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森の妖精

破壊魔女サラ・クニークルス



〇〇一「村人と青年」



 その村は山の奥深くにあった。村には多くの樵達が住み、木を切り、狩りをし畑を耕して自給自足の質素で素朴な生活を営んでいる。彼らの生活には活気こそなかったが、争いもなく慎ましい暮らしが営まれていた。森に生まれた者達は森に生き、そして死んでいく。森に住む者達の誇りであり生き様であった。

 村からそれほど離れていない所には太古の昔、火口であったと思わせる広大な窪地があった。本来ならば湖になってしまうはずのそれは、水捌けの良い地質と雨の少ないこの地方の気候、そして長年の村人達の努力によって見事な森となり樵達の生活を支えている。

 村人達はその森を感謝の意を込めて『竜の口』と呼んでいた。

 夜の帳の降りた頃、寂れた村の一角、窓から煌々とした明かりの漏れる丸太小屋の中から威勢のいい若者の声が響き渡った。

「あんたらは、『竜の口』を水の底に沈めるって言うのか!」

 言外に非難を込めて青年はテーブルに拳を叩きつける。小屋に集まった者たちの数は全員で十と少し、皆厳めしい顔に髭を生やし、陽に焼け逞しい体つきをしている男。彼らの前で対立しているのは孫ほども歳の離れた若者と村長の老人だった。

「お前の言いたいことはよく分かる、あそこには妖精モーリンが住んでいるからな」

「そうだ……それにあの森はオレたちにとって生活の糧じゃないか、何で水の底に沈めたりするんだ」

 若者の声に老人は何度目かのため息をつく。

「いいかハンス、今ワシらは新しい財産を見つけた」

「見つけようとしている。だろ? まだあの山に金鉱があると決まったわけじゃないんだよ」

「いや絶対にある! 間違いないんじゃ」

 老人は言う。既に調査は行われており、金脈があるのは間違いないのだと。だが、ハンスは疑いの目を老人へと向けている。いくらなんでも話がうますぎた。だが既に、村人達の意見は森を沈める方へと傾いていた。

