでいる。
だからきっと、そんなことを言われたらムキになって、必要以上に突っかかっていたはずだ。そしてカレンが激情にかられて、無理難題を吹っ掛けても、アルビスはそれを拒むことができない。
また露骨に嬉しそうな顔をすれば、これもまた同じで。
なのでこれまでのアルビスの非情に思えた行動は、一人の騎士の命を救って、また大切な女性が殺人者にならなくて済んだともいえるのだ。
......とは言っても、これは今回限り通用すること。ヴァーリがまた同じ過ちを繰り返した際には、もうお手上げだったりもする。
そんなアルビスの隠れた功績を知っているのか知らないのか。ヴァーリは書類を片手にガシガシと頭をかく。
そして大きく息を吸って、気持ちを整えるといつも通り聖皇帝の側近権護衛の顔つきに戻し、アルビスに片足を一歩引いて騎士の礼を取った。
ただ扉に向かう途中、こんな本音がポロリと溢れてしまった。
「あーあ......こんなことが一生続くのかぁ。先が思いやられますよ」
いささか乱暴に閉められた扉をアルビスはじっと見つめる。
それは、ヴァーリの乱暴な態度が気に障ったわけでも、政務に疲れて一息ついているわけでもない。
ヴァーリが何の気なしに言ったその言葉に、細い針で胸を刺されたような痛みを覚えたから。
アルビスは知っている。カレンが近い将来、元の世界に戻ることを。そのことはアルビスが予知夢で得た事実で、悲しいことに、彼の予知夢は外れたことがない。ただの一度も。
アルビスの予知夢の中にいたカレンは、今の姿とあまり変わらなかった。つまりそれはそう遠くない未来、彼女との別れを指し示しているということでもある。
だからこうして、カレンがアルビスの私室に足を踏み入れることも、自分の側近たちとじゃれあう(?)のも、宮殿の回廊でばたっり出くわすことすらも、これっきりなのかもしれない。
そうアルビスは、思っているし、覚悟を決めている。
だからこそ、アルビスにとっては、この時間は宝石のようなもの。
そしてそれを一つも零さず心に、魂に、記憶に、刻みつけたいとも思っている。
「シダナ」
「......はい」
「南のラスタリには、栄養価の高い果実があると聞くが、すぐに手に入りそうか?」
その問いにシダナは手を止めて、にこりと笑って頷いた。
「もちろんでございます。明日のカレンさまの朝食に並べるよう手配させていただきます」
「頼む」
「はっ」
政務とは関係ない短い会話を終えた二人は、再び書類を手に取った。