冬の森
それは、いつものようにレオと一緒に家で魔法の勉強をしていた時のことだった。
突然、レオが何時になく真剣な顔つきでこちらを見つめてきたのだ。なんだよ、急に見つめられたら恥ずかしいじゃないか。
「アル、前々から思ってはいたんだが……お前に一つ言いたいことがある」
「ごめん、何か気に障るようなことしたかな?」
レオの突然の告白に驚きはしたが、僕は冷静に聞き返す。こちらは真剣に何か悪いことでもしたかと思案しているというのに、レオの表情は真剣な顔から呆れ顔に変わり、はぁ、とため息をつくだけであった。
「俺は、お前の友達として大事なことを伝えなければならないな」
何を改まって言うのだろうか、ドキドキしながらレオの次の言葉を待つ。そして、少しの間を開けてから、レオは口を開いた。
「お前ってさ、娯楽とか趣味とかあるのか?いつも勉強ばかりで、他に何かをやっているところを見たことがない。そんなことだと、将来は無趣味でつまらない大人になるぞ」
「……」
「その沈黙は自覚があるということで良いんだよな。本当に気付いていないようだったら、驚きを通り越して呆れているところだが」
言われてみれば、友達もレオだけだし、玩具なんかで遊ぶような歳でもないし……。元の世界でも、そんなに積極的に外で遊んだり、夜通し遊び歩くなんてことしたことがなかった。何より、没頭できるような趣味がなかったのも問題かもしれない。
と、まぁ。言い訳をしても仕方がないので、認めましょう。
「いいじゃん、遊んでばっかりいるぐらいなら、勉強だけの方がマシだよ!」
「限度があるわっ!物事にはバランスってもんがあるだろ……。よし、今日の勉強はここで止めだ。外に出よう」
「えー、今いいところだったのに」
「つべこべ言わずに外に出るぞ。支度しろ」
レオに半ば強制的に外に連れ出され、現在僕らが歩いている場所は、南側の商業区であった。ちらちらと雪が降る中でも、商業区はいつものように活気にあふれており、様々な商品のやり取りが行われている。しかし、レオの目的地はここではないようで、商品に目もくれずに商店の間をズンズンと素通りしていく。
「そろそろ、目的地ぐらい教えてくれても良いんじゃないのか?何処まで行くんだよ」
痺れを切らした僕が質問を投げかけると、レオはニヤリと口角を上げて言った。
「外って言ったろ?町の外に行くんだよ!」
町の外?
◆
「うわぁ……」
「凄いだろ?少しは勉強以外のことにも興味が沸いたか?」
僕は、目の前を横切っていく野生のトナカイの群れに目を奪われていた。
僕らがいるのは、ラトレアの町からホーエンへと延びる街道から少し外れた森の中。慣れないふかふかに積もった雪に足を取られ悪戦苦闘しながらも進んでいくと少し開けた場所に出た。辺りを見渡しても、目に入るのは降り積もった雪を蓄えたモミの木などの針葉樹くらいなのだが、この大自然の中に佇む野生動物を目にしてしばらく言葉が出てこなかった。木々の隙間からうっすらと差し込む日の光がキラキラと反射する銀世界の中を、時々周囲に警戒しながらも雄大に歩く様は、周りの風景も相まって美しいものである。
「僕の語彙力がないからうまく表現できないのが残念だけど、凄く綺麗だな」
「そういうもんは、自分が良いと思えばいいんじゃないか?それと、この風景は冬のこの時期にしか見れないから、これを逃すとまた来年まで待たないといけない」
「嫌々ながらついてきたけど、いいもの見ることが出来たよ。ありがとう、レオ。それにしても、町の住民なら申請さえすればあんなにも簡単に外で出られるなんて知らなかったな」
「勉強以外のことを知らないだけだと思うけどな」
レオの突っ込みは聞き流すとして、実は町を出ること自体はとても簡単だった。申請と言っても住所、氏名等の必要事項を記入し許可証を手に入れれば、一日外の出るくらいなら簡単な手続きで可能なのである。
