七種の奇蹟
ついに本格的な冬の季節がやってきた。東京でしか暮らしたことのない僕からすれば、雪が降るのですら珍しかったというのに、この地域では当たり前のように毎日雪が降る。
「今日は、もの凄い吹雪ね。アル、外には出ない方がいいわよ」
「うん。そうするよ、ニナさん」
朝食を食べながら外を眺めると、目の前ですらはっきりと見えないほど、世界を真っ白に塗りつぶすような猛吹雪であった。さすがに、ランディも今日は仕事が休みだということで、家でまったりとくつろいでいる。
残念ながら、今日はレオには会えそうにない。それにウィス爺もこの雪では来ることはできないだろう。家の中でできることと言っても、覚えたばかりの火魔法の練習はさすがに練習出来ない。なぜなら、家の中で魔法を失敗した前科がある上に、木造の家で火魔法は危険すぎる。いくら水魔法で消火できるからって、今の僕では慌てていたら魔法を使えない可能性もあるのだから。
なんとか冬になるまでに火魔法を習得はしたのだが、なかなか安定して発動させることが出来ずにいた。ウィス爺やランディにも聞いてみたところ、まず炎を怖がらないことが大切なのだそうだが、動物なら本能的に火を怖がってしまう。僕が慎重な性格なのもあるだろうけど、完全にものにするにはまだ時間がかかりそうである。現代魔法で一度に魔法を覚えたいところだが、覚えるのに特殊な魔法を扱う魔法使いが必要な上にかなりの額のお金が必要となる。それに、こんな町には現代魔法を教える人はいないから、ホーエン王国の都市部の方へと行かなければならない。あまり、現実的ではないから、今は地道に古代魔法を覚えていくしかないのだ。
朝食を済ませると、ここ最近の日課となっている練習を始める。自分の部屋に閉じこもり、水魔法を詠唱し、右手の上に水を浮かべながら、形を自在に変える。正四面体、立方体、正八面体と徐々に角を増やしては、集中が途切れそうになる直前に水をかき消して、また最初から繰り返す。一番、最初に習得したのが水魔法であったのもあるだろうが、どうやら相性も良いようなので水魔法の精度ばかりが上がっていったのだ。
ここ数日間、雪の日がほとんどで、あとは激しい吹雪。最初のうちは雪が降るのを見て子供のように楽しんでいたが、除雪作業や家を出られないストレスからもうウンザリだ。冬なんか早く終わって欲しいと願いながら水をかき消したところで、ふとある疑問が頭をよぎった。
――吹雪も魔法で再現できるのだろうか?
吹雪とは、雪が激しい風で舞っている状態のことを指す。轟轟と音を立てて、町を真っ白に染め上げる憎たらしいあの雪も、基を辿っていけば水なのだ。気付くや否や水を生成して氷を作ろうと試してみる。しかし、いくら念じても水が氷に変わることはなかった。
以前から不思議には思っていたのだが、この世界に存在する神は、全能の神オセロ除けば、七種類だけなのだ。それ以外の属性などないと伝えられてきた。しかし、吹雪という現象が発生するからには魔力で再現できると考えられる。魔法について分からないことは、うちの魔法使いに聞いてみるとしよう。
「氷の魔法なんて無いぞ?」
「じゃあ……雷とかは?」
「雷?魔法は七属性だろ?あるわけないじゃないか」
ランディ曰く、この世界には雷や氷などの属性の概念はないらしい。今挙げた二つの属性はゲームや漫画ではそんなに珍しい属性ではないが、属性は七つしかないと教えられ、それが当たり前の世界なら疑うこともないであろう。まして自分たちの信じる神を疑うようなものなのだから尚更だ。学問の探求は、まず懐疑から始まる。疑ってすらいないことは研究の対象にならない。
そもそも、このラトリアでは魔法の研究は盛んではないと思う。与えられたものをそのまま利用するだけになっていて、応用していないことからも良く分かる。例えば、風呂や照明、コンロのようなものはあるのに、冷蔵庫はない。物を冷やすと言ったら、水で冷やすか、冬場に作って氷室で保存しておいた氷を使用するかである。
僕からしたら突っ込みどころ満載なのだが、この世界の魔法の仕組みから考えてもイメージしたことが必ず起きるわけではない。魔法は七属性の神の恩恵によって与えられ、単体属性に起因する結果しか得られない。試しにやってみたことは熱湯の生成。まず水をイメージして、それから火で加熱するイメージ。原理も分かっているし単純な魔法のはずだった。しかし、結果は失敗。二つの現象を同時には扱えないのである。念のため、発動するタイミングをずらした場合も確認したが、水魔法を発動したまま、火魔法を扱うのも無理であった。右手の上に水球を浮かべ、下から加熱しようとしたときは、加熱しようとした途端、水球は形を失い重力にしたがって真下に落下した。