金鉱のあるとされる山の近くには河があった。しかし、山と河の間には「竜の口」が邪魔しているのだ。

そこで、村人たちは考えた。

 金鉱からの鉱石を運び出すためにはどうしても船がいる。ならば森を水没させ湖を造り、そこに船を通せばいい。

湖から河へ、河は下流の街まで続いている。運搬問題が一気に解決してしまうのだった。

 そのために村人達は窪地にある森に水を引き、水の底に沈めようとしている。

「ちっぽけな森が消えるだけでワシらは金持ちになれるんじゃ。街に行っても恥ずかしくないくらいの財産を手に入れられる」

 老人の目には欲望の光があった。ふと気づけば、男たちの顔は厳しいものにかわりやや殺気立った雰囲気が漂い出している。

「そんなことをしたら近隣の村人たちが黙っちゃいない」

「金さえ出れば誰も文句は言わないさ」

 舌打ちしながら青年は「話にならねぇ」と小屋を飛び出していく。

「あの妖精のせいでとんだことになったわい」

 男たちは一様に頷いた。

「もしもの時は……やるしかないのう」

 老人の声に応える者はいなかった。ただ目だけの頷き合いがあっただけだった。



〇〇二「青年と魔女」


 村の近くにある小さな街。そこに一件しかないという酒場にハンスはその日の深夜、足を踏み入れていた。

 さっと店内を見回し、赤い薔薇の一輪挿しのあるテーブルを見つける。

 ハンスは連絡をつけていた相手を見つけ、その者の座る席へと足を進めた。

漆黒のローブに紅のベレー帽を栗色の髪の上にのせた人物がそこに座っている。

 その隣の席に椅子を引くなりどかりと腰を下ろし果実酒を注文すると、前置きも何もなしに、ハンスは口を開いた。

「なあ、あんたどんなことでもできるって本当か?」

 言われた相手は一瞬顔をしかめたが、すぐに元の表情になった。

「何でもできるというわけじゃないわ」

 ハンスの前に座るサラは飲みかけのカクテルをテーブルの上に置き、目の前の青年を見つめた。

 邪まな誘いと、不躾な態度にはそれなりの制裁をモットーに生きる彼女だが、仕事の話しとなると話は別だった。

「あんた、何でも屋なんだろ」

 サラは再び顔をしかめる。

「魔女よ」

 サラは青年の目を見据える。背中まである栗色の髪に栗色の瞳。歳は十五、六といったところか、プロ級の腕前と仲介人に言われたが、こうして面と向かっていると飲み屋で歌い子でもしていそうな顔立ちの、おおよそ粗い仕事には不向きな顔立ちだった。

「それで仕事は何?」

 少しの間サラに見惚れていたハンスだったが、すぐに表情を引き締めると運ばれてきた果実酒を一口飲む。

「ああ、そうだ。その前に……何だか後ろの男たちがこっちを見ているんだが」

 声をひそめてハンスは言った。サラの後ろの席に先ほどからちらちらとこちらを覗き見ている五人の男たちがいる。顔に大きなあざを作り、一人の男など明らかな憎悪の顔でこちらを睨つけている。

 ちりちりとした殺気が漂っていた。それらに気づいているのかいないのか、サラは平然とした顔をしていた。

「気にしないで、さっきあたしに声をかけてきただけだから、遠くから睨むことしか能のない腑抜けよ」

 あまりにもあっさりと言われ、ハンスは一瞬少女と男たちとを見比べてしまう。どう見ても力では彼女の方が不利だ。しかも相手は一人ではない。本当に彼女がやったというのだろうか。

 しかし、信じるしかないんだという思いがハンスの脳裏を掠める。もう時間がない。

 ハンスは半信半疑のまま口を開いた。

「オレの依頼は……」



〇〇三「子供と妖精」


 それはまだハンスが幼い子供の頃。

 毎日のように好奇心にかられるまま、いつものように少年は友達と森で遊んでいた。そして、森の奥深くへと探検に出かけ、友達とはぐれ道に迷ってしまった。

 幼い彼に両親は毎晩のようにおとぎ話をしてくれた。その中には『竜の口』にはかつて世界を滅ぼした魔王が住んでおり、夜になれば、森をさ迷う猟師や樵達の魂魄を食らうのだというものがあった。

 その時の恐怖が少年の胸に飛来した。ついに心の栓がはずれ、両親の名を泣き叫びながら、少年はあてもなくさ迷い歩いていた。

 その時であった。

彼が彼女に出会ったのは。

 それは彼が物心ついた頃から聞かされていたもう一つの伝説の存在。

『どうしたの、道に迷ったの?』

 泣きながら歩く彼に緑の髪の女性は声をかけた。

 それが森に住むと言われる妖精モーリンとの初めての出会いであった。

それは幼いハンスが思い描いていた姿と大きくかけ離れていた。

「村の場所が分からなくなった」

ハンスはそれだけ言うと再び泣き出す。

モーリンは目を閉じる。

光が彼女を包み込んだ。

幼いハンスにその光は神々しく、温かく感じられた。

森の木々との会話。

「お友だちは無事に村へと帰り着いたみたい。今は、村の人たちがあなたを探している」

彼女には、森での出来事が手に取るようにわかるらしい。

「村のみんなが?」

ハンスの問いにモーリンは微笑む。

「ええ、そうよ」

モーリンは優しくハンスの手を包み込んだ。

「さあ、行きましょう」



〇〇四「青年と魔女」


「それから十年以上オレは彼女と共に過ごしてきた。そうそう、初めてのプレゼントはオレが作った木製の腕輪だったんだ。彼女すごく喜んでくれてね。命よりも大切にするって言ってくれたよ」