「この景色は素晴らしいけど、レオのことだから、外に出た目的はこの景色を見るためだけじゃないんだろ?」
ズバリ予感は的中していたようで、レオは僕の指摘を受けて苦笑いを浮かべた。
「やっぱり、バレてたか。最近、森で魔物が出たって話は聞いたことあるよな?出来るならそれを一目見ようかなぁ、なんて思ってたわけだ」
たしか秋頃だったか、街道沿いでゴブリンに襲われた旅人がいたという話があった。早急に解決すべき問題ではあるのだが、ちょうど冬になる手前で時期が悪いということから、春先に討伐隊によるゴブリン殲滅作戦が決行される予定となったらしい。
「危険はないのか?ゴブリンは低級の魔物だけど、子供二人で武装も無しに勝てるのか?」
「こっちから近づくこともないし、追ってくるようなら魔法でどうにかなると思ってはいたけどな。それに、動物がいたってことは、近くには魔物はいないだろう。」
指先に作り出した火の玉を見せつけてニコニコと笑う。かなり、安易な発想で笑えてしまうが、実のところ僕自身もゴブリンくらいなら大丈夫であろうと高をくくっていた。なぜなら、ゴブリンと言えば、スライムと並ぶ雑魚キャラの代名詞としての認識しかなかったし、自分の魔法を過信していたこともあるからだろう。
「もう少し奥を探してみるか。さすがに手分けして探すってのは怖いから二人で行こうぜ」
「それには、僕も同感だよ。まず向こうから行ってみるか」
僕が町の南東の方角を指し、それに同意したレオと共に森の奥へと進んでいった。
少し進んだところで、今度は木の陰から、小さな動物が姿を現した。ふさふさとした雪のように白い毛におおわれた見た目から判断するに、おそらくウサギだろう。保護色となっていることから外敵に発見されにくいようだ。
「あれは、ウサギか?この森だと他にはどんな動物がいるんだ?」
「おぉ、良く見つけたな。あれは、ユキウサギだな。この森には、他にもクマ、キツネ、なんかの他に、魔物が数種類いるはずだ」
動物に関しては、森に生息するような一般的な種だと思うが、この世界ではそれらに加えて魔物までいる。
ここで余談となるが、魔物と動物には面白い関係がある。実は、魔物と動物は同じ生息域で暮らしているのだ。魔物は他の種に攻撃的な生き物であるとされているが、基本的には食料となる魔力を保有する生き物以外は捕食しないため、一部の例外を除くと基本的には動物を襲うことはない。また、動物も魔物を襲うことはなく、両者は同じ空間にいても気にせずに暮らしているのだ。
つまり、アル達は森へ入った時点で、他の動物が当たり前のように生活していたことから周囲には魔物はいないと勘違いしていたが、実はこの判断は間違っていたのである。
再び、歩みを進めようとしたところで、レオは周囲を見回し何かを探しているような素振りを見せる。疑問に思って、自分も辺りを注視してみるが異変など見つからない。
「レオ、何か気になるなら教えてくれ。こっちまで心配になってくるからさ」
「いや、声が聞こえたような気がしたんだけど……気のせいか?」
まだ昼間とはいえ、薄暗い森の中でキョロキョロとされるとこっちまで不安になってくる。
「違和感の正体が分からない以上は周りに注意しながら進むしかないな。それとも、今日は戻るか?あんまり遅くまで森にいると、帰るときに真っ暗で帰れなくなる可能性もあるし」
「うーん、仕方がないか。そろそろ――」
「――――」
ここで、レオの言葉が途切れる。
瞬時に魔力を通わせ、魔法を放つ態勢を整える。今度は僕も何か感じた。音自体は小さかったが、それよりも魔力の余波を感じたことで確信が持てた。
「魔物が近くにいるかもしれない。警戒しろ」
「どっちだ?俺には、右手側から魔力を感じたぞ」
音の発生源を探っていると、徐々に目標が近づいてくるのを感知した。そして、木々の隙間からチラチラと人影も確認できる。
「トレインってやつか?」
「なんだかわからないが、ヤバいってことだけは理解した」