魔力が切れるまで色々と試してみたが、結局のところ複数の属性に起因する魔法の実現は不可能であった。勝手な解釈だが、七属性の神は仲が悪く、一緒に働く気はないと結論付けることにしよう。
◆
ここ数日の猛吹雪が嘘のような、雲一つない冬の晴れ間がやってきたのは翌日のことであった。
ついに家から出ることが出来ると喜んだのも束の間、僕は除雪作業に追われることとなった。「この機を逃すといつ雪おろし出来るか分からないだろう」とランディに言われたのだ。家の屋根に高々と積もった雪を前にして断れるわけがない。
家を出ると、近所の方々もせっせと除雪をしていた。世界は違えども、やはり雪国ではご近所で協力して除雪することは大切なのだ。僕もランディと一緒に屋根の雪おろしを始めた。ランディは器用に屋根に上ると、安全を確認したところでドサリと屋根の上の雪を下した。そして、おろした雪を僕が片づけていく。屋根の雪を片づけ終えたら、次は家の前の通りだ。ここで、人間除雪機となったランディがフルパワーで雪を片づけ、周囲の人から称賛の声を浴びているのを見て、改めてランディの凄さを思い知らされることとなった。
魔力を属性魔法のコストとして扱うのでは無く、自分の身体を強化するように作用させるのはかなり危険が伴う。失敗すれば魔力を働きかけていた体内で魔力暴走が起こるのだから、大怪我は免れない。つまり、繊細な魔力操作が要求されるのだ。それに、普通の魔法と違うところは、体を動かしながら、頭では魔法の制御を行うというダブルタスクが要求されるということである。僕も水魔法を使うときは、魔法の制御で頭がいっぱいになり他のことなんか出来ない。それを、平然とやってのけるランディはやはり凄かったようだ。
午前中のうちに粗方の除雪は終わり、ランディに遊びにでも行くように言われたので、久しぶりにレオに会いに行くことにした。レオの家は、父親がランディと同じく鉱員であるから北側の居住区にあるのだが、実際に家に行ったのは一度きりで、その時も家の前まで行ってすぐに帰ってきてしまったので、実のところあまり場所を覚えていない。道に迷いながらも、やっとのことでレオの家に辿り着くと、レオは外で魔法の練習をしていた。僕が言えたことじゃないが、レオもかなり勉強熱心でいつも勉強ばかりしている。こちらの声に気付いてようで、ニコニコとしながらやってきた。
「久しぶりだな、アル。どうせお前のことだからこの大雪の間なんかは、ずっと魔法の勉強でもしてたんだろ?」
「レオだって同じようなものだろ?今だって魔法使ってたし」
「まぁ、お互いさまだな」
レオとは、すっかり冗談も言えるような仲にもなっている。外で話すのも寒いだろうとレオに言われ、家にお邪魔することになった。
「お、お邪魔します」
「なんだよ。急にかしこまって、いつもみたいに堂々としてろよ。こっちの調子が狂うよ」
仕方ないだろ。この世界初の『お友達の家に遊びに行く』なんだから。普段は緊張なんてしないのだが、妙なところで緊張してしまう。
玄関を開けて中へ入ると、やっと外の寒さから解放され、室内の暖かさに包まれる。キョロキョロと家の中を見渡すと、家の造りが自分の家とはずいぶんと違うことに気付いた。今まで、自分の家以外を入ったことがなかったことから他人の家の新鮮な雰囲気を感じ、レオの自室に着くまで何だかそわそわした気分であった。そして、部屋へ入るとレオは、僕に適当にその辺でくつろぐ様にと告げて、部屋を出ていってしまった。
レオの部屋は、なんとも僕の期待を裏切らないものだった。壁際の本棚にはびっしりと詰まった本。机にはいろいろな本が積まれており、付箋代わりのメモもチラチラと見える。勤勉さに感心していると、レオが両手にマグカップを持って部屋に戻ってきた。
「寒かっただろ?温まるから紅茶を飲むといい。砂糖やミルクは必要だったかな?」
「子ども扱いするなよ。無糖で頂くよ」
僕が普段から無糖の紅茶を飲んでいるのを知っているくせに、くだらない冗談を言って笑い出す。紅茶を一口飲んだところで、昨日の浮かんだ疑問をレオにもぶつけてみた。
