09.深淵(アブグルンド)
俺はその後も仕事の途中や一日の終わりを見計らって抜け出しては、山の麓にまで能力を試しに来ていた。初めて能力を認識してから半月ほど経っただろうか?能力の概要についてある程度のことはわかりかけてきた。
動物から立ち昇る色についてだが、やはり感情をあらわしているということで間違いなさそうだ。まず青い色だが、恐怖などによる後ろ向きな感情があらわれていると考えられる。
村に住んでいる怖がりな子に、代々村に伝わる恐ろしい言い伝えを聞かせたら真っ青に染まっていたからほぼ間違いないだろう。ちなみにその子は大泣きしてしまい、俺は父さんから数年ぶりにゲンコツを落とされた。
…この山の動物の多くは人間にも怯まず向かってくるが、俺に対しては多くが青い感情の色を浮かび上がらせる。この理由はやはりわからない。貴史だけでなくユルグも動物避けのようなスキルを生まれつき持っている可能性はあるが……。
赤い色は怒りなどによる攻撃的な感情をあらわしているようだ。獲物を取り逃して気が立った村人や、父さんと対峙して手負いになった獣などは赤い色を浮かび上がらせていた。
色で人間性を判断する際には、普段の様子から青い色、赤い色のどちらが多いかである程度理解できるかもしれない。
黄色や緑に関してはまだ未知の部分が多い。動物が俺の目の前に現れた直後は黄色も緑もほとんど見えないが、あえて目を逸らしていると気が抜けてくるのか、青い色が減少して黄色と緑の割合が増えてくる。もしかしたら無意識の部分を司る色なのかもしれない。
ピンクに関してはおそらく性欲だろう。「インヴィタ」という種類の猫のような見た目と性質を持つ動物に、発情する成分の草を嗅がせたら一瞬で感情の色がピンクに染まっていた。
俺の足に尻尾を絡めて股を擦りつけようとしてきたが、好奇心でやっただけなのでそのままにして逃げた。今頃はパートナーでも作ってよろしくやっているかもしれない。
…おおまかにはこんなところだろうか。感情と色との関連性についてはざっくりと理解できてきたが、能力の開発に関しては全く進んでいなかった。
完全に手探りでやっているので何が能力開発のきっかけになるのかわからないし、そもそも能力が開発できるかについても不明だ。
これならもうちょっと女神さまにレクチャーを受けておくべきだったかな…。そういえば女神さまはこの世界の住人全員の心に存在できると言っていたので呼びかけてみたが、返事は返ってこなかった。もしかしたら一方通行のアナウンス的な能力なのかもしれない。
まあ、返事ができるとしても一人一人に対応してたら頭がおかしくなるだろうしな。能力開発も楽しみの一つと考えて気長にやるのもいいか。
――ふと、何の気なしに目の前にいるネズミのような種族の小動物である「シュピール」を能力を使って捕まえたくなった。好奇心というか、能力開発の息抜きだな。
手が届く距離に座ってシュピールに目線をやると、黄色、緑、青、ピンクで構成されていた感情の色が悲壮感を感じさせる青一色に染まる。おうおう、こんなに怯えて可哀想に。まあ怯えさせてるのは俺だけどな。
俺が能力開発のために山に来るとどこからか小動物が何匹か現れるが、直接触ろうとすると流石に逃げ出してしまう。それは既に実証済みだ。
今現在このシュピールは怯えきっているが、俺が視線を逸らして眼中にないアピールをすると、徐々に気のゆるみからか感情の色に緑と黄色が混じってくるのがわかる。
――うん、ここだな。シュピールの感情の色を見ながら、気が抜けて注意が散漫になったところで右手を伸ばして捕える。最小の動作だったのでなんなく捕まえることができた。
俺に捕えられてから一瞬遅れて手の中でシュピールがもがく。逃げようとしているようだが、どうしよう。まあ、なんとなく捕まえただけだし適当に逃がすか。
――そう思った瞬間俺は、転生者として自覚した時のことを突然思い出した。思い出したというより、フラッシュバックのような衝撃だ。あの時、俺は…不良のあいつから見た、俺の表情が知りたいと…そう思ったんだった。
死に際の俺…あの時の貴史と俺の手の中のシュピールは一緒だ。力で押さえつけられて、逃げられない。ああッ、クソッ!あの時、あいつは俺のどんな顔を見て、あんなに怯えてやがったんだッ――!