 ハンスはふと夢見るような表情になった。

「そんなことより奴らは彼女の住むその森を水の底に沈めようとしているんだ……それを止めて欲しい」

「ふーん」

 長々と要領のつかみにくいハンスの話を聞き流しながらサラは夜道を歩いていた。

酒場を出たあと、二人は「竜の口」へと向かうことにしたのだ。

 松明の炎が踏みしだかれた獣道を照らし出す。

 ハンスとサラの二人は、出会ってからすぐに酒場を出ていた。ハンスはすぐにでも村人たちの狂行を止めたいと考えたからだ。

「あなたは簡単に言うけど、もしあたしが村人達を止めたとしても一時的なものでしかないわ。きっと時期を見て同じことをくり返すわよ」

 サラの的確な言葉にハンスは一瞬黙り込む。

「それは分かっているさ。だからまず最初に金鉱があるのかどうか捜して欲しいんだ」

調査の結果が出ているといったが、ハンスは調査団が山に入ったという話を聞いたことがなかった。

「もし仮にあったとしたら?」

 静まり返った森に二人の足音だけが響く。

「分からない。モーリンも救いたい、でも村人たちの言うことも一理ある。木を切っているだけじゃ、もう生活できないんだ」

 ハンスの口調には苦渋が浮かんでいた。

「その前に、もっと厄介な問題が持ち上がっているみたいね」

 サラが立ち止まり進みかけたハンスを手で制する。

「動かないで」

 声を潜めハンスに目配せする。遠くから地を這うように響いていた虫の音がやんでいる。彼女の様子に異変を感じ取ったのか、ハンスも気配を殺し松明を足もとに置いた。

 風の唸りが聞こえてハンスの背後の木に矢が突き刺さる。上がりかけた悲鳴を飲み込んでハンスはその場に伏せた。

「馬鹿、動くのよ」

 サラに腕を引かれハンスは転がるようにその場を離れる。おそらくは松明を目印にしているのだろう、矢は同じ場所にばかり集中的に放たれる。

「いったい誰がこんなことを」

 声を潜めながらもハンスは怒りに唸る。

「おいハンス、そこにいるんだろ」

 ハンスは拳を握りしめたままぴくりと反応した。草をかき分ける音と共に一人の男が現れた。手には弓と矢を持っている。

「ハンス悪いことは言わない。死にたくなければここから逃げろ」

 男はどこにいるとも知れないハンスに向かって大声で叫んだ。

 ハンスは微かな月明かりのもと、その男の顔を認めて我が目を疑った。それは同じ村に住む者だった。

「オルマー、それはできない。オレは死んでもこの森から離れないぞ!」

「死んで何になる、それにもうじきこの森もなくなる……灰になるんだよ」

 オルマーの言葉にハンスは自分の耳を疑う。

「馬鹿な! 森を焼こうっていうのかお前たちは……金鉱があるかどうかもわからないっていうのに!」

 ハンスは必死になって叫んだ。

「たとえそうだとしても。こうする以外に俺たちの生きる道はない。木を切っているだけじゃ生活は変わらないんだよ。森を焼き、水を引くんだ。そうすれば交易の村としての新しい生活が始まる……たとえ金鉱がなくてもやっていけるさ」

 オルマーの瞳には野獣の光があった。

「お前たち、それでもモーリンを『竜の口』の守り神を殺そうというのか」

「こうしなければ他の村人が納得しない。火は放たれた、この火災を止めるには……いや「偶然に」起こった天災から村を守るためには森に水を引き火を鎮めるしかないんだ」

 ハンスは反射的に立ち上がり、オルマーに飛びかかっていた。不意をつかれたオルマーはそのまま押し倒される。

「天災じゃない、お前たちが放った火だ」

 ハンスはオルマーに馬乗りになると胸倉をつかみあげる。

「それを知るのは俺たちだけだ。他の村人たちは知らない。そして、それを知っている者は絶対にその秘密を守らなければいけない」

 オルマーは荒々しくハンスをつき飛ばした。

「もし守らなければ?」

 ハンスの言葉が終わるよりも早く、それは起こった。サラが懐から短剣を取り出し一閃する。

 ハンスの目の前で小さく火花が散る。それが吹き矢のものであるとハンスが気づく前に、オルマーは彼の前から姿を消していた。

「毒が塗ってあるわ。敵は本気みたいね」

 サラが短剣を振っていなければ、それは確実にハンスに突き刺さっていただろう。

「敵じゃない。同じ釜の飯を食ってきた仲間たちだ」

「あなたはそう思っても、お仲間さんたちはそう思っていないみたいね。あなたと彼が話している間ずっと吹き矢を構えて見張っていた奴がいたわ。右頬に大きな痣のある奴よ。そいつに見覚えは?」

