報告
町へ着いた僕らが向かったのは、町の治安維持を司る自警団の建屋だった。
報告内容は、思っていた以上にゴブリンの勢力が拡大しており、ある程度纏まった単位で移動をしているということ。報告には子供の僕らも一緒に来たものだから、受付の人も最初は不思議に感じていたようだったが様子だったが、事情を聴いて納得していた。
受付で話をつけると、奥の部屋へと通された。内装から判断するに、応接室だろうか。膝程の高さの机を挟んで向かい合うようにソファが配置されており、部屋の奥には机に向かって仕事をしている男性がいるのを確認できる。
「なるほど、事態は俺らが思っている以上に深刻ということになるのか。とりあえず、直接確認をしてきたサラの意見を聞かせてもらえないか」
サラさんの報告を受けているのは、この町の自警団のトップであるヴィーグル・レイヤー。白髪交じりの頭に鉢巻を巻き、額の真一文字の深い傷が印象的な男性。竹を割ったような性格で正義感が強く、今年で五十歳になるというのに老いを感じさせないような筋骨隆々な体つきをしている。言うなれば、正義のマッチョおじさんである。
ちなみに自警団というのは、町の住民によって組織された治安維持を目的とした組織であり、現代でいえば消防団のようなものに近いだろう。主な業務は町の治安維持や周辺の魔物討伐であるが、有事の際は所属する団員が協力して解決に当たるそうだ。ヴィーグルさん自身は職人が本職ではあるが、過去に流れの傭兵をしていた経験からそのトップの役職に就いている。
そして、サラさんは、ホーエンの町の傭兵ギルドから派遣された傭兵で、その優秀な腕を買われて今回の依頼を任されたようだ。この依頼にはサラさんの他にも何人か参加しているそうだが、それぞれが別々の地域を担当して調査を行っていたらしい。
傭兵ギルドとは、主に魔物の討伐を生業とする傭兵を束ねる組織のことを指し、大量発生した魔物の討伐などの依頼を適切な依頼料で解決することを目的としている。傭兵ギルドに所属する傭兵は、こなした依頼に応じた報酬を、ギルドを通して受け取り、ギルドは仲介料を報酬から差し引くことで経営が成り立っている。つまり、魔物討伐の仕事のために斡旋所とも言えるであろう。魔物という異形が当たり前のように存在する世界ならではの組織であり、ホーエンを始めとして、この世界の大都市に数多くの傭兵ギルドが存在している。
今回は、自警団だけで問題を解決するのは困難であると判断した結果、魔物討伐のプロである傭兵に依頼することとなったそうだ。サラさんの仕事は、魔物の戦力や異変を分析することのみであったため、ヴィーグルさんから仕事完了のサインをもらい、春になればホーエンのギルドへと報告に戻るらしい。
ついて来いと言われたから僕らもここまで来たが、報告なんてサラさん一人で十分だっただろうと考えていると、不意にヴィーグルさんに話を振られる。
「坊主たちもゴブリンと戦ったそうだが、何か気になる点はあったか?」
僕らに聞いても、特にわかることなんてないだろうが、せっかくの機会なので気になったことだけ報告させてもらおう。
「僕から一つよろしいでしょうか? ゴブリンが金属製の武器を装備し、少人数ながら隊列を組んでいたというのは異常な行動であると学びました。それから、魔法のような技を使用した点につきましても、ゴブリンとは知能が低く魔力を扱うなどとは聞いたことがありませんでしたので、警戒するべきだと考えました」
「うむ、それについては俺も考えていたところだ。春に行われる討伐隊によるゴブリン殲滅作戦については知っているとは思うが、今回の調査で他の傭兵達からも様々な情報が届いている。特に目立った動きがあるのはゴブリンだけだが、他の魔物についても異常行動が見られるとの報告があった。一連の魔物に関する情報を纏めると、人間による介入があったのではないかと推測される。ラトリアの自警団としては、ホーエンと協力して解決に当たろうと思っているところだ」
なるほど、今回の騒動はゴブリンに限った話ではないようだな。それと、レオが話に置いて行かれつつあったので、後でフォローを入れておこう。
「一先ず、今日の報告はこんなもんでいいだろう。サラ、坊主たちを家まで送って行ってやれ」
「畏まりました。さぁ、行くわよ」
一応、礼をしてから部屋を出ると、出口へ向かう。
「今日は散々だったわね。単なる冒険のつもりが、あわや大惨事ってところかしら」
家への道中、前を歩くサラさんが振り返って言う。元はと言えばゴブリンの大群を引き連れてきたのはあなたでしたよね、なんてツッコミは心の内に秘めておくとして……無事に切り抜けられたのだから素直に喜ぶべきなのだろうか。
「俺はビビッて、動けなくなっちまったけど、レオは流石だったな」
「そんなことないよ。あの森がこんなにも危険なところとは思っていなかったし、僕らだけで魔物に遭遇していたら間違いなく死んでいただろうな」
――そうだ。
魔物を甘く見てはいたが実際に戦いになれば何が起こるかわからない。人間は簡単に死ぬ。今回は魔法をうまく扱えたから良かったものの、一度でも失敗していたら死んでいただろう。ちょっと魔法が使えるからっていい気になっていたのかもしれない。
「まぁまぁ、そんなに難しい顔してないで、無事に生き延びたことを感謝しないとね」