転生しておそらく初めてであろう、強烈な感情の吐露。今の今まで麻痺していた俺の心に熱をあたえた灯火。それは死に際の自分が最後に見せたであろう俺が生きていた証。俺自身の死に顔を知りたいという渇望だった――。
『ヂュゥーーー』
シュピールの苦痛のような鳴き声を聞いて我に返る。震える手から反射的に逃がしてやると、シュピールは地面に落ちるが逃げ出さない……いや、動きがおかしい?
まるで突然前足と後ろ足が動かなくなったような動きでなんとか逃げ出そうとするシュピール。その不自然な動き、胴体だけをくねらせて逃げようとする動作を見て俺は嘔吐してしまう。
『うッ…オブッ!オブエエエエエッ!!』
精神的なショックが強すぎて胃の中の物を全て吐き出してもなお、えづくのが止められない。
……その後ひとしきり吐いた俺は、吐瀉物を土の魔法で埋めながら俺の能力についてさらなる理解を深めていた。
顔は涙と鼻水と涎でグチャグチャになっているが頭の中は気味が悪い位に冷えている。俺の能力でできることは、感情を読むだけではない。
なにかしらの誓約を満たせば俺の望みを何らかの形で実現する、もしくは欲望を満たす助けになる。それが俺の能力の真価だと、いまだに逃げられずにいるシュピールを見て理解した。
誓約となるトリガーがなんなのかはまだわからない。状況かもしれないし、俺自身の感情か、この子自身の感情の可能性もある。それは後で考えよう。
こうなったならば、俺の心を満たすための手順はあとひとつだ。頭の片隅で、ユルグの悲痛な叫びが聞こえる気がする。「人間性を捨てるな」、「家族に顔向けできないぞ」、と。そんな自分の心の叫びが聞こえてくるようだ。
だが、一方ではわかっている。これほどまでに高まった渇望と衝動は止められない。それに、この子は動物であって意志のある人間ではない。きっとセーフだ。
熱に浮かされたような意識の中、俺はシュピールを拾い上げて足を4本とも確認する。よく見ると黒い網目状の線が中間あたりから入っており、これが原因で全ての足が動かせなくなったようだ。
俺がやったのだ。そして、これからやることも。俺は今までにないほど溢れ出る魔法の力を使い、シュピールがすっぽり収まるような穴を掘った。
深い穴は必要ない。隠蔽ではなく、むしろ観察が目的なのだから。穴の中にシュピールをそっと横たえ、そのまま魔法で土を被せていく。
――それはすぐに済んでしまった。顔を埋める時には少し躊躇したものの、人間とは違い表情も読めない。まあ、動物だからな。
だが、感情の色は今までにないほど鮮烈な青に染まっていた。その色は前世の自分と今の自分の心に色を付けるようで、今までにない感覚をもたらした。
『やってしまったな』
これからどうするかを考えるためになんとなく思いついた言葉を口に出す。とりあえず、能力に名前を付けよう。
少し考えた俺は、相手の四肢に黒い線を付ける能力を「深淵」、土を掘って相手の表情と感情を読む魔法を「昇華」と名付けることにした。
さっきまで聞こえていたユルグの声は聞こえない。…まあ、ユルグは俺自身だけどな。特におかしなこともない。
ただ、いつもより遅くなってしまったし、顔も涙や鼻水や吐瀉物で汚れてしまっている。ひとまず川で体を清めてから家に帰り、川に落ちて魚と格闘していたけど結局取り逃して遅くなったと言い訳をしよう。家に帰るために歩みを進めながら俺はそう考えていた。