「猟師のバグラだ……まったくどうなっているんだ。それよりも早く奴らを止めないと」

 ハンスは立ち眩みを感じた。今まで信じてきたものが波打ち際の砂の城のように音もなく崩れていく。

「少し遅かったみたいね」

 サラの呟きと爆発音が同時にハンスの耳に届く。うなだれていたハンスは驚いたように顔を上げ、息を飲んだ。

 空が赤く染まっている。まるで血に染められたように朱に彩られた夜空。

「森が……燃えている」

 ハンスは走り小高い丘に登る。

 鳥のざわめきが遠くから聞こえた。

 逃げ惑う動物達の鳴き声が森の悲鳴のように耳に痛い。

「モーリンが危ない!」

 走り出そうとする彼の前にサラが立ちふさがった。手にはナイフを持っている。

「ここから先は行かせないわよ」

「おい……これは何の真似だ」

 戸惑い気味のハンスの言葉にサラはふんと鼻を鳴らす。

「あら、あなたの依頼はまだ受けていないわ」

「何だと……騙したのか!」

「ゴメンなさいね。あいにくと先に請けていた仕事があるの。だからおとなしく従ってもらうわよ」

 サラが足もとの小枝を拾い軽く腕を振う。光が散り小枝が銀の剣へと変化する。剣先を驚きに目を見張るハンスへと向け妖艶な笑みを浮かべた。

「お前、自分のやっていることが分かっているのか」

 ハンスは怒りで声が震えていた。

「私は依頼された仕事をこなすだけ、あなたには黙ってここにいてもらうわ」

 言っている間にも火は凄まじい勢いで広がる。もともと乾燥した地域だから火の回りは早くあっという間に森が火に包まれていく。

「森が……」

 ハンスは崩れ落ちるようにその場にひざをついた。虚脱感が全身を包み込み言い様のない哀憐の情が心に染み渡っていく。

 優しい妖精だった。彼は毎日のように彼女に会いに行き、語り合った。二人の間に愛が芽生えるまでにそれほど時間はかからなかった。ハンスはモーリンの笑顔を捨て去ることなどどうしてもできなかった。

「オレには彼女しかいないんだ!」

 ハンスはサラに飛びつき、彼女をつき飛ばすと森に向かって走り出す。彼に向かってサラが何かを言ったが、彼の耳にはまったく届いていなかった。

 ハンスは『竜の口』に向かって走っていた。

 夜だったが、星の光と燃える森の炎とで、まるで昼間のように明るい。木々の間を草を蹴り飛ばしながら無我夢中で駆け抜けていく。

 その彼の耳に、二度目の爆音が届いた。耳を聾するほどの轟音が辺りに響き渡り、ごうと水のあふれ出す音と、じゅうと炎が消え行く音。ついに湖と森との間の関が破壊されたのだとハンスは絶望的な思いになった。『竜の口』いっぱいに広がっていた朱の色がだんだんと黒い染みに塗り替えられていくのが見える。それが見えても足を止めず坂を下りハンスは一気に森へと踏み込んでいく。水が迫っているのは分かっていたが引き返すことなどどうしてもできない。 地響きが間近に聞こえた。やがてそれは大地を揺るがし、ハンスは大地に激しく背を打ちつける。

「な、何だ!」

 もはや天と地の区別がつかぬほど激しい揺れの中で、ハンスはそれだけを叫んだ。

 水の濁流が近づいてくる。

 音を聞くだけでそれだけは理解することができた。水はやがて彼を飲み込み更に広がっていくだろう。

 死ぬかもしれない。

 黒い予感が脳裏を掠める。突然にして体が弾かれた。大量の水だ。

声を上げる間もなく、夜の闇に染まった黒い水が彼の体を押し流していく。

『ハンス……』

 姿なきモーリンの悲鳴を、その時ハンスは聞いたような気がした。



〇〇五「青年と妖精」


 妬けるような陽射しの中で、ハンスは目を覚ました。

「痛ッ!」

 起き上がろうとして激痛が全身に走る。

(生きているのか?)