僕の表情に気付いたサラさんが、ニコニコとした笑顔で僕の頭をグリグリとなでる。こんな子ども扱いにいちいち怒っていては仕方がないが、おそらくサラさんなりに考えての行動なのだろう。その気遣いに感謝しつつも、しっかりと反省をせねばならない。
「それにしても……ゴブリンだけでも大変なのに、それ以外の魔物まで異常な行動が見られるとなったら、ラトリアみたいな地形でも大変だろうな。門を破られたらそのまま町になだれ込むわけだし」
自警団での話を改めてまとめているところで、レオは呟く。
「そうならないように、今回に調査が行われたわけだけど、僕の考えだと事態はかなり進行しているような気がするな。裏で手を引いている連中が、このまま黙って見ているとも思えないし」
「それは確かにそうかもしれないわね。でも、この時期に討伐隊を編成したところで、森の奥地で吹雪にでも遭ったら確実に遭難するでしょう? すぐにでも取り掛かりたいけれど、春までは待たないといけないわ」
ラトリアの付近でこれだけ以上が目立つということは、狙いは一つであろう。おそらく、ラトリアの魔鉱石を狙っているに違いない。しかし、いくら魔物が強力とは言っても、この町の防衛能力はかなり高いと思われる。なぜなら、地理的要因も大きいが、これまで何度も魔物の襲撃はあったが一度もその門を破られてことはなかった。今回のことも杞憂に終わればいいのだけれど……。
それから、しばらく話していると、レオの家が近づいてきた。
「俺はここまででいいです。家すぐそこですから。今日はありがとうございました」
頭を下げて礼を告げるとレオは家に向かってしまう。
「……」
「……」
……無言が気まずいな。先ほどまでは、レオを介して話題などを振っていたが、レオがいなくなったことで会話がなくなってしまった。
実年齢で言ったら年下の女の子と、突然二人きりになってしまったこともあるが、気の利いた冗談など浮かばずに、二人して無言で歩くこと数分経った頃だ。
「――アル君には、本当に助けられちゃったなぁ。自分で言うのもなんだけど、私は結構腕が立つ方だと思ってたんだよね」
隣を歩く、サラさんが夜空を見上げながら語り始めた。民家から漏れる明かりに照らされる横顔は少し寂しげだったが、こんな時にかける言葉なんて、僕には当然見つからないからしばらく黙って聞くことにした。
「剣技だって磨いていたし、一人でも街道を移動できるくらいの自信もあったのにね。まさか森の中で八体のゴブリンに遭遇するとは思わなかった。事前の情報では三、四体で纏まって移動する程度の戦力だって聞いてたから、尚更驚いちゃったわ」
「それに、あのボスゴブリンなんて滅多に遭遇しないような珍しいものだったし、アル君の魔法がなかったら危なかったかもね」
そこまで話すと、こちらを向いて足を止める。
「ちょっと、アル君も何か話してよ。私だけ話してるみたいで嫌だし」
僕としては、このまま家に着くまでサラさんの話を聞いているだけでも良かったのだが、それでは納得してくれないようだ。かといって急に面白い話が出来るほど僕の舌は達者ではない。
僕も足を止めて、頭を捻り何かいい話題は無いかと記憶を辿ると、一つだけ思い当たるものがあった。
「そういえば、戦いの前の約束忘れてませんか?」
「約束……? そんな話したっけ」
「お礼ですよ。お礼。僕らが勝ったら何かお礼をくれるって約束したじゃないですか」
僕が無気になって話しているみたいで嫌だが、他に話題もなかったから仕様がない。
「あぁー!そういえばそんな約束もしてたかもね」
「かもじゃなくて、したんですよ」
オーバーに驚くサラさんに呆れながらも、突っ込まずにいられなかった。そんな僕を見てサラさんは、またあの邪悪な笑みを浮かべる。
「ふーん、そこまでして私からお礼が欲しいのね……。はっ!? もしかして、私の身体を……?」
自分の身体を両手で抱くような仕草を見せるサラさんの姿に思わずため息が零れた。またこれか。僕がこういう冗談に弱いのを分かっていて、この人はからかってくるのだ。ならば、こちらもこの機に反撃するしかないな。ニヤニヤと笑うその表情を恥じらいに変えてやる。
「そうですね。その唇が欲しいですかね」
一瞬の静寂の後、サラさんはピタリと足を止めた。そしてずいとこちらに顔を寄せると、その綺麗な顔が僕の目の前にやってくる。
「――っ!?」
透き通るような白い肌に、吸い込まれそうなくらい澄んだ青色の瞳。軽い冗談のつもりだったのに、逆にこちらが驚かされる。
そして、そのぷっくらと、膨れた紅い唇が息もかかるほどの距離に近づくのを感じて、思わず目を閉じると、次にやってきた衝撃は僕の期待したものとは異なるものだった。
つんっ。
「あわわ」
その細い指で、額を一押しされてよろめいてしまう。
「ふふふ、そういう冗談は大人になってからね。家はもうすぐそこみたいだし、私は帰るわ。私は、春までこの町にいるつもりだから何か用事があったら訪ねてきてね。それじゃあ、おやすみ」
「……サラさんには敵いませんね。おやすみなさい」
アッシュブロンドの髪を靡かせて颯爽と去っていくサラさんを見送りながら、またしてやられたな、なんて思ってはいたけれど、今度はそんなに悪い気分ではなかった。