「七属性の以外の魔法ね……。アルが言うんだから何かしらの根拠はあるんだろうけどなぁ。それに複数属性の魔法なんて考えたこともなかったよ」
「でも、魔法って面白い事ばかりだよ。水魔法で出した水を飲んでも、しばらくすると飲んだ気がしなくなるとか……」
「あれ?蛇口から出ている水は普通に飲めるよな?俺は水魔法使えないから試したことないけど何が違うんだ?」
この世界のシャワーや蛇口から出る水は、魔法で生成しているわけではない。実は、貯水槽の中の水を操作して、水を出しているのだ。ここの仕組みは元の世界の仕組みを全部魔法で動かしているだけだったりする。水魔法で生み出した水は、術者が魔法を解くか、生成に使われた魔力が尽きると消滅する。初めて魔法を使ったときは知らなかったが、家の中を水浸しにしても、放っておけば水は勝手に消えたのだ。良くも悪くもいい勉強になったわけだ。
「じゃあ、火魔法で出した火で燃やしたものが、火魔法を解いても燃えたままなのはどうしてだ?」
「それは、魔法で出した火の温度で、他の物体が燃えているからだよ。物体に燃え移った火は魔法で生み出した火とは全くの別物だからね」
「なるほど。あ、そうそう、水の話に戻るけど。魔法って、魔法を解かないか魔力が尽きるまでは発動しているんだよな」
「まぁそうだね。当たり前のことだけど」
「じゃあ、魔力さえ込めておけば、いつまでも続くのか?例えば、時間を指定してその時になるまで発動しないように、かつ、魔力が尽きないようにしておくとか……?」
面白いこと考えるな。時限式魔法ってとこか。今までは、長く保つようにとか精度しか考えてこなかったけど、これは今すぐに試してみたい。
「面白そうだな。よし、外に行ってみるか。気になったらすぐに確認してみよう」
「お?なんかいいアイディアだったみたいだな。家の前の空き地でやろうか」
やっと寒い外から暖かい室内に入ったばかりだというのに、僕らは紅茶を飲み終えると、外へ向かうことにした。
外に出てまず確かめたのは、指定時間が経った後に発動する魔法。いつも通りの魔法をイメージしてから、時間を指定。数秒なら想像するのも簡単だったので、まずは十秒。僕がいろいろと考えている間に、レオが的となる高さ一メートルほどの雪だるま一号を完成させた。大小の雪玉をくっつけ、下の雪玉からは手を模した枝が突き刺さり、上の雪玉には目と鼻を模した石が埋め込まれている。
「よし、いまから十秒後に、その的を目がけて直径十センチほどの水球を放ってみる」
『スプラッシュ』
魔法の予約を終えてゴクリと息を飲む。
しかし、五秒ほど経ったところで、異変が起こった。
「――うっ!?」
突然の魔力消費に思わず両膝から崩れ落ちる。そして、異変に気付いたレオが僕に近づこうとした途端、雪だるま一号が弾け飛んだ。
「ちょっ!危ねえな!そんなことより、アル大丈夫か!」
「な、なんとかね」
足元にうずくまる僕を心配してレオが気遣ってくれるのは嬉しいのだが、結果は残念ながら失敗。雪だるま一号が爆発したのは、単に魔法という制御された形を突然失った魔力が弾け飛んだことが原因だろう。魔法を待機させるのに必要な魔力が一気に消費され、咄嗟に魔法を解いてしまったことで魔法という形が崩れてしまったのだ。ようやく、体の怠さが収まってきたところでレオが口を開く。
「あのさ、俺の推測だけど。これは実用的じゃないと思うな」
「同感だな。レオから見たらどうだった?」
「見た感じだとたくさんの魔力消費してまでやることではない。まず、待機させる魔法の燃費が悪すぎて割に合わない。十秒でこれだと、目の前で魔法使った方が効率いいだろ。だいたい、こんな魔法何に使うんだ?」
僕が思いつくのは、発動した座標を中心に超広範囲を焼き払う魔法とかだろうか。目の前の点を指定して、急いで離れてからドカンとか……いや、でもこれなら離れたところから狙う方がいいだろう。
「まぁ、僕には思いつかないな。レオならどうする?」
レオは右手を顎に当てて、うーんと唸りながら考え込む。
「ハッタリとか?詠唱はしているのに発動しなかったら不思議に思うよな。それで、しばらくしたら発動するとか」
「二つの魔法は同時に使えないから、残念ながらその間は魔法使えないけどな」
それからも、二人でいろいろと実験しては、的となる雪だるまを作って遊んでいた。ちなみに雪だるまは第十号まで作ることとなった。検証は失敗だったけれど、子供らしく雪玉を転がしていたりして、久しぶりに楽しい一日過ごしたのだった。