 体中に痛みがあり、それが生きているのだという実感を湧かせる。苦痛をこらえながら上半身を起こした彼の背に、元気な声がかけられた。

「あと三日は眠っていると思っていたのに」

「眠っていたなら、その間にオレを殺せただろうにな」

 憎々しげに言葉を吐き捨てる。

 サラが近づいてくるのが気配で分かった。

 身を起こすと、そこが昨日いた小高い丘だった。

 「竜の口」は完全に水の中に沈んでいた。

 絶望、深く黒い深淵が胸を焦がす。

「そのつもりなら助けたりしないわよ」

「別に頼んだわけじゃない!」

 叫びながら涙がこぼれた。

 絶望が胸を締めつける。

 モーリンは死んでしまった、もう彼の愛する者はこの世にはいない。

「あなたが死ぬと困る人がいるのよ」

 サラの言葉にハンスは自嘲気味に笑った。

 いったい誰が困るというのだろうか。

 森は死に、彼の愛していた妖精は水の底に沈んでしまった。

 ハンスは自分の非力さを改めて実感した。

 非力で愛するものすら守れない自分自身に失望する。

「馬鹿言うな! もうオレが死んだって悲しむ奴なんていな……」

 怒りにまかせ振り向きざま立ち上がった彼の前に、彼女はいた。

 それは彼の知っている彼女の姿。

 モーリンだった。

 妖精としての幻のようなぼやけたものではなく、しっかりとした輪郭のある彼女。

「モーリン」

 ゆっくりと手を伸ばす。モーリンはゆっくりとハンスのもとへと歩み寄り、やんわりとその手を握った。

「人がせっかく親切に守ってやろうとしたのに、勝手に飛び出していくんだから」

 サラは微笑む。

「なぜ……どうして彼女がいるんだ……彼女は妖精のはず」

「その彼女に頼まれたのよ。自分は死ぬかもしれないから……せめてあなただけでも守ってくれってね」

 ハンスは無言のままモーリンを見つめる。

「だから言ったでしょ。先に受けた依頼があるって」

 熱いものが胸に広がっていく。感極まった目でハンスはサラを見つめた。

「でも仕事をしただけじゃ依頼料なんてもらえないでしょ。なんせ依頼人が死んでしまったら依頼料も何もあったもんじゃないわ。だから私が彼女の体を作ってあげたのよ。彼女の新木から人形を彫り出してね。残念ながら森までは守りきれなかったけど」

「それじゃあ……」

 ハンスは何と言っていいのか分からずモーリンを見、次いでサラの顔を覗き込んだ。

「依頼料ももらったし、あたしは次の仕事があるからもう行かなきゃ。それと、もしあなたが許すつもりなら彼らを助けてあげて、きっと自分たちのやった悪行を後悔していると思うわよ」

 サラの視線の先を目で追ってハンスは思わず絶句する。

 朝日を照り返しながら、巨大な湖がゆっくりと広がっていた。それは『竜の口』をはるかに凌駕し、彼の住んでいた村までも飲み込んでしまっている。

「地質が予想以上にもろかったのね。ロクな知識もないくせに勝手に開拓なんてするからこういうことになるのよ」

「村人たちは」

「ああいった人たちは簡単には死なないのよ」

 頷きながらハンスはあることに気づいた。

「なあ、仕事の報酬っていったい何なんだ」

「彼女の命よりも大切なもの」

 そう言ってサラは手を振る。その腕には古ぼけた、木でできた腕輪があった。それはハンスが幼い頃にモーリンにプレゼントしたものだ。

「まさかあれが仕事の報酬だっていうのか?」

 ハンスの問いかけにモーリンは頷く。

 それは彼女にとっての大切な宝物、命よりも大切なものだ。

 だが、だからといってそれがサラにとって価値のあるものだとはどうしても思えない。

「二人とも仲良く暮らすのよ」

 サラの言葉に頷き、ハンスが涙を浮かべてモーリンを抱きしめる。モーリンの体は柔らかく、人としての温もりがあった。とても木でできているとは思えない。魔化不思議なことだった。

