終わり、終わり
目覚ましの音で、目を覚ます。いつからか僕だけのものになった部屋の中、部屋を舞うホコリがカーテンの隙間から漏れる朝日に照らされ、白く光っていた。
僕は白い光を見詰め続ける。決して瞬きをしないように、瞬きが、恐怖を連れてこないように。
瞬きをすると、未だにまぶたの裏にくっきり焼き付いているあの光景が甦る。目を瞑ると、決まってそこは赤く染められた世界。郷田君が倒れているあの世界。
あの日、あの後、郷田君は駆けつけた先生によって保健室に運ばれた。
教室に残された僕はただ呆然と立ち尽くすしかなかった。
周りのみんなも僕から距離をとって、なにか怖いものを見るような目で僕を見ていた。腕の中の有希ちゃんだけがただ一人、人間に思えた。
少し経って、僕は担任の先生である金子先生に連れられて校長室に来ていた。先生は、お母さんが学校に向かっているのだと言っていた。
校長室の中は時間が酷く引き伸ばされているように感じた。永遠とも言えるような時の中で、目に見えない重圧が僕を苛み続けていた。
自分のした行動と、赤く染まった光景が頭の中を際限なく駆け回り、身体が強張ってくる。
いつしか指先は熱を失い、感覚がなくなっていた。冷たく、とても冷たく僕を抱くものがあった。
だけど、なぜだか、僕の中には有希ちゃんと一緒にいるような感覚がずっとあった。
どれくらいの時間が経っただろうか、校長室のドアがノックされた音が聞こえた気がした。
「翔大!あなた何をっ……!」
ドアが開くなり、怒鳴る様な声が聞こえた。しかし、その声の主は何を思ったのか、その口をつぐんだ。
顔を上げると怒りや悲しみがごちゃ混ぜになった様な顔のお母さんが立っている。お母さんは拳を力一杯握っていた。
怒りに震えている様なその手を見て、僕はまた、とてつもない無力感を感じてこうべを垂れた。
ツカツカという音が聞こえて、お母さんが僕に近づいてきたのが分かった。その音は僕の前で止まり、僕が顔を上げた途端、
ぺしんっ
と校長室に乾いた音が響いた。
じわじわと左頬が熱を帯びていくのが分かる。僕は驚き、冷え切っていた両手で頬を押さえた。
両手にも、まだジンジンとする頬の温かさが伝わってきた気がした。なんだか、嬉しかった。
その後のことは、あまり覚えていない。僕はただ、いつまでも、ヒリヒリと暖かい頬を手で押さえることだけをしていたと思う。
その日、僕は学校を早退することになった。その日は寝れなかった。
次の日になって、学校の校長室でお母さんと一緒に、郷田君と郷田君のお母さんに謝った。
郷田君のお母さんによると、郷田君は頭部を打ち、そこを数針縫ったようだった。
その話を聞いた時、再びあの真っ赤な光景が頭の中を暴れまわった。再び、身体が冷たくなっていくような気がした。
まだ、郷田君の頭が血だらけになっている気がして、僕は郷田君の顔を見ることができなかった。
郷田君とそのお母さんが出て行って、部屋には僕とお母さん、それから校長先生たち数人の先生が残った。少し沈黙が続いてからお母さんは言った。
「大変ご迷惑をおかけしました。まだショックを受けているみたいなので今日は連れて帰ります」
お母さんの声は電話の時の声だった。
校長先生がそれを了解して、一言二言、僕に声をかけてくれた。校長先生は知らない国の言葉を話していた。
そして僕とお母さんは学校を出た。
車の中、僕とお母さんは一言も話さなかった。たまたま見たバックミラー越しのお母さんは、眉を歪ませていた。
窓の外の景色が後ろに流れて行く。町が流れ、森が流れ、田が流れ、そして車は止まった。
見慣れたはずの僕の家は少し違って見えた。
玄関に立つと、そこには冷たく重い空気。いつもと同じはずのその空気が、普段より力を持って僕を押し潰そうとした。
僕は重い身体を引きずりながら階段を登り、僕だけの部屋に入る。左側のタンスにしまわれている服に着替えてやっと、僕は圧力から解放された。僕の中に何かが入ってきた気がした。
僕はいつの間にか眠っていたようで、お母さんに起こされると、もう夕ご飯の時間になっていた。その日の夜ご飯は僕の大好きなロールキャベツで、口に含んだロールキャベツはとても温かくて、目の前に座るお母さんの笑顔はとても暖かくて、少しロールキャベツがしょっぱくなった。
疼くような痛みが走り、白い光を見続けていた僕の中で何かがガチャリと切り替わった。僕は右側のタンスを開けてその中の服に着替えた。そして、キッチンに立っていたお母さんに
「今日は学校に行くよ」
と、言った。お母さんは
「そう」
とだけ言って、僕に朝ごはんの目玉焼きを用意してくれた。
半熟に焼かれた目玉焼きは僕の中で太陽みたいに燃えて、力をくれるようだった。
僕は急いで朝ごはんを全部食べ、家を飛び出した。早く有希ちゃんに会いたいと思った。
他のクラスメイトと話すのはまだ怖いけれど、有希ちゃんと話せば勇気が出るはずだ。有希ちゃんがいれば僕は大丈夫だ。左肩が熱くなる。
僕は有希ちゃんの家を目指して走った。
一刻も早く有希ちゃんに会いかった。
背中では教科書を詰め込んだランドセルがガチャガチャと、まるで僕を囃し立てるよう音を立てた。
その喜びを、全身で表現するように、胸の真ん中では心臓が踊っていた。僕は身体中を熱く燃やし道路を走る。
不意に、目の前に真っ青な空が広がった。
気が遠くなるほど広い空だった。