トレイン。ネットゲームの用語で、大量の敵を一人で抱えて移動することであり、背後にズラズラと敵を連れているその見た目から電車と呼ばれる。
追われているのはアッシュブロンドの髪を後ろで纏めた十代後半くらいの女性だ。寒さを凌ぐための頭以外を覆うようなローブのせいではっきりとは分からないが、腰に差す刃渡り六十センチほどの剣だけは確認できた。追う側はゴブリン八体で、耳障りな奇声を発しながら近づいてきている。見た目は想像以上におぞましいもので、身長は百六十センチくらいであろうか。腰を覆う毛皮の腰巻以外に身に着けるものはなく、その手には骨や木で作られたと思われる槍や片手斧が握られている。しかし、一番後方にいるゴブリンは他のゴブリンよりも一回り大きく、革の胸当てに金属製の直剣まで装備しているのが見えた。おそらくあいつがボスなのだろう。
女性は僕らに気付いたようで叫び声をあげた。
「こんなところに子供っ!?逃げて!魔物に追われているの!」
ここで慌てずに、レオとアイコンタクトで意思疎通を行うと、呼吸を合わせて魔法を放つ。
『イグニスボム』『アースシールド』
「――え?」
こんな場所で出会った子供二人組が魔法を操っているのだから女性が驚くのも無理はないが、レオの放った火球が器用に木々の間を縫うように飛んでいき女性の横を抜けたのを確認したところで、僕が女性の背後を守るように地面を迫り上げた即席の壁を作り出す。
火球は地面に着弾すると同時に爆発し、その爆風で一体のゴブリンを行動不能にした。しかし、その他の七体は少しの間動揺したものの、いずれも気を取り直すとすぐにこちらに迫ってくる。
「お姉さん、こっちだ!」
レオは追い付いた女性の手を引くと、町の方へと走り出す。僕も、足止めのために穴をいくつか作ると、すぐにレオたちを追いかけた。
「それにしてもマズイな。こんなにたくさんのゴブリンに追われることになるとは」
「すみません、まさかあんなに武装したゴブリンがいるとは思わなかったもので……」
幸い、ゴブリンの足は僕らとそれほど変わらない程度の速さであったから今は追い付かれずにいるが、女性の方はかなりの疲労でこれ以上走るのは辛そうだ。僕は決心をして、足を止める。
「僕が囮になる。あいつらの気を引くから、その人を連れて町まで逃げろ」
僕の言葉を聞いたレオは、こちらを振り返ってニヤリと笑った。
「こんな足場の悪い森の中で逃げ回るのはキツそうだし、ここらで迎え撃つ方がいいだろ」
「私だけ逃げることは出来ません。微力ながら手伝わせていただきます」
女性の方は、右手で腰に差した片手剣を抜くと、表面がツルリとした直径三十センチの盾を背中から取り出して左手に構え、僕らの前に立った。前に突き出した左手で盾をしっかりと持ち、剣を盾に合わせて軽く構えるようなスタイル。剣の扱いは全く初心者の僕からしたら、重そうな武器を軽々と振り回すゴブリンに対してあんなに短い剣と小さな盾で大丈夫かどうか不安になる。
三対七。ゴブリンは僕らが構えているのを確認すると、歩みを緩めて様子をうかがいながら近づいてきた。数ではこちらは不利な上に前衛に立つのは少し疲れが見える女性のみで、後衛は子供の魔法使い二人。
改めて相対すると、ゴブリンの迫力に負けそうになる。何せ生まれて初めて殺気むき出しの魔物七体と向かい合っているのだから当然だろう。
「お姉さん名前は?俺はレオ。こっちはアル」
「私はサラよ。面倒ごとに巻き込んでしまって申し訳ないわ。無事に町に帰れたなら何かお礼をしなくちゃね」
レオの問いかけにサラが冗談交じりに答えるのを聞いて、少し冷静になれた。練習の通りに上手く魔法を使えば勝てると信じるしかない。
「それなら絶対に負けられなくなりました。今の約束忘れないでくださいね。僕らはサラさんのバックアップに回るくらいしかできそうにもないですけど」
――グギャアアアアア!!
「来るわ!」
ゴブリンの魔力を帯びた咆哮を合図に戦いの火蓋が切られた。