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三題話「雨の日の旅立ち」

作者: 津島真一朗

 窓を叩く雨音が静かな部屋に響く。荷物を詰めたトランクだけが部屋に寂しげに置いてある。時計の針は出発の予定をもう過ぎた時間を示している。

「旅立ちの日にこんな雨。やめちゃおうかな。」

 一人呟いてみて、悲しさがこみ上げてくる。我慢できなくて少し涙がでる。返事をしてくれる人はこの部屋にはいない。それどころかこの家には私ひとりなのだ。


 少し前までは幸せだった。立派なこの屋敷で大好きな両親と素敵な友人達に囲まれて毎日が楽しかった。わがままを言っても怒らずに叶えてくれる両親はほんとうに優しかったし、彼らが議員として立派な仕事をしている事も子供ながらにわかっていて、それが誇らしかった。そして、広い屋敷だったけれど、たくさんの使用人が居て、少しも寂しくなかった。年上のメイドにいたずらをして怒られても、少し謝れば仕方ないなと許してもらえたし、厨房のコックには隠れてつまみ食いをさせてもらったり、内緒のおやつを作ってもらったりした。

 特に仲のよかった使用人の子供と一緒に育ってきた幼なじみで家族のように過ごしてきたし、なんでも話せる本当の友人だったけれど、もう一年も会っていない。

「幸せだったなぁ・・・もどりたい・・・」

 思い出すほどに辛くて涙があふれる。たくさんの思い出があるこの屋敷だけれど、離れなければならないのが本当に辛い。両親は立派に仕事をしていて慈善事業を行い社会貢献もしている立派な人たちだったけれど、裏では悪事を働き荒稼ぎしていたそうだ。なにが悪いのかは聞いてみてもまだ子供の私にはわからないけれど、とにかくずるくて悪いことだと周りの人は言っている。

 一年前に両親の悪事が露呈した後、彼らは私を置いて逃げてしまった。父にも母にも他に相手が居たそうだ。そして私は邪魔者で、どちらにも必要とされなかったから置いて行かれた。当然の話だろう、お金を持って本当に好きな相手と暮らすのに子供なんて邪魔でしかない。残ったのはこの家と家財ぐらいで他の財産はすべて処分されていた。きっと自分たちが悪人だという自覚があって準備をしていたんだろう。親が失踪した後は、近所の人たちはよそよそしくなり、聞こえるように陰口を言われることもあった。親の悪口は仕方ないこととわかっていても辛かったし、私も犯罪者の子供と言われ、友達なんて居なくなった。そして、当然屋敷にいた使用人達もお金が払えない子供からは離れていって、幼なじみの彼も会ってはいけないと言われていると聞いた。そうして私は外でも家でもひとりぼっちになった。

 両親は捕まらなかったけれど、罰則は適用されるそうで、大きな屋敷も高価な家具も売り払って罰金を支払わなければならないそうで、残りの金額は私のものになるそうだ。金額さえ足りるなら残して置いてもいいと言われたけれど、家を売って、家具だけ残すなんて非常識だと鼻で笑ってやった。そしてようやく裁判所が一年掛けてすべてを売却し終わった。残った金額は私のものになるけれど、お金はあってももうこの土地では暮らせない。頼れる親族もいない。ただただつらい思いで残っていた。


 けれど、ようやくこれでこの土地を離れられる。それが今日だ。

「でも、やっぱりやだよ」

 楽しかった思い出のあるこの屋敷を離れてしまったらもう両親には絶対に会えないような気がする。酷いことをされたのにバカみたいだとおもうのに、それでも会いたい。そして、生まれ育ったこの土地を離れるのも嫌だ。嫌われてどうしようもないとわかって決めたのに、まだどうにかなるか考えている自分もいる。

「私、なにも悪い事してないのに・・・」

 頬を伝う滴でスカートが濡れる。青い生地が紺色に染まっていく。立ち上がり窓から外を眺めると雨は小雨になっていて、日の光が雲の切れ間から見えている。もう少しで雨はやむかも知れないけれど、部屋の中で私が降らせる雨はまだ続くだろう。

 部屋から見える草原は幼なじみの彼とよく遊んだ場所だ。小さな丘は上る途中にクワの木がたくさん生えていて、おやつ代わりにクワの実を食べたりもした。そして頂上近くには目印代わりに大きなブナの木が生えていて競争するのに丁度よかった。二人でよくそこまで競争してはブナの木に登った。

 彼と一緒に上ったブナの木はいまも変わらず立っている。周りの人が変わってもあの木は変わらない。あの木の枝からは町が一望できて、彼はこの町が好きだと言っていた。そして、この町でいつか私の執事になってずっと一緒にこの町で暮らそうと言っていた。

 そんな彼も母親と一緒に私から離れてしまった。

「私の事なんて誰も好きになってくれないんだ」

 独りになってから何度も呟いたこの言葉、言う度に胸が苦しくなって消えてしまいたくなる。愛しているよと言ってくれた両親も、ずっと一緒にいると言ってくれた幼なじみも、みんな離れていってしまった。


 部屋に時計台の鐘の音が響く、もう出発の予定からだいぶ遅れている。ドアをノックする音、きっと手配した馬車の御者がいい加減にしろと予備にきたのだろう。ブラウスの袖で涙を拭う。これできっと瞳は赤いだろうけれど、泣いていたことを知られたくはない。

「いま行きます」

 自分の声が少し震えているのを感じるけれど、きっと相手は木にもしていないだろう。いつのまにか、雨はやんでいた。


「遅いよ」

 ドアの向こうには馬車とその御者。そしてなによりも幼なじみの彼が居た。私のよりも少し小さなトランクをもって、最後に見たときよりも少し背が伸びている。ノックしたのは彼だった。

「なに、いまさら。嫌みでもいいにきたのかしら」

 強気に振る舞うけれど、彼の姿が最後に見れてよかったと思う。きっとこのままお別れなのだからせめて嫌われてやろうとも思う。あなたとの約束なんて忘れています、と。

「なんだいそれ。約束、忘れちゃったのかな?」

 彼はトランクをちらと見て示す。

「家を出てついて行くことにした、母さん達は反対していたけど、もう知らないよ」

 いつか夢見ていた事、せめてだれか一人でも戻ってきて欲しい。私と一緒に居て欲しい。そんな風に思っていた。そして、そんなことはあり得ないと諦めた事だった。けれど彼は戻ってきてくれたという。

「私がどこに行くか知ってるの?」

「知らないよ、一度も話にくることも出来なかったし。ただ、この家の売却日だけはわかっていたから・・・」

 彼の説明を聞き終える前に私は抱きついていた。暖かな気持ちがあふれて、雨になって彼のシャツをぬらす。けれど、他の人には見られたくなくて離れられない。彼が戸惑っているのが鼓動でわかる。

「・・・辛かったの」

 呟く声は彼にだけ届く。

「うん」

 そう言えば口べたな人だったなと思い出す。口べただけれど、一生懸命話してくれる。

「ねぇ、私、女子校にいくのよ」

「それは大変だね。僕はどうしようか」

「嘘よ、普通の学校。あなたも来てくれるんでしょう」

「けど、僕は」

「私の執事は頭が良くないと嫌よ」

「うん」

 優しく頭をなでてくれる彼の手の感触はきっとずっと忘れないだろう。いい加減じれている御者はお二人に変更ですか?と聞いてくる。私は笑顔で、

「もちろん、最後まで一緒よ」と、強く答えた。

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