「あんた……何者なんだ?」

 ハンスはモーリンの肩に手を置きサラを見つめる。

「あたしは、ただの魔女よ」

 彼女は振り向かず背中越しに言い放つ。

 立ち去る彼女の背を、二人は肩を並べて見送っていた。

「それと……」

 ふと立ち止まってサラは振り返る。

「物の価値は金銭だけで計れるものだけじゃないのよ」

 二人の目の前で、サラの姿がゆっくりと空気に溶け込んでいった。

 後にハンス達の聞いた噂によると、金鉱の話は、どこかの事業家が交易場としての湖を造るため、村人達を煽動するために撒いた噂だということが知れた。『竜の口』近隣の村人達は怒りに狂ったが、確たる証拠がないと地方を管轄する衛兵にも渋い顔をされ、泣き寝入りするしかなかった。

 そんな彼らの耳にある噂が飛び込んできた。『竜の口』を湖の底に沈めた貴族は笑い病という奇病に犯され、今も人前に出れないという。

 村人達はモーリンの呪いだと言い、モーリンの魂を鎮めるための石碑を築いた。石碑の提案をしたのはハンスの村の村長であった。

「まったく、簡単に手のひらを返せるんだからな」

 旅支度をしながらハンスは呟く。彼は村を出ていくことにした。体を得たとはいえ、モーリンは妖精なのだ。しっかりと土地に根を下ろし生きていかなければならない。

「君のためにもっといい土地を探そう」

 ハンスの言葉にモーリンは頷く。

 頷きながら、モーリンは自分の愛する男の手に、自分の手を重ねていた。



〇〇六「魔女と弟子」


「御導師様、御導師様!」

 夜もそろそろ深夜へと差し掛かった頃だというのに、やたらと元気な声が、酒場に響き渡った。

 声の主は若い好青年だった。漆黒のローブをまっとっている。

 周囲の白い視線に動じる風もなくどかどかと酒場に入り込み、同じく漆黒のローブに紅のベレー帽を被った先客の席の向かい側に座る。

 小さな街の小さな酒場。

「聞きましたか。隣の小さな村での事件」

 それはつい先日のことだったという。

 なんでも、神聖な「竜の口」と呼ばれる森が火災となり、竜の怒りによって一夜の内に湖へと変わってしまったというものだった。

「噂では妙な魔法使いが竜の口の妖精をさらったせいだなんてのもありました」

 あくまでも噂なんですけど。と付け足す。

「それにしても」

 酒を注文し、グッと一杯あおる。

「妖精っていいですよね。神秘的な存在って」

 ぴくりと漆黒のローブに紅のベレー帽を被った少女のほほがひきつったが、青年は気づいていない。

「母性というか、なんというかやっぱり女性は優しさが大切ですよね」

 ぴくぴくぴく。

「御導師様にもそのへんが備わっていれば、きっとモテますよ」

 ぴくぴくぴくぴくぴくぴく。

「おいおい、貴様何者だ」

唐突に声をかけられて、青年は振り返った。

見れば、数人の柄の悪い男達が二人の席を取り囲む。

「何者だと、失礼な!」

「ウチのボスに用があるなら、ちゃんと筋を通してもらおうか」

「……ボス?」

 青年は漆黒のローブに紅のベレー帽を被った少女を見た。

 いつの間にか、この少女はこの男たちを掌握してしまっていたらしい。

「ボス、お知り合いで?」

「ううん、知らない」

「……だとよ」

「そ、そんなぁ」

「どうしますか、ボス」

「飾っておいて」

 そう言うが早いか、青年の体が凍りついた。

「朝には溶けるから、それまで外にでも飾っておいて」

「…わ、分かりました!」

 男たちの恐れおののく声を聞きながら、少女はゆっくりとグラスを傾けていった。


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